リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

いいこといくつか

2024-09-28 16:48:08 | 断片
 こんにちは。東京地方ようやく涼しくなりました、といっても日差しの下は歩きたくありません。
 一昨日、買い物帰り歩いてたら左手がちくっと。真っ黒けの天道虫に噛まれた! 天道虫って噛むのかよ。汗がにじんで塩が欲しかったのか。調べたら、ダンダラテントウとかいう。なんだらじゃなくて、でも意味不明。吹いたら飛んでった。天道虫はladybirdというと。浮気女に噛まれた。しかしまあ悪い奴だからオスに違いない。
 
 なんかいいことありました? 私はありました、涼しかった。そこそこ食べたし。そこそこ呑んだし。それで悪いはずもない。
 うらやましい? 若人は平凡な日常をうらやましがっちゃだめだよ。蓄積、蓄積。文化の原始的蓄積。大きくなった時の人間の生き方は原蓄(原始的蓄積の略語)から生まれるのだよ。そうマルクスじゃなくてアダム・スミスが言っているからほんとうでしょう。「大きく」って、まあ60歳まで。
 
 昨日は珍しく個人的にいいことが多く、
 その2。
 「大谷翔平 自らの一打で悲願の地区優勝決めた!」(スポニチアネックス)
 偉いもんだ、これで一安心。今年はもういいや。
 
 いいこと、その3。
 「日本ハム・新庄監督 初のCS決定!」(スポーツニッポン新聞社)
 偉いねえ、ビケ2年のあとの2位だよ。わたしゃとうていできない。がんばったのに、2年間6位だよ、とても耐えられない。たいしたもんだ。
 
 いいこと、その4。
 「自民新総裁に石破氏、高市氏破る」(共同通信)
 よかった、高市じゃなくて。どっちでもいいんだけど、好きじゃない人間を喜ばせるのが嫌い。もっとも選挙は困るね、自民党の負け材料が少ない。高市なら負けるのに。
 「新総裁誕生で「石破かよ」「日本終わった」続々トレンド入り」(J-CASTニュース ) ざまあ。嫌いな奴らが残念がってる、ほんとうれしいよ。
 ついでに河野がブービーだって。ざまあ。もっともこんな下っ端、どうでもいい。
 「WEST.中間淳太 石破茂新総裁に辛らつ「勝つと思ってなかった」「国民人気って知名度だけ」」(東スポWEB)
 中間とかだれか完璧に知らないけど、日本の教科書で勉強しろよ。
 
 どうでもいいこと。
 野田が自民党総裁になったってさ。え、ダブってるじゃん、、、民自党か。
 どこの党だろうがまた消費税を増税するんだろ、今度は15%か。こんどの海外派兵はどこだ? 原発はまだベトナムに押しつけるのか? 与党のスパイか。さぞ自民党は喜んでいることだろう。しかも相手が石破じゃ差もねえや。
 ほんと、日本は民主的だよ。人民がそのまま反映してる。

 めずらしくいいことがあっても結局悪口で収まっている。
 日々のくらしが悪いんじゃないか?
 ともかく秋が来て、食事のバリエーションが増えてうれしい。今年は剥き栗を買いました、焚き込み用でくず栗だけど。などといわんでいいことを追加するから悪口になる。
 好きな青蜜柑も買って、ただ味が薄くて65点。
 なんか悪口をいいたいんだね。
 あしたは休み? いいことがあるといいですね。

 P.S. 今日のいいこと。
 いつか来た道、以前も同じ状況で追加した「博士ちゃん」時計博士、小幡昂輝くん。
 今回も気仙沼で東北津波にあった柱時計を直してくれました。(2024-06-01記載)。感動。
 前回と同じく、サンドウィッチマンの富澤たけしさん、泣いてました。私は入浴後、途中加入なので泣くにはいまいち、涙があふれる、くらい。小幡君、いいやつなうえかしこい。このまま技術者にさせるには惜しすぎる、、、
 ともかく、よかった。悪口なし。

 なお、最近、goo blog にリンク機能がついた、あるいは場所がわかり易くなったのを発見。
 けど、いままで15年ほっといて出来たら、はいそうですか使います、なんちゅうのも業腹、しばらくほっときます。これは悪口の代わりか。

 
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プレ資本主義から後進国資本主義へ(その2)

2024-09-22 16:55:29 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。東京地方、今日は涼しい。涼しいとすべてにやる気がでるから不思議。ただほんのちょっとおなかが悪い。
 能登はあんまりですねえ、、これで心が折れないわけがないだろうと、わたしは心が弱いので。折れたらどうなるのかしら、、神様のご加護をおいのりいたします。

 今日は昨日の続き。「来週」ではありません。ふつうのみなさまには、あしたいいことがありますように。

 では、前商品社会とは何か。都市労働者の視点からご説明します。
 まずは、「商品社会」とは何か。それは資本主義社会のことです。

     そもそもから始まっちゃいますから、ふつうのかたは来週ね。

1 商品社会とは
 マルキストが「商品」が資本主義社会の基本要素とかいうから、商品があれば資本主義やら商品経済やら市場社会だ、などと短絡される、これはなにも短絡する者のせいではありません。すべてを無規定的に使うからそういう目にあう。
 資本主義社会とは、宇野の言う通り、「資本によってその経済を処理する社会である」(経済原論p.19)。「資本によって生産過程が把握されると始めて(ママ)、必ず商品となる生産物が生産されることにもなるのである」(同p.20)。
 
 さてしかし、資本というモノはありません。それはあるシステムの集約です。どんな? モノを支配者の許可により消費しうるシステムです。ここではモノは本来、支配者の所有品なのです。
 支配者が許可を与えるにはモノの見分けがつかなければなりません。そのモノの生産過程には労働者の労働がある。この労働により生産させることに限って費やされるカネの呼び名が「資本」であり、そこでできたモノが商品なのです。
 そこでは、モノとは売ろうとしてそろえてあるモノです。この呼び名が「商品」です。
 商品は消費物資ではありません。労働者はこれ(商品)を消費してはならないのです。ただしカネを使えばよい。
 誰が決めたのか? 国家支配者です。なぜそんなことが決められるのか? 法律で所有権を決めたからです。 それは決して資本家が決めたのではない。
 商品とは「支配権力が定めた(カネと交換するという)方法による消費が許可された物品」のことです。つづめていえば「消費許可品」です。

 さて、それではなぜ資本主義的時代にそんな画期的なことがおきるのか。 
 その要因は、「人民にとっての」余剰消費物資の製作力の大きさです。ここで生産力と言わないのは、無意味な哲学的生産力論議に巻き込まれたくないからです。今焦点となっているのは、あくまで純粋な物質生産力です。
 しかし、一方、「余剰」であるということは、余剰が生まれる農業生産力とそこから生まれる余剰物資の行先の特定を確認しています。

 端的に言えば、いくら人民が労働しようと、奢侈品は支配者の命で作れるし作らされるでしょうが、便宜品を作ることはできないのです。そんな暇があったら、国家支配者の賞賛と優越を充足するために、周辺の国家支配者の持ち物のような奢侈品を作らされるのです。
 端的ですが、そういう意味です。
 さてそれは「余剰」でしょうか? 学者にとっては余剰でしょうが、しかし人民にとってはそれは生命と引き換えの必須物資製作です。
 
 しかして、ここで必要なのが、何らかの要因による消費物資製作力の増大と、奢侈品からの国家支配者の相対的な欲求の減少です。ここで人民の便宜品欲求について考慮する必要はありません。労働人民にとって、便宜品は普遍的欲求対象です。 
 ざっと具体性を付け加えておけば、たとえば第1に、機械力の創成、第2に国家支配者の国家意識の増大にともなう人民の肉体力への対応、要するに反乱防止、であることは歴史が述べるとおりです。

 ああ長い。長いうえに初聞きでしょ? ま、しょうがない。
 つぎはわかりやすいでしょう。

2 前商品社会から後進国資本主義へ 
 ここからが本題。
 ここで、後進国においては必要な機械力は先進国の資本が転化します。反乱防止はそもそも後進国家の国家支配を入手する過程で必須です。
 
 プレ資本主義から資本主義への第1段階は、生産共同体における共同性の崩壊です。
 都市=工業的生産力の上昇によるモノの放出に対して、今までの共同体から、「相対的な」カネ基準が低下する。工場労働者であれば年に300万円収入されるのに、農村労働者では200万しか入らない、という意味です。ここで、生産共同体から出る人間は、被扶養観念がなくなる。日々あやうい工場労働者の生計を支えたはずの生産共同体は、せいぜいが、「実家・親類縁者」の意味しかもたなくなります。

 この時点で、都市労働者にとってそれまでの賞賛と優越の参照枠であった生産共同体は消滅します。彼の行く先は都市に限定され、彼の賞賛と優越は同じ都市に住む、あるいは会う、労働者諸氏に移行する。
 これが第2段階の始まりです。都市から逃げる場所が「実家」しかなくなった労働者は、先進国労働者の代わりに「産業予備軍」の要件を備え、資本家は労働者の賃金をいいように操作します。この過程で生産「実家」と都市労働者の両者が貧窮に陥った時、私も言い飽きたし読者諸氏も聞き飽きた、しかしマルクスはいわなかった、資本主義的疎外が彼のものとなる、はずです。
 
 ただし、もっと悪いことに、小後進国の場合、それは徹底されない。資本主義的生産は既にその他の大中後進国の発展によって過剰になっているからです。小後進国の労働は、あくまで自国の消費物生産と特殊資源的生産に特化されなければならない。これは半面、生産共同体の存在の、生計維持人民への必要性が残るということです。この時点で、産業化によってその必要性をクリアできない農業生産力しかなくなっていれば、何かの資本が剰余労働力を吸収するまでは、その剰余労働力はカラシニコフ銃へも向かうでしょう。内戦です。

 なお、ここでは生産共同体員からのモノとしての収奪の増加は考慮に入れません。
 モノとしての収奪の増加がないとは、今まで150キロで済んだ税はこれからも150キロで済む、という意味です。 

 と、「2」は、われながら簡潔でわかりやすい。半歩譲って、わかりにくくとも簡潔だ。広辞苑のよう。こういうのを「わかってる」というんだね。
 ま、書けば礼儀は果たしました。


 
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プレ資本主義の蜜月(その1)

2024-09-21 17:16:45 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。想定通り寒さ予報が一日一日先送りになる今日この頃、彼岸花もコスモスもまだまだ。
 ここで、去年話題にした彼岸花の咲く理由、とりあえず咲いてないのは普通なら暑いから、でまあ終わらしてもいいや、だけどね、咲いてるのもあるんだよ、日影っぽいとこ。ここは土中が寒くなったの? ずっと最低25℃切ってないぜ。なっとくできないなあ、、
 と、とつぜん話題を振ってもご迷惑。
 最近左肩の動きが悪くて、とうとう五十肩が来たか、と思いましたが、どうも寝るときパジャマだけなんで丸まって寝るのが悪いのかも。そうすると痛いし。何が五十だ、って、柔道整復学上では五十までしかないようなので(by wiki)嘘ではありません。いずれにせよ唯一の運動の素振りができなくて困って。
 
 そういえばやっと新札全部にお目にかかりました。千円、五千円はおつりで来るけど、一万円札が手に入らなかった。やっぱ資本家より聖徳太子がいいね。って、一万円、今まで誰だったか忘れております。って、ネットで画像見直しましたら1万円はおろか、五千円も千円も誰のがいつやらわからない。
 で、新札、出来はキラキラ輝いてきれい。ただどれも数字が安っぽいのは外人向け仕様でしょうか

 さて、そろそろ秋鮭、クマの好物、っていうけど、クマ、骨はどうすんのかしら? ばりばり齧(かじ)りそうだけど、喉に刺さんないんだろうか? 不思議。刺さると痛いぞ、お医者いないし。
 というわけで諸ニュース。
 「息子抱いたママが蹴りでクマ撃退 元自衛官だが「倒し方学んでない」」(朝日新聞デジタル)なんて記事がありましたが、子連れグマだよ、哀しいことだ、クマも相手も子連れだってわかってんだろうし、、
 
 「大谷翔平、3連発含む6打数6安打10打点で「51-51」到達 ドジャースは12年連続PS進出」(日刊スポーツ)
 やっぱ、もってる人間はちがうね。神様のひいき。努力してるからね。
 おかげさまで退職者はネット中の賞賛を読んでしまいました。すごく面白い。
 ただ、昨日の夜のニュースで画像も見ましたが、なんともあっけなく終わってます。これが現実? ネット記者の感動記事で想像してたほうがいい。文科系なんだね。

 「坂本哲志農相は17日の閣議後記者会見で、「週ごとに(スーパーなどの)棚にコメが並ぶようになった。品薄感が減った」と成果を強調した。」(共同9.17)
 で、なんでうちの1軒のスーパーにいまだに米が一袋もないんだ? (17日現在)
 皆様、よくご記憶ください。「坂本哲志農相」なる人物です。くずが。
 クズですがすいません、熊本県人です。だけど菊池の人間です。
 、、、と、そこまでいうと差別か。
 熊本は北と南が違うって、すでに根拠もない、が昔はあった。菊池は大宰府支配。南はただの熊襲。いつの話って? 

 自民党の解雇規制緩和ばなし、朝日のアンケートで全体では29歳までは6割賛成だと。よく覚えといてね。男と女じゃ男の賛成が多いから、男の7割は賛成、とこれはただの想定。
 そんなこといってて、自分がクビになるときはぶうぶう文句を言うんだからわけわかんねえ。わかるけどね。物心ついてからみんながそうしてきたのを見てきたから、ワケなんか要りやしない、不愉快なだけ。ま、お前らなんか同情してやんないし。早くクビになれ。とにかくよく覚えておくように。

 というわけで、本日の題は、おタクっぽくないけど細かっぽいので読者を選びます。
 来週は涼しくなってるといいですね。じゃね。
 
 
 さて、気を取り直して
 元はといえば非常に感心した1冊、
 服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記増補版」、中央公論社、2009.
 これはよい本。著者である元総裁が独立すぐの小後進国でどう資本主義国家を作ったか、という話。
 いい本だけど、本人の認識が現実に埋もれ過ぎてるんで、これでは単純な市場主義礼賛になってしまう、んで、どういう限界があるかを書き留めておこうか、と。
 
 まずは、開発独裁なのはしょうがないが、そのままでは平公務員が働かない。政府だけが存在する国では働く理由がないから。平公務員が働くには全人民と行為共同性ができた段階に立ち入る必要がある。公務員は公僕なのだ、が、独裁国家で平民が自分より偉いはずもない。そこでまず必要なのは、公務員の綱紀粛正であり、税の最小化であり、商業的自由化であり、人民の市場主義的陶冶である、と。
 本書には先の3点の説明があって、ま、そりゃそうだ、と。カネがあったところで買うものが目の前になければ経済は独立以前になる。同時に、ブツがあったところで人民にカネがなければやはり経済は独立以前になる。著者は本業は銀行業なので、このカネとモノの動きを安定的スムーズに確保させ、独立に貢献しました、というわけです。
 小後進国には大事なことをしてよかった、と思われます。もう50年以上前の世界ですが
 
 それはよいですが、若人が、そらみたことか、資本主義万歳! なんて喜ぶのが困る。
 そこで、人民サイドの説明を追加します。 
 さて、陶冶といっても(って私の集約)後進国ではそれは自主的なものです。
 そこでは商業関連者(農業生産物の売却者や商人)は通常よりちょっと豊かの日常を手にできます。
 商品の取り扱い自体は人間の日常、常に生ずる「取引」であり、それ以上のものではありません。
 この人間の相互行為をそれ以上のものにするのは、カネによる賞賛と優越です。
 ある後進国=前商品社会において取引によるカネの入手は、彼に多大の自由を与えます。 
 「私を束縛した生産共同体からの離脱」
 「生産共同体では手に入らない「製品」の入手」
 「なによりも、そんな社会的位置に存在する自分」
 生産共同体からの一時的な離脱は、つまりそれまでの社会から排除されたわけではない離脱は、彼の生理的最低限の常態をあいまいながら保証するのです。つまり、いざとなれば、そこでの昔のよしみにたよったり、あるいは「実家」に帰るのも良い。
 であれば、あとはどんな「儲け」が少なかろうと、賞賛と優越が勝利する、つまりみんなに自分の身を誇れるのです。
 開発独裁での政府の命令的作業や年貢収奪と、この前商品社会的存在と、さて、どちらがいい? そんなこたあ言うまでもない。
 
 ここには衒学的意味を越える「疎外」は存在しません。あるいは、生産共同体内中人ほどの疎外しか存在しない、といえば哲学者は満足するでしょうか。 
 このプチ商人資本にとっての資本主義的疎外は、これから何段階もの歴史の先に存在するのです。

 さて、では前商品社会ってなんのことだ? なんて気がする方はいないでしょうが、そこは礼儀で、あとでのせようか、とも。

 
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オタクなし

2024-09-14 16:17:53 | 断片
 こんにちは。お元気? 暑いと体の芯まで疲れてしまうよ。運動しないしね。
 みなさまは体が動く間に筋肉を貯めるように。体は資本。
 なんて知っててもしない人はしない。
 来週半ばから急に秋だってさ、天気予報だからどうせうそだけど。
 yahoo写真に「まるで”金色の野” 収穫期迎えた稲穂揺れ 熱風の中に初秋の景色/兵庫・丹波篠山市」が出てました。読める?「ささやま」、知っててもまずは「しのやま」と読んじゃうよ。
 ともかくよく目が留まるんだよね、丹波新聞。いい写真家が住んでるんじゃないかなあ、、まあわたしが東京の田舎育ちのせいかも。

 本日の個人ニュース
 「ざわつく金曜日」(という視聴率抜群の番組、って夕食時間だから年寄りばかりだろうね)見てたら、内容はどうでも、1978年のテレビ番組表の拡大パネルが出てきて、あっつと思ったらTBSお天気お姉さんの2代目の名前が。忘れてたんだよね、名前。
 先日亡くなった滝良子そらまめ姉さんの次に出てたのがウサギの増田葉子さんでした。wikiに出るほど。モデルまでやったって、いやそれほどでは、、
 まあいいや。懐かしかったこと。
 ついでに、同じ番組表に「窓ガラス」研ナオコが出てた。45年前だよ、そんな昔かねえ。
 みなさん、いつまでも若いと思っちゃいけないよ。
 この時のバックは先週出たアルフィー(すいません、3週間前でした、自分でびっくり)。まだ歌ってらあ、、すぐ年寄ってもいけないね。
 
 ついでに年寄り専属「『徹子の部屋』に、兄弟フォークユニット「ビリー・バンバン」の菅原進さんと俳優で歌手の湯原昌幸さん、タレントのせんだみつおさんが3人で登場」(婦人公論jp)だって。
 せんだみつお、昔中学のころビリーバンバンのフォーク公演でドラム叩いてて驚いた。その頃はもうテレビで3枚目してたからね。へええ、てなもんで。
 懐かしい。みなさまもなんとか資金を工面して若いうちに文化に親しんでください。
 
 って、今日は書くことないのね。オタク仕事は今、細かすぎて。

 社会ニュース。
 
「「将泰庵DINER」で「飲めるハンバーグ御膳」などハンバーグを食べた14人のうち7歳から50代までの男女、7人が下痢や腹痛などの症状を訴えました。、、、このうち5人から腸管出血性大腸菌O157が検出され、入院して治療を受けたということです。」(NHK)
 これは変。将泰庵というのは「A5ランクの黒毛和牛を二度挽きした」から「飲める」ほどやわかい、といってるのに。牛を自前で挽いて、なぜO157?
 評論家は火を入れてないせいとか言ってるけど、昔、付き合いで頼んでた肉屋のハンバーグ弁当は、中、生で真っ赤なのに中毒したやつはいなかったぞ。肉屋もうちのはだいじょぶなんだ、といってたし。わたしゃ赤いとこ残してたけどね。
 内臓肉でも使ったのではないか?
 
 「異例 豊昇龍が敗戦後に礼のやり直し 場内騒然 審判長「相手を見てない」促されて再び土俵へ上がる」(デイリースポーツ)
 「やり直しを命じた審判長の九重親方は「礼が全然合っていなかった。悔しくて相手を見ていない」と説明.」
 え、えっらそうに。
 相撲なんてつぶれてしまえと、何か起こるたびに思うね。早くつぶれるか、年寄りが死ぬか、だ。いやさ、50歳にもならずに年寄りなんざおこがましい。

 自民党総裁選、どいつもこいつも自民党だねえ、当然ながら。だれがなろうがおんなじ。軍備やら憲法改正やら、おおっぴらのイデオロギー宣伝だね。違うのは夫婦別姓だけだとニュースがいっている。
 中で小泉の解雇規制緩和がユニーク。とうちゃんがやった規制緩和の感性を目指すとか評論されている。整理解雇のための、①経営上の必要性②解雇回避の努力③人選の合理性④労使間での協議――の4要件に「小泉氏は「4要件が満たされないと人員整理が認められにくい状況を変えていく」んだそうな。(毎日新聞)
 なあに、見てな、こんじょなしだから。高市に問題にされちゃったし。ぺらぺらいいわけするさ。

 と、このまま悪口で終わると寝ざめが悪い。

「ヤクルト42歳青木宣親「俺も涙出てくる。やめてくれよ~」会見では涙はみせずも...号泣の村上宗隆の言葉にもらい泣き.」( 日本テレビ放送網.)
 いいやつじゃん、村上。熊本人か。まだ若いしね。おじちゃんなんて年とってもいいやつだけどね。


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資本論体制内視点の具体例

2024-09-07 13:24:45 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。おあつうございます。東京地方、せっかくしばらく涼しかったのにね。土曜ご出勤の方は電車空いてるからましかも。 
 今は花の端境期のような。道端にはまだ少しヒルガオは咲いてるけど、一戸建ての庭には花がない。タマスダレくらい。チョウはアゲハやシジミチョウが飛ぶんだけど、つる植物なんかの小さな花に寄るくらいだから可哀そう。トンボは何食べてんのかねえ、、蚊ならいい奴。暑さの減少で最近蚊が増えてきて。
 なんてゆう牧歌的な話をおいて、この暑さで小松菜さえ芽を出しても「溶けて消える」んだってさ。困ったものだ。ほうれん草はあきらめてるけど、小松菜もなくなっちゃあ夏の葉物が摂れない。今年はもういいけど、来年再来年と、、、
 若人は野菜なしで生きてけるからいいけどね、40過ぎると体が欲する。
 
 「新米の価格、軒並み上昇 生産コスト上昇や需要の高まりが影響」(朝日新聞デジタル)なんてニュースが。
 そりゃあおめでたいことで。実は生産者の言い値だってさ。(読売新聞オンライン)
 嘘なんかつかないで上げたいときは正々堂々と上げろよ。500年前からうそばっかついて。
 みんなで嘘をつくから労働者の給料も上がらない。

 さて個人ニュース。
 去年話に出したユニクロのトランクス、きつい。え、バングラディシュ製? およそわたしよりウエストの小さい奴なんかガキだけのはずですが、タイ製BVDなんかよりずっときつい。タイはデブれてもうブルジョワ国家なんだねえ、、バングラディシュ人民に米を! 日本人ではこりゃ穿(は)けないだろうと思うのですが、文句ないのか、まあゴムですから延びるのも時間の問題とはいえ。

 ニュース。
「昭和の時代、戦争はいつも隣に 昭和天皇記念館、改修費募る」(朝日新聞)。松任谷由実が金出したんだってさ、でかい写真入り記事。
 松任谷って、まったく関係ない人ね。交友関係ググったら、桑田佳祐、沢田研二、今井美樹、一青窈、槇原敬之、、、みんな見事にまったく関係ない。一度も歌ったことがない。
 荒井由実だけは乗っけてもらった自動車内で聞いてたけどね。なんでも若い時だけ、っていうのも淋しいね

 これは書くだけ。
 アメリカで「大谷翔平に死球…左腕の妻が怒りの投稿 脅迫やアカウント乗っ取り…誹謗中傷を訴え」妻発言「MLB選手の妻に対して殺害や、6か月の赤ん坊に対して誘拐の脅しをしても大丈夫だと思っている人はやめてください。」(Full-Count)
 ほらストレス社会はどこでも一緒でしょ、という確認。わけわかんない白人崇拝者とか、まだ生きてるからね。君の時代は終わったんだよ。

 さて、今日のお耳よごし、隈のお料理教室番外。「こんなレシピってあり得ない」
 「茶碗蒸し レシピ 電子レンジ」でググると
 1 150ml 電子レンジ(600W)で2分10秒加熱し
 2 150ml 200wのレンジで2つ同時に7分加熱します
 3 600Wで30秒加熱し200Wで6分加熱、取り出して状態を確認し、火が通っていない場合は1分加熱します
   、、、って検索後を上から並べただけ。
  
  さて、何がありえないんでしょう? 器がみな「耐熱容器」と指定するだけ。
  浅いのでやったら 600W 1分数十秒で爆発。2ケ目は深めので500Wで恐る恐るして1分数十秒で多少液体っぽいけど終了にしました。
  茶碗蒸し容器ならそう書けよ、って、1ケ150mlじゃ足りないと思うんだけどね。
  (ちなみにレンジ温泉卵もすぐに爆発するのでやりません、お湯が簡単。うちのレンジ、力が強いのかねえ、、)
 
 なにしろIHに替えたもんで蒸しものには苦労します。
 それと焼き物も苦労。グリル、両面なんだけどぜんぜん焼けない。火は通るけど、こりゃ蒸し器だ。安全だけどね。年は取りたくないものです。
 なお、光熱水費はガスから電気へ差引安くなったままです。 


 夏前に、副題の【体制内視点】について、その理論の効用から説明したところです(2024-06-22)。でついでに、【体制外視点】についてもその効用から説明して、5月に書いた概念的把握批判に続く、としました。で、本論書いてて、もっときっぱりと具体的に書かないとわからないか、と思い直し、具体的に「資本論」視点の批判。

 まずは、資本主義下にある労働者にとって「経済」が意味するものは、自分が働く行為であり、その対価として呉れるという賃金であり、その賃金をもって買う消費物資の動きです。
 彼の毎日の思いは以下です。

1 私は経営者の下で好きでもないのに働かざるを得ない。
2 ここを首になったら次が見つかるまで飢えていなければならない。
3 ここで経営者は働いている私よりカネをたくさん持っている。

 これが通常の賃金労働者の規定性です。
 当り前? 実際当たり前なのですが、いま何をいっているかというと、 
 まず第1に、彼は資本論的労働者ではない、ということです。彼は資本論的搾取の対象者一般ではない。ラーメン屋の丁稚奉公者であり、コンビニのアルバイトです。資本論がいうところのルンペンプロレタリアです。私は昭和の人間なので「よくいうよな」と思います。
 ついで第2に、資本論には労働者の不満の理由の契機がない。本来、不満な労働をせざるを得ない労働者が思うことは、「なぜわたしは私の労働ができないか?」です。
 答えは、わたしはなぜか自分で生産手段を持っていないからです。
 これではもちろん、クビになってはいけないのは当然です。
 こんな手近な「生産手段の強奪」を知る契機が、資本論のどこにあるでしょうか? いいえありません。エンゲルスが「空想から科学へ」というパンフレットで強調するまで、マルクスは知らぬそぶりです。
 第3に、さすがに経営者が労働者の労働した結果のおこぼれで生活していることはかろうじて分かるところですが、それさえも「資本家はなんら不正なことをしていない」というわけです。正式の契約で買った労働力を使っただけだ、というわけです。びっくり。

 さてしかし、労働者の日々の思いはただの事実認知を越える。
 彼は日々を過ごすその1日1日に、彼にとっては大事な昼食の喜びを除いて、特別の思いを抱く。
 つまり第4、なんでこんなにしてまで儲けなきゃいけないんだ?  あるいは給料を稼がなきゃいけないんだ?
 たったこれだけの思いが、彼の人生を規定する。
 しかして、先生というと喜ぶ学者が嫌う、「人間の感情」問題です。
 資本家はくやしいが「資本家範疇の行為」しか、してはなりません。労働者はくやしいが「労働者範疇の行為」をするしかありません。「本当は誰も首にしたくないんだ」「本当はこんなインチキの商品を売っちゃいけないんだ」。人間は自己の賞賛と優越にかかわらず、経済学的規定性に沿った行動を続けなければなりません。つまり、自己の周りの「彼にとっての人間たち」を裏切る行為をしなければならない。人間にとってこんな悔しいことはないのですが、先生なる者は、中高年マルクスと同様に、この気持ちが理解できない。あるいはこの感情を科学が表現しようなどと思うこともなく、ましてやそれが学者の仕事だとも思わない。

 この感情のポイントは、一部疎外主義者がいいたがる、搾取される存在という自己認識などではありません。そんな認識には怒りもなければ力もないのは、労働者一般は身に染みてご存じのこと、知らぬは前衛主義者ばかり。
 そうではありません。怒りは裏切りや憎しみからのみ生ずる。すなわち同じ会社の仲間、同じ資本家の仲間、同じ労働者の仲間と思っていた者たちとの葛藤です。
 力は憎しみや協働からのみ生まれる。すなわち、彼らも我らも同一的行為集合体なのだ、という認知、あるいは「階級的事実認知」と、そうであることの歴史的意義、すなわち賞賛と優越の喚起です。

 もちろんこんなことはいくら天才とはいえ20歳のエンゲルスならわかっていたことです。19世紀初頭の「空想社会主義者」はみなわかっていたことなのではないか? いかに流行らなくなっても人々はその理論を伝えていかねばなりません。政府が歓迎し官立大学で教えられる経済学ではなく、人民の人民による人民のための経済学は、これに相応する社会学研究者が、この歴史的状況の中、で伝える使命があるのです。


(注)
 なんちゅうと、「資本論は人間を範疇としてしか扱ってないから」とかいうやつがいるでしょう。たとえば鈴木鴻一郎の話は前書きました(2018-09-15)。
 2回書いてもしょうがない。
 「あほか。範疇としてしか書かない、と決めるのは「筆者」だよ」とだけ言っておきましょう。
 
 それより問題は、書けば書くほど悪口が増えること。世間の奴らはケツの穴が小さいから売れなくなる。
 お前のことだ? はい、わたしは世間の典型をもっとうにして。
 まあ、マルキストに嫌われるのは本望だが、エンゲルシアン(エンゲルス主義者)とはお友達でいたいね。本論のこれからの課題は、どう悪口を気づかなくさせるか、で。
 


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原理からの説明と、現象からの原理と

2024-08-31 15:54:34 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。こちら東京地方というより神奈川県、大雨ひどいひどい。台風通り道の方々の気持ちの一片がうかがえます。山の上なので洪水はいいのですが、通り道の擁壁沿いの家々が心配されます。今日はよさそうですが。みんな地主と不動産屋のせい。詐欺か未必の故意。
 電車・飛行機が動かないのも困りもの、なんでしょう、知らないですが。今日から土日で一般論ではよさそうですが、台風直下のお勤めの方々はお疲れさま。
 
 とはいえ雨さえ降らなければ猛暑も終わり、シオカラトンボなんかが8月らしく飛んでいました、ってもう8月も終わりか。
 トンボはわかりやすくていいです。関東地方じゃ、灰色のをシオカラ、赤いのをアカトンボ、でかいのをオニヤンマ、細いのをイトトンボと呼べば当たらずといえども遠からず。みんなそれぞれ「方言」で終わり。
 
 ところで、みなさまお米はあります? これもひどいねえ、うちの近くの2軒のスーパーは1軒はゼロ、パックご飯のみ。もう一軒で茨城の新米が出てました、5k3800円。わたしゃ午前中にいくから買えるのです。といってもコロナ以降、常に1袋予備があるので買いませんが(それも2人で1食、半合しか食べない)。
 というわけで代用品ソーメン、gooで好きな薬味ランキングが出てました。
 【5位:ごま】【4位:大葉】【3位:みょうが】【2位:しょうが】【1位:ネギ】
 だって。
 わたしゃソーメンに限っては
 【5位:ごま】【4位:ねぎ】【3位:紫蘇】【2位:みょうが】【1位:しょうが】
 だね。
 ソーメン以外はネギ一択だけど、ソーメンは味がないから。
 しかし本来庭に生えててタダのはずの紫蘇もミョウガも大枚払わないと買えない。ショウガは擂る(する)のがめんどいし(チューブのは薬臭いし)。一戸建てはいいなあ、、けど、都会郊外の一戸建てには庭なんかないけどねえ。

 さて、今日も特段、茶々を入れるニュースはありません。
 「大谷翔平、MLB史上初「43本塁打-43盗塁」の快挙!」(TBS NEWS DIG Powered by JNN)とのこと。それで満足。
 ひいきは勝ってなんぼ、自分のことと思うのがひいきだかんね。勝てばOK、負けりゃみたくもない。
 
 とはいえ、一つくらい社会的に。
「「新条件受け入れられない」 ガザ停戦交渉巡りハマスが声明 早期の合意は見通せず」(テレビ朝日系(ANN))(いまは小児マヒ接種休戦、ってうわべ)
 好戦ハマス。やつらがしゃべるたびに思う。
 10年後、たった一人のスパイのために1国が消滅したことが知れたとしたら、歴史屋は湧くだろうねえ、、穏健派最高幹部が消されたのだって、だれのせいだか分かるものか。
 まあ、世間の風潮に沿って、個人の妄想です、といっておこう。


 というわけで、今日の本題。いかにもオタクの極致。ふつうの方には関係ありません。
 いま言及するのはこれまでの隈のシステム対象的な提出作品と、今回の、「大衆視点の」作品との性格の違いです。

 行為理論の原理・原則を用いた立言には、登場人物の代表が、すべての規定性を負って動いてもらうこととなります。それはその社会事象に関しては第三者読者の行為に適用されるべき「真理」ないし「事実」ですが、その叙述自体は「ただの説明」です。国家支配者が焦点のシステム的な理論書のことです。
 
 他方、行為理論上の現象からの叙述は、その社会事象に登場する人物の種々の環境から、「その人間が使うはずの行為の原理と原則」を抽出して説明に供することになります。これは「立言の提出」です。一人一人の労働者の事実認知から書いていこうという次回作品のことです。

 両者とも文章中に現れるのは説明ですが、この焦点が、前者では「行為の原理と原則」の立言そのものである一方、後者では生きているはずの「人間」の行動からの新規の立言の抽出となります。 
  
 さて、これだけであれば1理論の形成過程の住み分けのようですが、実はこれが「1」理論にはなりえない。それぞれの焦点者は、その時焦点が当たっていないアクターを連れているからです。 
 何を言ったかというと、前者で焦点が当たっている支配者の行為は、被支配者の対抗のないまま説明されざるを得ない。
 被支配者の対抗は、別途、支配者の行為が確定された後で、第2の理論として別次元で活躍するアクターとして叙述されるのです、たとえば「社会運動」として。支配者はこの社会運動に対応する脇役アクターとして再登場します。
 
 これに対して後者は、被支配者の行動は説明されるが、大社会のシステム変更(つまり新聞・メディアに載るような社会の直接的な動き)を説明する次元では使われないのです。
 大社会の動きは、別途、被支配者の規定性が立言された後で、被支配者の規定性の異動として扱われる。

 上記の問題は、これまでの隈の叙述に沿っていえば、社会学で決して1つにはならない「個人と社会」の記述矛盾の反映です。
 
 なにを今さらわざわざ、と言うと、これがサルトルの『弁証法的理性批判』の挫折の根源だな、と思って。
 そもそも神の視点で社会など分析できやしないのに、分析できると思い込んだ哲学者が悪い。要するに、哲学者には社会に「解明課題」がないからね。論理のつじつまさえあえばいい。
 いや、せっかく人間の行為を自由への「投企」とまで言ったのに、つぶれちまったのはなぜだろう、と思ったわけです。それでもサルトルは、50年前のよすがとして、参考文献にいれるものかしら。


(ひとりごと。こんな風に、若い時の「よすがとして」で本の末尾を終えた随筆(か、「あとがき」)ってなんだったっけ? 北杜夫? なつかしいなあ、そんな感傷家の本を読んだことがあるってことが、、)

 そういえば定額減税で、去年の住民税わずかだから、一人4万円きたよ。そりゃ「いいこと」だけどなんか変なんだがなあ、、ごまかされてるような、、

 p.s. 全部追伸みたいな内容ですが、まあまあ。
 酒を飲みながら「博士ちゃん 夏の祭典」なるテレビ番組を見てましたら、子供が選ぶ昭和の歌のランキングをつけるという趣旨のようで。
 そんな趣旨はどうでもいい。そこに尾崎豊が出てて、芦田愛菜という25歳前の若人が、自分の生涯を懸けて尾崎豊の評をしていたのに感心。ああ、高校倫理教師になってたら、ずいぶん感動的な人生を過ごせたと思うなあ、、と。25歳過ぎたら、人間は別の人格だからね。
 ところでそしたら中尾明慶という人が、そこは尾崎が自分の弱さを何とか克服しようとして歌ってたと思う(趣旨)と述べて、ああ、そりゃあそうだが、とこれも感心。
 といって感心して終わらないところが、隈。
 しかしね、尾崎は強いんだよ。この中尾という人には弱い人のことがわからない。評価になれてないから世間の「文言」にもたれかかってしまう。
 弱いというのは私のことだよ。しかしね、弱い人と強い人とは圧倒的な世間に対峙したときに対応の仕方が違う。たったそれだけのこと。
 そんなことをいっても役に立たないけどね。ただ、ある人間の気持ちは同じ他人にはわかっても、その表現された言葉の内容が正しいわけじゃない。


 
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個人倫理学

2024-08-24 21:00:12 | 賃金・価値・権力
 こんばんは、またお会いしました。
 今日の先のアップロードが内容薄いせいというわけでもなくて、まあ本論は下記。
 こりゃ視点が違うから分かりにくい、今日はやめて、まずは端っこをメモしたから、これをふくらましてどお~んと出せばちょっとユニークだぞ、と思ってましたところ、今日ミュージックフェアのアルフィーをみて、なんだ、われわれに共通のテーマだったか(もったいぶることもない)、ということが思い浮かんで。まあ同じ世代で。
 結局大したことじゃないんだけど、しかし、誰も口にできない、その「哲学的」根拠を与えればいいし、与えなければならない、というわけで。

 元はといえば、稲葉振一郎「社会倫理学講義」。
 稲葉という人は発想が一緒なので稲葉三千男(という社会評論学者)の子供かと思って昔一旦注目したので知ってましたが、まあ、そんなもん(以下)。ただの道徳論じゃん。そこまでひどいとは想定外。
 
 彼氏曰く”「社会倫理学」の「社会」なんてとっちゃっていい”。
 馬鹿あいっちゃあいけないよ。てめえの都合で言葉を変えるな。
 彼の発言はすべての倫理学の伝統を引いて、体制内道徳学です、教授だから生きていかなければいけない。社会体制内の、そこで自分だけが何とかイニシャ(イニシャティブ)を取ろうという、体制内闘争。闘争といえば聞こえがいいな、評論。
 ここでさ、いままでの当ブログの相手は死んだ人(の弟子)とか痴呆症の人(の弟子)とかで、書くほうも躊躇するものですが彼氏はだいじょぶ、元気。
 
 さて、社会道徳などどう引っくり返したって「真理性」根拠などありえない。あるのは「正当性」の根拠だけです。この根拠は簡単。今の世のなかではこれが大事といえばよい。しかし残念ながらそこに優劣はつかない。「政治学的」評論闘争が生ずるだけです。そんなもん、2分考えるまでもない。
 
 しかし、モラルには、道徳には、倫理には、それ自体で正当性の根拠が生ずる。「私」です。「行為主体」です。「行為主体の行為」です。
 何でそこそこいい年の人間がそこまで思いつかないかなあ、、、
 でもわかってます。70年闘争で箸にも棒にもかからなかった10歳下。何十年経ってもしょうがない。もうろくしてもアルフィーのほうがまし。アルフィーには自分のモラルがある。いや、われわれの世代には自分各々のモラルがある。何が社会倫理学か。

 モラル、道徳、倫理。
 それは、人間の自己の形成結果です。それゆえにこそそれは諸個人内に普遍的に存在しうるのです。といってもその内容が普遍的なわけではありません。それは行為主体それぞれに属する事項です。ただ単に、それが行為主体に普遍的に属し、自己の行為において守らなければならない、という点で、存在として普遍的なのです。 
 自己の形成とは行為主体の自由の形成であり、自己権力の源泉です。だから、人間Aの自己の生存のために、モラルが必要なのです。道徳でなくて悪かったね。しかしそれは道徳なんぞを越えて、人間の次の一歩を規定するのです。
 じゃ、道徳とほとんど変わらなく響く?
 ちがいます。それは人間の次の一歩、すなわち一歩の連続である行為主体の死ぬまでの人生を、形作るしかないものなのです。それが人間Aの人生なのです。

 で、これは行為全てに当てはまるものなので、ここでついでにいいましょう。
 疎外。
 それは、自己の形成への阻害です。この視点からいって、疎外とは自己の自由の欠落なのです。それは行為主体にとっては「反モラル」です。「だから」その状況は排さなければならないのです。「ならない」といってもそれは自己に対する「当為」ではない。社会に要求する「社会がなすべき当為」なのです。
 
 以下、すべて。
 次回作すべてについて描けば、さすがにどんな人間だって分かると思って。
 何が分かるって?
 ウクライナの、ロシアの、ハマスの、イスラエルの、人民の悲劇です。
    上記、順番にご注意。
 
 わたしはアナーキストですから、最良のマルキストの友だちです。
    、、、最良? ふん、そんなやつら、どこにいるんだ。
 
 
 
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もう次は白露なのに

2024-08-24 10:52:16 | 断片
 こんにちは。処暑も過ぎましたけど、暑いね。お勤めご苦労様です。東京地方、天気予報は”明日は涼しくなる”というけれど、いつもうそ。これが不思議に冬はいつも”明日は暖かくなる”というんだよね。どういうつもりか。ここんとこ収まってた直射日光による気持ちの悪さがまた復活しました。
 
 4日前から夜になるとマンションの外廊下でけたたましい虫の声が。階上の排水竪管みたい。なんじゃい、と思って調べると、アオマツムシ。
「明治の頃に中国からやってきた外来種でしたが、今では日本の鳴く虫として定着しています。樹上性で、木の上の方から「リーリー」と鳴いているのを聴かせてくれる昆虫です。」
https://insect.design/battamoku/matsumushika/aomatsumushi だと。
 いや、旺文社の小学習図鑑にもそう書いてある。 
 ほんと、知らなきゃ「リーリー」と鳴くと思うわね。
 違うさ。「フィリリリリリリ、、、、」と喚きたてるのさ。「リーリー」というのは、まあふつうツヅレサセコオロギでしょう。
 これが息もつかずに何時間も鳴いて(身体で鳴くからできるんだね)、止んだ後夜明けにこんどは疲れた風に休み休み鳴く。すごいもんです。なのに昨夜は消えてしまった、死んじゃったとしたら文字通り壮絶。中国産はほんとエネルギッシュだねえ。よく早朝からガビチョウ(という中国鳥)が来るのだけれど、うるさくって寝てられない。
 ただマンションのそっちがわにはメスはいないと思うのだけど。
 世間では1匹1000円で売ってるようですが、みなさまにおかれましては決して買わないように。夜うるさくて到底眠れません。
 
 さて不思議なことに、私儀、べらべらしゃべりたい(けどくだらないんで相当捨てる)時と、何を聞いても何も思い浮かばない時がありまして、今週は後者。

 高石友也が死去とのこと。昔の歌手ね。
 何を歌った、って、ほとんど他人の曲。それがほんとの歌手ってもんかもね。
 いずれにせよ68,9年を生きた偉大な歌手でした。彼がさ、日本国中に、既成文化エリートの貶めを広めたんだよ、って私の日本語下手だけどね。
 高級学歴? 丘の上にちっぽけの同じ色の家を同じように建てることさ。高層建築? あれは基礎穴を作った俺が建てたんだよ、他の誰でもない。
 そりゃほとんど他人の(ほとんど自由アメリカ)の曲だけどさ、それを(日本語にして)ひっさげて叩きつけたのは高石。
 褒めてる? いや違う。そんな時代の流れのこと。
 でも思うに、歌手って一時偉大であればそれで役目を果たしたとおもうんだよね、それ以降どうなったところで、偉大は偉大。
 ま、決して褒めてないけどね。
 
 ところで自由アメリカ、偉かったね。その時の白人の理想主義を今のアメリカの類推でしか見れない奴らが評価するのは全然間違い。偉かったんだよ。なぜって、その頃黒人はアメリカ国民じゃなかったからね。知らない間は罪ではない。
 
 という上記の2行を理解できない人間が社会科学を云々するのはちゃんちゃらおかしいさ。
 
 軽く、
「兵庫知事「残念な思い」 県職員4割がパワハラ「見聞き」のアンケに」(毎日新聞)
ざまあみろ。それにしても異常なほど厚顔なのだが、だいじょぶな人間か?

 軽く、
「立憲代表選、野田元首相が出馬に向け調整 枝野前代表に続き」(毎日新聞)
「野田氏は19日に党の若手・中堅グループや所属する千葉県連の有志から、代表選出馬を要請され」だと。
 情けねえ、立憲。
 自民党なんか「俺が俺が」と全員が息巻いてるのに、どうぞおさきに、か。
 まあ若人には権力志向がないだけましとも「みえる」だろうけどね。世の中そういうもんじゃおまへん。
 
「チャイルドシート着用、身長150センチ未満に 来月中旬に基準見直し 死傷事故増加受け」(産経新聞)
   (8月18日、チャイルドシートではないシートベルトで7歳と5歳の姉妹が交通事故死)
 対応が迅速だから誉めてやろうと思ったら、「当初は来年から実施する予定だったが、前倒しした。」とある。
 その1 誰か死ななきゃ動けねえのか。ばかやろう。これ下っ端のせいではない。幹部のせいだ。
 その2 にしても、諫言するまともな若年キャリアはいたのだ、そのキャリアの歴史について、「そいつのこの年齢」にかぎるけどね。そいつが参事官になった頃には腐りきってた、ってぜんぜんいつものこと。
 え? 中堅幹部が世間の評論を気にして注意しただけ? あなた、あなたは人が悪すぎる。世間知らずのぼんぼんは、子供のうちはいいひとなのだよ。いくら自民党が非難されようと、上級公務員のせいにはならないからね。もちろん、それでいいのです。

 などなど。でも感想のない時は新しいこと考えてるときだから、嫌いではありません。


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「偶然性」は社会科学上存在しうるか

2024-08-17 16:15:03 | 賃金・価値・権力
 標題は、ほんとは、「心の中で副題変更」。

 こんにちは。東京地方、昨日は大雨、だけど30度未満。わたしは晴れ男なので大雨とは関係ありませんが、湿度100%でも30度以下なら許す、と思いました。家人は土砂降りの中を歩いたようですが、それでも暑いよりましと言っていました。すばらしい30度未満。
 今朝ベランダに出ると昔の夏休みの匂いが。気温を調べると朝なので30度。真実の夏は30度以下と知りました。
 ま、いいや。
 もう8月も半分過ぎ。季節モノ食べた? 今年はスイカを2回。初め、流行りの容器入り切り身でいまいち満足せず、次に8分の1切り身。やっぱ皮付きはいい。おすすめ。
 でもスイカって嫌いな人いるんだよね、うちの子とか。そういう人はメロンも嫌い。まあ安上がりでよい。もう新潟産も終わりの時期なので、好きな方は今のうちにどうぞ。
 
 今朝のニュースで若人はスマホのSNS情報で、世間の情報を入手するそうな。私のようなパソコン派だとわからないけど、考えてみればそうかも。新聞なんてないだろうし。
 
 というわけで、今日はニュースのお知らせ。
 「蛍光灯の生産を2027年末までに終了へ LED照明の普及がさらに加速へ パナソニック」(FNNプライムオンライン)
 水銀規制のため(という名目)、2027末で、製造も輸出入も禁止だとか書いてある。
 アパートなんかどうすんだろうねえ、、器具タダで替えてくれんのかしら。
 うちの和室の丸形蛍光灯も本体スイッチが壊れてるんで取り替えたいんだけど、もう今はLED電球が切れたらその都度本体も取り替えるんだとさ。なにそれ。どうせ捨てるんじゃ選ぶ気にもならない。まあ、うちの場合はLEDより住人のほうが先に死ぬかもしれないけど。

 今年はサンマ安いって。
 「値段200分の1に! 店では1匹80円「大漁で大きい。オススメは刺身」北海道で“サンマ初水揚げ” 競りで1キロ626円! 2023年14万400円を大きく下回る」(北海道ニュースUHB)
 そりゃうれしい、イワシ並みじゃん。150円でも買ってあげよう。
 刺身がお薦めだってさ。しかし、脂っこくって1匹はむりだな。寿司飯で2ケなら美味しい。
  (後日P.S. 3日経ってスーパーに来たよ。1匹400円、スマートなやつ。ばかいっちゃいけないよ。
   もちろん生産者も小売業も、そんなもんだけどね。)

 最後はうさばらし。
 岸田が総裁選出ないって。ニュース見てたらひとりでしゃべってた。
 それはいいけど、しばらく聞いてたら自画自賛が噴出。まるで売れない市井の社会学研究者のようじゃないかい? 売れない研究者は自分で褒めるしかないが、岸田なんぞおべんちゃらに囲まれてたくせにまだ足りずに自分におべんちゃらをいうのか。


 というわけで本日の題は、次回作の副題変更。
 といってもなんども変更するとみっともないから、こそっと。
 
 前がね、「― 体制内視点の経済学論理を突破するために」
 ちゅうんだけど、腰が引けてるね。ここは積極的にいかないと中身がわからないところ、
 しかして
     「― 個人内視点の学的体系のために」
 にしようかと。こそっとというのは、ほんとは「自己内視点」なんだけど、それだと遵法的な今の若人には「ただのわがままか」と思われそうなので、薄めといてどうか、という迷い。
 
 なんだ、「個人内視点」て、って「反体制内視点」のことで、なにも変わってはないんだけど、もう構成上ど~~んと打ち出そうかな、と思って。もう何回か書いてるけど、序論展開的には唯物史観変更からいっちゃおうか、と。
 で、この標題はなんだ? と。
 「客観的な歴史の必然法則」の必然というのは個人問題、と昔ここで言ったところ、そういえば偶然という奴はしらないな、と九鬼周造「偶然性の問題」を初めて読んだら、あ、関係ねえや、とわかったのでちょっと書いておこうと。
 

 さてそこで、必然性の反対は? 偶然性?
 ちがいます。
 必然性の反対語は、主体性です。
 九鬼周造京都帝大教授が、必然性の対語は偶然性だ、とかいうもんだから、迷惑この上ない。おかげで見当違いの論稿がネットを席巻する。なにが迷惑って、こっちも一言ぐらい言及しないといけないじゃないか。
 ほんとの相手は昔々のスピノザ様だよ、まだ本売ってるのがわけわかんないことだが。
 皆さまにおかれましては1950年以前に生まれた人間でスピノザを云々するやからは、まず、眉に唾をつけるのがよろしい。その人は時代を生き損なっている。
 「スピノザ? 普通」。なんちゅう1960年以降生まれなど問題外。まあそれは時代そのものだがや。
 
 元へ戻って、スピノザという奴は
 「スピノザは、個々の意志は必然的であって自由でないとした上、意志というもの(理性の有)を個々の意志発動の原因として考えるのは、人間というものを個々の人間の原因として考えると同様に不可能であるとしている」。(wikipedia)
 細かい内容はいいの。視点の問題だから。
 要するにおなじみ、「神の視点」。不可能だろうが可能だろうが、私は問うてみましょう、「そんなんこと誰が決めてんだ?」
 これは根本的な問いだから、皆様覚えておいてほしい。
 「誰が決めてんだ?
 答えは2通り。
 「神」。
 「いや決まってない」。
 
 さて、ここで、皆様が問いかけた人物は、まず1通り目、信仰者であれば「神」というし、白人無神論者であれば、「神はいないようでいて」とかの聞くのも無駄な口先論議を繰り広げる、結局何を言いたいのか。
 ついで2通り目、ユダヤ教徒マルクスやプロテスタントエンゲルスであれば、左翼におなじみの「必然性に追随する自由」論を繰り広げる、なんのことはない、「奴隷の自由」じゃ。
 
 というわけで、バカはほっといて、真実を論議しましょう。
 われわれ嘘つきに散々痛めつけられ殺された世代にあっては、必然性も偶然性も同じ穴のムジナです。
 必然性とはクリスチャンの論議であり、偶然性とは、それはどうにも肌に合わないという仏教徒の論理、どちらも身も心も売り払った奴隷の論理です。
 というと、神様や仏さまに失礼です。「俺らはそんなことはいってはいない。人間どもが勝手にこさえた話だ」。
 実際、預言者隈はそんなことはいわない。
 ま、それはおいて。
 
 生きる基準は「私」です。生きているのは誰か知らない、しかし「私」は日々存在している。世界? そんなものは知らない。しかしわたしには日々環境がある。かくて本来の哲学者、たとえばサルトルにとって必然性も偶然性もない。
 あるのは自己の自由。
 そして自己の投企。自己が自己の未来はこれと決めて、そこに自己を投げ込んでいく。
 それで必然性もない、といっちゃうところがただの哲学者ですが。
 
 ずっと昔書いたんですが(2008-06-08)、その頃の人たちはどうせもう生活に追われてるんでしょうね。
 つまり、行為主体にとって、私のなかの歴史は必然でなければ「ならない」。ならないとは世界に対する当為です。「世界は私のために当然そうならなければならない」。行為主体にとって、観照である「必然」など、「神様が設定くださるのを見て楽しむ「必然」など」、そもそも存在しません。机上の空論、あるいは神への責任転嫁にすぎません。
 世のインテリゲンチャの99.9%、あるいは西欧文化の信者たちは、もうこの根本的時点から「哲学体系」と、人間の思想体系とは異なることを知らなければならない。人間にとって必然は自己の不可分のものとして存在する。自己が見つけた一瞬先への動作です。この世界とは、その瞬間にできたばかりの他にはない確立されたトータルです。
 で、序論にいれようとしてるのですが、例によって長くてしつこくなるのがいや。 
 知ってるやつにはこのぐらい(以上)書かないといけないし、といって、ふつうの人たちには「何言ってんだ、余計なことを」ということになる。たしかに余計なことだからかえって難しい、そもそも長く書きゃあ高くなるし、読む人も減るし、ってそんなことを続けた30年。

 ところでさあ、九鬼氏、なぜクリスチャンが浄土宗で墓に入るのかね? 
 面白くありませんな。自己の自由は、あっちにもこっちにも自己をほおれる自由ではありません、自己の必然としての自己だけの自由ですぜ。
 
(p.s. どうでもいいからp.s. せっかく元の諸メモを次回作用に構成しても根がいい加減だからダブリの多いこと。悲しい。こればっかりはどう態度を修正したらいいのかわからない。でも、構成したのは目が悪い頃だからね、、、うそ。ダブリはいいけど、消えた中に大事なのはなかったのだろうか、、、
 いや、人生、そういうものです、昔っからそうさ。そんなことより今年は蚊が多い。耳元でうるさいぞ、お前。蚊も暑い東京地方になれたのかもね)。
 
(p.s.2 今日は月齢7月14日のはずが、台風一過の夜空ではお月様ずいぶんはんぱ。満腹まであと3日はかかりそうな。
 みんな「月なんか」ってバカにしてお供えもんしないからね。じつは地球のすべてを月が仕切ってるって知らないんだ。自分がバカだね。
 以上、オカルト隈でした。)

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オカルト(番外;無限次元の数学体系)

2024-08-10 12:53:50 | オカルト(途中から)
 こんにちは。お盆ですね、東京以外。ことしは脳老化のため、近くの盆踊りの期日に気づく余裕がなく過ぎてしまいました、暑いし。どうせ踊りはしませんが、生活が貧しい。
 地震だ、台風だって障害が多い今年ですが、里帰りのある方、万全のご注意を。途中で電車止まったりするからね。冷房も止まるし。トイレ混むから乗車前に必ずトイレへ。台風は仙台―鶴岡ラインでのろのろ進むとのこと。
 
 東京地方、まだ涼しくならない。台風通れば暑い空気連れてくるし。外でりゃ体べたべた。
 みなさま宅にはお風呂ある? 東京地方、今月から銭湯550円だってさあ。たまんないね。クーラーある? 昔は涼しいとはいえ、学生の時は、私の実家の部屋にも友人下宿にもクーラー(や、バス)なんてなかったけど。貧乏が基本の大学だったし。苦学とは違うけどね、なんて他人のこと。なに、実家暮らしの私だって風呂はあるけどたてるのは週に2,3回だし、クーラーなんか、居間にはあったけど、みたいなもの。
 早稲田に移って驚いたことには佐藤慶幸ゼミの友人の家に、夏休みの自主研究会でいったら居間のように広い勉強部屋にクーラーがあって(大きなステレオもあった)。
 元気してるかな? 逗子の高台の中村哲也君。いい人だったなあ、同じくドロップアウト組。私のお友達はみんないいひと。神奈川県で中学校の先生して退職、までは知ってます。

 ところで話は変わるようですが、今年は珍しくお中元にたくさん缶ビール貰って。これ、地震とき飲めるんだろうか? 飲めればラッキー、カロリーもあるし。
 ネット情報じゃこうさ。 
「《お酒は水分補給の代わりとはなりません》
ちなみにお酒が大好きな方であれば、アルコール飲料を備蓄しておけば、災害時の飲料水の替わりになるのでは!?という淡い期待を持たれるかもしれませんが、水分補給にはなりません。」
「アルコールには強い利尿作用があります。また飲酒により体温が上昇し、発汗するためさらに水分を失います。そのため、飲酒すると脱水傾向となります。例えばビールは1L飲むと、1.1Lの水分が失われると報告があります。しっかりと飲料水は備蓄しておきましょう。」悪口だから、出所はいわない。
 だけどね、
1 利尿作用って、我慢すりゃいいじゃん。
2 ビールごときで発汗なんてするもんか。
 ビールの問題点は、いったん飲んで胃腸に入った水を、引き連れて体の中に入れてしまうこと。だからバリウム検査の後なんか「決して」ビール飲んじゃいけないよ。死ぬよ。
 しかして、その後、体内の水分はどう使われるか、、、 理屈上、1,2回腎臓を通った後はただの水分として扱われても不思議はないんだけど、そんなこと考えてる医者(やホラ吹き)なんかいやしねえ、、、んだろうねえ、、

 さて、オリンピック。今年はやけにオリンピックが目立つのは私の脳老化のせいだろうか(勉強に専念できない)? それとも売り物がなくなったマスコミのせい?
 まあいいけど、ここで疑問。
 須崎優衣とか、阿部詩とか、その他泣き崩れた女性たち。実は単に体調が悪かっただけだったりしない? 
 誰も何も言わない、ということがありえないじゃん、生理の影響は30日あれば3人は犠牲になるでしょ、犠牲とはいわんとして。ともかく女性の1割は調子悪いんだよ。そりゃそれぞれ苦心してその時期をずらそうとしても。トップレベルの勝負じゃ必ず負けるでしょ。
 で、ここで、なぜ誰もそれを言わない? ただの一度も聞いたことがないよ。自分のことしか考えないガキ男やくたばりぞこないの爺いたちの言いたい放題をほっておいて。
 言えないんだね。(個人の結論です。)
 こんな世の中でいいのか?
 わたしは倫社の教師だから、あした都立高のガキ男予備軍にお説教だよ。他人の事情を考えろ。いや、教師じゃないんですが。

 さて一般感想は明るく締めよう。長崎平和祈念式典
「平和祈念式典にイスラエルの駐日大使が招待されず、、、について、長崎市の鈴木市長は報道陣の取材に応じ、「決して政治的な理由で招待していないわけではない」として市の立場を改めて説明しました。」(NHK)。
 そらそうだ。政治的なんかじゃないさ。人間の思いが詰まって成立した式典に、鬼畜など招待する余地は、人間的な理由で、ない。
 やったね、長崎市長。

 というわけで、本日は旧盆なので、恒例のオカルト、番外編。「無限次元の数学体系」
 
 物理学者にいわせると、世界の次元が6つやら7つやらとかあるんだとさ。人によっちゃ10やら11やら。こりゃ、隈も及ばないオカルト。
 ちぇ。そんなはずがあるもんか。あさはかな現代人の数学脳ではそうだというにすぎない。
 人間に次元など数えられはしない。あるいは、自分の数学のつじつまが合わなければ100次元だって作れる。これは正確に言えば、世界に「次元などない」。
 人が「次元」を口に出すと、その時点で次元が実体化してしまうので、人間の貧しい脳の想像力ではそれ以上飛び立てないのだ。せいぜいが、次元を図形化して見せて「さあどうだ、わからんか」というにすぎない。そんなんでわかるもんか。
 まあくだらないったら。それで何がわかるんだ? そんなものは「説明」に過ぎない。百でも2百でも作れる説明。
 「量子論」が自然科学を標榜したいなら、ある定式は別の現象にもあてはまるべきであり、その他の現象が予測されなければならない。
 
 じゃあどうしろと?
 さてそこで、です。新しい数学体系を作る。
 どうやって?
 いちおう素粒子という擬制までは数学者の脳でも把握しうるのでしょう。
 なので、木の数やリンゴの数で代数体系が作られたように、素粒子の動きそのもので、数学が作れるはず。
 その数学は、現象しかとらえられはしないけれども、しかし、現象を「次元」概念に頼らず、直接に数式で表すことで、別の現象の動きにも適用できる。
 木やリンゴの加減乗除ではなく、素粒子1+素粒子1は、現在の与件の中では、素粒子マイナス1である。
 これが基本式(の趣旨の比喩的表現)。
 物理学はこの与件の設定を行う。
 それができないのは、現行数学の原理というものがいかに幼稚だったか、というだけに過ぎない。

 以上。
 預言者隈の天才は無限だね。これに努力が伴ったら、世界はもう壊されてるね。

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