リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

歳忘れ

2012-12-31 21:13:59 | 断片
 こんばんは。
 大晦日、もう今年も終わりですね。

 私には恒例の紅白歌合戦。年忘れ以前に、名も知らない若い衆が幸せな歌ばかり歌って。
 そういえば(そんな幸せそうな人たちを見て)、今年、一番ストレスな集団は、被災地を除き、(年金局以外の)厚生労働省良心派だろうなあ、と思いました。人は悪口をいい、隈は自分は関係ないといいながら弁護するあの集団ですね。
 鳩山で、せっかく自分の理想を実現できるかも、と思った彼らの2割が(どこだってまともな人間は2割だけですよ)、あの菅かよ、みたいな葛藤を乗り越えて、2012年、まともな野田が出たと思ったら、ああ、やっぱり自民党か、、、もうだめだね。みたいな。
 県庁や、市役所にも2割の良心派はいるでしょうが、彼らにできることは、県知事や市長に良心がある場合の太鼓もちだけ。しかし、国は悪評高い官僚国家だから、2割の良心派で良心的施策がやっていける。あとの8割の官僚の役割はケチづけだけだからね。プラスにはならないがマイナスにもならん。その証拠にいままでそうやってきたのだよね、、、右も左のわからない若人は、せめて民主党にいれりゃあいいのにねえ。
 もちろんみんな共産党にいれたら、支配者はびっくりして劇的に変ることになるのですが、、、
 またもちろんわたしは共産党「支持」ではありませんが。そのぐらいしなきゃ意味ないのは、橋下にいれたがる若人と同じ趣旨ですな。ただ、もっとシンプルに世の中のことをわかっているだけ。
 さらにもちろん、改良施策で助かるったって、東京都で2万人くらいかな。全国で20万人。そりゃ資本主義内だから、それっぽっちではありますが。自分じゃ5人も助けられないし。
 
 という、結局そんな悪い年でした。
 わたしには大それた望みはありませんが、せめてわたしの半分くらいは、みんなが幸せの基礎を持って欲しい、、、
 
 
 というわけで、瞬く間に過ぎたこの1年
 今年は、職場は変わったけれど、わたしなんか、仕事は著述業と思っているんで、次作がただの電子データしかない本年は、なんでもない1年でした。来年のための蓄積期間。

 他方、人生は人間でできているとも思ってますので、友だちが亡くなったり、職場が変わって人も近づいたり離れたり。また別れと出会いの繰り返し。新しいといえば新しい1年でありました。
 もっともだんだん仲間たちも退職していき、新しい出会いの人たちもほとんど年がずっと下。多少寂しくもあります。それでも皆様に気を遣っていただけるので、この歳的には、一種、幸せ者なんじゃないかな、と思いもします。一種かよ、なんて怒られるでしょうが。

 というわけでこの1年、ありがとうございました。
 読者の皆様もつまんない偏屈ブログにどうもありがとうございました。
 また来年もよろしくお願いいたします。
 
    あと2,3時間ですが、皆様良いお年をお迎えください。
    まだやってたら、紅白、丸山明弘みてね。
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「野蛮」と「傲慢」

2012-12-30 21:21:00 | その他
 こんばんは。さすがに本日で勤務仕事1年終わりまして、あと数日、解放的心情。

 なんでもyahooニュースによれば、インド女性が蛮虐なインド男共に殺された、とのこと。
 その前はイラン女性でしたよね。
 ほんとに、後進諸国の下層階級の男共のやることといったら。
 
 上記の段落でいっているのは、
 1 野蛮な男共には、宗教など関係がない。
 2 後進諸国の下層階級の野蛮さには、権力の行使以外、なんの歯止めもできっこない。 
 の2点です。
 
 イスラム教でもヒンズー教でも、そんな宗教教義はそこでの人民の生活に何一つ関係はない。
 それらは要するに支配階級の自由を保障するものであり、である限り、弱いものを保護する契機(=要因)などもってはいない。
 
 そんな支配国家でほっておかれる下層階級は、支配階級の自由を体言する抑圧文化の価値のおこぼれにあずかった自分の力しか頼りがない。一方、自分の力は頼りになる。要するに「俺は男だ。女は俺らの道具だ。だって、お上も「良い」っていってるぜ。」
 
 タコどもが。
 ま、67年前後(いや、もちょっと後)の野蛮セクトもそんなものに近くてね。
 そういうド恥を今に伝える手段がゼロというのも笑っちゃう話じゃないですか。
 そんなクズ共が今じゃ大企業の取締役その他に居座ってるって、どんなもんですかね。
 
 ま、上記数行は余談。
 とにかく、私は原理主義アナーキストではないので、(権力嫌いの私でも)そうゆう下層階級の野蛮人は、国家権力か、共同体権力の下におかれなければならない、と信じてますよ。
 (都市中層人民の決起→支配権力の更新→都市部での女性向上→農村・下層への波及)
 将来的にはもちろん、無政府共産の、下層も上層もない世界で生きるわけで、葛藤はなくなるんですけどね。
 (注:近代下層日本人が野蛮人でないのは、共同体権力の強さによる。)
 
 というように、シンプルに書くのが、あるいは書けるのが、私の強さ。
 何が「強さ」かというと、論より証拠、急進セクト同伴者の数万人は大中企業の幹部。私は、いまだに70年世代ひきずり男。これが強さの証拠。
 ・・・分からない人は、「今日は(も)つまんねえや」にしといて、あとは分かった人あて。
 
 で、本日の後段は、もう少しつつましく。
 こんなふうに一刀両断、人の悪口ばかりいうクセも、一種、野蛮さの流れなんだろうな、と。
 これって、ほんと、殊勝じゃないですかね。あなた(?)方のような若い方には想像できない弱気な発想では?
 
 人それぞれ、一生懸命生きている、もちろん好き好んでなった大企業取締役でも、、、(いや、これは好き好みすぎてるな)、中小企業部長でも、彼自身にしてみれば、そうならなければ本人家族が生きていける方法が見つからなかったんだろうし、、、
 
 にもかかわらず、私はそういう方たちをケナシ続けていかざるを得ない。
 それは、そういう行為によって私は報われずとも著作作業を続けていられるんだ、ということです。
 人間あれもこれもというわけにはいかない。誰にでもいい顔はできない。
 同じ伝で、そういう私の勢いに巻き込まれた方には、素直に謝って、これを機に、私のそばには来ないようにお伝えするのが正しいんだと思いますね。

    てゆうか、まあ、こういう発言が他人には傲慢なんだけどね。
 
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ある感想

2012-12-26 21:53:27 | 断片
 こんばんは。世間は年の瀬のようですが、私には不明のまま、今日は家人が親戚の病気の容態を姉から聞いたというので、又聞き。
 家人は戦前の半封建的文化育ちなので、話し言葉にも前段、修飾、その他挿入句が多くて、慣れてるとはいえいらいらすることこの上なく(ま、これはお互いさまというものでしょうが)。
 こちらは、何より先にいち早く近々の将来どうなるかとかが知りたいのに、そこをじっと我慢。 ま、じっとではなく「早くいえ」とか文句いいながらですが、なにしろ気が小さくて(気が弱くて)(繊細で)(ともかく知ってる人の不幸は嫌いです)。

 で、思うに、言葉の少ない、象やイルカやゴリラなんかはこんな苦労ないよな。
 彼らは、直近の寸秒を争う危機を最低限の言葉で仲間に伝達し、行動をとる。
 来週や半月後の話なんかしませんやね。
 したがって、来週の危機の想像など思いもしない。
 思わなければ何もしない。
 かくて、彼らには「眼前の仲間の状態」というストレスしかない。

 人間というものは、幸か不幸か、コトバの発達で「想像」をしてしまう。来週のこと来年のこと、隣の村のこと、隣の国のこと。
 おかげで、こんな現状ではならじと、技術への要求が生まれ、思想が生まれ、それを生きる個人が、歴史の中に種々の事実認知を落としてゆく。その事実認知が、人間の歴史を象の歴史とは違ったものにしてゆく。

 ま、こんなことは、べつに他の人も他の(間違った理論体系下の)言葉でいってますね。
 今日の話題は、では象の国と人間の国はどこが違うか、という。
 
 思うに、「年齢順に死ぬ」、ということではないでしょうかね。
 シンプルには、子どもは親より早く死なない。ということですね。
 もちろん、親子のことを言っているわけではなく、戦争で恋人が死なない、戦火で逃げ出して赤ん坊が飢え死にしない。子どもがライオンに食われない、赤ん坊が寄生虫に倒れない。
 そんなことは今の世ではできないけれど、いつか世界中がそうなるように歴史が動いているというのは、象の世界との大きな違い。同じ時代に生きている哺乳類中での帝国主義的繁栄ですね。
 と思うと他の動物に気が咎めますが、ま、それはいまだ夢の世界。
 
 年齢順だけで人が死ねる社会には、仏教がはびこってもいいですな。そんな社会に宗教は不要でしょうけどね。
 
   いや、「年齢順に死ぬのがいい」なんて話も定番なのは知ってますけど、それを左翼のくせに「言語での想像世界を持ってしまった哺乳類社会の理想形態」と規定したところがちょっとユニックではないかしら?
   
   ま、酔っ払いの断片、断片。

(注:半封建的文化とは、後進資本主義国の政治等上部構造の特色を指す言葉。政治家・官僚・資本家が後進人民を指導するため、事実伝達よりも権威の伝達を主とする手法。無文化人民との差別化を特徴とする。日本においては戦前中産階級者からの伝達方式の学習により、団塊の世代付近を掉尾とする。定義:隈)
 
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ユーフォロジー

2012-12-23 20:51:45 | 行為
 こんばんは。ここのところ世間ではウイルス性胃腸炎なるものがはびこって、周り中やられていきます。誰か移すやつがいるんでしょうね、ってもう複数でしょうが。
 私は世界に誇る食生活習慣と睡眠時間をもっていますので、今日までは大丈夫ですが、皆様いかがですか? やはり、胃腸炎には、うどん、とうふ、アンパン。これが三種の神器でしょう。
 
 さて、なんのかんのといいながら、もう年の瀬。購読する商業新聞ではそろそろカチンとくるような評論集めを始めました。カチン、いくつもある中でどれかをまな板に揚げようかとも思いましたが、カチンと来るといっても朝日新聞ですので、そこは中道左派、あまりけなすのも良心的庶民の読者から見れば、右翼っぽいようにも思えます。
 
 で、やめて、本日のお題はUFOLOGY。空飛ぶ円盤学です。 あんまりその筋の方にこられても困るので、題はカタカナにしておきましたが。

 ははん、例によって、「中途半端」ブログか、と思われた方。違います。
 さすがにもう年末。所定の私の秋期執筆スケジュールは終わりまして、(って寒いから考えられないからですが) 今回はマジ。UFOLOGYというのは、昔から平等思想の学なのです。
 
 今日の昼休みの図書館行脚で手に取った子供用アメリカ小説がそのUFOモノで。数分の立ち読みなんで題は忘れました。2000年出版か何か。
 本の一部の趣旨は「宇宙人は、人間が悲惨な生活を経過し自分で賢くなるまでは、助けの手も出さない。じっと見守っている」というもので。
 はあ、アメリカも民主的になったものだ、と。
 だいたい、UFO学というのは、差別と支配、あるいは民族、国家をなんとか超えようとする学問なのですが、それでも1960年代のUFO学は、さすがに主体性的立場、学の本場アメリカからすればおせっかいの侵略主義志向をぬぐえず、「彼らは姿を現して、戦争を続ける人間に警告を発し続けている(のだからわれわれはそのメッセージを汲み取って行動していかなければならない)」というものでした(そういう積極性も悪いばかりではない。たかだか思想にいいも悪いもない)。
 
 で、40年後、(ぶっちゃけていって)アナーキズムUFO学は、仏教UFO学になってしまった。「人間は主体的に生きて、自分たちの何がどう間違えているのかを自分で発見しなければ、この平和で情緒豊かな宇宙人の高みにはこられない」、というわけですな。
 
 そら、おかしいばい。
 分かったからって何もできない(ならない)のは、私、この隈が一番よく知っている。ま、それだけでこれ以上反論するのもばかばかしい愚劣な意見ではありまして、悟りきった宇宙人には「君たちの裕福さの秘訣を教えてくれたら、それだけで世界何千箇所の紛争も終わり、中国と日本の領土争いもなくなるよ」というだけのところであります。あ、ここポイントね。すべての紛争は、生理的身体の保全と、差別とに、根源を持つ。
 
 それにしても、同じ平和と平等のUFO学でさえ、思想の立場というものは時の流れで変わるものだ。思えば高校生、沼川淳治大先輩に手ほどきをされて以来40年。この変化はみんな愚劣なマルキストの所業の遺産のようでもあり。とはいえ、もちろん、死ぬまで闘ったのは私ではなくマルキストだ、ということも承知の上。
 でも、沼川さん、まだがんばってるね。
 
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「生き方」

2012-12-17 21:38:19 | コーヒーブレイク

 こんばんは。今日はマイフェイボリットシング。

 本当のところ、本日はなんといっても自民党大勝の日でそりゃつまらないことですな。ま、わたしゃニュース源は新聞だけなので、ダメージは少ないですが(他から入らないから無視できる)、それにしても、毎度のことながら、日本で何が起きたって俺のせいじゃない、って気は今回も持ってますね。
 派遣? フリーター? 知らねえなあ。 どうせ君ら、無投票か、自民党にいれたんだろうが。
 こちとらもう何年も、「節を屈して」、共産党支持だぜ。
 
 もっとも、私が日本軍復活を10年後といったのは「風とベイシティキャット」の04年だから、ちょうど予言が当たるってことさあ。
 (、、、って、あれからもう8年かよ、、、)。

 しかし、そんな「わかったわかった、どうせ君ら昔からそんなもんだよね」、なんて余裕の新聞閲覧の中、「へッ!!!」 と、口、ポカーン、なのは、東京都知事合格の猪瀬直樹。
 ”石原様の言った東京オリンピック、大切ですぜ。外人連れて被災地を練り歩きましょう””石原様の後は忠実に私が引き受けます”、、、なんのこったい。石原って誰か知ってるのかね。
 猪瀬、信州大学、某C派キャップ。そこまでのバカか。
 
 というわけで、今日の分類は、マイフェイボリットシング
 どうもわたしは何よりも「生き方」が好きなようです。
 なんとか自分の生きた道には満足したい。なので当然に、それに反する生き方をする人間には、無視か軽蔑でしか対応しない。

 世間には「上の者」の言うことを聞いて行動することで自分に満足する人たちが、人間の3割くらいいることは知っています(PS.3日後の追伸で後出しジャンケンのようですが、大人の7割は周知のように、そういう人間に限って、自分が「上の者」になるとふんぞりかえります。別にそれが悪いというわけじゃなくて、その裏にある「ウソ」が軽蔑の対象だ、といっております。君子狐変。キツネが怒るか)。べつにそれが悪いとはいわない。なんでも人には、好き嫌いってことがありますからね。自分が好きだ嫌いだって、それがなんだというわけではない。
 でもさ。お願いだからそんな人は、他人に偉そうな口を(2度と)利かないで欲しいんだよね。おまえ自身、そんな人間じゃないんだから。自分だってわかるだろ? そりゃもちろん、俺らだってわかってるってことさ。
 お前の言で、過去何人、何十人の人間が命を失ったか、ってね。
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「帝国主義」

2012-12-15 17:27:17 | 不定期=中途半端
 こんばんは。東京地方、寒さは冬だけど、季節はちょい手前。モミジなんか、ようやくくすんできた、なんて状況も多かったり。

 で、関東地方の商売人は、なんでモミジを過小評価すんでしょうね。
 注意してみると、京都以外のモミジ名所なんか、モミジの木の2,3本が支えてるんですよね。例外なんて、日光、箱根、高尾山しかないです。あとはみんな2,3本。ま、4,5本でもいいけど。
 違うと思う人は反論してください(一山でなら千本ある(そりゃ、5センチ以上の太さじゃ十本もないけどね)、とかはだめ)。来年、なにはなくとも予定を組んですぐ見に行きます。
 今秋も相模湖畔でうち捨てられた合掌造りの広いソバ処 (炉辺焼き処)を見てきましたが、どんな人の試みかは知りませんが、失敗作は悲しいですね。 あんだけ広きゃあ、日本庭を構成して、モミジの20本も植えれば、春・秋の観光客は絶対確保されたことでしょうに。その証拠に、東京地方西部の某ウカイというレストランは、建物の造作とモミジだけで人寄せを完了してます。イルミネーションもいいけど、田舎はモミジが王道。お互いのためにモミジ植え運動を。
 
 以上、一部の役に立つブログおわり。
 
 で、今回は、外見上、前回の続き。
 前回、社会主義でも資本主義でも「国家」は同じ、と言ったところで、念のための注。
 
 一応、社会主義の膨張主義と資本主義の帝国主義とは経済上は違ったものでして。
 資本主義における帝国主義とは、それまでの商品市場で売ろうとしていた商品が、人民等の欲望が飽和してしまったために売れない、あるいは、そもそも自国の人民用でないものを作らざるを得なく作ってしまったので売れない、いずれにしても商品が売れない、そんな段階の話で、それじゃあ、集まった労働力、あるいは同じことだが、商品を、どこで解消するか、という問題のことなのです。
 この問いへの誰でも分かる答えは、「まだ欲しがりそうな地域へ売る」です。
 そうして、歴史は、「もちろん誰でも同じように考えた」、ということを示しています。
 この事情を補助するのものが国家であり、ある国家におけるこの商売と国家の政策のセットの期間が帝国主義と言われるわけです。

 ここで重要なのは、その資本主義的契機は、過剰資本の、あるいは同様に、過剰労働力の行き先にすぎない、ということであって、いわゆる帝国主義的侵略は、国家とセットになってはじめて現象する、ということです。
 同様に、非資本主義国家の侵略は、なんであれその国家経済の要求があれば、国家とセットになって帝国主義的侵略を始める、ということです。

 これが「国家は同じ」ということです。

 独占段階であれなんであれ、資本主義国家は、帝国主義的侵略などしなくとも、都合の良い資本投下先があればそれで満足をする。これも現実どおりです。
 一方、社会主義国家の経済側面は、資本投下=労働力投下の必要は特にはありませんが、地域的利益の入手、たとえば消費物資生産のための原料入手、が必要とあれば、国家と手を組んで、というかそもそも国家が本体ですが、いずれにしても平気な顔をして侵略をする。
 まことに唯物史観の教えるとおりです。
 
 もっともマルキストはそんなことは教えません。それをマルキストが教えないということ自体、自称マルキストのバカがさらけ出てますな。
 口に出るのは、バカの一つ覚え。「侵略する国家? あれは社会主義ではない」。じゃあ、どれがお前の言う「社会主義」なんだ?
 もちろんそんな問いをしてあげるのも徒労なだけ、というのも現実のとおり。彼らはそれぞれになんの根拠もない自分の夢想を口にするだけ。「自分の理想の国家が社会主義国家だ」って、なんの科学的意味があるの? 
 国家は国家なのだ。

 ところで、明日選挙ですね。
 ふと思うに、「原発即時廃止」は意味があるけど、「将来は脱原発」っておかしいんじゃないかなあ。ま、言ってるやつらにすりゃ口先だけだけどね。
 やはり人間が新しいエネルギーを作った、というのは大きな意味があるべきだよ。
 それをどうやったら使えるか,捨てられるか、それは将来の課題じゃないかねえ。
 200年もすればなんとかならないかねえ、、、
 
 ご存知の人はご存知のように、これは私の2011年の正月の夢だったけどね、別に毎年の夢にしてもいいよ。

     いずれにしてもほんとのことしかいえないわたしゃ、政治屋は向かないね。
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「現実主義者」

2012-12-08 21:14:53 | 不定期=中途半端
 こんばんは。東京地方、氷雨のような天気のうちに黄葉期も過ぎ、今日は風がどんどん枯葉を薙いで行きます。ベランダからはそろそろ葉の落ちた森の向こうに山が見えてきました。(だから東京の地方だって)。まあ、晴れて温かいので許しますが。

 本日は、ニュース好きの家人が「また変な番組やってる」って、7時半のニュース枠に「戦艦大和」番組をやってるんですね。
 「まったく国営放送は。中国がバカやって眠れる獅子(日本軍国主義)を起こしちまったんだよ」みたいに言って、よく見たら自称「良識の朝日」も「八甲田山」なんかやってる。
 ああ、世も末だな、と思って考えると、今日は開戦記念日。ああ記念放送という考えもあるが、と思って番組表をみると、日経連放送=サンケイフジは、明るいお笑い番組ばかり。
 はあ、これは番組をやってるほうがまだましなのか、なんなのか。
 ちなみに自称良識の府の本家、朝日新聞には、「開戦記念日」のカの字もなかったですが。
 
 というわけで本日の第1の感想。
 中国を含めて、統一国家には、平和も好戦もありゃあしない。
 統一国家は、その国家の利益になることをするために存在する、という、普通の人にははなはだ当たり前な感想の確認ですね。
 「いや、社会主義国家は違う」、とか言うやつがいるんでね。ま、今はいないか。
 (その「いない」ってとこがまたおかしくてね。まだ死ぬような歳じゃないだろ、君。
 みたいなもんさ。ま、こんなとこには来ないだろうけどね。来ても不愉快だろうから。まったくお互い不愉快さ。 閑話休題)
 国家、ちゅうのは、国家利益のために存在するわけで。あとは、「国家」が「どれだけの国民」の利益をカバーするか、というだけでね。
 
 で、本日第2の感想。
 という国家主義的状況に、「目くじらを立てて」なんだかんだいっても始まらない、という一つの現実的前提は、原理派のアナーキストの方々を貶めるんだろうな、という感想ですね。
 何をいったって、中国は膨張したがり、愛国日本は「それに抗する」、というと聞こえもいいですが要するに自分たちも膨張したい。40年前の膨張したがらない中国の時代だって、とにかく「抗したがって」いた経団連=自民党ですから、昔を知ってる人間にはそんなものは言い訳にもなりません。
 
 で、本日第3の感想、とはいえ、人民というものは、現実がどうであろうと、「冗談じゃねえぞ」、という声を上げなければならない。上げなければ経団連のいいなりですからね。
 
 で、誰なら声をあげられるんだ?
 普通の方に声が上げられますか?
 「お前はただのバカだ、現実のゲの字も知らない」 といわれても大丈夫ですか?
 原理派のアナーキストは大丈夫です。腹くくってるから。あるいはただのバカかもしれませんが。それは現実には無駄なことですが、未来へつながる行為なのです。それが動き続ける上部構造中の「事実認知」というものです。
 
 いずれにせよ、人間が未来へ生きて行く路程にある現実の中では、「現実派」など糞の役にも立たない、ということです。
 それが人間の現在という一瞬を規定し続ける下部構造というものです。
 
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役に立たない感想、その4

2012-12-03 21:27:53 | 不定期=中途半端
 こんばんは。相変わらず寒い日が。休日の寒波障害も、そろそろ想定外に近づいて。こんな日は勤務仕事がちょうどいいのですが。

 昨日は中央高速の事故が。
 なんて運の悪い人たち、ととりあえず思うところですが、今日配達されたミニコミ紙によると、松平健が「偶然とは必然だ」なんて言ったと書いてありまして。おやおや、さすがに中高年、そんなこともいうのかね、と思いましたが、それはそれで嘘じゃない。
 中央高速の事故も、「そんなのいつか起こることなのに、なんで予算手当てしないんだ」と憂えていた極少数の道路公団(は古いけどさ)の社員にとっては必然。「自動車運転なんて生きてるのが不思議、いつか事故るさ」と思いながら自動車を運転していた人にも必然。
 サラリーマン読者の方も「悪いことなんか絶対起こるのに、上の奴らはどうしてなにも予防をしないんだろうねえ」、なんて思いません?
 「じゃあ、てめえはどうなんだ」 と。
 はい、そういうことですね。
 われわれは、「それなりに」 力をつくさないといけない。
 「トンネルこのままじゃ危ないですよ」、と予算がつかないのはわかっていても言い続ける。上司は上司で、とりあえず社長官房に聞こえるとこまでは上げていく。社長は、、、社長までは面倒見切れねえな。
 また、市民は、自動車に乗るなら、「事故るかもしれないけど、子供のレジャーのため(その他○○のため)、しょうがない」 と思い切って、そののちに、乗る。
 
 そうして初めて、必然が納得される。
 
 カルヴァン主義もそういうことなんでしょうね。唐突ですか。
 カルヴァン主義者って、救われもしないのに「神への善行」を積む人ね。救われもしないのになんでそんなことするかね。気が知れない。
 の答えがこれ。
 
 結局、クリスチャンである西欧近代中流階級はやるだけのことをやるしかない。やらなきゃ飢えて死ぬ。
 一方では、少なくともそうしない選択肢を考えることはできる。奴隷には選択肢はないけどね。
 そうやってやるだけのことをやって、それで最後の審判に救われなくともそれはそれでしょうがない。それが必然というものだ。
 問題は、次の行為を、「仕方なく」ぎりぎりいっぱいのところで、やるかどうかということだ。かくて、プロテスタントは、個人の自覚において次の一歩を踏み出さざるを得ない。歴史上の意義は、行為の規制を考える際に、共同体のことなど考えない、他人なんてどうでもいい、というところね。
 
 あ、違ってりゃ違ってるっていってください。私はどんなコメントでも誠実に対応しているつもりで。単にカルヴァン主義者というのは気が知れないだけで。
 ただ、教義書をコピペするのはやめてくださいね。そんなのはマルキストだけで充分。あくまで他人にわかるようにお願いします。 
 
 というわけで、事故に遭われた方々には、普段の(新聞に載る亡くなられた)方々以上に、お悔やみ申し上げます。
 世間の人がたは、私も含めて、不幸を作らないよう、個人でできる最低限の努力はいたしましょう。

    でも寒くて疲れちゃったから、今日はもう勉強したくないや。
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