リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

十大ニュース

2017-12-30 12:49:30 | 上部構造論
 こんにちは。もう小晦日ですね。「たった2日後」というのはいつでも来ますが、日が経つのと年が変わるというのはえらい違いですね。わたしには何かとけじめがつくのでとても良いことですが。
 
 さて、年末は社会的な事件も特にないので、わたくし的話題。
 けじめで大掃除してたら、雑巾にしたぼろきれに旅館田園と書いてありまして、全然記憶がないのでネットで調べたら、西若松駅徒歩云々とか書いてあって、知らない、いったことないはずだが、と思って検索し直し。どうも千葉御宿の廃業した民宿のもよう。ネットには火事で半焼、みたいな写真がありました。あれあれ。海水浴でしたがそのときは娘がおたふく風邪に罹りほっぺがぷくうっと膨れて早々に引き上げた記憶があります。宿の宣伝もできませんね。どうもご縁のない旅館様で。
 
 の2。セリが安くてたくさん買ってしまって、鍋用に正月明けまで保たせたいというんでネットを見たら、おんなじ記事(コピペの類)ばっか。ほんと不愉快。何も知らない奴らがコピペして、あたかも自分が調べたかのごとく、麗々しく御託並べて。それだって、みんなの役に立てようと思ってやってんならしょうがないですが、聞くところによると、自分のサイトに寄らせれば1見で何円か懐ろに入るとか。冗談じゃねえや。しかも「冷蔵庫に立てて保存する」ばかり。おまえほんとにやったことあんのかよお、と思います。あんなへろへろの物体を立てるって、1万人中一人でもやってるのか? そもそも、立つほどでかい冷蔵庫なのか?
 
 ま、ウサ晴らしはほどほどに。
 年末なので、2017年歴史の進展10大ニュース。歴史は常に人間の自由に向かって進みます。では、今年の進展は?

1 LGBT進展。「安倍晋三首相は、、、『パートナーが来日した場合、首相主催の夕食会にはお越しいただければと考えている』と述べ」た。パートナーって同性の結婚相手のことです。

2 女性進展。「セクハラ被害の声を上げる「#MeToo」運動が全米に」。日本でも真似っこしててよいですね。

3 帝国主義陣営の分裂。米国がエルサレムを首都と認定。どんどん勝手にやるのがよろしい。世界で計画経済国家が消えれば、資本主義諸国に残るのは分裂、崩壊のみ。騒動で亡くなった方には申し訳ないけど、それは毎日のことで。あまり正直に言うのはやめましょうか。

4 日本帝国主義の崩壊への歩み、その1。「日産で無資格社員が検査。スバルでも。検査データ改ざんの企業も続出」(読売の題)。資本家はすでになりもふりも構ってられない。しかして「それがバレる」(企業内の分裂)というところが崩壊です。

5 日帝崩壊の2。自民党圧勝。どんどん勝手にするのがいい。利潤追求への歯止めなしでは資本主義は本性を現わすのみ。未来に待つのは崩壊。

6 の3。リベラル崩壊。偽りのリベラルによる左翼戦線への欺瞞が消えた。

7 の4。テロ準備罪法が成立。もう口先の反体制は成立しない。ここでも偽りが消えてゆく。

8 の5。防衛省が長射程ミサイル導入を検討 。古典的「帝国主義」です。

9 の6。「いずも」型護衛艦の空母化を検討、F35Bを運用。陸(ミサイル)の次は空です。前も言いましたように、F35は攻撃機=爆撃機です。「B」は垂直・短距離の離着陸ができるタイプ。権力を持てば武器を欲しがる、武器を持てば使いたがる。権力者の性(さが)ですね。前にも言いましたが資源のない国の軍事産業化は、国の崩壊です。自動車一強の黒字国でしかないのに。それとも電子軍事機器輸出に賭けるか?

10 世界資本主義の崩壊。隈、次回配本原稿アガリ。左翼陣営は、また一歩前進した。

 おかげさまで次回原稿も合同フォレスト様の手に渡り、出版までのルートに乗ることになりました。この早期実現のために去年のバイト仕事の継続依頼を「もうやだから」って無理やり辞めたのは、お人好しのわたし的にはなかなかつらい。ごめんね、こういうことだったので、みたいなもんです。当初契約分労働は嫌でもやったことで許してくださいな。などと、お人好し、っちゅうか自意識過剰っていうか。ただ、若人の方へ。自分をマネッジするというのはそういうことですよ。
 というわけで、上部過程論、いわく『「上部構造」の社会学』とはもうお別れ。これはほんのちょびっとのお付き合いでしたが、お別れは淋しい。できてしまえば終わり。仕事とはそういうものだ、とはいえ。でも仕事なら打ち上げとかあるし、その後2、3年なら昔の仲間と飲んでサカナにするってのもあるし。なんか淋しい。2年かけたんだよね、たぶん。できたってえらいよね、たぶん。ただ自分的には時間が推移しただけでもあって。寝てる間に小人さんたちが書いといてくれたんだね。

 さて、常連様におかれましては、本年も何かとつまらないグチの類いにお付き合いくださいましてありがとうございました。どのくらいオタクっぽいのが良いのか悪いのか、よくわからないのでテーマをずうっと試行錯誤であれこれしておりますが。まあ、お客様も人それぞれ、であろう、というところで収めてくださいませ。
 
 では皆様良いお年を。考えてみれば、この挨拶句もちょっと哀しい言葉ですよね。今まで良い年ならわざわざ来年に期待しませんがな。
 まあそういうイヤミはやめて、実際、来年がいい年だったらそれは素晴らしいことです。
 改めまして、良いお年を。
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リサーチと理論

2017-12-23 16:34:47 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。シャンシャンちゃん当たりました? 平日46倍じゃムリですね。宝くじ並みかと思ってみたら、宝くじは10万円当てるのに1万枚買わないといけないそうな。(http://kazuya01.com/takarakuji-1546)。おかしいなあ、昔、出張時の昼休みに他人のクジを買って当ててやったはずなんですが。お礼貰った覚えはないけど。当選3000円だったのかなあ、3000円は100枚買うと当たる。なお、今年のクジの発売は昨日で終わりね。
 で、「パンダは和歌山にも」いると和歌山県知事が。今ごろなにいってんだい。可愛い時分に報道努力もしないでおいて、遅い。だいたい和歌山にシャンシャンちゃんがいるわきゃあないだろうが。誰でも自分の子のほうが可愛いのだ。、、、自分の子だっけ?

 私んとこは液晶モニターが壊れてしまいました。サムソンの570Sという、16年前発売の中古。スリープから画面が復活できない。それでも1ヶ月くらいヒヤヒヤしながら使っていたのですが、いちおうVGA端子つきのノートPCは別に持ってるとはいえ(=つなぎ換えればそっちで見られる、はず)、恐いから買い換えました。信頼のIOデータ新品。もっとも15インチはその機種しかないに近いのですが。誰も買わないのでしょう、来るのに6日かかりました。年末のせいかな。
 で、今はとてもクリア。切れかけの昼白色蛍光灯から新しい昼光色に変えたような感じ。今まで見えなかった鼠色がよく見えます。私は字の画面を長く見るので、前のもマイルドでよかったともいえますが。写真や絵を観る人で壊れかけのモニターを使っている人は買う算段をするのも良さそうです。もっとも、私のは1024×768なので、字は点点に見えます。
 (後日:しばらく使ってオヤと思うのですが、どうも起動が早くなった気がします。数秒以上。そんなことってあんのかな?)
 
 さて、本日は読書2件。
 まずはクリスマスで、『34丁目の奇跡』を借りました。ヴァレンタイン・デイヴィスのほう(映画の原案のほう)。先週テレビで、アメリカ、ボルチモアの34丁目のクリスマス報道をやってて。映画原案とは関係なさそうですが、1947年からずっとだって。映像がなかなか綺麗でよかった。本の仕掛けは原案より映画のほうがよさそう。まあいずれにせよ筋に少し無理があるけれど、おめでたいんだからいいや、みたいなところ。しかし、なぜか読んだ記憶がある。まだ発売後15年なんだけど、15年て、忘れるか。
 
 ついで、ヴェルナー・ゾンバルトの2冊、『恋愛と贅沢と資本主義』(1912)、『戦争と資本主義』(1913)。これは感心。ゾンバルトなんて擬似マルキストの俗流だとずっと思っておりましたが、とんでもない間違いだった。
 といってもご存じないはずなので、他の皆さんによるご紹介を。
 まずは『恋愛と贅沢と資本主義』、苫野一徳氏の紹介をお借りして(借りるだけ)。「資本主義を生み出した最大の要因は、ヨーロッパの宮廷における「奢侈」である。そしてその動機は、宮廷内の「非合法的恋愛」にあった。/これが本書におけるゾンバルトの主張だ。/要するに、ヨーロッパの大金持ち貴族たちが、愛妾たちに貢ぐためにさまざまな奢侈品を購入し、これを扱う商人たちが潤って、彼らが資本家へと発展していったとゾンバルトは言うわけだ。/現代では、このゾンバルト説は多くの研究者によって否定されている。/たとえば、現代アメリカの歴史学者ポメランツは、当時のヨーロッパ程度の奢侈なら、中国や日本にもあったと言って、ゾンバルト説を一笑に付している」。
 とのこと。
 さらに『戦争と資本主義』は『三つ子のキャットシットワン』氏のをお借り。
「・軍隊は莫大な物資を消費する/・莫大な物資を生産、流通させるには産業を起こす必要がある/
 この2点からゾンバルトは「ヨーロッパ中世から近世にかけて巨大化した軍隊が産業を育て資本主義を育んだ」と結論している/だが、待ってほしい/では何故 軍隊が巨大化したのか?/例えば中世から近世にかけて各国海軍の軍艦が質・量ともに巨大化したとある
だが 何故、海軍が巨大化したのか?/あるいは出来たのか?/と考えるとまた別の答えが産まれてくる」「本書は資本主義勃興期における軍隊の経済的側面の研究 という意味では大変優れたモノ、として見ていいだろう。」
 とのこと。
 引用文をお借りしたのは、私の手抜きでも被引用者様への批判でもなく、普通に読むと皆さんがどう受け取るか、の確認で。
 ご覧の通り、「この本いいよ」だけだと、「たいしたことねえな」で返されてしまう。変だけど、まあそういうものです。
 
 さて、問い直し、「資本主義は誰が作ったんだろうか?」
 誰かな? 商人? 工業主? 民間資本家?
 この問いで問題なのは、「産業革命以前、誰が資本を持っていたか」という点です。
 ブルジョワジーは持っていない。そもそも商人はいてもブルジョワジーなどいない。
 カネを持っていたのは農民から重税を召し上げた王侯貴族であり、「国家」という名の国家権力者です。このカネという資本原資がブルジョワジーの手に移るさまと、商工業システムや流通機構の需要が先行的に確立していく過程を詳細に描いたのがゾンバルトなのです。この描写を他に誰がやった? マルクス? ウェーバー? やりゃあしない。軍隊装備と産業育成は日本近代史的にはおなじみですけどね。それさえも第2次大戦後の学問です。
 やらないことを十分以上にやったゾンバルトをなぜ批判できるのか?
 できませんぜ。
 って、種を明かせば、自分で書こうとしたけど、こんなことやってたら膨大になっちまう、という動機で先行研究を検索。100年前に目を疑うほどよくできたリサーチがあった、というわけで。
 もちろんなんとなく読めば上記批評者様のように受け取るのもふつう。そもそも問題意識が出てこないということ自体、「経済学」通説なるもののいい加減さが分かると思うのですが。
 ただし、この2著はただのリサーチ。何も理論ではありません。「ああそうなの」で終わってしまう。理論とは、それをもって別の社会事象の解読に使えるものでなければならない。
 たとえば、極貧後進国家の経済発展にです。
 「なに、そんな国でも国家権力者が贅沢をすればいいのさ」って、そういうもんじゃあない。
 「じゃあゾンバルトだって一番早かっただけで大したことないじゃないか」。そうなんだけどね。私は違う。それは私の次回論究のお楽しみ。本にはしない予定ですけど。

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雑件いくつか

2017-12-16 16:40:57 | 断片
 こんにちは。今日はちょっと暖か。昨日は函館の姉の電話で、「雪が一日で35cm」とか言ってました。函館は雪は降らないんですが。先週、「草津、雪」っていってたら会津若松も一昨日は雪とかいってて。結局現在60cmと。昔はサラリーマンで休みはそうそうとれないんで、暮はベストタイム、スキーしに近場の草津や会津(や、みつまたかぐら)へ向かうんだけど、その頃はどこへいっても、雪はある、という以上のものじゃなかったです。ガリガリに茶雪。氷と泥ね。狭いとこでみんなが滑るもんだから。この頃はもう子供たちはスキーなんてしないんだろうけど、観光的には良い冬になったようで。
 
 さて、ニュース。
 その1 名探偵コナン、「黒ずくめの組織の“あの方”の正体がついに判明」だと。正月あけに分かるそうですが、ネットで予測をみたらだれもベルモット指摘の人がいないんだね。当然、ベルモットだと思うんだけどねえ(私は88巻までしか知らない)。で、青山先生休業だって。そりゃあれだけ風呂敷広げてたらなんかよほどの手を思いつかないとまとまんないやね。
 
 その2。「君たちはどう生きるか」、マンガで流行、100万部。
 信じらんねえ、これは私の中学生時代の愛読書。内緒だけどね。
 中3で、どこからも社会的に排除されたとき、というのはウソで、自分から社会を全部蹴飛ばしてやってざまあみろと思ったとき、、自分の人生の正しさを確認したのもこれ。今でも覚えててるよ。中3の冬。受験勉強もしないまま炬燵に入って、あの単行本の黄色い本を読んで、よし、これでオッケーだと確認した本。こんな本、子供が読むんじゃねえよ。不幸にしかならない。アベとかが読んで自分を反省したらいいのだが。
 「お前は不幸か」って、いや、絶対幸せじゃなかったぞ。
 子供は社会をマネするものだ。年に合うことをさせるのが年長者の役目だね。
 
 その3 子供たちの間では、(酔った大人が)「盛り上がっているのを見るとこっちもテンションが上がる」と、高校生が「居酒屋に行くこと」が流行しているようだ。(abema)子供たちはなんでも真似っこだぜ。しょうがないね、そんな年だし。
 よきゃいいじゃないか、って、酒じゃなくてタバコ。
 東京都は店全部禁煙とか。前も言ったけどそういうキチガイじみた話って大嫌いだよ。なにが近場で吸えばガンだ。バカいってんじゃねえよ。お前は喫茶店マスターか。マスターなら勝手に禁煙店にすればいい。(わたしは吸ってません)タバコは文化だよ。だからガキがマネするわけだ。タバコ吸ってるやつの1割はクリエーターだからね。喫茶店でコーヒー飲みながらタバコを吸う間の生産性の高さといったら、他のなんとも比べようがない。夜中のブランデー並みだぜ。まったく俗物というやつは。(わたしは吸ってません)
 あ、ブランデーはやめなさい。食道ガンになるからね。タバコも店だけにしたほうがいいよ。本人は、肺がんは必然。
 
 その4 「東急電鉄は十五日、十月と十一月に田園都市線で相次いだ大幅なダイヤ遅延のトラブルについて、いずれも変電所から架線に電気を送るケーブルに関する工事をした際のミスが原因で発生した可能性が高いと発表した。」(東京新聞)
 いい加減な仕事ばかり。みんな外注で落札値段で決めるからどうにもならないね。
 物事は安きゃいいって、誰が決めたんだ。
 安く叩いて、結局労働者の締め付けでこなすしかない。
 先日来たマンションの消防設備点検、着いた早々べらべらとお愛想ばかり。仕事は速い、中身はよくわからないけど。で、帰るとき感想アンケートはがきを渡されましたよ、契約会社宛、「お時間ありましたら送っていただけますか?」。オール5で出しましたけどね。ほんと安く叩かれたんだろうな、と思います。
 愛想なんかいらないさ。きちんと仕事さえしてくれれば。ゆっくりでいいからね。こっちも質問できるし。愛想のいい奴にはわたしみたいなお人好しはどうしても騙されちまうよ。

 その5 減反補助金がなくなって、業務用の米が足りないんだってさ。食堂や弁当の米ね。半分量しか供給がないって。安くて儲かんないから作らないとのこと。
 困ったものです。わたしゃ困りませんが、植民地理論なんてやってると、アフリカの飢餓が重過ぎて。日本なんて、主食用750万トンとかいうから、50年前の半分しか収穫していない(ほら、勉強してるでしょ。これは賃金論用の基礎知識)。今なら(用地転換がまだ少ないから)この倍作れんだよね。この倍作って、石油と取り替えたらいいのに。なかなかそうもいかないところが資本主義。ともかくもったいないから飢えた人に売れば何百万人か助かりそうだけど、飢えた人ってお金もってないんだよね。そもそも日本人の米、高いし。それが国民経済というもの。 
 それでも、どこにでも神様はいそうなのがすごいよね。飢えた人もみんな神様に祈って。ほんと私には到底耐えられない。神様は偉い。
 
 などといいながらなんか役に立つことを探しているのですが、ないねえ。知的作業は別件で飽和中。
 本日も、一言知識でごまかさせていただこうかな。
 牧畜民族の食料中、ミルクの比率はどのくらい? 意味的にカロリーにしようか。どうせ、だいたいの話。
 答え、半分。人間、6割までミルクだけで良いようです。ミルク=チーズ=バター=油ね。ミルクだけだと腐るし消化に悪いし。
 ついで、白人が白い理由。カルシウムが、ビタミンD利用の日光からしか取れなかったから。日光の害よりビタミンDのほうが大事だった。これはふつう、北に行くほど日光が弱いから、といった理屈なんだけど、ちがくて、他の地域は食料からカルシウムが取れた、という論です。日光なんてカットしたほうが良いのは、今の日焼け止めクリームのCMを見れば分かる。黒いまま北へ行けばいいんだよね、他でカルシウムが取れれば。
 さらに、ヒンズー教徒は牛を殺してはいけないくせに、インドの雄牛は雌牛の1割しかいない。なぜか? 
 雄牛は病弱なので、餓死させる。これは殺しではない。勝手に死んだのだ。(イスラム教徒に殺させる、というのもあり)。呆れた。
 平田昌弘「人とミルクの1万年」に載ってました。多少補筆しましたが。
 
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NHK2、3

2017-12-09 15:41:31 | 断片
 こんにちは。暮の冬ですね。草津とか何度も雪。昨日は用事があってちょっと前の勤め先の営業窓口へ。こちらは4年ぶり、さいわい空いてたので古い人たちと1、2分ご挨拶ができました。ただの挨拶だけなのになんかリッチな気分。一期一会ってなんのことかいね。一度会った人にはまた会えばいいんだと思うんですが。
 とはいえ、じっさい訪ねても窓口にいなかったり異動だったりで、知らない人にいらっしゃいませといわれるのは気落ちします。
 ま、暮です。
 (おみやげにリヨンのイギリスパンを買いました。さすがに美味しい。なぜか100円の当たり券を持っていたので。おかずパンはいまいちで行かなかったのですが)
 
 ニュース。
 政府が私立高校実質無償化、だなんていっております。ほんとかよ、と思って読めば、くれるのは年に39万円だって。そんなこったろうと思ったよ。私立高校なんて普通年に80万はかかるし。うち私立だったから。年76万の高校は「うちは安い」とか胸張ってたよ。実際そうだし。なんだ年39万て、と思って探してみました。そしたら、よほど地方で、かつ「授業料」のみに限って39万を切る高校がある、というわけです。どうやったらそんな「平均」が出るのか。
 ふつう、怒るところだけど今日は乗らないので怒らない。病気かね。
 もっともこの検索で分かったところ、どの都道府県でも、まずどっかの公立高校に受かるということが分かりました。公立は民主党のおかげで無料のようだから、私が怒るほどのこともないか。いいねえ、昔とはだんち。昔は合格が難しかった。ただ子供には分からないでしょうが、交通費というのが実は高い。通学定期でもさらにバス代とかかかると平気で月2万とかいってしまう。コンビニバイトもそうはないでしょうし。でもこれは言ってもしょうがないね。
 
 の2。
 NHK受信料合憲とのこと。反対派はどうして憲法に持ってくかねえ。ただの法律問題じゃん。合憲に決まってるでしょ。ド迷惑もいいとこ。NHKがふんぞりかえるだけだ。早く放送法改正させろよ。アベでいいからさあ。
 だいたいNHKなど何も考えていない。今日のNHKニュース。
 「大都市で小学生と中学生の子どもがいる40代夫婦の世帯では、生活扶助は18万5000円余りで、収入が低い世帯の支出より2万5000円余り、率にして14%多く、65歳の単身世帯などでも生活扶助が上回っていました。」「厚生労働省はこうした世帯では基準額の引き下げを検討する」、少し考えてしゃべれよ、「政府広報」者。生活扶助には冷蔵庫代も洗濯機代もクーラー代も入ってないんだぞ。壊れたらどうすんだよ。冷蔵庫ナシで生きていけるか? 洗濯機ナシで、以下同様。修理費代に月に少しずつ取っとかなきゃ生きてけないんだよ。なんだってそう。特別支出扶助なんてないんだ。あほんだら。
 でも、まだ怒っていない。
 NHKが言ってたと家人がいうには、モヤシはスーパーの安さの客引きの顔だから値上げできない、だと。ったく、公共放送が非課税者から2万6千円もとってそんなヨタを言いふらしていいのか。
 誰がモヤシが安いからってスーパーに行くんだ。普通、ホウレンソウやキャベツが安いから、コンビニじゃなく、ちょっと歩くスーパーにいくんだよ。違う人、手を挙げて。
 それで、行ってみたらホウレンソウは高いわキャベツは高いわ、どうしよう、ふと見ればモヤシがある。「しょうがない、モヤシ安いからモヤシにしよう。おれは貧乏だからしょうがないな」って買うんだよ。
 もちろん。モヤシ・ラーメンを食べたくて買うときはあるとして、それは安いかどうかじゃなくて「よし、高くないから今日の昼のメニューにしよう」ってもんだよね。普通の感覚に絶対の自信を持つ隈、この自信はこんなときにも使える。モヤシは高くなきゃいいんだ。
 じゃあモヤシが30円じゃなくて100円だったら?
 ホウレンソウを買いにきた非課税者は、「ホウレンソウ298円だあ? キャベツ半分で150円? 何だよ、何も買える野菜ねえじゃねえか、アベは貧乏人は壊血病で死ねというのか」という話になるだけで、スーパーの問題じゃない。何もスーパーの役には立っていない。今はモヤシ代に満足してアベの無策をカバーしているだけだ。NHKはモヤシに責任をおっかぶせて庶民の食糧施策の不満を解消させたいわけだ。政治用語で「ガス抜き」っちゅうんだよね。
 
 さて、長々とこんなことをいうのに十何行も使っってしまった。
 このNHK談義の話が、自称アカデミズムでも実に多く起こる。
 「今ニコニコ笑ってるから今日も明日もみんな幸せだ」
 「安い商品の代表はモヤシだ」「スーパーは安いことが顧客獲得の要(かなめ)」したがって「スーパーの看板はモヤシだ」
 バカいってんじゃねえよ、ゴドリエ。
 というわけで、ものごとはある表象の意味を設定してしまうと、「その表象の意味はこうだ」ということが自立してしまう。なんでもいいけど、今浮かんだ、たとえば小学校の運動会ね。運動会の意義はこうだ、と学習指導要領に書いてあるわな。とりあえずそりゃそれでいいわ、アベが勝手に決めりゃあいい。じゃあ子供にとっての意味はほんとにそうか?? いや違う。運動会の意味は、それを好きな子供、嫌いな子供、好きも嫌いもない子供にとって、さまざまなものだ。表象として社会がしゃべっている意義と、行為論上の意味とは違うのだ。
 というバカバカしい論議を、大枚数百円をかけた別自治体図書館への交通費の末に見てしまいました。「贈与の謎」、モーリス・ゴドリエ。わたしも本気で植民地論を検討してますでしょう? 南太平洋は植民地とは限らない? おんなじ。
 「ここんとこ豊作続きで誰も死んでない。首長のおれんとこに溜まった作物はもう腐っちまうよ。この辺でどんと景気よく燃やしてみんなを驚かせたろか。腐ったら貢物が減らされちまうからな」。なにが「聖なるもの」だ。
 まあフランス人がバカなのは毎度のことですが、山崎カヲルがそれに追随してるのには呆れました。山崎といえば40年前はちょっとは知られた人間実感派。ほんと、アカデミズムというのは人間を腐らせていくもんなんだろうねえ、、、
 なお、これは題にしません。深入りして説明しなきゃいけないのは人生の無駄。ゴドリエとか、ほんとバカバカしくて話題にもできない。
 
 まあそれはそれとして今日は大人しいなあ。
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短歌とはいえ文学もある

2017-12-02 16:05:27 | その他
 こんにちは。師走ですね。12月、暮です。どういっても一緒。なんとか1年が終わりそうで、ほっとしませんか?
 昨晩は、勤めてたときの人たちと8ヶ月ぶりに会って忘年会。8ヶ月の合間なんてなんてこともありませんが、人の人生はそれなりに色々あるんですよね、当たり前ですが。飲み会は好きじゃないけど、人とは1年に1回は会いたいね。飲まない会があるとすれば、そりゃ息が詰まっていやですけど。(なに、要するに飲み会が好きなんだろう、って、そこが酒好き的に微妙なところで)
 
 さて、最近はニュースが作れなくてテレビも困ってるようですね。意味不明の相撲話ばかり。相撲っていつからそんなにメジャーになったんだ? まあ相撲の悪口じゃなくて、朝も夜もその類いのマイナーな題材ばかり。あちら(テレビ)は生活がかかっているので大変です。
 
 きょうはなんとか他人の悪口は避けようと、いうことで、努力。
 先週の朝日新聞、雲嶋聆という短歌作者に、短歌は「純粋読者のいない斜陽文芸」だ、といわれて怒って投評した大辻隆弘という短歌作者の話。
 少し説明すると雲嶋という人がいうには、今の短歌は短歌作者がお互いに見てるだけでほんとの読者はいない、って、その通りの話。
 そしたら大辻という人は、”歌集を見るだけの純粋読者はいらない。歌は実作者同士で楽しむものだ”とのこと、すごい、ケツまくっちまって。作者がそんな根性だから短歌なんか第二芸術なのにね。
 こういうのはいきつくところ技術論。文学は技術などでどうにもならんということが同好員会には分からない。まあ、いいんだけどね。俳句だってそうだし。というか、俳句はそこに意義がある詩形だけれども、短歌も俳句になりたいようだ。でも名前は変えて欲しいね。短歌はやめて老人歌とか道楽歌とか。図書分類も「文学」の911はやめて、790(諸芸. 娯楽)に分類を作ってもらうのがよい。もっとも文学でもない現代短歌は図書館にはおいてないけどね。だって、誰も読まないんだもんね。
 というわけで、もろ悪口。しょうがないね、ほんとのことを言ってるだけだし。
 わたしは、短歌の味方なのですよ。文学たる短歌のね。
 私だって文学なら読むことは読むのさ。図書館にある(短歌コーナーの)河野裕子や永田和宏や寺山修司や、ちょっと落ちるけど道浦母都子とか。文学だからね。文学は技術ではないんだ。
 たとえば「サラダ記念日」。そんなもんより技術が確かなものになった今の俵万智のほうが、大辻先生にはよっぽど満足だ、という理屈だよね。
 普通の人はそんな馬鹿な話があるか、と思う。そういう普通の感性がないところに住むのが同好員というわけだ。左翼に対する過激派セクトみたいなものだ。戦争を内乱へ。いくら冗談だとは言え、ふつうはそんな人間たちとは付き合いたくないわな。え? 冗談じゃない?
 ともかくも、どんなに稚拙だろうが、時代の感性を捉えた「サラダ記念日」は、柔軟な感性の持ち主には、普遍的に立派な日本文学なのだ。その時代にその感性とともに登場した俵万智の勝利とはいえる、が、それ自体は才能ではないのだからいつまでも続くわけではない、ともいえる。若き道浦にしても同様。しょうがないね。
 ただ、両名の名は残らないかもしれないが、「サラダ記念日」(俵)と「無援の抒情」(道浦)は、文学史上に残る。それは短歌作者の好みの問題ではないのだ。
 
 まあ、まずは、技術論とかいってる人と文学とは、住む世界が違う。お互いやり過ごすしかなかろうに。
 わたしはわたしの琴線にふれる歌を、のみ、認めます。
 
 なお、論者の見本をあげておきましょうか。
 
   雲嶋
   
     あきかぜに秋桜ゆれて思ひ出は真夏の雨のにほひを醸しぬ
     一面にひろごる緑のまぶしくてふつと目をとづ 八月の景

   大辻
   
     畦道を歩める猫の横腹が伸び縮みして夕陽に当たる
     父のなき息子となりて花桃のひえびえと咲く白に逢ひたり
       (読みカッコ付きの歌が多すぎて選びづらい)


 で、おまえは努力してないって? いやいや。ぼろくそにいうしかない人のことを載せるのをやめた、ってことで(それが努力)。少しマシな大江という人と、村岡某という人(左翼系と、マルキスト)。まあなんでもアンチモデル、日本語でなんていったっけ、反なんとか。、、、やっと思い出した、反面教師。

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