リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

宇野理論の流通主義の意義

2013-02-23 22:18:17 | 行為
 こんばんは。おさむうございます。高橋優さんという人の「福笑い」という歌がありまして思うには、やはり人間苦労しないと笑顔の価値もわからないだろうな、てなところで。ほんとエリートには何一つわからねえ。
 
 なんて悪口はおきまして、ここのところ書き散らしが続いてましたので、本日は左翼用途のきまじめブログ。
 私儀、夜疲れると、って毎日ですが、マル・エンか黒寛を手に取ることが多く。
 黒田寛一、なんのかんのと悪いところばかりですが、それにしても若き黒田は戦後思想家としては一級品ですね。自分の頭で考えてますから。その他烏合の黒田批判者なんて他人(マルクス他)の引用ばかり。引用集のことを「護教本」といいますが、そんなもん、人間の理論の批判になどならない。
 
 で、本日は、黒田らの宇野弘蔵批判点、「宇野は流通主義でマルクスを歪めている」論。
 (以前もいいましたが、黒田が宇野を褒める理由などゼロなんですけどね。まあ、自分の頭で考えた姿勢だけは何者にも替え難いというところでしょうか。それなら私も同感ですが。)
 
 マルクス正統派や黒田のような疎外論主義者にとって、価値も疎外も労働者の生産行為から出るべきで、商人が価値を作るかのごとき「流通論」を根拠の半分とするような展開は我慢できないんでしょう。 
 その結果、受け売り人間が昂ずると、今検索したら、池田信夫のブログが検索結果トップで、いわく 『宇野理論は、「流通過程が生産過程を包摂する」という論理で、事実上、労働価値説を放棄している』云々。
 池田の近経の中身の程度も推し量られてしまいますが、って、どうせみんな知ってるか。
 
 さて、池田はほっておいて、以下は、疎外論主義者への講義。
 上記、違いますね。流通主義だから正しいのです。マルクスがそうでなかったとしたら(私も「マルクスはそうではなかった」と思いますが)、マルクスを越えて、ようやく宇野にして正しい資本主義把握がなされたということです。
 
 だいたい、マルクスのいう、「生産物からの疎外」なり、労働やら・類的本質やら・「人間」やらからの疎外、などというものは、なんら資本主義だからという特殊な現象ではありません。 え? おたくは違うとでも言うのかい? 農奴の生産形態なら、農奴労働者に各種疎外は起こらないとでもいうのかい?
 わざわざいってあげましょう。「残念でした。起こります」。「起こらない」、なんて主張する疎外論なら、自分の部屋の片隅で壁に向かって勝手に呟いているがいい。人民にいうような話ではない。
 
 そこで生産過程です。
 生産=労働過程で支配者の言うとおり働かされ支配者に貢献することは、もちろん、なんら資本主義ではない。それは古来「奴隷」制度の時代からあり続けてきた現象です。
 そこには、なんら、歴史的法則性のはいる余地はありません。人民にとって、彼らの歴史は、支配者の趣味のまま、支配者の盛衰のままの歴史社会なのです。

 しかし、資本主義はそうではありません。
 人民の労働は、すべてのマルキストが主張するとおり、収奪ではなく搾取される。すなわち、生産物の価値と労働者に支払われる価値との間に差がある。
 と、今ただいま述べたように、そのときの生産物とは、流通過程の生産物なのです。
 この状況が、人間にとっては、新しい意味をなす。
 すなわち、人民は、常に支配階級に支配されるのですが、それまでの生産様式の「収奪される人民」とは異なり(=支配者がやってきて武力で労働を強いられ生産物をむしりとられた生活とは異なり)、資本主義の生産過程においては、彼は、小生産者と同様に、自由なのです。人民労働者は、生産過程においてはそれ自体で自由なのです。
 なお、他方では、この事情を根拠に唯物史観が法則化される。
 
 なに? おれは自由ではない?
 それは資本家に身を売ってるからでしょ。だから、自分を売るのは生産過程じゃないの。売るんだから流通過程なの。
 ふんぞりかえってうじゃうじゃマルクス語をしゃべってればこんなだれでもわかる論議にならなくて済むやね。そりゃ卑怯だ。教授連のような講壇社会主義者ならどうせ生まれつき卑怯なのだが、活動家諸君が「大せんせえ」の真似をすりゃ、人民に見放される。それも身から出たサビだよね。。
 
 と、ここまでは、マルクス主義理解の論議。
 こんなことは私の著書には書く気にならないのでここに書いといた次第です。
 
 本当のことを付け加えると、マルクス主義ではなく行為の疎外論の見地からは、上記はいずれにしても間違っている。
 人民の疎外は、生産物のゆくえではなく、支配から生まれる。
 資本主義では、この支配が、流通過程の存在において、再生産されることとなる。
 というわけで、いずれにせよ、「流通主義」は正しい。
 
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これはほんとにいいです

2013-02-16 23:21:41 | 断片
 こんばんは。東京地方、春ははしりの梅の花まつりも、しているところではもうしている今日この頃、なんだか面白くねえ。
 いや失礼。だからといってどうということではなく。
 世の中、面白くないことと不幸なことを一緒にするのが、年齢を超えて、小坊主共で、彼らは彼らの大学院なんか出てたりしますが、要するに門前で箒掃除をしてオウム覚えを繰り返す者でしかない。その両者の違いをわきまえて不幸への算段をするのが和尚というものです。ま、鎌倉仏教の始祖のことですけどね。。

 まあ、どうでもいいや。
 これは「面白くない」とかではなく、ただの日常の一こまですが、私儀、メガネがぶっこわれまして、買ったときは店員に「あ、その黒いやつですか? いや、それはかっこいいんですけど、錆びてこわれるんですよね、それより、これ。これはチタンですからだんな、丈夫も丈夫」 なんていわれたメガネが、自宅食事中、ペキン、なんてゴマメを割るような音とともにテーブルの下へ消し飛んで。
 レンズ支えがきれいに折れてやんの。
 あたしゃ50年メガネかけてますがこんなの初めてですよ。あ~~あ、今年ははよからこのたぐいばっか。
 このまえ、店で買って1ヶ月でだめになった靴の悪口を言いましたが、ネットで買ったもっと高い靴も、買って1年経たないのに、歩くたびにキュッキュッキュと言い続けて。減った靴底を修理する気にもならない。 
 みんなはこんなめに会わないのかねえ、、、

 さて、今日のためになるブログ。お奨め翻訳ソフト。「コリャ英和!」。社会科学系の人にはお奨め。
 私は前から、高価なクロスランゲージ(v.10)というソフトを持っていて、これに次の私の文章を訳させますと

 「社会的行為の理論から社会構造論への移行は、論理の厳密な意味からは、不可能である。
 試みに<私>という行為の主体を例にとれば、私の<本当に>知り得る社会の範囲は、私個人が生きてきた歴史の中の(他人とは異なった)特殊的な家族と学校と労働の場と消費生活にすぎない。この限界性が、筆者である<私>だけの事情に限らず、どんな研究者にも当てはまることはいうまでもない。<私>という行為主体に属する行為理論からは特殊<私>的な社会一般理論しか導き出せない。」
 
  ”Switchovers from a theory of a social act to a theory of social structure are impossible from a close meaning of the logic.
The social range that can know> in my <truth is only a 特殊的な family and school in the history (different from another person) that I individual lived and a place and consumption life of labor if I take the subject of an act of 略 as an example for trial.
This limit sex is not limited to circumstance only 略 of which is the writer, and it goes without saying that it applies to any kind of researcher.
Begin to lead only a social general theory of special 略 from an act theory to belong to the act subject of 略, and there is not it.”

 いやはや。
 初め見たときはそれなりに驚いたけど、翻訳ソフトなんてそんなもの、と書いてあったし。
 (だいたい、there is not itってなんだね、他を訳させてもいつも出てくるんだが)
 これを「英語」になるように修正すんのって、相当ホネ。
 
 じゃね、このたび入手した「コリャ、英和」2008 (私のは古くないと動かない)
 
  ”The shift to a social structure theory from the theory of a social action is impossible from the strict meaning of logic.
if the subject of the act of <me> is taken for a trial at an example -- me -- < -- the range of the society which can > know truly -- me -- they are the special (it differed from others) family and school in the history in which the individual has lived, a place of labor, and only consumption habits. It cannot be overemphasized that this limit nature is applied not only to the situation of <me> which is a writer but any researchers. Only a social general theory [ special <me> ] can be drawn from the act theory belonging to the agency <me>. ”

なんとなくわかる! いいとはいわないが、なんともけな気じゃないかね、無理やり書いたような悪文の元の和文を、よくぞここまで。

まあ、このソフトにも、×を押したら有無を言わさず一瞬に消滅するとか、至らぬ点はあるんですけど、問題はやっぱ中身さ。
久野という人が主要点を作ったんだって、ほんとかウソかにわかには判断できないけど、ともかく、見たとおり。 これは、すごい。


 ,,,で、上記英文中「略」というのはほんとは山型に「I」。それやったら全部イタリックになっちゃって、朝起きて気がついた。昨日ご覧の方は、そういうことでよろしく。

  (その後の追伸、2014.9月。これは「和英」のことだけね。今「英和」つかったらひどいったら。yahoo翻訳がとても良い。ってえと、これがクロスランゲージ製なんだって。日進月歩なのか、英和はもともとよいのか、、、)

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アメリカ的被疎外人民の文体

2013-02-13 22:11:35 | 断片
 題長いか。

 アメリカと、その支配下にある日本自称諸「科学」の推奨する、いまじゃ、食ってこうとする大学院生が必ず採用する文体は、まず文の初めに結論。ついでその説明を1段落で、ということです。
 で、ちょっと前項をみてくださいな、前項では私が考えたことを時系列に沿って、「どう?ぼくはこう考えたんだけど、そう思わない?」と読者の皆さんに提起しました。
 ところがアメリカ軍はそうは思わない。「てめえがどうだろうが知るかよ、早く結論を言え。俺にはそれでいい。あとはこっちで判断するから早く失せろ。」

 てなもんでさあ。
 どうです、的確でしょう、彼らの発想の説明。

 彼らにはお友だちなんかいやしない、彼らにあるのは効率のみ。どこまで腐っているんだか。
 アメリカなんて民主的だと思ったら大間違い。(もっとも思わないのも歴史を知らない) 彼らは奴隷主と奴隷との文化を背負ってるんですよ。(一時期だけ、奴隷もインディアン狩も知らない北東部文化が制したことがある) その両者に共通なのは、「ファミリーさえ敵同士」という世界。
 お前が何を考えたかなんてどうでもいい! おりゃあ結論だけ知りたいんじゃあ! 結論を食ってもっとでっかい結論を吐いて世界をあっといわせてやるんじゃあ!! 俺が、ウッ、俺が、ウッツ、この俺がアあ!!!  、、、ゲ、下品。
 
 くだらん文体を称揚する日本アカデミスト氏には、ほんと、ば~か、というしかありませんな。職のため、とか断る良心的な人も少しだけはいますけどね。
 (もっとも私も毒されてますから採用し(ようとし)ますが。だからって、偉そうに称揚なんざしないさ)

 とにかく、アメリカやアメリカ軍統治下の地域にはいくもんじゃない。
 わるいけど、沖縄の日本加入は、沖縄人民の生活にとって、トータルにはよかったと思うよ。
 だからなんじゃい、ということは、あくまで別のことだけどね。

 というわけで、ちょっとウサを晴らしたところが、私への役(に立つこと。って1時間も使って、それでいいんか?)
 まあ、断片(=酔言)カテゴリーです。

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芸術が芸術となる日

2013-02-13 22:06:48 | 断片
 こんばんは。ほんとに、こんなことを書いてて(時間を潰して)いいのか、とは思いますが、
 本日は、夕食時テレビをみると、カンボジアの紀行。都会の路地で、トゲトゲの輪ッかを跳んで抜ける、よくライオンがやるやつ(火の輪くぐりとか)、をしてみせるんですが、誰も拍手もしない、冷たい目線が報酬。
 ははあ、市川団十郎も元をただせばこんなもんなんだろうなあ、と。
 
 要は、必需品を作る共同体があったとして、非行や性格のためこれに加われない他の人民がいたとする。彼は輪ッカくぐりはできるが、それをしたところで、ようやく1日分のサトイモしかもらえない。という場合、この「他の人民」は、共同体の中では下層化せざるを得ない。
 
 とはいえ、この他の人民が共同体から離れることができれば、さらにそのうえ、生計の手段を得ることができれば、
 この2つの要因により、彼らは下層を抜けて中層同等となる。
 
 日本の現実ではその2要因は、余剰生産物の権化の日本貴族たちの手(、か足か、)の下を通過することによって存在し得たので、日本の芸術家は(、他の国と同じように)、その9割が体制派に成り下がりはしたが。

 いずれにせよ中層同等の身分となると同時に、彼らはその非凡な行動形態において、別格の層となる。
 この別格の層の社会的特性は「共同体を抜けたかどうか」であり、この特性の行為への機能は
第1に、共同体の拘束をはなから持たず
第2に、おおらかに自由を賛歌することが自己のためになる。
 ということである。」
 実は、実態は、(別に被支配者のまま、)共同体権力から離れて、うるさくない別の権力の下に入っただけだが、この「うるさくない」ということが、共同体権力の直系(=地主、地主の長男、田舎首長、田舎議会議員、農協・郵便局を含む田舎官公庁権力者) となれない人間一般にとって、重要なのだ。

 かくて長嶋選手は社会党が嫌い、その他日本芸術家(なり相撲取り囲碁将棋員)という名の伝統的余剰物資消費人員は、みんな、日本貴族が大好きだ。

 趣旨は通じたかなあ、通じたとすれば、
 なんてことを今日のNHK特集を見て30分で書けるのはすごくないかい?
 京都大学日本史院の試験でこんだけ書いたらいれてくれるんじゃ? (注:私は社会学の他大学院です)
   もっとも、だからって、私の(理論の)役に立つのか??

   で、趣旨が通じなければ、は、項を変えて
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唯物史観の哀しい勝利

2013-02-12 21:30:15 | 断片
 こんばんは。頻繁にブログを更新するのは、神の使命的に不本意ですが(お前の時間は、もうないんだぜ)、本日は北朝鮮の核実験ニュース。朝日新聞は号外並みの下品さで1面と3面を埋めました。
 おいおい。
 なんだかんだ客観的な評論をしてたくせに、ことが現実になるとあわててこれか。「評論家」フゼイたあ、このざまをいうんだ。
 産経新聞でも、読売新聞でもありませんぜ。当家が昨日2年更新契約をして、1000円相当カタログおまけをもらった朝日新聞。読売だったら3ヶ月ごとに、800円分貰えたのに。
 
 で、さすがにことが重大なので(核実験じゃなくてそれへの他称良心派メディアの対応のザマが重大だってね) 家人にいったら、中道より左のはずの家人いわく、「だって当然じゃない、隣の国よ、ミサイルだって作っているのに」
 はあ、さよでっか。
 
 ったく。
 みんなそう「当然のことだ」と思って太平洋戦争を起こすのさ。
 これからも。
 
 世の中は合理的に動く。
 ヘーゲルの真意はともかく、ヘーゲルはあと200年は最高の哲学者ですね。当然唯物史観も最高の史観の座を占める。 右翼共はかなしくないのかねえ、自分の頭の程度に。
 
 後200年、早く先進国革命を起こして、ヘーゲルとマルクスを乗り越えなければ数百万人民が(1時期に)死ぬね。
 
   まあ、他人の話を聞かない、自業自得だけどね。
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職人の仕事

2013-02-11 22:05:32 | 断片
 こんばんは。東京地方最後の冬の暖かさ(部屋に斜めに差し込む日光で)を満喫しつつ、本日は珍しくほかの大・中企業サラリーマンのように3連休。すごいグッド。幸せだなあ、、、。
 おみゃあ、なんもせんくせにさみしいしあわせ? いや、なんのなんの。

 さて本日の昼食は、息子にもらった稲庭うどん。わたしなんか人にモノを貰うのなんてバレンタインの義理チョコしかない生活で、(てやんでえ、お歳暮贈った? ありがとうございます) ともかくもありがたく豚南蛮うどんにしていただいたところですが、、、なんでこない細いねん?
 稲庭は細い、ってそんなこと知ってますわいな。
 しかし銀座佐藤養助、細すぎ。
 こんなはずはなかろうといくらネットを繰っても、誰も「昔より細くなった」、と書いていない。
 はあ、伝統といってもそんなもんなんだよね。インターネット情報ったってようやくこの10年ばかしで知った若人しか表現しないし、いや、秋田佐藤本家でも20年前に誰か養子になって、それが仕切っておしまいなんじゃないの。
 きっぱり言わせて貰います。
 佐藤養助、15年前までは、自称「太麺」が家伝の麺でした。(なお、「太麺」ったてそりゃ細い。にゅう麺もいいとこですが)。
 
 なんてことをいうのは、わたしゃ別にうどんに興味があるわけじゃなくて、酒。秋田白瀑(しらたき)。(新潟白瀧ではありません、ま、そちらはそちらでそこそこおいしい、まだやってれば)、30年前のこれが日本一おいしい一級酒だったんですが
 ちなみに、日本で2番目においしい日本酒は、30年前の八海山大吟醸。日本一は、、、これがわからない。あんなおいしい酒を、それ以前も以後も探したけれど飲んだことがない、30年前の新潟の大吟醸、、、名称不明。名前って大事ですよね。
 ま、それはそれ。
 白瀑、代が変ってしまって、今じゃ、まあまあそこそこの本醸造になってしまった。
 (もちろん白瀑、大吟醸もありますぜ)
 それで聞くところによると、情け無いことに、30年前それを誰が作ってたか名前が知られてないって。
 ひどかないですかねえ。まあ、それを東京からコンダクトしてた社長は知られてますが、じゃあ本当は、って。
 
 ちえ。
 まあ、知られないのが職人てもんなんでしょうね。
 
 私も職人だしね。
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中高年的記憶能力

2013-02-09 21:52:16 | その他
 こんにちは。みなさまお元気ですか?
 「みなさま」の実体が今ひとつつかめないのでこれもちょっと空語ですが、ツイッターというのはそういう側面からすると、相手は登録した実体者たちとのことで、よいんですかね。
 で、私儀、元気は元気ですが、どうも今年は正月からずっといろいろありすぎて、中高年の狭くなったワーキングメモリーでは限界的です。
 世の中、「記憶力は年取っても衰えない」なんて趣旨の本、流行ってますが、問題のすり替えですね。
 ワーキングメモリーが狭小なら、記憶力なんかどうでも、ただのボケ老人ですよ。

 なんか面白くないので、愚痴その2.
 ふと気がついたらワイシャツの両袖に小さいけれど穴が。おやあ、洗濯でどっかひっかけたか、おかしいなあ、でも前もあったぞ、糸でお裁縫したし、なんて思ったら結局どうもダンボール箱を百数十処理した結果のもよう。ダンボールの上端があたるところのスレみたいで。
 
 実は最近までは腕をまくって作業をしていたんですが、毎回腕が傷だらけになって。傷自体はどうでもいいんですが、風呂にはいると沁みて。
 やだなあ、中高年で肌の湿っけがなくなっちゃったんだよね、弾力ゼロで。しょうがねえなあ、と最近、ワイシャツのまま作業するように変えたんですが。
 こんどは毎回ワイシャツに穴じゃあ、小遣いも尽きてしまう。
 
 ふつうってどうしてんですかね。みんなだいたいワイシャツで作業してますよねえ、、、
 世の中って、実際にやらないと、また他人に聞かないと、わからないことが多くて。
 くだらない? ああた、ワイシャツって最低900円ですぜ。
 、、、って、驚異的に安いな。
 わたしゃ、でぶの増えた昨今、異常体形の範疇に入ってしまったので、1900円するし、、、
 
 ま、そんなこんなで、こういう発信情報は、ひとつ役に立つことがあればよい、と思い至りました。3分くらいしか考えてませんが。

 今日の話題は、記憶。
 リアル世界では私はよくいうのですが、30歳で記憶力が半減して、40歳で記憶力は3割になる。50歳になったら何をいかいわんや。
 記憶能力は同じ、といっても要は使うべきときに頭に浮かばないんだから、結果はただのボケだって。

 で、もう一つあって、これはリアル世界では、共感者がいないのでいわないのですが、同じパッション状態で立ち向かえる行為対象は30歳までは無限にある。40歳でもまだ3個ある。50歳では2個あるが、55歳では1個しかない。
 私なんかが勤務仕事をしながら勉強するなんざ、じつは大変なことで。
 つまり、やる気力っていうのは、ホルモン系と記憶脳力のセットなんだね。
 やる気はシンプルな同一ホルモンが体を満たすだけだけど、それが及ぼす対象は、頭脳が、「これこれ」って教えてくれた対象でしかない。ところで、その対象は、明確に記憶力に依存している。
 若人はやる気になればサッカーをしたあと宿題もできるが、中高年は、大事に焚きつけた一回のやる気を、1つのことに向かわせることしかできない、というわけ。
 なんていっても分かんないやね。
 でもこういう誰も言わない分析は、脳研究系の人には役に立つと思うんだ。

 ついでにいうと、明らかに短期記憶には2通りあって、ふつう話題になる領域以外に、その他の領域がある。パっと見て覚える領域ね。そこでは複数の記憶が把持できるけれども、昔なら翌日まで持った記憶はもちろん、30分で消える。
 ということを実験するだけで、博士論文が通るのは堅いな。短期記憶の2方式(め)ね。
 若人はそんなこと片鱗もわかりはしないでしょ。
 医学系が来るサイトではないけど、、心理系のお友達がいたら教えてあげるとよいと思われます。
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老幹部は去りゆくか死にゆくか

2013-02-03 21:54:57 | その他
 こんばんは。ここんとこ肉体労働が多くて、でも本日は休日、明日なら回復するかという予感の今日この頃。
 皆様は驚かれるかと思いますが、ネット情報を「ググると」、世の中、疲労の何たるかなんかわかっていないようです。ネット情報なんて、権威のありそうな奴の、実は自分では知りもしない意見の、百倍増幅情報ではありますが、それでいいかげんな情報しか出てこないってことは、誰かは知っているにせよ、権力的医学者までは本質は伝わっていない、ということで。
 ったく、世の中アホばかり、と、思えてしょうがない、そんな序文ではあります。

 などとご機嫌の悪いのは、ひいきの将棋指し渡辺明くんがこの2,3日、大勝負に負けて。
 ったく面白くない。もう将棋情報見るのやめようかと、生涯で8回目くらいに、思いました。唯一のストレス解消は、卑怯者の米長某氏死去の後、まだおんなじ以下のが生きていると苦々しく思っていた「棒銀王子」なるクズが(将棋関係者しか知らないね)、今日は某掲示板で的確に一言で評価されていたことです。いわく「ゲス野郎」。ああ、そうかゲス野郎ね、バカでもタコでもアホでもないしと思いましたが、あ、ぴったり。
 とはいえ、わたしもいい年なので、ちょっと同情はしてるんですよ。こいつ、友達いねえよなあ、、、って。
 当該氏のことはいいとして、こちらをご訪問の皆様は、私の老婆心を汲み取って、他人は、「こいつ馬鹿だ」と思ったら褒めるものだ、と、理解してくださいませ。なんでそんなやつのことを、って、人間みな一緒。けなして相対的に浮かび上がるだけの自己は、寂しい。そんな自己が寂しいということは、ほっとくと死ぬときにしか分からない。褒めることでその人より相対的に浮かび上がる自己は、不思議なことに誰よりも格が上になります。(注:同情心が湧いたときのみね。ストレス解消が先決)
 、、、なんて老婆心だろう。老爺心といわないのは男がクズだらけだった名残でしょうね。
 
 さて、本日の少数者対応ブログ。

 一昨日の朝日新聞に、日本総研の山田久という人が書いてまして。いわく(趣旨)
「景気回復の決定打となるのは賃金上昇しかない。それがなければ、持続的に物価が1%を上回るという状態は起こらない。しかし、以前は春闘があってベアを上げていたが、いまはもう機能しない。どうやって賃金をあげるか、健全な労使交渉を政府が後押ししなければ」なんて話。

 いかにも日経系みたいな中立な発言は気持ちよく。
 日経も、幹部以外は、日本人民が生活する環境のことを考えてますから、他称左翼系の新聞よりよっぽどリベラルな意見が載ります。日本は共同体ですからね、中立評論家ならみなさまバカじゃなく、本当のことを言うには、人民全体のことを考えなければいけませんから。ま、いいや。
 
 で問題は、前述中の春闘の評価、これは、山田という人、若いんでしょうね。教科書に載ってりゃ何も知らずにしゃべれるし。
 
 春闘があってベアを上げてた、、、ははあ、そりゃアメリカ近代経済学イデオロギーなだけ。
 
 春闘で要求があって、ベアはあがった。おかげさまで日本は内需も拡大、内需要因で輸出も順調、60年代後半からはウハウハな高度成長。
 しかし、それを春闘の結果というには、当時の新左翼以下の革命志向運動が不可欠だった、ということを忘れてはなりません、というか、おまいさん、思ってもねえだろうなあ、てな話ですが。
 
 ベアの上昇の客観的根拠は、当時の最高度に発達した人力の機械力化という転換文化であり、それを基礎とした客観状況、すなわち
 1 超円安(1ドル360円)
 2 労働集約型産業の海外進出=安価な労働力の工業製品への転嫁
 3 戦後からの経済復興の定着による労働力不足
 4 女性パート労働者の増加発火による安価な賃金の掘り起こし=統計上の正職賃金の騰貴
 ではありますが、それにしてもそれらを根拠として資本家がより一層儲けてもよいし、許されればそうするのは現在をみればわかります。
 しかし、彼らはそれどころではなかった。
 第1に、感性的に、彼らの仲間たちは、当初から、戦後のくうやくわずをなんとか切り盛りした官僚たちであり、あるいは戦後共産主義革命を夢見た下部活動家たちであり、それらを支えた、その他の「うちうちの」評論家たちだった。そんな共同性で満ち満ちた国家だった、ということです。
 ついで第2に、ここが本題ですが、春闘を指導した者「以上に」、まず当初は跳ね上がり共産党がいた。その次の時代には彼らの鬼ッコ、気違いじみた全共闘が街頭をバッコしていた。前記の客観状況下で、やわい総評のいうことを聞くことくらいなんでもなかったし、それですめば御の字だった、ということ。
 この歴史的状況が分からなければ評論家Aは生きてなかったといわれてもしょうがありません。ま、だから、この人は生まれてなかったんでしょう。
 ともかくおかげさまで日本資本主義は賃金を得た大中企業社員の内需 (と税金が支えた農民の購買力) に支えられ、圧倒的に安い価格を武器に海外へも進出することができた。

 何を言ったかといいますと、社民や労働貴族にさんざんバカにされるだけの(共産党)山村工作隊も、プチブル全共闘も、労働者運動にとっては(とってさえ)大きな運動機能を持っていた、ということを認識しなくてはならない、ということです。
 社民や労働貴族でなくても、労働社会学者だって、どれだけ認識してんでしょうかね。
 というより、この世で労働社会学者なんてまだご存命なんでしょうかね。
 
 もちろん、逆もまた真。革命運動とは、いやさ革命運動「も」、社会現象はすべてトータルなものです。幹部共は自分達のことだけ偉そうなことをいってんじゃないよ。
  
 とはいえ、問題は、今の壊滅的な左翼状況で、こういう話を誰にいっているか、というところで。
 ま、「ロートルが退いていく組織の中間管理職に」、でしょうかね。どんな組織でも老人は、人間としては、去り行くのがよい。去りたくなければ死ぬがよい。そのための「寿命」だろうが。
 ただ、その際に、生き長らえて得た知識だけは残していくのがいいでしょうね。

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いくつかの断片という前座

2013-02-01 21:45:01 | 断片
 こんばんは。ようやく1月を脱し、東京地方は、あとボタン雪の季節を過ごしながら春を待つだけの体勢。今年は寒そうだから何かいつもと違うかしら。
 なんて季節の言葉は実はやっとかっとで、つかれちゃってさあ。
 先日の骨折問題は両者とも好転せず、手術へ。この場合、私の血圧が悪転するわけですが、私儀、ここんとこ中高年にはきつい労働で体力低下。両者相伴って、健康血圧。
 血圧って運動すれば下がる、っていう話も、検討の余地ありですね。単に疲れてるだけかも。
 
 さて、あさってあたりちょっと真面目なことを書こうかと思いながら、真面目なことというのは要するに役に立つ対象の人が狭すぎるので、前座をいくつか。
 
1 最近、会社のwindows7に変ったパソコンでyahoo検索すると、やけに、「これ、通していいの?」ダイアログがでてくるんでどうしたことかと思ったら、新しいパソコンを使っている家人がいうには、yahooはぼんぼんコマーシャルがでてるんだそうな。gooみたいになってしまった、ってことなんでしょうね。
 へえ、知らんかった。私のごく旧式というかマニュアルなパソコンで( セキュリティ設定して) は出ないもんで。
 過去5年間、このブログではずっと「yahooすると」といってyahooの応援をしてましたが、もう見限ったほうがよいのですね。これからは「ググルと」ですか。ゲロゲロ。
 、、、しかし、昔の義理ちゅうもんはありますしねえ、それもいやだなあ、、、

2 今日の朝刊コラムで。コラムニストが「コンセントを抜く」と書いたら「ほんとうは『プラグを抜く』で、コンセントを抜いたらあたりは火の海だ」とかいう投書が来たって、さりげなさそうに書いてありました。
 私のブログの読者の人にもいそうなので、役に立つブログ。そういう人は授業料だと思って、どっかでサラリーマン勤務を3ヶ月するのがよいです。「自分は正しいことを言ってこんなに偉いと思ってたのに、実はこんなにばかにされてたのか」とわかります。そのうえで、もう一回、同じように発言するかどうか考えてください。ま、本人は冗談かもしれませんけど(いや、「論理上正しい」んですよ) 、老人は直対応しますから馬鹿にするだけです。
 私にも、それなりに、教師のかすかな片鱗はあるんですね。おやめなさい。
 こんな失笑を誘うに過ぎない発言が、若い人にはありすぎて。
 悪いけど、若い人の老人に対するアドバンテージは、知識ではなく、生きる方針だけです。心におとめ置きください。
 まあ、老婆心ですね。
 
3 今日の朝日夕刊は北京の大気汚染。北京人民が虫の息だ、って。
 ほんと中国に行くと、くしゃみだらけで。「花粉症は大気汚染病だ」ってテーゼが身にしみます。
 でも運が良かった中国人民。話題が首都北京だから、なんとか改善の方向に進みますね。ほんとは西安も上海もクシャミの渦ですよ。 ただ不思議に、夏に行った天津は、空がスモッグなだけで息はできましたが。
 (スモッグって知ってますか? 私的には、ちょっと前までの大阪や川口の空のことです。そんなの、気をつければうんと改善されるんですよ。首都北京でほんとよかったよかった。中国人もそれを報道する中国シンパ日本人諸君も、情報武器を扱い慣れてますよね)
 
 てなわけで、近々に真面目な話を。普通の方へは、また来週。
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