リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

社会犯4態

2010-03-29 21:00:10 | 断片
 お寒うございます。私でも風邪を引きそう。


 さらに寒々しく、朝日夕刊にはギョーザ犯の実家の記事が。障害者のお母さんにどこにでもいる農家のお父さん、写真の犯人はまじめそうな顔をして。
 それは、村の共同性も崩れ、遠く離れた都会で誰も友達ではない中国に限った話ではあるけれど

 人に見えないビルの内部で大便をする小学生、、、
 いまどきは防犯カメラが動いてるんだよ、、、

 家庭もち右翼。ヤクザのことですが。
 ヤクザだって家庭は持ちたいやね、男らしい??とかって、女はバカだし。
 そして女に飽きればヤクザ稼業に戻っていく。土曜日は街宣車に乗って
 
 どれも他人のせいにできる人たち 3態。
 
 国家が悪い。それでも社会主義国家か。
 親が悪い。知恵遅れだって、教えてやればダメかどうかは分別するさ。
 育ちが悪い。それでも友達になってくれたのが、先輩ヤクザさ。
     ああ、、今日は寒い。


 それにしても他の誰も悪くない金の亡者。そこらをうろちょろしている。


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他国へ介入できる範囲

2010-03-28 11:16:35 | 歴史への視角
 こんにちは
 金曜日は1年ぶりくらいで、飲む人たちと飲み会。なかなか表現が微妙ですが、飲まない人たちとか嗜む人たちとか飲みすぎる人たちなんかだと遅くならないのですが、10年ぶりらいに最終電車に乗ってしまいました。(いつもは最終1本前に乗れるように帰る)
 年度末なんでしょうか、すし詰め。こんなだったっけ。乗れない人はどうなるんだろう、って、自分も最終出発が10分遅れなかったらそうなったのですが。ま、世の中そんなもんですよね。(どんなもんだ)
 

 さて、今日の朝日新聞書評は、サマンサ・パワーとか言う人の「集団人間破壊の時代」とか言うほんの話があって。久保文明とかいう東大教授。
 久保が言うには、〈アメリカ国家やアメリカ市民が、各国(各地)のジェノサイドを止められたのに止めなかった、これが問題だ〉、という本だそうです。(〈 〉は分かりやすくしただけで、引用ではありません。いやなら、そういう誤解が与えられるような書き方はするな、ということでもあります。誰が新聞を引用符で読むか。)
 
 なんちゅうか、まあ。
 これじゃブッシュとどこが違うのか。久保は、ぜんぜんわかっていない。
 (サマンサという人は、いい人なんでしょうが)
 悪いことをしてたら介入せよ、ってことなら、アメリカの非人道的諸制度にも日本は介入しなくてはならないな。どうせ言っても聞きやしないからカミカゼ精神で自衛隊機にワシントンに特攻させなければならない。
 それでよいのか。

 じゃあ、悪いことをほっておいていいと言うのか、って、悪いこと一般なんてないのだよ。世間は、歴史的にしか動かないのだ。
 江戸中期、いくら女郎制度を解体しても、それは女郎を飢え死にさせるだけだ。
 食うものもなく争闘している部族を止めるのは、ごく一部の狂気の若者を殺す以外に、その後10年間食料が手に入る環境を与えなければならない。アメリカがそれをするというのか。
 しかし、一方、他国家が介入できる悪もある。
 それは経済問題に関わらない、武力権力の行使に由来する国家自体の施策だ。
 「支配暴力の」悪は、一人一人の民衆には関わらない。民衆は環境の変化に沿って自分の生活を変えるのみだ。彼らは今までどおりに不自由ではあるが、今までどおりには自由である。 
 統一された国家で生ずる国家の施策上のジェノサイドに限っては、これを国家や他国の民衆が止めようと努力することができる。ユダヤ人虐殺のような。
 女郎制度は解体すれば悲惨が生ずるが、江戸各藩の農民収奪支配体制を江戸中央幕府が変え、その後、女衒を伝馬町に送って女郎を農村に返せば、女郎制度は解体される。
 
 アメリカの政治家はいざ知らず、天国日本の評論家はそのくらいの違いをわきまえて伝えていかなければならない。あ、教授だからアホでもよいのか。(と、書いてから、もしかして人の良い人で失礼かも知れぬ、と久保という人を検索しましたら、ただの解説者のもよう。東大教授でただの解説者(の立場を崩さない)という見識はなかなかなものです)
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負けてるなあ

2010-03-21 17:21:05 | その他
 こんにちは。昨夜はひどい風で。台風以上でした。
 それでも朝起きる頃になるともう止んで、ヒヨドリやシジュウカラやらが辛夷の花を食べにきてましたが、この台風のさなかどうしてたんでしょうか
 と、ネット検索をしたんですが、よくわかりませんでした。大きな鳥は風に向かって立ってるようですが。
 中に「岩穴にいる」という証言もありましたが、さすがにこの辺には岩穴なんてないし。ヘタなとこに逃げると、猫も避難してるでしょうしねえ、、、

 さてさて、前回、自民党の悪口なんかわざわざ私が書かなくたって、と書いたものですが、
 どうもそれでいいものか

 本日の朝日新聞はでかでかと御手洗富士夫経団連会長の弁舌が。
 御手洗というのは、キャノンの「毅」の子じゃなくて、甥っ子だそうで。
 キャノンの御手洗といえば、金儲け派とはいえそこそこな人で、私はニコンファンですがあまり反感はなかったのですが、この人はwikiによると
 
「2006年10月13日の経済財政諮問会議の席上で、請負の法制について「無理がありすぎる」と不満を表明[3]した。 その一方で、キヤノンの役員報酬は2003年に1億3900万から2006年の間に2億2200万と2倍近くに引き上げている」人だそうで。
 なんじゃ、この役員報酬の単位は、と思うところですが、代表取締役レベルのようですね。
 「請負の法制」とゆうのは、派遣等の規制法のことで。
 こんなのが偉そうに朝日新聞上で、グローバリズムが国益と国民益に合致してる旨語るんだから世も末です。
 しゃべったっていいが、それに対抗する勢力がないところがね。困ったものだ。明日の朝刊で誰が一般労働者のことをしゃべれるのか。弁護士に聞きました:失業者かわいそう、が、せいぜいだよね。
 
 朝日でもアエラは多少はましで、
 (キャノンの1970年代社長報酬なんか、2千万台以下のはずだ、という信念で検索したところ、) アエラじゃ

「財務省の法人企業統計を使って、企業の利益が株主、役員、従業員の間でどのように分配されてきたかを調べてみた。1988年度から2007年度までの20年間で、経常利益が2倍になる一方、一人あたり役員給与は1.5倍、株主配当に至っては4倍以上に伸びていた。
 一方で、唯一マイナスになった指標がある。一人あたり従業員給与だ。
 (略) 
 「いざなぎ超え」と呼ばれた02年以降の好景気。なぜ、従業員の給料は上がらなかったのか。 (略)
 非正規労働者の雇用を進める政策のおかげで、低賃金の派遣社員や請負労働に企業が依存するようになった。正社員の立場も、足並みをそろえるように弱まった。
 北井氏(伊藤忠商事のチーフエコノミスト)が説く。
 「景気拡大局面で従業員の給料を上げておけば、大きな内需が生まれたはず。企業がこれほど輸出に頼る必要はなく、日本国内への投資も進んだだろう」
AERA:2009年7月13日号

 まあ、新聞よりはましですね。
 
 なお、上記で〈1988年度からの20年間〉というのもいまいちな認識で、厚生労働省は〈2000年からの5年で2倍〉と書いております。これは2000年の前が怪しいものですので(対象次第でどうでもね)、あと野村総研と早稲田大学もおいときましょ。

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je07/07f11150.html
http://www.nomura.co.jp/market/report/zaikai/pdf/20071001_2.pdf#search='役員報酬 推移'
http://www.waseda.jp/wnfs/pdf/labo3_2003/WIFS-03-001.pdf#search='役員報酬 推移'

 とゆうようなことをわざわざ調べないと書けない、あるいはこんなド・マイナーなブログにしか載らない、という状況はなんなんでしょうねえ、、、
 
    (なお、それと、税金も金持ちに限っては、ど~~んと軽くなってることをお忘れなく。)
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イムジン河

2010-03-15 22:12:07 | 歴史への視角
 こんばんは。今日も寒くて、という言葉に賛同してくれる人は、東京地方じゃいませんよね。
 私の行動実態を知ってる人はなおさらですが、、、ああ寒かった。

 さて、こうゆう理屈こねて生きてる稼業って、どうしても身内攻撃になりやすいんですよね。つぶれちまえばいい自民党でなく社民党の悪口を言ったりね。自民党の悪口なんて、だれでもいえるだろ、私が出る幕じゃない、みたいな感覚で。
 まあ、そのへんは、読む人に大人になってもらって。今日は、反北朝鮮派に大人になってもらいましょう。

 私儀、考えてないときは歌を歌っているというきりぎりす。
 ふと、風呂に入るとき、イムジン河(北朝鮮承認版)が口に出てまして、1、2週前に朝日新聞で書いてましたが、こっちのほうがフォーククルーセダーズ版より明るいんですね。でもフォークル版の方がきれいだったよな、と、松山猛:加藤和彦編曲のイムジン河を口ずさんだところ、もう北朝鮮版は頭に浮かばない。
 おそるべし加藤:松山。てわけでもないけど、やはり日本版のほうが名曲です。

 とはいえ、その頃対抗した北朝鮮版は明るく、、、それにしても一度フォークル版が湧くと、思い出すのが大変だ、えーーと、、、
「風よ、川面をかけてゆけ、春風よ、とどけよ」(南朝鮮にも自由を!)
 とゆうように、北朝鮮民衆も歌えたわけです。

 1957年(というイムジン河・歌曲作成時)、北朝鮮は、そこそこ未来志向で、民衆には理想と自信があった。いまどきの独裁体制でもなく、アメリカ軍と結託して家族類縁を殺した売国奴(韓国のことです)に目に物見せてくれようか、みたいなとこで。
 
 さてと、何をいいたいかというと、上記が本当かどうかは別として、そういう民衆の視点を抜きにして、アナーキストはおしゃべりしてはいけない。ということで。
 もちろん、アナーキスト本人はしませんが、無政府主義者とはそういう人々のことだ、といことを普通の人に話しておくというか。
 独裁は無政府主義者の敵だけれど、かといってそこで生きている人間、民衆の、その生きているプライドを忘れれば、「人殺し」 ブッシュと 「何一つ」、髪の毛一筋、変わらない、ということです。違いは、権力を握っていないただの市井人というだけ。簡単にいって、あなたも世が世なれば北朝鮮で生きている。そこで、運良く食えてるか運悪く農村で飢えているかは別として、いくら飢えていても他国に侵略されるよりましだと思いませんか? ましです。 それを忘れて、圧倒的な軍事力を持つ者が言いたいことをいってはいけない。(わたしなど、酒飲み話では言いますが)
 
 さらに、いって、拉致で怒るのは当然至極ですが、それでも違和感は、拉致された人間は、仮に生きているとすれば、今までどうにかこうにかして生きてきたんだ、ということです。なんか、反対派ってそれを忘れてないかなあ、っていうか、想うような人は100人に1人のような。端的に言えば、恐ろしくてそんなやつらの前に出ていけない、というか。前に出て行くにはこの30年を捨て去った顔で現れなければならない。
 こういうと、奪還運動に差し障るから大きな声では言いませんが、絶対自由主義者とは、拉致された人間がどうやって今生きているのか、を忘れてない人間のことです。親の気持ちがどうとか、って、そうじゃない。評論家になっちゃダメですよ。生きている人間は、私、あなた、彼、彼女、そうした1人だけです。
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文書ソフト昔話

2010-03-14 10:32:31 | コーヒーブレイク
 こんにちは。
 部屋の中は寒いけれど東京地方は晴れ、サッシの向こうの景色は陽光うららかにも見えます。
 木の芽もふくらんでいるような。
 
 今日の題は、マイフェイボリットシング、一太郎。(普段は、勤務用に、ワードを入れてるのですが)
 
 次回配本作業も、では、索引(用の単語登録)でも作ろうか、というところとなり。
 
 この索引というのは初めてで、「変革の規制」のときは(10年位前)考えはしたのですが、その頃のパソコンにはとてもそんな能力がなく(ウインドウズ95で動くもの。機能は名目上ついてましたけど)。
 だいたい、一太郎はようやく動くのですが、ワード(98)なんかまともに動きゃしない。
 その頃のワードの能力は、せいぜい日本語A4で20ページもの。
 一太郎でも100枚はきついくらいで。
   動かすと壊れました。
   基本はもちろんファイルが壊れるんですが、もっと昔、一太郎100枚くらいロードさせて、パソコンの基盤が壊れたことがあります。(普段は昔からエディターで書いている。今でもそうですが)
 
 そんな時代から幾星霜、なんだやっぱりだめじゃんぽい、ワード索引作成。
 〈作業の最後に、本文のみのファイルにして、作って保存、漢字が同一なら全部登録されてしまう、選り好みはできない〉、なんて書いてあるよ。〈失敗には、再度登録やり直しあるのみ、に近い〉、だって。
 だいたい、わたし、ぜんぜん信じてないんだよね、マイクロソフト。
 この15年間、一度だって助けてくれたことないし。XPのバージョンアップできなくて、バイオ使用不可同然になったし(SP4にしないと何も使えない)。(そういや、2度とソニーPCは買わないんだ。機械は壊れるし、ここも何も助けてくれないし)

 で、そんなら一太郎にファイル変換して索引を作ろうかな、と思って、(私は一太郎の正規ユーザー。付属の一太郎もあったけど、ちゃんとカネ出して単体ファイルまで買っております。ATOK偉いし) ネットで、一太郎の索引作成方法情報を探したら、これが、ない。
 一太郎なんて情報、ないも同然。
 ああ、可哀想に。
 その昔、ワードなんてマイナーもマイナーで、マイクロソフトはタダでパソコンにつけたんだよ。
 今でもついてる、じゃなくて、昔はタダなの。正確には「タダ同然」だけど。
 コピーも勝手にしてください、状況でさ。違法だって? そうじゃなくて、わざわざ「プロテクトはつけません」、て雑誌記事にしたくらいさ(昔のソフトはコピーも2度使用もできなかった)。
 そんな無名のソフトが日本中を席巻して、今じゃふんぞりかえって、1台1ソフトです、それ以外は動きません、などと。
(なお、エクセルは昔から有名な優れものソフトでした)(その頃の第1シェアのロータス123というエクセルより機能が落ちるくせにケチなソフトは、「当社のフロッピーは1回しか使えません」とやって、つぶれてしまった。私はこれもカネ出して買った正規ユーザー)
 
 話し長いなあ、もうやめよう。
 そんなこんなの今日この頃、みなさま一太郎も使ってあげてくださいませ。
 
   どうも「断片」ブログは下品なので、ちょっと表面づら(最上段ページ)を直そうかと。
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お坊さん2種

2010-03-13 22:03:01 | 断片
 こんばんは。今日に限っては温かい東京地方、今日は「断片」、酔言のことで。
 題は、普通ですと「僧侶2種」とかいうところですが、
 
 川浪 剛さん(多分。今「釜が崎 僧侶」で検索しただけで)この人が大谷派真宗、要するに「お東さん」ですね)のお坊さんで釜ヶ崎で街づくりをしてらっしゃる。(釜ヶ崎って、東京の山谷みたいなところで)
 その話が朝日新聞の4,5日前に載ってまして、ほう、立派な人もいるもんだ、と感心。
 何が感心かって、この人、布教しないんだって。
 ただひたすら、街づくりをする。そりゃ自分の考えを話せば仏教なんだろうけどね、それは布教じゃないし。
 偉いもんさあ、私の言葉でいえば、宗教を思想にしてないんだよね。ひたすら自分の倫理にしている。ここで人に尽くすのが仏の教えを生きることだ。しかも自分さえよければいい禅宗じゃないんだよ、念仏衆の浄土真宗。人様を「念仏でお助け」する宗派さ。これが、牧師なんざとも違って、「福音もしない」ってことさあ。
 偉い。
 
 一方、今日の夕食のテレビは、恥ずかしくないか、臨済宗(禅宗です)。天龍寺じゃ、観光客に飯食わせて金儲けしとるとよ。麦飯にたくわんなんかじゃない大御馳走。料理大好きおばさん好み。
 仏罰が下るぞ。
 
 いいんだよ、誰だって人並みに暮らしたいやね。それには先立つもんがないとね。坊主だって金儲けしたいだろうさ。
 しかしよお、それって、私なんかのサラリーマンと一緒だぜ。金臨済(こんりんざい)偉そうな顔すんなよ。
 おれなんか偉そうなこと言ったことないからね。サラリーマンだから。自分のしてることぐらい知ってらあ。だけどお前もそうだぞ、天龍寺。お前らは人に偉そうにして何ボのはずだろ。
 
 そう思えば川浪さんという人を褒めるのが分かるでしょ。
 偉い。
 
 ほとんどいないんだよね、こんな人。
 極左(幹部)もヤクザ(現代語でウヨというのかな)も(およそ宗教やら思想やらの近くに居る人間は)、人に飯食わせてもらって偉そうなことを言うだけだからね。ほんと、死んでいいぜ。
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政治に調整はいらない

2010-03-07 21:07:17 | 歴史への視角
こんばんは。いやこの題は不正確で、極左に調整はいらないとか、野党であるべき党派が、一人前に調整づらするな、とか。
 どうにせよ、ほんとの主題は、また違うので。
 
 ほんとの主題?
 
 さて、感情と論理は、どちらが重要?
 隈のような科学主義者は、論理が重要だろう、と思ったら間違い。
 昔、ヘーゲルは、人間が無反省に現実を睥睨(へいげい・たかをくくって偉そうに見る)することを、「悟性」と呼んで諌めました。
 そうじゃないんだって。人は、感情を忘れたりはしない。神もそれはご存知だ.かくして、世界というのは、悟性ではなく、理性にのっとって進む。

 飛びますね。
 で、テーマの入り口ですが、
 社民党の党首が、沖縄基地問題で民主党党首と検討を重ねたそうな。
 
 だからそうじゃないんだってば。ああた、検討して妥当な線を見出そうとしたんでしょ?
 (ほら、最初のコメンターさんが、党首のファンだから、私は遠慮しています。
  そりゃ、当然払う敬意ってもんです。コメンターさんへの、ですが)
 世の中にフィットすることは、すべて悟性の問題、知恵薄き人間の問題なのです。
 ほっておけば、全ての考えは「現在がどうだから」、という考えを生む。
 あなたも私も、現在はこうゆう状況だから、「こうするしかないじゃないか」、そう考えて満足する、それは知性ある人間、誰もがやることだ。
 さてはて、それで現在が変えられるのか?

 しかして、それは、ヘーゲル的にはバカの仕業であり、われわれ的には資本主義の流れに乗っている、それだけの時間経過に過ぎない。
 そんなものに社民党党首が時間を費やす必要などありはしない。どっかの中立的な国家官僚(そんなものは日本に限ってはざらにいるが) が一人居れば済む仕業だ。

 そうじゃないの。
 社会にとって妥当な、なあなあな「検討」など、自民党で十分なの。
 妥当ではない、それをすると東京都民が困る、大阪府民が困る、神奈川県民が困る、到底実現不可能な、しかし、沖縄県民にすればそれが、東京や大阪や神奈川の工場設備と引き換えに欲しいものなのです。

 そんなの実現不可能だって? そう、そういってくれる人がいないと、この話が続きません。
 そんなのは日本の現実で実現不可能なのです。
 しかし、それは実現させなければならない。
 「何言ってんだよ、できないって言ってるじゃないかよ」 って。
 それが、ようやく、始めの一歩なのです。
 それが矛盾というものです。

 この実現させなければならない矛盾を引き受ける人間が持たなければならないものが、第1に、感情です。
 「ヤマトンチュウ許してなるものか」「先祖の恨みを覚えよ」 何でもいいのですが、まず人間の気持ち、これがないなら問題など生じません。でも問題は生じている、この感情を分かった人間は、ついで、この感情を持続させなければならない。このつまんない話が、世間の人は知らない、『重要な』課題なのです。
 その次に、矛盾といわれようがこれは解決しなければならない。
 つまり、第2に、この気持ちの実現方法の認識です。この第2をつかさどるものが、ヘーゲルにとっては理性です。
 じゃあ、どうしたらいいの? 実はヘーゲルにはそんな悩みはなかったが、ヘーゲル以後、しかし、どうやってそんな世ができるのか、弟子たちが考えつづけた、これをヘーゲル左派といいます。
 いつか、そんな世が来るのだ、消え入りそうな感情を支えていくもの、それが歴史の希望としてある。そこでヘーゲル左派の人々が提出しつづけたのが、「人間」なのでした。
 へーゲリアンは、神の変わりに人間を据えた。それはこういうことです。

 (それがわからない自称哲学者が、いくらヘーゲルのドイツ語を訳してみたところで、何の意義もありはしません。「哲学者」なんて名前は返上しな。)

 中間が長い。
 かくて、世の中を変えたい人間は、調整してはならない。
 悲しみや苦しみを知る人間に大切なものは、否定する感情なのだ。
 これを忘れたら、それは国家官僚だ。
 (官僚をけなしちゃあないぜ。逆に、官僚は食うための所作だが、政治家は自分で採りつづけている道だ、というのっぴきならない事情があるだろ、といっている)

 (この辺で、切るけど、感情とか信念なんて、実は人間にはないんだよね。
  じゃあなにがあるんだ? そっから先は、行為理論の出番なんだよね)


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