こんばんは。東京地方、台風が通るとのこと。私は外にいるときの風は好きともいえますが、どうもマンションの中で聞く風は好きじゃないですね。サッシが割れそうで。ま、貧乏人です。
さて気が付けば、このブログも5年目に入りました、ということをブログ誕生日にでも書けば意味があるのですが、どうもこの時期、思い出せません。だいたいこんな暑い時期にブログの初めの一歩を書き出したのも、アタマを使わない(けど、なにかと知識を仕入れないと作れませんね) ことに時間を費やすことで自分の仕事の進捗をごまかしたのに違いないのですが。
ま、それはそれ。
今日は雨宮処凛。プレカリアートですね。めぼしい本のない図書館だと、訳わかんない本にも手を出して。
明日は政党調整で換骨奪胎、無意味な派遣法修正法施行日で。無意味なので確認をお願いしたいとも言えず。まあ、専門的にはまだましなように見えますが、あるいは超専門的には資本家に分があるんでしょうね。
ともかく雨宮処凛。ご本人的主張では、普通の派遣社員の方々より、ひどいものはさらにひどいんだというところで。ということは現実構成で無理な主張をしているとみえますが、こうゆう話は多少無理なことを表現しないとどこにも届かないんですよね。あ、読んだ本はとりあえず『プレカリアートの憂鬱』(講談社 2009年)かな? 覚えておらん。
ポイントは「われわれはひどい被害者だ」という主張。
まあ、雨宮くらいの歳なら同情もしてもいいけど、もともと派遣法ができたときにマスメディアで賛成してたのは、当時のフリーター、および卒業後フリーター予定者の若者達だったのだからね。その辺忘れて欲しくないなあ。商業新聞での反対意見なんて、民青同盟員くらいしか表明してなかった、といっても過言じゃないのでは?
1999年派遣法改定段階だって若者は、マスメディア上8割方賛成だったぜ。ま、私などそういうのを読むとニガニガしく思うスタンスなので多少被害妄想気味の割合(=ほんとは7割くらいかも)かもしれないが。
なお、ついでに2003年派遣法改定後も小泉純一郎への支持を拡大させたのは、、女性、若者層(=派遣法の今の最大被害者)だった、と中央調査社が言っていることも書いときたいものだ。
http://www.crs.or.jp/backno/old/No581/5811.htm
こうゆうのはいつも一緒。
左翼が反対して、それに対し将来の被害者(=今の享受者)が左翼をけなす。まるで左翼なんかイヌも同然な言い方だったよね。
そしていざ自分が困ると、こんどは主体的に世間の中に左翼を見つけ、「口ばっかりだ」「お前のせいだ」とやはりイヌ同然にけなす。 いまじゃ、イヌ以下、ゴキブリ以下だけどね。
そりゃそうさ、左翼にはなんの権力もないのだもの。口だけ。数を頼まなきゃなにもできゃあしない。資本家には、会社権力も、法律施行力もあるからさぞ頼りになるんだろうけどね。ま、勝手に頼りにしたんさい。
「いや俺たちゃァ口先だけじゃない」と昔いった左翼の奴らは、爆弾犯かなんかで死刑か終身刑さ。
彼らの何が悪いんだい? 日本の人民を代表するプロレタリアの諸君は、「口だけじゃいやだ」といったじゃないか。
(こうゆうのは雨宮世代にいってるんだけどね)
これじゃ、普通の人間は左翼なんてやってられんはずだけど、こうゆうのはいつも一緒、けなされかたがひどければひどいだけ、100年経つと名誉が復権する。そんときゃみんな死んでるけどね。
ほんとは暗いはずの話さ。
ちょっとおつかれさんタイムで、以下「同志よ固く結べ」
1.同志よ固く結べ 生死を共にせん
いかなる迫害にも あくまで屈せず
われらは若き兵士 プロレタリアの
2.固き敵の守りよ 身もて打ち砕け
血潮に赤く輝く 旗を我が前に
われらは若き兵士 プロレタリアの
3.朝焼けの空仰げ 勝利近づけり
搾取なき自由の国 闘いとらん
われらは若き兵士 プロレタリアの
4.暴虐の敵すべて 地にひれ伏すまで
真紅の旗を前に 戦い進まん
われらは若き兵士 プロレタリアの
歌詞、全面受入。
このブログが看板的アナキストの論調でないのは、筆者にこういう素地があるんだよね。(ただし旗は「赤と黒」)
わかんない? これは古い人間用ね。古くてもすでに若くない大多数の人は、私には関係ないから。
(追加の注)
ネット世間では、派遣法制定当時の労働省事務次官、関英夫と、審議会(研究会)座長の労働経済学者、高梨昌という男への糾弾があふれ残っておりますが、そんなものはどうでもいい
。人間、どうして他人の悪口をいわないと納まらないのか不思議ですね。
もちろんほんとは不思議ではなく、それはわれわれ大衆の基本的なストレス解消法ですが。
こうゆうのは、現状を肯定的に秩序付けようとする労働省正統と、社会の動き方など何も知らない空論の「労働経済学」者のなしたわざ以上のものではない。要するにそんなものは、ただの歴史の2つの駒に過ぎない。
さて気が付けば、このブログも5年目に入りました、ということをブログ誕生日にでも書けば意味があるのですが、どうもこの時期、思い出せません。だいたいこんな暑い時期にブログの初めの一歩を書き出したのも、アタマを使わない(けど、なにかと知識を仕入れないと作れませんね) ことに時間を費やすことで自分の仕事の進捗をごまかしたのに違いないのですが。
ま、それはそれ。
今日は雨宮処凛。プレカリアートですね。めぼしい本のない図書館だと、訳わかんない本にも手を出して。
明日は政党調整で換骨奪胎、無意味な派遣法修正法施行日で。無意味なので確認をお願いしたいとも言えず。まあ、専門的にはまだましなように見えますが、あるいは超専門的には資本家に分があるんでしょうね。
ともかく雨宮処凛。ご本人的主張では、普通の派遣社員の方々より、ひどいものはさらにひどいんだというところで。ということは現実構成で無理な主張をしているとみえますが、こうゆう話は多少無理なことを表現しないとどこにも届かないんですよね。あ、読んだ本はとりあえず『プレカリアートの憂鬱』(講談社 2009年)かな? 覚えておらん。
ポイントは「われわれはひどい被害者だ」という主張。
まあ、雨宮くらいの歳なら同情もしてもいいけど、もともと派遣法ができたときにマスメディアで賛成してたのは、当時のフリーター、および卒業後フリーター予定者の若者達だったのだからね。その辺忘れて欲しくないなあ。商業新聞での反対意見なんて、民青同盟員くらいしか表明してなかった、といっても過言じゃないのでは?
1999年派遣法改定段階だって若者は、マスメディア上8割方賛成だったぜ。ま、私などそういうのを読むとニガニガしく思うスタンスなので多少被害妄想気味の割合(=ほんとは7割くらいかも)かもしれないが。
なお、ついでに2003年派遣法改定後も小泉純一郎への支持を拡大させたのは、、女性、若者層(=派遣法の今の最大被害者)だった、と中央調査社が言っていることも書いときたいものだ。
http://www.crs.or.jp/backno/old/No581/5811.htm
こうゆうのはいつも一緒。
左翼が反対して、それに対し将来の被害者(=今の享受者)が左翼をけなす。まるで左翼なんかイヌも同然な言い方だったよね。
そしていざ自分が困ると、こんどは主体的に世間の中に左翼を見つけ、「口ばっかりだ」「お前のせいだ」とやはりイヌ同然にけなす。 いまじゃ、イヌ以下、ゴキブリ以下だけどね。
そりゃそうさ、左翼にはなんの権力もないのだもの。口だけ。数を頼まなきゃなにもできゃあしない。資本家には、会社権力も、法律施行力もあるからさぞ頼りになるんだろうけどね。ま、勝手に頼りにしたんさい。
「いや俺たちゃァ口先だけじゃない」と昔いった左翼の奴らは、爆弾犯かなんかで死刑か終身刑さ。
彼らの何が悪いんだい? 日本の人民を代表するプロレタリアの諸君は、「口だけじゃいやだ」といったじゃないか。
(こうゆうのは雨宮世代にいってるんだけどね)
これじゃ、普通の人間は左翼なんてやってられんはずだけど、こうゆうのはいつも一緒、けなされかたがひどければひどいだけ、100年経つと名誉が復権する。そんときゃみんな死んでるけどね。
ほんとは暗いはずの話さ。
ちょっとおつかれさんタイムで、以下「同志よ固く結べ」
1.同志よ固く結べ 生死を共にせん
いかなる迫害にも あくまで屈せず
われらは若き兵士 プロレタリアの
2.固き敵の守りよ 身もて打ち砕け
血潮に赤く輝く 旗を我が前に
われらは若き兵士 プロレタリアの
3.朝焼けの空仰げ 勝利近づけり
搾取なき自由の国 闘いとらん
われらは若き兵士 プロレタリアの
4.暴虐の敵すべて 地にひれ伏すまで
真紅の旗を前に 戦い進まん
われらは若き兵士 プロレタリアの
歌詞、全面受入。
このブログが看板的アナキストの論調でないのは、筆者にこういう素地があるんだよね。(ただし旗は「赤と黒」)
わかんない? これは古い人間用ね。古くてもすでに若くない大多数の人は、私には関係ないから。
(追加の注)
ネット世間では、派遣法制定当時の労働省事務次官、関英夫と、審議会(研究会)座長の労働経済学者、高梨昌という男への糾弾があふれ残っておりますが、そんなものはどうでもいい
。人間、どうして他人の悪口をいわないと納まらないのか不思議ですね。
もちろんほんとは不思議ではなく、それはわれわれ大衆の基本的なストレス解消法ですが。
こうゆうのは、現状を肯定的に秩序付けようとする労働省正統と、社会の動き方など何も知らない空論の「労働経済学」者のなしたわざ以上のものではない。要するにそんなものは、ただの歴史の2つの駒に過ぎない。