リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

今回も生存証明

2021-06-26 14:38:26 | 断片
 こんにちは。東京地方の梅雨は基本的に少雨、にわか雨は土砂降るけど。今日は久しぶりに中学生の諸君が大きな掛け声をかけながら自主練習をしています。オリンピックだねえ。川崎市はこの3ケ月じっと感染者数中どまりを続けているので許してあげよう。しかし、なんでああ力いっぱい叫んで話さないといけないのかねえ、、、
 
 ニュースはピンとこないものばかり。
 「宮内庁長官発言、真意どこに=天皇陛下が五輪「懸念」―見解分かれる識者」(時事通信)。
 そんなものが憲法違反だろうと憲法の範囲内だろうと、何も事態は変わっていないし変わっていきもしない。今そんな発言をやめさせられようと、時代がどう変わろうと、「拝察」して天皇がそう言っているとさえいえば、それは常に右翼の巨大な統合的武器であることに何の変りもない。
 なんとかいう週刊誌で話題の皇族予定者、あれ天皇になるといいよね。「その時時代は変わった」。
 
 ニュースがピンとこないのは、ちょっといくつかの理論上の難問で頭がいっぱいなため。解けるのはわかっていても、どう解くかは「何かのはずみ」次第で。傍目には寝てんじゃないかとも見えそうですが。ともかく、ピンときた端から頭からこぼれていくのでしょうがない。
 
 で、前回、コロナワクチンは若人も探せばできるだろうと書きましたが、前言撤回。河野がワクチンが来ないんでもう追加予約はできないというんじゃ、できるものもできやしない、って無い袖は振れない。河野ってどうしてああいい加減なんだろうねえ。わたしのような正直者には到底付き合えやしないよ。
 
 あ、もう2時過ぎちゃった。
 というわけで、世間のことに頭が回りません。
 頭は、たとえば、「個人の一定の自由が安定的に確保された時、共生への個人的満足は、どの回路を作って存在しうるか」とか。
 何言ってるかわからない? そうなのだよ、共生というのは、口先男以外にとっては、なかなか難しい。
 
 ところで、フィルム写真撮ってる? コンデジが壊れちゃったので久しぶりにネガフィルムで撮って、前も思ったんだけど、フィルム現像店ってほんと限られた店しかないじゃん。しかも、人件費対策でみんなアルバイトの機械操作じゃん。
 でさ、どんな名機で立派な写真撮ったって、いい加減にプリントされたらおしまいだ、ということで。色はひどいわ、ぶれてるわ。ブレてるのは腕? そうかねえ、絞り開けて500分の1で撮ったはずなのに何枚もかすかにブレてるぞ。自動現像機ってぼろいとぶれるんじゃないかい? そろそろ手に震えが来てるんだろうって?
 真偽はおいてもいいけど、ともかくちょっと困りました。壊れたコンデジのほうがニコンよりきっかり写ってんだもの。
 
 
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生きてるので

2021-06-19 17:22:44 | 断片
 こんにちは。日本全国梅雨ですね。東京地方もそこそこ降って、雨もそこそこの雨量降らないと紫陽花は映えない、と気づきました。基本、晴れ男なので、外出でこんな雨量は今年初めて、ってたいして降ってませんが。
 紫陽花にはカタツムリがつきもの。ネット情報で知ったかぶりが「かたつむりは紫陽花にはいない、それは都市伝説」とか書いてありますが、「都市」ではそうかもしれませんが、生まれてこの方わたしが住む東京地方「郊外」ではどこでも、紫陽花の葉には必ずカタツムリがいます。今日も父ちゃんが子供とカタツムリ遊びをしてました。

 ところで私の300円のビニールジャンプ傘、ぶっこわれてしまいましたよ、ガシッとかいって。骨が集まってる中央部品が破壊してしまった。黒い柄がついてコンビニで売ってるやつ。まあ選べないからお教えしてもしょうがないね。
 
 さてニュース。
 「長引くマスク生活で化粧品が売れない…販売店の悲鳴 くすむ未来「回復の兆しすらない」」(福井新聞)
 え。ほんと? 売上3割減だってさ。理屈はわかるけど、先週行った玉川Tデパート化粧品売り場では、相変わらずの様子だな、と思ったんだけれど。売り子さんもそこそこいて。あれは暇だから近所のブースの店員さんが集まってたのかしら。(なお、デパート現場担当者様はどうせ大学出たてで世間のことなど知らないと思いますが、世間というものは売り場が人間的でないと納得しません。温かさ優しさ華やかさ。これが、見たらポツネンとした孤立した係員しかいない売り場ならどうでしょうか、売れるものも売れません。、、、ということをあわてて書き足しました。ほんと、子どもの世話は大変。)
 
 オリンピックもとうとう観客入れてやるそうで、チャンスのある人はともかく早くワクチンを1回は打ったほうが良いですよ、濃厚接触でとばっちりを食うからね、打てる道は探すと案外あるでしょう。何しろオリンピックの定義は、世界中から人が来て「競技すること」じゃなくて「その競技を見て騒ぎまくる」ことだから。
 2回打つべきかは知りません。わたしゃ1回目でとても気分が悪かった、私の場合インフルエンザワクチンでもだけど。2回はいやだなあ、、、
 それにしても最近の総理大臣は偉くなったね、自分の意見をゴリ押しして。まるで大統領じゃないか。私が生まれてから20年前までは各大臣の任命権者というだけだったんだよ。
 支配権力者の強さは、支配者たちの平面の社会過程で決まるからね。そんなのたかだか社会学の領域だけど、誰も書かないね、発想さえないからだね。
 
 発想と言えば、エツイオーニ(という社会学者)をネットで探してたらこんなのがあって、発想に驚き。
 「畑本 裕介 (慶應義塾大学)
「、、、ギデンズの場合には、明らかにシステム、ひいては社会の安定を軽視する傾向がある。誤解を恐れずにいえば、主体的行為(agency)の能力に期待するあまり、社会の変革には目が向くが、もう一つの重要な価値である社会の安定には目が向いていない。つまり、ある場合には重要となってくる選択肢を放棄してしまっているのである。
 よって、新たにこれを補う理論を求める必要がある。主体的行為に代表される行為者の自律性とバランスを取るために、社会秩序の安定についても同時に考察していかなければならない。」
 社会の安定!! 社会学会の報告要旨でどうということではないのですが、発想ね。いくら慶應でも40年前までならありえない。世の中に幸せな人が増えている、ということでしょうかね、20年前の発表だけど。でも今日はオタク話なし。
 
 NHKニュースで、聾者との会話で、リアルタイムで字幕処理がされるパネルができたっていうのがありました。たとえば会話相手の間に透明パネルを立てとくと、そこにしゃべった文字がずらずらっと並ぶの。おお。これは応用が効きそうだし、よさげなもの、と。話をメモ紙に書いていくのは慣れない人だと大変。
 作者鈴木一平氏、筑波大学、まだ若いの。悪名高い筑波でも特殊教育(障害者教育)は別格だな、と解釈したら、ちがくて、統合した図書館短大(=情報大学)の流れの人のようでした。図書館短大、善良だからね。もっとも特殊教育学の出身者と交流したからで出来たみたいですが。ま、これで社会が少しでも住みやすくなれば素晴らしい。
  
 さてなんかもう夕方だよ。
 オタク仕事も順調です。なんとかあと1年生きてられたらね。

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世間話し

2021-06-12 11:29:01 | 断片
 こんにちは。ぷち暑さが続きますが、ようやく慣れてきた感じです。紫陽花はそろそろ枯れた小花がでてきました。東京地方は雨も降らないのでつらいでしょうか。
 
 さて、今日はただのおしゃべり。
 コロナワクチン、東京新宿区、杉並区では、若人優先に切り替えるとのこと。
 みなさまには喜ばしいことですが、どうだかねえ、、どんどん巻き込まれる諸君が増えると思うぞ。
 みなさまも、数人でつるんでいて「俺らワクチン打ったし、さあ飲もうぜ」とかいわれたら「僕まだ打ってないからいかない」なんていわないでしょ? (みんな打ったんならまあいいや、どうせ風邪と同じだし)とか自分を納得させて夜遅くまで騒ぐでしょ? 若人っていうのはそういうものです。そうでなきゃ今までも若人に感染することなどないのだから。
 若者は、居酒屋のバイトとか家族とか、罪もない周りが全部打ってからがよいと思うのだけれど。そもそも自己抑制が強ければワクチンなどなくとも感染らないんだし。
 
 なんていうのも他人事で、わたくしも昨日ワクチンを打ってまいりました。
 川崎市の大規模接種会場のモデルナ。1回目。
 すごい人海戦術で、あなた方はいったいどういう本職で? と聞きたくなるほど。
 あれよあれよという間に終わってしまいました、ぜんぜん川崎市らしくない。
 しかし機械作業なので、家人と二人でいって2回目の接種日をずらしてもらおうと思ったら、もう決まってるのでだめ、といわれました。川崎市らしい。子どものいるご夫婦とかはお気を付けください、2回目は高熱が出ますので、2,3日、子どものご飯はありません。
 1回目は翌日の今日、注射した肩が(血が集まって)張るくらい。昨日わずかに熱があったかも。いずれにせよ「なんの副反応もありませんでした」としゃべっても嘘にはなりません。これから1週間かけて、体中に伝わっていくんでしょうね。
 
 ちなみに、うわさでは、市中医院は耳鼻科が空いてるようです。ふつうの内科の予約は、電話が昼過ぎにやっとつながりましたが、3週間後でした(ので止めました)。そのために電話番バイトを雇ってるんでしょうね。
 
 ではニュース。
 「牛肉、食用油、あの野菜も…食品の値上げ続々 理由は」(朝日新聞見出し)
 理由はそれぞれもっともらしく。平年より作柄が悪く、、、のたぐい。嘘つけ。ここ10年近く「作柄が悪い」が続いているのに、今年の値上げの理由になるものか。朝日新聞も1割値上げ。「販売・広告収入が減る一方、新聞製作コストは高くなっている」。なんだよ、新聞製作コストって。取材もしないくせに。
 まあところで、わたしのような底辺消費者はそんなことにぶうぶういうけれど、ほんとは裏でコンスタントに物価上昇が続いているように思うのですが。
 違う? 政府統計はずうっとほとんど変わらない、5年で1.7%上昇って?
 だからそれは表。
 例えば国の統計ではワイシャツはもう40年も値上がりしてないってことになってるんだけどね、そうかい? っていっても若人は知らないか。
 25年前、ワイシャツなんてダイエーで900円だったんだよ。私買ってたから知ってる。ネクタイというものもあってさ、(ドンキでなく)ダイエーでさえ3本1000円。
 いまワイシャツなんて安くて1900円だよ。ネクタイも安くて1本1500円。
 いや、いくらだっていいのだけれど、それで統計上は何の値上がりもしてないって、そりゃ疑うしかないのでは? 対象を選べばいくらでもそんな数字は作れる。ブランド品ならそりゃ高くなってないでしょ。むしろ安くなってるかも、海外依存の安物だから。マックのシンプルハンバーガーはここんとこはずっと120円(~100円)だけど、そんなもんメニューにはありゃしない。メニュー単価はどんどん高くなっていくし(割引率の悪さといったら、、)、でもハンバーガーは「値上がりしていない」。なんでも対象の取りよう。
 いやどうだっていいのだけれど、ほんとに物価上昇が続いてると思うんだよね。それで私のような底辺消費者ではない平均的消費者である社員や農民は、あっちでもこっちでも値上げしないとやってけないんじゃないか、と。
 といってもほんとのことは統計局の担当者しか知りえないからね。 
 
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産業社会学に向き合うとすれば(その2)

2021-06-05 11:03:11 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。今どきは掛布団に困ります、寝るときは暑くて明け方は寒くて。どっちを選んでも、起きると体調が悪い。
 外では梅の実が大きくなってきました。熟して赤みがさしたのがきれいですね。
 子供の頃は梅酒が楽しみで。夏の暑い日にぴったり。長じてブランデーベースというのもいただきましたが、あんまり違いが判りませんでした。大人は飲むタイミングがないので、作らずにチョーヤ梅酒でしょうか、風情がないのが残念。
 
 世間話。一昨日、800円ほどのキッチン部品をネットで買ったのが、はるばる中国から3週間かかって届いたのですが、よく見たら荷札がキリル文字。あのロシアの文字です。
 おや? と思いながらアルファベット文字を思い出してると、どうも「キルギスタン」と読める。え? made in chinaと書いてあるじゃんと思いながらもwikipediaを見ると、やっぱりキルギスで、首都ビシュケクからだってさ。ほんと世界はグローバル。
 
 さて、今日もつまんない話でふつうの方に逃げられちゃうので、なんとかお役立ち情報、もっとも東京地方限定。
 コロナで閉まっていた神代植物公園(調布)、昭和記念公園(西立川)が昨日今日、開園しました。神代は予約制ですが、さっきみたら、明日以降は空いてそうです。お昼は深大寺そばなどどうぞ。
 といっても神代の花はちょうど端境期のようで、その点は昭和公園のほうがよさげです。
 ただこちらはロクな食べ物がない。明日は雨模様でお弁当も食べづらそう。東京地方来週はそこそこの天気ですので、平日休みの方はお弁当手持ちでどうぞ。
 
 というわけで、本日の本題は、前々回の続き、で自称(その2)。
 悪口をいっといて「なにいってんだこいつ」と思われるのもよくない。ちなみに前々回礼儀で書かなかった書名は、「産業社会学」東大出版会、1973。

 およそ人々のための実証的産業社会学とは、その他の領域社会学と同じく、その対象の実情をしらせるべきものです。農民にはサラリーマンの実態を、サラリーマンには農漁村その他の自営業者の実態を。
 もちろんそれぞれの専門生活者は学者以上にそれを知っているのですが、しかしその事実を他部門専属者に伝えるためには、現実的にはやはりそれ専門の従事者が要るといえます。
 また、実証の他に、もちろん社会学は科学ですから、法則の定立、つまり行為者に対して彼の将来を定立させるべき事実認知の提供をしなければなりません。すなわち、その状況が何によってもたらされているか、その現実への規定性の析出と、次いでその現実を行為者のより良き将来のために変える方途の提出です。
 産業社会学であれば、企業内行為者の現状の規定性と、次いで、どうすればその自己の現状という現実を改善できるかという方途です。
 具体的には、諸経済要因の企業行動及び企業内行動への影響の仕方と、その影響の仕方を規定する諸要因の析出。そしてある場合には、もともとの経済要因への反作用の仕方。です。
たとえば、資本主義の腐朽的貿易環境、諸保護政策(の無さ)、技術革新等の影響をめぐるそれです。ここにはその視座の設定時点以降は、価値判断の入る余地はなく、その法則的定立は、ある時点にとどまらず、次の未来時点での法則措定にも役立つ科学なのです。
 
 社会学とはこのように、物質的諸条件を人間行為につなげるための科学なのです。
 囲い込まれた行為者を取り巻く「社会」についておしゃべりする学問であるはずはない。なぜなら、何度も言いますが、「そんなことなら中にいる人間のほうがよく知っている」からです。現状、社会学者が生計を立てられるのは、その「常識」を外部へ情報しているその作業への報酬であるに過ぎません。

 というだけではよくわからないでしょう。対照的な議論を挙げておきましょう。
 社会学とはシステムと行為との仲介に必須な学なのであって、これなしには科学は成立しません。
 ところが世の自称経済学・思想書・歴史学的大著なるものは、諸経済要因を、生活者人間に身近な概念に直結させ、それで論が通ると思っている。しかし、これらはすべてが「評論」です。 
 それらの論の根拠はどこにもない。だれでも認める客観的事象についで、「社会の場面」と「人間の行為の場面」に自分の好き勝手な概念を持ち運んで、自分の言いたい価値評論を縷々(るる)開陳しているだけなのです。世間の(経済)論議の98%はこれであり、残りの2%が「産業社会学」なるものです。お間違えなきよう。社会学の最後の結論は、必ず行為の原理・原則にのっとった人間の行為を物質的条件につなげた形で終わらなければならないのです。
 
 さらに悪いことには、或る議論は、それが公表される限り、その中には人の役立つことが書かれなければ存在意義がありません。ここで、囲い込まれた行為者を取り巻く「社会」について書くことは、ただの現状のお知らせであるはずのものが、当該対象組織等にかかわる人間にとっての諸評価、あるいはその評価を基とした関係者・評価するであろう第三者への「提言」となってしまう。もちろんその提言の未来の存在に備えて、論旨もその提言等を支持する様相を呈します。
 経営組織、そこでの人間関係、リーダーシップ、そこでの人間の意識、疎外的状況、労働組合、労使関係。よせばいいのに、そのすべてに提言等がついて回る。かくてそんな議論は当該組織の変遷とともに50年後には無意味になるのです。
 それはすでに社会学ではありません。経営学です。ある組織の構成員の志向をまとめあげて、その組織の目的に沿う形で、各々の最大値を求める学、経営学です。
 経営学が悪いというのではありません。ただそれが経営学だ、といっているのです。
 もっともついでに賃金労働をしたことのない人には念のため伝えておきますが、組織内労働者は、そんな目的で微分した満足など求めてはいません。少なくとも元サラリーマン隈はそうです。元サラリーマン隈は、どうすれば自分の満足を社会で実現すればよいのか、それを学問的に求めているのです。
 経営学? おととい来い。
 
 (もっとも問題とした書にあっては、産業社会の現状への「技術革新」の影響、あるいは傾向性の有効さへの議論が淡々と語られている論文もあります。論末提言もない。ないのは論者の自信というものでしょう。実際、そうでなければなりません。
 て、その論者が間宏先生では、隈の言は正直に受け取られないでしょうね。)
 
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