リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

お代のとれない話

2016-05-28 17:40:52 | 断片
 こんにちは。昨夜は新宿で、ずっと以前働いていた出向先のOBの飲み会。元気な若い人たちばっかりだったところで、もうそんなには若くないけど、それでも他人の元気な様子は気持ちがいいものです。
 とはいえ、中間年齢層の人たちが来なかったのでみんな子どものような人々。今の職場構成と同じで、このことは残念ながらそう面白いものではありません。まあ友達はそこそこ同じような歳が良い、というわけで。

 で、そこに行く前に時間があったので寄った新宿小田急10階三省堂書店。新宿なんて今はほとんどいかないので3年ぶりくらいなのですが、見てびっくり、本なんてありゃあしない。昔は新宿では紀伊國屋の次に大きかったのに、自称「本カフェ」、ってこんなのその辺の駅ビルにもっとまともなのがたくさんあるわい。これじゃあ日本の活字文化なんて名前だけだよ。社会科学書などどこで買ったらいいのだ、ってそもそも出てないから結果はおんなじだけどね。それにしてもそんな感想でありました。ネット書店万歳! わたしの本はどうせ本屋とは関係ありません。
 
 さて2ヶ月くらい前の話題で、保育士不足、そのうち勉強しようといった件。厚生省ウォッチで思い出し、とりあえずちょっと覗いてみました。
 すぐにありました。保育士等確保対策検討会とかの「保育士等に関する関係資料」。保育士なんかたくさんいらあ問題については、登録者は110万人いるのにそのうち40万人しか働いていない、と書いてあります。そらみたことか。潜在保育士という名前までついてます。退職理由の「人間関係」「給料」「勤務時間」なんてことは、人間関係の問題は移れば消えるかもしれないが、給料と勤務時間はどこでも変わりゃあしないものね。
 そういえばこの前書かなかったことを思い出しました。
 私立の幼稚園にはなぜ若い先生が多いか。給料が高くなるから園の経営者が辞めさせちまうんだってさ。といっても40年前の知識。
 今は年功序列も崩れてる、というか正規社員だかなんだかわからないからそう極端でもないかもしれないけど、それでも若いのはばんばん卒業はしてるんだからばんばん採って、中年以上は一部幹部を残してぼんぼん辞めさせてる、というのもありそうだね。一度辞めて別の生活を確立すれば、あとから不規則労働や一時増員なんかのニッチな労働に動員させようったってそうはいかないやね。こういうのはなかなか外からはわからないものです。
 まあ、これは厚生省は表立っていえないから国家資料にはないでしょう。もうちょっといつか調べてみましょう。
 
 ついで、前回の話の続き、エンゲルスの悪口の批判の例を。
 どうせトラの威を借るノミやシラミの話なので、誰をとっても同じことだろうと、一番質のよさそうな宇野弘蔵による批判で。宇野は一人前の生物だけど。
 これは、エンゲルスが「反デューリング論」で、民衆鼓舞のため、資本主義が「法則的に」倒れる旨を述べたところに、宇野が「そんなものは法則ではない。エンゲルスは間違っている」と述べたという、ばかばかしい論議。
「マルクス主義哲学と経済学」、宇野弘蔵著作集9所収。
 まあ、宇野も大人気ないというか、そもそもそういう大人気ない人だったようですが、どうせエンゲルスも宇野も分からない (って平均以下の理解力と思われるのですが) 人々は、かたや(旧左翼は)そのことで宇野を非難し、かたや(新左翼は)エンゲルスが非難されたことに欣喜雀躍するわけです。
 これが変だあね。宇野はアカデミストだから、「私の目から見ると学問上の法則というものはこういう性格を持っているよ」、といっているのに過ぎないのに、これをみた活動家くずれが 「そうだそうだ」 という。
 胸糞悪い。おまえらどれだけの嘘をこいてきたのだ。エンゲルスの一身を賭けた鼓舞がわからないのか。もちろん、エンゲルスは本気なのでどれだけも嘘ではない。こういう場合、普通、宇野支持派でも、「エンゲルスの趣旨はちょっと違うのでは?」とかいって、研究者ではない民衆の誤解を解くべきだろうが。
 またもちろん、私はバカではないので、普通ではなく、宇野説自体に反対であることは、「歴史としての支配」の論旨どおり。
 ただここでは私の述べる真理は置いておいて、こんなテーマの行き違い、それぞれに強調点があるだけのいさかいにもならないそれを、それみたことかと自分の称揚に使い立てる人々の存在の浅ましさが問題なのだ。世間なんて、まったく、そんなもんでさあ。
 なんて、役に立たないねえ、、、。なに、ストレス発散。来月で辞めたいなあ、だいじょうぶかなあ、心配。

 PS.テレビで「映像の世紀」がついていて、ボブ・ディランからウッドストックまで2分ほど流していたのを見ました。頭の中を次から次へと命題が流れて消えて。速い、私の頭、と思いながらも「ああ、これだけあれば次の本の内容は、よほど豊富化されるのに」と思われて、残念。
 なんたって、言葉にならない命題2群5種ほど、端から端へ消えてしまいました。
 まあ、いつものことです。歳による敵は、「認知力」ではなく、記憶力。

 PS2.サミットの話題なんて、「なぜオバマは人殺しの政治家のくせに誠実に見えるんだろう」という疑問しかないなあ、と役に立たない話はやめました、ら、翌日の今日のニュースで、オバマが自分で折った折り鶴2つを持ってきていて、千羽鶴用に原爆資料館に渡したんだって。おお、さすが。
 目の付けどころも違うし。
 思うに、キリスト教だよね、誠実な人間も政治家になれる理由。
 悪いところは全部イエス様が負ってくれたので、後は何をしても矛盾はない。
 きれいでいいねえ。まあ、元が悪い人間には関係のない世界の話だけどね。

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「思いつき」と「洞察」の差

2016-05-21 16:31:08 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方は1年で一番良い季節が続いています。こんな休日はぜひ森林浴でも。ここは近田舎なのでその点便利。

 さて、新聞では舛添氏がしどろもどろとなっております。常連のみなさまには「氏だって?」とお気づきになるところ。お前はいつだって政治家は呼び捨てじゃねえか、ですね。
 だって昔がんばってたからなあ、厚生大臣のとき。そのころはわたし、厚生省ウォッチしてたので。半分ははったりにせよ、やることやってたし。ただ、能力がなかっただけで。わたしは右翼以外であれば、やる気のある人が好き。例によってwikiはぼろくそだけど、よくみればわかるように、ただのばかなの(いま、けなしたんじゃなくて褒めたわけ)。
 思うにやっぱり権力の甘い汁が、もともと腐敗菌を持っていた人間を腐らせるんですね。政治家は8年以上やっちゃだめですね。
 それにしても何もしていない都知事舛添。なんかしろよ。ほんとになにもしなきゃ橋下以下だぞ。
  
 さて、前々回読みたいといった国際価値論文献、60~90年。各論者のそこらの図書館で手に入る著書を借りましたが、ほとんど無関係でした。結局「はやり」で書くものは著者にとってもそのときだけなのね。東京都民はいいなあ、古くても都立図書館から借りられて。都は古いのたくさんあるし。神奈川県立はどして厚みがないのか、ってカネがないのかね。川崎は横浜市よりずいぶんましと聞きますが。どうせ走り読みするだけだからいいんだけどさ。
 なお、地方の方は、本気で読まざるを得ない本は、大学図書館と関係を深くするのがいいと思われます。最近は住民還元が浸透してきて。何度もかよえば、何かと便宜も図ってくれます、と思われ。とりあえず市役所の文化講座をとって、講師に相談するのもいいかも。
 
 で、今週の「マンガの代わり本」に、エンゲルス100周年記念とかの論集本を借りたら、活動家くずれがよってたかって悪口をいいやがってて胸糞が悪い。記念本に、ありか? そんなの。そんなにエンゲルスが嫌いならマルクス主義もやめたらどうだ。あ、それで、やめたのか。自分の頭が悪いのは、みんな他人のせいか。私にひまがありゃあ全部反批判してやるのに。
 そもそも他人の批判なんちゅうのは、思い付きなら誰にだってできるのだよ。他人のいってることを自分の常識に合わせるだけだからね。自分がバカならバカなだけたくさんできる。「マルクス主義批判」とかって字も読めないウヨがよくやってるやね。
 そりゃそうだ?
 まあ、それじゃ当たり前で役に立たんよね。
 もう少し抽象化しましょう。
 「概念操作の段階で出てくる思い付きは、『永遠の序説』しか生まない」。これならどうですかね。
 人は、あるいは研究者は、他人の概念構成を読んで、その概念構成を肯定的にも否定的にも運用ができる。他者と自分とで認識が違うことと概念構成が示す現実そのものが違うこととが、「棚に上がっている」からです。「あれ、これ間違いだよ」あるいは「そうだ、これって俺の理論に使えるじゃん」。人はそうやってマルクスを批判したり、エンゲルスを批判したり、「新しい理論」の「さわり」を開陳したりできる。
 しかし、それは、そこまで。その批判や理論のさわりは、決して体系化することはない。「新しいマルクス主義」も決してできはしない。だって、自分では何もわかっていないから。それは「思いつき」に過ぎない。
 人は、あるいは研究者は、本当にパラダイムを変える気があるのなら、他人の概念ではなく、「現実」からの「洞察」を仮設にして、一歩一歩、自分で概念構成を組み立てていかなければならない。その過程で初めて、序説や序論ではなく、「体系」が生まれる。なぜなら、そこには自分が感じた、認識した、現実があるのだから。「私以外には組み立てられない、私は少なくとも分かっている現実」があるのだから。
 
 当たり前? 当たり前なんだけど、ここまでいえば役に立つでしょう、志のある人間には。特に理論フェチの人は、他人をけなせたからって偉いわけではない、と心に刻んでくださいませ。
 
 しかし、なんたって、田畑稔には幻滅したぜ。エンゲルス論で言うことの推察はついてたけど、別の本での上部ー下部論の言及も発見して、これは今のわたしの仕事だから読んだらびっくり。まるで前々々回の田中某名誉教授のよう。上部ー下部の規定性が、全体社会を貫く規定性ではなく、全諸社会= all societies の把握手段になってる。概念の貼り合わせ。要するに、「土台」の土台たる所以など消し飛んでいる。なんだこいつ、生活してねえな、なんだ、大学教授なんてやってたのか。って感じ。40年前は親アナーキストの編集本とかに書いてたまともな人間だったのに。その頃はちゃんと「人間を拘束するものに対する視点」があったはず。人は年取って進歩するとは限らない。あ、これは批判ではなく、感想。こんな役に立たないものは批判じゃない。田畑の「分析」は役に立たないよ、との警告になる以外は。

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イカ大根は、なぜ「さっと煮」か

2016-05-15 21:07:57 | 断片
 こんばんは。なにしろ昨日のこのブログは無意味で。せっかく人生を豊かにしようと訪問された方に申し訳がない。
 ということを疲れてると無視するところですが、今夜は、NHKニュースを見てて、突っ込みどころ満載にインスパイアされてしまいました、って何度も反論したくなったけどその場所がない、ってことね、しかも端から忘れていく、という。
 で、別にNHKには反論はしませんが、って忘れたのでできませんが、その代わりに役に立つブログ、昨日の分。

 本日はご存知隠れカテゴリー、隈のお料理教室。イカ大根。
 イカ大根とは、イカを大根と醤油煮するというなんの変哲もないメニュー。
 しかし、これがネット汚染されていて。みんな一緒の汚染レシピで気持ちが悪い。本人たちは気持ちが悪くないのかねえ、って今日はウサ晴らしの日ではないので深入りしませんが。
 
 では、問題点。レシピによれば
 「イカをさっと煮ると柔らかい」。「さっと煮たらなべからイカだけ引き上げて、最後にまた入れよう」
 なにいっちゃって。
 イカがほんとに軟らかいのは沸騰湯にいれて煮て3分で全部の切れ端をいっぺんに取り上げたとき。そりゃうそじゃないが、じゃあそんなことできんのね。できないしょ。また味付けに再度熱いスープにいれなきゃいけないし。鍋がちゃんと冷えてから入れてるかい? 料理屋じゃないんだからそんなことできないしょ? 次の副菜のお惣菜で忙しいしょ。
 しかも、できあがってさあ食え、といえる料理屋と違って、旦那や妻や子供はそうそう席にいられないやね。塾とかの子どもが帰ってきたら、せっかくうまくできたイカ大根もも一度レンジであっためたりして、、、おお、恐ろしい! 無謀な思いやり! イカにもばんばん火が入っちゃうがね。
 それだけではない。うちのような貧乏人がスーパーでがばっとゲソ買ってきたらどうよ。余るしょ。余ったらどうすんのさ。2日たったらまた電子レンジで火いれるしょ?
 
 ことほどさように、検索してずらっと並ぶレシピの作者は一体何を考えているのかわからない。レシピ作家は「30分経って残っているものは全部捨てます」というブルジョワばかりなのか。

 改めて申し上げます。おうちに歯や顎に問題のある家族がいらっしゃる方は、「さっと煮」の代わりに40分煮てください。それで柔らかく食べられます。
 つまり、
 1 まず大根を下煮(ちなみに米粒やら糠やらは、いれまいが関係ね)。沸騰後5分でガスを切ってそのまま15分漬けておく。大根は原則透明になる。
 2 その大根を洗って、イカと一緒に40分煮る。火を消して、15分漬けておく。
 これで「さっと煮」時点より「柔らかい」。
 
 さて、問題はそうではない。もともとの問題は昔のイカの煮方を何の反省もなく当てはめている自称料理人が悪い。昔のイカ煮というのは平たく大きな切れ端(イカフライの素材のようなもの)を食うべく煮たから、気をつけないと50歳以上には食えなかったのだ。(文献未確認)。「お前の言うように長く煮りゃあいい」って? どうやって? どんな高価な火と、電気器具のない忙しい家事スケジュールと、そこらで「飯はまだか」と怒鳴っている『家長』と、闘ってか?
 なんも知らんこどもたち。
 ところが今ときたらイカはただの細いリング煮。こんなもん、どんなガキだってどんな堅さでも食える。だから何も表には出ない。
 
 で、そうではなくて問題は、長く煮るとイカはただのタンパク質になってしまうという問題だ。柔らかい肉質の、、、何かの物質。大根を食べる分にはよろしい、味が入って。しかし、イカは? だしガラ。
 しかして人はレシピを書き換えるべきだ。
 
 「イカをおいしく食べるには、柔らかさは別として、さっと煮がお薦めです。運が悪いと堅くなりますけど」
 
 で、最後の問題。
 こんなささいなことを告げるにも原稿用紙5枚が必要というのなら、人間、天才であっちゃいけないね。隈の本は全て5倍増だよ。

 等々、書いててやはりこれは裏カテゴリーだね。奥さん方や料理夫はこんなこたあどうでもいい。
 以上、ストレス一杯の社会学研究者でした。
 
 

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埋め草

2016-05-14 21:15:25 | 断片
 こんばんは。良い季節ですね。虫は飛ぶけど蚊は飛ばない、風は吹くけど屋根は飛ばない。こんな季節はもっと長いといいのですが。
 こんな日はブログなんかどうでも、理論に沈潜できまして、って考えるわけじゃなくて、「読書」なる楽々な時間消化の手立て探しで、国際価値論。
 そんなもんと上部構造論とどんな関係があるのか、ってそこは風と桶屋。深く関係するのですね、もっとも本の部分としては5行を越えることはありませんが。でもこれで6冊は読みたいもの。ほんと、5行のためにぜいたくな時間の使い方。

 さて本日は上記でわかるように精神的に疲れたので役に立つ記事はありません。アルバイトほんとに来月で辞められるかなあ、、、いいことないね。
 以上。
 
 さて、連休も終わり、読書も気晴らし。世の中、松原隆一郎というときどき経済評論を書いている普通の東大教授がいまして、この人が武道ヲタク。図書館でおもしろげな本を借りると嘉納治五郎のことが書いてある。かいつまんでいうと、嘉納氏、柔道者はどんな武術を取り入れようとなんでも可だが、武道をする野蛮人に精神教育を施したかったんだと、嘉納氏にかこつけて昨今の武道不祥事を非難している。わたし的には嘉納なんて、神聖な武道を国家主義に取り込んだくだらないやつという認識でしたが、そういわれてみると、確かに柔道家のまわりは今の不祥事者以上のただの野蛮人なのだから、そういう意味もあるんだな、と、やはり過去の人間はその時代を考えないと公平には評価できませんね。ちょっと嘉納を見直してあげました。嘉納ったって、ただのガキだし。
 もっとも話は変わるようですが、著者の話をすると、松原氏の実戦武道志向はそれはそれで「そうじゃないだろ」って気がします。
 武道っていうのは実践に即しているから武道的、あるいは武術的なわけじゃないですよね。ほんとずっと考え続けてきて、結論的にそう思います。
 剣道で言えば毎日2時間、真剣の刃を見続けたものが、見ただけであっても本当に実戦で勝つ。
 そうゆうもんでしょう。実戦的、ってどんなケンカをする気かな? 
 私的にはたかだか剣道選手権優勝のガキなどなにも怖くない。 嘘つけって、なに、はじめに目潰しくらわしたらガキなんかおしまい。
 そういう問題か? って、実戦てそういう問題でしょう。
 しかし人を十人も切ったやつとは実戦したくないと思います。やつら殺人者は目が違う。昔は、恐ろしい世の中ですが、そんなのがテレビに出てたんですよ。

 ちなみに、松原氏によるさらなる新情報。なんでも昔は高専柔道というものがあって、柔道専科の専門家ではない、ただの生徒という素人が勝つために、ヒーロー以外は寝技引き込みで引き分けが本来だったそうで。じつは父ちゃんの(他人による?)自慢がそれで。旧制高校で寝技引き分け。うちの父ちゃんはそんな弱いのかと残念に思っておりましたが、(弱い方ながら)主流の成果であったと知り、これもちょっと見直しました。 父ちゃん、四方突き(五方当て? 腰落としてましたが)はなかなか決まってましたし。嘉納の講道館柔道は空手にも合気道にも剣道にも、なんにでも対応できなきゃいけなかった由。

 なんつうつまんない日常に感動をもたらすのはやはり「名探偵コナン」ですね。
 単純素朴とはいえ、そんな素朴なストーリーに感動を覚えないのはよほど疎外されているのでは、と思うところ。
 もっとも権力志向ではこんなのに感動するのは無理だろうしねえ。疎外と権力については「歴史としての支配」で縷々展開したところではありますが、縷々ったって狭いスペースですがともかく、実はこうゆうのは性格ってもんがあるよね。パーソナリティではなく生来の生理的反応様式ね。
 これも「疎外されやすい性格」といえば整合性がとれるわけですが、まあ、人間の存在ですから性格の影響があるのはしょうがない。ともかく、面白いマンガ。出始めの昔は 「金田一少年の事件簿」 のほうがまともだと思ったけどね。人間成長もするのです。作者のことね。
 この前は85巻を借りられましたが、もうすでに収拾がつかないと断言できますね。未完のライフワーク確定、といったところ。それもよし、と思います。他人事ですが。
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あれこれ

2016-05-07 14:24:42 | 断片
 こんにちは。天気予報ぜんぜん当たらず。東京地方、本日も直下日光の下で若葉が輝いて。若いってほんと気持ちがいいね。みなさんと同じ25歳以下なんだね。
 本日は買い物帰り、山道でカサコソというので茂みを見るとアオダイショウの(大きな)子どもが。
 2年前お母さんヘビを話題にしたところですが、すぐ死んでしまったのが発見されて、200年来の歴史が途絶えたかと思いましたが(村に言い伝えがある)、なんとか子どもがいたようです。よかったよかった。
 
 世間はウソつき企業のおかげで労働者人民が苦労してひどいもんですが、しかしアメリカではトランプが大統領になるとのこと。よかったよかった。また「政治は誰がやっても同じ」、という真理が証明される。民主党だろうが公明党だろうが自民党と同様なのは、日本の特徴ではありません。オバマでも左に行かないように、トランプでもこれ以上右には行きはしない。またまた被支配者人民のあえなき夢が崩れる。
 わたしなんかもどうせ共産党にも社会党にも投票できない独裁専制国家アメリカの国民だったら、トランプに投票してめでたき人々の慌てようが見たいと思いますね。
 信じられない? 2ちゃんねらーの95%はそう思っている、というほうに500円賭け。 おっと、警察に弾圧の口実を与えるな。って言うには、ただの砂粒(な存在)だけど。2ちゃんねるっていうのは将棋情報を見に行くんで知ってるの。
 こんなブログをご訪問されるインテリでリベラルな皆様とは、ちょっとその点で異なるスタンスがありそうです。
 
 ところで、誰がやっても同じはずの資本主義元首でも、一つだけ人によって差異が出る点があります。隈理論上の大統領の歴史的独自性はなんだと思われますか?
 軍事の自由です。支配権力者はもともと武力の統括者ですからね。
 無能な橋下が役人たちの人事(人員合理化)だけは動かせたように、大統領と安倍は人事以外に軍事を動かせるのですよ。そこがゆいいつ年若い子どもたちへの懸念ですね。アメリカの軍事が動けば当然に日本の軍事が動き、子どもたちが不自由になり、そのうち運の悪い子どもが死ぬと。
 ところでTrumpとtrampを掛けた冗談は、日本と違い、英語圏では存在しないのでしょうか? trumpはトロンプ系のようですが。どうでもいいけど。
 
 さて、皆様方におかれましては連休は有意義に過ごしておられますか。私儀、ようやく娑婆っ気も抜けて社会学三昧。
 といっても仕事の進みはせいぜい数枚分の立言。まあ立言はもういらないんだけどね。文章整序をしなきゃいけないんだけど、これはじっと悩んでエネルギーを使うのでそこまでヒマではなく。この間は、参考文献整理。
 で、上部ー下部の視点なんか昔の本しか参考にならないんだけど、そんな昔の論者がみんな子どもに見えて困ってしまう。ほんとに子どもなんだし。
 田中某という法政の名誉教授の40年ぶりに見た本など(その頃から買う気にならなかった)にはほんと苦笑してしまった。どこからか手に入れた種々雑多な概念を一生懸命「理論」にアテはめアテはめ。こうゆうのを卒論で見た指導教官というのも指導のしように大困りするだろうねえ、、、勉強はしてるんだしねえ。まあ卒論は優にすればいいんだけど、院に行きたいっていったらどうしよう、って。他の先生を指導教官に薦めるしかないね。大学の先生というのも大変な職業だと思われることしきり。
 子どもではない人というと、中野卓先生。本人の学徒出陣から戦争終結へのライフヒストリーというので読んでみましたが、いや、これは社会学じゃないだろう。資料。ご本人はそれが学問だというのだろうけど。そういえばライフヒストリーと地震の伝承という話は中野先生の講義で40年前聞きましたが、「江戸時代にこういう過去があるから気をつけろ」と、確か神戸市役所かどっかにわざわざ防災政策の提起にいったはず。政策反映されたのかなあ、、、。えらい人ではあります。
 それにしてもこの本、詳細な過去の記述にびっくり。これは人間の種類が違うとしか思えない。前も誰だかの記憶力の件でこのブログで驚いたことがありましたが、こうなると学問論ではなくて性格の問題のような気もしてきます。
 人生の記憶力が良いと、生きるのに邪魔じゃないのかねえ。思い出せば腹は立つし、後悔することもあるだろうし、恥ずかしいことだってある、と書いて思うに、そういうのは年寄りの耳のように、都合よく忘れるんだろうね。もちろんこれは一般論ですが。
 ともかく私のように端から忘れてきたほうが暮らしやすい、というのが確かなところ。
 などなど。明日も休みで仕事も進展する予定です。
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