リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

ルサンチマン解消の制度化

2009-08-30 22:07:06 | 歴史への視角
 こんばんは。隈でございます。

 本日はまことにおめでたく、自民党惨敗で。
 「なんだよ、アナーキストが選挙結果を云々するのか」という、常連のお客様の中にはそんな声はおありでしょうが、
 その方は、私の本を買っていただいてないな、と思われ。
 われわれのような被支配民衆は、生きているうちに報われるなんてことはないんですよ。
 そんな発想は、思い通りのことができる、あるいはできてきた、上流階層の人たちだけの発想です。
 被支配階層の究極的勝利は、最期の審判の日まで待たなければならない(って、比喩。300年くらいです)。それまでは、今日起こったことで一喜一憂してもせんないことです。
 生きているうちは、支配階層の混迷を、笑い転げて憂さ晴らしをするものです。
 
    なお、なんだかんだで突然来てしまった方は、表題を見ていただいて。
    私のとこは、アナーキストのブログで。
 
 本日の憂さ晴らし
 1 自民党がこけた。もうシンプルに「ざまあ見ろ」、で。
 2 今後、「小選挙区制度」を訳知り顔で誉めそやす記事を載せるメディアが激減すると思われ。
   負けた自民党は、負けただけで、最後まで日本の独裁政党ですからね。一生発言力はあります。 ところで、負けた議員の悲惨さは庶民に近くてですね。さんざん選挙その他にカネを使い、ほかに収入もないのにプータロー化して。もちろんざまあみろですが、そういう権力者の経験は、貧乏人にプラスですよ。もっとも就職コネのあるやつらばかりでしょうが。
   公明党がバラマキ政党なのは、ここの議員が貧乏育ちだからです。政治社会学的には、公明党を単独政権にさせればいろんなデータが得られたのですが(過去形)。
 
   あ、で本旨。
   私のように、いくら投票してもみんな死に票なのは不愉快ですからね。比例区オンリーにしろよ、というのは、私の感情。
   これまで20数年間選挙権があり(ウソつき)、うち9割に投票しましたが、当選したのは、ただの一人ですよ。面白くねえ。ってそれだけの話ですが。
   
   注で。
   民主党になんか公約も何もできないのは、もちろんですよ。
   でも、トータルに曲げていくことはできます。民主党幹部は、あれでもこれでも圧力団体のいうことをめちゃめちゃにして返す。その中で、別の選択肢が官僚にも庶民にも現実化するわけです。それを政治権力を駆使して、制度化一歩手前までもってゆく。庶民はもちろん、官僚も同じだけ無責任ですからね。無責任ですが言えばいくらでもメニューを作ってくれます。しかし、そんなことをされては資本家にせよ労働団体にせよ地域中小企業家にせよ農民にせよ、たまらない。それは決して現実化しない。で民主党は、被支配庶民に、はやされながら、財界から総スカンをくって政権を自民党に返す。そのときには、一般国民全体として、次のありうる展望を掴むわけです。
      で、んなタマがいるか、って?
      それもちがくって、個人のタマじゃなくて、組織としてひたすらつきとおす根性ですね。
      で、それがあるかって?
      ないね。

 以上、世間話でした。
 
 今日はそんな茶飲み話ではなく、ルサンチマン。
 この言葉は、私の頃は中学か高校の国語の教科書に載ってましたけど、要するに「権力への恨み辛み妬み」のこと。
 2,3日前、佐和隆光の本を読んでたらアナクロのように出てきて思い出した言葉ですが、今日は太田昌国という人のブログにも出ていました。この人は、佐和さんよりも出来の良さそうな人ですが、ご存知? 要はおんなじ年代なんでしょうね。
 で、そんな恨み辛みも結局こんな形で消費されてしまう。全体的には選挙。私で言えばこのブログ。
 こんな形とは、規定的にいえば、「行為共同性を保ちつつ、その範囲内で」反対意見を表明することが出来る制度。
 世間では「ガス抜き」といいますね。 言い得て妙、というところで。
 なにも爆弾を車に積んで突っ込む必要はない。 同じだけのことが口先やペン先で行えるわけで。それが先進資本主義国というものです。
   こうゆうのは相対的、なんですよ。まあ、孤立していない個人なら生きられる国の特権というものですね。


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誤解だらけの短歌

2009-08-29 22:17:59 | 断片
こんばんわあ

 夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ
        大伴坂上郎女(万葉集)

 今日も夕刊は中西進大先生。国語の参考書でお世話になったけど感情の読めないあの先生で。
 ここんとこ見たくもないので目に入いらなかったんですが、仕事で疲れて無防備に新聞に目をやると、そこに彼の欄が。
 31文字くらい0.1秒あれば読めてしまうわたくし。
 新聞をめくって次のページに移ったとき脳裏に現れたのが上記恋歌。

 あ、やめたらいいのに、恥書くだけ、と、一瞬によぎる感覚。
 そう、私は未だに中西先生に感謝の念を抱いております。
 でも怖いもの見たさに読んでみると、案の定、
 この歌は「夏の草が覆い被さるようにして恋する私を目立たなくさせようとしている」といっていて「まるで少女の恋のようですね」(先生:趣旨)

 なにが少女だよ、万葉集に載るような権力女に。だから、わかんねエんだよなあ、、、しょうがないやつだ、、、とおもってyahooにかけてみると、
 おっと、居並ぶ方々、大なり小なり、そんな答。
 あ、そ。

とゆうわけで改めて申し上げます。

 詩人なら誰でも分かることですが、
 これはね、

「私はあいつが好きだけど、周りの奴らもあいつが好きとか言うんだよね。
 馬鹿いってんじゃないよ、あんな雑草ごときと一緒にしないでおくれ。
 あたしの情熱は、ほらごらん、小さいけど真っ赤なユリのようさ。
   ただ、そんな雑草連中には、位やら、化粧だらけのお化け面やら、ついでに若さやらって、あたしにはないもんが多すぎんだよね (、、、以下は、そんな恋は苦しいとか、そりゃ書いてあるまんま)」
   
 って読むんですよ。
 (注:朱色は「赤」と呼んだようです。位や、化粧や、若さで劣るというのは、「姫百合=小さい百合」という劣等な比喩で暗示されます。)

 なにがいいたいって、他人を「繁み」と呼ぶ恋女の傲慢が理解できなきゃ、「文学者」はやめなさいよ、ということです。「繁み」って、居並ぶ女達のことでしょ。そいつらは大百合でも、せめてカンゾウでもなく、ただの邪魔するだけの雑草なんですよ。
 そう、彼女は叫んでるの。
 叫んでませんか??
 傲慢。いや、恋する人間はもともと傲慢でしょうけどね。
「国語学者」でおとなしくしてらっしゃれば、それでいいですけどね。
 他のネットの方々も、どこでそんな「解答」を覚えたのかしら??

 だから短歌はいやだ。千年も経ったら誰も理解してくれない。
 詩を作りなさいよ。31文字で誤解されなけりゃ僥倖。
 誤解されそうなら2倍にでも3倍にでも長くして、自分の本当の感情を伝えたらいいのに。

 
 いや朝日新聞ばっかりですいません。
 新聞取ってない人も、お父様が産経新聞を取ってらっしゃる方とかいらっしゃるんでしょうけどね。
    ま、酔言で。
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武谷三段階論

2009-08-26 22:51:18 | その他
 こんばんは、昨日は相変わらず舌足らずの酔題で、ご迷惑をおかけしました。
 遅まきながら解説しますと、昨日のテーマは武谷三男の三段階論といいまして、戦後、湯川秀樹からつながる理論物理学者の唱えた、自然科学法則解明の発展形式です。

 ネットですと、「板倉聖宣」という啓蒙科学者が
http://homepage3.nifty.com/mamoruitou/sanndannkai.html
で書いております。(当該ページの前4分の1)

 法則的認識には,現象論的段階,実体論的段階,本質論的段階があって、どの段階がいいからその段階を狙え、というのではなく、この3段階を通らざるを得ない、という一種の達観です。
 
 これは社会科学にも当てはまりまして、その例題が、昨日のテーマです。
 
 なんて、さらっと書いたけど、これをお読みのあなた、これって、武谷が流行った戦後科学界から、この50年来、みなが誉めそやしながらほとんど誰も到達できていない地平ですぜ。この歴史に出くわしたあなた、あなたはとても運がいい。
 このブログじゃ毎度起きることですけどね。
 
 (説明)
 科学をやる人は、まずは自分の曲がりなりにしかない知識を総動員して、仮論をいうしかない。これが現象論的段階。
 その後、現実を見て仮論を修正する。これが実体論的段階。(このとき仮論を持ったことがない人は、何が間違っているかもわからず現実を叙述するしかないんです)
 そしてある程度、武器としての理論と現実認識がそろったところで、さて、本来の行為者「私」にとって、世界はどうなのか、を自分の理論として構築する。これが本質論的段階。
 
 これが社会科学の法則定立です。
 法則というのは、翻訳すると、(真理がどうとかいう現象論や実体論ではなく)(現象にも実体にも、真理はあるんですよ。でもそうではなく) 人間が対象を操作可能となす方式のことですから、これを現実の中で実行する行為者=私の立場が、法則の本質的立場なのです。
 
 ほんと、あなたは今生まれてこのページを開いてよかった。
 50年来、多くの社会科学系人間がお経のように武谷三段階論を唱えながら、何も理解できず時間を無駄に捨ててきたのだから。


  、、、いや、不思議と、ウイスキーでも焼酎でも、度数は違うのに同じ容量だけ一晩に減ってゆく、昨日はウイスキーでしたが今日は朝鮮焼酎だったので、ずいぶんと冷静に。


(P.S. すごく後日。酔っ払って書いてもあとで見てくださる方もいらっしゃるようで。武谷の自然科学的意義だと、これでは足りません。2017-02-04 「社会科学と広松渉、その2」に付け加えておきましたので、って2、3行ですが、そんなもんでしょう。まだどっかにあるかもしれませんが、まあ充分。よろしければごらんください。)
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酔題3人

2009-08-25 21:37:01 | 社会学の基礎概念
 または、社会学3題。または、現象論・実体論・本質論の3段階。

 こんばんは。ほんと、ここんとこ忙しくなくてうれしい。これがいつもだと、閑職といわれるところですが。
 平日に書くと原稿進展がストップするので嫌なんですが、一方、原稿作成というのも孤立しては潰れましてね。
 さて、今日は夕刊に3人の人間が(と思ったら朝刊)。(あとは例のごとく、アルコールと共に夜空へ)
 
その1 小熊英二
 日本「1968年」についてなにか言っております。1968年の闘争世代の人たちは高度成長を背景としてるんですって。ぶっ飛んじゃいますね。私は1969年からですから関係ありませんが、先輩に、「後輩がバカでご愁傷様」とでもいいましょうか。
 とゆうような別になんと評価する必要もない事実にそぐわない評論ですが、こういうのを現象論といいます。アナロジーですね。自分が知らない事象に対して、観念上、似ている何かを探し出し、これを全体に当てはめる。
 現象論もいいんですよ、まず初めの一歩というのはそういうものです。
 願わくば、その気持ちを持って哲学から社会科学に転身し、自称社会学者を、他称でも社会学者になって欲しいですね。

その2 知花くらら
 世界美人コンテスト2位、ということです。沖縄出身の方だそうで。
 そんなに美人でもないですが、人間に即して暮らしてらっしゃる立派な方ですね。
 出身大学の講義中、「手りゅう弾てなに?」と隣りの人に聞かれて愕然としたそうです。なんとかいうフェミニストよりずっと社会学者の資格があります。ハッタリを言いませんからね。
(って誰の悪口でしょう?)
 この方のように、自分の交際範囲を広げてそこでの反応を知識に編みこむのを実体論といいます。今は、実学の短大に通ってらっしゃるようですが、社会学というのはこういうものです。

その3 津村記久子
 芥川賞の受賞者だそうです。
 芥川賞、、、太宰治(落ちたっけ)とか遠藤周作とかが受けたあれ。昔は知識人の証のようだった、、、
 なんですが、こちらの方は世間のことをなに一つわかっていない。あれもこれもわかんないよう、というご意見でした。
 ほんとに何も分かっていないのですが、みたところ、それを分かりたいと思っている。しかもその基準を自分だけの世界の只中に求めようとしている。
 これが本質論です。わかればね。
 小熊氏には一生分からないでしょうが、1968年というのはその(=本質論に向かう)前段の年なのです。
 人々は、自分にすでにあった基準を世界から取り返す、それが1968年です。その過程に行動がセットされてただけ。
 「何かしたいから行動した」なんてうそ。それなら野球してたでしょ。
 「わからないから行動した」それもうそ。わからないものに人間は命をかけない。
  でも、そうした基準は、既に社会の表面からは消えてしまった。
 本質論を探すためにはそんなものは消えていい。そこから自分の生きていく次第に応じて、その生きることにかなう論理を探す。それが本質論です。
 津村さんとかいう人も、知花さんという人にいろいろ世界に連れてってもらうと、本当の芥川賞作家になれますね。

  P.S.よく文を省略してて分かりにくいんで読み直して思ったところ
    「1968の人は高度成長人だろう」って思う人多そうですね。小熊とかいう人の例じゃなくて、圧倒的常識だったりして。何しろ「東京オリンピック以降は高度成長」とか書いてあると、知らなきゃそう思いますよね。
    高度成長突入期なるものがどんな世界だったのか、高校の日本史で教えろよ。
    いままで食えなかっためしが食えるようになった一瞬だよ。1962年生まれのようにお坊ちゃまでなくとも高校にいけた年じゃないんだよ。慶応大学教授なんざにわかりゃしねえや。

 P.S.2 翌日、30字増やしちゃった。

   
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フランス的全体主義

2009-08-23 21:07:26 | 行為
 こんばんは。今日は本式の更新。って、おんなじように酔っ払ってたりして。

「第2次世界大戦、フランスは早々にナチスドイツの占領下におかれ、ナチスドイツの圧制にレジスタンスを組織して戦った」

 と、思ってる人は、いますか?
 
 「コンバット」(知らない?)で育った私はとりあえずそう思いますけどね。
 さらに大きくなっても、フランスなんてサルトルたち以外知らない、という青春でさあ。当たり前じゃんと、まずは思います。
 で、2拍くらいおいて、「しかし、ペタン(首相)なんてのもいたな」 という歴史本の知識がやっと出てくる。ペタン首相というのは、「ナチスドイツへの協力政権」、てwikiに出てます。wikiもいい加減だけどね。
 
 で、ですね、「これは巨大な嘘だ」とフランス人に言われたとしましょう。そうすると、あ、そうなの。って感じになりまして。
 それが、このたび流し読みした『フランス・イデオロギー』、ベルナール=アンリ・レヴィ著。国文社。
 いやはや、ボロクソ。
 なんでも、大戦時フランスも日本と同じ全体主義国家だったそうな。もちろん、ナチスと同じといってもいいんだけど、なんか読んでて、日本で大正自由主義から戦争体制へなだれ込んだ過程を2年でやっちまったようで、まるで日本のようだね、と思わせます。
 といっても、本書は歴史記述ではなくて、フランスにこんなに人間がいたっけ、と思わせるほどに、フランスの政治家、知識人、文学者の名前を次から次へと挙げて糾弾しております。
 
 面白かった。
 当人ユダヤ人てゆうか、そんなフランス人なんで、(大戦中のユダヤ人虐殺を思い)気が入ってるんだろうけど、これじゃ全フランスを敵に回したろう、と思われます。あいつら、少なくとも偏執的愛国主義者だからね。
 
 本書の結論自体は、意味ないんですけどね。
 「フランスじゃ昔からそんな考え方が綿々と続いていた、我々を含め、フランス人は、これを自覚して脱却せよ」、みたいなもんでね。
 彼氏本人は、ただの記号主義者。
   バカなことはいわんといてよ。イデオロギーは、状況が作り出すものです。そのみかけは、フランス的だろうけれど。
   と、こんなこと1行いってもしょうがないけどね。
 
 でも、若い人は、こんな事実を覚えておいてください。フランスも日本も同じ全体主義国家だった。でも、評論家は西欧は日本みたいじゃないって言ってるよ? さあ、そこはご自身で考えるとしまして、
 
 本日のためになる知識
 
  彼氏の結語に「あるイデオロギーに真に対抗しうるのは別のイデオロギーだけだ」というのがありましてね。
  これは「イデオロギー」が、「理論体系」を指すのであれば誤りです。
  事実認識としてのイデオロギーには、確かに別の事実認識で対抗する必要がある。
  イデオロギーが運ぶものは、ターゲットになっている行為者の将来だからです。
  これに対抗するには、その行為者の未来を別のものに変える事実体系が必要です。
     しかし、それは政治イデオロギーである必要もなく、記号体系である必要もない。
     行動自体を含み、行為者の将来を見せる全てのものが、イデオロギーに対抗しうるのです。
    
      とゆうよりも、敵もそうやって来るのだから。
      要するに、イデオロギーに見えるものと闘うのは、文化と文化の総力戦だよ。
      
 
 話は変わりますが、本の訳者が、以前に私が悪口を書いた内田樹でね。これがうまいの。感心してしまった。なるほど、こんな訳者的才能があるんだね、という感じ。
 難しいんだよね、インテリのフランス語って。飾り言葉を長々と使ってダラダラと書くのがフランスインテリのお約束だから。
 私では1ページも見ないで放り出すような原文であることが訳文からありありと分かりますが、これを本物の日本語に移している。分厚いんだよね、本。えらい。いやなやつでも褒めるところは褒めないと。(でも全部ひとりで訳したのかなあ)

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酔題2件

2009-08-22 21:21:19 | 断片
 こんばんは。今日も心の中では更新予定日ではありませんが、アルコールと一緒にテーマが飛んでゆくので、そこで残った2件。
 自分的には、酔っ払うと、人の生き方が気になるんですよね。そんな生き方は誰の生活にとってもどうでもいいことなんですが。

その1 「三角みづ紀」という人の発見。
 2003年中原中也賞だそうです。
 うん、なかなかよい。ここまで歌える人は少ないよ。
 で、「よい」のが、気持ちね。
 ただ、人さまに「よい」というだけで日記書く気はなくて。続きまして、
 よいんだけど、自立していない。やっぱり「賞」なんだね。
 もどき。
 これは気持ちじゃないよ。理屈ね。
 この人は立派な詩人さあ。
 でも中也じゃあない。
  自立したら幸せになるわけじゃないからね。それ以上何を勧めるわけじゃないけれど。
 
 という、中原中也ふうな心の詩を立派に歌う詩人の話でした。


その2 かの井上陽水
 久しぶりにテレビフィルムに出て。他の方々が討ち死にした現在、歌的に好きな兄ちゃん。安心して見てたら、インタビューが入り、陽水氏発言するには

「~~ リ「ズム」が、~~」
ぎょえ。
「ズム」にアクセントだよ。

 そんななんだね。いっぺんに陽水40年の歴史を整理しました。
 あ、やっぱ、関係ない人だ。(たったそれだけの事象で判断するな、って?
   さあ、どうでしょうねえ、、、大人になると分かりますよ)

 このひとの年代は「リ」ズムなんです。それがいつ流れに迎合したの、流れに迎合したの、流れに迎合したの、、、、
 とまあ、私には陽水もそういう人にしか過ぎなくなった。自分の流れを持たない人は、三角さんと同じ。
 三角さんは、このままが幸せだと思いますけどね。
 
    わたしゃ、男に同情する気なんかないさあ。
    さよならアンドレ・カンドレ。


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酔言

2009-08-18 21:35:38 | 賃金・価値・権力
 こんばんは。思いかけず、今日もお会いした方が。

 本日も思いかけず引っかかった、本日の朝日新聞夕刊コラム、「素粒子」の文章

  (衆議院選挙にあたり)
 「 あなたの苦戦を知りました。
   でも私の暮らしはもっと苦戦 」

  このやろう。
  名前を名乗れ、名前を。
  新聞記者45歳で、年収1200万以下だなんていわせないぞ。
  こちとらそんなカネ見たこともねえ。見たことなくたって、子供二人、大学までやったぞ。
     なにが暮らしが「苦戦」だ、くそったれ。(どうも世の中、口先男ほど嫌いな物質はなく)
   

 などという個人的感慨は別としまして、そういうことはあるんですよね。
 なんでかというと、日本人、カネの使いどころがないから。
 カネの使いどころがないと、どこへ走るか。
 家です。
 みんながカネを不動産につぎ込む。不動産は生活必需品じゃないので、ある程度まで価値法則を反映せず、そこそこ高くなれる。ある程度ったって、私などの知らない世界ですが。
 その結果、家のローンで月15万、ボーナス込みで年300万も払うと、そりゃ苦戦かも。
  私なんぞと違い、他の支出もある。640ml1200円の焼酎に悪態をつくこともなく、築地、銀座で酒飲むんでしょうしね。


 で、今日のテーマは、仕事が余裕だと、ブログも毎晩かける、です。
 じゃないか。
 単に、酔っ払った神経に障っただけです。
 が、先の話もほんとのことでね。
 階級制度の薄い日本では、金持ちのカネの支払い先がないので、(他のどこに支出しても賞賛も優越も取れないので)、庶民の倍額くらいの収入じゃ、われわれ庶民的日本共同体を脱しないんですよ。
    (計り知れないほど、って何億、何十億の単位で収入がありゃ別でしょうけどね。某新興宗教のおじさんとかね。他人の収入は知りませんけどね。
     ともかく、そんなレベルのカネがあれば20代女性アルバイトを動員して選挙だってできる。
     ま、ここは、ないもの同士の話で。)
 その挙句が六本木族、じゃない、六本木ヒル族か。カネがあっても住めるのはたかだか、200平米のマンション。そんなもん、○○県なら一戸建てですよね。カネをドブに捨てて。

 以上、日本はいい国だ、という政府広報でした。
 ていうか、そうした国では、いくらでも貧乏人の給料をあげることができるんですよ。
 もちろん、その結果買えるものは平均すれば変わりませんけどね。日本人みんな庶民化。もとから庶民分の生活しかしないんだから、文句もでやしない。
   某新興宗教収入者は別として。

     ささ、原稿書かなきゃ。
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短歌の表現

2009-08-17 21:45:54 | コーヒーブレイク
 こんばんは。今日はお盆明けなので他の会社の方々もみんないて溜まった仕事がクリアできる(私は貧乏性で)
  と思ったら大間違い。まだまだ、波に乗ってませんね。
  
  そんじゃ、おかげさまでゆっくりしょう。と酒飲みながら見た夕刊で2つも3つも話題が頭に浮かんでは飛んでいった今日このごろ


 残ったのは1つ。なんか最悪な話題が残ってしまったぞ。
 前書いた短歌の添削先生。もう名前なんか忘れたし確認もする気はないわさ。
 なら話題にするな、って、そこがつい見てしまって。夕刊にすごいスペースとってんだもんね。
 
 (その1:作者)
  あの後ろ姿は確かにあなた
     でも髪の薄さに声かけずおく
 
 (その2:添削者)
  あの後ろ姿は確かにあなた
     だが声かけずおく髪の薄さに
 
1は普通のはなし。別にいい悪いじゃなくて、そんなのありうるよね。
 ここで欠けているのは感情の流れです。
  「でも髪の薄さに声かけずおく」
  そりゃ理屈ですね。
  「でもあたしは声をかけられないんだ、だってあんたの髪うすいんだもん」

これを翻訳して理屈どおりにしたのが、添削歌人某氏の「その2」です
しかし、これじゃ笑い話だよ、おじさん。本気で仕事してんのかよ。

  (もっとも、大阪の人たちではそういうのが詩なのかも知れませんね。
   文化なんて笑ってなんぼのものよ。
 
   でも少なくとも九州でも広島でも東京でも東北でも、
   文化は、生きる時の糧にするから貴重なのだ、と思ってると思ってますけどね。
    端的に言って、笑い話で拷問に耐えられますかね。(なんか、すごい宣戦布告ですね。
    私もおじさんですので、どんなとこにもいい人は住んでいることは知っております)

 理屈は正しいよ、あんただってプロなんだろうからね。
 でもあんたには理屈しかないんだよ。
 
添削者は、作者が「声かけずおく」と短調で書き落とした感情を知るべきでしょ。
髪が薄い、そんなことはどうでもいいんだよ。この人は、声かけずに去っていきたいんだよ。
昔とは違う、そんな今の時の流れの中で。
それをなに。声をかけなかったのはあんたの髪が薄かったから。これを感動の基礎にしろと!
    ばーーーか。

添削者が聞いてあきれる。

 (その3:隈添削)
  あの後ろ姿は確かにあなた
     ただ 髪の薄さに声かけずおく

趣旨:「だが」 は論外。「だが」 の発音の強さは全ての人の夢を破ります。この添削者には、こうした音の感覚が欠如している。
とはいえ、「でも」じゃ、話し言葉ですよね。
この人は心の中で思ってんだから、「ただ」というつぶやきでいい。

このとき、スペースを入れました。
俳句じゃ許されませんけどね。

なぜか知らないけど、朝日新聞じゃ、スペースを抜くのが流行ってるんですよ。
あほだ。
どこぞの短詩家の権威が主張したんでしょうね。17文字や、31文字しかないんだから、文法は最大限使うしかないのにね。何度も言うように、短詩家は軽業やってんじゃないんですよ。最低限の歌を歌っているに過ぎない。空白は一拍をおく意味だけだから、定義どおりの歌なんです。

ま、添削者がこの派閥だとすると「オレにはできない」とかいわれますんで、

 (その4:隈添削)
  あの後ろ姿は確かにあなた
     柔らかな髪の薄さに声かけずおく

わざわざ説明するんじゃ、なんですけどね。
【作者様、あなたが見てるのはなんですか?
 見てるものを伝えましょう。短歌は理屈でも笑い話でもないんです。
 あなたが見てるものさえ伝えれば、人はそれを見てあなたと同じことを感ずるでしょう】
 
 間違ってますか?? 添削者様。

 (なお、(短歌じゃなくて)短詩というのは、人の感じないことも表現できますよ。)
 
    で、私の本職はなんなんでしょうね、、、短歌屋さんじゃなくてね。
 
    、、、あああ、、、今日は原稿5枚追加する予定、、、


P.S. 上記、分かち書きしてますね。これも朝日新聞は1行で書いてあるんで、別に展開しようと思ったんですが、酔った身分で忘れました。まあいいや。今さら。1行のほうが、添削者さんにとってましなんですけどね。

  ほんで、朝日新聞サンは、短歌は1行書きで通そうと、、、ケロケロ。
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歴史を生きるということ

2009-08-16 22:22:55 | 歴史への視角
 世の中には、「歴史を生きる」という言葉があります。最近は聞かないですけどね。
 さらに、左翼では「理論と実践の統一」という言葉があります。もう30年聞きませんが。
 あと、もう一つ。弁証法の中では、正・反・合という言葉もあります。
 本日は、こんな左翼系のことばの、誰も知らない根拠を申し上げようかと。
    普通の人あてには、先のタイムマシン論、ということで。
    別にばかにするわけではありませんが、こうゆうのを伝えるのは、部外者には難しいんですね。身に覚えのないことはわかりません、という例題のようなもの。

 さて、社会科学をしようと思っている人は、観察者になってはいけません。人は主体の立場を離れては、生きている人間の生活を何も理解できないからです。
 この説明は長くなるのでやめますが、具体的に私以外の諸理論をみれば、結果として瞭然としたことです。
 が、一方、人は観察者の立場に立たなければ、生きている人間のことはわからない。こっちが今日の本体です。
 
 社会を見て、その中のある特定の状況で行為がもたらすはずの結果を簡潔に述べることは、若い人や人間関係の希薄なところで生きてきた人に告げる場合には、有意義です。その人たちはそんなことは知らないから、という意味ですが。
 ですが、それは必ずしも簡単なことではない。人の行為は瞬時になど終わらない、その一点が、人間行為者には理解しがたいからです。
 それは若い人ばかりでなく、統計学主義者や個人崇拝主義者にも理解しがたいところなんですけどね。(ちなみに、前記2者は往々にして同一でもあります。学生の人は、教授連の顔を思い浮かべてください。)
 要するに、何をしようが50年以内にその状況から抜け出せない人間は、どんなに嫌だろうが苦しかろうが理屈に合わなかろうが当たり前だろうが助けてもらおうが闘おうが、苦しんで死ぬしかない、ということがわからない人間のことですね。なんで、闘おうとしないのか、やら、がんばって上昇しようとしないのか、とかおっしゃる。

 ちょっと、被支配者、とくに江戸時代初期の被差別者を想定してください。
 そんな個人にしてみれば、生きている間に何かやれば自分が助かるわけではない、そんな状況下で、何をやっても無意味です。 社会運動? なにそれ。一揆?? ばかじゃん。
 そんな個人にとって見れば、歴史とは単なる無意味です。

 でも、観察者にとってはそうではない。観察者は個人を離れて見ることができるだけ「歴史」を見ることができます。いつか、非人やエタが「人間」となる歴史を。
 さて、この場合、個人たる人間はどちらにつくべきか。観察者になるのか、行為主体か。

 実は、教育を受け、それを受けることが当たり前だと考えがちな近代人のサガとは異なり、観察者になるのも行為者になるのも、人間自身とは離れたところで動いている事象なのです。先の問いなど、問い掛けられもしない(当たり前だ? もちろん、当たり前なんですね) 人間行為者は、彼の社会において全てを決する。即時か歴史か、これは結果であり、結果を決めるのは現在の社会関係です。
 江戸時代の被差別者にとって、幸せは同じ家族の中にあり、それを圧倒する不幸が、その幸せを破る社会関係にある、というだけです。そんな世界では、歴史などありえないのです。

 ところが一方、1960年代の日本被差別者にとって、運動は自己を過去と未来へつなぐ掛け橋です。(でした、なんて知ったようなことをいうと不遜ですから、単に理屈の話で)。これが、行為者にとっての歴史です。
 
 ここで、1つ目をまとめます。
 1 歴史は、歴史の中を生きている個人に特定して課せられていること。ある社会的な未来が発生し、人間行為者に見えるのは、特定の歴史の中で、前を向いて生きている人間にだけであること。
 2 それも見ようとしなければ見えないこと。

 このように歴史を生きるのは、その歴史に居合わせた人間だけなのです。
 居合わせながらも、どの歴史にもあるように家族の食い扶持にしか目を向けなかった人もある。それが悪いというんじゃなくてね。おかげさまで私も、時代の不自由はありましたが、人並みに学校にいかさしてもらいました。ありがたいことです。
 ともかくも、歴史を生きるのには歴史に存在するという資格が必要である。
 
 ついで、2つ目。
 行為者は観察者の立場にたたなければ、運動に入れないし、続けられもしない。といって、この観察者の立場に立てるかどうかも歴史である。
 
 さらに、3つめ。そんなことを言っても、こんなことをいう私を含めて、歴史に取り入れられたり排除されたりするものだ。
 歴史は続いているのに、歴史の意義を知ったはずの旧運動者は、今となれば、9割越えて管理者階級ですよね。
 行為者も観察者も歴史の中で踊る。踊りながらもくるくる回る自分と他者の立場を見極め続けるのが、行為者であり観察者である行為者人間の本来あるべき姿なのです。
 これが「正・反・合」の本来の意味です。それは「人が生きようとする限り」永遠に回り続ける。この「人が生きようとする限り」という点が大事です。
 この点を書いていない自称左翼の哲学書著者は、左翼でもなんでもない。偉そうに(ブルジョワ)学者の真似をして喜ぶ「事大主義者」といいます(昔はスターリニストといいましたけどね。まことに的確な評だと思います。)
 
 さてここで、社会科学が分かっているかのような顔をしている我々が、まずは知るべきなのは、仮に運動が被差別者の未来を作るということを知った、そんな江戸時代の被差別者が必要とするものは、生存する方途だということです。生存しうれば小さな家族の幸せを持ち続けることができるからです。
 
 だからどうだ、ということではなくて、研究者がそれを知っているのかどうか。この認識が、社会科学研究者の資格の最低の一段階だ、ということです。
 歴史を生きるという言葉は、生きる歴史を目の前にした行為者しかいえない。まずは、それを掴まなくては何を言ってもいけない。
 一方、観察者Aは、今を生きればそんな日が300年後くることを知っている。
 その地点で、行為者としてどう他の行為者と関わるのかが、Aにとっての歴史となるのです。
 

 なお、ちょっと話を戻して差別の話ですけどね。
 これは内緒ですが、それにしても、イデオロギーはここで最初の力を持つことになります。
 それは事実認識の1種として、死もありうると決めた人間に、最期の行為を導くほどの幸せを与えます。 死とは本来そうした事実認識の問題であり、それがウソか真か、それは誰にも知られない、単に二択の事象なのです。
 こうして、最初の解放の萌芽が現れたのが、最初の差別の日であり(なんで、同じ人間が、という自由への要求が人の中にあらわれるのです)、最初の解放が現れたのが、「被差別者が解放の主体である」、と言語により宣言した者が出た日となるのです。
 これは水平社宣言を指しており、また、この宣言の思想を社会に出した者を指しています。
 その時間的な手前には、別の運動もありました。明治政権がもたらした「非人・エタも新平民」、だから同じ人間として生きさせよ、という主張の運動です。でも、そんな一般的平等のお願い運動は、被差別者の身分を上昇させはしませんでした。
 水平社宣言は、新平民であるという一般的平等を越えて、被差別者が歴史の主体であることを断言しているがゆえに、そのために死ねる解放の運動となったのです。その証左が戦前の差別糾弾闘争です。



 ま、歴史が意味をなさない時代、じゃあ、何が自分を助けるか。
 神様ですな。かくて1神教がはやる。だらしないヒンズー教がはびこるインドでは、クりスチャンの8割が不可触賎民とのこと。普通は宗派分化して解放の思想ができるのに、ヒンズーといったら。なまじ仏教があるからか、、、。
 なお、ガンジーはヒンズー教徒だそうです。『不可触賎民は苦しみに耐えているから神の子』くらいは唱えたそうな。
 耐えとって神の子じゃ、我慢し切れんやつは悪魔の子かな。



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タイムマシン論の誤り再論

2009-08-16 10:58:57 | その他
 こんにちは。今日はブログ掲載予定日ですが、これは前座。
 暑くてまじめになれません、って、ただの勉強逃避かも。

(Infoseek) R25記事です。「」内が佐藤教授。地の文は記者。

 明星大学、東京大学数物連携宇宙研究機構の佐藤勝彦先生に聞いてみました!
「未来に行くタイムトラベルはすでに実現していますよ」
(中略)
「新幹線に乗るだけでも、太郎君の時間は立ち止まっている花子さんよりもほんの少しゆっくり流れるんです。つまり、太郎君は未来にタイムスリップしていることになる。極端な話、今あなたが一歩動けば、目の前で静止している私よりもほんの少しだけ未来にタイムスリップすることになるんですよ」
ちょ! 待っ…つまり、ボクたちは常に時間的に誰かと抜きつ抜かれつを繰り返しているってこと? なにソレ?
「実はすべての物質は同じ時間を共有していません。それこそが、時間の流れが一定ではない、ということなんです」
1971年に行なわれた実験では、世界一周した飛行機に乗せた時計と地上の時計では、飛行機の時計が59ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)遅れており、しかも、この数字は特殊相対性理論の計算とピッタリ一致していたのだとか…。
「ほかにも未来に行く方法はあります。一般相対性理論によると、重力が強くなるほど時間の流れはゆっくり進みます。ブラックホールのように強烈な重力のある場所に近づいて、地球に帰ってくれば未来にタイムトラベルすることになります。ほかにも理論上ではこんな方法もあります。巨大な鉄玉の中に人が入り、玉を収縮させていくと重力が強くなり、玉の中の時間はゆっくり流れる。その後、玉をもとの大きさに膨らませて中の人が外に出ると、未来にタイムスリップできます。ただし、玉は太陽と同じくらいの『重さ』が必要ですが」
「ただ私は楽観主義者なので、百年後には、1時間程度の未来に行けるタイムマシンが実現してもおかしくないと思っています」

 ……だってさ。
 何を言っているんだか。この人は、自分で今『タイムマシンはできない』 と言っているのが分からないのだろうか?

 って、世界中で分かっているのは私だけだとは思ってますが。
 
 この人が言っているのは
 1 世界に絶対的な時間は、ない。
 2 我々という同時代人は、同じ時間を過ごしていない。
 ということです。
 
 さて、タイムマシンというのはなんでしょうか?
 この言葉を知ってる人の誰もが、それは「過去や未来の、人々で形作るある特定の場面に移動する機械」だと思ってるでしょ。
 さて、しかし、現実にさえ同時代人は同じ時間を過ごしていないのに、いくら自分だけ、あるいは他人だけ別の時間を過ごしても、『今が甚だしく変わっている、今を生きているにすぎない』じゃないですか。
 
 もう一度、タイムマシンの意味を確認しましょう。
 過去や未来の、人々で形作るある特定の場面に移動する機械。
 つまりタイムマシンというのは、我々が共同して過ごしている基準軸としての絶対的な時間の存在を前提として成り立っている概念なのです。
 この、佐藤という教授(有名ですね)は、初めから冗談を言っているに過ぎない。
 残った問題は佐藤自身、それを知っているのか知らないのか、というだけです。
 
 
 でね、古くからの私の読者はご存知なように、相対性理論は間違ってはいないけれど、それは単に原子(等の素粒子概念物)が、光速に近づくにれ、動作が遅くなっている(みかけの)現象を指しているに過ぎない。
 動いているのは佐藤教授という人間ではなく、それを構成している原子であり、相対性理論で時間が遅れるのも、その原子たちなのです。
 現実的にいえば、我々が生きている世界は原子(等の素粒子概念物)で埋まっているわけで、例えば、人を構成する原子がボヤンボヤンと波打ってるだけなのが実体です。早い話、「速さ」なんて世の中にないんですよ。原子が存在し続けるだけ。
 その中で、原子は光速に近づくと測定される状況になると、ボヤ~~ンボヤ~~ンと波打ちが遅くなる。それだけのことです。その結果、ボヤ~~ンとしか眼の原子が動かないタイムマシン佐藤の目には、さっきいた人が0,01秒後にはもう見えなくなっているか、それを発見するのに脳細胞が1年かかって動くしかない。残念ですが、タイムマシン佐藤氏はただただ煌く光だけの世界で年を取るか、ただただそこに立ち尽くすのみかでしょうね。
 ここから先は想像ですが、光はエネルギーだから、速さという移動概念を測定すると、これにエネルギーを費やしてる測定値が出るんでしょ。
 私は物理学者じゃありませんから知りませんけどね。
 
    、、、いったい私の本職はなんだろう、と思うこともあります。
       (あーあ、午前中、原稿10ページ進む気だったのに、、、)
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政治学者的官僚

2009-08-14 21:14:27 | 断片
 こんばんは。なんだ今日もお前かい、というgooの人は、題で判断してもらわないとね。
 私も30分前まで書くつもりはなかったんですが。
 
 世の中に、佐々木毅という人がいまして、政治学者の前(元?)東大総長。
 秋田の美郷町出身といいますが、六郷町でしょうね、昔、東大闘争のとき、当局の手代だった人。
 おっと、ここは誰でもがみえるフリーエリアでしたね。いいかえましょう、教授に指示されて全共闘の矛を受ける盾になれ、余力があったらつっついてこい、という使命を帯びた人。
 この人がここんとこ朝日新聞に紹介されてて、今日のテーマはこのたび行われる衆議院選挙。読んであきれた。
 有権者は下記のことに気をつけて投票せよ、という話で。
 
 1 候補者の言うことに役所(国家官僚)の体質がにじんでいないか。役所の関心は自分の政策を政治家が飲んでもらえるかどうかだ。
 これを受け入れてはいけない。   

2 そのように政策を実現するかの仕組みや政策運営がマニフェストにあるのか
  を見る必要がある。

     人気取り男が。
 
 普通の方は、なんでいけないの、当たり前じゃん、と思うでしょうね。
 社会学研究者は、そうはいえません。
 
 1 国家官僚の関心は、自分の省庁の政策がどうなるか、です。わずかに違う、このわずかさは決定的です。
   どの会社でも大阪支店と東京支店は競争するでしょ。ターゲット会社の本店は大阪と東京、2個ある。じゃあ、この大きな契約はどっちがとるのか。大阪のほうが売上落ちてるから譲ったら? って言う東京支店営業課長がいますかね? いない。取れるほうがとって、取れなければその支店は別のエリアを開拓してトータルとして会社の総利益を増やす。
   それと同様、省庁は自分のテリトリーで死に物狂いになってるから、日本官僚といわれるんです。そんなことの弊害も分かりきっている、自分だけできると国がいびつになる。そこで、自分にできないことは、政治家がすることだ。そりゃ官僚の共通認識でしょう。
   ただし、できる政治家がいない。みんなぽっと出の素人政治家ばかり。「こんなやつらに日本が任せられるか。少なくともこのことだけはうちの省でやらないと」。これが官僚の共通認識でしょう。
   佐々木氏はそんなことは百も承知の東大政治学の大本締めのはず。そいつが、なんでことさら国家官僚を貶めるんだ? 理由は簡単、大衆にウケルからです。問題は、真理ではない。こういえば、民衆はどうでるか。官僚とはそういうものであり、この前東大総長と同じものです、って、みんな同じ釜の飯を食った数年しか違わない後輩でしょ。
 
 2 次の2こそ当たり前?
   残念でした。現実はそうではない。そんな仕組みがマニフェストにあってたまるか。民衆はちゃんとマニフェストをみるぞ。みたら自分に不利益なことなど山のようになるにきまっているじゃないか。自分の首をしめることに投票する奴がいるか? 
 そんなものはガンの宣告と同じだ。宣告に耐えられる人もいるが耐えられない人は山ほどいる。1割の差が勝負になるときに、2割の人間を減らしてどうする。(その点、共産党は偉いさ。だから泡沫なんだけどね)
 そのうえ、「事前に言ったんだから従え」とかいわれちゃ 
 そんじゃ、嘘つきじゃん、て?
 だって嘘つきだもの。嘘つきじゃない政治家って誰のことさ。教えて。
 
 それでも人間=大衆というのは、流れの中で我慢できる。
 権力さえとればいくらでも新聞が応援してくれる。しょうがないんだ、我慢してくれ、日本のためだ。
 嘘じゃないよ、今だってみんな我慢してんじゃんか。別に死ぬわけじゃないからね。でも、それを前提に投票しろって、だれがそんな聖人君子なのさ。
 
 等々、これが社会学です。社会学は本当のことしか言わない。
 と、同時に、嘘しかいわない自称(政治)学者を反吐が出るくらい軽蔑します。反吐が出るのは私だけかもしれませんが。
 といっても、別に社会学者の方々も自分がえらいとは思ってないと思いますよ。
 
   包帯のような嘘を 見破ることで 学者は世間を 見たような気になる
       (世情)
 
 社会学者の8割はこれは自分のことだと思ってる、というのに1万円賭けますね。
 そういう学問的悲哀(?)

 わたしもほんとのことなんか言いたくないから選挙の話はしたくなかったけどね。今日は不愉快なんだよね。

    そんな怒るな、みんな商売だし、って? 社会学者も商売してるんだけどね。
    商売で真理を曲げるのは、政治学者だけだよ。


 P.S.よくみると、選挙候補者は何も言わなくて良いようにも読めますね。
   そうじゃなくてね、自分の理想を述べよ、ということです。
   理想を並べろ、選ばれたらそれに向かって進め。
   小泉は、あれは正規な選ばれ方なんですよ。選ばれたとおりにやった。小泉は悪くない。選んだ奴を責めないとね。

 
 
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魚屋と酒屋

2009-08-13 21:16:55 | コーヒーブレイク
 今晩は。お盆休みの方も多いんでしょうね、私も明日は休む予定で。
 「今度のアップは休み明け」といった手前ではありますが、今日は意味のない趣味コーナー。

 マイフェイボリットシング。酒の話。
 って別に酒が好きなわけじゃないんですけどね。アルコールならなんでも文句はいいません。
 文句はいいませんが、それなりにカネを払ったら、それなりのものを飲ませてもらいたいものです。酒ならなんでもいいけど、一方、味くらいはわかってしまう私。誰だって分かると思いますが。

 私も生まれは東京ですので、それなりの交友関係で、今はなくなろうとしている「築地」の魚屋というのも知識にあります。
「場外」じゃなくて、単に、築地近辺で営んでいる魚屋さん。下崎さんという人のつてですが知らないよね。
 で、そんな魚屋さん、小さな店構えで11時には店を閉めてしまう。私もお勧めの魚屋さんに11時半にいって無理やり売ってもらった、みたいなところもありますが。なんつったかな、「魚源」とか、そんなの。
 
 ポイントは、水揚げの終わった魚は、食ってうまいうちに売る。人が買わなければ店を閉める。
 いさぎいいでしょ?
 江戸っ子でしょ?
 世の中、金儲けじゃねえんだよな。
 魚、高いけどね。
 
 ともかくも、店は小さくていい。商品は売り切るだけあればいい。買う奴が高く買えばいい。
 
 酒屋も一緒。
 であるべきだと思うんですが。
 30年いきつけの酒屋さん。私の名前なんか知らないからこのブログにはたどりつかないけど、っていうか、から、っていうかで言いますが、大枚はたいた焼酎、まずいぞ! (1200円だけど)
 焼酎も造って1年半たてば、味なんかなくなんだよね。酒屋なんだから知っててほしいものだ。焼酎っちゅうのはアルコールのほかは香りだからね。
 もちろん、事情はわかるんですけどね。
 問屋からダースで来た米焼酎ブランドを飲むのは私ほか、老人1名。
 そんなんではけるか、って。そりゃはけないやね。
 なら売るなよな、ってわけで。私だっていきつけに義理もあるから買うんで、売ってなきゃ大手を振ってほかで買うさ。俺ゃ、芋焼酎は嫌いだから、お宅で買う焼酎ありません。種類置かなくたって、うまいもんや安いもんなら10数年間買ってきたじゃないか。 (その後、品揃えだけが増えた。そりゃ売れ切れないさ)
 
 とゆうわけで、前に戻り。
 
 高くてもまともなものを飲みたいやね。
 昔は良かった、今の半額以下でまともな焼酎を飲めた贅沢な時代。
 
 今の倍額だった豚マグロでない中トロを食べられた時代、、、
 
 ちなみに、30年前の築地の地元庶民用魚屋で売ってたサワラは、スーパーのブリの2倍しましたよ(多少脚色。昔はスーパーのブリも高かったからね)。日本人、おかずの少ない分は米食ってりゃ栄養に問題ないしね。
 多少論理が省略されてますが、要は、商人は儲けるべきところで儲けて、消費者はそれに文句いうな、と。
 スーパーの安酒飲まされて、消費者の勝利だ、などというのは自分では買わない評論家だけだ。
 生きていける貧乏人は、節目にはまともな酒(や食べ物)を食したいのだ。
 生きていけない貧乏人はしょうがないが、もともと、そんな人の方を向いてないでしょ。


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再度話題3件

2009-08-07 21:16:19 | 断片
 こんばんは。暑いけど、いまどきこんなじゃ、今年はこのまんま、ただの夏で終わりそうですね。

 さて性懲りもなく話題3件。アル中とかパチンコ中とか、およそ中というのは自分では止まんない反人間的分子でかわいそうなもんです。

 その1:朝日新聞ではオバマさんの核発言が取り上げられています。産経新聞にはでていないだろうところが月4千円払っている証左ですね。

 アメリカには核整備上で競争者がいない現在、政治家は自分の趣味を余裕をもって発言することができます。もちろん、発言できるのはまともな考えを持った政治家ですけどね。国家に余裕がなくなれば、そういう政治家は大統領にはならない。
 ま、このように、政治権力者とは人がいいだけで社会の情報が変わります。人民の革命志向を育成しなければならない極左諸君(や私)は別として、普通の左翼の人は、やはりこの人を褒めるべきですね。いいチャンスですよ。
 
その2:忘却。
 ほんと酔っ払ってると次から次に反応はするんだけど、次から次へ消えていってしまう。
 各種論文の他人のヨタ話を読んでると、この過程がもったいないですね。
 
その3:で、これは2つじゃつまんないから3つにしようと思った話題。
 例の裁判員制度。
 あなたの職場で、新規採用に重要な仕事をまかせますか? 重要ではなくともはじめの半年は、フォローで中堅をつけませんか?
 あなたの高校硬式野球クラブで、新入りに甲子園行き試合の4番打者を打たせますか?
 
 しやしない。誰だってさせやしない。
 それなのに、犯罪者の行く末は、新規採用ただの4日目のやつにまかせていいんですか?
 
 こんなの人権問題ですよ。犯罪者はどんな待遇を受けてもいいのか。実験室のハツカネズミ。日本軍の731部隊。ナチの、、、ナチは殺しちゃったしね、、、おっと、731も全員殺したか。ま、規模も意味で。
 ともかくこんな有様なのに、なんで各種弁護士会は訴えないのかな???
 
その4:こんなふうになんだんかんだって、発言する事態
 こんなこといっても、だからどうということにはならない。
 誰にも切っ先が向いてないでしょ?
 何か不満のある人間は、具体的に不満のある人間の将来に、不安を与えなければならない。
 オバマを褒めない新左翼とか(って私もですが)
 弁護士会や法務省や、民主党へのことですが。
 
 だから、こうゆうのは酔言。
 意味ないし。
 
 でも、意味ない言葉っていうのも、つまり漠然とした不満というのも、ボディーブロウになるんですよ。官憲は経験的に知ってますけどね。


 なお、本日のためになる情報:

  gooから来た方は、「本当に…O型の人は蚊に刺されやすいのか?」
  なんてとこ通りませんでした?
  これはウソです。
  私はAB型ですが、蚊の刺され度だったら決して負けませんぜ。
  ちなみに奥さんはBですが、楽勝です。

では、次回はお盆明けということで。
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専制:その後

2009-08-06 21:31:36 | 歴史への視角
 こんばんは。昨日は、酔言で3つは多すぎましたね。舌足らずすぎ。
 ちょっと注を加えないと、と思いまして、昨日の(その1)の追加です。同じように酔っ払ってますけどね、というか同じようにしらふというか。

 正直者の社会学者への対比の(嘘つきの)政治学関係者というのは、つまり、そこから科学が展開されると思っていたぞ、社会学者ならそうだから。でも政治学関係者というのは言いっぱなしで終わっていいんだな。という、うらみつらみですね。ま、誤解といってもいいけど、そんな誤解を引き出すような学者のような書き方はよせ、というわけです。
 何の体系もない学問であれば、シンプルにいいなさい。

 ちなみに、わたしが「専制」を説明するなら、
1 個人による権力独占 と
2 その世襲制
 を特徴とする国家権力の状態です。
 それ以上は科学としては不要なのです。

 身分がどうのってバカ言うなよ。支配層と人民がくっきり割れるなどというのは、ただの歴史的一般支配状況じゃないか。

 まあ、上記の規定では歴史的概念としては不十分だ、とかいうやつもいるんでしょうが、われわれ個人行為者は、日常生活の科学者であっても断じて歴史家などではない。歴史概念などいくら並べてもそれは因果連関の科学ではない。記述の学問に過ぎません。記述の学問といえば聞こえはいいが、平たく言えば、年寄りの昔話ですね。「昔こんなことがあってのお。違う違う、そうではないぞ。その頃の王とはのお、、、」 お疲れ様です、長生きしてください。

 ついで、ケチを受けることを恐れての定義言語量の増加は、やはり行為者人間を科学から引き離すものです。
 定義量の豊富さは、そこから説明される要素・要因・契機をその中に含んでいるかによります。それらを含む必要がなければ、単純こそ命です。
 
 もちろん、吟味された文章は、そのときは読んで腑に落ちるでしょう。私も幼少の頃は好きでしたから分かります、というのは、たかだかそんなレベルだ、といってるだけですが。
 しかし、腑に落ちた人間は、実際は現実を何も理解してはいません。彼が理解したのは、ただ、その文章にすぎない。
 一方、科学とは新しい現実を、行為者の頭に保有されている概念で、理解し、将来を予測するものです。我々行為者は、そのために、概念のイメージを頭に収めなければいけないし、そのためには、概念は、シンプルに頭にイメージをひきおこすものでなければならない。また、頭に収めればそれ以上の定義など、不要なのです。

 ウェーバーの「理論」なるものが現実には誰にも使えてこなかった「現象的な」理由はここにあります。
 
 で、お前の言うのは役に立つのかって? 現に、今、独裁過程から3桁の世襲を迎えることの表現に適切な言葉として使えるんですから(ちょっと薄いですけどね)。自称政治学では、まだ北朝鮮は独裁ですね。それでは独裁過程など説明できない。権力が3世代続きました、って記述するだけですよ。まあ、説明したくもないんでしょうが。
 
 ちなみに、「政治学」的専制概念って人民のことを考えないんですよね。そんな、王が、原始時代以外に存在できるかよ。想像力がなさすぎるよね、っていうか、そんなことも分からず生きれてるってのも、社会適応力がないっていうかね。(その意味では私の上記定義の「個人による」も誤解を与えますが、人民のことを考えない統治がありうるなどと思うのが、ハナから馬鹿だって) 若い人たちは、この見方だけはやめなさいね。
 と知るだけで、政治学4単位あげますから。

 (P,S 私はアフリカの新興国のごとき統治なき国家(確かに人民のことは考えないように見えますしね)については、国家ではない、といっております。まあ、微妙ですけどね。人間社会が分かっていれば、表現は後からついてくるものです)

p.s.8月10日,gooの表紙に専制問題がでてました。李英和 関西大学教授とか。
   あぶないあぶない。こんなレベルのことで真似されたと思われたくないやね。
   なんでも早いもん勝ちだね。
     もっとも、どんなレベルでも、あえて真似するほどの人間はいないけどね。
 
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話題3件

2009-08-05 22:19:42 | 断片
 ほんとは酔言3件とか書くところですが、晩酌でいい気分の方がきても怒っちゃいますよね。
 というわけで、新聞3題。


その1 クリントンが北朝鮮に行って、記者2人を解放する話をつけたそうな(真偽不明)。
    そしたら保守派が、「そんなことをしたら北朝鮮が付け上がる」、と怒ったそうな。

 そりゃちがくってね。
 政治学で専制やら独裁やらいうけれど、
 専制政治:「支配者層と被支配者層とが身分的に区別されていた前近代社会において、身分的支配層が被治者と無関係に営む統治の仕方であり、独裁政治とは異なる。近世初頭の君主制に顕著。」ウィキペディア
 見てきたようなウソをいい。
 誰が見たんだよ、嘘つき。

 わたしもつい数年前までは、正直な社会学者としか付き合ってなかったんで、そりゃそうなんだろうな、と思ったけど。
 はっきしウソだね。こんなの。何の実証性もない。せいぜいウェーバーの見てきたようなウソばかり。証明しろよ嘘つきのウィキペディアの政治学的著者。他の場面に使いたかったら、身分制的独裁制とでもするんだね。

 そんでね、いずれにせよ、専制化した独裁制では、自由裁量の場というのがある。これは人間的賞賛・優越が使いうる場なのだ、ということです。
 人間には普遍的価値というのがあるんだよね。と、昔の記事をリンクさせたいところですが、いまさら、というか、どこにかいたか、というか、書いたっけ? みたいなところもありまして。
 ご要望があれば後日(再度)記録します。

 ともかくも、自由裁量のある専制君主的独裁者には、こうゆう人間的価値観が十分有効なのですよ。
 わたしゃ、どっちでもいいですけどね。

 その2 枡添が(漢字違うかな?)年金の後始末を民主党なんかより先にやってるぞ、と胸を張る。
      鳩山が、いや、当党が受け持てば抜本的に改善できる、という。
 これは、民主党の勝ちでね。
 昔を引き継がなければならない枡添が、いくら尻ぬぐったって、「そんなものできない」という前提で、自主責任を早々と打ち出して始まった年金制度が、立ち直るはずもない。というよりは年金制度は初めから全然傷んでないの。そんなのわかってたんだから。傷んでるのは、自分で作っといて文句いう自民党(支持者)だけ。
早く民主党に渡して、どさくさ紛れに制度を変えるしかないのは、頭のある奴なら誰でも知ってることだ。
 わたしゃ、どっちでもいいですけどね。

その3 日本画家、山本直彰という人の記事。
ほお、好感的な。という感じで。知らない人でしたが。

芸術の3方針、第1、自然を写す(ことにより、その自然から受ける感動を引き出す)、第2、自分の心を表す外界を追いかけこれをキャンバスに適切に表現する、の次、第3、心をそのまま写す(ことにより、直裁に受容者の感動を引き起こす)というやつでね。

絵画的には、
 第1:日本画、宗教画、印象派
 第2:表現派
 第3:立体派
 
 というところですかしら。
 
 芸術は、どう表現しようが、自由でよいですよね。

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