リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

プチブル的思考のアドバンテージ

2008-08-30 22:15:16 | 行為
 前回の続きです。
 結局さ、苦労して生きていないと人間が生きる社会科学はわからない。東大大学院を出てわずかの就職口に就職競争したぐらいじゃ、「夢のない世界を生きる」意味などわかりはしない。

 でも、それだからといって何も分からないわけじゃない。
 プチブルには善意というものがある。
 生活上自分のことを考えないでいいだけ、他人のことを「考え」られ、「発言」することができる。
 善意の行使とは、自分の個人的な行為目標に、他者を組み込むことをいう。
 そうしてプチブルは世界史上で革命の光明の部分を担ってきた。

 逆に、一般の人たちは、自分の個人的な行為の目標の手段に、他者を組み込みますがな。
 それがいいとか悪いとかいうのではなくて、
 もちろん、それは悪いことなのだけれど(前言ったよね)、だから悪いことをする人が悪い人じゃないわけで、そういう論議は意味がない。
 けど、他者を目標に組み込むことは善い行為なので、それができる人間はだから善い人間というわけではないのだけれど、しかし、善い行為を世界であちらこちらに存在させていくということは、人間が生きるということの救いなのですよ。

 ちょっと若い人にはわからないかねえ。
 人を殺して人肉を食うしか生きられない人がいたとするでしょ。それはしょうがない。しょうがない一方で、生きるのなら、別の顔をして飢えた子供を助けることが必要だ、そしてそれを悪いことだと思うことが、次に続く人間のために必要だ、ということなんですけどね。

 そうして被支配階級は、革命で殺し殺され、はたから見れば「残虐な」歴史を背負ってきた。

 だからといってこれを非難することは、当事者以外にはできはしない。
 ましてや、現行生存中のプチブルになど。

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プチブル的思考(その2)

2008-08-30 22:14:39 | 行為
 前回の続きです。
 前回の趣旨は、人間が生きるということについて、「生きるとは息をするということだ」以上に認知を持っていない人々の、特徴的な思考方法の現れについてでした。

 なんですが、とりあえず、2人の本の著者のただの悪口にしか見えないところでしょうね。
 いったってしょうがないことですが、後者については、朝日新聞の書評にも出てこれから買う人も出るかもしれないところで、 あほんだら、といっておかないといけないこともありまして。

 で、今回は、少し一般論。
 行為の数式的表現について。

 なんとも突然。
 でもさ、本質はいくつもないの。
 数式処理の長所というのもあるわけで、統計処理はほとんどメリットといっていい。けど、社会科学で一番問題なのは、ゲームの理論とそれらに親和性のある数的処理。
 ゲームの理論は生産性がないのがばれているんでわざわざいちゃもんをつけるほどのことはないけど、その他数的処理には若い人たちは魅力があるでしょうねえ。
 でもだめ。
 それら数的処理には式の途中でマイナス項がでる。だけどね、人間の行為にはマイナスは出ないの。
 マイナスにするぐらいなら、そこで態度を変えるの。変えなけりゃ心身症で死んでしまうの。
 そうでしょ、御同僚。
 そこで突然数式の項の定義が、まだ計算式の途中だというのに、変わっちまうんだよ。そうでしょ、数式定立者さん。
 計算不能。
 とゆうことが、生きていないとわからない。人間が「生きる」ことで、息をしているだけなのは、あなただけなのですよ。

 行為のマイナスは量れない。
 これは私が言ってんじゃない。数式を作ったあなたが言うはずの言葉です。

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プチブル的思考(その1)

2008-08-30 22:13:48 | 行為
 私どものような、70年闘争に引っかかってるまでの人間は、「プチブル」というイメージを持ってまして、若い人は知らなくて当然なんですけど、でもいつの時代でも存在する、「他人ごと」派のことで、「評論家」に近い人たち。ただ、評論家は文章を売って生活している苦労人ですが、プチブルというのは、嫌になったらすぐ別の話に切り替えることができる気楽な稼業の人たちをいいます。

 で、最近見たのが、「下層人民は、自分は下層階級だなどと思う必要はない。下層階級に満足することが階級社会を変える。ブルデュー(というフランスの有名社会学者)もそういっている」というH教授の論。

 あらあらまあまあ。

 この前、昼休みの時間つぶしに本屋で手にとった”なんだかの構造主義”とゆう、U教授の売れてる新書にも、「給料の安いのを気にすると、そのことがカネ社会を肯定することになるぞ」とかいう脅し文句がありましたっけ。おじさんたち、いいかげんにせいよ、みたいなところで。
 貧乏人はおめえらのようにガセ吐いてカネ貰える生活なんかしてねえんだよ! って誰か教えてやってくださいな。
 評論家のほうがまだましだぜ。彼らは雑文が売れなきゃコンビニ泥でもするしかないと分かってるからね。

 まず、お伝えしなければいけないことは、
 第1に、評論家的には、誰もが満足してしまったら、誰も何も変えはしない。喜ぶのは、権力者だけだ、ということ。権力者の配下は、自分ではできないけど、誰か社会を変えてくれよ、と思いますから。
 第2に、プチブル者が何を言おうと、我慢できないところで下層人民は生きていっているんだ、ということ生きて「いって」というのが重要なところ。このUという教授はエリートの卵時代に貧乏生活をしたのが自慢のようですが、カネがないことだけが問題ではないのはブルデュウおじさんの言うとおりなの。今日疲れて寝て朝起きればもうまた同じ明日がきちゃうんだよ。違う明日があるエリートじゃないんだよ。
 第3に、下層のうちでも上層の人民には、別の満足の仕方を探すことが、全地球的に、幸せに近づく一歩を築くことになることを思い出して欲しい、と、私=隈から伝えたい、ということ。過激派的にいえば「うちのセクトには入れよ」 みたいなもんですね。

 それにしても恥知らずな諸君が大学教授をする時代になりましたねえ。
 自分が触れたこともない世界のことに、中立のフリして、あるいはそれ以上におためごかしで、口出しして欲しくないですよねえ。


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しょうちゅうタイム(その3)

2008-08-20 22:42:13 | コーヒーブレイク

 前回の続き
 ここまでくると酔っ払いタイムですね。

 家に帰ると例によってマンションの階段で蝉が暴れていました。
 このあたりは蝉の大団地で、夏になると家の前の樹木帯の地面には1平米に100個は蝉の穴が開きます。
 その蝉が夜になるとマンションの階段灯に寄ってきて、人が通ると暴れる。
 手を差し出すとおとなしくなりますが、寄ってはこない。
 犬や猫なら寄ってくるのに。鳥だって、赤んぼなら寄ってくるのに。

 なんか可哀想な生き方、、、。
 最後の一夜なのに、、、
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しょうちゅうタイム(その2)

2008-08-20 22:39:54 | コーヒーブレイク
 前回の続き。
 新宿で乗り換えて、ふと見る私の乗ってる各駅停車を追い越そうとする小田急特急は、まるでミミズ色。
 4、5年前に作った小田急特急の良いセンスは、ようやくJRに互せた、30年ぶりだ、くらいなものですが、なんだこりゃの鼠青色の特急電車です。これがどうみてもミミズ。
 作ったやつは可哀想だよなあ、絶対、芸術のゲの字も知らない社長か、実力専務がデザインにチャチャいれたんだろうなあ、でもがんばれよ、15年経ったら年寄りは死んで君の天下だ、目にもの見せてくれよ。
 
  だってあんまりなんだもの。ミミズも毛嫌いはしてないけどね。

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しょうちゅうタイム(その1)

2008-08-20 22:36:56 | コーヒーブレイク
今日は飲み会。
成り行きで2次会にいかないで乗った帰宅列車。JRのドア窓に劇団四季の宣伝ステッカーが張ってありました。緑色の顔をしたオズの魔法使いの意地悪東の魔女と、いいおばさん西魔女の

「愛する一人のために世界を敵に回すか」(東の魔女)
「世界のために愛する一人と離反するか」(西の魔女)
 
 オズの魔法使い  WICKED」  (ウィッキドとは、世間に背く悪い奴)

「離反」とは書いてなかったですけどね。そんなキャッチ。

「おお、そうだったのか。最近、西の魔女が幅をきかせてるが、東の魔女にライトを当てるやつもいるのだな」 みたいなもんで。
 そうだよなあ、魔女だってがんばってるんだ。
 でも劇団屋の脚本じゃ、そんな魔女なんてメロドラマにしかならないよな。
みたいなことを考えながら
 がんばれよ。おじさんも助けてやるぜ。
 そんなときは、それ以上生きていなくてよいものです。そのまま、ステッカーの世界に飛んで入り魔女を助けようじゃないか。
 一部の人は、明日、その人のために食料を確保する必要のある仲間がいなければ、次の1瞬に人生を架ける。少なくとも、人間の2割はそんな連中です。
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曰く「戦争以外の道」

2008-08-18 21:44:28 | その他
 おばんです。
 お盆も終わりですね。

 今年は、娘と息子が来家しましたので、いかにもお盆でした。
 なんですが、自分的には両父あてお酒をお供えしておしまい。

 例によってパソコン遊びをしてますと、「雇用・能力開発機構」がとうとうなくなっちゃうとのことで、って百人の人がこの文を読んでも、そんな組織を知ってる人は1人だろうな。
 じゃあ、なくなってもしょうがないって話じゃなくて、これは昔の「雇用促進事業団」。職業訓練校とかあるじゃないですか。ここで百人中3人にふえたかな。
で、これはまた、わたし的には、「日本労働協会」の末姿で、って誰も知らんがな。

 日本労働協会、って私の憧れの就職先だったとこ。マスターを出てそこで労働研究にいそしむのが、夢じゃないけど、最高だなあって思ってたようなところで、とうとうその夢の職場がなくなってしまいました。
 もちろん、もうおじさんですから関係ないのですが、でも夢の道に入ってたら、今頃これからの食い扶持の心配をしなきゃいけないところで。ほんと、何がいいことかなんてわかりゃしない。結局、生きていればそれでいい。世間の成り行きに一喜一憂してもしょうがないってことですが。

 などと幸せそうな話をすると(って別にそういい暮らしはしておりませんが)やっかみがはいるでしょうか。
 ひところ、フリーター世代が、「いっそ戦争が起きればいい」というのが評判になりまして、昨日だかの朝日新聞によれば、そういう人たちの言によると、「戦争に反対するやつらは、戦争以外の道をぼくらに教えない」んだそうで。
 気持ちはわかるけどね。俺らんときは口に出さなかったけどね。
 まあ、彼らは、「口から出る言葉なんかみんな遊びごとさ、何をいおうが信ずる奴がバカ。それでOK」と思ってるんだよね。そんな世代なんだな。
『若者は、口に出す言葉を失ったときに、自分で考えることも失った』 by 隈、
というのも、ホントらしくないでしょうかね。
 ま、それはさておき、私も真面目なので「教えない」といわれることは不本意で。「たかが労働貴族のくせに非正規労働者のことなど何がわかるか」 みたいな悪口なら 「そりゃそうなんだよね」 と思うんですけどね。

 ただ、不本意だけど、まともに相手をするのもバカで。長年生きているので、そういう人自体は、何を教えてあげても何もやりはしないし、もちろん感謝もしない、どころか別の言い訳を考えてぶつくさするだけ。やだね、長生きも。
 で、しかし、それを語るのも無駄ではなくて、 『「戦争に反対するやつらは、戦争以外の道をぼくらに教えない」って聞いて、いわれてみれば教えてもらったことはないなあ、と沈思黙考する人間』 の種類がある。そういう人も潜在的にいて、そういう人は、他人が言うことも参考にするものです。そら、長生きもするものだ。

 前置きが長い。
 ここのところ、仕事上でホントにいい加減な人々と話をせざるを得なく、ただの自己弁護の相手なんざ御免こうむる、という気持ちがふつふつとしておりまして。
そこらのアンちゃんに限らず、当家でとっている朝日新聞などもそうですねん。
たとえば
「政権を決めるものは説得力。説得力のない首相は消えろ」みたいな物言いをおおっぴらに社説でします。
 そうじゃねえだろう
 政権を決めるのは「どれだけ人民のためになるか」とか、「どれだけ資本家のためになるか」とか、「どれだけ倫理にかなってるか」とか、「どれだけ国家道徳を体現してるか」とか。そうゆう理論上の問題じゃないのかねえ、ふつう。タテマエ的に。
 なんだよ、説得力って。この国はナチスドイツか。天下の朝日新聞がさ。産経新聞じゃあるまいし。説得力なるものがはびこる「デモクラティック社会」

 こんなやつらの相手したくないしさ。

 だけど、世の中には有為な派遣労働者の人たちもいる。

 さて、長かった前置き。

1 まず、共産党に投票すること。
2 不本意な投票は欲求不満だろうから、共産党に反対する、なるべく中立を装った過激派活動に参加すること。ただし、決して組織員とお話をしないこと。
3 日常的にまともな人たちと交流すること。それにはまず、携帯のスイッチを切るのがいいやね。

 資本主義がはびこっている間は、なにやろうとしてもだめさ。
 自分で何主義がいいか、考える暇がなければ、とりあえず、共産党に投票するのがいい。私はご承知のように嫌いですけどね。生きるか死ぬかというときには好き嫌いの話はしないのがいいし、好き嫌いの話をしたい人は勝手に生きていけばいい。ただ、それを他人のせいにしないでくれや。


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ウヨクと左翼の共通点

2008-08-12 21:39:00 | コーヒーブレイク
臨時コーヒータイム

 本日のyahooによる毎日新聞によれば、太平洋戦争開戦時の首相、東条英機につきまして、彼の敗戦直前の手記が公表されたとのこと、それを下記のように述べております。
東條は『敗戦理由を「敵の脅威におびえ簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」としながらも・・・』
 ぶぶぶのぶ。
 てめえこそ自決一つもできなかったおびえネズミのくせに、よくいうぜ、というよりは、そんなもんだぜ、オメエらなんか。ネズミに悪いや。
 ウヨクのみなさん、エライさんはそんなもんなんですよ。
 ご同様に左翼の鉄砲玉諸君も。
 
 こいつ(ら)、大ッ嫌いだ。
 恥知らずの口先男たち。

 以上、コーヒータイムでした。
 こんな汚らわしい話でブログを汚したくないけどね。大切なことです。
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科学の言葉(その3)

2008-08-10 11:42:02 | 社会学の基礎概念
 今日は3つ目。要するに涼しいんですね。現在28度。涼しいときは前に進みます。
 
 さて、言葉というものは、話す相手にその相手自身のイメージを生み出すものだ、といいました。
 この理由により、『ただの真偽を表現すること自体』も、科学には適切ではない、という結果が生じます。
 変ぽいですね。
 
 よく子供にありますでしょ。
 「あ、ビッコ」
 「なんてこというの!」 パシッ。
 「エーン! だってほんとじゃない!」
   こんなのないか。悪いこといったから、パシッなんて、団塊ぽいですね。
 ともかく。
 
 ホントでも何でも、言葉は正しいことを告げるためにあるものじゃない。
 話す相手に相手自身のイメージを生み出すためにある。
 だから、ホントでも「言っちゃ」いけないんです。
 
 しかして、社会科学的には「最低賃金を上げると会社が潰れる」 これは真偽では真かもしれない。
   実際は、それで潰れるような会社は、そのうち潰れるもんでしょうが。
 一方、「賃上げしないとそれで食ってる人間は生きていけない」 これも真偽では真かもしれない。
   実際は、大部分の最低賃金労働者は、家計の足しに働く人かもしれませんが。
 とにかく、どちらも真であっても、それを書くか書かないか、その選択がある。
  「書く」ということは読者にその片側の真だけをイメージさせることにあります。
   そんな偏った科学ってあるかしら?
   
 もちろん、世間の書物は多かれ少なかれそういうもんですけどね。なにしろ世の中矛盾だらけ。こちらを立てればあちらが立たないのが資本主義社会です。かくて、実証、実証といっても、「事実を書くだけ」という言葉自体にウソがある。
 彼らは、偏った事実を書くことで、読者にイデオロギー対応をしているに過ぎない。まあ、社会学者に限っては、2側面くらいまでは配慮しますけどね、本当は3側面も4側面もある。
   
 しかし、
 科学とはそういうものであってはならない。科学とは、「するための」真実、因果連関の学問です。
 
 因果連関には一方方向の真実しかない。「できる」か「できない」か。
 障害のある足を、何らかの方法で直せるか直せないか。
 最低賃金を上げても、何らかの方法で経営者も労働者も問題なく暮らせるか、暮らせないか。
 
 変でしょ。
 客観的なはずの事実の報道がウソで
 主観的なはずの、価値的な「する」学問のほうが、真理だなんて。



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科学の言葉(その2)

2008-08-10 11:40:39 | 社会学の基礎概念
 一部の言語学では「言葉の意味の大半は使用する場面で決まる」と表現するようです。「暑い」という言葉は、自宅なら「クーラーをつけてくれ」とか、街では通りかかった屋台で「ソフトクリームを買って」とかいう意味となります、って意味合いで。
 しかし、そうではありません。もともと言葉にはイメージしかない。言葉というものは、話す対手の将来をイメージさせることに本質があるのです。似てはいますが、「意味が場面で決まる」のではなく、言葉は「場面を作る」ものであり、作るのが常に話の対手であることから、そもそも、「本当の意味」などというものはないのです。「歴史的に本来の意味」という言い方はありうるでしょうけどね。

 とゆうわけで、抽象的な言葉は定義しない限り、科学の言葉にはならない。たとえば「自由」。
 図書館で、「自由」状況をあれこれ分析するアカデミズム社会学者の本を見つけましてですね。
 彼氏は、社会学を研究することで「自由と権力とは何か」を追い求めてきたんですって。
 いいおじさんじゃん。決して悪口は言いたくありませんが、間違ってちゃしょうがないよね。
 
 世の中に普遍的な「自由」の状況なんてありはしません。
 たとえば、被支配階級は、支配層の指令のない将来をイメージして「自由を!」と叫ぶ。
 資本家階級は関税による減収のない将来をイメージして「自由を!」と叫ぶ。
 そんなの同じ意味なわけないじゃないすか。

 それはどっちが正しいというものではない。被支配階級は、好むと好まざるとに関わらず、現存する言葉、有閑階級が作った言葉、つまり、支配階級・中間階級が教えてくれる言葉を使わざるを得ない。だからといって、被支配階級の言葉が間違っているわけではない。くだんの社会学者先生は、「恋愛の自由」やら「恋愛の権力」やらいろんなことをおっしゃってまして、まあそれはそれで、昔から「プチブルジョワの自由」といって、それもある。それもあるけれど、それを科学の名で呼んではいけない。呼ばないなら私だって図書館から借りて無駄な時間を費やすことだってないし。
 
 結局、普遍的でないことは科学にはならないんですよね。
 いくら自分の自由のありさまを述べたところで、それは他人には該当しない。奴隷に「恋愛の権力」を述べたてて「支配階級も不自由だ」といったところで殴られるのがオチだ。「いや、奴隷も恋愛すれば該当する」とかって口走ったら殺されてもしょうがないでしょうね。
 
 しかし、
 科学とはそういうものであってはならない。科学とは、「するための」真実、因果連関の学問です。
 
 ちなみに、ご存知と思いますが、私の言う自由は、個人の行為の自由です。
 言葉は意味するところは違っても、その中に共通点がある。
 自由という言葉の最大公約数は、人間の行為の原則に基づき、自分が思った将来が、次の瞬間に実現することを指すことに根拠をもちます。自由を語るなら、自由になるための方法を述べなければならない。
 もちろんそれは、「現代資本主義社会で小市民が恋愛で自由になる方法」であってもよい。それなら奴隷も憐れみの一瞥をくれるだけで、支配階級への闘争へ戻るでしょう。

 なお、ネット検索では未だに「自由には2種類ある」などというのあります、っていうかそんなのばかりが初めに来ます。もともと言語植民地イギリスの特殊事情を、欧化主義者がことさらに言い立てた話ですが、いかにも田舎もんですよねえ。ネットって、年齢が分からないからねえ。みんな60過ぎが書いてるのかなあ、、、


 
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科学の言葉(その1)

2008-08-10 11:39:50 | 社会学の基礎概念
 お暑うございます。そろそろお盆でみなさまごゆっくりされるところでしょうか。
 私めは旅行の本を読んでゆっくりしていたところです。仕事は暑いうちは何も進めなくてよいという長年の経験による自己了解がありまして。

 で、2,3回前に戻りまして、世間がつまらないので何か面白いことを探してネットサーフィンしていたところ、相も変わらずまた左翼的に悪口合戦(とゆうか、殺し合い)がはじまりそうな様子。まあ、その筋の話なんで、皆様にも私にも他人事ですけどね。
 そーゆうのはもちろん自業自得でよいのだけれど、しかし虚しい気がしないですか、ご同僚。(といって、今さら、左翼なんていないんだろうねえ、ご同僚もないか。)

 この前のW,K.おじさんもそうだけど、世の中って悪口だけで生きてる人間がたくさんいるんだよねえ。
 一生他人の悪口を言い続けて。
 言ってるほうも聞いてるほうも、本当のことだろうがウソだろうがどうでもいい。悪口さえ言えれば、聞ければいい、
 
 もともと、人間の行為は、生理性に関わらない場合は、賞賛なり優越的自由なりが行為根拠となるわけで、悪口をいって他人を貶めることは立派な行為原則です。特に、生理性など何も関わっていない対抗権力組織内においては、それしかないって感じですね。かたや、真偽がどうという次元は、行為の選択の基準にはならない、真偽は行為の道筋にしか関わらない。
 要は、パチンコしたりマンガを読んだりしてストレスを発散するのと何も変わらないわけで、そりゃこんな世の中じゃご同情の余地は多いけれど、他人の迷惑だし、何よりも偉そうな理論家気取りのおじちゃんたちが悪口を糧に生きてるなんて、情けないやね。

 その結果、言ってることはホラなので、嫌になったらいつでも否定できる。組織にサヨナラしたらそれでおしまい。真偽ではないのでへいちゃら。 
 一方、ホラを吹いてたことには何の反省もないから、転向者は別方向からまたぞろホラを吹き出す。
 いいやね、政治屋さんたちは。気が楽で。

 しかし、
 科学とはそういうものであってはならない。科学とは、「するための」真実、因果連関の学問です。

 「空を飛べるぞ」とホラを吹くのは勝手にするがいい。それも楽しいでしょう。
 しかし、ホラではビルの上から足を踏み出せば真ッ逆様に落ちてしまうのです。


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