リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

どうでもいいなりに小さく更新の2

2017-05-31 20:36:31 | 断片
 本題、「公称『民族』問題の一事例」
 まあ昨日のトップページ変更ですね。われながら下品なのは嫌い。ってゆうか、原稿作業がまた読みやすさ努力に戻って、その逃避。ほんと虚しくて嫌い。
 
 で、世の中、民族問題といって「民族が違うから」などと云々されますけど、もちろん社会学者にとってはただの言い訳。そんなわきゃあない。私以外でも実証家の95%は支持してくれるでしょう。
 というのを前提に、今日聞いた話。
 
 中国の95%人口は漢民族なのですが、住み家といえば彼らは土地の5割しか占めていない。って平地が5割ってことでもありますが。あとは山。山地にいろいろな少数民族が住む。
 中国は元々が広いので、山といっても透き間透き間に松本盆地ぐらいは普通。
 で、そこで母系家族の民族というのは多いのですよ。山民族はアナーキスティックな道教が多いのです。一方、漢民族は儒教、父系家族ですね。
 
 さて、そこに父系家族の漢族が押し寄せて幅を利かせるとどうなります?
 漢族の、男が偉い道徳が支配的な道徳となりますわな。マルクスの言ったとおりです。
 といっても支配道徳を偉そうに伝えるのは支配的生産共同体のボスだけ。地元の慣習はとりあえず変わりゃあしませんがな。
 さてそこで。母系社会というのは簡単に言うと1婦多夫制です。いえ私が言うんじゃなくて、この間読んだ本に書いてあったのですが、私も日々巨大な情報と闘っているんで見つからない。ま、そういうことです。
 で、その社会の、いわば自由を知っている女が、いわば重婚的男と恋愛関係になるとどうなるでしょうか?
 若い方でも分かりますね。心中です。
 
 いえ、中国共産党関係者の親切な方に教えてもらって行った麗江の歴史博物館で、わざわざ1区画を設けて「情死の際の部族での宗教的祀りの仕方」の展示があったんで、なんじゃこりゃ、と思ったわけですが、今日その訳を聞きました。そういうことだったんですね。
 その自治体的展示も、「漢人」への抵抗だったのかもしれません。なんて書くと来年はつぶされてたりしますから一般論ではお気をつけを。だから共謀罪なんか論外。ま、ここは、ごくごくマイナーなブログで。
 
 が、しかし、それって、民族問題ではなくって、戦いの記憶ですよね。人間40年や50年で記憶は薄れはしません。正確に言うと、3年で生活に支障のないくらい薄れますが、そのまま死ぬまで忘れやしません。若い方が民族やら宗教やらと聞いたときは、その前に、支配者・被支配者の構図があるんじゃないかと考え直しましょう。必ずあります。それも若人には考えられないほど長い間の昔、だけどそのままの状態で。
 
 上品でしょ? 昨日とおんなじだけ飲んでてもねえ。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうでもいいなりに小さく更新

2017-05-30 19:48:15 | 断片
 更なる更新は世間知らずの反省。
 なんでも女性宮家って、女性を天皇にする、まあそれなりに理屈はある話だと思ってたけどそうじゃないんだって?
 女性をパンダみたいに男の天皇産みの制度にするために「宮」にしとくんだって。
 へええ、呆きれた。
 女は怒れよ。
 で、マコだかなんだかという人はそんな状況から一刻も早く逃げ出さんとあんな男でもと婚約するんだって、って、人の気持ちは誰にも分からないが。
 いやあ、悲惨。何が悲惨て、いわないどくけど、ともかく女は怒れよ。バカにしやがって。

 あ、これ断片。酔っ払い談義ね。
 酔っ払いでもポイントを逃さずに指摘できるくらい生きてきた自分がうれしい。

   あ、で、これをわざわざ言い出したのが民進党の野田(男)だと。こいつは人生なにか一つでもまともなことをしたことがあるのか。閻魔様に聞いてやるぞ。こうした自称リベラルをクズの自民党員と違って扱いたくなるのは心理学的普遍としか思えない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(続き)社会科学上の4つの視点の連関

2017-05-30 09:11:15 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。アベも徹底的にエラそうですねえ、あれもこれもトボケまわって。あんまり人民をバカにすると自慢のウヨ共も見放してしまうぞ。権力者が自分なんかとはぜんぜん関係ないことが自覚され虚しくなるからね。といって北朝鮮があるから韓国ともしばらくケンカもできず中国ともはりあえず、ウヨ共のフラストレーションはつのるばかり。あとのストレス解消は沖縄か。ウヨは非国民だから沖縄よりアメリカのほうが大事だからね。それに民主党。女だしね。要するに弱いものいじめをしたい以外の回路なんて持ち合わせてないってことだね。

 さて、下品な口上に乗ってまた更新ですが、前回の続き。あまり間を空けるのもなにかと。普通のお客様にはつまんない話でしょうが、なんといいましてもここは社会学系のブログでして。本日は他の話題はございません。
 
 前回言いました個人の視点というのはただの対比コトバなだけで、実は個人の感想の意見化、なり個人の行為ポリシー上の位置づけ。自我の形成時に方針のある行為を要請されて育った個人行為者は、行為の際に、自分の記憶の中の賞賛と優越の体系に自己の行為を位置づけるわけです。
 ここで個人行為者とは、貧困等でかまわれる時間もなく親から何も抽象的な行為の指針を受けたことのない人間を除く人たち、日本人の90数パーセントの人たちを言います。
 
 他方、外部視点というのはやはり比喩的表現で、個人が行う、他者の行為の評価で、これにより個人行為者は、目の前に繰り広げられた人間の行為に対して、追随する、同調する、無視する、その他の選択をとれるというわけです。なので、どちらも本質的には同じであり、個人行為者の、体系的検討のない、「思考整理」に過ぎません。
 
 では、にもかかわらず、なぜ人間は弁証法的概念的把握が可能なのか。
 それは、単なる「反省」です。自分はこんなことをしたが、本当にこれでよかったのか。意図せざる結果が起きているではないか。全く同様に、彼はこんなことをしてこうなるはずだったが、実はそうならなかったではないか、なぜだ、なぜだ、なぜこうなったのか、
 ここで繰り広げられる「分析」の深さと、それによる現実の再構成の正しさにより、概念的把握が成立するわけです。分析を間違えりゃ別ですが。
 
 さて、それでおしまいではない。弁証法とはただの観照にしかすぎない、モノの現在の把握に過ぎない、百歩譲って「自分」という主体を除いた世界での将来観照に過ぎない。人間にとって知識の本質とは、それが因果連関の立言的知識として、行為の環境を変える次の自分の行為に役立つ事実認知として、人間行為者に内在されることなのだ、というのは、隈を聞いてくださっている皆様には、「何度も聞いて知ってるよ」といわれるかもしれません。
 ありがたいことですが、実はこの第4の視点の段階は単に書き並べただけなのです。先の3つの視点と比較する場合には、事情はもう少し複雑です。
 
 つまり、人の行為の要素は現実のモノでできており、前の3つの視点で述べた人の「感想の意見化」などではできていない、ということです。
 まあ、モノといっても物体ではなく、人が行為の対象とした行為者の認識的事実のことではありますが、この認識的事実たるや、それに触ることによって他人たちの感想の意見化が即座に変わるというスグレモノ、あるいは観念を超えた優越物なわけです。
 「俺はもう寿司なんか嫌いだ、食べ飽きて見るだけでげっぷが出る」という人間に、寿司桶をみせて、「そっか、用意しといたんだけど要らないなら隣のうちで食べてもらおう」といえば、大方の人は「いや悪いから俺食べるよ」ということになるでしょう。
 そうコロコロ行為を変えられては因果連関の立言などできません。
 因果連関の立言は、感想の意見化の体系を離れて作らざるを得ない。
 そうやってできているのが、拙著「行為の集成」であり「歴史としての支配」なのであります。
 
 とはいえ、人と人との世界が人間が抱く感想の意見化でできているように見える、というのも事実であります。
 そこで、それらの感想の意見化と現実の認識的事実との間の関係を確定させるという作業が必要なわけです。それが次回配本であります。
 この作業は第3番目の視点に、つまり世界の観照のレベルに位置するわけですが、感想の意見化と認識的事実との関係の因果法則を内に含むものにならざるを得ません。すなわち、単なる弁証法的観照を越えるわけなのであります。
 
 さて、「次回配本は上部過程論、上部構造の理論と聞く。上部構造とは個人の感想の意見化だ、というのか」と尋ねてもらうと有難い。まあ、こういうのをマッチポンプといいますが。よく自民党議員が国会でやっておりますね。
 さようでございます。
 もっともここでいう「個人」は、抽象的な人間一般ではなく、階級を構成して具体的生活を行っている人間ですが。
 よく世に言う上部構造、社会的意識の諸形態は言うに及ばず(手近に検索に出た前原芳文さんというサイトからコピー)「法的、政治的、宗教的、慣習的、あるいは哲学的な諸形態、つまりはイデオロギィ-的諸形態」も、さらには普通言及されませんが、議会、選挙、政党、法律、社会階層、民族、等々と呼ばれる諸事象の内容は、すべてもともと個人の感想の意見化であります。ただし、権力がそう決めたので、これを否定することは権力と対峙することになる、という特徴を付与された感想の意見化です。
 それは既に感想の意見化ではないではないか、とおっしゃる?
 だって、そんな諸事象はただの仮象。存在していないのだからしょうがない。その本質は認識的事実ではない。権力が介入する、という点に限って認識的事実なのです。
 というわけで、上部過程論というのは感想の意見化と権力とをめぐる権力者と対抗権力者と一般人民の行為過程論なのですよ。 
 
 だからなんじゃい、といわれると困るのですが、物事はあれとこれの違いが表面化して初めてその真価なり真意がわかるということになっております。
 
 まあ役には立ちませんがそういうことです。

 ところで、いまヒマなので自分のブログの左端のネット広告を見たら「髪は頭皮のこと 発毛のプロが回答!」なんちゅうのが載っております。これは私の日常の検索結果とはなんら関係ありませんので誤解なきよう。男が髪のことを云々するなどもってのほかだ。ま、あるほうがずっといいけど。顔が細いと一層あるとよいのだよね、って、男らしくない。
 (よく考えたら、広告はパソコンで違うのか。皆様のに載ってなかったら私のせい?)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会科学上の4つの視点

2017-05-27 21:10:54 | 社会学の基礎概念
 こんばんは、たびたびお目にかかります。ここのところ、毎年のことですがスジグロシロチョウが向かいの森陰で群舞してます。その数、優に30匹を越え。数えてはないですが、60ミリレンズほどの画角で10匹はいますので、まあその3倍越えかと。
 どんぐりの木が何本かありますので、樹液でも吸ってるのかと思うのですが、ネット情報だと「樹液を吸うことはない」とか。おめえはシロチョウと話せるのか、とも思いますが、要は、カッコつけでしょう。知らんけど。
 
 さて、本日もたいしたニュースもなく。
 例によってあっちこっちをサーフィンするのですが、赤旗に勝俣誠氏の憲法擁護の言が載ってました。ほら、ちゃんと検索してるんだから。
 勝俣氏というのは、20年前のアフリカの紹介本の中では画期的な良本の著者、のはず。ちょっと懐かしかったですね。おすすめです、が、世の中ほんとに古い本しかまともな本はありません。
 
 都では、『「都民ファーストの会」は25日、「子どもを受動喫煙から守る条例」制定を公約にすると発表した。子どもがいる自宅や自家用車内での喫煙制限を検討する』んだそうで、なさけないやらくやしいやら。権力大好き女と幼稚園児たちのコラボ。見るに耐えませんね。てめえらで勝手にしてろよ、俺らを巻き込むな、って感じですが、私は川崎市民なので巻き込まれませんが、ほんと神奈川の黒岩って知らないけど、なんだかいう女よりよっぽどマシだと知りました。女の名前知らない(=忘れて思い出したくない)。
 
 よい知識では、新聞によると大坪稔明という人の発明で「がんのことをぽんと呼ぶ」とよいそうです。 なんだよ、ばかばかしいと思ったのですが、なかなかどうして。「俺はぽんだから」っていいと思いませんか? わたしゃいいと思うなあ。「今日はどうもぽんが痛いなあ」とか。ぜんぜん自分で考えやすい、言い易いと思うのですが。「ぜんぜん」は強調です。
 
 さて、本日の異和感、ちゅうよりケチ。
 新聞を見てたら、共謀罪だかの「識者」のコメントで「最近の若者は反権力の人間に反対することに価値をおいている」とか、云々。ま、趣旨ですが。
 もう新聞は捨てちゃったので確認できませんが、発言者は昔左翼のリベラルだったはず。ったくどうしようもねえなあ、という感じ。
 たかだかリベラルのくせに自分は反権力なんだってさあ。
 我々の時代ではそういうのは(反には足りない)「厭権力」というのだよ。おめえがなにをやってるっていうのさあ。おめえの活動は、「若者」なるものには認められるところまでいっていない、ってどうして思わないのかねえ。誰か知らないけど。
 
 で、本題です。
 こういうのは両方とも、「個人に属する対応」というものです。
 年寄りは自分じゃ反権力のつもり。「だって、俺は現にアベに反対してるんだ。」
 一方、若者はそういうやつが自分の自由を束縛している体制の一員だと知っているので、それに刃向かう自分はいわば反体制のつもり。「だって、俺の今日が、明日が、それを証明しているぜ。」
 世の中というのはそういうものです。
 が、そういうものです、では学問はいらない。
 これにおしゃべり学者がちゃちゃをいれますな。いわく、「きみきみ、もっと自分の行為がどういう機能を果たすか知りなさい。キミの行為は権力に加担する機能を果たすんですよ。」
 まったくうるせえ。「権力加担で上等じゃねえか。だいたいそんなもん誰が決めるんだよ。おめえは神様か。」
 ほんとうるせえ。
 
 ここまでは科学ではありません。「常識」という名の隠居の三百代言。どこにも主体性などありません。
 本来の社会学は、この両者について、根っこから状況を説明します。
 反権力のつもりの評論家が反権力だと思う理由、若者がその体制内評論家を嫌う理由、その底にある体制の矛盾とその矛盾を生きなければならない各種人民の、疎外と、本来バカでなければ感ずるはずのやるせなさ。
 
 そして社会科学であれば、そこにとどまることもありはしません。
 じゃあ、そこからどうすれば矛盾が解消されてゆくか。自称反権力や他称反体制が、おのおのの人民の立場の中でどうやって自称他称の制約を解消し、矛盾が止揚されてゆくか。
 それを語るのが社会科学です。
 
 と、今言ったのは4つの枠組みです。
 1 個人の視点の2者
 2 外部の視点の自称学者
 3 それを統括する弁証法の視点。
 4 そこから一歩を踏み出す科学の視点です。
     注ですが、弁証法は科学ではない。ご注意のほどを。

 ここんとこ思うに、長々書けば分かるってもんじゃないだろうので。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忖度と相互コミュニケーション

2017-05-25 09:57:41 | その他
 こんにちは。久しぶりのトップページ変更。いつもはさんざん罵詈雑言を書きちらした後ですることですが、この頃怒らなくなりましたねえ。もちろん、本日は昨日の(番外)記事隠しです。ここは旅行ブログではありません。
 
 といって大した話もないのですが、とりあえず役に立つブログ。鉄系中華鍋ご使用者用。
 これは永久モノと思ったステンレス18-8のフライ返しが、あれあれ、折れてしまいました。
 柄がまっすぐで、返し部分の途中から曲がってるタイプなので、その曲がり近辺の金属疲労。ステンレスで硬いだけに、千切れた、って感じ。20年くらいでした。前のは普通ステンレスで、早々にプラスチックの持ち手部分が外れてとても使いづらくなったので、一体型ステンレス18-8にしたんですが。
 というわけでステンレス18-8は永久ではありません。平たいフライパンならまだしも中華鍋は曲がっているので返し部分に余計負荷がかかると見ましたが。
 隠居なのでハンズに行くついでもなく、代わりは近くの金物屋で普通ステンレスのを買いましたが、どう違うかというと、18-8よりスベスベ度が落ちる(ピカピカしてるのに変か? とにかく汚れが落ちづらい。スベスベしすぎ?)。中国じゃなくて公称三条ものなんですけどね。このまえの関モノといい、日本の軽鉄技術はいまいちだなあ。
 以上ご参考まで。どこが? って、まあ買う際の気持ちね。しょうがないと思って買えば腹も立たない。
 (P.S.その後、これは失敗。柄がポリプロピレンなのですが、フライパンのふちに掛けたら溶けちゃった。深い溝。昔のはベークライトだったけど、この事態は想定外。ステンレス一体型使用の人は、買換え時、お気をつけください。)
 
 そういえば、以前より怒らなくなったせいの朝日コラム、天声人語。何年か前人が替わってずっとよくなったのですが、本日は「サギと間違って撃たれたコウノトリ」気の毒論が出てました。これこれ、それ違うでしょ。「残念」でしょ。じゃあ撃たれたはずのサギは気の毒じゃないのかね。「さんざん手間かけたコウノトリだったので残念」というのが正しい。正しいけれどなんだか人間の思い上がりを感じて美しくない。しかして「気の毒」というわけだろうけど、言葉を変えても意味は変わっていない。感想は書かないのが良い。
 このぐらいじゃあ怒らないけどね。ほんと昔のコラムはひどかった。フランス臭いやつでね。
 
 さて、本日は若人に知識。
 今日もアベの獣医学部増設問題が出てましたが、世間ではこういうのを「忖度」と呼んでおります。BUZZ FEEDで飯間浩明氏によると、『「上役などの心を推し量る」という用法で「忖度」がつかわれている』そうで、若人は、「そうか部下が推し量るのか」と思われるでしょう。
 違います。
 そういうのを社会学的現象論といいます。
 というと、中年でも「どこが違うんだ、その通りじゃないか、ばか」と言うでしょうが、現象論は現実を見ているようで、実は見ていない。現実はその間に「確認」行為が入るのです。
 部下はとりあえず後でなんか言われたくないから、上役本人に確認するのです。
 そこで上役本人は、「ああ」とか「うう」とか「そうねえ」とか言う。あるいは一瞥をくれる。恥ずかしい話なら「いやいや」とか呟く。そしてそのまま去ってゆく。
 これで確認されるわけです。
 おわかり?
 忖度とは官僚にとっては個人的な(観念)行為ではなく明確なコミュニケーションなのです。それで意味が不明だなんてやつは中央にはいません。アホがまれに間違えますでしょうが、別の上役からどやされれば気づきますし。
 「俺がそう指示したという証拠を見せろ」って「『いやいや』と呟いて去ったじゃないか」なんて現象論上反論(反対っていうか)になります(ていうかならないというか)が、本人たちにはよくわかっていることなのです。
 ま、場合によって、上役の秘書的準上役が「当たり前だろ、バカ」と具体的に言うかもしれませんが、明確なコミュニケーションが存在することには変わりません。
 と、こういうことを学問にするのが社会学的現象「学」。
 「当たり前」というレベルでは現象論と変わりませんが、より賢いアプローチではあります。
 でも大人の当事者には当たり前で、「ほんとにそれで大学の給料貰えるの」って感じですけどねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(番外)中国語ができない人の麗江旅行

2017-05-24 18:20:28 | その他
 今回は、せっかくのお越しで恐縮ですが、普段のお客様はパスです。これは番外。フリー旅行の際の諸注意の記載で、単なる老爺心です。

 さて、世界遺産、麗江には行きたいがお仕着せツアーはうっとおしい、といって中国語はできない、という方へ。
 
 悪いことはいわないから、おやめなさい。
 といわれても行きたいんだという方は、下記にご注意。なにしろ世の(麗江の)ネット情報はどう見ても中国語話者か、少なくとも中国語を知ってる人のもの。ああうまくはいきません。
 
 1 外貨両替
   これは基本、ホテルではできません(官房ホテルはどうか?)。両替商もみつかりません。麗江空港でもだめ、とこれは他の人の情報。行きの日本の空港か、乗り継ぎの大空港で(ここの英語もよくわからないので注意)していなければ翌日まで一文無しですのでお気をつけください。
   両替できるのは中国銀行だけと思うのが正しそうです。
   中国銀行は七星街西入口にありますが、すぐに両替できると思わないように。朝一は自動小銃を持った衛視数人がカネを運び込みます。これが終わるまでそもそも入れません。8時55分に行きましたが、前の客なしで終了は9時20分。窓口は3つ。ここは英語が通じます(通じたのはここと施設を間違えて入って注意された共産党関係者だけです)。フロア係員に言って申込用紙に記入して出せば、あとはなんとかなります。パスポートは必要。
   もっともレートは飛行場より1割ほどよいです、って為替率どおり。
   その他に福慧街で銀行出張所を見掛けはしました。地図上は、他に玉縁路を玉河を通り越して左。古城内にもあると、他の人の情報はありますが、長水路と民主路の交差点にあるのは両替機能は怪しいです。

 2 宿泊
   旅館は麗江観光ホテルに泊まりました。4つ星とか、3.5星とかいわれて(馬鹿にされて)いますが、(官房ホテル以外は)どこもレベルは同じ感じです(食事探しに他にも入った)。ここはいかにも観光旅館風で、アットホームで好きです。バスタブのある部屋もあります、が要求しないとだめでしょう。が、ここでさえ英語はカタコトでしか通じません(しかも一人だけ)。というよりすぐに「カタコトでも通じてよかった」、と思えるでしょう。
   ここは新市街ですが、中国語がわからない人は新市街でいい気がします。古城とは名ばかりで、浅草雷門の裏にいるようなものです。

 3 天気
   ネットで天気予報を調べると、サイトによってめちゃくちゃな気がするでしょう。
   しかし、ところは高山ですのでやむをえないという気もします。変わりやすいのです。気象協会よりは中国のサイトのほうが当たってはいました。が、基本、行いを正しくしてお天道様にまかせるのがよいと思われます。5月までは雨はなんとかなりそうです。
   
 4 食事
   英語は完璧に通じません。「オーケー」くらい。官房ホテルでもだめです(入ってみた)。ホテルでさえ写真メニューで指差すしかないです。
   なので、中国語のできない人は、ホテルで食べるほか、
   1) 欧米人用の「カフェ」でピザかサンドイッチを食べる。古城の東大街のさらに東側あたりにいくつかあります。ちなみに、欧米人用ですので、ボリュームはあります。とても高いですが。
   2) マックかケンタッキーかスタバで食べる(福慧街や七星街にあり)。ただし。ケンタッキーは指示が難しいので注意。1キロ買わされたりします。またスタバは店員がなにかをいうので、それがわからないことに注意。向こうがあきらめるまで、注文のみ繰り返す、とか。
   3) 町の通りのラーメン屋に入る。日本と同じに写真と金額が書いてある看板が歩道に出てますので、ここで麺を頼めばだいじょうぶでしょう。店は福慧街とかを歩いてれば目に入ります。ただし、コメとセットとかのものだと店員がなんか言ってきますから(「ライスつけますか?」や「タレはどうします?」とか)薦められません。
   (なお、スーパーは香格里拉大路の南の方、西側で車の窓からみかけましたが未確認。コンビニは少数ながらありますが、小さいのであまり期待できません(よろずや風)。水は安いです。2本買って10元札を出しておつりで値段を確かめるといいかと。福慧路の香格里拉路近く北側等)
   
   もしそれでも地元のもの、とか、ナシ族のとかのを食べたいという場合、まず、鍋が基本ですので、鍋屋に入って、「黒ヤギかスペアリブか三文魚(サケ)か」「塩鍋か火鍋か、その他の汁か」「白菜かきのこかマツタケか」「豆腐か麺か」などの選択(別に一緒に入れてもいい。ぐつぐつ煮えているのでそれに入れる。(茹で済みのスペアリブにしたら投入後15分待てといわれた(同行者の理解)が、骨からだしをとるためか?)をして、一つの鍋を形成すれば、一通り食べられます。
   どうも昔の囲炉裏文化が伝統となっているようです。日本と一緒で今は囲炉裏なんか飾りなので、家庭も野菜の中皿料理となったようですが。
   あるいは、魚の醤油煮とか牛肉の醤油煮がある店であれば、それを選んで、コメを別途注文すれば、コメの上に汁をかけるパターンで食べられます。いずれも英語はカタコトも無理です。単語を並べてください。「あれと同じもの」「これ」「コメ」、さらに「勘定」くらいで、あとは困った顔をすれば時が助けてくれるでしょう。
   (なので、鍋にしろ鉄網焼き等にしろ、写真メニューは期待できないのです。こさえるものだから。写真メニューのありそうないわゆる中華料理レストランは確認できませんでした。)

 5 蚊
   5月でもいます。しかもでかい。容積はアカイエカの5倍はある。その代わり愚鈍。さらに小さいのもいる。朝夕、でかいからジャマくさいです。夜は襲ってきます。ホテルには電気蚊取り(マット式)がありましたが、バスルームで夜を過ごすようです。   
   
 6 古城
   古城といってもただのテーマパーク、ショッピングモールです。朝から混みっぱなし。よほど中に入り込んでもそうは変わりません。 
   それでもずっと歩いていると四合院のように内庭が垣間見られますので、なんとなく中国っぽい気はします。要は、城下町です。城下町の国立再生公園。それだけ。
   それだけとはいえ広いし、上から見れば甍の波だし。悪くはありません。
  
 7 白砂
   ここはお薦め。もいちど行きたい。壁画とかじゃなくて、裏の四方街のほう。生活感があふれていたのは近辺でここだけ。いかにも昔の中国の都市。カフェも1、2軒あります。
   大宝積宮を通ればいけますが、宮の横の道がいまいち不明。
   
 8 束河古鎮
   テーマパークそのもの。くだらないが、華やかで楽しい(やはり広いです)。古城以上に各店に「歌うたい」がいて民族的ポップス?を奏でている。68、9年の日本に戻ったよう。なかなかいい歌が多く、レコードがとても欲しい。もちろん、カフェあり。
   
 9 白龍雪山
   ここは英語ができてもムリだから。なにか方策をとらないと。
   ロープウェイで上る場合は、要は、コートを借りて、酸素を買って、酸素の使い方を知って、観光税を2種類払って、シャトルバス券を買って、ロープウェイ券を買えれば、あとは言葉は要らずに流れに乗っていけます。時々係員がなんか言っていますが、顔を見て困った顔をすればだいじょうぶでしょう。(コートは必要。5月ともなれば、晴れてれば「暑い」、が2日前には雪が降って上は新雪が積もってました)。その後、帰りのバスに乗って(バス乗り場に並ぶとき、行き先注意。2系統あり)、コートを返して、帰りのタクシーを捕まえればいいのですが、さて、これをどう言葉を使わずに達成するか、ということになります。
   酸素は必要ですよ。大きいビンがなくなります。自分に自信があったら同行者用に持ってください。最後は捨てる専用ゴミ箱にいれます(ロープウェイ下駅の出口にあった)。
   私はたまたまフリーツアーの現地係員が商売熱心で連れてってもらったので達成できました。和紹春さんという人。気が利いて頭も良くていい人。お薦めなんですけど所属が不明。宝山石頭城出身だそうです。共同体の人情そのまま、という感じの人。


 以上。気をつけていってらっしゃいませ。観光をする気でなければ、基本的に人は楽しそうだし、イヌも楽しそうで、いいところです。猫は少ないですが。
 なお、このブログは旅行ブログではありません。他のページにはお入りにならないように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

取るべき方針の事例的叙述

2017-05-22 20:28:15 | 歴史への視角
 こんにちは。遅くなりまして。突然の夏もよう、、本日はようやく野菜が安くなってきておりました。
 
 さて、と溜まった新聞に目を通すと、相変わらず変化なし。毎日結論の出ないアベの交友問題と共謀罪とトランプいじめばかり。共謀罪は少し進展しましたね、と相変わらず白けた書きようですが。
 ま、通れば、反政府行動者には全てチェックが入るわけで、私のようにおしゃべりなだけなら、とりあえず警察も人手不足の折から、ざっとサーベイされるだけでしょうが、それでも原稿が遅れると書店も同調しだすので、別に好んでいるわけではありませんが。
 とはいえ、前にもいったように、こういう権力対応は、仮に今回パスされてもいつかやって来るわけで、もちろん状況認知として知っていないといけませんね。
  (以下、「平穏な」今の時代から圧制の時代の手前までどう進むか)
 で、やって来るとどうなるか、といえば、もちろん反政府活動で名前の出た人間は全て調べられますね。官憲もご苦労さまです。最近は女性警官も多いので、こういう人たちがネット検索で、LGBTとか自然エネルギー推進活動とか受動喫煙運動とか有機農業推進とかのネットを見て、どんどん人的情報を貯めるわけですね。まあ、私もアナログなので「見て」なんていっちゃってますが、どうでしょうか、官憲なんて基本アナログだと思うのですが。
 で、濃そうな人間を男子私服が現場的に辺りをつけていって、背景網を明確にしておく。
 他方、具体的な悪そうな現場逮捕者について、貯蓄された情報の網から、その人の編み目を見つけて、その周囲の人々に対してどんどん恫喝していくわけですな。 「そんなことをしてるとAさんみたいになっちゃいますよ」「あなた若いからってやってると、就職できる会社なくなりますよ」
 そうして一人二人と歯が抜けていくと、あれよあれよと加速度的に運動が収縮する。取りまとめ人が一体何が起こっているのかも気づかないまま、残るのは純粋党派運動員ばかりとなって政府は悠々ご安泰、ってわけですな。(圧制の時代にどう入るかは、その手前の時代の実際次第)
 
 ご安泰じゃあ困りましょう。新聞もつまんなくなりますぜ。記事は政府広報と巷のメロドラマしかない、って政府の悪口のない新聞なんて誰もカネなんか払いませんわな。ストレス解消にもなりゃしない。(某S新聞のように弱いものいじめのストレス発散でもしますか)
 もっとも、新聞は困るでしょうが、トータルとしての人民は困りゃあしません。支配ある限り、それへの対応形態が変わるのみ。
 まず意識者としては、まだ人民が慣れないうちにどんどん弾圧の実態を広報すべきでしょうね。とりわけ欧米民主主義的価値観に沿ったものがよろしい。
 LGBTとか自然エネルギー推進活動とか受動喫煙運動とか有機農業推進とかは必ず狙われますから、そうしたものを主体に。
 とはいっても日本はセクト主義者ばかりなので、このとき仲間割れを起こすんですよね。(左翼のことはわざわざ言うに及ばず)「われわれはあいつらのごとき悪漢ではなく『一般市民』だ」 の類い。今でさえ口から泡飛ばしてるくらいだから、危険が身に迫ると、もっと必死になって区別化の所業にでるわけですな。
 冗談じゃねえよ、バ~カ。とは思えど、これは研究者の問題ではないから。

 さて、日本人民の持つ(普遍的な)行為論的将来のテーマはなんでしょう?
 自分は支配者ではないという認識(の奪還)です。
 自分は支配者でも支配者の友だちでもない。支配者の敵だ、という認識です。幸いにもそれを、「共謀罪」なる制度をもって、支配者の側から教えてくれるんだそうなのです。なんてバカなんだ、というか苦しまぎれなんでしょうか。
 つまり、被支配国家が武力的弾圧が顕在化せずに存立している(できている)(先進国の持つ)理由は、観念上では、被支配人民が自分は支配されていると認知せずに、支配者と同等だと誤解していることなのです。
 残念なのか幸せなことに、我々のような先進国被支配人民は、後進国人民のおかげをもって、支配者と同等だという誤解も、ある程度までは、それも誤解ではなく正しい。その正しさは過激派セクトの活動家を含めて適合するのです。そんなもん、爺さん相手に否定できるガキは一人としていない。
 しかし、本質は誤解だ、ということをこれから日本権力者はどんどん教えてくれます。ありがたいことだ。
 この人民の誤解を解く。それは先進国の持つ義務であり、なおかつ、全世界の人間の人間への支配の終了への一歩という光栄な義務です。ま、旗持ちの光栄ですが。
 上前一歩小、解放一大歩。
 まことに、権力がいかがあがこうと、人民の小さなこの一歩を止められるものではない。官憲的人民についても、その少数の権力者志向部分を除いて、同様に一歩を前に進めるのである。
 指導員は、この圧倒的な日本人民全員を一塊として前進させるよう、セクト主義に走らず、ちゃんと指導してくれ給え。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞記事

2017-05-13 12:36:56 | 断片
 こんにちは。まことによい気候で。当家のベランダ、冬は寒いし夏は蚊が来るし。ですが本日は掃除を避けて新聞を読むことができました。
 夜もいまどきは、晩春の北から吹く風の匂いが素晴らしい。夏みかんと二大好物の味わいです。(最近は甘夏で、夏には食べられない)
 
 ようやく原稿も最佳境というか峠を越えまして、あたまが不要になりつつあり、新聞記事にも頭が反応するようになってきました。といってくだらない反応ばかりですが。
 本日の朝日の土曜特集は、懐かしい帝都地下道の話でした。お読みの方も極少ないはずの、しかしシリーズで読むとなかなか面白い(はずの)隈の『パリの爆薬』で使わしてもらいました。もう10年前かしら。 東京の地下にもう一つの帝都東京がある、ってやつで(秋庭俊氏)。パリにもあんですよ、そこそこ有名ですが。
 ああゆうのは、国土交通省じゃなくて、「草」のような忍者がめんめんと伝えるもんなんだよね、知らんけど。歴代参謀総長、まあ統合幕僚長ね、とか内閣総理大臣とかは抽象的にしか知らなくて、実は総理府の1主査と統合幕僚監部の1人の事務職待遇だけが、本当の書類のありかを知っている、とかね。ロマンチック。まあ、公開すると国家が危険になる、というのはよくわかりますね。
 
 同じく土曜版には随筆家丸山健二がコラムで”巷の文学芸術”批判をしております、が、悲しくも誰にも意味がわからんだろうに。いかに体力自慢でももう後期高齢者なのね。いわゆる文学史に載る大文学者の文学を歴史に残らないとかって批判しているわけですが、けっきょく自分は随筆家だし。しかも古すぎる話題を今のことかのように持って回って書くから、今の人には”佐伯泰英批判か?”と思われるだけだろうと。ちょうど本紙に佐伯も出てるし。わたしゃ昔から知ってる論議だから分かるけど。わたしも見聞が広い。
 ところで、商品製造者佐伯って文学史に残るかな。文章めちゃくちゃだもんね。
 ウデ自慢の職人谷川は、初期詩篇だけ、詩の達人大岡は評論家として、残るけどね。
 けっきょくみんな、文学としてみた場合の己の実力のほどを知ってる、ってことだね。その点、偉いな。
 ほんとは丸山も知ってるんだろうね、俺の小説だけが本物の文学だ、とはそういう意味なんだろう。
 もっとも、丸山、久しぶりに句点間の長い文章に出会って感心しました、野坂昭如かと思われ。
 最近自分の文章がとみに短くなって、自分でこんなふうに書けるか心配。入れ子は簡単なんだけどね、修飾語で続かせるやつ。関係詞thatの修飾。入れ子じゃなくて単文を続かせていくという綴り方的な技術は、さすがと感心。それだけだけど。
 
 ちょっと前では、管じゃない菅に不快感が。皆様菅って知ってます? 菅義偉。菅のニュースを産経ネットが挙げてて、いわく
 「(サッカー応援で振るった)旭日旗については、『自衛隊旗や自衛艦旗だけでなく、大漁旗、出産、節句の祝い旗など日本国内で広く使用されている。法令上も使用実態も国旗とは異なる』と指摘し、使用が差別には当たらないとの認識を示した。」だと。タコが。差別のためでなくてなんで振るうか。
 もちろんこんなガキが何を言おうとどうでもいいんだけど、それよか私も、見る人見る人、親目線になってしまうので、「おめえはサラリーマンじゃなくて政治家のつもりだろ? ウソでも理念で張り合わんかい」っていいたくていいたくて。ついでに前に「ばかやろう」もつけますが。政治家から理念をとったらただの企業の番頭じゃねえか。この場合、ヤクザの鉄砲玉か。親の顔が見たいぞ。こいつ、ここんとここんな誤魔化し発言ばっかりしている。性根を叩きなおすべきだ、と思うのは、まあ実際親心。
 われわれサラリーマン的には秘書室長が社長をかばうのはとうぜんですよね、あるいは社に寄付してくれる組織であればヤクザだろうが暴力団だろうがかばうのは当然かもしれない。「しかし、おめえ政治家だろ」って、菅とかが自分の子ども等なら絶対そういいますよね。アベの秘書して何度も同じ言い訳を言い慣れて、骨の髄まで腐ってしまったんでしょうね。サラリーマン的に見てる人間の胸が痛いというか、その分許すわけにはいかないというか。だれか知り合いの人、諌めてやってください。
 (確認したら湯沢市出だってよ。ほんと、勘当もののガキだ)

 それに比べて良いニュースも。
 「オーストラリア連邦議会の議場で9日、議員による授乳が初めて実現した。
歴 史的授乳の主役になったのは、緑の党共同副党首ラリッサ・ウォーターズ上院議員(クインズランド州選出)の二女で、生後2カ月のアリア・ジョイちゃん。
 ウォーターズ議員は産休明けの9日、子連れで議会に復帰し、アリアちゃんがお腹を空かせると、その場で授乳した。」だそうで。
 すげえじゃん。政治家以上だねえ、実行が伴って。有言実行。オーストラリアなんて名目偽善で嫌いだけど、名目正義というのはいいこともあるわけで。鯨よりこっちのほうが大事だから許しちゃいたい気持ち。

 などなど、ためにならないブログ文。
 次回原稿は既報の容易化によりぐっと構成をシンプルにしたあおりで、巷の社会学への言及部分がどんどん削除されていきました。批判ばかりで意味ないし。
 これで仮に社会学のお友だちがいたらそうはならないところですが、なにしろみなさん思い出化で、さみしいね。ま、生きてらっしゃれば問題はないのでしょうが、それもみなさんとはいえず。
 
 じゃ、ためになる健康法、一言(二言?)ね。「毎食野菜を食べて、よく寝る。」 これがすべて。
 何を食べないとかこれを食べようとか、すべてウソ。まあウソではないが、ただの机上の論議の誇張。
 毎食野菜を食べようとしたら食えるものは狭まって、結果、合成物質も身体に入りにくくなるし。もちろん危ないものも多少くらい食ったっていいのさ。
 次いでよく寝ることが実践できたら、過労死も結果的にしないし、ストレスも遠くなるし。
 ただ、ウツ病ってやつはよくわからないけどね。
 運動は、ってそれ知らない。ま、私の場合、誰もが認める弱い体ながらこのため病気知らず。
 このブログも2週間更新なければ交通事故ですわ。
 
 といいながら、来週後半旅行で、更新はさ来週月曜とかになりまする。なにかとあって遊びに行くのも大変。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと懐かしく

2017-05-06 12:41:52 | 断片
 こんにちは。ゴールデンウィークはいかがお過ごし? 東京地方は、めったにないことに連日天気がよくてすごいくらいです。どなたか行いのよい立派な人がいるんでしょうね。
 わたしは裏山散歩くらいですが、この時期、青い空と新緑がありますので別に何の不満もありません。
 
 さてまずはケチから。朝は紅茶にしてるんですが、このところひいきのティーバッグ、神戸紅茶ロイヤルブレンド、50個入り袋が手に入らなかったので、やたら高い20個入り箱を買ったところ、えーー、状態。それが売りのダージリンの香りせず。
 神戸紅茶ティーバッグは葉っぱティーの味がする貴重なものだったので皆様におすすめしたいところですが、なんじゃこりゃ。こうゆう人を裏切る会社はきらいだ.ま、社長か営業担当重役かが変わったんでしょうけどね、嫌い。(英語表記ではダージリン香は消えましたが日本語ではちゃんと書いてある。)
 ダージリン臭がしすぎたところを控えた、ともいえますが、ならブレンド名変えろよ。
 裏切り者は嫌い。恥を知れ。大袈裟か。年取ると怒りっぽくなる、といいます。
 ちなみ私はダージリン香は嫌いです。つまり、そういう問題じゃないの。
 こくはあるので、知らない人が飲むのは止めません。まあ過去も当たり外れがなかったとはいいませんが。50袋は安いから葉っぱの管理もそこそこかね。

 さて、新聞は憲法が話題? 憲法さんもすごいですね、1年に一回、必ず日本人に話題になって。思えば、こんな記念日らしい祝日は他にありませんやね。終戦記念日もお盆も国家休日じゃないし。
 それで、今年はアベが3年後に9条だけは変えるって、宣言。そうくるよね、アタマがあれば、根性なくとも。枠組みと期限だけ決めれば、自分は何もしなくても後は金魚の糞や国家官僚がよってたかって実現してしまうのが日本の歴史。こんじょなしにはそのほうがよい。期限も3年はちょうどいいのですが、もう少し手前に暫定成立用の期限を切らないと官僚は働くとしても金魚の糞がついてこれない。他人任せなら国会に4回は出さないとね。4回目には、もう誰にも止められない。それともニュースが言わないだけでもっときっちりしてるのが切ってあんのかな。
 で、そこで、そんなアタマがあるということ自体が変。どうもどっかにキラ (KIRA)がいる。隠れて操るキラが。「キラはお前でどっかにLがいる」、といわれたほうが正しいかもしれないですが。
 しかし、こんなもん、私が教えてあげたとおり、3、4年前に盛り上げりゃすぐ通ったのに。初めは9条、自衛隊のみ。そういったでしょ。治安維持法と国防軍さえあれば、国家支配者にできないことなど、ゼロ。それもキラに教わって恐かったんでしょう。こんじょなしが。でもおかげさまで私の次回本までは発刊できるでしょう。3、4年前に変わってたら、どの書店も流通させてくれなかったからね。もっともそれならそれで書きようもあったのですが。
(p.s. その後、朝日新聞では3項を加えるだけ、というのに矛盾だと不満が出てます。いいのさ、「じゃあどういたしましょうか」 って論議の主題がそちらへ移れば。「皆さんの英知を結集して作った改正条文です」 ってさ。)
  
 元に戻って、憲法記念日、ことしは朝日神戸支局襲撃30年だそうで。毎日新聞にさえ書いてあった。
 で、記事を見てるとでてくる、「今でも犯人を追い続けている朝日新聞の元記者のH氏」というのが、私の同期の間先生の院のゼミ生。同じくドロップアウト組ですが。で、同じからずの年齢です、といっておこう。NHKに出てたのを見て、なんか老けたなあと思ったらずいぶん年上だったのね。
 もっとも私は人付き合いが悪いうえに、どっちかというと理論の佐藤慶幸さんのゼミ生の人たちと付き合ってたから、ご本人のことはほとんど知らない。同じゼミ生より、その4年前に早稲田の学部生だった人たちには、いわれれば知ってる人でしょう。1972、3年。文学部のH氏です。知ってる人は彼ならポリシーが一貫してると思うでしょ?
 失礼ながら私と一緒でそんなにアカデミックに優秀とは思われませんが、そこが間先生だったのでは、と思うことしきり。自分の主体的ポリシーを持つ人には助けになろうと思ってしまう先生なんでしょうね。そういわないと院試に落ちた人に悪いし。
 なお、ふと思えば佐藤さんさえ、ネット検索すると経歴その他(人柄、人生等)がでてこない。私らんときは佐藤さんは早稲田じゃ一番の人気で、理論拡散的実力も弟子の教授就職的成果も、官学に引けをとりませんでしたが。そう思えば、着実でもひそやかに社会科学的地歩を埋めていった間先生では、ネット情報で私ごときの物が上位にきてしまうのもしょうがないですかねえ。佐藤さんも間先生もウィキペディアにさえでてこない。おかしいぜ、とはいえ、わたしゃウィキに書き込むような身分じゃないし。やはり官学(オンリー)の伝統は強い(どんな人でもwikiに出る。いや出る人は出て当然とは思いますが(私の他の関係教授はみな出てるし、じっさい偉い))、私学の社会学では一番の早稲田でさえ、弟子が受けたメリットが少ない、ということなんでしょうね。

 さて、本日のためになるブログ、東京地方で連休遊べなかった人用。
 国立新美術館、ミューシャの展覧会、1600円。
 少女趣味と思ってはいけない。かわいいだけではないミューシャ、今回は「スラヴ叙事詩」という巨大な一品。
 さらに連休なくて代休取れる人用。 
 都美術館、ブリューゲル・バベルの塔展、1600円。
 ぜひ平日の空いた時間に絵のそばによって見てくださいませ。朝日新聞見てびっくりしました。 細密画だったとは。
 目の悪い人はオペラグラス持参ね。ダイソーで売ってます。評判悪いけど、見えないわけではないはず。私のは畳むと四角くなるやつ。像がグルグルとはするけど、どっか一点は見えます。
 なお、わたしは気持ちがいそがしいんでいきません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする