リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

感想2、3。

2018-03-31 16:25:18 | 断片
 こんにちは。全国的に春のいい天気が続きますねえ。東京地方、一昨日の夜の強風で桜がずいぶんやられてどうなるかと思いましたが、今まで絶好だったので、結果、トータルで例年と一緒の傷み方くらいです。お花見は今日明日、散り敷かれた桜の花びらの上でなんとか楽しめるでしょう。
 お花見はいいですが、ここんとこ花粉がひどい。なんでもヒノキが例年の最高記録の(何割増しのレベルではなく)何倍も花粉を飛ばしているとのこと。なんなんだ、それは。ヒノキなんて風呂桶にしかならんぞ。臭いし。(昔の実家にはスギもヒノキもあったので(どんな田舎だ)どちらも幼年の隈の免疫機構を襲っているのです)。

 というわけで、年度も最終日。私の周りもそれぞれの定年退職者が続いていて(65歳定年とかもあります)、それなりに社交人生の過渡期ですね。もっとも実際は今年度はアルバイトしていないんで、退職を目で見るのはテレビで見るくらいですが、NHKニュースとか、なんか淋しいものです。ブラタモリでも、相棒の子供のような女性NHKアナウンサーの交代でタモリが泣いていました。花粉症だとか言って。
 そういうもんだよね、人間。私の職業生活はそのルートを持っていたので(しかも何度も)、それだけで幸せと言うほかはないでしょう。社会に出る若い人たちは、野心ばかりでなく人間の付き合いということもよくよく考えたほうがいいです。人間の行為は、基本、相互行為だと小学校のとき習いましたでしょ。人という字は寄りかかった「人」だ。「ほんとかよ」という疑いは正しそうですが、99%の社会学者は本当かどうかではなくそう言い伝えられている事実の大きさを捉えるわけです。大塚久雄も経済学者ではなく社会学者ですし(唐突ですが、3週前等の話題ね)。実際、相互行為というのは自分の行為のことを指すのだよ。シンプルには「愛しなければ愛されない」という状況です。ま、横丁の御隠居の世間知ですが、それも真実。
 
 ということで、今日のためになるブログは終了。
 
 あとは気軽に、今日のニュースは、まずは理財局長佐川。
 世の中の生活者は、生きるためにウソをつかざるを得ないやつと権力を欲しがるために率先してウソをつくやつの2通り。わたしゃお人好しなのでとりあえず弁護しようと思ったら、なんだ、こいつただの権力志向者じゃん。こんなの世間には山のようにいやがる不愉快生物だよね。若人がこれから山のように会われると思う、それだけで不幸の源泉です。
 本人にしても身体的コンプレックスからくる行為様式かもしれませんが、20歳を越えていいわけなど聞きません。ただ若人がこの手のコンプレックス者の攻撃を切り抜けるのは簡単。もっと優秀になればよい。性格が邪悪なわけじゃないの。本質が弱気なんだよね。なんて、ほんと御隠居の世間知ですね。あ、これほんとだから。役に立つよ。 
 でさ、田中角栄の娘に言わせりゃ権力者の妻は「理財局長ごとき下っ端を相手にするわけがない」んだそうで。こういうのは聞かないと分からない。もっと上のやつの指示があるんだね。こういう発言の中身も経験上ほんとだよ。
 
 本日の長い話題は年寄り用。
 新聞に糖質カット炊飯器などというものの宣伝が出ておりましたよ。お米の33%のデンプンを溶かして捨ててくれるそうな。なんちゅう罰当たりな。トウモロコシの燃料化は逆に小麦価格の高騰を狙うアメリカの輸出戦略とのことですが、これは純粋な神を恐れぬ仕業。
 「糖質は悪」みたいな話が最近流行っていたのはご存知? 糖質を取らないと糖尿病も直るし肥満も直る、という話です。男は年寄りしか知らないね。で、ちょっと借りて読んでみました。結論、肥満者用だね。
 何がって、理屈が変。「糖質取るな」というけど、低血糖症も死ぬわけで、人間、なんで糖分(炭水化物)を取らないで低血糖にならないかというと、たんぱく質を分解して糖にするから、と彼らもいうわけだ。じゃあ誰が(どの内蔵システムが)たんぱく質を過剰に分解しないというのだろうか? こんなの高血糖が悪いのと同じ(逆だがパラレルの)理屈でしょ? どうせ「タンパク質糖尿病」者が多数出ないと気づきもしないだろうが、その前に糖の代わりに肉と油ばかり食ってるやつはコレステロールが溜まって高脂血症で死んじまうから出ないんじゃないのか? もちろん私は科学者だから、これは揶揄だけどね。油は消化されないで便になるという話は知ってますぜ。(この数行難しいね。ま、『断片』カテゴリーだし)
 ともかく、たまたま肥満者の糖尿病があるから人間が高血糖になるメカニズムが相対的に解明されているかの如く見えるだけで、高齢ボデイビルダーの糖尿病は別かも知らんぜ。
 という当たり前の疑問を誰も公にすることなしに(もちろん解きもせずに)糖質制限賛歌論がバッコするところが日本人だねえ。
『基本、普通に暮らしてればどういう論を立てようとその論理的優劣の判断基準は「なにもかも」おんなじだ』、という論さえ出ない。「なにもかも」ってとこがポイントね。素直に適当にお饅頭食べてりゃいいじゃんか。もっとも中年以上の日本生活者は「普通に暮らして」るとデブになるところが問題だけどね。
 もちろん糖尿病になっちゃったら薬飲むよりいいから、ぐずぐずいう前に実践するわけでそれを否定する気は毛頭ございません。わたしゃ医者じゃないので責任は持ちませんたい。なので理屈だけね。

 と書いて、いつものようにネットで「ボディビルダー 糖尿病」の確認をしたら、『教えてgoo 』で
 「白筋を支えるためには常にブドウ糖を送り続けなければならないのです。つまりどうしても高血糖を維持させなければならまくなります。この状態が慢性的になれば糖尿病です。高血糖と引き換えに白筋を維持してると言っていいでしょう。エネルギー源として使われるブドウ糖は食べものだけでなく興奮系のホルモンであるコルチゾールやグルカゴンが体内で必要に応じて合成します。つまりストレス(質問者さんの場合は白筋など筋肉の使い過ぎ)で血糖値が上昇するわけです。」 (albert8様)とありました。
 なるんだ。へええ、、、
 糖質なんかとらなくとも糖尿病になる。そら見ろ。医者は職人であって科学者ではないことが歴然。もちろん職人で十分なのだが、庶民と違う知識を持った者であるかのごとき振る舞いはやめるべきだ。
 というわけでこのブログは、常に平凡な(大学教授程度の)人の思慮のなさが、分かる人には分かるところでございます。

 なお、糖質規制するとかえって糖尿病になるという反論には(そんな正反対の論が存在しうる世界って、、、)、佐藤章夫名誉教授の「米と糖尿病」というのがあります。医者同士好き勝手なこと言い合ってないで、どっちかに決めろや。

 訳のわかんない話はおいて、本日のご報告。今回配本『「上部構造」の社会学 -主体の意思と歴史過程』、めでたく著者見本が入手されました。合同フォレスト様のご努力で人並みのものができましたぜ。大変なんだよね、私の文を他人様が見直したり校正したりするのは。ありがたいことです。
 もっとも発売はまだのもよう。そのうちここで宣伝させていただきますので、よろしくお願いいたします。
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武谷三段階論(その2)

2018-03-24 16:35:12 | その他
 こんにちは。いよいよ1年に一回のお花見の季節。たしか去年は、東京地方、土日休み派にはあいにくだったような。今年は明日が絶好の模様ですね。今日は寒いわ、まだ赤茶色のつぼみだわ、ですが。
 
 さて、本日のニュースは何にしましょう。
 先週までの番外ですが、パラリンピックが「いつのまにか」終わってしまったのが残念。何もニュースに乗せなかった(も同然の)NHKは視聴料を取る資格があるだろうか。と、書こうとしたんだけど、みんな納得済みではしょうがないんでやめたことをくやしいんで書いておきたいです。
 
 さて、今週。憲法改正は、「自民党の憲法改正推進本部は、、、戦力不保持を定める2項を維持して「自衛隊」を明記する方向で取りまとめる方針を決めた。新たに9条の2を設け、「(2項は)必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織」と位置づけて自衛隊を保持する案が軸となる。」(朝日デジタル)だそうで。 
 おやおや。わたし的には、「国防軍」化→経済の軍事化→日本経済崩壊→経済組織内2分裂→統制経済の流れを見る予定だったですが、「自衛隊」だってさ。資本主義者、余裕じゃん。それではもう一回憲法改正しないといけない。右翼的にはこのまんまじゃ半歩の進展しかならない。これでは国外戦争ができないし、といって次の改定では憲法改定の大義名分が消えてノンポリが賛成しなくなる。いいのかねえ。国家権力のお世話にならなくともまだだいじょぶだ、ということなんだろうね。まあ実際そうだけど。
 そうか、まだ余裕かあ、、、

 次。趣味の将棋で藤井聡太という人がいまして、ってすでに「例の藤井君」くらいでいいか。去年は連勝とか言っても腕はせいぜい中の上と思ったので記事にしませんでしたが、あれよあれよ、と1年で、もしかして今はベスト3の棋士がみんな負けても不思議はない、くらいまで来てしまいました。ほんと、ドラゴンボール状態。これは将棋にもコツがあるんだろうなあ、と思いました。
 たとえば、試合としての剣道は、第1に竹刀の早さ。これはコツも何もない。若さと練習。これで5段。第2に相手の構え(動き)と対応のセットの瞬間の肉体的把握。これで7段。第3に、気合。これは真剣ではない試合剣道では8段でも持てない人がいる。と、喝破したところですが、この伝でいけば、将棋は第1に、読み。これはできて4段。第2に、相手の形への瞬間的対応。これはできて7段、というところですが、頭脳労働ですからね、さらになんかがありそうです。1年で読みが早くなったわけではないだろうし、1年で全ての局面に対応力がセットされたわけもあるまいし。
 井山という囲碁の日本の7冠王も、若いくせに、中国の囲碁者にころっと負ける。やはり、何かがあるんですね。なんなのか知りたいものです。もっとも、年取ったら把握できない何かなのでしょう。頭脳労働ですからね。、

 さて、本日のテーマは題のとおりオタクもの。
 お手数ですが、ここから先お読みの方は時間等のエコのため(その1)と(その1.5)を見てもらって。その1が 2009-08-26 で、間に、自然科学的には一通り2017-02-04の広松批判中に書いてありますもので。 
 
 元に戻って、イギリスの近世農業を確認したくて題で借りた、常行敏夫という人の「市民革命前夜の市民社会」。見たら農業者のことはほとんど書いてないのですが、大塚久雄を補完したい、という著者の意図がいかにもずれてるので気になって書こうかと。
 著者の趣旨は、師である大塚が近世(近代)の歴史を産業資本と前期的資本の利害抗争の歴史にしてしまったが、そうではなく、絶対王政の政策の趣旨は必ずしもそうはいえない。なので、もっと社会史的、文化史的、政治史的領域を検討してみよう、というもののようです。
 でさ、問題は上記の「なので」の一瞬前。そこまで把握したなら素直に絶対王政の政策意図を展開すべきなんじゃないかねえ。それが武谷の3段階論というものです。
 唐突だね。
 現象論、実体論、本質論の武谷の3段階論は永遠の弁証法です。
 大塚氏なり常行氏なりが近世(近代)史は産業資本と前期的資本の対立だと把握したとしましょう。それはそれでいいや。しかし、それが真実だと思ってはいけない。この本質を頭においてもう一度実体を見つけに行ったら、その自分の頭から出てくるはずの現象と合わない事実があった。その事実はどうして出てきたのか、その契機はなんなのか。その契機と自分の理論との齟齬を組み込んで新たな本質論ができる。これにより全体としての理論が一段階螺旋を上がるわけです。そこを押さえずに、やみくもに自分が何の枠組みも持っていない事実を並べてみても、それはなんら本質に寄与しない。その事情は残念ながら本書で現実化している。
 ここでポイントは、自分が本質と思う枠組みを持っていて、かつ、問題の事象がそこに関わっているかどうか、です。 
 という意味では、こういっちゃあなんですが、大塚なんて一段下と思っていたけれど、さらに下から見ると(注)そこそこ上で、ということはマルクスなんてずいぶん上だな、と思ってしまいます。
 常行氏の著書中の展開も間違ってはいなそうですが、だからといってそれは歴史学ではあっても社会科学からは遠ざかるだけ。社会科学とは、余計な歴史の事実を取り除いてやっと手に入れることができた行為者に使用可能のテーゼなのですから。取り除く前に戻ることは退化といいます。まあこの人も馬鹿ではなく、それは分かっているもよう。師匠への遠慮じゃなく分かっているのなら、歴史学への寄与ではなく経済学理論の発展を心がければよかったのに。
 話は変わるようですが、そこでネットに現れるのが常行氏を批判している寺尾誠氏。ご自分がクリスチャンとしては立派なのでしょう、おかげで常行氏(もクリスチャンのもよう)の最大限善意的な資本家擁護もぜんぜん理解できないらしい。こうなってくるとほんと誰が悪いのか分からない(みんな個人の主観の反映)。歴史学は到底科学にはなりえませんね。

(注:常行氏がまとめたウェーバーのことです。常行氏は大塚のウェーバー理解が間違っていると思っているようですが、決してそうではありません。私も大塚とはもう40数年の理論的付き合いですし。初めて思いましたが、そうか、大塚は自分のほうがウェーバーより偉いと思ってたのか、と理解しました。
 誰も知らないでしょ。常行氏も知らないと思うんだ。違うよ常行さん、大塚は絶対自分が上だと思っていたから。もちろん私もそれに賛成です。)
 
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現代の芸術的風潮

2018-03-17 11:32:45 | コーヒーブレイク
 こんにちは。東京地方、昨日は桜がみるみる膨らんでいきました、ようです。私には遠くて見えません。今日は十分寒いですが。

 さて、ニュースは森友書換えなんでしょうねえ。なんだか関係ない財務省やら麻生やらが非難されて、よくわからない様相を呈しておりますが。ばかばかしいからケツまくっちゃえばいいのにね。
 今は関連情報が溢れてるね。ちょっと前メモとっといたのが、『赤羽一嘉衆院議員(兵庫2区)は「削除されたのは本質的な部分ではない」とし』云々。(神戸新聞)。ここが本質だから書き換えて、人まで死んだじゃないか。他にどんな本質があるというんだ。まあ「文書の『偽造』じゃない」、という趣旨かね。
 若人に解説しましょう。
 そもそもこの決定文書は、「なんだよ、こんな契約、イレギュラーだぜ。決定にハンコ押せったって会計監査院に指摘されちゃうよ。、、、あ、事情がほんわかと書いてあるや、そうか首相肝いりだっけか。経過は変だけど監査でも通すしかないと分かるだろう。数億円くらいなんてこともない。俺ら近畿の地方役人風情のせいじゃないからね。」と読ませるように書いたんだよ。で、上から「なんてことをしてくれたんだ、こんな文書を残して。お前らのせいだから書き換えろ」ってわけだ。と、ここまでは火曜日記載。すぐ遺書メモでこの文が正しいことが証明されてしまいました。(私は関係者ではありません、が、組織人間なら誰だって正しく分かることです。もちろん会社幹部のお詫び記者会見と一緒。みんな議員も官僚も新聞記者も全員が知ってて空しい言葉の応酬)。
 私は記事の詳細など読まないけれど、ネットで足立とかいうバカ議員の支離滅裂な記事で知ったところによると、実際もそう推移したんだとさ。会計監査院は指摘をご遠慮した、ってわけだ。そりゃそうするさ。それは誰のせいなのかね。捕虜を銃剣で刺した二等兵は戦犯で死刑になるべきか、って話だ。そりゃ本人ではなく命令者のせいで、命令者をたどっていけば天皇のせいで完結する理屈だがね。正当防衛という理論構成はそのために存在する。
 したがって、財務省も麻生も「やめたやめたぜ、ばかばかしい。アベ、一人で勝手にやれよ」と対応するのが正しい。
 
 と言ってるそばから、また議員による恫喝だよ、前川・中学校講演問題。どうせ議員が国の教育局長に「こんなのあいつにやらせてていいの。おかしいんじゃない? どういうこと?」とかねじ込んだに決まってるし(私は見ちゃいない)。で、局長は課長に「前川さんなんかやってんだってさ。議員うるさいから調べといてよ。答えない? 生意気だね、ちょっと脅かしといて」てなもんさ。これはシンプルだけどね、何も構造は変わりゃあしないさ。官僚が悪いわけなんかねえよ、政治家がそういう構造を作ってるのさ。
 
 ここんとこウサ晴らしが続いてるので、ニュースはやめ。
 本日は文化芸術。国立新美術館は至上の印象派展。朝日新聞を見ましたら、記事にルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が載ってました。で、この15歳のかわいいイレーヌちゃんは、その記事だと19歳でブルジョワ貴族と結婚したようでその19歳のふんぞり返った写真が載っていて。げ。いかにも、という。
 金目当てのルノアールの腕も偉いが、この写真を撮った写真家も偉い。くわばらくわばら。
 もっともその記事にはなかったと思いますが、今ネットを見たところ、イレーヌちゃんはユダヤ人で、その後、身内はどんどんナチの犠牲者になってしまったようです。あまり悪口もいえなくなります。
 
 さて、芸術の季節、土門拳賞も木村伊兵衛賞もうまいとは思うけど賞の趣旨として納得いかず、中原中也賞。相変わらず賞の趣旨として納得できないなりにこれはよい。
 マーサ・ナカムラ「狸の匣」。これは久々のヒットとしか言いようがない。
 いつもの谷内修三氏のブログによりますと

     「許須野鯉之餌遣り」その後半。

   見ると、池の底には、本物の池が沈んでいたのである。
   そこには無数の鯉が棲んでおり、ありとあらゆる罪の形を丸い麸にして食べてしまうと見物客は言っている。
   江戸時代の人、いつの時代の人か分からない人、もちろん虫や犬に至るまで、鯉に餌をやりに訪れている。

   「許須野鯉之餌遣り(ゆるすのこいのえさやり)」という立て看板がある。

   地上では若いころの身体に似せて化粧をする。
   水の底では、何もかも終わりがない。
   池の近くの公園では、老婆が若い頃の姿のまま、恋人とブランコに乗って永遠に遊んでいた。
   鯉は、口元に寄せる麸にひたすら口を動かし続けている。


 相変わらず中也ではありませんが、これは抜きんでている。東大生の作品ですね。別に東大生が抜きんでているとはいわないが、自由に言葉を操る能力が焦点だ、という比喩です。昔でいえば、長谷川龍生賞でどうだ。あ、長谷川先生はまだご存命か。
 そうなのだよね、土門も木村も中也も古すぎ、今の時代にその賞があるということ自体がおかしい。そんな現代の風潮・思潮の呼び方がないかと探しましたが、ないようで。
 もちろん天才アラーキーや鳥居氏のような生まれつきの芸術家が途切れることはないとして、それ以外の頭脳派。これを『自己保全的日常加工主義』、と呼びたいと思いましたよ。キャッチ・コピー的には零点ですが、私は評論家じゃないんで。
 そういうわけで、たとえば林忠彦賞とか植田正治賞とか谷川俊太郎賞とか大岡信賞とかにしたらどんどん該当者が出るであろう。そしたら私はもう一瞥もくれないけどね。(植田先生は良いですが。今年の木村賞の人たちは植田賞でしょう。でもそしたら検索しない)。

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2通りの抽象理論

2018-03-10 16:52:39 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方、一雨ごとの暖かさの季節になってまいりました。皆様お変わりございませんでしょうか? 
 ということは、花粉の季節でもあります。世間には花粉症のくせに花粉症と思いたがらない方がいて、よくわからない。この時期、サラサラ鼻水やかゆかゆお目々があったら、そりゃ花粉症ですぜ。あきらめてエスタックイブ(一般風邪用)を1日一回飲むか目薬をつけなさい(抗アレルギー錠剤は強すぎ)。わたしゃ大学受験のとき席で鼻水がさらさらこぼれて往生しました。
 というわけで、本日は若い方へのアレルギー講義。
 人間、花粉アレルギーの炎症箇所は、鼻と鼻腔下と口の中と咽喉と、さらに喉頭がありまする。全部違うんだから。この違いは29歳の内科学の医学ドクターでも知っちゃあいないね。
 鼻は鼻水、基本ね。鼻腔下は鼻水が外に出ないで喉に落ちてくるんだよ。口の中って、喉の皮膚が割れるのさ。咽喉は、喉の奥がひりひり痛む。喉頭は咳が出るんだよ。全部違うのが一緒に出ると悲劇だけどね、幸いせいぜい2つとか、場所をサイクルするとかなのだよ。医者なんかそんなこと知っちゃあいないさ。知らんでもいいけどね。内科医と外科医と小児科医は他で命懸けてるからね。でも耳鼻科医は知るべきだと思うね、自分でもそう思うでしょ。知り合いに耳鼻科医がいたら教えてあげてね。眼科医とか皮膚科医でもいいや、どうせヒマなんだから余技で医学に貢献するのがいい。

 さて、憎まれ口はおきまして、ニュース。ニュースといっても今日は呆れた米朝会談やらモリカケ問題で、パラリンピックの開会式の記事もどこにあるのか状態。誰も真実を知らないことなんか聞いても面白くねえや。
 で、一昨日の夕刊。法政大総長の田中優子が、知力の根源は、素読と、その復習的(他人への)講義と、討論、といってました。明治維新の立役者たちを見よ、と。
 いやおっしゃるとおり。われわれの時代でも、聞くところによると、左翼はみんなで綱領を読んで、それをアジって、他のセクト員と討論する、というのが基本だったような、、、これは説得力ないか。でも本当。マジな話、活動家は知りませんが、世の幹部社員の方たちはみなそうしておりますぜ。同じ日経記事を何度も読んで、後輩に言って聞かせ、飲み屋で上司とやり合う。20歳前の方は、ぜひ、心に留めるべきです。
 が、ここでは、そうはいわない。世間で知力を武器にして人々を仕切る場合はそれでよいが、ここは社会学の場。それじゃあ「弟子」にしかなれないぞ。
 (大)師匠になるには「復習的(他人への)講義」はやってはいけない。脳がそれに固まってしまう。そうではなく、素読での概念把握と他者との自己流の討議、これによって自己流の概念の枠組みが構築される。これこそ独自理論(の胚芽)であるぞ。日経記事は何度も読んで、先輩と討議をする。そこで、おや自分の言は(=あの記事は)おかしいな、と思える柔軟さが必要なのだよ。それには凝り固まってはいけない。別の局面で言えば、大革命家になる男は、35歳まではアジ演説などやるもんじゃない、ということだ。
 追加、ちなみに、明治維新で名の残ったやつらはみんな異端でしょ。要するに自己流。田中優子は何言ってんだか。自己流は、それだけ自己信仰も強くなるんだよ。これが大事。
 (あ、それでさらに追加。田中優子は、彼女いわくの勉強法が今の文科省の表現力施策とフィットするとか言うんだよね。フィットするということは今の文科省の施策は、せいぜい軍部士官(下っ端)を作るものでしかないということがお分かりでしょう。田中優子も昔は苦労人でもう少しだけまともだったんだけど、権力の味を覚えた人間はダメだね。)
 
 じゃあ、次も社会学的。
 本日のダイヤモンド・オンラインでは、清談社の松原麻依という人が、『キャバ嬢の社会学』北条かや氏にインタビューして、ブルデューの「文化資本」ターム(専門用語)を使って貧困の家庭環境の被差別性を説いていました。感心感心。つまんないターム(専門用語)なんだけど、なるほどこう使うと実用性が出てくるんだなあ、みたいなところ。主流派社会学も使う人次第だねえ。北条氏という人もマスコミな人かと思ってたら、えらいもんです。

 ついでに社会学でそろえちゃいましょう。
 ここんとこ、赤羽裕の開発経済学の無理さ加減を見て、師匠の大塚久雄の共同体論を読み直して気づいたところによると、世の中の現実からの抽象の仕方には2通りある。
 第1に、現実の中から狙ったデータをみつけてこれを抽出する。これも抽象ではある。ここから先は、現実内データであることを理由に、これは実証であるとして都合のいいように組み立てる。これがウェーバーの理念型です。そんな勝手なことをしていいのか、という問いには、少なくともウェーバーは、口先では、これは理論家の主意(恣意)であるのでその枠組み自体が正しいというわけではない、それでうまく説明できればいい、とまあいうわけです。まあウェーバーはもういい。
 さてしかし、抽象にはもう一種類ある。現実から、ただのデータではなく、その現実内事象の出現契機である、と見定めたものを抽出し、この契機の現実内関連を理論とする、これです。その理論化作業は勝手ではないのか、という問いの答えはこうです。『勝手か理論家の天才かは問われない。問題はその契機の連関が別の事象に適用できるか否か、の問題である。適用できて適用の結果が当該行為者たちの行為の将来に適合するのなら、それは正しい理論である』。この『 』内を本質論というのです。

 ということを述べる必要があるな、と大塚久雄の「理論」を見ていて思いました。私の感想は以下、『何を言ってんだよ、支配が直接的でなくなり、かつ、他人を養える農村に、仕事が便利になる産業が自立して、かつ、その食い扶持は当該農業製品と、いずれかの交換手段により交換される、などというのは、世界普遍の法則だ。』。何が資本主義生成の秘密を解明する「共同体の基礎理論」だね。大塚の理論は、現実の共同体にある『商品」を抽出して、うまくイギリスに個有になるように固めあげただけに過ぎない。もちろん局地的市場圏だけではつじつまが合わないことは分かるのだろう、しかしてウェーバーである。(赤羽裕である)
 別にそれでもいいけどね。「歴史理論」などというものはそういうものだ。さらに、私は知らないが、それが他人をさしおいて「開発」した理論であれば、それはそれなりに「説明」の先駆者称賛を与えるものなのだろう。しかし、経済学は科学でなければならない。歴史叙述の立言は他の事象に適用できなければ経済科学のものではない。「原因となる要因」を見ること。それを他に当てはめ得ること、それが科学の必須要件です。

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次回論究の情報訂正

2018-03-03 16:33:32 | その他
 こんにちは。東京地方、あと3日間だけ春で、目がかいいですが、この温かい日差しには代えられないところ。外に出て、あれ、家の近辺にこんなに梅があるのか、と思いましたが、考えてみると、晩冬・早春にヒマなのは今年が初めてでした。

 さて、ニュースは?
 「働き方改革関連法案を巡る不適切データ問題で、野党6党が厚生労働省の担当者を呼んで説明を求めているヒアリングについて、牧原秀樹厚労副大臣が「全面テレビ公開で、公開リンチのようにやる」と批判した。」(朝日新聞)。
 いやあ、こうゆうのは提出元に同情しちゃうなあ、どっちにしたって裁量制の勤務時間データなんて取れっこないんだからね。上司にいわれてつじつま合わせただけなのにねえ。
 お前は誰の味方だ、って、庶民の味方です。生活者の味方です。「味方」というと聞こえが悪い。その「同じ立場」です。政治屋の、あるいは「被害者」の、味方をしたことは一度もありません。死んだ後もしません。普通に生きている人間が普通に生きていられることが一番重要で、それが当然なのです。
 もっとも、誰でもわかるばかげたデータを出して正当化しようとしたのが悪いんだけどね。この辺は上司の質の問題でしょう。

 次、國分功一郎というフランス文学者が朝日新聞で言うには、今、憲法を語る者の言葉に「物語」がない。これではダメだ、とか。
 まずは、物事というのはそれに近いものだ、とちょっと褒めておきましょう。何せ、今、引用しようかと思って検索したら、早速「真面目な」人間に批判されていて。こういうの聞くと、理性的な人はおいやなんだよね、普通。しかし、いやでもなんでも、すべてイデオロギーというのはそういうものです。指摘している現象は正しい。
 で、戻って、しかし、國分氏の議論は根本的に間違い。憲法を語る者の言葉に物語が無いのではなく、評論を聞く者の心に物語が無いのだ。今だって口の利ける年寄りはいっぱいいる。(、、と思って9条の会のwikiを見たら、ほとんど死んでた。ま、理屈ね。) いくらそんな年寄りが自分の物語を語ろうと、われわれ以下の年齢の人間はどこ吹く風。その話を受け取る者自身に物語が無いのは自明です。
 ダメダメね。
 「聞く者の心は物語ではない」と言うか? ま、そりゃそうさ。本当は「憲法にフィットする物語の構成的契機を持ち合わせていない」、というのが正しい。だからといって、大衆の側の問題であることには変わりは無い。
 
 次。yahooニュース、題【「そだねー」本当に北海道弁?】
 私も親戚等で知り合いの北海道人の頭数は多いので『そだねー』ってすごく親しい言葉なんですが、私の山形の知り合い二人は、「あれ北海道? 俺らもンダネーっていうよな、って話してまして、それ違うし、と聞いてましたが、昨日のネット情報では、北海学園大学の菅泰雄教授菅教授は「彼女たちも、会見で『そだねー』と言った時は、標準語の『そうだね』と同じく頭高のアクセントが出ていました。改まった場面だったということもあり、無意識のうちにそうなっていたのでしょう」「一方で試合中は、緊張感はあったとしても、仲間同士のカジュアルな打ち解けた発話ですから、典型的な浜言葉の『そだねー』になっていましたね」(BuzzFeed)
 ああ、「んだねー」とアクセントが一緒なのか、と納得。そういわれないと他の地方人にはわからない。でも「そだねー」とはちがうんだけどなあ。

 さて本日のテーマは個人的お知らせ。
 懸案の次回(=次々回)論究。想定どおりの細テーマをつぶして全体の6割くらいきたところ、どうも 納得がいかない。
 総合テーマの想定内容は、「資本論が国家にも世界にも至っていないのがマルクス主義者諸君には不満のようなので、それなら私が至らしてあげようではないか」というもの。だから、『経済学批判』ないし、(悪口ではなく)クリティークという意味での『「資本論」批判』となる予定だったのですが、どうもくだらない。そんなちっぽけなことで余生を費やしていいんだろうか、という気持ちがふつふつと湧き始めてきました。諸学の帝王は社会学なのに、なぜ経済学如きに人生を費やさなければならないのだろうか。いいやそんな必要はない。それは初めからそうなのですが、これまでで社会学の本体は一応全て片を付けたので、余技に時間を割こうかと思ったわけで。
 しかし、それはやっぱり人生の筋が違う。私は社会科学の王としてこの世に生まれてきたわけで、それが余技などやっているようでは、死んだ方たちに申し訳がない。
 というわけで閃き直し、理論内に位置づけるべき経済ファクターをマルクス主義から取り戻します。いわく『「下部構造」の社会学 ―経済的拘束とは何か』。これは標題ではなくテーマね。どんくさいし。
 もっともやることは一緒なのだけれど。
 資本主義の生成・発展・没落・崩壊の変遷と人間の行為について。「崩壊」までね。
 
 もちろんそれは根本的には経済学と社会学との領域争いではなく、(私は別に社会学から恩義を受けた覚えはありません。アカデミストでもないし) そうではなくて、根本的な溝は、マルクスの「弁証法的観照主義」にあります。そういわれて何か不満のある方は私の既存の著書へどうぞ。そうしたヘーゲル主義的観照に追随した議論を私が展開しても、「あ、見方の違いね」で終わってしまいます。マルクスが終わるのはかまいませんが、そのために私の人生の一部が無意味になるのはごめんだね。「あ、こんなの見方の違いだよ」。ば~~か。でもそういわれても仕方のないところがある。
 人間に大事なことは「見方の違い」ではありません。見方を違えたときに、それを見終わった人間に何を残すか、が問題なのです。マルクスのように労働者に味方がいない時代の議論は、見方の提示だけでよかった。おかげさまで、恐れ多いインテリゲンツィア様が労働者風情の見方をしてくれたってわけだ。しかし、それから150年、恐れ多いマルクス様に私が見方の違いを突きつけたところで、それだけでは当然に、私という論者の立場はただのブルジョワ自由主義者と何も変わらぬハメに陥る、というわけです。
 というわけで、次々回論究が提示すべき条件は、イデオロギー的アドバンテイジから、根本的に平等な科学の仕切る場所へ変えます。すなわち、どれだけ行為者の行為の「遂行のための」事実認知に貢献できるか。被支配人民の行為のための事実認知を正しく整序できるか。
 
 で、「余技なので身内でのお披露目」(=ネット配信)というつもりだったけど、公刊もありうるので、ちょっと訂正しておきます。

 p.s.家人とリニアの談合問題ですれちがいました。私は生活派ですから、ぎりぎりの「談合」は当然で、もちろん法もそれを認識して作り終わっている、はず派です。とはいえ本来ではないからぎゃあぎゃあいわれると法の趣旨もつぶされる。
 おかしいやね、人が生活しているのにあーだこーだと。誰が裏で動かしているのか私には不明です。
コメント
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