リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

武市は正しい。意味はなくても。

2015-04-25 10:47:29 | その他
 こんにちは。ようやく天気が持ち直してきました。ことしは東京地方、2月以降、さんざん。
 都内では明日選挙のような。川崎市は統一前期でしたが、県議会は無投票でした。呆れ。無投票の上、維新と自民だって。ここは大阪か。
 県議会もいらねえな。どっかの右翼系のサイトに、県知事、選挙で選んでんだから議員いらねえじゃん、という三権分立を習ったことのない発言がありましたが、正しい。
 要は、県知事に権限があるから、立法権が必要なわけで、そんな権限は9割無くしたらいい。県は市町村の指導を行政事務権限をもってするだけでいい。県議は行政事務の監査役に3、4人つけとけば、そりゃまあ、維新でも自民でもいいや。
 市町村長も行政事務上の発言権を県知事に対して持つだけ。格を同等にしとけばよいじゃん。どうせ今だってうわべだけなんだから。市町村議も監査用に3、4人でいいや。なら、地主一族でも我慢できるし。
 これですっきり。
 ほんと、地方自治とかいう差別体制イデオロギーに興味はない。
 
 話題2。
 先日、朝日の悪口をいって、てめえで何もいわないのもなんだから、今日、朝日が中立を装ってコメントもなしに左右の意見を載せた、「国立大学は国旗を並べて国歌を歌え、国立大学なんだからそう要請する」、の件。
 これって「国民は国旗を並べて国歌を歌え、国民なんだからそう要請する」、と何も変わらない論理だぜ。国民総体制も、もう時間の問題だな。第一次安倍がつまづかなきゃ私の予想通りもっと早かったんだが、自民党党首がアホだなどとそこまでは読めねえ。
 まあ、安倍も打たれて賢くなって寒心してますが、世の中、そういう現況です。みなさま、そのうちあっと驚かないように。取り返しはつきません。
 なんて反対してない、って、それはとりあえずは僕の積極的な仕事ではありません。

 話題3。
 本日はヘーゲルの弁証法。
 まともな哲学者というと、カントとヘーゲル(とヒューム)くらいですが(=あとはみな評論家)、例によって誰もいわないことをお伝えしておくと、カントは近代人がまともに「いわゆる」哲学をするとこうなる、という仕事をしました。かたや、ヘーゲルは、古代人がまともに社会のことを考えるとこうなる、という仕事をしたところです。ん? 誰かいってる? でもそれが本質とはいわないやね。それが本質です。どちらも間違ってはいない。哲学と社会、思考対象が違うだけ。もちろん、どちらも生きる人間の哲学としては正しくありません。
 ま、いいや、そうじゃなくて、本日は武市健人。ヘーゲル「の弁証法」に一生を捧げた人ですが、選集『弁証法の問題』を25歳の時始めて読んで以来、ん十年、なにが言いたいのかわからないまま過ぎてきたけれどようやく腑に落ちた。彼、正しい。
 今日の話はそれだけ。
 武市は正しい。だからなんだといわれてもそれ以上ではありません。なんの役にも立たないし。正しいことがわかって、それで完結する本があるんだ、というすがすがしい気持ちです。
 とはいえ、実は使えまして、次回本の構成をずっと考えていたのですが、これをアナロジーにして作ろうと結論。
 とはいえ、それは広松が難漢字使うのと同じレベルの無意味さに近いので、説明してもしょうがなさそうな。
 だいたい、そんな本、今の世の中に存在できないやね。
 でも私に限ってはそこをなんとか存在させますので、その折は「なるほど」とご納得ください。

*******

 (後日:20.1.20)
  その後、もう4年も経ちました。4年も経てば大学だって卒業ですね、学士様ですよ。というわけで、その後わたしも2冊上程しまして、見てくれました? 見なくてもいいんですが、武市弁証法を自家薬籠中に。宇野弘蔵もかくや、とばかりに弁証法方法論まで書けるようになりました。(2020年1月近辺の当ブログ参照)
 が、そこで一言。
 許萬元氏の武市批判がありまして、これが驚いたことに武市を正しく認識しているのに、その正しさが間違っているという。いわく、存在論主義的「弁証法」なんだそうです。
 そこでわかりました。マルキストが武市を批判するのは、正否ではなく自分の信仰が破られるからだ、と。そりゃそうだ、信仰より真理のほうが強いからね。真理がたった一つだ(ポイントは「正しいのはマルクスの理論だ」というだけでなく、「たった一つ」というところです。)と思う人間には武市は必要ありません。猫に小判。社会科学は社会の各局面における真理を追究し続けるものです。もちろん、武谷三男がいうように、ある本質は次の瞬間にはただの現象となる。
 武市は社会科学的に偉い。
 なお許が書いた「批判」文は、「弁証法の理論」下巻。
 

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2015-04-19 09:13:06 | 断片
 おはようございます。例によって、悪罵のページは嫌いなので、雰囲気を変えます(なら、はじめからわめくなよ、って)

 ほんじつは、うつくしいところで、中原中也賞,2015.

 こちらはよく趣旨のわからない賞で、だいたい今の世の中、毎年毎年、妥当な詩集など出るわきゃないじゃないか、と思うのでありますが、なにしろここは美しく収めないといけないのでまあうるさいことはいわない。

 受賞作は、岡本啓さん、『グラフィティ』。

   別れの記憶
   うかがい知れぬこと
   舌にのこる髪の毛のような
   一本の針金
   いつだったか頬のうらにあたるその一本を
   はきだそうとして
   落ち葉のいいにおいがした


 はあはあ、なかなか流麗なもので。同じ詩集でH氏賞もとったとのこと。要は、そっちですね。うまきゃいいってもんじゃないし。

 それよか、落選の、伊藤浩子さん、『Wanderers』。

   (わらったらいけないよ
   垂れ流される糞尿を
   清水がのみこむすがすがしさまがまがしさ
   排臨には
   (はいりん
   発露には
   (またはつろ
   うかれながらも
   母と妹は何度もいきむ

 どうかねえ、こっちじゃないかねえ、受賞。
 中也賞はどうも女性の方のほうが見込みがある気がします。女性のほうがまだまだ苦労が残っているんだろうと思うのですが、さて。


 (なお、ネット記載の方に感謝。載せていいのかしりませんので明記しときませんが。)
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天ぷらはへたでいい

2015-04-18 20:46:41 | 断片
 こんばんは。若葉の項、みなさますこやかにお過ごしのことと存じます。すこやかでない方はこちらで常時グチを受け付けております。

 さて、本日は2つも賢くなりました。
 その1、人間、天ぷらがうまくなくてもいい。
 ほんと、自慢好きな私も、天ぷらだけは苦手で。
 なにがいけないって、油温度管理ね。油の質や量というのもありますが(当家では古かろうが油を捨てたことなんかないし(ってゆうか、毎日使うのですぐ消滅する)、量もフライパンに1.5Cmしか入れない)、そんなものは、換算すれば一瞬の味にすぎません。ウソだといえる人は、居酒屋では揚げ物を食べない人ですが、そんな人はここには来ません(と断言)。そりゃ雑味や少し生、あるいは少し堅、ということはあっても、そんなものは一口かめば消えてしまいます、が、消えないのがネチャっぽさ、油っぽさ、その他の揚げ加減。最悪、掻き揚げがくっつかない。これらは適正な温度を与えないと、どうしてもダメ。
 、、、長いな、どうでもいい話なんですが。
 はしょります。要は、油を熱くすると火事になるから軟弱な私にはできない、という話で。
 で、本日、やったあ、ばくはつ、換気扇、火の海。
 だからさあ、いいの、天ぷら下手で。

 その2。新聞はもう朝日でさえ権力の手の中。
 なんか、最近、新聞読んで怒ることが少なくなって。1、2年前天声人語担当が替わったせいだろうと思ってましたが、ふと気づき。記事が何も教えないから私が怒る情報もないのだな、と。
 一般大衆が政治について得る情報なんて、媒介物を介しなきゃ得られやしないんだ、と。日本語変だけど。
 メディア=媒体とはよくいったものです。
 朝日新聞が怒る気になって記事にしなきゃ、私の怒るものはなくなる。ほかは、yahooの見出しね。
 他人のせいにするな、という声もあるでしょうが、とても疑い。NHKのニュースなんか、天皇と事故のニュースだけだよ。みんな気づいてないだけなんじゃないのかね、あるいは平記者、本人でさえ気づいてない。みなさまもお気をつけください、みなさまの知らないところで法律が改定されていってますよ、おそらく。
 
 というわけで、本日はおしまい。
 下記は、左翼の方あてのうさばらし。こんちくしょうと思ってね。
 
 次回本用の資料集めの中に、いわゆるスターリニスト田口富久治の本があってさ。田口なにやってるかな、とネット検索してちょっと驚き。転向してやんの。
 顔をしかめながらネットにあるその転向の弁を読むと、下記。
 「私が一人の政治学者として、そしてまた政論家として発言を続けてきた以上、どんなに狭い範囲のものであろうと、私が政治的・理論的になんらかの影響を与えてきたかもしれない学生諸君や一般読者諸氏に対する私の知的=政治的責任の問題は残りますし、それを可能な限り果たしていくことは必要であると考えました。」
 おお、その言やよし。そのとおり、お前のおかげで何百人もの民青同盟員が人殺しや傷害罪犯罪者となったのだ。もっとも捕まった奴は極少だが。どうせ転向した人殺しも、年寄ってそれなりに罪の意識はあるのだろう、、、ないか。
 ともかく、自己批判すると言うならしたがいい。
 で、なに?
 以下、自称、自己批判。「わたし」がマルキストをやめたわけ。
「(1)マルクスは近代資本主義という経済=社会体制の本質や作動法則はかなり正確に理解し分析しえていたが、資本主義の延命力についての判断は間違っていた。同様なことはレーニンを含めた後続世代のマルクス主義者、革命家についてもあてはまる。(2)そのことの裏返しですが、マルクス主義者の社会主義・共産主義の到来についての予測は、あまりに楽観的であり、それは一種のユートピア思想にすぎなかった。(3)現存した社会(共産)主義の体験は、その掲げた理念とはまったく逆に、民衆の基本的人権は保障されず、その政治的参加の権利は実質的に保障されない、民主主義の反対物であったということです。それはまた、ソ連、中国、その他の社会主義諸国において、数千万単位のテロや弾圧を伴うものでもあった。」
 こんのやろう。許せん。
 なに人のせいにしてるんだよ、いままでお前が言ってきたのはお前の考えだろ、え? 違うのかよ? みんなマルクス様のせいなのかよ、おめえのバカ頭はいままでなにしてきたんだよ! 絶対許せん。
 なにがテロ、弾圧だ。こいつは、”世界資本主義が消滅する日まで、プロレタリア独裁が必要だ” などといったんだぜ。世界資本主義消滅までテロ、弾圧を我慢しろと言ってたのか。あるいは、「1972年現在、私は知らなかった」 とでもいうのか。
http://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/bitstream/10270/1145/1/3-538.pdf#search='%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%AF%8C%E4%B9%85%E6%B2%BB+%E2%80%9D%E6%98%9F%E5%9F%9C%E2%80%9D'
 あるいは、反日共勢力について、さんざん「右翼社会民主勢力」、「反共中道勢力」の反動的役割だのと罵倒してきた過去はいったいどこへいってしまうのかね。君の著書、今、手元にあるよ。 
 もちろん、みんなそうなのです。スターリニストだろうが反スタだろうが、てめえで考えたこともない、そんな能力も何もないやつらがイデオローグに祭り上げられて、ほいほい私は教授でございますって。ソ連が崩壊すりゃあ、「私はだまされてました!」。 てめえ、オーム信者かよ! 
 田口という人は生きているようですので、反論お待ちしております。
 みんな自分のことにはほっかむりするからなにを考えているのかわかりゃしねえ。私はそんな人間たちの本心の言い訳を聞きたいよ。もちろん、自己保身しか考えてやしないんだろうけどね。
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抵抗

2015-04-11 20:53:02 | 断片
 こんばんは。寒いですねえ。もう10日前、いきつけでないクリーニング屋のバーゲンチラシがはいってましたが、洗濯出さないでよかった。
 ようやく執筆仕事も軌道に乗り始めましたが、1年前の半分ペース。さてはて。
 やる気は軌道に乗ったとはいえ、どうも頭脳の一時メモリーが300MBで闘っているような、、、
 うそつけ? うそです、すんません。300KB。
 皆様の携帯やPCと比べてゆうと、10000分の1容量。
 既存の最新刊予定に100KB分の文章(テキストデータで)を追加しようと思うのですが、その前の本文400KB弱に合わせようとすると、これがつらい。
    だから300KB,って、なかなか論理的でしょ?
 って情けないだろ、ってしょうがないじゃん。しょうがないものはしょうがない中でなんとかするんじゃ。
 
 さて、昨今、安倍が言いたい放題の中、「メディアは中立にせよ!」だの。
 ば~か。メディアが中立で国家が存立できるか、って。
 いやもちろん、言ってるほうはそんなこと思っちゃいないが、問題は聞いてるほうでね。こちらにいらっしゃる方はさておき、普通の方々は、メディアは中立だろうと思ってやがるに違いない。そのために育んでいる私の「一般人の感性」がそう教えます。
 冗談じゃねえよ。メディアが政府に批判しなくて誰がするのかね? 君? お前? あなた?
 誰もしっこないじゃねえか。
 どうにかしてほしいね、余裕世代。あ、それで、そうでないとかえって資本主義壊れるぞ、ってね。あたしゃそれで十分だけれど。
 
 メディアその2のつまんない話。
 yahooによると、フジ元アナウンサーがNHKを批判、って、長谷川豊とかいうフジ元アナウンサーがNHKのバブル感覚を批判したって、NHK職員はうらやむほどゼータクしてる、って。バカいってんじゃねえよ。ほんとのこといっちゃうぞ。世の中、何も知らねえやつばかりじゃねえぞ。聞いてる普通の人間はつんぼ桟敷でバカになるばかりだ。あ、差別用語? うそつけ。そんな言葉、今の聴覚障害者の方は気にしやしねえよ。まったく、世の中というのは。
 (NHKの取材費がフジの何十倍もあるのは本当。ただし、年収は国家公務員よりはるかに高いとはいえ、お前のフジのほうがン倍も高い、ということを広めたいか
 もちろん、視聴料だなどと、なんの理論的根拠もないものをとっているのは許しがたいが、それとウソとは話は別だ、しかも自分のことを棚にあげ)(=NHKは全国系だから住居手当は高そうだけど(これは私は知らない)、フジにだけは「高い」などといわれたくなかろう、という趣旨)。知っているのは僕ばかりじゃないからすでに反論は(うちうちで内緒で)出てんだろうけどね。 
 みなさまにおかれましても、なんとも社会認識が「幸せニッポン」でちょっと反省されたほうが。
 
 という体制派オンリーの世の中、いつものように酒を飲みながらニュースを見ていて思い出して、35年前、すでに辞めた会社で、、、(後日、以下削除。さらっとほのめかしが書いてありましたが、また働くんでしつれいさま。)
 
 いえ、酔っ払いの昔話でした。
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頭にくると頭も悪く

2015-04-05 14:07:15 | その他
 こんにちは。東京地方ようやくの春ですが花曇り。NHKによると東京では桜の時期が梅雨や9月の長雨の時期を抑えて、一番日照のない時期なんだそうです。
 花粉飛散もあと1日で「やや多い」へ移行。結局ことしは不思議なことに鼻粘膜への影響は甚少でしたよ。もっともその代わりにやたらに痰が出ていやでしたが(わたしは昔から痰には縁がなく、子供の頃は「つば」のことだと思っていました。)。これは副鼻腔がやられたのか喉粘膜が不分明。ともかく、さらさら鼻水が出ないのは、パソコン中も就寝中もとても助かりました。アレルギーも変わるものです。
 
 さて、ようやくヒマになって、勉強モードへ移行中。とはいえがんばらないたちなので、本気モードには、まあ1週間はかかるかと。昨日も1500ページ分の情報は処理したのですが、読書なんてもんは勉強とは関係ないしね。
 というわけで、すでに付記モード。
 
 その1。
 ヨーグルトが足りなくても「お酢と牛乳」では代用にはなりません。
 ってなんのことでしょうか。
 料理作ってて、味付けにヨーグルト入れるとき、プレーンヨーグルトって容器でかいじゃないですか。買うと絶対中身余る。夏ならラッシー(という冷たいインドドリンク)でも作ればいいけれど、寒いときは余りっぱなし。そこで何かで代用できないか、と。
 この答えがネット情報では、酢と牛乳。
 これは、ダメです。酢の味ばかり残って、最悪。「インド料理は酸っぱいからだいじょぶ」とか、ウソだから。絶対やめるように。
 
 その2。
 サラダに隠し味で辛子、の時に「練り」辛子を入れる。和からし、やら洋からし。
 これもダメ。
 これは「サラダにマヨネーズと辛子」と同義。それでよければ文句はいわない。
 コンビニのフランクについてる辛子ってマヨネーズ味じゃないすか。と思わない人は、外す。
 練り辛子の成分にはマヨネーズも卵も乳製品も入っていないので、お酢となんかの増粘剤のせいなんでしょうが、気がつかなかった。チューブ入りの辛子にもそんな雑味があるとは知らなかった。
 
 まあ、こんなのはほぼ千人に一人にも役に立たないので、ついで書き。
 
 その3。
 さて、またイスラム野郎が暴れております。いったい、自分が天国へ行くために他人を殺すなどというやつが天国へ行けるなどという宗教が、世の中にあるでしょうか?
 もちろん、宗教などというものは全部そうです。
 そうでないまともな人間の「宗教」など、一部個人の妄想宗教だけ。そんなものはすべての宗教教授が異端として否定します。
 もちろん、宗教教授などというやつらも、だれひとり天国にいけやしませんが。ま、他人のことだからどうでもいいが。
   バチあたり共めが。
 人間の自由のためへの道筋の足を引っ張るのが低生産力の砂漠民衆ですが、ぜんぜん同情したくなくなります。勝手に死んでろ。

 と、まあ、怒り書き。
 一人突っ込みで本当のことを付記しておきます。
 本当は、一般に宗教にはこの種の「死ぬことと見つけたり」があります。もちろんどんな宗教であれ、本流にはそんなものはありません。本流の構成員が死んでしまったら、人類は残りませんから。もう少し現実的に言うと、ほとんどの宗教は国家と番(つが)って生きているのだから、国家がある限り、死刑判決をする裁判官以外の本流は穏健派です。しかし、ほとんどの中後進国家には全員生きる分の資源はない。厳密には配分すればあるのかもしれませんが、国家システム自体が、何割か死ぬことを想定して存在している。(つまり、生まれた子供の相当部分は大人にさえなれないで死ぬわけです。)
 かくて、本当は死なないはずの育ちきった趣味宗教者も、いくらでも死ぬ理由があるものです。まったくはた迷惑な話。いわゆる「プチ・ブルジョワ」が得られる賞賛体系ですが、宗教がどうということではなく、運動というのはそういうものなのではあります。
 ただ、こうゆう、事実を事実だということにも、まあ言い方っちゅうものがありますわな。

   (ところで、gooブログの改行エラー、この3月あたりから直りました。)
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