陽は海に沈み、その名残りの夕焼けにくっきりと映える真っ黒な雲の稜縁。
画の手前には、夕暮に白く光るススキに囲まれ、見晴台から庄内の海を見つめる夫婦二人。
知らない、こんな写真は。
おそらく35ミリ換算で24ミリ広角相当で撮られたこの写真は、銀塩フィルムであれば、空にピントを合わせれば開放F2.4で5メートルから手前はボケざるを得ない。ところがこの夫婦は、広角であればカメラから2メートルしか離れていない。(絞るとぶれるのでそれはない)
しかもこの暗さではトライX3200の増感で、手前の風景が白黒で映し出せるだけ。雲の縁の曲線など表せない。ところがまるで低感度コダクロームのようにくっきりと出ている。
さすがデジカメ。
という、朝日新聞土曜版の掲載写真の話でした。
(撮ったのはアサヒのカメラマン(でしょう)相場郁郎氏)
(写真愛好家でない方は、上記記載で、そんなふうに、今まで撮影できなかった情景が現に写真となっている驚きを感じてくだされば。)
だからどうということはないんですけどね。
そんなのっぺりしてしまって、いったい写真家はなにを伝えようとしているんだ? わけわかんねえじゃねえか。
草が白黒トライXのように光っているが、こりゃ、デジカメ増感のハレーションだぜ。
ま、いろいろ。
でも報道写真ですから、この記事では酒田の海の情景が撮れればいいんです。
デジカメはこう撮れる。それを知った人たちは、こう撮れるから、じゃあ私の感動の表し方も他の手段があるのだな、そう思って世界に向き合える。
そか、やっぱ、銀塩フィルムは古いよね。
だからどうということではなくて、銀塩派は、銀塩、というよりはフィルムの限界性をわきまえて撮っていく、それに何の不都合があるわけではないんですけどね。(ご想像のように私は銀塩派)
ただ、世界は第三者的には広がっているんでしょうね、それは悪いことかもしれませんけどね。
とゆうふうに、びっくりしただけ。
画の手前には、夕暮に白く光るススキに囲まれ、見晴台から庄内の海を見つめる夫婦二人。
知らない、こんな写真は。
おそらく35ミリ換算で24ミリ広角相当で撮られたこの写真は、銀塩フィルムであれば、空にピントを合わせれば開放F2.4で5メートルから手前はボケざるを得ない。ところがこの夫婦は、広角であればカメラから2メートルしか離れていない。(絞るとぶれるのでそれはない)
しかもこの暗さではトライX3200の増感で、手前の風景が白黒で映し出せるだけ。雲の縁の曲線など表せない。ところがまるで低感度コダクロームのようにくっきりと出ている。
さすがデジカメ。
という、朝日新聞土曜版の掲載写真の話でした。
(撮ったのはアサヒのカメラマン(でしょう)相場郁郎氏)
(写真愛好家でない方は、上記記載で、そんなふうに、今まで撮影できなかった情景が現に写真となっている驚きを感じてくだされば。)
だからどうということはないんですけどね。
そんなのっぺりしてしまって、いったい写真家はなにを伝えようとしているんだ? わけわかんねえじゃねえか。
草が白黒トライXのように光っているが、こりゃ、デジカメ増感のハレーションだぜ。
ま、いろいろ。
でも報道写真ですから、この記事では酒田の海の情景が撮れればいいんです。
デジカメはこう撮れる。それを知った人たちは、こう撮れるから、じゃあ私の感動の表し方も他の手段があるのだな、そう思って世界に向き合える。
そか、やっぱ、銀塩フィルムは古いよね。
だからどうということではなくて、銀塩派は、銀塩、というよりはフィルムの限界性をわきまえて撮っていく、それに何の不都合があるわけではないんですけどね。(ご想像のように私は銀塩派)
ただ、世界は第三者的には広がっているんでしょうね、それは悪いことかもしれませんけどね。
とゆうふうに、びっくりしただけ。