リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

時空とは(オカルト)

2017-07-29 13:55:49 | オカルト(途中から)
 こんにちは。たいへん。台風5号が居座って、関東の海は、静穏の見通し立たず。この梅雨明けの晴天続き、海水浴日和のはずの見込みが。涼しいことだけなら子供は感じないし大人は上着羽織ってりゃいいんだからいいけどねえ。大波で沖に持ってかれたらおしまいなのでお止めなさい。
 といってプールも最近行かないからご案内もできないし。大学の屋外プール開放があれば、空いてるはずで、一番いいんだけどねえ。昔は明大とか法大とかでやってて。今は大学も高機能屋内プールでつまんなそう。まあお盆休みに田舎に虫取りにでも行かれてくださいませ。東京旧盆中は深川不動が本祭。ただしここに来るような方は、もっと小さい祭りのほうが居所があってよいと思われます。お一人の方はご友人お誘いの上、ヨーヨーすくいなど。
 わたし的には涼しくなるとそこそこ勉強もでき、「ああそんなに怠け者でもないし、さほどボケてもない」と思えてうれしいです。
 
 さて、ニュース。森永乳業ダブルソーダが販売終了だって。知らない。そんなの。
 それより、ソーダアイスがすでにないんだって、知らんかった。あの青いカチンカチンのやつ。チープだもんねえ、よく食べたけど。
 で、うれしいことに名糖ホームランバーはまだ売ってんだって。おいしいよね。知らん? 最近はハーゲンダッツとかわけのわからん高級品が増えてるけど、あのさっぱりした棒アイスが夏の味だよね。脂っこい高級品は寒いクリスマスにでも食べればいい。もっともホームランバーは自販機で売ってないので買うチャンスがないけど。コンビニ行かないし。
 
 ついで、また日本人、寿命が延びたとか。そんなに生きてどうするんだ。年よりは、役人がいらない空き家をつぶして空き地にして、そこに畑を作って安全野菜でも育てて子供らに食わせるのが一番いいと思う。自分らで食うなよ。年よりは中国産やアメリカ産でじゅうぶん。
 
 なに世間話してんだ、って、別に話題ないし。稲田が辞めたって、ICBMが飛んだって、特殊な利害関係者を除けば、日本人の考えることは一つじゃないかねえ。「当然」。「どうしようもねえやつ(金)」、こっちは「だからミサイル軍備を」とか「早く暗殺を」とか分かれるかもしれないが、誰でも言うこと。わざわざ話題にするほどでも。
 
 なので、今日は恒例のオカルトですよ。もうすぐお盆だし。だんだん文も増えてきちゃって、カテゴリー作るかなあ。

 先週、朝日新聞に元素周期表が付録されてて。こんなもん学校じゃ見なかったんでしげしげと見てしまった。なかなか面白い。化学は通信簿3。

【物質とはエネルギーの状態】

 で、元素周期表を見れば、この表にはエネルギーの正と負がバランスを保つ有様が表わされていることがわかる。
 この世は、
 1 まず、正と負がある。一般に電気のプラスとマイナスに現象している。
 2 正と負のバランスは負をめぐって存在する。正でも負でもよいのであるが、この分割は単純な2分割ではなく、引き裂かれた2分裂、ムリのある2分裂、であるように人間には映ずる。
 その証拠に負は、必ずバランスを保つ方向に動く。一般に「プラスとペアとなる」といわれる。ここで、負が電気的にプラスだろうがマイナスだろうか、それはどうでもよい、分裂者が陽子でもよいのである。そんなものは名前だけの話だし。
 3 さて、この元素のエネルギー状況は、バランスが形作る層と、そのバランスからはみ出すエネルギー状態からできている。
 「各層」は電子として間隔をおかなければいけないので存在するように見える。各層の状態は波動形式で計算され、その実体は、力の大きさの浮動のことである。心臓の鼓動が心電図になるようなものだ。 
 というわけで、なんのことはない、自然の全て、たとえば人間の身体は、この元素の存在形式、エネルギーのミニマムな状況の混濁状態であり、この混濁状態が、しかし、自立的に諸物象に現象するわけである。つまり、エネルギーがいろんな形をとるんでいろんな元素ができて、その元素がいろんな化合物、すなわち、全ての物質を作る。
 さて、これからが問題。

【物質と生命が存在する理由】

 さて、ではなぜそんな事態の混濁がおきるか。鉄は鉄、水素は水素で固定してればいい。あるいは全て全部が炭素であってもいいではないか。
 ここには、変容の原動力が内在している、と思うのが普通。
 ここで元素的変容は、エネルギーが元の無に戻らんとする悲鳴であろう。
 他方、人間等生物においては、形態的変遷がない。ということは、エネルギー状態の元の無に戻るのではなく、自立的変容を遂げようとしているエネルギー状態かもしれない。
 そもそもの始元的エネルギー分裂さえ、この自立的変容、他人を食べながら動くという契機かも来ているかもしれない。いわく、「生命」である。
 生命がどこから生まれたとしても、生命現象は、始元的なエネルギーの分裂後のエネルギー現象である「物質」じゃない、という確認ですね。
 やはり、始元のエネルギーの分裂こそが生命現象の発生の影響なんじゃないかねえ。他にエネルギー本体には要素がないし。自分の居場所がなくて圧倒的に困っているように見える諸物質が存在してるだけ。もちろんこれらを「物質」と受け取るのは、地球では生物だけです。そんなもん、ただのエネルギーの諸段階に過ぎないのに生物はこれと不可分の存在である。 
 
【神の現象】

 そう思ってみると、物質世界など埃にもならないほど微小なキズである。宇宙を見上げて見れば分かる、いったいどれだけのエネルギーが物質化しているのか。物質のブの字も見えやしないではないか。といってもこの空間こそ、その微小なキズとのバランスを支えるエネルギー状態の対応物ではある。
 ともかく。後に残った契機が生命だけであれば、その答えは生命にあり、生命エネルギーが力で圧迫しているのを物質エネルギーが押し返している、あるいは生命エネルギーの構造に入り込みつつ存在している、というところである。
 さて、こっから先はオカルトである。
 違うか、どっからオカルトに入ってるかな?
 この微細なキズは、宇宙のある1点が、エネルギーを自分のために使いたがったゆえに生じたものだ。
 宇宙のある1点に生じたエネルギーを使いあう存在、すなわち、生命の発生である。これが「神」である。毘盧遮那仏あるいは大日如来である。
 ここで、宇宙の1点とは宇宙の遥か彼方のことではない。われわれの手の届く先の空間のことである。頭の良い宗教家がいうように「神はすぐそこにいる」のである。空間とは単に物質エネルギーの存在そのものしか指さない。物質から離れたところに、空間は「ない」のである。
 さらにそれが起こったのも実は「何百億年も前」ではないのだ。「つい一瞬前」なのである。時間の経過などというものは、物質形態の都合、素粒子という、移動に「時間がかかる」物理的存在の都合なのであり、あるいはそれを測定する人間という物理的存在の都合なのであって、エネルギーの都合ではない。エネルギーはエネルギーとして、常に永遠の今に、存在し続ける。エネルギーに時間などないのだ。
(書いてると、「そんなの前いったよねえ」 みたいな気になっちゃって。物質世界では全ての事象は光速度を基準に移動するのですよ。それが現世的エネルギー速度。といっても光速度にならない場合がある。それが物質的観測者の影響速度。)
(全部が光速度で同じ方向に動いてたら、時間はゼロ。だけど、物資はその内部でランダムに光速度なのです。人間の構成物質も同じ。)
 アナロジーを挙げると、幕府用人たるAが、各藩の探索で10人の人間を派遣した、10人は1年経って1年×10人の仕事をして帰って報告に来たが、幕府用人のAにとっては、他の用事に忙しく、1年前から10分経っただけなのである。要は、計算根拠が違う。この場合用人は、同じ人間の衣をまとっているので、肉体的に探索者と同じ時間を経てはいるが、脳内過程では1瞬間しか過ぎていないのだ。

 なお、先日言ったように、生命と霊は違います。おそらく霊の時間は、肉体物質に引きずられない観念作用の速力、すなわち物質時間の233倍の、700年で3年に当たるのでは? 浦島太郎がそういっております。
 
 と続くわけですが、まあねえ、、、革命的過ぎてわかりにくいだろうねえ、とくに物質世界に時間があってもエネルギー世界に時間がないことなんてわかんねえだろうなあ、相対性理論など足元にも及ばぬ革命性。こんな革命性を人間が考えつくのも変じゃないかい? じつはわたしはにんげんではないのだ、、、が、まあいいや。
 ともかくも、そうした場合、宇宙的にも、地球的にも、体から10センチのこの空間にもその構造の切磋があるわけです。地球上某所に住む私と目の前のパソコンの画面上の液晶とは、宇宙的な関係にある。6000キロ離れていようと人間みな兄弟、あるいはプ~~ンと飛ぶ蚊も、みな親子。死ぬも生きるも岩石の変容と一緒、同じ構造内部の入り繰り。
 いや、そんな議論は前からしてますが、これに物質構造まで組み込むという進歩を得た、というわけで。
 
 暑くて序文が進まない。夜、冷房をつけて寝ると構成が浮かぶのですが、寝てるので消える、という。メモでもつけろ、といわれても、実は構成も何も序文で書くことは決まってまして、決まってることはばかばかしくてわざわざやってられない、誰か代わりにやって、というのが理由です。
 それよりか、(方言? 遠州弁とのこと。家の東京弁にはありませんでしたが、静岡言葉は小学校に案外流れてきました)、新しい、隈にしかできない演題を見つけてしまった。「社会主義経済学批判」。批判といっても「それがテーマ」の批判。「経済学批判」(マルクス)の批判ね。オカルトとはえらい違いだ。
 しかし、今回(=次回)が配本の最後という予定は消えず、2、3百枚でどっかへの投稿論文にするかな。
 
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夏休み開始の件

2017-07-22 15:58:53 | 断片
 こんにちは。お暑うございます。といって函館は冠水。台風でもないのに。梅雨がないのが北海道、といっていたけれど、北海道にも亜熱帯の手が。。秋田もこれからひどそう。
 東京はジリジリと日射しがひどいですが、関東以南の皆様におかれましては日焼けにはご注意。三十過ぎて水ぶくれしますと跡が残りますよ。といって日常的に日焼け止めを使いますとビタミンD不足になります。肩こり、腰痛、免疫不全、骨軟化症、、、なんでも適度に、が一番。

 さて、ルピシア(という紅茶屋)によると、詳細不明な民族紛争で西ベンガル州のダージリンが収穫できないんだとか。この前神戸紅茶のロイヤルブレンドがダージリン配分減ったと悪口をいいましたが、これも年老いた役立たずの社長のせいじゃなかったかもしれないですね。
 話は変わるけど、こういう事態は本来、こんな事情で悪いけど味変えるよ、とかいうもんだと思うんだよね。
 もちろん話を変えたわけで、神戸紅茶にやれとはいわない、世の中消費者が神様だと持っているくずがいるからね。ほんとうはもちろん生産者も消費者もありゃあしない。一生懸命生きている人間がいるだけ。早くそんな人間の行為が当たり前な世の中になるといいね。
 で、話をまた変えれば、ルピシアにはできるんだよね。若い会社はいいやね。やっぱ社長のせいだな。
 ま、神戸紅茶、味はいい。トワイニング等のティーバッグだと1ケ30円以上じゃん。50個入りは1ケ20円だし、こっちが断然コクがある。

 で、ニュース。朝日新聞によると、海洋研究開発機構等がカリフォルニアで火山性の「約40億年前の地球に似た過酷な環境」の水を調べたら「岩石に付着した細菌では、酸素を使った呼吸など生命維持に必要とされるエネルギーを得るための遺伝子を一つも持っていなかった。」「この細菌が生きる仕組みは不明だが、岩石から電子を直接得たり、未知の遺伝子が働いたりするなどが考えられるという。」。早い話が、岩を食ってる生物がいるんだってさ。これはなかなか面白い。逆にいうと、岩も生きてるかもしれないよね。母なるガイアはほんとに人間の母かもしれない。
 もっともこんな細菌を日本に持ってくるのは危ないよね。品川沖で海にまいたら岩と合体してゴジラとなって上陸してくるかもしれない。
 
 さて、次回配本分、細かい目次も整え終わりました、、、あれ? それ先月末で終わった作業のはずなのに、、、何も進んでない?
 そうなんだよね、なんも進んでない。「序文」を書こうとしたら乗らなくってさあ。しかも暑くってさあ、これで去年みたいに4、5、6月を働いて、本文直しが何も終わってなかったら、今月は毎日呪詛を吐いてたかもね。まあ夏はいつか終わるし、ってそれも淋しい生活態度。
 といって特に遊んでるわけじゃなくてマンガの代わりに、今は政治・法学書を紐解き中、40年前の。「資本主義法の形成と展開」とかさあ。みんなこけおどし、だけど、今じゃそのこけおどしさえできなくなってるよね。東大出版会さえ、言ったらそれきりの一家言随筆の寄せ集めばかり。よくて教養課程の「こんなのでも学問でさあ、」本。この30年、社会科学は衰退というよりもう腐乱状態だね。何の基礎にもならん。腐って溶けたゴミ拭いたら、残りは40年前の床のみ。ようやく腐肉を防いでいるのが佐藤優という情けなさ。いや、ほんと、このご時勢に、佐藤が一番まし。
 
 というわけで、むりやり役に立つブログ。家庭持ちの方もおられましょう、もう海水浴シーズンもあと3週間を切りまして、もっと早く言え、といわれるのもなんなんで、関東地方の海。
 まずは、海水浴は8月10日までです。そっから先はクラゲ。別に刺されても死にませんが、また刺されるのかと思いながら泳ぎに入るのはぜんぜん楽しくない。
 つぎに子供。外海は論外ですが、小学校以降は穏やかなのも不評です。伊豆外浦みたいな鏡の国ね。ここは6歳まで。ちなみに4歳までは江ノ島や熱海、せいぜい伊東で十分。
 小学生はそこそこ波が来る今井浜とかお奨め。西海岸は茶色でざらつく砂をどう評価するか。三浦海岸は遠浅では「ない」のでいまいち。千葉はきれいでなくていいなら岩井海岸とかは面白いでしょう。海が荒れる可能性を覚悟なら房総東側へ。しかしここが、海、清潔とも限らないのが難点。あれなんなんでしょうね。遠浅さも自称のところがあるし。
 そこそこみんなが溺れないなら、伊豆大島以南が気持ちがいい。きれい。熱帯魚も多。船代かかるけど大島なら宿安いから、伊豆で泊まるのと変わらない。伊豆にもきれいなところはあるけれど、そういうところは浜がない。下、石ころで痛い。だから砂を巻かずに海藻もなくきれい、という関係。
 さて、いずれにしてもごくろうさまです。お肌には十分ご注意。水ぶくれ厳禁です。

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相互規定性の例

2017-07-15 11:12:01 | 歴史への視角
 こんにちは。くそ暑い中、東京はお盆、3連休ですね。サービス業の方はご不満もありそうな。休みでない方も、まあとりあえず、どっかで休みましょうよ。時間は人間の友。っていうか、冷房漬けもよくありません。来週末は東京だと、文京朝顔・ほおづき市というのがありますね。地下鉄春日下車。ちょっと遅いですが、多少の夏の江戸情緒はあるのでは? 日光は真上から熱いので、帽子をかぶってどうぞ。
 
 さて、時間は大切であるにもかかわらず、人の時間を使ってお代も払わないと。アベではなく、連合。
 「安倍政権が提案している「残業代ゼロ法案」について、労組の連合が、これまでの反対姿勢を百八十度転換し、容認する方針であることが分かった。」ネット日刊ゲンダイ。別に朝日でもいいんだけど。
 その代わりに「対象者に年間104日の休日を確保」って、ただの週休二日制。
 連合も落ちるとこまで落ちたね。労組の皮をかぶった日経連。知らないか。じゃあ第2経団連。これ以上堕ちようがない。
 やつらはてめえらの権威付けに「政府との交渉の立場」が欲しいだけ。
 一利もありゃあしねえ。あるだけ害毒。早く潰れろ。
 もちろん30年前に作ったやつらが悪いんだが。何が「労働者の団結」だ。何が「大きいことがいいこと」だ。まだ関係者はぞろぞろ生きているはずだ。お前もお前も。自らの恥を知って反省しろ。
 と、次第に怒りが、、、下品。
 不思議なことに、左翼ネットは誰も怒ってないのね。当たり前すぎ? 怒る私が変なのだろうか、、、怒るしかないと思うのだが。
 
 まあ、下品になったので、本日はここまで。体調に気をつけて。
 
 
 、、、というわけで、気分を変えまして、マニアの方あて。 
 本日は先週の続き。先週の文中に書きました、なぜ「自衛隊は軍隊ではない」か。長くなりますので。
 (なぜ共謀罪法の有効性には軍隊が要るのか、は教えてあげません。そこまで能天気ではなくて。)

 兵隊は支配者のものではある。支配者は兵隊を指揮権に基づくなりで、これを指揮することができます。
 しかし、支配者はだからといって、兵隊をそのまま内政に投入することはできない。
 これを内政のために動かすためには、人民が軍隊を動かす指揮者となる(ことができる気がする)必要があるのです。実際に指揮をするのは政府幹部か自衛隊幹部ですが。
 現状、自衛隊は特殊団体であり、国民的人民の立場移入の対象にはならないのです。
 私たちは警察の振る舞いを云々することができます。私たちは、公衆の安全を揺るがす他人の行為に対して、おこがましくも観念的に警察庁長官になれるのです。しかして当然に警察庁幹部以下警官は、容疑者を逮捕することができる。
 他方、私たちは災害以外のことに自衛隊を動かすことができない。なぜなら最高の指揮監督権を有する首相さえできないからです。
 正確にいえば、首相でさえ、「させることがない」。法的にはできのですが、実際にさせることはしない。しなければできないのと同じ。

 ここで「私たち」というのは、世間で権力を持ちうる「私たち」です。すなわち、戦前であれば地主層・ブルジョワジー。現代であれば、いまのところ国民一般。もっともそのうちに国民が分裂すれば、資本家層とプロレタリアートの2層の構成員のことです。

 ここで最高法規たる憲法によって自衛隊が合法化された場合、最高指揮官たる首相は、自衛隊を全ての軍事行動に投入できる。自衛隊は全ての軍事行動の主人公となる。
 現代の場合、人民たる私たちが自衛隊指揮官に観念的に同化する回路の成立は、同時に、兵士による自衛隊指揮官への回路を確保します。
 こうして、自衛隊は、国家構成員全体と同一化し、国民軍となる。

 この根拠は事実認知です。
 たとえばマルキストが「隈は右翼だ。やつはアベの秘書だ」といったとします。そうであればアベには僥倖ですが、この内容には2つだけ難点があります。隈がアベの秘書であることをアベは認識しておらず、また、アベには隈に仕事を依頼した認識がない。物事は事実認知がないと役には立たないのです。
 幸か不幸か自衛隊には、災害以外で人民の事実認知に関わる活動がない。この場合、自衛隊の兵力は潜在的可能性の認知に止まり、この認知は自衛隊幹部の業務上の認知以上にはならない。
 この現状から自衛隊の自由を獲得するには、運動による社会的事実の確立しかないのですが、幸か不幸か、自衛隊関係者の運動は、国家構成員全ての認識において、許されてはいないのです。
 ここで首相がどんな性格でもできることが憲法改悪です。
 「国家の防衛のために軍隊を置く」 という、他には何も要らないこの1行により、自衛隊は国家が明示的に認め、どんな一般人も認め、手放しで国家の防衛のための他国への軍備の活用が認められ、ついでにその軍備の一端を国内の治安に活用することができる。さらにそのことに左翼過激派以外は反論ができない体制が実現します。要するに他の帝国主義諸国家及び覇権主義国家、要するに本性を現した「ただの国家」と同じレベルにやっとなれることができるのです。
 
 さて、国防軍の成立の次に、首相が実際に軍を動かしますね。そうすると(運動が結果を出したのと同様の意味で)、最高指揮官が兵士を動かした、という事実は、最高指揮官との(現状では存在する)行為共同性を根拠に人民にもその権限の受領の夢想を与える。
 同様に、将兵も最高指揮官との行為共同性という根拠と、ならびに、人民の子であり友人である自分の存在という共同的根拠によって、最高指揮官であることの夢想を授かる。ここから(1佐であれ2士であれ、大佐であれ二等兵であれ)将兵の、主体的な政治介入が可能となります(年寄り用に注記すれば、主体的なら全部良いというわけではないのです。)。そして、実際に国防軍の意思が現実化したときに、すべてのサイクルが完結し、支配権力者は万能となるのです。(トランプも、バカでなければ万能だったのに。バカと知られちゃいけないね。)
 もっともとりあえずは将兵の方々は何もいえない。よく自民党が言い訳にするように、そうそう突然には物事は変わらない。が、始まれば条件が累積され加速度的に進む。で、とりあえず現状では、海外派遣を含めた軍事の立場からの自由な行為の事実の確立と、その一部の遂行(を形式的に、しかし民衆に明示的に、命ずる最高指揮官たる首相の姿)が必要なのです。
 それによって自由な将兵は、後で裏切られることを知らぬウヨやヤクザにとっても、革命寸前までは友である右翼にとっても、操作可能な権力であり、左翼にとっては現状では鎮圧部隊の確立となるのです。詳しくは言ってあげない。

 もっとも本当は、現状でも兵士が存在しているのだから自衛隊を軍隊に仕立てることもできます。が、それには首相に根性がいる。どこに根性のある人材が隠れているか分からないので、これも教えてあげない。

 さて、おしゃべりしすぎたきらいがありますが、こういう内容では、題がむつかしい。普通に書くと右翼もやって来るし。で普通に書きません。で、追記。
 この一般国民と兵士のように、ある社会的部位と別の社会的部位とは、カテゴリーとして分けられても相互的に規定される。
 この相互規定性を「相互関係」などといってすましていてはいけない。もちろん、兵士も同じ国民だから、などと一般化してもいけない。まず初めに分ける。しかして見直す。みられるように、弁証法とは相互関係ではないのです。一方関係の二重性というのが正しい。一方関係であるからその関係にある規定性が人間の頭脳でも理解できるのであって、「相互関係」の規定性は、人間には抽象的=無内容な「相互関係します」という意味しか理解ができないものです。そんな「意味」が存在するとして、ですが。
 もちろん分けないことはそれ以前の話。全部が霧の中です。「首相が現実に軍を動かせば、国民も兵隊も相互関係的に自分でも軍隊を動かせる気がするようになる。(そして実際に自分の計画に組み込み、社会に発声し、支配権力はその中で自分に都合のいい声を増幅させていく)」。前段は、なにもいっていない。(まあ隈の本文も簡単すぎますが)
 しかしてそれぞれの側面について見直す。
 最後に両者を合わせて把握する。二つの過程が生じているのが現実だ。というわけです。
 「それが正しい」ということではありません。それ以外に人間のアタマでは理解できないでしょ、ということなのです。
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時間は長い

2017-07-08 11:24:33 | 断片
 こんにちは。異常気象の今日この頃、集中豪雨も子供の頃より緯度で2度近く北上した気がします。九州北部はこのまえ「日照りで困った」 っていってたのにねえ。まあ雨は山部だけど。
 昨日は七夕。だけど晴れてて、もしかすると天の川が見えるかもと、ベランダに出て夜空を見上げてしまいました。
 が、そもそもほとんど満月(で明るすぎ)。田舎とはいえ川を渡れば東京。見えるものは他には木星(と思われる)ばかり。(ただ、夏の匂いがしました。それはそれでよかったですが。)
 天の川の影のごときものを見たのは今から50年前。もともと新暦の七夕は梅雨で、しょうがないのですが。以前にも書きましたが、本当は七夕は旧暦なので夏の夜空に織女星が真上に見えるのです。
 でもこの2、3年、厚い雲がないのですよ。去年も月は雲の透き間から見えたような。
 
 ところで都会の若人の方は夢をお持ちかもしれませんが、田舎に行っても星なんてそうそう見えるもんじゃございません。私の悪い目で見えたのは40年以上前、霧が峰高原の夏のキャンプで見た(降るような)星のみ。
 その後は夏休みに旅行をするたびに、宿の窓から見上げましたが、見えやしません。
 冬は寒いので見ようとしませんが、そもそも、冬の旅行先の空って雪雲ですし。
 夜、星を見るのは、非都会人の特権です。
 
 さて、都知事選挙から初めての更新のもよう。いまさらざまあみろ、と書いても気が抜けてますね。すでに感慨はみんなマスコミに言われてしまった。ブーメランあべ。だからいったじゃないか。ほんとにアベに右傾化は任せられない。任せてないけど。おかげで読みが狂って私がバカのようではないか。憲法改悪もしばらくナシかも。手下はみんなおしゃべりグマだし。「こんなやつら」を共謀罪化しようとしたって(工藤彰三衆院議員)軍隊ナシじゃなにもできんぞ。自衛隊は実は軍隊ではない。みな実践的にそれを知っているから憲法を変えようというわけだ。おしゃべり仲間の稲田というのもそういう生まれつきの性格なんだから止められっこない。文部大臣あたりにしておけばよかったのに。 
 
 田中俊一原子力規制委員会委員長もまた面白いことを(注意:「原発再稼動を実現する規制を考える委員会」委員長)。「2017年7月6日に北朝鮮のミサイルが落ちるならば原子力発電よりも東京都の方が良いと発言 (wiki)」。これも性格だね。ウィキで見たらもっと若いかと思ったらもう72歳なのだ。で、よく見たら会津高校だって。おやそうすると星先生(旦二さん。姓名分けないと検索に引っかかって)(首都大(≒都立大)名誉教授)と同期くらい? と思って調べたら、星さんはまだ67だと。そりゃ知らんかった。と思ってよく見たら、先生、高校卒業21歳だって(しかも早生まれ。普通の人+4年。なんて偉いんだろう。一回、会津工業高校を3年で中退したもよう。)。って、今回はそれをいいたかったのですが。(「先生」というのは医者だからに過ぎませんが、でもわたしゃクズの医者には先生なんていいませんし。十分、一人前以上の人。)
 ここんとこ何度も言ってますね。人生なんて世間の常識にとらわれちゃいかんぞね。ぞねは女言葉か。高校なんて遅れたってふつうに全国区の有名人になれます。
 50年生まれじゃ違うだろうけど、わたしらくらいの時は活動家で高校中退っていうのも相当いましたが大学検定で大学いったりして、また高校に入り直すっていうのは初聞きでした。先生、会津高校好きみたいで、それで知ってたのですが。 
 ちなみに「会津田島 天の川」で検索したら、即「福島県南会津町針生「みどりの広場」特設会場 ・内 容:夏の星空解説、天の川」と星さんの生まれた地区が出てきました。天の川は夏の会津南部なら見られます。会津若松には冬なら何回もいったのですが、いづれも雪空でした。

 今週の新聞にもスポーツを何ヶ月か努力して、努力もしてない人に負ける、という高校生のグチがありました。若すぎる人たちは、時間が短いものと思っているのね。
 若人の皆様も後輩等に、持ってる時間は長いのだよ、と教えてあげてください。
 その長い時間をかければ何でもできます。
 
 関係ないけど、最近エクスプローラー(10と表示される9)がフリーズするので(毎日電源強制終了してた)、いいことないなとブラウザをクロームに変えて見ましたら、展開が早いったら。なんだねエクスプローラー、ひどいもんだ。それとも壊れてるせいかね。
 ただし、使いづらいのと情報がグーグルにダダ漏れのもようなのでサーフィン用だけ。
 エクスプローラー12というのはほんとに出るのかね。
 エッジよりエクスプローラーのほうがましなんだけど。
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印象操作という常識

2017-07-01 11:50:01 | その他
 こんにちは。もう7月で。東京平地部は空梅雨ですが、それでもしけってて体調が悪い。身体を動かすのがめんどい。3ヶ月も通勤していない報いでしょうか。なんでも都合よくはいきません。
 
 本日のニュース、相変わらずろくなものなし。まずは、「大洗研被ばく 除染シャワー故障」。やつらのやることといったらこれだ。だから原発推進なんて恥ずかしくていえないんだよね、わたし。一から十までこれなんだから。原子炉が動いていること自体がおかしい。
 
 ついで、さっきyahooを見たら、なんでもアメリカではいよいよ「宇宙軍」を作るんだそうな。地上の殺し合いに飽き足らず、宇宙までも戦争かよ、と思えばロシアは昔から宇宙軍があるんだって? 分裂のどさくさなのにしっかりしたものだ。
 (しっかり=抜け目なく。近畿では使わないそうな)
 北朝鮮は、「我々の行為はほんとに子供の遊びだ」と感じ入るべきだね。
 
 ここんとこ朝日新聞神奈川版では県立横浜翠嵐高校の宣伝特集をやっていて、これは個人的になかなかよいニュース。旧制県立2中で名門だったのに高校紛争による公立のガタ落ちで2000年に東大合格者1人。それをガリ勉で34人まで伸ばしたんだって。わたしは神奈川県民なのでうれしい。公立だもの。わたしゃ怠け者なので行くのはごめんですが。今は生活保護で高校授業料もでるけど(つい最近からです)。東大を受けられる学力なら、中堅私大で授業料免除もオッケーじゃないだろうか。そうすると私立一貫校にいけなくても公立中学校でも子供が勉強するようになるし。もちろん高校まででいい人はそれでいいんですが、行きたい人は進学できる可能性が増える。
 だからいいとはいわないけどね。
 こういうどう転んでも全員がいい目に会うはずのないことは、わざわざいいというもんじゃございません。
 でもね、他人としては自分の中で希望にしても良い。自分が生き抜くわけじゃないからね。目の前に人間がいれば、その人間はなんとかより易く、なるべく苦労せずに生きていって欲しい。そう思わない人間はもう一度生き方を反省したほうが良い、というもの。

 3日前の朝日新聞にもよくわかった猫島のおばあさんがいて、エサをやる一方、避妊手術には何十匹も本土に捕まえて連れて行くんだけど、でもそうは捕まらない。それじゃ猫だらけになっちゃう。なのにそんなエサとかやっていいのか、って。
 「でも猫はあたしの目の前で生きてるんだからね。これはなんとかしなきゃいけないんだよ。あたしがいなくなったあとどうしていくか、それは他の人がどうするかそれは分からないけどね(趣旨)」
 おっしゃるとおり。そういうもんなんだよね、人間て。それだからようやく「人類でさえ生きていってよい」という資格が手に入る。
 夢多き中学生と野良猫って、オチが常識外れかね。
 おそらくいつものお客様には分かってくれるでしょう。

 さて、本題。将棋の藤井少年というのは世間一般の話題になったようで。公文式製、子供用の行き先を記した駒の将棋盤なんか9月まで予約いっぱいだそうで(ちょっと高いジジババのプレゼント用)。わたしなどあまり強さを信じてなかったですがこの連勝中にもどんどん強くなってるように見えます。ドラゴンボール現象ですね。明日も対局があって、相手は強いんだけど力のカラ回りタイプなので、リキ入り過ぎ、30連勝かな。子供がこんなに勝っちゃ夢がなくなってつまんないですね。他の人たちはなんのために一生かけて棋士になったのか。もっとも子供相手にやる気も起きないと思うんだけどなあ。報道陣的に完全アウェイだし。
 まあいずれにしても将棋なんて遊びだから、強いやつは2、3人いればいいんだけどね。
 世の中にはそれとは別に、強くなくとも良い人間という人たちがいればいい。負けた瀬川五段とか、師匠の杉本七段とか。その他若干名。将棋は我利主義者のやるものだから、そんなにいい人間はいないけどね。
 ともかく良いやつもいないなら、どんな強いやつがいようと、そんな世界は勝手に滅びるのが善いやね。将棋は強いやつの所有物ではなく、人民の貴重な遊びだからね。強いやつなどいなくとも後は素人のわれわれが末永く遊んで、インド以来の伝統を後世に伝えていくし。
 
 つい長くなって。どこが本題なんだ。
 そうじゃなくて本題があって、藤井少年の解説番組で将棋の久保王将が「少年がこんな良い手を出しました」とただの飛車と金の両取りの手を。ちょっと将棋を知ってりゃ誰でも考える上に、両取り回避も可能な手。
 「印象操作」だよね。(注:「印象操作」って、アベが自分へのマスコミの批判は不当だといって、身の程知らずに発した言葉です。「それは印象操作だ」。へっ。)
 両取りの手なら知らない人は「おお」と思うし。将棋を知ってる人は「まあ知らない人用の解説だから」と思うし。
 この後段。みんな仕事でやってるよね。
 素人なんてほんとのこと言ったってわかんないんだもんね。なんとか誰でも分かる、ように思える、しかし意味のない話題をマスコミ等に出す。
 でさ、若人の諸君。印象操作には約束があって、玄人用に、実質同じだけの驚きが隠されてんだよね。だから専門家同士でも「驚きの研究成果だって? くだらないニュース発表しやがって。まあトーシローにはわかんないからしょうがない。しかし、この裏の仕様にはほんとにびっくりだ。うちの社も何とかしないと」 と思うわけ。
 結局素人さんは味噌っかすのいわゆる「お客さん」。すべては、どう、素人を騙さずに、うそに近い情報によってほんとに近い結果情報を与えられるか、という問題。
 これを「印象操作だ」とか言い出すのは、その暗黙の取り決めを破ったやぶれかぶれの仕儀。アベの話です。ネットのガキなんか右も左も知らないから「そりゃそうだ」とか思うが、世の中表面の論理なんかでは決して進んでいない。
 与党政治家なんざどんなやつだって官僚ならだれでも便宜を図ってるでしょ。そんなこたあ世間じゃ常識。ただ苦々しく思うばかり。そこに隙がありゃあ百倍返しも当然の仕儀。後ろめたくないやつだけが文句を言え。あ、そんな感性とうに捨てたか。

 と思えば、昨日の朝日新聞、絵本の紹介。
 『お空に帰った赤ちゃんは、お母さんに会いたくて来たんだよ。だから自分を責めないで――。長崎県の薬店で生まれた絵本に共感が広がっている。流産で悲しむ人に寄り添うストーリーで、題名は「ちいさな天使のものがたり」。』
『天使が神様に「あのお母さんのところに行きたい」とせがむ。神様は「あのお母さんはがんばり屋さんだから、ちからを使いきってしまうかも」と心配し、「お母さんのちからがなくならないだけの時間をあげよう」と送り出す。天使はおなかで幸せな時間を過ごし、約束の時間に空へ帰る。お母さんが「来てくれてありがとう」と空に向かって言うと、天使は笑ってうなずく――。』
 これも印象操作。ほんとうのテーマは赤ちゃんがそう思ったかどうか、ではない。自分にあった出来事を自分の人生にどう組み込んでゆくか、という問題。そのお手伝いがこうした絵本。人間の世界は観念的なものです。このとき「みんな」は家族になれる。
 これはクリスチャンだけど、中絶であれば以前聞いた真言宗のおばあさん説教師のコトバを思い出しますね。『若くても年寄りでも、人間、仏さんが「もういいよ、こっちおいで」、というときに死ぬんだよ。仏さんはみんな見てらっしゃるから何も心配いらない。』
 なかなかですね。これも問題はなぜ死んだかではなく、出来事を組み込む手助けの操作。無信仰者にはウソかもしれないが、宗教者が伝えたいことはそういうことではない。
 自分の人生は自分で組んでいかなくてはなりません。悲しんでるだけなら人がなんのために死んだか分からない。あるいは自分がなんのために生きているか分からない。自分の人生をなかったことにしてはいけない。
  
コメント
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