リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

埋め草の日

2016-08-27 10:56:11 | その他
 こんにちは。もう土曜日ですねえ。東京地方、小学生の夏休みが終わったのは知ってましたが、昨日は中学生も下校してました(から終わったんでしょう)。無駄ですよねえ、せっかくの思春期の長期休暇、無意味な中学授業なんかやらせずにやりたいことやらせといたほうがずっと賢くなるのに。私が証明です。もっともスマホ遊びで目を悪くするよりは黒板見るほうがましでしょうが。
 
 本日は埋め草。
 あ、の前にアリバイ的に知識モノを。
 今日の朝日新聞土曜版、東京財団の偉そうな研究員がばかげた話を。東京財団というのは笹川財団が竹中平蔵にやったシンクタンク。
 いわく、会社の保険は会社が半分持つから保険料が安い。家族の保険料もかからない。他方、国民健康保険はそうじゃないから保険料が高い。
 「そうじゃん」 て?
 ウィキペディアをご覧よ。国民健康保険の「被保険者の給付に要する費用(中略)は、50%が公費、残り50%が保険料で賄われることとされる。公費の内訳は、国41%(給付費等負担金32%、調整交付金9%)、都道府県9%である。」
 会社が出す代わりに、半分国家が出すの。
 「家族の分は?」 って、会社の健康保険は、家族の医療費は労働者全員に配分されて、結局家族の分も自分たちが払ってるの。
 どっちもおんなじ。
 「じゃあなぜ国民健康保険は高い?」 って、
 1 サラリーマンは元気だから病気をしないから、もともと医療費が安い(病気がちの弱い人間は退職して国民健康保険になる)。
 2 サラリーマンは自営業と比べたら金持ちがほとんどだから、多数の金持ちが分担して払ってくれる。国民健康保険はみな貧乏人だから、一部しかいない普通程度の所得者は保険料がバカ高くなる。それでも足りないから非課税者でもたくさん取る。
 
 お分かりでしょうか、編集の鈴木淑子様 (という朝日のベテラン記者。知り合いと名前が一緒なので覚えている)。
 東京財団はほんとのことをしゃべると自民党の政策に何か都合が悪いのかもしれませんが、物事を知らないなら次は日本共産党書記長に教えを乞うことをお勧めします。小池晃氏はほんとによく勉強している。歴代書記長と違って生半可な唯物史観なんか知らなくともそれで十分。
 っていうか、なんで東京財団なんて中立とはいいがたい団体に聞くの? 朝日は自前で担当編集委員いたじゃん、てもうずいぶん昔だけどね。リストラされたのかね。
 
 まあ、こんなことは知ってもしょうがないが、同じ日本国民なんだから平等の負担度にしてもらいたいものだ。年金もね。年収200万の人間が、国保はまあ払うとして、国民年金なんて高くて払えるわけないよ。
 
 さて、わたしのBVD。パンツね。ブリーフ。型崩れしないので30年来買ってきた唯一のぜいたく品。30年間で初めて、ゴムがよれよれになった。
 ひどい。 
 バーゲン品を貯め買いするのでいつのかわからないけれど、ちゃんとBVDの袋に入っていた。
 富士紡績ももう潰れか。と思ってみたら、子会社60人でやってるのね。このぐらいだと人材だね。失敗だよ、おにいちゃん。もう買わねえから。
 だいたい伸びるせいで、はじめゴムを緊くしてやがんだよね。新しいのは痛くてしょうがねえ。(p.s.その後当家在庫品で調べましたら、痛いのはタイ製定価700円ので、日本製900円のは痛くはなかったです(2通りあったとは知らなかった)。が、よれよれになったのは両方です。甲乙つけがたくびろ~ん)
 
 悪口その2。
 以前に人から貰ったワイン、「函館夜景」の白。味がどうとかはいわないが、度数が12%と書いてあった。うそ。薄い。 これはせいぜい10%だろう。わたしの舌は舶来500円ワイン2百本の舌。それともブレンドならこういうアジも作れるのか?
 
 おめえは悪口しか言えねえのか、といわれるのもなんなんで、褒め。
 気がつけばガスターすごい。
 当家のガスター風呂給湯器が一部壊れましたが、これが25年もの。25年間働き続けて、って引っ越す前の持ち主は事情であまり使わなかったようですが、使わなくたって経年劣化しますでしょう、で25年。昨日たまたま東京ガスの見回りがきましたが、給湯自体は問題ないとか。いいなあ、昔の日本製品。大好き。
 ガスターはもう自前販売しないので、故障申告にちょっと疑問がある対応をしてましたが、まあそこまではいわない。勲章というのは昔の功績にあげるもんですし。わたしはアパートの時代からガスター。今回は吸収先のリンナイに変えました。なんで吸収なのかねえ、やはり良いものを作りすぎたんじゃないかねえ。まあ、それで同じブランド名で質落とされても困るけど。

 P.S. 褒め2。
 書くのを終わりにしてgooのポータルにでたら、ボルトの名が。で、思い出した。
 新聞投書によると、ボルト、授与担当の車椅子の人から金メダルを受けるのに、手で受け取るんじゃなくて、両手をついて首を差し出して掛けてもらったって。
 さすがだねえ、違う人間は発言を見てて分かるよ。でも教えてもらってよかった。
 
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裏弁証法の仕様

2016-08-21 10:08:57 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。いかがお過ごしですか? 当方、週遅れのお盆で浜松まで。暑さの中、神経回路をヒートアップというかヒートストップさせながらレジャーしてきました。レジャーもなかなか大変なもんです。もうお仕着せツアーで酒でも飲んでるのが似合うお年頃ですね。
 
 今年のオリンピック日本はメダルがたくさんですって(数字は覚えてますが書くと神経が疲れる)。競技ありすぎですね。オリンピックの精神が泣く。1日4競技くらいで、全世界でみんな最後まで見て、1位の見知らぬ国の選手を誉め称えたらよいのでは? 自分が1位じゃなきゃいやだから競技を増やせ、なんつうのは4歳のガキですね。体重別とかってほんと意味不明。そんならかけっこも足の長さ別にしたらいい。「おれは体が軽いんだからハナから負けてる」というなら卓球をしたらいい。デブは卓球ができなくて可哀想なんだから。
 まあ、他称スポーツ音痴が言ってもただのヒガミになるのでこのぐらいで。 って、ハナからただのヒガミですが。
 
 さて、私儀、最近はもっぱら例証探しで、例証というのは証明じゃなくて、日本語的に、「説明のための例」という意味ですが、で、女性史なんて見てたりしますが、その続きに一般日本史を見ると、ほんといい気なもんだね、男共。やってることも、さらに歴史本を書いているやつらも。これで日本の歴史に何が起ころうとぜんぜん男人民へは同情の余地はないね。
 今の人たちには、社会行動をするやつらの「いい気」というのが分からないかもしれないけれど、あるんですね、これが。ほんと、左翼とか右翼とか体制、反体制とかじゃなくて、何をしても「いい気なもんだ」としかいいようがないのですが、歴史の表に出るやつらとか本書いて有名になろうとかいうやつらには特に鼻につく。女性の社会行動的な人たちはこんなのを思想的学術的活動的に相手をするんじゃ、そりゃ男嫌いになるでしょうね。
 と、結論だけを書いてもわかんないよね。
 といって、理由を書いても別に彼らが反省するわけでもない。
 抽象的に言うと、なんの成果も出ない、しかししなければならない苦闘をする人間(女性活動者)にとって、あーだこーだ自分の成果や(男活動者) 自分たちの立場(男歴史家) を誇ろうとするやつらは、くしゃくしゃに丸めて歴史のゴミ箱に捨てたくなるんじゃなかろうか、ということです。
 まあ、わたしは関係はないですが、ご覧の良心的な人には「そういうことがありそうだ」、という知識だけ。
 
 というわけで、オタッキー本題。裏弁証法。観念弁証法といってもいいかもしれませんが、武谷、じゃない武市が喝破した資本論の弁証法。
 次回の配本書はその方針でできるはずだ、と当初思ったのですが、目次は作ったけれど話がいっこうに進まない。
 それとは別に部分構成素は作成しているので、本のトータルでは進んでいるのですが、構成素が増えれば増えるだけ構成原理の矛盾が拡大する。んんんん、なんで? なんで論が綺麗に収まらない?
 というわけで、先週お盆の休日、ってこの2ヶ月は基本、休日ですが、それでも主観的なあせり度合いが違いますので、ゆったり休日、暑さの中でじっと無為に耐えつつ閃きに身をまかせますと、これはそもそも仕様が違うな、というお達し。
 そう気がつけば、ヘーゲルでさえ、「小論理学」でも「法の哲学」でも、目次を素直に見れば普通気がつくように、その構成は「めちゃくちゃ」。 そっか、ヘーゲルの無秩序にはそういう以下の理由があるのだ、と閃きました。
 観念弁証法は、観念を表に出して展開はできないのです。
 だいたい思弁論議なら誰でも観念論議と気がつく。 観念弁証法は、しかし、現実を表に出しつつ、その裏で弁証法を展開しなければならない。
 「あたりまえだ。おまえ資本論読んでないな」? すんません。宇野の綺麗な経済原論しか見てないので。和本の資本論は引越しの時、長谷部本、1巻を残して捨ててしまいました。洋本は英語だし。まあ、たしかに資本論も章題だけは抽象を装ってますが、実は現実の1局面にカッコマンの題をつけただけ(これ昔の俗語)。
 で、今回のレジャーで旅館の室温26度の冷房で一寝して目を開けますと頭もすっきりし、
 1 できあがりの正しい抽象理論に弁証法が存在するわけがない。「反」なんてもんが存在したらそれは出来上がってはいない。
 2 一方、抽象理論は現実の本質ではあるが、これから読む他人はその本質を本質とはわからない。現実を見た人間のみがやっとその本質を理解する。ところで裏弁証法は観念の弁証法であるから、その途中にもその先にも「本当の」現実など現れっこない。
 3 というわけで結論。
 裏弁証法は、間違った「現実」観念を並べ、その内部において本質を展開するしかない。
 この結論も、表面的には間違った現実である。ただ、その展開の理論のみが正しい。
 たとえば、『「快・不快の神経作用」とかいわないで、まずシンプルに「愛」と書く』とか、『「それに性ホルモン上の要素が加わって」とかいわないで、まず「恋」とかいったほうが良い』、という次元の話のことです。

 ただでレジャーしてないとこが偉い。 
 ともかくも、この仕様でなければ、つまり、間違ってても具体事象から入らなければ、読んだ人が論理の中に入れない。これは言い換えると、論ずる人も論理が展開できない、ということなんですね。正しさだけの追求の立場では、理論は展開できるけれども、論理が展開できない。
 これって案外気がつかないと思わない? 嘘つきは別として、ここに来るような正直な人はそうでしょ? わたしはそう。
 間違いを知ってて論を立てるほうがおかしいような気もするけれど、そうそうシンプルに因果連関がわかるなら科学なんていらないやね。 (わたしの直近の2書は現実分析の正の弁証法なので、この気配りは不要だった。)
 どうでもいい? そうです。どうでもいい。
 ただ論理学研究者は、この不思議をもう少し立ち入って研究すると、名前を残せますぜ。
 ま、学会名簿に名前が残せればいい人には、売れない弁証法など関係ないですが。

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お盆的

2016-08-13 12:41:58 | 断片
 こんにちは。お盆ですね、お出かけは? わたしは来週予定。とはいえ、特に西日本の方とか、こう暑くちゃ家で寝てるほうがいいですね。 ふと、むかし臨海学校で隣のクラスのヒステリーの女の先生が、夜中にぐずぐずいう子を団扇で扇いで寝かしつけてたのを思い出しました。わたしゃ消灯後2時間は寝ないたちだったので見てましたが。立木先生、ついき。あんまりいないみたいですね。担任の竹之内先生は「あの人は子どもがいないので子どもをびんたできるんだね」とか悪口をいってましたが。
 
 えーと世間様では、地震で土砂崩れに会った人、見つかってよかったですね。私もほっとしました。天声人語も感動してましたね。ここんとこ天声人語の悪口をいいませんが、筆者は2人いるみたいですが、どちらもまともな人のようです。わたしくらいになると自分とのイデオロギーの違いなんか問題にしませんし。そんなもん、違いじゃない。右翼はクズだから嫌いなだけ。
 オリンピックも順当な人の結果とかってあまり面白くないですね。そもそも勝ててないけど。銅? へええ、、、それより外国人でも時々新聞にエピソードが載る色んな事情の人の結果のほうが興味深いのですが、一般新聞には結果までは載らずにざんねん。個人競技なんか、事情のある人ががんばってなんとかするから意味があるんですよね、そうじゃなきゃ結局は体のいいやつが勝つだけのばかばかしい出し物。みんながんばってるだろ、って説はあまり取る気になりません。同じ結果でも、そんなことはある人とない人がいる、というのが長年の経験。どんな人も「努力した」って言いはしますけどね。
 
 さて、さいきんは内容のある読書が多く、頭が不自由っぽいです。内容って事実のことですが。さすがに速読でも、出来事までは飛ばせないのでメモリー負荷がたいへん。
 脳ごなしに、以前娘から貰った「もやしもん」の二度目読み、最終巻を終えてしまいました。
 いい本だけど、最終巻エンディングは淋しいなあ。ロスト青春期。
 双璧の「鬼面組」の最終巻エンディングを思い出しました。あれもとても淋しい。ロスト思春期。
 それで小学校も思い出したのかね。
 
 オタク的には、種々の事情で半年くらいかかって、ようやく、木下悦二の「資本主義と外国貿易」と「国際経済の理論」が借りられました、どうもネット情報を見てると、この人の国際価値論は正しいんじゃないかと思っていたのですが、読んでみてもお見込みの通り、基本正しい。 ご本人一生かけて、マルクスのプランの後半(資本論は全体6章のうち前半3章しか扱っていない)、第5章「国際貿易」を作った、というわけですが、どうもこれもマルクス主義的に正しい。こうゆう成果的進展には他人事ながらわたしもホッと、すると同時に複雑な心境。「複雑」とは、以下、
 その1 マルクスの通りやったら、なにもできねえ、という感想。
     第4章「国家」も先生やっつけてますが、
     まあ、マルクスがあれだからもしかするとマルクス的には正しいのかも知らん。
     要は、無意味。「国家」のただの性格づけは、「論」である必要がない。
     し、だから「論」じゃない。
     そんな国家論の棚上げ状態で残りの世界市場なるものを書いたって、
     なんの意味もない。
     ってことが想像つくから、木下先生、ぜんぜん触らなかったのではないか。
     それ以後も研究した形跡がネット情報的に見当たらない。
 その2 というわけで、いかにも旧左翼な木下先生でさえこうなら、
     これからのアカデミスト先生諸氏には世界資本主義論などまるで期待できそうもない。 
 やはりね、世界市場は、資本論の続きじゃダメ。無意味だもの。歴史的段階として書くしかないとですよ。現代帝国主義論ね。
 
 などなどの休養日。 

 というわけで、次回土曜はお出かけで更新は日曜かな。
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親鸞の悪観念

2016-08-06 11:05:14 | その他
 こんにちは、お暑つうございます。といっても関東地方が暑いのはごく最近なのでまだこたえてませんが。
 先週は突然の土砂降りが多く、スコールもかくや、みたいなものでしたが、その中で油蝉もみんみんセミも鳴いてるから偉い。濡れても鳴けるんだねえ。
 本日はオリンピック開会式。ちょっとテレビを見たら、まるで世界じゅうみんな人間は同じなんじゃないか、と思わせるような行進が。まあよいことですね。 
 
 さて、都知事は小池になって、ドンがうらぶれそうでよかったよかった。私など年寄りは大嫌いなので都民なら白票だったし(だから誰がなろうとそれ以外はどうでもいい)。ま、がんばってくれたまい。
 都民の方はドンがこれから必死で集めるくだらない情報に踊らされて、また50億すられないように。議会解散でも同じだけかかるというのもちょっと目不思議だけど、ま、そうなんだろうね。
 
 ついでに前回の続き、日本会議が天皇の意向に反対だ、と週刊誌の見出し。とんでもねえやつらだ、右翼のくせに、畏れ多くも天皇陛下様に反対するとはどうゆう了見だ。右翼なんて名ばかりのことがわかります。
 まあ合理化賛成の左翼も山のようにいるから、そこは同じですが。要するに、政治に顔を突っ込みたがるやつらは、全てご都合主義の嘘つき野郎、ということで。
 で、読売新聞庶民読者は84%賛成なのに、高級毎日は67%だって。庶民のほうが付き合いやすいね。
 
 では、どうでもいい借り本ネタ2件。
 以前からフェミニストの男性優位社会への「家父長制」呼ばわりがいかにもバカ丸出しで不愉快だったけど、この「定義」を久場嬉子から発見。有斐閣選書の「労働力の女性化」。 和訳のない英語論文でキャロル・ブラウン筆。
 「集団としての男性が集団としての女性から、階層構造をとおして物質的な利益を得る社会関係システム」だと。
 ば~か。
 無教養なアメリカ人が書くことはしょうがないが、そんな言葉を社会学を専攻した大学教授が流用していいのか?
 もっとも1987年の論文なので、その前に定義もなしにこの言葉を使ったイデオローグがいるのだろうし、キャロルというのは単に正直に書いてしまっただけなのだろうが。
 そんなもんが家父長制だったらすべての民俗学・人類学・民族学は消えてなくなってしまう。
 
 その2。 武田暁他、「脳はいかにして言語を生み出すか」。
 注に1行追加するために借りましたが、それはよいとして、これを読んで、閃きについて閃きました。 
 著者たち(複数)の推測を基にしてさらに洞察すると、どうも、たとえば本書のような難しい単語塊をインプットすると、脳のあちらこちらで関連する単語セットが「発火」して、相手の細胞を模索するらしい(発火とは電気信号を発すること)。で、そのうち単語セットが手をつないで小単語集となり、その単語集がある程度の「意味」を持つ部位と手をつなぐことができる、その瞬間に「閃く」もよう。
 たとえば「脳にはニューロンあり」「ニューロンは継続的に発火している」「ニューロンが思考をつかさどる」という脳内の単語セットが、当人はボーっとしていても、”お前「閃く」ってどういうことか探してたろ”という別のニューロン群の継続的発火状態と勝手に手を結んでくれる。
 その瞬間、上記の洞察が「閃く」という。 
 ポイントは、中高年にはありがたいことに、これはメモリー容量に依存しない、ということで。すでに脳(小脳と読めるが)にデータベースとして単語セットが保管さえされていればいいもよう。
 なるほど。
 逆に言うと、過去ぜんぜん知らないことで「閃く」ことはありえない。 
 だから言ったしょ。脳に記憶を詰め込める成長時期には、ばかばかしくとも詰め込みなさいって。、、、このブログでは言ってないか。
 
 もっとも、注1行のためにこれ以上読む気にはなれず。みなさまにも、理系専門書の外見をした本ですので、私のような速読者以外にはお薦めできません。結論集なら我慢して読むのもいいでしょうが、まだまだ著者たちの仮説集。
 ま、理屈はどうでも、勉強しろよ、ということで終わり。
 
 さて、今週のオタッキー・コーナー。
 もちろんそんなコーナーはございませんが、テーマは歎異抄。
 昔、思春期のおり、メソジストと比較した親鸞、みたいなテーマで読んだことは、まあ、ある一品。
 私もそのころは類い稀れな純粋無垢少年でしたが、今では、もしかするとめったにいないかも知れない悪いこと人間。 改めて思い返せばひょえ、という気もしますが、ほんと、仕事上した、法律に触れない悪いことも、企業の人事部長に次ぐくらいなのでは、と。人事部長の悪さには及ばないが、それもこれも家族のため。なんて家族は思いもしないものですが。まあどうでも。 
 で、以前にここでも記憶に基づいて、「善人なおもて往生をとぐ」については、”正しくはないが歴史的に仕方のない、良いイデオロギーだ”、と言ったところですが、記憶で言っちゃあいけねえなあ、今よく読めばこれには続きがある。
 
 人民は仏を信頼すれば、「悪をもおそるべからず」=いままでした悪行もこれからする悪行も、恐れることはない。
 おお、すごい。この1行に感心。
 「いままでした」ことがいいと言うのはわかってたけれど、さらに、これからまた悪いことしたっていいんだよ。
 もちろんそうさ。人間生きてかなきゃいけないからね。でも、私なんかどうしたって、「やむをえないことはしょうがないが、少しは考えろよ」、って続けてしまうもの。高校の教師だねえ、、ならなかったけど。
 これを訳したのは梅原猛のもようですが、ただ不思議に、本人、分かっているとは思えない。が、まあいい。次いで、
 「よきこともあしきことも業報にさしまかせて」=すべての善悪は業にまかせて=『京都芸代学長も山口組末端も人事部長も、生まれや育ちの結果は君たちのせいじゃないからだいじょぶ、辞めないでいいよ。800年経って悪口を言うガキがいるかもしれないが、そもそも善悪なんて宗教に関係ないことは常識だよ。』
 てなもんで。 
 えらいねえ。宗教家だから善悪観念はあるんだと思い込んでたけど、ないんだね。徹底してるね。
 私なんか「理論上はないが、実用上はある」、っていうわけだけどね。 親鸞だって現世的にはそういうことなんだけど、そこは宗教家、死んだ後の問題を説いている。
 私だって、人が死んだ後のことまでぐずぐずはいいたくないけど、しかし、せめて人殺しは殺された人が生きるべき同じ年月は地獄で痛い目にあって反省すべきだと思うのだが。心が狭いか。
 まあ、ともかく、私にできないことをする、したことには感服です。
 
 というわけで、親鸞、えらいやつです。
 てめえのことしか考えない耶蘇教徒と似てるなんていうのは、とんでもないね。
 「こんなやつ結局宗教家で、革命なんてできねえじゃん」 とかいうやつは、じゃあ800年前自分だったらどうするか考えてから言ったがいい。
 私なんかこれは昔から考えてるけど、大変なもんさ、結局意識論に落ちてしまう。
 
 で、梅原猛が長々しい解説を書いているのだが、これがぜんぜんわかっていない。どうせ京都のぼんぼんにわかるはずもないと思ったら愛知のぼんぼんだと。まあどうでもいいが。どうでもいいなりに名古屋周りは筆鋒が鈍る。まあともかく思想家親鸞としか見ていない。見損なわれちゃったもんだね。親鸞は他人の評価をして金を貰おうなんてぼんぼんじゃねえよ。思想家じゃねえよ、救済者。まあどんな者でもいいや、「ここには究極的な公平がある」と、なぜ評せない。それは自分が無意識な差別人だからだ、と私は言っている。
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