こんばんは、いいことないですね。
わたしゃ、家に屋根もありパンも買え、特に悪いこともないので幸せ、なんでしょうが。
今日なんか雨で、昼休み、ラーメンを食べて会社に戻り、日も差さないうえに電灯が節電された真っ暗なオフィスで同僚がパソコンの明かりに向かっているのをみると、ほんと、文明ってなんなのか、って思いますね。
なんのための電灯だよ。
電灯もつかないのに一人前にパソコンや携帯を動かして。
正気とは思われないねえ、、、
いや、要するに、1000年前と同じく、みんな一生懸命いきてるだけなんだよね。
パソコンや携帯の生産ラインが止まったら、それは「電灯のごとき」「小さな」問題じゃないんだよね。
しかし、社会的な意義はわかるけど、アホだよね。電灯のほうが大事なんじゃないかい。
世界2位3位という大資本主義帝国が、「電灯すらつかない」明治時代と一緒。
照明もない文明ってなに?? パソコンにかじりついて。
いえ、僕もそうですが。
さて、と、本日は立ち読みでHさん(本当は広瀬隆さんだけど)(原子力評論家)の新刊を見て、おやおやずいぶん話が違うね、みたいなことで。
いわく、火力発電は1、2割しか発電していない。
火力発電所は数ヶ月でできる。
発電所ではない民間発電機関で5000万キロワット発電できる、、、
こういうのもねえ、、、
Hさんがいうのだから根拠はあるんでしょうけどねえ。
しかし、たとえば、発電所って(大きければ)半年ではできないもんですよ。
それは現実は、そんなこといって、どこに作るねん、みたいな話から始まるものです。狭い日本、どこでも先住民が生きてますからね。
困ったもんだ。
もっときちっといえばいいじゃんかねえ、というのは、Hさんの生きてきた歴史を知らないんでしょうねえ。『まともなこといったら選挙なんか受かりはしないぜ(大衆はまともなことなんか嫌いさ)』、と自民党議員が言ったという、同時に立ち読みした曽根綾子著、談。Hさん、サラリーマンやめて30年、評論で生きるのは大変なんでさあ。
と、夕刊に目をやると(朝読まなかった朝刊か)
おや、吉見君もかっこいい肩書で、みたいなのりで(知り合いではありません。お互い興味もないでしょう)
吉見俊哉という東京大学新聞研究所教授
いやさ、なんかかっこいい部門名がついてたけど、要するに新聞研究所。
が、『昔「力道山」を流した街頭テレビは下町文化』だって。『山の手にはそんなのはない』って、新聞研究所だねえ。
その1 いわゆる山の手文化は山の手、すなわち麻布麹町にあったのではない。山の手には下町文化がない交ぜに存在していたのであって、その純化されたものは新興住宅地にこそあった。
その2 ところで、新興住宅地、自由が丘駅には街頭テレビがあった。
僕は自由が丘駅で力道山見たもんね。
かなしいね、評論家。
とゆうか、生活する、カネで真実を売るっていうのは哀しいことなんです。
ということを、表現者である評論家本人は忘れてはいけないね。
わたしゃ、家に屋根もありパンも買え、特に悪いこともないので幸せ、なんでしょうが。
今日なんか雨で、昼休み、ラーメンを食べて会社に戻り、日も差さないうえに電灯が節電された真っ暗なオフィスで同僚がパソコンの明かりに向かっているのをみると、ほんと、文明ってなんなのか、って思いますね。
なんのための電灯だよ。
電灯もつかないのに一人前にパソコンや携帯を動かして。
正気とは思われないねえ、、、
いや、要するに、1000年前と同じく、みんな一生懸命いきてるだけなんだよね。
パソコンや携帯の生産ラインが止まったら、それは「電灯のごとき」「小さな」問題じゃないんだよね。
しかし、社会的な意義はわかるけど、アホだよね。電灯のほうが大事なんじゃないかい。
世界2位3位という大資本主義帝国が、「電灯すらつかない」明治時代と一緒。
照明もない文明ってなに?? パソコンにかじりついて。
いえ、僕もそうですが。
さて、と、本日は立ち読みでHさん(本当は広瀬隆さんだけど)(原子力評論家)の新刊を見て、おやおやずいぶん話が違うね、みたいなことで。
いわく、火力発電は1、2割しか発電していない。
火力発電所は数ヶ月でできる。
発電所ではない民間発電機関で5000万キロワット発電できる、、、
こういうのもねえ、、、
Hさんがいうのだから根拠はあるんでしょうけどねえ。
しかし、たとえば、発電所って(大きければ)半年ではできないもんですよ。
それは現実は、そんなこといって、どこに作るねん、みたいな話から始まるものです。狭い日本、どこでも先住民が生きてますからね。
困ったもんだ。
もっときちっといえばいいじゃんかねえ、というのは、Hさんの生きてきた歴史を知らないんでしょうねえ。『まともなこといったら選挙なんか受かりはしないぜ(大衆はまともなことなんか嫌いさ)』、と自民党議員が言ったという、同時に立ち読みした曽根綾子著、談。Hさん、サラリーマンやめて30年、評論で生きるのは大変なんでさあ。
と、夕刊に目をやると(朝読まなかった朝刊か)
おや、吉見君もかっこいい肩書で、みたいなのりで(知り合いではありません。お互い興味もないでしょう)
吉見俊哉という東京大学新聞研究所教授
いやさ、なんかかっこいい部門名がついてたけど、要するに新聞研究所。
が、『昔「力道山」を流した街頭テレビは下町文化』だって。『山の手にはそんなのはない』って、新聞研究所だねえ。
その1 いわゆる山の手文化は山の手、すなわち麻布麹町にあったのではない。山の手には下町文化がない交ぜに存在していたのであって、その純化されたものは新興住宅地にこそあった。
その2 ところで、新興住宅地、自由が丘駅には街頭テレビがあった。
僕は自由が丘駅で力道山見たもんね。
かなしいね、評論家。
とゆうか、生活する、カネで真実を売るっていうのは哀しいことなんです。
ということを、表現者である評論家本人は忘れてはいけないね。