リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

「口だけ」人間の誇り

2012-09-30 21:08:06 | その他
 こんばんは。東京地方、台風が通るとのこと。私は外にいるときの風は好きともいえますが、どうもマンションの中で聞く風は好きじゃないですね。サッシが割れそうで。ま、貧乏人です。
  
 さて気が付けば、このブログも5年目に入りました、ということをブログ誕生日にでも書けば意味があるのですが、どうもこの時期、思い出せません。だいたいこんな暑い時期にブログの初めの一歩を書き出したのも、アタマを使わない(けど、なにかと知識を仕入れないと作れませんね) ことに時間を費やすことで自分の仕事の進捗をごまかしたのに違いないのですが。

 ま、それはそれ。
 今日は雨宮処凛。プレカリアートですね。めぼしい本のない図書館だと、訳わかんない本にも手を出して。
 明日は政党調整で換骨奪胎、無意味な派遣法修正法施行日で。無意味なので確認をお願いしたいとも言えず。まあ、専門的にはまだましなように見えますが、あるいは超専門的には資本家に分があるんでしょうね。
 ともかく雨宮処凛。ご本人的主張では、普通の派遣社員の方々より、ひどいものはさらにひどいんだというところで。ということは現実構成で無理な主張をしているとみえますが、こうゆう話は多少無理なことを表現しないとどこにも届かないんですよね。あ、読んだ本はとりあえず『プレカリアートの憂鬱』(講談社 2009年)かな? 覚えておらん。
 ポイントは「われわれはひどい被害者だ」という主張。
 まあ、雨宮くらいの歳なら同情もしてもいいけど、もともと派遣法ができたときにマスメディアで賛成してたのは、当時のフリーター、および卒業後フリーター予定者の若者達だったのだからね。その辺忘れて欲しくないなあ。商業新聞での反対意見なんて、民青同盟員くらいしか表明してなかった、といっても過言じゃないのでは?
 1999年派遣法改定段階だって若者は、マスメディア上8割方賛成だったぜ。ま、私などそういうのを読むとニガニガしく思うスタンスなので多少被害妄想気味の割合(=ほんとは7割くらいかも)かもしれないが。
 なお、ついでに2003年派遣法改定後も小泉純一郎への支持を拡大させたのは、、女性、若者層(=派遣法の今の最大被害者)だった、と中央調査社が言っていることも書いときたいものだ。
 http://www.crs.or.jp/backno/old/No581/5811.htm
 
 こうゆうのはいつも一緒。
 左翼が反対して、それに対し将来の被害者(=今の享受者)が左翼をけなす。まるで左翼なんかイヌも同然な言い方だったよね。
 そしていざ自分が困ると、こんどは主体的に世間の中に左翼を見つけ、「口ばっかりだ」「お前のせいだ」とやはりイヌ同然にけなす。 いまじゃ、イヌ以下、ゴキブリ以下だけどね。
 そりゃそうさ、左翼にはなんの権力もないのだもの。口だけ。数を頼まなきゃなにもできゃあしない。資本家には、会社権力も、法律施行力もあるからさぞ頼りになるんだろうけどね。ま、勝手に頼りにしたんさい。
 「いや俺たちゃァ口先だけじゃない」と昔いった左翼の奴らは、爆弾犯かなんかで死刑か終身刑さ。
 彼らの何が悪いんだい? 日本の人民を代表するプロレタリアの諸君は、「口だけじゃいやだ」といったじゃないか。
 (こうゆうのは雨宮世代にいってるんだけどね)
 これじゃ、普通の人間は左翼なんてやってられんはずだけど、こうゆうのはいつも一緒、けなされかたがひどければひどいだけ、100年経つと名誉が復権する。そんときゃみんな死んでるけどね。


 ほんとは暗いはずの話さ。
 ちょっとおつかれさんタイムで、以下「同志よ固く結べ」

1.同志よ固く結べ 生死を共にせん
  いかなる迫害にも あくまで屈せず
  われらは若き兵士 プロレタリアの

2.固き敵の守りよ 身もて打ち砕け
  血潮に赤く輝く 旗を我が前に
  われらは若き兵士 プロレタリアの

3.朝焼けの空仰げ 勝利近づけり
  搾取なき自由の国 闘いとらん
  われらは若き兵士 プロレタリアの

4.暴虐の敵すべて 地にひれ伏すまで
  真紅の旗を前に 戦い進まん
  われらは若き兵士 プロレタリアの
  

 歌詞、全面受入。
 このブログが看板的アナキストの論調でないのは、筆者にこういう素地があるんだよね。(ただし旗は「赤と黒」)
    わかんない? これは古い人間用ね。古くてもすでに若くない大多数の人は、私には関係ないから。
    

(追加の注)
 ネット世間では、派遣法制定当時の労働省事務次官、関英夫と、審議会(研究会)座長の労働経済学者、高梨昌という男への糾弾があふれ残っておりますが、そんなものはどうでもいい
 。人間、どうして他人の悪口をいわないと納まらないのか不思議ですね。
 もちろんほんとは不思議ではなく、それはわれわれ大衆の基本的なストレス解消法ですが。
 こうゆうのは、現状を肯定的に秩序付けようとする労働省正統と、社会の動き方など何も知らない空論の「労働経済学」者のなしたわざ以上のものではない。要するにそんなものは、ただの歴史の2つの駒に過ぎない。
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日中関係よもやまばなし

2012-09-23 17:51:40 | 歴史への視角
 こんばんは。まだ6時前ですが外はもう暗く。東京地方も、ようやく秋の涼しさが。
 私儀、9月いっぱいはなにかと忙しいのですが、個人仕事のいつもの予定は涼しくてアタマが動く10,11,12の3ヶ月。今から楽しみなのですが、勤務仕事、新しく追加が入いらないといいなあ、、、

 さて、今回ももう少し歴史の見方というものを続けましょうか。
 わたしなんか自分の主義とは別に普通にサラリーマンしてますから自分の感性の大衆度には自信がありますが、それだけに中国大衆の大衆度の感受性にも自信はありまして。
 なんといってもこの80年間、日本人に会った中国人にしてみれば、日本人の奴隷同然。
 「日本の」じゃないですよ。具体的な「日本人」に奴隷のように扱われて80年。
 まあ、実は会った人間は少ない、ということがまだしもですけどね。
 「民間友好」なんていったって、そりゃ買いかぶり。この10年に限ったって会うたびに厳然たる金力の差を見せつけられる。日本人はたかだか平人民のはずなのに、暮らしといったら尊敬すべき中国共産党幹部様以上ですから。(中国人にはもっと金持がいる? そりゃ中国資本家はそんな運動をしないというだけで。)
 ちょっと想像してみてくださいな。
 これで、「デモやっていい」といわれりゃ、昔の『アイク帰れ!』なんかよりずっと楽しい騒乱を作れますよ。  
 そんなのに対応しなきゃ気が治まらないわれわれストレス大衆や、これをいい機会とストレス発散に励む自称右翼は、理屈だけからいやあ、ま、「フェアじゃない」というもんですね。

 で、こんな状況で、いま日本経済の製造業企業が望んでいるのは、日中安定。
 「くそ、石原の老いぼれ野郎。後期高齢者がのさばりやがって。あんなのを選ぶ東京都民は痴呆症か」というところがホンネ。
 そんな製造業資本家が望むのは、国家が自分たち製造業を「守って、どんなことでもしてくれる」ことです。

 さて、若い方々で経済学を習った人は、どうせマルクス経済学なんてとってないでしょうから、経済学の教科書に、経済原理の理想を思い出せるでしょう。
 「国家は小さいほうがいい。経済に手を出してくれるな」。
 で、まずは、そんなものはウソだ、と確認してください。
 資本家は自分の意思決定に茶々を入れられるのも困るが、かといって、他国に茶々を入れられるのももっと困る。そんな弱っちい国家じゃあ資本主義はやっていけない、国家とは、できうる限り軍事大国であったほうがよいのです。要は、「国家はわれわれの手先になって欲しいが、それ以上になってはいけない」
 フリードマン以下、歴史に名を残さない雑兵たち。あるいは日本でいえば転向前の中谷巌その他雑多などうでもいい近経原論の諸教授たち。その根本原理がウソ。
 まあウソつきだって食うものを稼ぐ権利はありまさあ。悪いのはバカをかつぐ資本家大衆だからね。

 「いや、お前はそんなことをいうが違う。元はといえば国家が口を出して、日本経済を苦境に陥れたのだ。ほっといてくれりゃあ中国はよきお友達だ」って説はありますか?
 そう、そんなことを言う国籍不明なやつがいると、国家経済のトータルが困る。
 言ってるだけじゃなくて、どんどん資本が深入りするからね。にっちもさっちもいかなくなってから国家に泣きを入れられても、国家官僚は対応の仕様がない。中国は「資本主義経済国家」じゃないことを忘れちゃあ困る。
 
 実は、国家トータルでいうと、『手を切るなら今だ』、というところじゃないですかね。
 わたしゃ、このストーリーは先を読む男が手を引いていると思いますけどね。
 世の中って不思議なことに、誰かが裏にいるものなんですよ。
 若人はこれは覚えてほうがよいと思います。あなたの友達のエリートもそのうちなるかもしれませんし。(あなたはならないよね、こんなとこにきてるから。)

 で、世の中というものは、賢い奴に乗っ取られるもんです。それはアタマが賢いからではなく権力組織には、そういうポジションというものがあるんですな。
 高度組織というものは、「高齢者(政治家)にはとうてい検討作業をさせてはならない」、という隠居の智恵を体現化させているものなのです。
 出した結果を老人に「ご判断」いただくわけですね。菅が最後まで理解できなかった高度判断過程のことです。そのため、検討の内実を知っているのは官僚だけという場合が全部。
 彼らの仕事は、若いものの書いた大臣答弁書にダメを出すだけじゃなくて、常に政治家の裏を動いて、国家戦略の筋書きを練ることですから。
 わたしなんか、この陰謀を仕組んだのはおそらくアラフォーのキャリア官僚だと思いますが。
 当たったら、自首してみたらどうですか?
    って、しねえよ。

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国家展望の1側面

2012-09-15 11:30:02 | 歴史への視角
 こんにちは。お元気ですか? わたしは不元気です。どうしてこんなに暑いんだろうね。
 若い人はわからないと思いますが、中高年ともなると不思議なことに暑いと何もする気になれないんですよね。二日酔いの午前中のような、、、そりゃ二日酔いだろうって。違います。

 最近頭に来たことに、ターミナルM駅近くのS堂で1ヶ月前に買った靴底に大穴が。
 靴下じゃないですよ。牛革の靴。
 
 あ、こりゃ、びっくり。サービス品じゃない、6000円のスリップオン。
 1ヶ月だよ、1ヶ月。
 そんなの売っていいのかよ。知らんぜ、つぶれても。少なくともぼくはもう買わないからね。
いや、バッタもん押し付けられたかと思ったけど、ワシントンの通販でも5000円で売ってるから、ま、店そのもののせいではないようだけど(だけど、靴底は店の兄ちゃんに確認したんだぜ。奥にいたおかみさんがなぜか不安そうにしてたが)。

 suffice(サファイス)7704。
 情け無いね、日本製造業。
 貧乏人同士でだましあっていいのかね。
 まあ、靴の需要度はわからないけどね(普通の靴は売れないのですぐ壊れないとやってけないか)、と言うのは、若人はカネがないくせして何万の靴を買ってるようだからだけど。


 さて、なんでも、右翼資本家たちが役に立たないネットウヨを排除に出たようで。
   鉄砲玉にもならんクズはもういらんと。
 
 市場-資源確保に危機感を覚えてくると、資本主義者たちは、現実に彼らの利益を保持してくれる「層」を求めるようになる。
 哀しいかな、誰も信じられない資本主義者たちは、彼らの尖兵である国家官僚も信じられなくなってくる。国家官僚は「今」しか考えていないから。国債発行高に表されるように、今をクリアしてるだけじゃ、もうどうにもならんのね。  
 しかして、かれらは直系の兵士を欲しがる。すなわち、社会上層の「保守」層を代弁するための本来の右翼=国家利益主義者の存在が必要となってくる。反・反日のような単純バカじゃやってけないのね。もちろん、サンケイのような口先右翼では老人の自慰にしかならない。読売、朝日の主張に無意識のうちに取り入れられて(そのぐらい当たり前のレベルになって)、初めて右翼主張は力になる。そのために、ここはなんとか権力に繋がる若人の束が必要だ。
 そんなものを何に使う、って、つまりは、いよいよ資本主義最後の手段、軍備拡張ですね(侵略行為のことではない)。今の時代、「拡張」というよりは「最先端更新」かな。これには見込みのない代替エネルギーじゃ量が足りないから、一挙に、脱原発もうやむやにできるし。
 復興土木事業じゃ、波及効果がなさすぎだからね。生保費投入となにも変らない。

 ただ、アメリカあたりだと軍備支出も有効需要創出なんて大きな顔ができるところだけど、日本だとそうもいかない。
 こうゆうのは、どうせ要らないサービス業労働をしてる人民を振り向ければそれですむはずのところだけれど(が、3Kに近い労働にどれだけ向かえるかは別として)、日本のような無資源国は、少し事情が違う。
 外国から軍備用資源を輸入するために、日本人民の労働を費やさなければならない(=外国に他製品を売らなければならない) からね。その分の労働を、または労働力再生産費を、どぶに捨てていく、=日本人民は貧しくならざるを得ない。
 しかし他方、資本家というのは、商品が売れてる限りどんな場合でも儲かるのだよ。
 近経の指標じゃ、「好景気」だとかになるんだね。ほんと、不思議。 
 そりゃ、労働者雇用も増えるからご同慶だけれど、いかんせん、低賃金雇用なのだ。だって、労働者は自分用の購買物品なんか作ってないからね。作ってないものは自分のものにはできやしないさ(国家全体での結果の話)。かくして、さらに労資格差が広がるというわけだ。
 
    ただ、プロパガンダの副産物ができるからね、大衆の口をなんとかふさぐようにしないと、すぐ戦争だぜ。われわれ大衆はお調子者だからね。
    いや、お調子者ってくくっちゃうと応用が利かないからまずいね。
    
    近代民主主義っていうのは、あるいは正確に言うと、資本主義の進展がもたらした国民経済と大衆消費というものは、支配権力が大衆の意見を取り入れるようになるんだよね。
    あるいは正確に言うと、大衆の生理性が政権に反映し、あるいは正確に言うと、支配権力の武力部門に反映し、大衆の賞賛と優越の行方が政権に反映するようになる。あるいは正確に言うと、大衆の生活中の生理性の存在が支配権力に認められざるをえなくなり、支配権力の賞賛と優越の一部を大衆も共有しうるようになり、武力勢力の担い手の国民国家化を通じて大衆の心は武力勢力の心となる。
   この一瞬において、国家はその転轍手(=針路変更役)として、政権エリートではなく、大衆を選ぶようになる。
    てな話です。
    
    わからない? ま、そんな簡単にわからないのが人生でして。
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血液型とか

2012-09-08 21:45:56 | その他
 こんばんは。東京地方まだまだ暑く、夏バテです。
 というのも本日同僚に「夏バテじゃない?」といっていただいて。
 そういえば、と体重計に乗ると、この6年間で最低値を示しました。これは想定外。つまんない証拠が。
   だからどうということもないのですが。ほっときゃ寒くなるしね。

 ついでに同僚が「やさしいんですね」とかいってくれて。
 これは別の人が小さな怪我したから気にしたことで。
 わたし的にはそんなもんどうでも、毎日力及ばないことだらけだから、「うん」なんていえませんぜ。
 
 その1)
 わたしんとこはちょっと大きい会社なので、耳の聞こえない人とかいて。
 その人には職場のグチを(メールで)いわれるんだけど、さあさて、じゃあ、とうことになると、助ける能力の範囲を超えちゃうんですよね。アタマも時間も回わんね(耳の聞こえない人との話には、精神力がいります)。
 人間、55歳定年ですよ、基本。あとは肉体労働に従事すればいいんだけれど、わたしゃそっちの力ないし。 
 
 その2)
 そっちは精神力だけど、さらにいっそう優しくないことに、別の同僚が人事課的にはウツっぽいことになってるんですが、平気で休むのにあたしゃどうしても同情できない。あにいってんだよ、おまえ男か、とか、そういう発想がどうしても頭に渦巻いて。
 おかげでこちとら夏休みなんざ1日もとれねえよ、とかって、続くんですが。ま、心の中で。
 心の中だけど、わたし感情を隠す気はないから、本来伝わるはずなんだけど、伝わっててあの調子じゃゆるさねえや、とか。でもそういう人は自分のことで精一杯、他人のことなんか考えていられないでしょうね、理由はともかく。
 
 というわけで、私はやさしいなんていわれなくて結構です。
 私はわたし。ただのわたし。
 
   なんてうさばらし。
   ここで、自分の世間のウサ晴らしをするのは初めてのような気もしますが。それが夏バテですかね。
   ここは今の職場の人は誰一人来ないしね。
 
 はあ、つまらない。ぐちいったからどうということもないならいわんほうがいいね。
 さて、今日の話題は、私とは関係なくいきます。

 藤田紘一郎著、「バカな研究を嗤うな」
 あの、寄生虫を自分のおなかで飼ってたという医学部教授。今は土壌菌と免疫の関係を調べるために、毎日土壌菌を自分で飲んでるそうです。
 トンデモ学者かと思ったら、ちゃんと寄生虫からアレルギー抑制物質を精製分離してたりして。本をよんでもなかなか自負心に溢れてまともな人間そう。
 
 ま、その中でトピックが、血液型。

 教授いわく
 『リンパ球割合の血液型による差や、血液型による病気感染度の差(たとえば肺炎球菌はB型物質からなっているので抗B抗体を持っているA型は肺炎にかかりにくい等)が存在するのにどうしてそれが性格に結びつかないと発想できるのか』、など。(いつもいうように私のカッコは引用ではありません)

 そもそも人間に血液型の別があるのはなぜか。
 彼いわく、なんでも初めに血液型物質を持ったのは細菌類だそうで、乳製品に適合した腸内細菌がB型物質をもっており(B型遊牧民族起源)、穀類野菜に適合した腸内細菌がA型物質をもち(A型農耕民族起源)、遺伝子移入したとのこと。

 ま、あたしには関係ないけど、そうかもしれないし。

 とにかく、あたしゃ、何の根拠もなく「血液型と性格が関係ないのは科学的に証明されている」などとくっちゃべるやつらは大嫌いなんだよね。科学の何かも知りゃあしない。全部、権威の受け売りのくせに偉そうに。
 肩書きばかりのバカ教授も含めてね。教授なんて肩書きだからね、物理学者は物理公式を知っているだけだし、、肺がん学者は皮膚病のことなんざ知りゃあしないさ。
 
 ま、基本的に、血液型ちゅうのは、以下のごとく。

 くったくがなく、対外場面では、感情的に(個人の気ままに)意思決定するのが、B型。
 くったくがあって、対外場面では、すべてに意思決定をしないのが、A型。
 すべてにくったくだらけに見えて、対外場面では、社会的に承認された方針の下に決意を持って意思決定する人が、O型。(=テーマが社会的に承認されてない間はA型なみ。)
 くったくもなにもなく存在感が軽く、対外場面では、なにを考えて意思決定しているのか不明な人が、AB型。
 ひつこく「対外場面では」というのは、それ以外で他人と付き合う回数は限られているということでね。それじゃ他の場面での一般性など収約できないね(これは、面接調査の真理性の範囲問題(限界性)だけど、社会学者はこの観点からはだれも問題にしてないね(ホンネを聞くのに時間がかかるとかじゃなくて、「ホンネ」にみえても内実は対外コミュニケーションにすぎないという限界性、ないしそれをカバーする手段ね)。私も社会学教師じゃないからそんなのに時間を削ぐのはごめんだけど)、
 それ以上の性格表現のバリエーションはどうでしょうね。人間の洞察力には差がありすぎるし。


     ま、上記はリベルテールにはほとんど役にはたってないので、近々に役に立つものを。
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グチか疲労か展望か

2012-09-02 20:05:00 | 初めの言葉
 こんばんは。勤務帰りの自宅周辺からは、あちらこちらからの若々しい虫の音が、いまだ残った油蝉の声を圧倒する今日この頃
 本日はためになりません。
 
 昨日は出勤前のブログチェックで(私はいいかげんな勤務体系)、数少ないコメントで、古い記述に、「その表現違うだろ」 みたいな話で。おっしゃるとおり言葉抜け。がっくりですねん。
 私のような80%主義者が、酔っ払ってきちんと表現して書こうって無理なんでしょうね。
 
 それもそうだけど、お客さんが古い日付に来てるって(前もそうだけど)、それも力落ち。
 このブログのお客さんなんて山のように来てくださるわけでもないのにね。 こりゃ大方、フリの客かい、みたいな(失礼)。
 
 もうブログやめちゃおうかな。少なくとも時間つぶしだな。
 
 なんて思う一方、じゃあ、誰が私のお客さんなのかな、という問いかけもあるところ。
 
 わたしゃ別に美空ひばりになる気もないし、さだまさしになる気もないし、まあ岡林信康になればそれでコーリング、召命、使命ははたされると思ってる、と思えば、仔細な論理構成より、何をいいたいかを数人の読者にわかってもらえることの方が重要だ、とも考えられるところ。
 
 岡林信康って知ってる? 歌手だけど歌は「友よ」(や「山谷ブルース」)しか残っていない、でもタイガース(阪神ではないよ)よりはましな存在。
 と思ってるファンが一人(=私)いれば彼も本望だろうと。わたしなら本望です。
 
 でも、秋になったら休止して応用理論に専念したほうが将来の人類のためかもしれない、とも思うところ。
 それと、その書の中に、大事な既出のブログテーマを、誰でも論理を追える形で再掲する方法を考えようか、とも思うところであります。
  
 
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