リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

純粋に感想だけ

2021-04-24 14:07:55 | 断片
 こんにちは。東京地方、季節のわからない自粛状況ですがあちこちに花が咲いて、ちょっと前には全然なかったから、相当春でしょう。

 人が自粛してるのに、またなんだら宣言だって。
 縛る相手が違うよね。
 検査もする気がないしワクチンを作る気もないし、トイペは自主的に作ってるようだけど、医療用資材はもう十分あんのか? ないだろ、どうせ。
 とはいえ酒売るな、っていうのは一理あります。先日行った施設では酒を売れないというので、ノンアルコールビールを頼みましたが、ぜんぜん酔わない。当たり前ですが。
 私はいつもならビール一口目でおしゃべりになるのですが、むっつり黙った1時間半(会食もなくコンビニのおにぎり)。もともと無口な上に、マスクをしていると世間から隔絶された気分になって。
 これは私のような人たちには効きますね。
  もちろんそれ以前の対策をしていれば、酒業者も私もこんな目に会わずに済んだのですが。
 
 さて、つまんないニュース。
 「北欧発、使い捨てない「紙」 5回程度、再利用可能」
 「紙なのに強度が高いため包装などに繰り返し使え、リサイクルできる生分解性の新素材「PAPTIC(パプティック)」が、日本でも使われ始めた。」(朝日新聞)
 なにこれ。紙を何度もどうやって使うんだよ、意味不明。
 こどもにプレゼント包んでやるか、畑の野菜をお隣りに配るか、自宅散髪の敷き紙くらいじゃないか。それ、3度以上使うか? いいや、使わない。
 くだらないけど、案外長い記事なんで。
 
 次。宣言で映画館がだめになるところ、『るろうに剣心 最終章』なるものが一昨日からやってるって? ここでyoutubeという語が散見されるのはなぜ? ロードショーしてyoutubeでもやるのかなんなのか。
 まあ、いいや。で、予告編をみたら、なんとも殺伐な。おぞましい。どこがあのマンガ「るろ剣」だというのだろう?
 今の少年少女って、「鬼滅の刃」とか、やたら殺伐になってませんか?
 もちろんわれわれの頃の生活のほうが殺伐でしたが。こうゆうのは現実+フィクションのトータルで一致するのかね。
 
 次、学術会議で6人が首相に否認された件。古いですが、朝日の三面記事で大きく出てて。
 「三面記事」って知ってる? 新聞名のあるところが一面で、同じ紙を開いた左側に当たる社会面が三面。朝日はすでに特集面になって読むところもないですが。
 まあいいや。
 で、この件を論題にして学生に出した出口剛司東大社会学教授がいうには
「学生にこう聞かれて驚いた。「学問が暴走したときは誰が止めるのですか」。自らの認識と違い、学生に「研究者は社会に大きな影響力を持つ特権的な立場だ」と思われていることに気づいた」そうです(朝日新聞)。以下の山口氏(彼は東大生ではない)の感想は略。
 だからさ。50年前の大学闘争なり紛争なりの問題提起から、ぜんぜん学者連中とその取り巻きがガラパゴス。逆にこの学生は皮肉で言ったと思うけれど。
 大衆は自己の価値判断を学者ごときに委任する必要はどこにもありません。
 そんなことを考えるのは70歳以上の年寄りと、選挙票集め期待の共産党だけです。
 世間知らずの進歩派にはお教えしますが、東京帝大で戦前に民主的教授を追い出したのは、同じ教授連中の大集団なのだよ。昨日の敵は今日の友。学者なんて何の特権者でもない。ただの大衆の一員なのです。
 まとめ。学術会議助成なんて税金を使ってやるな。自主サークルでやれるものならやればいい。
 
 というわけで、今週もなにかと理屈に沈潜するような心境ではなく、これでおしまい。
 それではまた来週。
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社会心理学と社会意識論の調査の違い

2021-04-17 12:08:07 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。なかなかすっきり晴れませんね、というより雨だし。
 新緑って裏から透かして青空を見るのがいいのにねえ、東京地方、見ない間にどんどん緑が濃くなります。
 ゴールデンウィークは平日に天城に車で新緑を見に行きたいな、車ないけど。
 そのうえ平日もない? 今年は代休は事前取得ですね。

(p.s.、、、って何をのっけから。
 本日の旧題は「人の一生は小さいから」。カテゴリー「その他」。
 これを考慮の末2,3日で変えました。もともとは、社会心理学系列からぐずぐずと「この文献を読んだか」とか言われるのが嫌で。「そんなもん読む価値ねえよ」じゃ論議にならないのて。
 その一方、社会心理学派の影響は若い者に強いんだなあ、、とこの2,3日とても思ったところです、って構築主義ね。それじゃあ社会科学主義派としては論議に人生費やしてもいいかな、と。はい、受けて立ちますぜ。一緒にモラリズムというものを開陳しましょう。楽しみ。
 なので、以下少し文脈が変です)。

 軽くニュース。
 「大阪府の要請「医療崩壊につながる」 近大病院長が懸念」
「東田病院長はインタビューで、府からの「命に別条がなく、急ぎではない入院や手術」の延期要請に対しても、「不要不急でない手術なんてない」と強調。例として「あなたの家族ががんを宣告された。今コロナなので手術を1カ月延ばしてと言われたらどうですか? 手術を延期するとはそういうことだ」と述べた。」(朝日)
 そういうことです。吉村もえらそうに第3派宣言を早々に解除して、いまさら責任を病院・病人に押しつけるなんざ無責任も極まる。
 その一方、
「吉村知事、原発の処理水の大阪湾放出を「真摯に検討」」(朝日新聞)
 お。
 本気かよ。どうやって処理水を大阪まで運ぶんだ?
 1基で1350トンが1000基以上、1基だけで10tトラック135台分を、さらに100倍以上薄めるんだぜ。どこで?
 これで記事は終わっちゃってて、人間がいい加減でできているとしか思えない。
 ついでにいうとさあ、海水で薄めるしかないと思うのだけれど、薄めて出た水でも一度薄めて、さらに薄めてなんてやってたらどんどん濃くなるぜ。大阪湾なんか水が逃げるとこないし。
 
 次。二階が、五輪中止したら、って言ったと。
 「報道各社が二階氏の発言を速報すると、政府・与党内で「世論が中止の方向に行ってしまう」(閣僚の一人)、「なぜ党の実質的トップが開催機運が低下することを言うのか」(五輪を担当する中堅官僚)などと、その影響を危惧する声がすぐに広がった。」(朝日)
 二階はどうでもいいのだけれど、政治家は社会学者以上に大衆の行動動機を知ってるね、当たり前だけど。
 毎日が実践的実験でできているんだよね。なんでも餅は餅屋。

 さて、今日の標題は事情で皆様に処世訓。
 人間、できるときに人と遊ぶのがいいよ。最優先でね。
 「今忙しいから」とか「いつでもできるから」なんて思ってるとすぐに時が経ってできなくなるよ。
 およそ人生って良い思い出で出来てるのが幸せなんだから。しかも思い出なんて、人との組み合わせ以外にないしょ? ま、ここは人によるだろうけどね。
 ポイントは、豊かな人生のためには「最優先」。「すぐにできなくなるから」。
 どうせ人間にとって「人」なんて百人とか二百人とか、そんなものでしょ。一人の人間の人生ってそんなに小さくできてるんだよ。人はくれぐれも大切にね。
 
 さて、今日のテーマは、標題にかかわらず、
 「社会心理学と社会意識論の調査の違い」。
 なにいってんだよお、って、ただの検索のマイナス対策。こんな題で検索で当たって重箱の隅のくだらん反論が来るのがイヤ。こんなつまんない議題に、残り少ない人生関わりたくないからね。
 
 ポイントは社会心理学の非科学性。
 天下のウィキペディアによると
「社会意識(しゃかいいしき)とは、社会学における用語の一つ。社会集団においての成員に共有されている意識のことである。」
 かたや
「社会心理学(しゃかいしんりがく、英: social psychology)は、個人に対する社会活動や相互的影響関係を科学的に研究する心理学の領域の一つ。」
 よくできてる。
 8割正しいwikipediaにしては、これは学説史的なまとめとして、90点以上あげられるのではないか。
 ポイントは、社会意識は、意識そのものがテーマ。
 社会心理は、社会行動する個人の心理がテーマ。
 この違いがそれぞれの実証調査に多大な影響を及ぼします。
 簡単に言って、社会意識論では調査したその結果は所与であること。それはいわば「その論のなかで正しい」のです。それからどんな論を立てようと、調査結果は正しい。
 当たり前だ?
 そうでもない。
 
 では社会心理学の調査はどうか。
 社会心理学のテーマは実証調査に参加している個人です(ほんとは人間個人一般なのですが、今回はそこの乖離は批判しません)。ここでそのネタはといいますと、調査の中での個人の行動です。
 さて皆さま、個人の行動なんて、いつもどこでも同じじゃありませんぜ。
 アメリカ人と日本人は異なり、キリスト教徒と無宗教も違う。小学校教師とサラ金幹部とは「さらに」違う。そんな違いをネグった「個人」など存在しない。
 さらに大胆に、社会心理学では条件設定調査をする。こんな条件ならこう反応すると思うのだけれど、どうかしら?
 残念ながら、人間というのは設定された条件があってもその条件内で行動するわけではない。ないにもかかわらず、当事者の思いを無視して、現れた反応だけで、設定論を評価する(ここでは社会心理学者が賢くて「設定」は正しいことにしてあります)。
 しかも、そんな実証調査も自分と行為共同性が同じ人間であれば、論の正しさ・誤りの度合も見当がつきますが、ただの外国の実験の翻訳結果で、その当事者の実験対応という行為の意味を評価することなどできません。
 社会心理学は、どんなに学者が賢かろうと、その論の真偽はつかめないのです。
 というわけで、実験調査もよろしいが、それは心理学と同様、その他の条件を考慮から排した場合の人間の行動学、という範疇を超えることはできないのです。
 
 いや、思いのほか深入りしてしまった。今回借りた差別の社会心理学本がうっとおしくて、ただのウサ晴らしです。
 皆様には、ふと会った友人も知人も大切にしてください。
 人間の人生って、小さいのです。
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具体的次元論と大審問官(先週の続き)

2021-04-10 14:48:31 | 行為
 こんにちは。東京地方、毎日快晴の予報が当日は毎日曇り。まあ寒くないので我慢はしますが。
 とはいえ、若緑の中で、もうツツジも相当咲き出しましたよ。ツツジは一気に咲くそうで、行こうとするツツジの名所があれば要注意ですね。なんでも館林のつつじ祭りは実施するそうです。
 わたし? は自動車がない(無免許)ので行きません。
 
 さて、ニュース。当家のホーロー両手鍋の取っ手が壊れてしまいました。取っ手全部がプラスチックなので、熱で折れてしまって。もう40年以上もった sanko ware。優秀です。
 最近の製品を画像一覧で見ると取っ手までホーローのものばかり。
 若人の皆様、なんの鍋でもそうですが、取っ手も金属のやつは熱くてやけどしますぜ。いちいちミトンは面倒なので片手鍋はポケットのハンカチを使うのですが、両手鍋じゃあ面倒でやってられない。
 sanko ware って良心的なのでずいぶん前につぶれたようで、売れ残りがネットに出てますが、プラスチック取っ手でも本体とのつなぎ部分は金属のよう。新品よりこんな仕様の未使用古品を買ったほうが賢いのかなあ。古いのは国産だろうし。
 
 次。
 コロナは変異型の比率が上がっている、とのこと。
 ということは、第1に、畑は同じ、ということだよね。
 雑草と一緒で、生えられる場所は決まっている場合に、強い雑草が初めて「勝つ」かのように見える、わけだ。そうでなきゃ旧型の新型コロナも他で繁殖すればいいわけで。
 「畑が同じ」ということは、相手は人間だから、「どうせ罹るやつは一緒(同様に家族もいるけど)」、ということで、これはそのうちみんな免疫ができるという明るいニュースですね。
 第2に、畑が同じに加えて、「同じ性質を持ってないと駆逐できない」ともいえる。別の性質だったら別の病気だからね、そうなら並行して罹るわけだ。
 ということは、旧型の新型コロナ用のワクチンも変異型に、大丈夫、効く、というわけです。明るいニュースですね。
 ま、頭の体操。
 
 さて本題。カテゴリー違いの「先週の続き」。
 今週も読んだ本を5冊挙げてお茶を濁そうかな、と思ったのですが、しかし先週の記載が読者の方々の役に立ったとは思えない。役に立たない記事は無駄なので、それはいさぎよくやめました。
 
 で、中でも感心したのが高尾一彦「近世の庶民文化」。といって、積極的な論旨の打ち出しよりも高尾という人の澄明さ。すっきりした聡明さというか。なかなか気持ちがよい。
 で、中身としては彼が言うには、たとえば西鶴とかが表現したものは、江戸期資本家の「問屋制家内工業や、さらにはマニュファクチュアの資本の倫理」なのだ、というわけです。この倫理ってなに? というと、「被雇用者への親方的同情」と言っておけばわかりやすいでしょうか。ただ今日は批判でも紹介の場でもなく。
 ここで取り上げることは、この聡明な論者にとって、資本家の経営者行動が「倫理」に見える、ということです。
 当たり前でそれしかない行為が、他人から見れば倫理を守る人間の形式をとる。 
 それにより権力者の賞賛と優越はクリアされる。
 それは同時に社会の規範をクリアするということであり、これで本人にとっても行為共同性を同じくする周囲者にとっても、人間的道徳がクリアされる。  
 さらにそれは同時に社会の人間行為的合理性をクリアするから、それをトータルで読もうとする具体的次元論の社会科学者(この場合は歴史学者)も納得する。
 かくのごときプロセスです。 
 
 このように、具体的人間の次元でしゃべるとどうしても、人間に行動を強いている規定性ではなく、具体的人間の思いにプロットがいってしまう。この文脈で規定性を説いても、それはただの説明でしかない。まことに次元の違う論の並列です。具体的人間のレベルでは「関係」は解明されないのです。
 
 さてそこで、しかし、倫理は語れる。それは或る一人の個人的人間の問題ですから。
 というわけで、先週の続きに入ります。
 そもそも倫理学とはなんでしょうか。
 その歴史的状況において、世間の人間から「当然だ」「しょうがない」といわれる行動をとれた人間は、それで自己の人間内責務が果たされるのでしょうか?
 
 もちろんそうではないから社会科学が存在するのです。
 
 人間は関係の存在です。倫理とはもちろん、関係の中での人間の行為の理路です。他者を放置して倫理はありません。
 他者の「なんとか助けてくれ」あるいは「助けてやってくれ」という願いの下に、大審問官は苦悩する。悪魔に身を売っても他者を救う。これはありうる倫理です。
 もっとも悪魔は居るかどうか分からない。ここに社会科学は存在するのです。社会科学は万能の神です。それは実践倫理学なのです。
 将来の民のために現在の民を犠牲にできるか。あるいは千人のために1人を犠牲にできるか。
 それはそもそも存在してはならない問いなのです。人間が人と結ぶ行為は、この次元にはない。人間は具体的自己と具体的他者との間で行為をする。人間は「スターリン」になってはならない、あるいは人間スターリンは理念としての「スターリン」にはなれない。具体的人間たる彼に人民を救う権利はない。人は目の前の人間を助けられないのならそこで歯を食いしばるしかない。そこに言い訳などは落ちていない。
 しかし一方、「それとは別に」人間は将来の人間が助かる算段をすることができる。その算段のソロバンが社会科学です。
 さらに他方、倫理はいちいちの行動ですが、人間はトータルです。「やるだけやった」。地下水道。
 人はトータルとして自己を肯定することができる。 
 大審問官の問いに、しかし答えず、神の答えだけを人間に提示することで人間を救うものが、社会科学なのです。

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あれこれ

2021-04-03 16:07:31 | 断片
 こんにちは。東京地方、暖かいまま4月です。桜も葉桜を通り越し、もういまさら「間違えました、まだ雪降ります」なんていえません。
 タンポポも低いまま咲き乱れ(低いのは寒さ対策という説が)、ま、きれいはきれい。
 皆様におかれましては入社とか異動とかお忙しい方もおられそうで。私の経験は、4月異動がほどんどだったので、4月に桜が散ってるという状況もいまいちです。華やかさに欠けて楽しくない。
 
 さて、今日はあれこれ。そういう気分なんでしょう。
 その1,全日本剣道選手権大会、ひいきの松﨑賢士郎氏が優勝とのこと。コロナでやらないと思って見てなかったですが、昨今はyoutubeというものがあり。松﨑氏、ちょっと大人(たいじん)さが減ったけど、まあ勝ったから許す。といっても警察官(みんな強い)は出ちゃいけなかったみたいだけど。まあ記念だから。
 ところで世の中剣道雑誌というものもあってアイドルのように顔写真が見れるんだけど、40年前と比べて押しなべて人相が悪いのはなぜでしょうか? いや、見た目のことはいっちゃいけないわけで、単に私の不信感でしょうか。
 
 その2
「【オタクの老後】コレクターの死後、残されたグッズはどうなる? 「コレクション」が「遺品」になる前に終わらせたい“最後の仕事”とは」(ねとらぼ)
という記事が出てました。
 答えは、子どもに見積りさせて、コレクションは高価なものなんだぞ、と悟らせておけ、というんだけど、いやいや、世の中親子でもそんなものではありません。だいたい死んだらそれどこんじゃないし。とっといたら、どこにしまっておけというのかね。
 廃棄あるのみ。
 身内でちょっと記念に残したとして、その「ちょっと」はコレクションのカサ次第。
 古道具屋なんて絶対買ってくれない。陶器ならタダで持ってってくれるかも。自分で捨てるより心が痛まない。
 お年寄りにはもう買わせないことをお薦めします。

 その3
 新宿にて「キャップ姿の男性に声を掛けた。三十二歳で、派遣で運送会社の仕事をしてきたが、コロナの影響で、一カ月前に契約を打ち切られてしまったという。「会社の寮を退去させられ、友人の家やネットカフェを転々としてきましたが所持金が尽きて、今は三百円しかありません。もう二日間、何も食べていません」」(東京新聞)
 いやああ。
 にんげん、袖すりあうも多少の縁。「他生」だ? ばか言っちゃいけない、前世などあるものか、「多少」です。ゆきずりの読者の方とも、これは多少の縁。ともかく、前からの読者はもちろん、関係者の読者は私に声をかけて(メールして)事情を知らせてみてください。

 その4 男女平等五輪、
「愛知県で6日に行われる東京オリンピックの聖火リレーのうち、同県半田市内を舟で通るコースが「男性限定」となっている。同市で江戸時代から続く「ちんとろ祭り」で使用されている舟にランナーを乗せて聖火を運ぶが、舟が伝統的に「女人禁制」である」(朝日新聞)からだと。
 ほんとにド田舎は。そうめん買ってやらないぞ。
 と思ったら半田そうめんは徳島だって。あぶないとばっちりを。
 これは即刻五輪委員会が対応、善処するそうな。いまだに日本はド田舎ばかりだと知れて、五輪のあがきも悪くないね。

 さて本日のテーマは、今週のマンガの代わりの諸書。要は、いろいろ。
 
 村尾嘉陵「江戸近郊ウォーク」 
 これは東京近在の人にはお勧め。わたしなどポイント的にはよく知っているので面白かったです、が、いかんせん、辿った道の地図がついていない。言葉は江戸語を近代語に訳しているのに、その時代の地図をつけないなんざ、編集者の良心にかかわると思うのですがね。要は、手抜き。
 
 服部省吾「操縦のはなし」
 これはF86戦闘機教官のためになる話し。といっても勝つためにはイチローのような努力が必要という趣旨で、不人気だったろうねえ。逆に言えば、どこでも一番・エースという人は努力により存在できる、という。今の戦闘機の操縦は? とか、ないものねだりをしなければ充分満足にして稀有の資料。

 高畠通敏「地方の王国」
 1980年代の田舎で地元の爺いたちがどれだけ権力を欲しがったか、というドキュメント。
 科学がどうとかじゃなくて、ドキュメントは大事ですよ。
 この地方の男たちの生態の今が知りたい。
 
 的場昭弘「「革命」再考」
 現代左翼理論の紹介。といっても本人若いときは慶應のブント叛旗シンパかと想像されます(ただの想像)ので偏りはあります。が名の売れてる論者の中では良心的じゃないでしょうか。この程度の左翼度なら同感する部分も多いでしょう。もちろん正しいわけではありません。

 羽入辰郎「支配と服従の倫理学」
 講義録。例によって興味深くはあります。倫理教師としては本気が見えてよろしいかと。
 ではありますが、倫理学徒としてはどうなのでしょうか?
 古くて新しい大審問官の問いに、どうこたえるのでしょう?
 おそらく大審問官の問いなど机上の問いだとさえ考えている気がします。
 しかし、そうではありません。それは生きている人間が日々問い続け、問われ続けているはずの問いです。
 そんなことはない、俺は生活者というものを知っている、とおっしゃる?
 いや、決してそうではありません。生きているのは「生活者」なる人間ばかりではないのです。政党員でも行政者でも資本家でもホームレスでもすべての人間の今日が、生きている人間の今日なのです。そして、庶民はもう慣れ切っているかもしれませんが、凡そ、権力を、あるいは肉体力を行使する彼らにとって、大審問官の問いは、日々問いかけられているのです。

 ともかく、これらは読むのに1時間以上かけました。マンガのように面白かったです。
 
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