リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

クエスチョン?

2014-01-29 20:44:38 | 断片
 なんかこのブログ、仕様不明で。
 せっかくいただいたコメントって、エロコメも含めて、全部「公開」仕様のはずなのですが、普通のブログみたいにでてこないの。らしい。
  (クリックすれば出ると思われますが)

1 コメントをいただいている方には失礼いたしております。
2 普通のブログみたいにコメントを表に出す仕方をご存知の方、教えてくださいませ。

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握り飯1個のための正義

2014-01-25 20:45:00 | その他
 こんばんは、お元気ですか? わたしは元気ではありません。どうでもいいですが。
 風邪やら花粉症やら、先週はキュウリを切り損ねて左手指をざっくりやったら、追いうちで、すっころんで左指肉をつぶしてしまいました。
 まあ、わたしゃ運がいいからぴんぴん生きてますけどね、剣道選択なので受身を習ってないので手のひらではなく甲肉(竹刀ではなくカバン持ってた)。左手ナシでまあ暮らしにくいったら。
 なに別に、来週は元気でしょう、といってもいいのですが、それ自体不遜ですね。いろんな(左手ない)人いるのに偉そうで。
 ともかく。いくつになっても人生なめちゃいけませんぜ。いつだって死んじまいます。短時間で死ぬのは、避ける理由もなく、警告の意味もないですけどね。
 
 で、本日の変った題は、フジテレビ新番組、「天誅」。仕置人シリーズの現代版のような。昨日ラーメン屋で日刊スポーツを見てたら予告で載ってたんで見まして。5分みて満足したから消したら(そんな冷たい所作なしに勉強なんてできゃしませんぜ)、家人が面白いじゃない、っていうから、結局1時間。
 小野ゆり子とかいうのが殺し屋で暗い俳優してまして、0型でしょうね、ああゆう暗いのは安心して見てられる、って変ですかね。
 
 それが殺し屋なんで殺そうとするときに、「(わたしは)正義ではない。わたしは握り飯1個のためにお前を殺す」っていうの。おお、正しい。
 
 サンデルとかの米帝下のプチブルが「正義」概念を弄ぶのは我慢ならないが、この日本人はよくできています。正義とは握り飯1個のために人を殺す人民の下にある。
 微妙に違うのは、わたしも脚本家も、「握り飯1個のために人を殺すのが正義」 といっているのではないことです。
 「握り飯1個のために人を殺さざるを得ない人民を裁ける正義は、本人とその仲間以外にはない」 といっているわけです。(もちろん殺し屋番組ですから、番組の公の趣旨は、大衆の正義実現なんでしょうけどね)
 
 なんで? と思われる15歳以下の若人さん、じゃあ自分で家出して、自分だけの力で衣食住をまっとうしようとしてみてください。
 その経験は、あなたを新しい救世主にするでしょう、心が捻じ曲がる前なら。 
 この辺、サンデルなどの他人事プチブルと違って、資本主義の魔の手に抗する日本の共同性の持続力は素晴らしいと思いますね。
 
 は、いいんだけど、また微妙に話は変って、お金に困った人と関わって30数年、中に自称左翼もいますが、左翼ったってありもしない資本主義上の正当性を振りかざしたりするんですな(こうゆう派閥は昔から変りませんが)。握り飯1個の立場を忘れて生きる左翼など、資本家以下だと思いませんか?
 
   あ、これは疑いもなく悪口ですから。 
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自分が変らず存在する

2014-01-18 21:29:04 | その他
 こんばんは。もうすぐ春ですね。うそですが。こんな寒さの中では、人間だれもが横になって寝られる社会が早く来て欲しいものだ、屋根の下で布団はなくとも横になって寝られることが自由以前の前提だ、リベラル以左はみながそう思って欲しいものだ、と思います。
 
 さて、冬で、いくら新政がヒオチのごまかし製造だからったって、冬です、日本酒を呑まずに過ごすわけにもいきません、前段落からすればブルジョワな話ですが。最後の手段は、一の蔵無鑑査。本醸造でいまいちですが、熱燗には本醸造がよし。
 しかし、一の蔵も味濃くなったよなあ、、、こんなのも流行ってもんなんだろうねえ、味濃いのばっかで。15年前はどっちかっていうとパンチのきかないブランドだったもの。
 わたしゃ、自分の舌に自信があるんだ。

 そんな味の変化、15年ぶりに食べた宮崎は地鶏焼肉。くっせえ。
 燻製かよ、燻製だけど。ひでえ。
 今まで他人に奨めてたのがすっかり裏切られた。ほんと、食い物は他人に奨めるもんじゃないねえ、奨めるときは「保証期間3ヶ月」とかいわないとねえ。
 いぶりがっこは変わんないんだろうねえ、、、「旨み麹漬け」だったりして、、、

 さて、本日はミュージックフェア。先週の若き中島みゆきに続きまして、若き佐田まさし。
 で、人間って、絶対、歳で人が変っていくんだなって。
 40年前、2人とも、命を背負って歌っていて。
 わたしどもも命を背負って生きていたさね。
 
 今はわたしなんか命ではなく人生は背負っているけどね。お二方もそんな誠実さに翳りはないけれども、
 しかし違う。わたしなんかも他人から見れば違うだろうしね。
 
 そんな青春、今の中年以下の人たちの中にはどう見ても発見できない、それだからいいとか悪いとかは言わないけれど、心の中では、自分にそんな過去があったことは矜持でもあり、かたや、生き長らえていることの負い目でもあるんだよね。
 生の喜びと原罪われにあり、てなもんでしょうか。
 
 それでも、心底は変っていない。お二方も変っていないと思うし。
 心底、って、他人との交わりのことじゃないんだよね。どうしたって他人との対応は変っていく。だから、歌だって変る、歌って他人とお話しようとするんだからね。
 しかし、他人がいなくなったときの自分は変っていない。40年前に悲鳴を歌ったときと、本人たちは変っていない。
 
 中島みゆき、佐田まさし。お二方とも、何十万人のファンはいても、そんな本生(ほんなま)の「自分」に話し掛けてくれる人間は何人もいないんだよね。
 変らないのは自分にとっての自分だけ。人と交わる変らない原点が青春であるのなら、青春のお友達は大切に。
 
    若い方への、将来語りでした。 
 
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将棋ツイッター

2014-01-13 20:30:51 | コーヒーブレイク
こんばんは。今日はツイッター、って「ただの感想」ってことですが。これカテゴリーにいれちゃおうかな。
どうもツイッターってあんな数十文字でなんか言えとかアホかいなと思うんですが、もちろん数十じゃないとかどうでもいい非難もあるでしょうが、ともかく自分ではしませんが、このストレス社会、ツイッター会社はいいところに目をつけましたよね。
それはともかく。
ひいきの渡辺9段が出る(んだけど負け続けてるのでもう見るのをやめた)将棋タイトル戦、王将戦、3ヶ月ぶりにネットで見まして今日は休日なもので1日かけてこんなことしとっていいのかしらん、てな事情、ひいきの渡辺くんが勝ってうれしい。
で、ポイントは負けた羽生9段。自重してりゃイーブンな勝負で詰めにでて詰まずに自滅。ほおお、なるほど、これが将棋指しかと。
外野はコンピューターソフトを使っていいかげんなことをいって騒いでいるところ、そんなのかんけえねえと詰みを目指したところがなんともAB型。羽生先生、そんな好きじゃなかったけど、見直しました。何を見直すって、そうやって生きてきたんだねえ、と。
こういうのは、他の血液型じゃわからんだろう、、、みたいな親近感。

   という他人には意味もないただの感想ですが、ツイッターったってこのくらいの量は書きたいやね、おのおの方。
 ポイントは、羽生9段が生きてきたのは勝つか負けるかではない、自分が設定した自由な世界だ、と私が理解した、いうことです。
(ちなみに、他の話題を期待してたお客様もいらっしゃる(の方が多い)んでしょうねえ、お客様ってあんまりいらっしゃらないほうが性格に合うなあ、、、ねえ、羽生先生、、、)
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人生の満足

2014-01-11 17:41:18 | その他
 こんにちは。お寒うございます。ここんとこ久方ぶりに仕事が戦場的で、「目が回る」ということばは比喩ではなく、中高年が作った実態語だなという気がしました。
 とはいえ、休んでしまえばこっちのもの。(もちろん心配しとります、誤解なきよう)
 
 頭の切り替え用に、娯楽小説のはずのルブランの「ルパン、最後の恋」というのを借りてきましたが、これがひどい。遺作だそうですがむちゃくちゃ。推敲途中の遺作だそうですがルブランも推敲しなければこんなもんか、と安心しました。わたしとおんなじじゃん。(翻訳のせいも多そうな気もしますが、、、ま、好みでしょうか)

 さて、正月ということで、(本出した後の)これからの予定を考え始めようかと思うところ、発見したことには、わたくし儀、どうも根本的に怠け者のため、「目標へのよりよき生活の実践」などできやしないな、ということで。たとえば大企業正社員になるために一流大学に入らなきゃ、そのためにはあれをしてこれをして云々、とか、玉の輿に乗るためにダイエットして料理習ってダンパ行って云々、のような。まあみなさん偉いこと。
 いや、怠け者なのはときどき認識してましたが、体力と気力の低下により如実に顕れてしまって。そうなのね、わたし昔から面白いこと以外やったことないし。やらないとしょうがないことは、最低限マイナス1までしかやらないし。
 マイナス1じゃ、最低限さえないじゃないか、ってそこは気合ですね。偶然とか、こけおどしとかでカバー。さいわい運がいいほうで。ってひどいもんだ。大学の受験勉強を6ヶ月5時間やった、というのが唯一の努力の自慢だったのですが(高校の宿題とかしたことない。あったかどうかもしらない)、よく考えたら、5時間て夏休みと冬休みにやったような気もするし、、、
 しかしここまでそうなら一生そうだというしかないので、これから面白いことを庭石跳びのように伝わっていくよう予定を作らなければ、というところまで到達しました。
 まあ、よい子はマネしないように。
 
 で、本日のためになることは、っと、成人指定で、幸せについて。
 怠け者が幸せを語ると青少年には害になるかもしれませんし。

 「幸せ」とはなんだらかんだら、って語る中高年が古今東西いらっしゃいますね。まあそういう爺さんの繰言は、高齢者福祉ということでお聞きになるのがよろしい。ここでは、「人間の自分の生への満足」ということにしておきます。
 
 人間を普遍的に語るということには、人間誰でも同じという前提がありますので、行為の原理や原則で語るようになるはずですね。
 行為の原理や原則がなんであれ、それが存在するのなら、それらの遂行は、どなたさまにおいてもすべて抽象的に同一です。ポントは、それが「心において同一だ」ということです。すべて、もたらす結果は違うというのに。

 人は、具体的な成果的喜び物の獲得に、生理的観点以外からの関心を持つものではありません。それは生理的安心や優越的原則の、それらの前提を得た、という認知的喜びに過ぎない。もちろん、生理性の認知的安心、すなわち米1週間分が手に入った、というのは「過ぎない」というにはあまりにも大きな喜びではありますが。
 とはいえ、本質的にはそれは「過ぎない」ものです。貧乏人への米一週間分でも、決済の迫った会社社長への5億円寄付でも、それは同じ喜びです。同じでもそれだけのことに過ぎない。
 人というのは、死ななければ、「生きられてさえいれば」、自分の生きる方法が、自分が実際に時間を経過して、実際に自分が設定した想定の枠内であったときに、よく生きたと感ずるものです。
 
 かくて、人は、ノーベル賞を取ろうが、市井で商店街の物知りご隠居として過ごそうが、「同一に」幸せでありうる。
 爺さんの繰言に意味があるとすれば、その自分の想定をどんな程度に設定するか、その実現にどうすると近づけるか、この点の方法の伝達のみにある、というわけです。
 というわけでわたし的にいいますと、青少年は今のご自分の基準を見つけ出すのがよろしい。今の自分が何かを見て感ずるその判断基準のことですね。それが正しいと思うのがよろしい。それは自分のものだからそれを守りさえすれば自分の人生は満足のいくものとなる。それを捨てない限りは。
 朝日新聞の人生相談のようですけどね、岡田斗司夫氏。

  p.s. ということで青少年用役に立つブログ
  「20歳以下は冷凍ムキカレイは買うな」
  本日、バタ焼きしたらぐちゃぐちゃ。さじですくって食べたほうがよい。
  と思ったら、そういえば1年半前にも同じことがあったのを、今さらながら思い出しました。このままではこれ以後も忘れて買いそうなので、自分にも役に立つブログ。
  いかに1切れ100円でも(100円だった)、青少年の料理の手におえるようなものではありません。買ってはいけない。
  (冷凍のため、水っぽい組織が凍って崩れた、という可能性があるので生なら食えるかも。その辺は自己責任で。ありうる食い方は卵とパン粉で固めてフライで揚げること。しかし。これは素人の青少年でできる技ではありません。私も金と労力を払ってまでやりゃあしません)
  
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今の世の中の常識なんて

2014-01-05 20:27:55 | その他
 こんばんは。今日は1月も5日で、6連休。6,7年ぶりです。
 おかげさまで明日の出勤も別に苦痛でなく。お酒と一緒ですね、二日酔いも過ぎてしまえば忘れてしまう、そしてまた勤務して、休みまだかなあ、なんて思って。
 それにしてもこのお正月は家族親族が調子が悪く、精神が苦痛。なんたって、心が華奢で困ったものだ。いや体も華奢ですが、ただ他人も私も忘れてまして。
 
 正月は、「もやしもん」を11巻まで読みました。最後のほうは、やはり漫画家の方、年齢ですねえ、、、こういう仕事はかわいそうです、もっとももう完結にするそうで。惜しいけれど、それがいいかもしれません。「鬼面組」もあそこでやめてよかった、傑作で終わって、と思うこと多々。ただ「もやしもん」はここで終われば綺麗には終われなさそうですが。

 さて、今回のストレス吐きブログ、、、(どっちかというとこの大題の方がよさそうな)朝日新聞へのケチ。
 正月、新井紀子という世間知らずの理学教授等に新聞の面積1面をまるまる割いて
 ”今も、さらに近い将来もっと、機械が人間の仕事を奪い、人間が仕事につけなくなる、これは大問題だ”などという発言をさせております。

 朝日新聞ですぜ。日経でも産経でもない。ため息しかでねえ、、、

 なにいってんだよ、それが本当だとしたら、おかげさまで働かなくても生きていけていいじゃねえか。こんないいことがどこにある?
   (ま、この記事の内容はもともとウソだけどさ。とりあえず、ほんとうのこととしてね)
 機械が奪ってるのは仕事じゃなくて、賃労働者の席だよ。人間がなにかの時間を8時間、資本家に与えなければ賃金の配分を受けられない環境下での労働だよ。

 なんて普通に思いましたものです。

 もちろん私とて、こんなことを指摘することで皆様のお役に立てるなどとは思ってもいず。
 こんなことは60歳を過ぎて、朝日新聞をとっていて、字ばかりの論説張りの記事を読むような人間の3割にとっては常識だと思うぞ。
 そんな常識に抗して1面も割いて何がいいたいのか、自民党の言うことはわかってもヨタ新聞のことはわからねえ。
 
 1 朝日はそこまでアホ記者をそろえた。
 2 世間の50歳以下は賃労働以外に仕事の遂行など考えていない。
 3 この世界は現実ではない。バーチャル世界の夢だ。
 
 この3択ではないのか。(注:これは揶揄です。なんちゅうのもヤボだけんど、お年寄りにはそういわんと)
 
 というわけで、役に立つブログ。左翼の連中は、わが道しか行かない極左と右翼的左翼新聞との中間を行く人々を、称揚すべきだ。こんな話が常識じゃあ極左の話なんざ統合失調の独り言になっちまう。スターリニストの歴史的役割もあるんだよ、極左のじいさん。

   p.s.なお、こういう最後から2番目の書き様を否定する宣言というのは日本のみの68.9年闘争の美しい成果なんだけどね(外国も実質同じとはいえ闘争化したと聞いていない)。そんなこと50歳以下の誰も知らんな。自称68年の記録にも載ってないしね。なんという断絶。
   あ、わたしゃそういう美しい人ではありませんし。

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2通りの書き方

2014-01-01 21:40:19 | その他
 明けましておめでとうございます。

 わたくし儀、暮もよくわからないまま正月に突入してしまいましたが、お客さんとか年賀状とかあるとやっぱりお正月ですね。
 本年は、本出して、その次は大きな分かれ道の年の予定です、さてどうなることやら。もっとも現実は大したことないんでしょうね。
 
 さて、寒い季節を迎え、指が凍るので執筆仕事は一段落、カテゴリー「中途半端」も終わり、多少まともなことを書こうかとも思いますが、まともなら役に立つかというとそうでもない。
 この間、思うに、「専門的な本」と「一般的な本」との違いって、書き方の難しさ易しさじゃないんですね。
 じゃあ何かというと、専門的な書には問いかけがいらない、が、一般的な書にはそれが必要だ、ということで。
 専門家はもともと何が問題かを知っている。一方、普通の人は知らないので、なぜそのテーマがここで問われ、その答えを書かないといけないか、ということを、答えの前に導いといてあげなければならない。(標題テーマのことじゃないですよ。本を書き継いでいく、ページページに載っている、理論上ありうる段落「テーマ」のことです)
 
 なんて書いてある本、ないし。
 新しい知見でしょ。
 さて、しかし、そんなことが分かったからといって、専門家で書きように困っている人間以外には、なぜ私がそんなことを言い出すのかがわからない。
 というわけで、このブログも、ある種、専門家用なのね、「中途半端」から「まともな道」に戻ると、それなりに意味不明になる。
 
 それもなんなんで、本日は簡単なことだと、安部だか安倍だかの靖国参拝なんてどうかな?
 なんであんなバカなことを、って。
 その辺が戦略でね。
 すでに自分が何をやっても経済界は自主的に適度に進むとわかったわけね。
 「近隣国には適度以上に近づいちゃダメだ」というメッセージも届いたし。
 そしたらもう自分も疲れたからやめたいし、それなら最後っ屁で武力への貢献をしようというわけ。
 捨石だね。
 この身を捨てようが、これで周辺を敵にした国家体制が固まる。資本主義国家にとってまた計画経済国家にとって、周辺国家は、敵でよいのだよ。悪い理由なんてありはしないの。お互いの国家が自立的になってしまう時代が来れば、必ず、敵対的に屹立しあわなければお互いやっていけないのさ。貿易をしながらもね。
 
 ちゅうか、これ以上予算ばら撒けないしね。これ以上首相してたら、アベノミクスなんて誰でもできる公共事業、消費費用(、円安費用)のバラまきの当然の結果だってばれるだけじゃん。はよ辞めたほうがよいし。
 ま、それでも戦略があるだけましさ。
 公明党は創価学会しか基盤がなくてどうする気なのかねえ。
 
   ま、そんなこんな。変ったことをお読みになりたい方には、今年もよろしくお願いいたします。

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