リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

新聞記事3題半

2010-01-30 21:56:04 | 断片
 こんばんは。
 昨日締め切り仕事がぎりぎり終わって。昔から締め切り仕事をぎりぎりで仕上げるのが快感だったのですが(カゼを引かない私。「ここで風邪引いたらおしまい」という仕事をいくつしたことか)、しばらくぶりの締め切り仕事を2,3件続けてしたところ、引き続いた残業が体にこたえて。
 夜中12時過ぎに夕食を食べて暮らした30代が夢のよう。(今は着10時半でこたえている)(思えば奥様もご苦労様でした)
 あのぐうたらがうそだ、なんて、誰も知らなかったりするから、書いとこ。その頃の同僚は2年前に早期退職をしちゃって。
 
 さて、半分埋め草のブログ記事。
 今日の朝日新聞夕刊は、その1,1面:大逆事件で死刑になったアナーキスト古河力作。朝日の記者にファンがいるようで、時々出ます。やさしい人だったってね。
 いまどきの評論家やネット参加者はお気楽なもんだから、「アナーキストとか称する人間は、できもしないことをくっちゃべっててお気楽なもんだ」などと書いているのをみかけますが、私どものような年代にとって、アナーキストは死刑対象者ですからね、右翼が政権とっても、共産主義者が政権とっても。これでも「隈」の名前を使うときはいつもいつも緊張しているんですよ。このブログも、子供が成人したから作ってるだけでね。
 ほんと、評論家ほど気楽なものはない。
 (ま、知ってる人は本名も知ってるけどね。知ってる人はみんな傷持ちだからね)
 
 その2,マンガ:毎度、国会はカネの話ばかりだ、って。
 朝日の夕刊漫画を知ってる人はわかるだろうけど、この作者にそう言われちゃ最後だね。
 ほんとは違うんだよ。委員会ではまともなテーマでもそこそこの話をしてはいるのさ。でも報道されない。
 自分が報道しないくせに、問題が露わになるとマスコミは、「政府が説明責任を果たさない」とかいう。死んだほうがいいぜ、君たち。
 報道したらつまらなくて新聞が売れないから報道しないのは勝手だけどね。そんならそうと自己批判してから他人を責めろよ。
 
 その3,特集:入試に面接は必要か、だってさ。
 必要でも不必要でもいいんだけどさ。私が普通の私立学校側だったら、ぜったい親を見るね。モンスターならバイバイだよ。
 いいなあ、私立学校、、、って、教師はそんなことをしないんだろうけどね。それこそ自分の人生の否定だから。でも私立学校経営者ならしてもいいよね。わたしゃしちゃうさ。
 とゆう話が10個くらい出てる読者主張に載っていない。編集屋さん、きれいごとすぎないかい??
 ほんと、モンスターには若い人たちは腰がないも同然に引けちまうんだよねえ、、、(教師でもそうでしょ)(わたしゃ嫌われ者の中高年です)
 
 今日は、ほとんど、皆様のためにはならず。自分の憂さ晴らしのためになるブログでした。
 なんかつかれちゃってさ。

 でも、気を取り直してためになるブログ、今日の朝刊に、或る人が、せっかく野菜中心の生活をしていたのに、体調を悪くして懇切丁寧な医者にいったら、「肉を食え」と説伏された話が出ていました。
 ありえないぜ。私のような野菜が嫌いな人間でも、疲れたときは野菜しか食いたくないものさ。日本人は野菜と米ですよ。両方とも最低限しか食べていない私が(主食は肉と油と酒)いうのだから間違いない。それで体調が悪いのは、単なる病気。個人医院じゃなくて集団病院(カルテが複数人に見られる可能性がある病院)に行くべきです。
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冬季的脂肪機制

2010-01-24 20:42:24 | コーヒーブレイク
 こんばんは。下記と同日ですが、すげえつまんない作業していやけがさしたところ。ネスカフェといっしょに気晴らしで。
 もう、根っからのなまけもの。

 というわけで、罪のない人を避けたほんとの題は、「冬おなかが減るのはなぜ?」。

 このごろ、午前中、おなか減りませんか?
 勤務中、ふと我に返ったとき、10時でもおなかが空いてるのに気づくのは怠け者のせいだけかしら。

 というところで、得意の決め付け。
 冬は腹が減った気になる。それは、(ここが重要)、蓄積カロリーが十分でもそんな気になってしまう。それが冬というものだ。

 脂肪を貯めるのに腹が減ってからじゃ遅いですものね。寒さを感じたら常に腹が減った気にさせる、それが温血動物のカナしいサガなんでしょう。

 とゆうわけで、他愛もなく役に立つブログ。
 一般人は、冬、腹が減ったからといって食べちゃいけませんな。どうせ3度飯を食べるんだから。
 特に、通勤や洗濯物干しで一時的に寒い人たち。お気をつけください。ぶくぶくなっちゃいますよ。さっき量ったら600g増えてしまってた。


       (これ、エロコメ。機械にどんな判断があるのかねえ、、、↓)
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生活という個別状況

2010-01-24 10:54:45 | 歴史への視角
 こんにちは。
 東京地方、今日も青々とした空で、サッシのこっちは温室。でも、そろそろ部屋を照らす日差しが短くて。

 昨日の新聞によると、広島電鉄の労組が、「契約社員を全員正社員化し、賃金も引き上げて正社員と一本化することで会社側と合意した」「一部の正社員は賃下げになる」そうです。
 すごいねえ、、、よくやれたもんだ、いくら条件がそろってたってねえ。労組指導者のやる気がすごいねえ、、、
 片方で給料上がったって片方が下がりゃおんなじじゃないか、という説もあるでしょうが、(生活の安定は言うに及ばず)アルバイト・派遣社員は、気持ちだけで疎外感あるよね。出向のとき(でさえ)そう思ったですよ。これで2,3ヶ月ごとに通勤先変えられたらたまんないな、みたいな。人間、一人じゃないほうがだんぜんいいですよ。とくに、中年過ぎは。
 しかし、方針のよしあしとかじゃなくて、佐古正明さんとかいう委員長、突っ張るだけで大変だよねえ。河西宏祐(教授)さんは人がいいから褒めてたけど、実際「そんなのできんの!」みたいな驚きあるよね。

 さて、よかったよかった、なんて終わってると、このブログの意味ないですね。
 一応、原則的な「注」をつけておきます。

1 労組は資本主義下で労働者の労働条件を良くするためのものだから、トータル変わんないよ、みたいな話であっても素直に肯定していいんです。何を言ってるかというと、そんなものが労働運動か、という説が出るからね。労働運動でないの。これは労組運動。違うの。
 そうゆう場面、局面での努力の質の違いがわからない人って、結局、生活者だったことのない人だと思うね。ヒューマニストが営利企業に勤めていいのか、って類の話さ。

2 でも、労働運動じゃないんだよね。こういうのは、先進資本主義国日本の、賃金の相対的低下の1現象形態にすぎない。後進諸国で汗水たらしてる労働者と、トータルとしての労働価値が均一化していく過程です。この現象形態はいろいろで、まずは、労働者も二極分解するか、資本家と労働者の対立にとどまるか、という違いがある。そういう客観的条件の中で、会社構成員として、或る状態を選ぶのが労組運動。
 しかし、そんなもので満足していてはいけない、と叫ぶのが労働運動です。別に個別労組で労働運動をしてはいけないとは思わないけどね。できるところは、それを幸せに思ってやったらいいんですよ。個別の状況はいろいろですから。

3 じゃあ、連合(という労組組織)で方針にしてもいいか、というと、これがまた違う。労組組織には、本来、状況なんてありゃしないんだから。労組連合組織は労働者運動をするための組織です。かくて、方針は原則的になる、革命的でなくともね。契約社員は正社員にしろ、と。一方、高級社員の給料は高給化してるぞ、累進税率を元に戻せ。首切り大企業の利益配当を許すな、、、ダブついてる金は国で吸い上げて失業者に使え。共産党がよくいってるようなもんで。そういえないのは、連合の状況は、「本来」ではなくて存在する、つまり御用組合だという。これも共産党説と一緒。誰でも知ってることだし。

 今日のためになるブログ、趣旨は、あたりまえの説をお伝えすることではなくて、「個別と全体を一緒にしないこと」、でした。全体社会は、全体の価値で動きます。基本の視座(立ち位置っていいますね)さえぶれなければ、運動というのはなんでもオッケーなのです。 

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行為という本質

2010-01-17 16:55:16 | 行為
 こんにちは。
 昨日は他愛もない話で。
 なんですが、どうもお客様がかなりいらした感じで、理由は不明ながら、少し「らしい」ことを書いておかないと誤解されても面倒で、みたいなところ。
 そこで、なんか「らしい」ものは、とネットサーフィンしたら、某派のサイトに、若い人向けの学習ページがきちんとあるのを発見しました。
 おう、すごいじゃん、とデバガメで覗いてみましたが、まあ、そこそこなもので感心しました。
 正しいとかじゃなくてね、必要なものを必要なかたちで、というかね。
 で、感心はしたんですが、そうだよなあ、若い人たち相手に、正しいことをいったところで、しょうがないよなあ、みたいな感想も持ってしまいました。
 そういうとこの情報が間違ってたって、教えてあげる気にならないもんね。結局、それがなんだというのだ、みたいなことになって。無意味だよね。ふ~~ん、、、そうか、、、

 やっぱ、読者対象の方々の想定って難しいなあ、、、

 活動家にはマルクスの神格化が必要なんだろうけど、私などにはそんな気はさらさらないし。
 経済学哲学草稿なんて、プチ・ブールジョワの若いマルクスが、ヘーゲルなりアダムスミスなりに学校で習い覚えた反論を述べただけだし。いわく、「人間の本質である労働が疎外されている」。両先達を頭に置いて「これはちょうどいい、これこそ逆立ちした弁証法だ」、という子供の喜びが感じられませんかね?
 
 おかげさまで、こちら(真理としての社会科学)は大迷惑です。

 隈の読者はご存知のように(と、さりげなく宣伝)残念ながらそれは違う。
 人間の本質は行為にあるのであって、行為の1変種にすぎない「労働」にあるのではない。
 シンプルに先の図式に反駁しましょうか? マルクス等の趣旨は資本主義社会の労働における疎外です。じゃあ、奴隷労働はどうなんだ? 奴隷労働は疎外されていないのか。(すいません、この図式がわかるのは、ある種のオタク的専門学者に限られてますんで初学者の方は、「何いってんの?」で収めてください。)

 人間が労働が好きだったら、どうしてみな工事現場で働かないんだ?
 あるいはどうして電話の口先一つでばあさんやら世間知らずから大枚をふんだくろうとするんだ。地下道を掘って銀行の壁を破るとか、もっと体を動かすのが本来だろ? それとも泥棒労働も疎外されているのか?
 余りにも反証が多すぎやしませんか。
 隈に言わせればそうではない。
 私は、無責任な評論家と違い、人間だから、自分について本当のことをいえる。
 私は適度に体を動かすのは好きだが、熱天下で体から塩を噴きながら働くのは、1年に一度でいい。もちろん、私は年寄りをだましてカネを儲けるのは嫌いだ。

 結局、人間は、したくもない労働をさせられているのです。奴隷であれ、労働者であれ。
 
 人間の行為の本来性は、人との交渉の中で、個人行為の成就を確定してくれる関係にあるのです。なにそれ? 典型例で、趣味の成就が行為の成就です。
 労働労働って、そんなものが楽しいわけないじゃないですか。
 家族に何か採って帰らなきゃならない、でも何も採れない。魚もウサギもライオンも。そんな胃が痛むような境遇が楽しいか。寒い吹きっさらしの工事現場で現場監督に怒鳴られて昨日の監督の指示と違う配置に追いやられるのが楽しいか。
 
 しかし、人間の本質は行為です。
 魚が採れずあきらめかけた最後の竿の一投げで、なんとかサバでも釣れたらその喜びはどんなか。吹きっさらしの工事現場でもなんとかガラスの外壁をはめ込まれたらそれはそれで「やったぜ」と思う。
 それは労働が本質だからではない。行為の成就が本質だからです。
 趣味の成就。すなわち、行為の生理的な制約を超えたところで行為が成就されること、行為の原則が成就されることが人間としての幸せなのです(行為の原則については、隈のホームページの「今回のトピック」ページへ)。

 前からの読者の方には、ちょっとくどかったですかね。
 
 でね、こんなこと書いても、運動の足しにはならないって。そうなんだけどね。
 でも運動の間違った指導を制限する役には立つの。って若い人に言っても、やっぱしょうがないねえ、、、
 
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お墓の移転

2010-01-16 21:33:23 | コーヒーブレイク
 (きゃあきゃあ、なんて題かな。ブログ・テーマが泣くぜ) 
 こんばんは、相変わらず寒い上に、今日はダンボール運びで腕の皮膚がめちゃくちゃでお風呂が楽しくない。
 4年前に、仕事で常時ダンボール運びがあって気づいたんですが、私儀、皮膚が薄い。普通の人の1/3(くらいかな)。若いときは皮が伸びるから気づかなかったですが、おじさんもいい年でばんばん腕が切れまして。ここんとこ用心してましたが、冬になるとダメなようですね。(注:冬でも腕まくりしてるので、ダンボールの端でモロ削れる)
 
 さて、今日はコーヒーブレイク、といっても楽しげでもなく。
 近縁の人のはなし、なんでも世間では、墓を動かすことだけに200万円(以上やら以下やら)もかかるという話。どっかに入れたら最後、足抜けは許しません、てさ。

 くだらない?
 くだらないっしょ? (じゃなくて、テーマがくだらない? まあまあ)
 くだらなくても、今日は(コーヒーブレイク)私も一般人、かかるといわれちゃしょうがない。
 墓を壊すのに石材店費用がかかるって、あと、遠くの墓の役場交渉の出張費やら、お寺への上納金やら、、、、って、積算したってそんなになるはずないよ、うそだろ、と思いますが、いまどきはネット情報も業界人が仕切ってますし。
 なんのかんのいっても自分の親が入ってる墓は、そうは邪険にできませんし。親の思い出は邪険にしないほうが、人生としていい気もしますし。
 
 とゆうわけで、そんなばかばかしい金を払わないためにも、親が死んでる人は(親が生きてると無理やり墓に入れられちゃうからね)自分の墓は、海や川や木の根元がよいようです。
 自分の代で類縁を断ち切れば、孫やらどうやらなんてどうでも、死んだ人間には関係ないしね。もちろん、孫等にも関係ないし。
 (草葉の陰の親も、期待はしてなくとも息子に邪険にされるのは、あまりいい気はしないだろうから)
  はじめから木の根元ならどんな気も起こらないし。
  祖先引継ぎの別姓運動なんかで時間をつぶすんなら、こういう墓廃止運動のほうが世間のためになると思うんだけどねえ、、、
  石材屋さんには、末永く暮らしてほしいけど(若い人への注:墓のある人には、石材屋さんは身近な家庭なんです)。

 いやはや、なにがコーヒーブレイク。くだらない話で恐縮ですね。
 ただ、おじさんおばさんになると、こうゆうのも一種役立つ情報かと思いますが。

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夫婦別姓論

2010-01-11 10:04:53 | 歴史への視角
 おはようございます、昨日はばたばたしてて書かなかったので時間つなぎで。

 今朝のyahooによると、
「民主党が野党時代に繰り返し議員立法で国会に提出した民法改正案は、兄弟姉妹で姓が異なることを認めていた。」(が、統一する案にする、と)
 だって、わけわかんねえやつら。

 前からおみえの方ですと、ここのブログには別姓論を期待されるかと思いますが、あにはからんや。私は、「なんのための家族だい」、説です。他人たちと違う象徴が同姓だからね。別なら家族なんてやめたらいいじゃん。もちろん、私は家族をやめるのにはこだわりませんよ。これでもアナーキストで。
 
 なんてゆうと、おまえは家制度を容認するか、とかまたわけのわからんことを言われたりします。
 
 わけのわからぬ自称進歩派。
 自分の姓、って「自分の家の」姓じゃねえか。なにを偉そうに擁護すんだよ。
 以後綿々と、自分の親のどっちかの姓を背負って子々孫々いくだけだろ。
 わけわかんねえ。右翼同士でやってろよ、みたいな論議さ。
 
 私は昔っから「名前くらい自分で作れ」派です。一応、アナーキスト。
 自分たちで一つの名前作って、そうして生きていけばいいだろ。
 それになんの文句があるんだ。
 
 でもそんなのいやなんだよね、自称進歩派。
 ほんとは進歩派でもなんでもないんだ。ただ、自分のことだけ考えてる人々。
 自分の名前だけがかわいいから変えたくないの。「家族って何? 我慢するのなんてゴメンよ。」
 そういうのとは付き合う気なし。
 
 とはいえ、もしかしてそんな右翼同士の話も、家制度的にはある種の楔になるかもしれないしね。だから私は黙ってるの。
 
    って、言っちゃったね。
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介護制度的コメント

2010-01-03 21:44:15 | その他
こんばんは

 ほんとはこんなことしてちゃいけないんだけど、お正月で、休みすぎだと刺激がなくてですね。

 今日の朝日新聞に痴呆性老人のホームを作った良心的な若人の言が。
 「介護保険制度のおかげで、僕のような人間でも施設を作れた」
と。
 わたしは、介護保険制度反対派ですが、そう-なんですよね。そういうことってあるの。

 とゆうわけで、福祉制度の作りの話。

 介護保険は、まずは、医療保険がつぶれそうになって設計したものなのです。
 それまでは重度の介護必要者だけが公的施設に入っていて、入れない人は病院に入っていたわけですが、医者が治せるわけでもない老人を病院に入れといたら、高額な診療報酬を払わなきゃならない、それは、国も健康保険制度ももうごめん、という話です。
 介護保険の体系は、国の負担も少ないし(その分、地方が払う)、医者の手もかからないからラッキー。というものです。

 一方、これに呼応して、病人でないことは知っているが手のかかる、そんな老人を介護していた普通に良心的な、特に女性の方々がこれに賛同しました。
 病院に入れる理由もなし、じゃあ、といったとき、別の選択肢もない。なによ、あたしだけが苦労しろというの。

 この当事者論に手を差し伸べたのが、賢い経済学者です。
(でね、それが誰だったのか、この数分のネット検索だとわかんないんだよね。
私などがその頃、目に入ったのは、社会保障論的経済学者の話ばかりになっててね、社会保障制度が云々みたいなこと。なにいってんだよ、そうじゃないだろ、産業構造の変換だろ、って、そりゃ左翼には常識だから翻訳しちゃってましたが、さて、ほんとは誰なんだろう。)
 で、産業構造の変換です。もうその頃って、15年前、IT産業も胡散臭いし、かといって土木系もダメ、そしたらいままで土木系の労働賃金で生きてきた人はどうなるんだって話でね。
 なんのかんのいっても、ぎりぎりのところでは経済学者もほんとのことを言うんですよ。
 要は、今と一緒。リストラされたら介護業界へ行ってくださいって。

 ま、そんなことでできた介護保険制度.作ったのは厚生大臣小泉ね。
 ごらんの通り、労働者はそこそこ吸収し(って生活保護寸前の給料でね)、この朝日新聞記事のように、良心とやる気があれば社長にもなれる。
 どうだ、みたいなもんだね。

 ずっと前にも書いたけど。この「やる気」ね、これを社会主義的に汲み取る制度構築を、30年経ったら、しないとね。
 いつもいうように、われわれ労働者には未来は永遠、いつでも来い、だからね。あせるのはプチブルばかりさ。(いや、なんつって怒りを忘れちゃいけませんよ、特に若人は)

 今日の、目先のためになる知識はそんな話じゃなくて、
 第1に、今ある介護のレベルは、介護制度が始まる前、老人介護が華やかに論壇に上がってしばらくした後、良心的な国家制度の老人ホーム労働者たちが作り出した水準だ、ということです。
 その頃地方行政と一体となって動いていった公務員的若人たちが、従来のレベルを越えて作り出した水準を国が追認してできたものだから、そこそこまともに動けた、という点が第1点。いいたいことは、理想は、まともな食い扶持からしか現実化しない、ということです。
 (なんか、いつも国家をずいぶん褒めててね。ほとんどアナーキストじゃないやね)
 第2に、それでも、いわば勢いに乗って、それ以上に突っ走ることができることは、認識しなければいけない。
 15年前、痴呆症の施設など隔離病棟もいいところだった。鉄格子は(かなり)なかったけどね。それをよくここまで持ってきたと、これはシンプルに感心。
 もっとも15年前に痴呆症といわれた人たちは、外見的には今みたいな普通の人じゃなかったけどね。どうしようもできなくなって施設話になる、それでも施設なんかなかったしね。
 私なんか、実はもともとそこそこ普通なんだと思うわけですが、それも知らない人のヨタ話かもしれませんしね。

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「内在的」批判

2010-01-01 21:21:56 | その他
 おめでとうございます。
 新しい年ですね。

 当家では子供たちがわっと押し寄せわっといなくなってしまいました。
 そりゃあそれで多少は淋しいものです。
 さて、標題ですが。

 次回著書の後書きデザインを考えようと(本論の見直しはたくさん残ってます)、厳選されすぎてほんのわずかとなっている書棚、まあ、シンプルな本棚ですが、を見ましたら、意図とは無関係に宇野弘蔵批判のアンソロジーが目に入りまして、そういや40年前のあったよな、みたいに開きましたが、レベルが、、、、

 大学経験のある人たちは、「外在的批判ではだめだ。内在的に批判しなければ」 なんて先生のお小言に覚えはありませんか? 「こいつは反動だ」、とかいうのではなく論者の論理に沿って、その論理が間違っているとかこうすれば改善されるとか言わないとダメだ、みたいなことです。
 私などは、『もっともだ、紋切り型にダメだといっても何の意味もない、本を買うだけ無駄だ』なんて思ってたものです。
 若いって純粋ですね、批判の果てに真理があると思ってたんですよ。「真理への道は一本道。学者はその道を歩んでるんだ、多少ノロくさいけれど、、、」みたいなもんで。

 今だからいえますが、バカげた話です。
 悪いもんは、どう手直ししようと悪い。しかし、学者なんざ、その手直しが飯の種なのだ、ということです。

 悪いもんは外在的に批判するしかない。
 その外在性がオウムの口真似なのが悪いだけでね。
 考え抜いた人間の外在的批判が、大衆には一番役に立つ。
 人間の人生は長くはないからね。飯の種には、大衆はそれぞれに生計のための時間つぶしをしている。寄り道しているヒマなどないのだ。

 その点、実証社会学の人は内在も外在も関係なくてよいけどね。
 先述の間先生もオウムの口真似だけは怒ったけれど、それ以上言わなかったし。

 ちゅうわけで、外在的批判を恐れる必要はない。いまだかって内在的に批判する価値のあるやつなどお目にかかったことがない。
 どんな論者も、それぞれに間違っているように見えることをいうけれど、それは、元がくだらないか、本人と論者の視点が急に交差したか、単なる人格的偏りにすぎない。
 
 たとえば、宇野弘蔵の場合は、本旨は正しいのだけれど、その適用範囲が狭いのが悪い。それは元の視座が悪い(=学問的経済帝国主義)のであって、いくらコネクリ回しても、一層混乱していくだけにすぎない。
 (P,S. というわけで、視座と視角と、また方法論における方向性、くらいが一緒なら内在的に批判できる、ともいえます。まあ、「弟子」っていうのはそのくらいは一致してないとね。)
  (p.s.2 そもそもさあ、内在的批判ちゅうのは、その論議の土俵を承認してるわけだよね。ところがまずほとんどの論議はその土俵の設定自体が間違っている、あるいは科学的に「意味」がない、というわけです。まともに論じるなんて冗談じゃないよ。)
 
 
 まあ、どう根本的に悪いか、それを見つけるのは、それはそれで至難の業だけどね。
 
 てなてな。まあ、本年もよろしくお願いいたします。
 

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