こんばんは。隈でございます。
本日はまことにおめでたく、自民党惨敗で。
「なんだよ、アナーキストが選挙結果を云々するのか」という、常連のお客様の中にはそんな声はおありでしょうが、
その方は、私の本を買っていただいてないな、と思われ。
われわれのような被支配民衆は、生きているうちに報われるなんてことはないんですよ。
そんな発想は、思い通りのことができる、あるいはできてきた、上流階層の人たちだけの発想です。
被支配階層の究極的勝利は、最期の審判の日まで待たなければならない(って、比喩。300年くらいです)。それまでは、今日起こったことで一喜一憂してもせんないことです。
生きているうちは、支配階層の混迷を、笑い転げて憂さ晴らしをするものです。
なお、なんだかんだで突然来てしまった方は、表題を見ていただいて。
私のとこは、アナーキストのブログで。
本日の憂さ晴らし
1 自民党がこけた。もうシンプルに「ざまあ見ろ」、で。
2 今後、「小選挙区制度」を訳知り顔で誉めそやす記事を載せるメディアが激減すると思われ。
負けた自民党は、負けただけで、最後まで日本の独裁政党ですからね。一生発言力はあります。 ところで、負けた議員の悲惨さは庶民に近くてですね。さんざん選挙その他にカネを使い、ほかに収入もないのにプータロー化して。もちろんざまあみろですが、そういう権力者の経験は、貧乏人にプラスですよ。もっとも就職コネのあるやつらばかりでしょうが。
公明党がバラマキ政党なのは、ここの議員が貧乏育ちだからです。政治社会学的には、公明党を単独政権にさせればいろんなデータが得られたのですが(過去形)。
あ、で本旨。
私のように、いくら投票してもみんな死に票なのは不愉快ですからね。比例区オンリーにしろよ、というのは、私の感情。
これまで20数年間選挙権があり(ウソつき)、うち9割に投票しましたが、当選したのは、ただの一人ですよ。面白くねえ。ってそれだけの話ですが。
注で。
民主党になんか公約も何もできないのは、もちろんですよ。
でも、トータルに曲げていくことはできます。民主党幹部は、あれでもこれでも圧力団体のいうことをめちゃめちゃにして返す。その中で、別の選択肢が官僚にも庶民にも現実化するわけです。それを政治権力を駆使して、制度化一歩手前までもってゆく。庶民はもちろん、官僚も同じだけ無責任ですからね。無責任ですが言えばいくらでもメニューを作ってくれます。しかし、そんなことをされては資本家にせよ労働団体にせよ地域中小企業家にせよ農民にせよ、たまらない。それは決して現実化しない。で民主党は、被支配庶民に、はやされながら、財界から総スカンをくって政権を自民党に返す。そのときには、一般国民全体として、次のありうる展望を掴むわけです。
で、んなタマがいるか、って?
それもちがくって、個人のタマじゃなくて、組織としてひたすらつきとおす根性ですね。
で、それがあるかって?
ないね。
以上、世間話でした。
今日はそんな茶飲み話ではなく、ルサンチマン。
この言葉は、私の頃は中学か高校の国語の教科書に載ってましたけど、要するに「権力への恨み辛み妬み」のこと。
2,3日前、佐和隆光の本を読んでたらアナクロのように出てきて思い出した言葉ですが、今日は太田昌国という人のブログにも出ていました。この人は、佐和さんよりも出来の良さそうな人ですが、ご存知? 要はおんなじ年代なんでしょうね。
で、そんな恨み辛みも結局こんな形で消費されてしまう。全体的には選挙。私で言えばこのブログ。
こんな形とは、規定的にいえば、「行為共同性を保ちつつ、その範囲内で」反対意見を表明することが出来る制度。
世間では「ガス抜き」といいますね。 言い得て妙、というところで。
なにも爆弾を車に積んで突っ込む必要はない。 同じだけのことが口先やペン先で行えるわけで。それが先進資本主義国というものです。
こうゆうのは相対的、なんですよ。まあ、孤立していない個人なら生きられる国の特権というものですね。
本日はまことにおめでたく、自民党惨敗で。
「なんだよ、アナーキストが選挙結果を云々するのか」という、常連のお客様の中にはそんな声はおありでしょうが、
その方は、私の本を買っていただいてないな、と思われ。
われわれのような被支配民衆は、生きているうちに報われるなんてことはないんですよ。
そんな発想は、思い通りのことができる、あるいはできてきた、上流階層の人たちだけの発想です。
被支配階層の究極的勝利は、最期の審判の日まで待たなければならない(って、比喩。300年くらいです)。それまでは、今日起こったことで一喜一憂してもせんないことです。
生きているうちは、支配階層の混迷を、笑い転げて憂さ晴らしをするものです。
なお、なんだかんだで突然来てしまった方は、表題を見ていただいて。
私のとこは、アナーキストのブログで。
本日の憂さ晴らし
1 自民党がこけた。もうシンプルに「ざまあ見ろ」、で。
2 今後、「小選挙区制度」を訳知り顔で誉めそやす記事を載せるメディアが激減すると思われ。
負けた自民党は、負けただけで、最後まで日本の独裁政党ですからね。一生発言力はあります。 ところで、負けた議員の悲惨さは庶民に近くてですね。さんざん選挙その他にカネを使い、ほかに収入もないのにプータロー化して。もちろんざまあみろですが、そういう権力者の経験は、貧乏人にプラスですよ。もっとも就職コネのあるやつらばかりでしょうが。
公明党がバラマキ政党なのは、ここの議員が貧乏育ちだからです。政治社会学的には、公明党を単独政権にさせればいろんなデータが得られたのですが(過去形)。
あ、で本旨。
私のように、いくら投票してもみんな死に票なのは不愉快ですからね。比例区オンリーにしろよ、というのは、私の感情。
これまで20数年間選挙権があり(ウソつき)、うち9割に投票しましたが、当選したのは、ただの一人ですよ。面白くねえ。ってそれだけの話ですが。
注で。
民主党になんか公約も何もできないのは、もちろんですよ。
でも、トータルに曲げていくことはできます。民主党幹部は、あれでもこれでも圧力団体のいうことをめちゃめちゃにして返す。その中で、別の選択肢が官僚にも庶民にも現実化するわけです。それを政治権力を駆使して、制度化一歩手前までもってゆく。庶民はもちろん、官僚も同じだけ無責任ですからね。無責任ですが言えばいくらでもメニューを作ってくれます。しかし、そんなことをされては資本家にせよ労働団体にせよ地域中小企業家にせよ農民にせよ、たまらない。それは決して現実化しない。で民主党は、被支配庶民に、はやされながら、財界から総スカンをくって政権を自民党に返す。そのときには、一般国民全体として、次のありうる展望を掴むわけです。
で、んなタマがいるか、って?
それもちがくって、個人のタマじゃなくて、組織としてひたすらつきとおす根性ですね。
で、それがあるかって?
ないね。
以上、世間話でした。
今日はそんな茶飲み話ではなく、ルサンチマン。
この言葉は、私の頃は中学か高校の国語の教科書に載ってましたけど、要するに「権力への恨み辛み妬み」のこと。
2,3日前、佐和隆光の本を読んでたらアナクロのように出てきて思い出した言葉ですが、今日は太田昌国という人のブログにも出ていました。この人は、佐和さんよりも出来の良さそうな人ですが、ご存知? 要はおんなじ年代なんでしょうね。
で、そんな恨み辛みも結局こんな形で消費されてしまう。全体的には選挙。私で言えばこのブログ。
こんな形とは、規定的にいえば、「行為共同性を保ちつつ、その範囲内で」反対意見を表明することが出来る制度。
世間では「ガス抜き」といいますね。 言い得て妙、というところで。
なにも爆弾を車に積んで突っ込む必要はない。 同じだけのことが口先やペン先で行えるわけで。それが先進資本主義国というものです。
こうゆうのは相対的、なんですよ。まあ、孤立していない個人なら生きられる国の特権というものですね。