リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

トップページ変更

2017-11-28 08:19:25 | コーヒーブレイク
マイフェイボリットシング

 早々にトップページ変更。
 だからいやだといったんだ。わたしは悪口は嫌いだ。


 取替え。ブラザース・フォー
 
 長いのもしつこいので、2番の歌詞


       "Seven Daffodils" 

  I do not have a fortune to buy you pretty things
  But I can weave you moonbeams for necklaces and rings
  And I can show you morning on a thousand hills
  And kiss you and give you seven daffodils


       「七つの水仙」

  僕には綺麗なものを買ってあげるお金もない
  でも月の光で編んだ指輪や首飾りを編んであげられる。
  そして丘々が輝く朝を見せてあげる。
  それからキスして、黄色い水仙を七本、君にあげるんだ。



      こんな歌詞を子供たちが素直に聞き入った時代を
      最近の若い子はうらやましいに違いない。
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見たこともない男に

2017-11-27 21:01:15 | コーヒーブレイク
マイフェイボリットシング


 カラオケスナックも、いきつけると、ママには「このおじん、こんなやつか」と認識されもする。
 そういう人格的評価は、仕事上では仮に為されても表面には出ないので、うれしいことでもある。
 1年に2回しか行かないがそんなスナックで、さだまさしの「防人の歌」を歌って、といわれた。
 いやだ。
 心に深入りしすぎて歌えるものか。そんなもの今まで1度だって歌ったことはない。

    私は時折
    苦しみについて考えます
    誰もが等しく 抱いた悲しみについて
    生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
    病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
    現在(いま)の自分と
 
 25歳の時、私は信じていた。今は変わった者も呼びかければ振り向いてくれる、と。
 これは40歳まで変わらぬ認識だった、が、ふつうの人間の生は、40で終わるということを生きていくうちに思い知った。
 
 30歳を過ぎて私は、生活費を稼ぐためにその後の3年間を泥沼の中で這い回らなければならなかった。
 30歳を過ぎて佐田は、借金を返すためにその後の30年間の泥沼を肯定するしかなくなった。
 私は痩せたままであり、佐田は太った
 
    おしえてください
    この世に生きとし生けるものの
    すべての生命(いのち)に 限りがあるのならば
    海は死にますか 山は死にますか
    春は死にますか 秋は死にますか
    愛は死にますか 心は死にますか
    私の大切な 故郷(ふるさと)もみんな
    逝ってしまいますか
 
 若人である私は信じていた。同様に、佐田まさしも信じていただろう。
 「われわれが変わるわけがない。」
 そして私は変わらなかった。
 とりあえず佐田と一緒で高い音は出なくなったが。
 
 しかしまだわれわれは死んではいない。
 なので言わせてもらおう。ほんの半歩もないドブのような溝しかなかったはずの男に 
 変わったのはお前だ、と、死んだのはお前だ、と、ふるさとの海や山は言ってはいないのだろうか。春を、秋を、ほんとうに今でもお前は見つめているのだろうか。愛を心を、、、ここまでは言うまい。
 
 youtubeの画面の痩せた「佐田まさし」を見てそう思うのだ。
 今日も「佐田」は、私の半身のように歌っているのだ。歌っていないはずがない。いないはずなどない。君はどうして歌っていないなどというのか。
 
 私の大切な ふるさとは決して、逝きはしない。
    人がそれを許さない限り。

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さらっとね

2017-11-25 21:05:38 | 断片
 こんばんは。そろそろ時候の挨拶も複雑になってきました。日本海側はどんどん雪が降りそうですね。東京地方、本日は天気がよかったのでわたしはお墓参り。東京の田舎なので、帰りがけに散歩してきました。小さくも大きくもない澄んだ川があって、こんな川の近くで子供時代を過ごせる子供は、それだけでもいいことだなあ、と思いました。

 さあて、今週は引っかかるニュースがそこそこありました、が、ほとんど全部感想もので。
 熊本市議会で議員が議会に赤ちゃん連れてきた、とか。やるじゃん、熊本で。がんばれよ、みたいな。ただ、それでこのブログ記事が終わっちゃってもねえ。もちろんそれも気持ちの問題で。私だって、引き続いて熊本の女性差別とか語れるんだけどねえ、、、ま、昔のことだから。

 「インフルエンザの治療薬を飲んだ子どもなどが「異常行動」を起こす報告があとを絶たないことを受け、厚生労働省が近く「部屋に鍵をかける」といった具体的な対策を呼びかける方針を決めた」(TBS系)とか。いまさらふざけんじゃねえ。もう10年以上経ってんじゃねえか、って若い方は知らないということか。昔ね、何人ものお子さんがマンションから飛び降りて亡くなったのさ。驚いたことに、厚生省の医者が言うには、そんなことは「普通だ」だってよ。疑う人は、そのころの朝日新聞、検索して見てよ。まあ厚生省の事務役人は「泣く子とお医者様」には勝たれんのだよ。厚生省は悪辣な医者の巣だからね。というわけで、お子さんのある方はお気をつけください。ほとんどの不幸は、「思ってもみない」ときに起こるものですし。
 
 「三菱マテリアル(の子会社)が検査データの改ざんなど不適切な行為により、「不適合品」を出荷していた、とか。こんなの初めの犯罪社が「みんなどこでもやってることだ」といってれば、他の会社がどんどんバレてっても聞いてるみんなは、「なんだやっぱりそうか」と思うだけだったのにねえ、、、違うか。
 
 それでも驚いたのが、ロボットのバク転。後ろに回り飛ぶバク転。ドシンとか着地すんじゃなくて。足の「筋肉の」クッションを利かせてそれはスムーズに。将棋で名人がコンピューターに負けたって、将棋のプロなんていらないと叩かれたけど、もうスポーツ選手も要らないって。ロボットで十分。、、、、これも違うか。 
 で、このロボットの開発が「長年支えてきたのが、米国の軍事予算だった。アトラスなど大半のロボットの開発費は、米国防総省傘下のDARPA(国防高等研究開発局)からの助成金で賄われた。DARPAは最先端の軍事技術を育てるために、企業や大学などに対し研究開発支援を行う機関だ。ここ数年は年間3000億円前後の予算が組まれている。」(東洋経済)だってさあ。全部でたった3000億で。F35、20機分。そりゃあうらやましい。ぜったい先行きばんばん売れるのにねえ。

 といった諸感想。こういうのは、「ブログ作者、生きてますよ」というだけだしねえ。
 というわけで、今日的には自分のことにします。
 次回本出来た。「『上部構造』の社会学」ね。全部でき。見直し1回だけだけど。毎日が進んでいけば、いつか目的地には着くの。当たり前だけど、まずは誰にも信じられないことで。でも、1回してみると、あとは当然の知識。
 さて、わたしの頭はすでに植民地問題へ。

 どうしてマルクス主義者諸君は何十年もの間、何の植民地(後進国)理論も進展させていないのか、と、本当に義憤を感じます。レーニンだ、アミンだとかって、ほんとマルキストも資本家と一緒。柳の下のドジョウ。儲かればいい、けど儲からないことはやらない。もちろん、師匠と一緒のことを言わないと就職できないからね。そして折角就職できたときにはそんな若者の熱意はかけらしか残っていない。
 わたしの頭はもうすでに植民地体制に入っているので、この間(かん)みたインドネシア事情によると、インドネシアも一緒だって。ボスの悪口言っちゃいけないんだってさ。真実よりも権力者のごきげんを損ねないことが、下っ端のその「本人がどう思おうと」「社会から」要請されているんだってさ。情けねえ後進国事情。あたしゃ差別主義者だからね。差別から脱却可能な立場にある人間でしかし被差別根性しかない人間は、どんどん差別されたらいいのさ。私はそう覚悟してこのブログも書いております。おめえは女性差別だ? そら違うだろ、なんで女性本人は頑張んないんだよ。今日の話題の評価じゃないけどね。

 この数行、そういうことで、カッコ書きね。
 元に戻って、まともな植民地理論も探せばあるかも、とも思います。人には他人が信じて良い年齢制限がある。サラリーマンは25歳まで、しかし学者は40歳まで、という法則があります。私が立てた法則です。若い人間は40歳まではまともなことを書くものです。なに、結論など要らない、そこまで期待はしない、が、才気を光らせて欲しいものです。中途半端でもよい、あとは後続者が、わたしが、受け持つし。というわけで時間はあるので探しもしますよ。一人でやってても、社会学と違って、いまいち景気が悪くてね。
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歯ブラシのカカトから磨く説

2017-11-18 16:37:25 | 断片
 こんにちは。1年で一番いい季節も終わりのようで、ずいぶん寒くなってきました。東京地方、5時過ぎにはもう真っ暗です。先日調べたところでは、そろそろ日の入りの早さの底だとのこと。午後短いのは損したような気がしますね。
 家の周りの木々もずいぶん茶色くなって。これも調べたところによると常緑樹も光合成能力が落ちると落葉して新しいのと取っ替えるんだ、とのこと。冷たいもんですね。寒いから落とすのは緊急避難のような気がするけど、新しいのがいいからとは、根性が悪い。まあ他生物事ではないんだろうけど。 
 ともかくネットは便利です。

 さて、前回の続きで2件。前回はトランプを死の商人といってしまいましたが、どうしてどうして、他人事ではなく。赤旗によると、防衛装備庁が『国際装備課長が「アジア諸国との防衛装備・技術協力」について講演し、同庁が軍事企業を引き連れてアジア諸国を駆け巡り武器輸出の仕掛けづくりに躍起になっている実態を語り』『主催者は同庁と相手国国防省庁です。8月にインドネシア、9月にインド、10月にベトナムで開かれ、それぞれ8~12社の日本企業が参加しました。』とのこと。いやはや、トランプも「日本人のお前にいわれたくない」というものです。 
 ともかく赤旗、ためになります。
 それにしても防衛費購入予定はきちんとアメリカ製。「F―35戦闘機を6機(880億円)、オスプレイ4機(391億円)」(新華社報道)。F35というのは、攻撃機と思うのが良い。しかし、なんだねオスプレイ購入とは、役立たずの欠陥商品。離島保全用だってさ。日本は海兵隊も作れて、尖閣列島様々。海兵隊というのは、海軍が持ってる陸軍部隊のこと、侵略というより「侵攻」が簡単になるのです。北方列島も尖閣もわざと解決させない、というのはすごくありうること。北朝鮮挑発も、わざとだね。いいんだけど、時間の問題だから。
 別な話、なんでも人員と訓練用費つけないと、後で泣くと思うけど(後っていつだ?)。一度もミサイルを打ったことがない戦闘機乗りなんか、いいカモを通り過ぎてる。戦闘機の新しさとかを云々する以前と思うけどね。機体の質なんて、一定標準あればいい。「打つってどこに打つんだ」とかって、闘うって、そういう冷静な次元の話じゃないと思うよね。焦って青ざめてみたときに、その一瞬後さあどうする、って経験がないと。あとは、操縦士が下手なリに互角になれる方途、これは戦術で対応すべき、そうでしょ軍事おたくさん。
 ま、わたしは、自分の天下になったら「自衛隊はダメだが人民防衛軍ならいい」とか言い出す奴は嫌いだから。他方、9条は堅持派です。

 ついで、気になっていたのが、前回の労働者の「頼りが3セクトしかない」とも読めるニュアンス。気になるので追加しておきます。
 世の中、「合同労働組合」というものがあって、社会科じゃ教えやしないよね、何が赤い日教組か、役に立たない。この組合は、会社じゃなくても個人がお近く、って電車で1時間とか、のところで入れるはずです。会社に労働組合のない若い衆で3セクトに関係ない人は、この系統がお奨めです。お奨めといっても、主義主張というものがあるので、口コミ検索はしてくださいませ。
 具体的に言うと、「全国コミュニティ・ユニオン連合会」というのに所属してるところね。「連合会」なので、傘下組合があります。これが旧社会党系ということになっております、が、まあ社青同系かもね。同じコトをいってるようでニュアンスの違いが。連合に参加してるようですが、関係組合はそうひどくないとみました。
 それに「全国一般労働組合全国協議会」。これも協議会なので傘下組合があります。こっちはもう少し思想雑多とみました、のでいずれにせよ該当組合の口コミをご覧ください。多少元気よすぎるくらいじゃないと頼りにならないし。
 ともかくこの世界、時間が止まってて、困りますね。社共、新左翼大手、ね。ずいぶん色は薄まってはいますが。
 
 さて、ほんじつもくだらない話をしまして。
 しかし役に立つブログ。先日歯の詰め物が取れて仕方なくいやいや歯医者にいったら、意志が弱くて歯石掃除に捕まってしまいました。
 で、歯を磨くときは、「歯ブラシのカカトからタテに磨くように」と教わりました。ふつう先っぽを使おうとしません? 歯の裏とかを磨くとき、半ばから先の方を引っ掛けて磨く。じゃ、なくて、手元に近い角をタテに歯の裏に当てて引っ張るんだって。あるいは手元に近い角をタテに歯に当ててから下に引っ張る、とかね。なんか意味ありそうですね。ほんとかどうかは知りませんよ。おかげで歯ブラシがメタメタにはなりました。

(p.S. 見直したらあまりにも「ね」がうるさいのでかなり消しました。)
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だらだらブログ

2017-11-11 13:49:53 | 断片
 こんにちは。東京はようやく普段の秋へ。先週は友だちの車に載せてもらって那須一帯をドライブ。京都などとは違う広い地域の黄葉を見れました。帰って小学生の地図帳とか見ますと、関東平野の田舎とは植生がぜんぜん違うのですね。仙台、鳥海山以北は全部それ以南の山間部なみだそうで(=関東の平野部の植生はそれ以北では見ることができない)、そんなの習った覚えないな。
 で、那須は昔電車とバスで行ってて、今回車に載せてもらって気づきましたが、車の人って私のような免許のない人間とは見てる景色が絶対違うよね。当たり前ですが。歩き専門は虫瞰図。車の人は鳥瞰図としか思えない。ぽちぽち歩いてれば花やら石ころしか見えないし、車で飛んでいけば次の店が頭に浮かんでしまう。どっちもどっちですが、いつも車の人もたまに車を置いて出かけると景色が違いますよ。どこにも行けなくてイライラするかもしれませんが。
 同じようなことがスマホの人にもありそうな。ヒマでもスマホ見ると次ぎ行けばいい場所がでてくるし。ほんと、わたしなどとは見てる世界が違いそう。
 このブログも初めてスマホ画面で見たところ、パソコンとぜんぜん違うのね。画面狭いからカテゴリーと題で検索するもよう。へえ、そうなの。いい加減なカテゴリーといいかげんな題じゃいけなかったんだね、もう遅いけど。
 
 さて、ニュース。トランプの武器行商旅行。まったく大統領が死の商人じゃあアメリカにもばちが当たるのは必然だな。武器がありゃあ使うぜ。アメリカに弾で返してやったら少しは反省するかな。人民が死なないならばぜひアベに薦めたいところだ。
 アベというのもほんと売国奴で、誇りというものがないのかね、なんで子供たちはあんな奴がいいのだろう。あのいい加減さがたまらないのかね。
 昔は中曽根という首相がいて、やはり右翼のかっこした売国奴だったけれど、すくなくともみっともなくはなかったぞ。今でいうとかっこつけの石破だな。
 かっこつけも大事で、石破によると、例の質問時間配分て、自民党が野党の時に「俺らに時間をよこせ」と民主党に要求して決めたんだそうだよ。だからいまさらそんな配分見直しなどおかしい、と石破説。恥知らずと恥を知る人間の違いがはっきりとでるやね。まあエセ右翼に違いはないのだけれど。
 
 あ、このへんで注。私はナショナリストではありません。ただ日本国に住んでいることを自覚しているだけです。自称ウヨのくせにアメリカに尻尾振るいい加減さが嫌いなだけ。
 そういや希望の党の玉木という男。昨日3秒、発言を聞きました。顔は知らないけど言ってることを音色で3秒も聞けば分かる。身体を張って闘うということを知らない。ほんと政治家というのは将棋の駒だね。トランプもそうだけど。将棋対局者は、この場合資本主義経済の一人対局、というのが悲しいが。せめて支配者と被支配者との対局の駒になって欲しいものだ。ともかく、政治家として何の主体的意義もありはしないのがよくわかる。まあ、よくわかるには50歳くらいにならないとね。
 とはいえ、トランプの韓国演説は感心。北朝鮮の非人道を長々しゃべってたよ。ああゆうほんとのことは北朝鮮幹部にも効くからね。アベも北朝鮮に聞こえる場ではどんどんしゃべって仲間割れを促進するのがいい。アメリカの戦略機関は賢いし一枚岩でよいよね、うらやましいくらいだ。
 
 と思ったら、韓国じゃあ国防相が世論工作したからって軍刑法で逮捕されたって。国防当局が世論操作をしたって当たり前じゃん。「金容疑者は2010~12年、軍サイバー司令部に対し、政権や当時の与党を支持し、野党を批判するコメントをネットに書き込む工作を指示した疑いが持たれている。また、同司令部要員の増員に際し、政治的な志向を調べて選んだ職権乱用の嫌疑もあるという。」わからねえ。どっちも当たり前だろ? 毎日やってても当たり前っていっちゃいけないんだ。すげえ民主的。もうKCIAの韓国じゃないんだ、か?
 
 今日のニュースはまだ続いて。こうゆうのは単にこっちの感受性が週ごとに違うって理由だろか。
 C派のHPによると「東京の新江東清掃工場で補修工事中の労働者が転落死した。」「2次下請け企業の労働者である。(設備に)「精通する」ことなどありえない2次下請けに任せた上に、工期を急がせて監督員のいない休日にまで働かせて死亡事故を起こしたのである。」「同じ工場内で起こった下請け労働者の労災死亡事故に対して、清掃工場の労働組合が「二度と繰り返してはならない」と怒りの声を上げた。」そうです。
 ほんと、行政もカネのことしか考えない世の中になってしまった。ってゆうか、カネを節約すると自分が偉くなった気がすんだね。とはいえ、まだまだ公務員組合は腐ってない(ものがある)ようで。ということを取り上げる左翼メディアは、やはり腐っても左翼(ま、自分とこのセクト員なんだろうけど)。商業新聞は商業新聞にすぎないね。K派は教職員の労資紛争、赤旗は電機・情報ユニオンの労資紛争取り上げ。どの派も好きではありませんが、まあなんだかんだいって、思想グループはあっても行動で頼るところは他にないんだからしょうがない。みなさん頑張ってくださいませ。

 だらだらの最後は、囲碁ソフト、アルファ碁ゼロ。アルファゼロってゲームソフト?
 ま、ともかく、アルファ碁ゼロっていうのは囲碁のスーパープログラムなんだけど、朝日新聞によると自己研修(自己対局)だけでなんでもやれるんだってさ。1時間3600秒で何万回も対局勝負したら、そりゃすぐプロ級だぜ。ということは、利潤の上げ方とかクビの切り方とか株の儲け方とか、、自動車商売ゲームを作って何万回もベンチャーさせれば、3日でカルロス・ゴーンになれる、ってわけだ。アルファゴーンゼロ。というのは私の読み込みだけど。今、マスコミじゃあコンピュータの発達で労働者の職がなくなる、とかいってるけど、資本家いらねえじゃねえか。頑張ったってお前らもクビだぞ。
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モデル的抽象理論の構成要件

2017-11-03 12:53:23 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。ようやく全国に近く天気の良い連休ですね。家人に言われて気づきましたら、
つい先日まで咲いていた野っ原の花々が全て消えてしまいました。ススキとセイタカアワダチソウがあるばかり。これが秋というものですかね。と思ったら、花はないのにスジグロシロチョウか何かがフ~イっと飛んで。だいじょぶかね。おなか空くんじゃ、、、

 さて、本日は金曜日ですが、土日は栃木の友だちのところへ遊びにいく予定で、繰上げです。
 今日もたいしたニュースのないところ、富士通(PC)が中国に身売りだって。NEC亡き後富士通使ってるのにさあ。サポートがいいんだよね、電話出るし、丁寧だし。フィルムカメラに引き続き、もうパソコンも終わったんだね。早く市ねといわれているようだ。
 ま、そんなとこで本日は、(次々回作品用に考える)「抽象理論の意義の一般論」を。世界資本主義の発展と崩壊の基礎理論用ね。
 
 もとはといえば、唐渡興宣という人の「世界市場恐慌論」という本。新評論、1979。
 存在しない世界市場について、存在しない金本位制下でありうる資本主義国家間で起こりうるところの世界恐慌についての理論。もっとも、内容に関心が持てないんで飛ばし見ただけなので、本当はもっと意義深いものかもしれません。
 ともかくも、なんでこんなにがんばって、ありえない仮定理論を組み立てなければいけないんだろうか、と考えてしまいました。(考えた結果は、若くて優秀な人が、師匠筋の久留間鮫造の恐慌論を実現させてみようと、こちらも師匠筋の置塩信雄などの近経的マルクシズムの発想で、あり余った力を使ってしまったのではないか、と。ま、これは想像だからどうでもいいのですが)
 で、まあ、他人事ではないので、一見モデル的抽象理論の構成要件を記してみようか、と。子どものオモチャのシステム論的箱庭理論ではなくて、いわゆるモデル理論。
 
 モデル的理論には2通りありまして、
 1 要因の違いをモデル化する。
 
   ネットを叩いてすぐ出てきた例をいただくと(「数学屋のメガネ」様)、人は「需要」と「供給」について、ある社会での消費者の行動をモデル化できます。需要・供給曲線ですね。ま、シンプルすぎてますが、要するにそういうことです。で、次
 
 2 現実の具体的な要因をモデル化する。
 
 おんなじじゃないか、って? いやいや、それが違う。
 需要供給の価格決定曲線なんて、私もよく言うのですが、現実になんかありえませんぜ。「そりゃあ自由市場じゃないから」ですか? ちがあう。自由市場だって、パソコンの値段は、消費者が要らないからって10円になんかなりゃあしません。資本家も労働者もみんなその売れたアガリで暮らしてんだから(「10円はもともと供給曲線上にない」とかいう話じゃなくて、考え方が違う、あるいは考えてない、という話です。要因を考えて書けば供給曲線はタテ一本の半直線、需要曲線は右下がりのほんの短い直線。要はトの字です。この供給曲線が「別の要因で」仕方なく曲線化する、こともある。別の要因とは、利潤と賃金の関係です)。バカいうのはやめましょうね、小室直樹先生。あら、もう故人。
 これは逆から見るとよくわかります。
 社会科学というのは、科学である限り、現実を解明しなければならない。そのモデルによって現実が解明できなければならないのです。それにはそのモデルが現実に妥当しうるかどうか、人々に客観的に検討されなければならない。「いやこれはただの数式だから」とか言うのは社会科学ではナシです。時間の無駄を庶民にかけるような理論は退場する以前に入場してもならない。
 というわけで、人々が認識しうる具体的な現実の要因を使い、その限りで納得のできる切り方をするモデルでなければならない、というわけです。
 
 というわけでさっきの2番目をまとめますよ。
 第1に、モデルの要因の動きは現実の一部と適合していること。これによって、
(1) 客観的に批判可能となり、
(2) 他者による批判により、不足しているモデル提出者の考慮が明らかにされます。筆者のような最高級の研究も、批判によらずには確定されません。
 第2に、現実の事象でありうるということは、その地点への前後の歴史的経路が明らかにされるということです。そこに至る道筋、そこから未来への道筋。これらが明らかにされて初めて、研究は行為者にとって意義を持つのです。
 どんなバカが作ったモデル理論であろうと、現実と比べればそのバカさ加減が分かると同時に、その現実との隔たりの解消にどんな別の要因を設定したらいいかも、それを見るもう少し賢い人間には分かる。それゆえに、元の荒唐無稽な理論も決して無意味なものではない。科学というのは累積的なものです。
 しかし、ただの仮定理論は違う。どこで計算間違いしていようと、ただの仮定理論を見た人間は、「あ、そうですか」で過ぎてしまう。その内実の計算誤謬さえ明らかにならず消えてしまう。検算以前に無意義だから。若人の諸君で近経をしている人がいたら気をつけてください。社会で使えない理論は消えてなくなるだけ。もちろん近経自体は資本家の役に立つので消えませんが。その存在自体でマルクス経済学を無視できるしね。経済学部の経済学講座なるものを見れば分かる。(次回作品では私も資本論をラジカルに批判しますが、それは論理上の話。空論の近経と同列視はされたくない、ま、まだできてないけど)
 
 あとはついでの話ね。
 読んどいて何なんだけど、恐慌論なんてそうそうしゃかりきになるもんじゃないやね。恐慌が起こるかどうかはただの結果。起こったらどうだってえねん、あるいは起こらなかったらどうだってえねん。同じ。現実には何の変更もない。ただ地球を覆った資本主義は、それ自体によって人間により反発され、崩壊するのみ。恐慌など起こらなくとも、だ。
 それでもマルクスの恐慌論は、宇野の恐慌論と違って、別に理論のつじつまじゃないんだよね。本当に10年おきの恐慌が起こっている、それはなぜかを説くための当時的な恐慌理論。かたや宇野弘蔵がマルクスを唯一否定して自分で作ったのが宇野恐慌論。これは「言いたかったんだ」と思います。ま、あとで宇野経済学を修論にする人は使ってください、宇野は「単に言いたかった」んだと。本人にどんな体験があったか知りませんけどね。これは想像ですが、私の他の理論が正しいのと同じように、これも正しい。逆に言えば、私の理論を「このクソが」と思う人は信じなければいい。誰が正しいかは歴史が決めます。私が勝つのは判りきっているので、ぜんぜんかまわない。
 
 なお、ウェーバーの理念型などは、モデル理論でさえないことを初学者のために付け加えておきます。イデアルティプスを「理想型」と訳すこと自体、無理解です。あくまで観念。「頭で作った類型論の標準の容姿」というのが正しい。それは類型のための道具に過ぎず、およそ類型分類自体など現象論の極地であり、何の意味もない。
 そもそも、ある本質的と仮定する要因によって、その要因の動きによる仮定的現実を作ってみるのがモデル理論です。研究者の理論によって仮定された要因は、そこで客観的に全ての人間にとって、検証の主体として意義を持つ。ところがこの理念型という奴は、自分で勝手に作っておいて、他方「他人に正しいとも間違っているとも言わせない」、ただの「模範例」。意味不明。こんなもん、科学の一部にさえなるはずもない。

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上部過程論、原稿状態にして、出来。

2017-11-01 20:50:00 | 上部構造論
 こんにちは。11月1日。お待たせしました、次回予告。隈行為論3部作の最終巻、 「行為の集成」「行為の反逆」に引き続いた3行為論、最終、「行為の戯れ」。……違うし。だいたい何だ、「行為の反逆」って、とかいわれたり。(「歴史としての支配」のことなんですが、、、)
 ともかく、上部過程論。題して
 「『上部構造』の社会学 ―主体の意思と歴史過程」
 誤字脱字を残し、原稿完成!
 昔ならそのまんま万能書店に送るところ。私には決断力があります。このいい加減さで暮らしてきた数十年。

”およそ社会の経過は唯物史観が示すとおり、人間の主観的意思の如何によるわけではない。下部構造たる経済過程に規定されたものである。
 しかし、それでは人間は歴史に流されるだけか、といえばそうではない。あるいは人間は歴史の必然を生きることが自由だ、などというマルクス主義者の言が真実であるわけでもない。
 逆である。人間は主体的に人間社会を変更することができるから、この移り変わる歴史が不可避的に存在するのである。
 本書は、人間が下部構造に規定されている、かのように見える規定性を明らかにしつつ、社会に現れた人間の主観的意思の観念性の秘密を暴き、他方、その下部構造の規定性を形成する行為者としての人間の行為論的自由の意志の歴史過程を明らかにするものである。”
 
 もう知ってる? ホームページそのままだろって? すんません。いつもお世話になりありがとうございます。
 もっと後にしようと思ったのですが、今までのカテゴリー「上部構造論」って、ファシズム体制しか書いてないことが分かり、この辺で「活」をいれてもいいんじゃないか、と。
 
 というわけで、ぐずぐず言い訳を言いながら、さすがにできました、上部過程論。
     まだホームページだな。
 ともかく、プリントして見直すと誤字脱字、あっちもこっちも修正、ということになりますので「まだ」といってはおきますが。ほんと、校正の人にあっちやこっちやと間違いを指摘すること(のため)で読まれるのもつらい。ちゃんとプリントして自分で1回は読まないと。なんていうと博論の人には怒られそうな。俺らは5度は書き直しているとか。
 ま、そういうことはよくて。ちゃんと内容だけはできた、ということでご報告をしておきます。次いで、早々に次々回論文の触りがここに載るでしょう、というのもご報告の理由ですが。「「国語に関する世論調査」では,「さわり」の意味を「話などの最初の部分のこと」と考える人が半数を超えているという結果が出ました。」。朝日にもきのうおととい載ってましたね。半数を超えたらこっちの勝ち。ざまあ。

 ま、そういうことで、本日は切りよくご報告まで。
 たとえば上に書いた「現れた」っていうのも考えると悩むのですよね、表れた、というのが一番本質的なのに、それではどうも校正の人に誤字だと指摘される。でも次に正しいのが顕れたで、これは現象的に過ぎる。しょうがない現れたか、とか、ヒマならいくらでも時間をかける悩みもある、がそれはヒマ人の悩み、とか、まあわたしゃ「いい加減」と呼ばれればそれでよいす。
   ん、書いたけどブランクが空かないのはなぜ?


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