リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

賞味期限超過+α

2019-08-31 14:33:13 | 歴史への視角
 こんにちは。東京地方、秋の長雨が始まったようで。なんか夏休みが終わった気がしますが、ここらの子供はもう今週からランドセルしょって授業してて、可哀想にね。子供の頃は夏休み終わるのは淋しかったですね。高校の頃は学校が始まってうれしかったですが。

 さて、今日はたいしたことがありませんで。まあ悪口の種はいろいろメモしましたが、引用して貼り付ける量に引き合う意義かというと、それもくだらない。
 先に役に立つことだけ言っておきましょう。
 
 その1。
 明日は防災の日、貯蔵缶詰の点検もなさることでしょうが、去年の暮れにご報告したアキモトのパン缶、最後に残っていたものを食してみました。製造後、58ヶ月です。ちょっと化学物質の味がしてきました(本当は賞味期限37ヶ月)。まあこの辺が限界かもしれません。胃腸への影響ではどなた様も無事かと思われますが、肝臓や神経系に毒かも。わたしはどうせ先が短いのでかまいませんが。
 なお、先日パン缶追加品を買いましたが,amazonから買うと、口コミ通り、残りが2年2ヶ月(26ヶ月)しかありません。お気をつけください。防災フェアで、東急ハンズとかで買うのがいいのでは?
 
 その2。
 カップヌードル3月12日賞味期限、先週発見。たかだか5ヵ月半超過、と思いながらも、ネット情報ではすぐにもまずくなるようなことが書いてあって、私らしくもなく躊躇(ちゅうちょ)。開けてみてやはりもともと得体の知れない加薬は気持ち悪いので捨てて、麺だけ食べました。麺だけならぜんぜんオッケー。つゆ? 捨てました。
 ついでに一緒に見つけた6月12日期限のスーパーPB(日清食品製造)。これは(別の日)余裕で食べましたぜ。塩辛くて味はいわないとして、多少化薬が硬いくらいでつゆも問題なし。
 というわけで、結論はやはり評判どおり、カップ麺は期限後3ヶ月は越えないようにしましょう。
 
 その3。
 食べ物ではありませんが、アースノーマット。他と併用してたので4年目に入ってましたが、これは使用期限表示なし。なんでも3年以上OKなら書かなくていいそうで。で、うちのアース、蚊も気分が悪いようで隣の部屋等に逃げはするようですがどうも不安、と思っていたらつけてて刺されたので、買い換えました。そしたら刺されなくなったから違いがあるようです。4年経ったものは私は勧めませんよ。
 その際知ったのですが、エアコンて換気されないって知ってた? 昔エアコンを持ってた友人から「換気で真空になるのでドアが開かなくなる」ときいたので「そうか」と信じてましたが、実は換気されないって。初めて知りました。殺虫薬品も部屋に充満するので、お気をつけください。
 
 あとはくだらないなあ、、、感想のメモはあるけど、「バカ」か「よかったね」なので、今日はここまで。それではまた来週。
 
 というわけで、以下は個人的感想。まずは引用。 
 「アフリカ南部モザンビークで、日本の農業支援事業が小規模農家の土地収奪につながっているとして、アフリカ開発会議(TICAD)に合わせ北部ナンプラ州から来日した農民団体代表コスタ・エステバオさんが見直しを求めている」
 「エステバオさんが被害を訴えているのは、ナンプラ州で国際協力機構(JICA)が進める「プロサバンナ事業」。JICAは、モザンビークの農民について、小規模で技術も伝統的なものに限られ、生産性は高くないと考えている。JICAによれば、「適切な農業技術の導入により生産性・生産量の向上を図る」ことが事業の狙いという。」 
 「現地では小さな農家の土地が収用され、ブルドーザーで整地されては、輸出用の大豆農場に変えられている。「モザンビーク政府は各種国際フォーラムの場で『いくらでも土地はあるので投資してほしい』と外国に呼び掛けている。しかし、余っている土地はない。土地をめぐる紛争さえ起きている」と主張。」(時事通信)
 
 こうゆうの知ってる? 社会学の若い人は知らないでしょう。歴史学や地理学のほうがわかるはずだと思われますが。
 ときどきここでも書くように、封建以前や後進国の包括国家というのは「国家」じゃないんだよね。これは宣言だけ国家。「領域宣言国家」と個人的に呼びますが、実は支配権力者が掌握しているのは領主層だけ。「反抗するなら武力を送るぞ。『剣か、それともパンをよこすか』」という低劣な脅しで下位の領主(首長・族長)を掌握しているだけの国家なのです。そしてこの低劣な脅しが、全部人民にそのままパスされる。こういう自称国家では人民はいい迷惑で、何一つ見返りのないまま、常に「国家」によって生産手段を取り上げられる。
 他方、資本投下国家人民は、「あの後進国を助けて金持ちにしてやった」「文明国にしてやった」と、英雄気取り、善人気取りをする、というわけです。
 これが資本の原始的蓄積であり、現在は後進国での原始的蓄積の基本です。原始的蓄積は別に「羊に食われる」ばかりじゃないのです。
 ということが、さてどれだけの読者にとって当たり前なんだろうか、というのが個人的な問題。実はこの手の事情は、私の次の論考原文では既に前提なんだよね。前提だからわざわざ書かない。私の論の本体ではないから書くだけムダだもん。
 のだけれど、これは教科書に載ってないので参考文献がいる、ともいえる。しかし、植民地に毛の生えたような時代はともかく、こうした新しい話題を扱う日本の書物はどれも、JICAの兄弟のJETRO・アジア経済研究所製なので、個別地域の刺身のつまくらいにしか載っていない。個別地域じゃ説得力が薄く、もう少しまとめて書いてもらえば参考文献に載せやすいのですが。だいたいこっちは当たり前だと思っているのでわざわざ参考文献に引くのもいやだ。
 というわけで、このレベルの文献はネグっちゃおう、と思っていたところ、ちょっと反省がいるかと言う気がもたげてきて、面倒この上ない。
 ま、感想というより、ぐちかな。
 
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メール障害です

2019-08-26 20:00:23 | その他
 現在、隈栄二郎のメール登録のサーバーが障害にあっているもようです。
 要するにホームページにある dantes以下のアドレス これは動いていません。

 すぐ復旧するのではないかと思いますが、「思いついたからメールしたい」という方は 
 nndantes1869アットマークyahoo.co.jp
 あてお送りください。
 その際上記の「アットマーク」は@に変えてください。
 
 なお、このアドレスは通常は月一しか見ません。なので実用的には今だけのことですのでご注意ください。

 ほんと、生活の窓がメールしかないと、気の小さい隈としては、苦労します。自分のせいですが。


(その後のP.S.)8月27日の17時ごろ、サーバー復帰しました。なので、それ以前にいただいたメールは宙に消えましたので、拝見できていません、まあないでしょうけど。

 というわけで、サーバー脆弱ですので(かよわいということです)、またそのうち障害があるでしょうから、このページは残しておきます。反応がないのは隈の性格上変ですので、着いてなさそうでしたら、2、3日後もう一回メールいただければ幸いです。
 
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方法としての弁証法・応用の部(その3)

2019-08-24 13:04:26 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。毎日「4日後は涼しくなるのか」と思わさせるべく書かれ続けてきた天気予報、もちろん前日になればウソだとばれるのですが、ばれればウソついてもいいのか。しかしそれもようやく半ばは当たるようになって来ました。ともかくお互いよかった。
 というわけで、もうツクツクボウシも鳴き出しています。夏も終わりに近づいてますが、みなさんやり残したことがありませんか? スイカ食べた? もうなくなっちゃうよ。昔はお盆には、三角山に切ってみんなで食べたものですが、最近はスイカ嫌いの人が目につきますね。昔から居たは居たけど他にごちそうもなかったからね。

 さて、ニュースは?
 「韓国青瓦台(大統領府)は22日、日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を更新しないことを決めたと発表した。」(ソウル聯合ニュース)
 ははあ。文という男の思い通りですね。そうこなくちゃ朝鮮統一には近づかない。日本もアメリカもジャマだからね、文も役者だねえ。韓国民が気がつくときには周りに誰も仲間はいず、韓国の頼りは隣りの「同胞」だけ、というわけだ。ま、それもいいけどね。あのブタさえ居なければ。
 おっと、のっけから過激な真実を書いてしまった。
 それにしても対外敵視政策というのは威力があるね。多少の経済的軍事的損失などどうでもいい、と下層市民が納得。
 唐突ですが、60年安保反対運動の原動力は厭戦+愛国だと思っていたけど、厭戦+反米だったのかもしれないね。こういう感性は何しろ生きていなかったから分からない。多少ウソだけど。
 
 次。「横浜市の林文子市長は22日午後、カジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致を正式に表明した。立地場所は横浜港の山下ふ頭を想定する。」(日経)
 自分さえよけりゃ他人がどうなろうと知ったこっちゃない横浜市。クズだな。
 でも「だまし討ち」のようだから、いちおうクズは「横浜市長」だけにしとくか。
  
 ではちょっとほのぼの。 
 「ニュージーランド議会で21日、与党議員が赤ちゃん誕生後に赤ちゃんを連れて初めて登院したところ、審議中に議長が議長席で代わりに赤ちゃんを抱き、哺乳瓶でミルクを与えながら議事を進める一幕があった。レヴァー・マラード議長は、議長席でタマティ・コフィー議員の息子を抱いている自分の姿をツイートした。」「育児休暇をとっていたコフィー議員は21日、初めて息子を連れて議会審議に出席。自分も3人の子供がいるマラード議長が、議長席でベビーシッターの役を買って出た。」(BBC)
 マラードってじいさん。やるじゃん、ニュージーランド。羊たちの怨霊にもめげず捕鯨の悪口をいう癖をやめれば、まともな国かも。

 さて、本論です。方法としての弁証法・応用の部、その3。
 (その2)は昔になってしまいました(2018-09-29)が、「論文にしたいが、どうも主眼が少し違うと思う2個の別々なテーマは、二つに分けて弁証法を使えばよい」「継時的なテーマ付随する場合も、改めて別に扱えばよい」と言って終わったところでした。
 ここんとこ感想ばかりなので、この続きです。
 このとき、ロマンチックな若人の哲学徒は、「それなら、2個目のテーマをその前のテーマとくっつけた感じで円環をつくり、全体的な新しい円環で提出したらいいのではないか」とお考えになるかもしれません。
 が、それは哲学上の理屈で、社会科学のような要素がたくさんある世界においては、それはできない(場合が圧倒的な)のです。ということを追加しようと思って。
 抽象的に言えば、弁証法は、研究目的として抽出した目的に外れる要素を組み込むことができません。
 たとえば、自動車の仕組みの解明について、ガソリンエンジンとハンドルと、タイヤにアクセル、ブレーキと、と、自動車部品の仕組みを解明して、自動車を全体的に説明することはできる。この場合、自動車は部品を取り替えれば半永久的に使えるので正しくも普遍的な理論です。
 しかし、世の中は自動車がぽつんと置いてあるのではありません。自動車は使う人間がいます。その人間が、次第に多量になった自動車を見て、このガソリンの排ガスには耐え切れない、といえば、半永久的だった自動車の存在は、モーターカーに変わります。問題は、この変化は、自動車の仕組みの精密な論議には一切でてこないものなのだ、ということです。じゃあ、この人間も組み込んで円環を作れないか、と言えば、ダメです。自動車の動作の仕組みに人間の環境上の思考がの仕組みが入るかと言えば入いらない。あえていえば、数式上に値がセロとなる項目を入れて式を作るような手順を取ればよいのですが、値がゼロとなる説明を加えるには、やはり別途の確立し終わった弁証法的概念操作が必要だからです。この結果、二つの弁証法を「+ゼロ」の式でくっつけた加算式にあるだけで、これは要するに二つの別個の弁証法の並列だからです。
 てゆうか、そもそもせっかく人間の不十分な頭脳作用を補助するために弁証法を使っているのに、そんな複雑じゃあ誰にも理解できませんぜ。資本論(の正しい部分)でさえ一般には理解されないというのに。
 これが一点。
 
 次が、「歴史的な部分は弁証法に組み入れられるのではないか? よく弁証法は歴史的だというではないか。そのための弁証法ではないのか?」という、ありうる疑問について。 
 もともと弁証法は、その本質上、歴史的な概念がある一瞬において他の概念同士でどう関わりあいながら構成されているかを明らかにするものなのです。そんなことは自分で組み立てようと思ったらすぐ分かる。刻一刻変わる時間から、「これ」と「それ」と「あれ」を抜き出して、って、「これ」も「それ」も「あれ」も、研究者が認識しうるものといえば、それぞれ別の時点のものですよ。ぶっちゃけて言えば、その中で自分の研究目的に沿う「側面」を抽象するのが研究者のアタマです。歴史の流れを追えるものでは決して無い。そんなバカバカしいツールではない。「ヘーゲルがやっている」って、そうではない。ヘーゲルは対象の適用時間を延ばしてその長い対象時間内での概念を構成し直しているだけです。当人は「歴史」を掌握したかと思っているのかどうかは自伝屋ではないので知りませんが、原理的に、研究者本人が歴史時点の異なった概念を同時把握して論を組み立てていることは否定しようも無い。
 それをわきまえないから、「資本論」論議で、ただの必然的抽象を「純粋資本主義」だの、いや「歴史的商品」だなどという不毛な論議が重なる。弁証法上の概念は、「歴史的に純粋」なのです。 
 正確に言えば、概念の本質上、弁証法に組み入れられる商品は歴史的であるのには違いないのですが、それはある一時点の歴史性なのです。同様に、弁証法上の資本主義は、別に純粋であるわけではなく、ある一時点の概念的資本主義なのです。さらにいえば、そうしたものがただの類型でしかないベーバーの理念型と同じであろうはずもない。
 ではある時点とはどの時点かと言えば、これはそうそう確定できるものではない。人間の人生でさえ60年はあるのです。それぞれのもともとの研究者が使った資料だって、時間の幅があるでしょう。そのぐらいに、ある意味でアバウトなものです。その中で現象している事象のうち組み込みうるものをどれだけ組み込んでいるか、ということです。この意味は、弁証法使用者は現象した事象のある側面しか取り上げていない、ということでもあります。それでいいのです。研究視点を主体的に設定した弁証法使用者にとっては、「それが本質」なのです。ただし、客観主義的には、ただの一側面であることはそのとおりなので誤解のなきよう。
 だから、継時的なテーマとはいえ、そこの結論は、決して歴史ではないのです。ある継時的な変化について扱ったとして、弁証法適用のみで出しうる結果は 「規定性あるいは変化の理由」であって、「何がどうなった、あるいはこれからどうなる」という論議ではありません。
 まず第1に、概念的な把握により、研究者が明らかにするはずの「仕組み」とはただの相互連関です。概念的な把握のみで因果連関が分かることはありません。それは自動車が因果連関で走るのではないことと同じです。
 さて第2に、その仕組みが分かったところで、それではただのショーウィンドウの飾り物です。その車が社会を走るための諸要素が、車の仕組みを知っているがために、叙述できるのです。それが規定性であり、車がモーターカーに変わらざるをえない理由(=普通の人間が一般道を運転するとガソリンエンジンからどれだけの排ガスが出るか)です。
 そして第3に、この理由のために、たとえばですが、「人々は電気自動車を推し、生産に行き詰っていた企業も渡りに船と電気自動車の研究を続けた」と続く。こうしてやっと、「何がどうなった、あるいはこれからどうなる」という叙述が出てくる。この第2と第3は、ただの分析理性です。分析理性の使えないやつに弁証法など使えるはずもない。哲学者やマルクス主義経済学者は、目で見える歴史事象が弁証法に組み込みうると考えたり、弁証法的考察の末に自動的に出てくると考える(ことがとても多い)のですが、そうではない。歴史事象の出現の理由は、概念の把握に続いて、その因果連関への新たな適用を経て、初めて分かるものなのです。
 
 と、まあ、いってみれば基本的なのですが、以上の話でさえ公開されている議論としては書くのは私が初めてでしょう。書いたのは私、読んだのはあなたが初めて。世の弁証法哲学者というものは、いったいなんなんでしょうかね。もっともヘーゲルをジャーナリストだとか評するジャーナリストが「ヘーゲル研究の第一人者」と評される時代だからしょうがないのですが。自分に理解できないからといって他人をけなすのは論外ですね。
 もちろん、以前にこれを明らかにはしたものの人知れず朽ちていった弁証法研究者もいるかもしれませんが。アホとコネしかいない世界では、お互い苦労しますね。

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まあ一人言ね

2019-08-17 16:12:22 | 断片
 こんにちは、お暑うございます。お盆はどこか行けましたか? 実家へ帰った方は親孝行でえらい。この時期、お仕事でも代休が取れれば悪くないですね。私など昔はお盆の出勤が楽しみで。通勤電車で座れたこともありました。
 ま、ともかく、毎日不幸なニュースが目につきますが、本人や周りが注意すれば防げることが9割以上。夏休みをこれから取る方は諸状況をよく見極めて、くれぐれも「ま、だいじょぶだろう」は、なきよう。
 
 私は今夏はお出かけなし。一昨日は高校の同窓会の通知が来て懐かしかったです(高校からは人生楽しくなってきた)。去年の学年同窓会に行けばよかった、かも、という気さえ起きました。
 まあ実際は、「あの時のあれ、面白かったねえ」「ほんと、、、だけど、なんのこと?」
 みたいに、私の場合過去の具体的なことは、何も覚えていないので話はそこで終了。我ながら残念。だからって、50年間覚えている人になりたいわけではありませんが。
 もしも、誰かが昔の話を動画してくれてて、「ああそうそう、それでこうなんだよ」と話ができる人が隣にいたとしたら、それは幸せの理想、かも。
 というわけで、同窓会報見ても、知ってる教師とかの名前が懐かしいだけで、関係ない他人の思い出はやっぱり関係ないよね。そんなこと考えなきゃわからないのか、って、そうなんだよね、考えて分かった。

 さて、ニュース。
 「東京オリンピックで「24時間眠らない空港」に変貌する羽田空港」( みんなの2020)
 だってさ。それって、24時間眠れない人が出るってことだよね、大田区渋谷区近辺の方はご苦労様です。
 
 (前回取り上げた件の、その後)
 「慰安婦問題を象徴する少女像などを展示した「表現の不自由展・その後」の中止を巡っては、大村知事は、芸術祭の実行委会長として、表現について行政が介入すべきではないとの持論を会見などで述べた。そして、展示に異論を唱えた河村たかし名古屋市長らにツイッターなどで反論し、ネット上で論議になっていた。ところが、展示問題などをつぶやいた2019年8月2日以降のツイートを13日までにすべて削除し、一体何が起きたのかとネット上で波紋が広がった。」(J-CAST)
 ま、世の中そんなもんだよね。期待した人間がバカ。私は死ぬまでお人好し。それでよし。
教育者はお人好しでなくなったら辞めたほうがよい。浪花節だよ、人生は(と、岩手出身のおじいさんがカラオケする)(浪花とは、大阪のことです。念のため)。わたしゃ教育者じゃないけど。
 ところで先週だかの朝日新聞に、”大阪の人は、吉本興業ができるまでは真面目だった”、って書いてあったよ(趣旨)。まあ、国家権力の資本主義庇護のない時代は、商人から信義を取ったら潰れるしかないからね。そういう伝統もあったかもしれないね。いい時代だったね。
 も1っ件。
 「「NHKから国民を守る党(N国)」代表の立花孝志参院議員」「は、TOKYO MX「5時に夢中!」内でのマツコの発言に抗議し、13日にYouTubeにアップした動画で、同番組のスポンサーである崎陽軒などの企業の商品を「買いません」と宣言。」日刊スポーツ
 こっちは初めから信じてないけど。マツコのは誰でも思う感想じゃないかね。ほんと、バカはバカで我慢するのもつらいね。票は入れてないけど。

 さて、香港のデモは初めてですね、ほとんど左翼が取り上げていないのはなぜ? 新左翼はお盆ですけど、ネット赤旗も取り上げない。
 なぜ、って知りたいわけではありません、どうせ党派の都合でしょうし。それとも、プチブル運動だから嫌いなんですかねえ。
 いずれにしても、歴史の積み重ねで、香港の運動がだんだん過激になるようで心配です。もう少し戦略的に動いて欲しいものですが、この過激性のままでは、いったん敗れて10年後の捲土重来を期すしかなさそうですね(捲土重来は歴史の法則です)。わたしゃもう年寄りなんで、若者たちが叩き伏せられて、さて復活できるのか心配です。(MS-IME、「けんどじゅうらい」も知らないのかと思ったら「けんどちょうらい」で載ってやがる。わたしの東京弁は筋金入りなんだけどね。)
 
 今朝の朝日のコラムは、高校2年から国語が実用文解読授業に変わるので心配だ、という話。へええ、てなもんで。知らないのでネットで引いたらそんなことでした。文科省は誤解だ、とかいってるそうですが、どこも誤解じゃなかった。高校で習った「『山月記』(中島敦)、『こころ』(夏目漱石)、『舞姫』(森?外)」が日本人に未知のものになるとのこと。山月記、って中3じゃなかったかねえ、、、。
 ともかく、契約文や仕様書を高校で習うのはいいことです。文学者はなんか誤解してるよね。小説は勝手に読めるけど、契約文をほかにどこで習えるんだね。政経も、とうに選択制で習えりゃしない。
 と思って見直したけれど、どっちを選択しても週に4時間やるんだってさ。こっちがおかしくないか? 高校生にもなって、国語なんてせいぜい週2時間あれば十分以上でしょ。青春のムダじゃないかね。高2で古典2時間、高3で実用文2時間、ただし必修。それでいいよ。もっとも、それ以外に文学の時間が選択授業であるのは当然。
 でさ、小中の授業は国語と算数と芸術だけ(あ、家庭科も)。ま、英語も混ぜてもいいけど。義務教育だかんね。それだけやれば立派な大人になれるよう。(授業は午後までしないと、塾格差ができるので午後までする)
 ほんと文部官僚になればよかった。
 
 今日は一人言のような話ばかり。 
 さて、作成中原稿。深く考えて、せっかく書きついだ原稿中、歴史事象でのアクターの行為の説明にあたる部分をばんばん消し去ってしまった。もったいなかった。
 思うに人間に見える事象というのは、その理由付けが間違っていようと正しかろうと、言い換える必要はないんだね。つい教え好きなので、「これが本当」とばかり書いてしまうけど、どうみても論理上の雑音。事象を見終わった人間はその出来事自体には意義を見出さない。目下の彼に必要なのは、次の一歩だけ。
 行為の意味が表現として必要なのは、小説とか、悪口なんかの別イメージの付与を目的としている場合だけ。理論書に必要なものは、概念の成立理由のみ。結局、人間て、そんな頭良くない。
 こんなことも実用文で教えたら? ときどきあんでしょ、「○○(歴史人物)の精神分析」とか。けっきょくよんでためになるひとはいませんのでやめましょう。とか。
 
 今日はなぜか眠い。暑くて眠れてないのだろうか、、、
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オカルト(その8;生命の本質)

2019-08-10 14:14:42 | オカルト(途中から)
 こんにちは。暑いっすねえ。外でて歩いてるときは必死なのでいいですが、建物に入って一息つくとむかつきます。本日はyahooの防災情報によると秋田が豪雨。横手市と大仙市が大雨洪水警報で、なぜ間にある美郷町が無事なんだろうと思ってクリックした、とたん、美郷にも大雨洪水警報が浮かび上がりました。バグか。
 しかし、お盆が始まって、午前中は田舎の駅前も、アウトドアの格好をした小さい子連ればかり。うらやましいこと。私は暑いので実際は遠慮したいですが。自分の幸せをわきまえず「あつい、、」とかぐずってるガキもいて、お母さんが怒ってました。
 
 さて、本当の勉強は暑いので想定どおりやる気が出ず。「やる気」の訳は、わざわざ確認しましたが、「Motivation」なんだよね。
「当たり前だろ」というのは学部学生までにしてね。モチベーションがあっても、暑きゃあやる気は出ないんだよね。主意しか神様に認めてもらえない英米心理学なんてエセさ。それを信奉する日本心理学者も頭の程度が知れる。脳生理学者に専攻領域を全部取られておしまいさ。

 さて、ニュースもお盆で、未取り扱い記事はないでしょう。でも「表現の不自由展」てやつは、書いてないね。これは自分の意見の代わりに引用で、長いコピー。大村秀章愛知県知事。
 ここにいらっしゃる方々には当然で意味のないコピーですが、最近政治意見で一番心を動かされました、もちろん左翼サイトを含めて。偉いぞ、選んだ愛知県民。ただし、名古屋市民を除く。
 「最近の論調で、いわゆる“税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだ”ということをですね、ネットでいろんな意見が飛び交っているのはこれは匿名の世界であれかもしれませんが、いろんな報道等でコメンテーターの方がそういうことを言っておられる方がいるようですが、逆ではないかと思いますね。これは行政、国、県、市、公権力をもったところだからこそ表現の自由は保障されなければならない、と思います。というか、そうじゃないんですか? 税金でやるからこそ、公権力であるからこそ、表現の自由は保障されなければいけない。わかりやすく言うと“この内容は良くて、この内容はいけない”ということを公権力がやるということは、許されていない、ということではないでしょうか」
「いちばん酷いのはね、“国の補助金もらうんだから国の方針に従うのは当たり前だろう”というようなことを平気で書かれているところがありますけど、みなさん、どう思われます、それ? ほんとうにそう思います? 私、まったく真逆ではないかと思いますよ? 税金でやるからこそ、むしろ憲法21条はきっちりと守らなくてはいけないのではないでしょうか。この数日間、“ちょっと待てよ”とつらつら考えて、非常に違和感覚えております」
https://lite-ra.com/2019/08/post-4887.html
 ただの自民党の政治家のくせにしっかりしてるよ。で、さらに大村氏に厨房がケチつけてるようじゃないか。こうなると厨房というより精神異常だね、人格が思い浮かぶよ。そこらにいるしね。なんちゅうと「精神疾患をバカにするな」でしょうか。
 ま、それはそれとして、この情報提供にケチをつける気はさらさらありませんが、なんだろね、このサイト。lite-ra? 他の記事をみたら、なんかため息、はあ、、とついたところ。もっとまっとうに話題を扱えないのかねえ、、今はなき子供たちの新左翼サイトみたいだ。 と、思ってネットにかけたら、「噂の眞相」かあ。サイトオーナー、苫米地だって、なっとく。といっても、苫米地、決してばかじゃないぜ。
 
 では、本題。旧盆なので、新盆に引き続いてオカルト。ま、常にそうであるように、半分はほんと。
 さて、世間では生命とは何だ、といっているか。ネットでは「よくわからない」から始まって「結局よくわからないで終わる」。書物は、と見れば、いったい何を考えているのだろうかという、「生物学者」の定義ばかりが目に入る。とりあげるのさえくだらない。理系の連中だから、「本質」という言葉を考えたこともないのだろう。(例:読み物としては、高井研「生命はなぜ生まれたのか」なんて本もあります。)
 というわけで、暑いから答えをシンプルにいってしまいましょう。
 生命の本質とは、「自己」です。
 
 ・進化? 進化しようがしまいが、それは生命観念を揺るがさない。世の中でたまたま進化しているのは、「生物」です。
 ・自己複製? それも生命と生物の混同です。なぜわざわざ複製をしなければならないのか。
 ・恒常性? それも生命と生物の混同です。なぜ変化してはいけないのか。
 ・エネルギー代謝? エネルギーの動きは世界中どこにでもある。もちろんそんなものは生命ではない。それは必要ではあるが生命ではない。
 
 そうではないが、唯一つ、生命には固有の、個別的な、境界があるのです。
 そういうと、それは人間の認識の固有さによるだけで、石にもビルにも境界があるではないか、という否定論がありました。いいえ、石に境界はございません。ただのSiO32-やCO32-の集合体です(wikiより)。どこで切れるものではなくどこで切れないものでもありません。あるいはビルというのはCaやSやAlやFeの複合体です。これらの内実も、どこで切れるものではなくどこで切れないものでもありません。「外部」にいる人間の呼び方が岩から石へ、あるいは砂利へ、あるいは瓦礫へと変わるだけです。そこには「固有の珪素」は存在しません。ところが生命にはある。全ての生命は固有です。
 しかして、固有の境界の複合体たる人間は生命ではない、という議論は正しいでしょう。ただし、人間は生命の複合体である生物です。生命と生物は違います。
 また、境界を持ったエネルギー、つまり、そこらの岩やマグマではなく、「地球」は、生命の可能性もあるでしょう。もっとも地球と月との境界はどこかと言われると、地球の自己管理が今のところ我々には不分明なので不明ですが。なので、可能性にすぎません。
 というわけでまとめがオカルトです。

 では、なぜ生命が宇宙に存在するか?
 生命は、外見上、かならず境界を持つ。この境界を持つエネルギー代謝は、「生命」が「生命界」から出て、エネルギー世界へ貫入した証左である。生命は固有的自己であり、彼は必ず、エネルギー世界を引き連れている。
 
 どんどん真理に近づいていきますな。
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パッケージ版ノートンの延長のやり方

2019-08-04 08:38:27 | 断片
 また更新ですが、昨夜の更新が下品でしたので、トップページ変更なだけです。
 隈というやつは狂犬か、と思われるのもなんなんで。

 さて、ノートンをお使いの方も多いと思いますが、期限が来たときの延長で安いネット通販を利用される方もいらっしゃるでしょう。で、買ったらどうするか。
amazonのレビューにいろいろな書き方がしてありますが、唯一役に立つはずのレビューは、下記です。
 c26kvb様
「再インストールをする必要はなく、メニュー画面の「延長する」のリンク先で新しいプロダクトキーを入力するだけです。」
 もっとも、意味は不明。
 なので役に立つブログの本領です。

 私は信頼感のあるパッケージ版を買いましたが、更新ソフトの画面指示を読んでもわかんないし、オンライン更新はおそらくchromeのせいで拒否されるし。しかし、そんなの不要。1分で終わります。
 使っているノートンの右上のヘルプを開き、右下の「プロダクトキー入力」を押して、画面に、購入したプロダクトキーを入力すれば終了。おしまい。左下に出てる「残り何日」が更新されているはずです。(それまで使っていた(はず)のアカウントは要ります。メールアドレスとパスワード)

 要するに「プロダクトキーを買った」というわけです。

 これ、わかんないので電話サポートで聞きました。ノートンのネットのサポート画面に入力していくと、電話番号が現れます。平日午後、ここにかけて、待つこと3分で担当者が出ました。向こうのサーバーを見ながらこちらの画面操作を待っててくれます。良心的。ウイルスバスターもサポートは良心的でしたが。
 わからなかったら電話をかけてみるのもいいでしょう。


 なお、このブログではパソコンのことはこれだけです。それではまたいつの日か。

 **********

 ご常連様へ。
 ほんとモラハラだよね。無駄な手間かけるよりはじめから悪口を言わなきゃいいんだけどね。
 でもわたしからモラル抜くと、ただの鼓動する物体なのね。


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ゴミ箱的悪口5件

2019-08-03 21:26:54 | 断片
 本日は2回目。夕食も終えてネット見てて「キチガイか、こいつら」と怒ったのでメモしたら、そんなのがぞろぞろ。お互いのためにならないので、先に捨てておきます。ゴミ箱ですね。みなさまの役に立たないのが残念。

 「3日正午すぎ、震災後閉鎖されている宮城県亘理町の海水浴場で、男子高校生が溺れる事故があり搬送先の病院で死亡が確認されました。(仙台放送)
 これに対するSNS。
「sco***** | 6分前
 完全な自業自得
遺体が見つかったから良いものの、もし見つかってなければ翌日は漁師の船も使っての捜索になるからその人たちにも迷惑がかかるのを分かってない。
山の遭難でヘリコプターでの費用を遭難者に請求するように、海難事故では漁師の稼ぎ分を当事者に請求するようにしてもらいたい。
日当は出るものの、漁師は責任感で捜索してくれ...もっと見る」
 
 意見は「正しい」が、こいつ人間か? よく口に出して言えるな。そんなことを言えば自分がエライと思ってるのか?
 恥も知らないアベの息子の日本人たち。こんなやつらが生きているんじゃ日本潰れてもしょうがない。
 もちろんこんなのが若い奴の4割だというのは知っているが。目の当たりに文字を見ると、アベの責任も閻魔様に舌を抜かれるぐらいじゃすまなかろう。

 かたや、「急死のディープしのび多くのファンが合掌」デイリースポーツ 8/3(土) 18:06配信」
 これは写真がないと分からない。祭壇が作ってありやがる。手前らで殺したくせに。ふつう本馬に申し訳なくて、密葬だろう。「すいません、皆さんの心の中でお祈りしてください。私どもも悲しいのです」だろう。そう、言ったわけじゃないぜ。そんなに悲しいなら言うはずだろう、ということだ。
 競馬は嫌いではないけれど、こういうのをやって世間に褒められると思う人間については、シンプルに「気ちがい」と思う。悲しい? うそつけ。心の中で楽しんでるだろう。もちろん、「葬式してくれてありがとうね」とか口で言う「ファン」も同様。(隈は「気ちがい」をよく使います。分裂の人は普通にお薬のんでてくれればそれだけのことです)
 
 阪神・矢野監督の決断に他球団から“感謝状” 藤浪の抹消ありがとう(東京スポーツ)
他球団スコアラーは「うれしいというと変だが、選手は喜んでいる。また当てられるとか制球で怖い部分は残っているから。早く藤浪に結果を出させたいなら次回も…となるところをしないでくれたのは助かる」とニヤリ。別の他球団関係者も、、、」
 ほんとクズ。それ以外言葉なし。藤波は好きでビーンボール投げてんのか? 同じ野球界のてめえらの仲間だろうが。あの感動の甲子園てなんだ。ああ、答えねえでいいよ、ただの金づるだよな。

 「35人が亡くなったこの事件では、京アニ側が警察・マスコミに実名の公表・報道を控えるよう要請し、京都府警も発生から約2週間、発表を行わなかった。」(Jcast)
 「たとえば、朝日新聞は1面に掲載された「京アニ犠牲者名10人公表」の末尾で、以下のように自らの立場を表明した。
  「朝日新聞は事件報道に際して実名で報じることを原則としています。犠牲者の方々のプライバシーに配慮しながらも、お一人お一人の尊い命が奪われた重い現実を共有するためには、実名による報道が必要だと考えています。それが、社会のありようを考えるきっかけになると思っています」
 毎日は4面(総合面)で、、、」
 勝手なことを言ってんじゃねえよ。何一つ責任を取らないくせに。お前らのいい加減な「配慮」の報道で拷問死した人間がどれだけいると思ってるのか。今日も一人死んだ、と言われなきゃ分からないだろう。言われたって分からないだろう。

 これらの被疎外者どもと付き合いがないのは、隈、この人生最大の収穫です。

 とはいえ、これだけで終わってはいい年をした人間としてはまずい。えらそすぎるからね。いちおう、じぶんも被悪口側に行ってみましょうか。
 (真鍋 厚)
 「「NHKから国民を守る党」(N国党)が参院選で1議席を獲得し、政党要件を満たしたことが世間に衝撃を与えている。、、、
 この現象に対して世間ではテレビ番組の識者のコメントをはじめとして、「茶化したり」「単なるネタ扱い」に終始していたりしている論調があまりにも多いが、それでは本質を見誤る。受信料を支払う人だけがNHKを視聴できる「スクランブル放送」の実施を掲げ、比例代表で98万票超を獲得した事実は重い。
 、、、それは「NHK」という事業体そのものの改革の是非というよりかは、NHKは分かりやすい〝的(まと)〟にされているに過ぎない。「NHK」に象徴される「巨大な既得権益」への反発であり、自分たちのお金を強制的に吸い上げる一方で、自分たちの生き死に対しては一切関心を示さない、目には見えない力に対する拒絶のサインである。無意識に潜むメッセージを一言で言えば、「もう自分たちは黙ってはいないぞ」「混乱の種を国会に送り込んでやる」ということを象徴しているのだ。」

 そうさ。おいらと同じ選挙民。わかってんじゃん。おいらも自分の感性が他の人々と一緒だって、言ってくれてうれしいよ、投票はしてないが。そのために、思想ごときとは別にじっと感性を温めているからね。インテリや前衛の諸君は、大衆のことは何でも聞いてくれたまえ。
 
 まあこれらの悪口も「目には見えない力に対する拒絶のサイン」てわけだ。
 そんなたいそうなもんじゃないけどね。


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感想的雑記

2019-08-03 16:23:11 | 断片
 こんにちは。今日も限界的暑さです。が、ネットのお天気データベースによると去年の東京地方は限界を超えてて、新盆頃から35度の暑さが続いていたようで、まあ2週間もやわいのだからいいか、みたいな。皆様も去年も生きてた方なら今夏は楽勝です。世界一周や長期入院してた方は除く。
 
 暑いときは冷えた桃でも。そろそろ安さも下げ止まりだろうと買った2個400円パックの山梨産の桃、1個はとても美味、1個は糖分が消えてて。売ってるほうは味が分かるのかねえ、まあ1個200円だからしょうがないか。
 8月は福島産? 福島(盆地)産て食べた記憶にないですが、硬いのが特徴なんだって。へええ、硬いってどんなもんかな。
 
 さて、ネット情報から拾います。
・ 「最低賃金平均901円=上げ幅、過去最大27円-東京、神奈川は初の1000円超え」(時事通信)。
 よかった、うれしい。東京は私のバイト時で900円だったから、月額で1万数千円は上がった計算。もっとも労働者当人はそんなことに一喜一憂していたら到底生きていけないから大して嬉しくないかもしれないけど。わたし的にうれしい。
 
・ 「三鷹事件の再審請求について東京高裁が決定をくだした。、、、「不当決定」の文字。再審請求は棄却されたのだった。」(yahoo)
 間違い。絶対無実。人間を知らないやつが判事をやるな。
 
・ 田部祥太氏のブログ。運営がよくわからないブログですが、ともかくまともそうなブログ。で、「カジノ・吉本興業・大崎洋・安倍晋三・宮迫博之・普天間・沖縄・田村亮」
の8題噺。初めの「罪」はただちょっとウソをつかせただけだったのに、話が大きくなってしまった。なんでも一事が万事。おてんとさんは見てるんだね。正義は最後に勝つ。

 で、皆様などもう通り過ぎたでしょうが夏休みの宿題、朝日新聞に「こんなに?」って、勉強だかなんだか知れない課題がいくつかあるだけなのに、担当者が驚いてました、かのように書いてあります。
 なんだよ、それっぱかり。やれよ。
 と不勉強が自慢の私が言いたくなるほど。
 「人間得意なことも不得意なこともある」って、不得意のことやらなきゃ教育にならないじゃんか。得意なことなんていつだってできんだから。
 ほんとに、できるやつはやらんでいいのだ。できない子にせめてそのときだけでもやらせれば、将来の職業選択の自由が増える。もっとも「やらせる」という言葉を使うと、朝日には「親が無理にやらせるな」などという記事がセットになってついている。編集者、どういうつもりだ? 親がやらせなくて済むように宿題があるんじゃんか。ほんと訳わかんないやつらだ。昨今では日常の宿題もなくて教科書を学校に置いとかせるって? まあ教科書の宿題は意味ないけどさ。できない子にはできないし、できる子には不要だから。しかし、書取りドリルとか計算ドリルとか、誰だってできてその分神経回路が育つんだから、やれよ。あるいは、作文。不得意なやつは書かないし、書かなきゃ死ぬまで書けないぞ。何でもいいから、評価ナシで、書けよ。丸写しでいいからさあ。文章を書く感触を知れよ。(ここほんとは全部使役動詞だけどね、「教師は(社会は)させろ」。しかし、親は口出しするな)
 なにか怒ってそうでしょ?
 怒ってんだよね。できない子の味方みたいなフリしやがって。できない子から学校をとったら何が残るんだ。何一つ残らないんだぞ。「いや、人それぞれだから」ってバカ野郎。
 あ、怒りの趣旨がわかってくれましたか。
 もちろん、高校生はやらんでいいし、中学生はできる子なら主体的に止めればいい。そんなことに親は口を出さんでいい。
 
 今日は、感想で終わり。
 栗本慎一郎作とは知らずに選んだ、栗本の「ゆがめられた地球文明の歴史」。これはなかなか面白い。紀元前のヨーロッパ世界を見てきたように書いてある。わたしも山川出版の「北アジア史」を持ってはいるのですが、紀元千年以前は読んでもぜんぜん理解できないところ、この本は北アジアヨーロッパがとてもよくわかるのです。お薦め。
 なんでも世界の文明は紀元前3500年前、西シベリア低地の東のはずれに集積し、そこからヨーロッパアジアに流れ出したんだそうな。(さっきからヨーロッパとアジアがくっついているのは、本人は「世界」のつもりで話しているのだけれど、要するに一部ヨーロッパとヨーロッパにつながる一部アジアの話だということで)
 もっともこの本には参考文献が一冊も載っていない。私は経済人類学者栗本を信じていないのでこれはそうとう致命的。曲がりなりにもこれは歴史の本で、私の本のような理論書じゃないからね。
 本人は、”学者相手に何を書いてもムダだから若人に歴史の流れをつかませればそれでこの本の役目を果たす”(趣旨)、と、なかなかいさぎのよい態度。お互いパイオニアは大変だね。もっとも栗本と較べられたくはないが。
 というわけで根拠不明なので真偽も不明ですが、ともかく、数千年前までヨーロッパ世界はどこも支配・被支配の世界であることがわかりました、ということは、わたしには資本主義以前に口を出す義理はないわけでとても人生の時間の節約になるよい本でした。

 一方、似たようなのでひどいのが、ニコラス・ウェイド「人類のやっかいな遺産」。「なぜノーベル賞はユダヤ人の受賞が多いのか? なぜ貧困国と富裕国の格差は縮まらないままなのか?」なる出版コピーの下で、遺伝子は人類の歴史を決めるという趣旨で自由自在に自分の想像を繰り広げる、という論外の著。当人は批判者が「証拠もなしに、本書がまちがいや歪曲だらけだと主張」していると不満を述べているが、もともと証拠もない本を書いておいて他人の批判にだけは不満を述べるというのはいかにも「自由な国」の作家らしい、ウヨクには自由な。
 実はアフリカ選手はなぜ足が速いのかが書いてあるのかと思って借りた本。しかし書いてあったのは肌の色や耳垢レベルの「証拠」。そんな話は50年前から知ってるぞ。よくもまあそんな証拠で壮大なヨタ話を、というわけ。
 で、訳者が山形浩生さ、名前貸しだろうけど。ぜんぜんやる気もないのに、なんで訳す(手伝いをする)のかねえ。ほんと、よほどの虚無主義者だと思うぞ。彼の人生何が起こったのか。(よくみてんだろ、わたしゃ見者だかんね)
 
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