リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

魂を売る

2017-10-28 14:44:02 | 断片
 こんにちは。東京地方、今月は土日の天気はぜんぜんダメ。また台風通りそうだし。ざっと見、他の地方の今月の土日は、5分5分くらい? 
 私は最近は悠々自適なので、一昨日の晴れた日を狙って、近くの田舎へ行ってきました。寺家ふるさと村、っていって何にもないとこ(青葉台駅からバス10分)。ただ、田んぼと畑はあるという、まあ子供の頃の東京都目黒区。しかし太陽と緑を見ないと体調が悪くなりますもので。今住んでるとこは田舎っぽいけど、田んぼも探すとあるけど、畑はざらだけど、里山風な山もあるけど、、、どこも違わん、、、けど、人も車もいないのが大きな違い。気温20度で晴れた空の下をぶらぶらと歩くのはなんといっても精神的に健康的。サラリーパーソンの方には必須ですね。
 
 さて、もう忘れましたが選挙があったようで。どうせろくでなしばかりで選ぶのも大変でしたでしょう。選挙はどうでもいいのですが、新聞によると小池某という最高裁判事が一人だけ30万票も多く×がつけられておりました。記事ではどっかの御用学者が、「これは名前がクジで一番右にあったからだ。毎回一番右が一番多い」とかいっておりましたよ。本気で言ってんのか、お前。さいきんは学者にも嘘つきが多くて、誰を信じたらいいのかわかりませんね。「前回、筆頭(右)の裁判官は×が2番目に少な」い、と江川紹子氏が証言している。
 基本、ことしは審査広報もアベの肝いりでしょう、ひたすら判決など何も異論がないかのごとく書かれていて、クズを選ぶのに困りましたね。いつもは3人は×をつけるのですが、ことしは一人でしたよ。もちろん某のことです。ちなみに、昔は○は2人くらいでした。マルの人だけ覚えて選挙にいったし。わたしも右傾化してるんでしょうかね。
   嘘ですよ。審査公報の書きようです。
 
 さて、調子に乗ったアベは、「政府・自民党は27日、衆院での与野党の質問時間の配分を見直す方向で調整に入った。議席割合より多い野党の質問時間を減らすことを検討している。」(朝日新聞)だそうです。ほんとおだてりゃ木にでも登る奴だ。こんどは翼賛議会だそうです。
 若い方は知らないでしょうが、政府与党っていうのは「質問」なんてする必要がないのですよ。与党議員だけには事前に政府から課長がご説明申し上げてんだから。事前に説明聞いといて質問するなんてよほどのバカですよね。実際バカだけど。
 で、若い方へ、与党質問はマッチポンプ。自分で火をつけて自分で消す。又の名を「やらせ」。NHKニュースのようなものです。「ああそうなんですか。知らなかった。それはすばらしい行政だ。どんどんやって下さい、私もがんばります」っていうための質問。国民を愚弄しているだけの無意味な時間。野党の質問がなくなったら国会なんて存在意義ゼロ。やめちまえ。極左にはラッキーなことです。あんなもんあったって、幻想を振りまくだけだ。
 
 話を変えます。遠藤賢司さんが死去。中学校以来レベルでずっと聞かなかったですけどね。Emだけがならして曲が終わったりするんですよ。よくてDmがちょっと混じるとか。ひたすらユニック。しかし音楽家は短命ですね。
 
 四國五郎・ガタロ師弟展がスペースナナ(あざみ野駅6分、300円)であと1ヶ月やります。四国五郎さんという人は「おこりじぞう」(山口勇子)の挿絵を描いた人だそうで。 この人は知らないのですが、「おこりじぞう」はDVDがすごい。
 結局、核というのは人間性の否定なんだよね。それは死んだ人間の数やこれから死ぬ人間の数じゃあない。それが通じないと話がかみ合わない。戦争で何人死のうが、それとは違う話なのだ。戦死とアウシュビッツ死とは違うのと一緒だ。それが資本家やサラリー男にはわからない。魂売っちゃってるからね。
 人間の魂というのは、他人も自分のかけがえのない家族だ、という認識のことだあね。
 家族でも兄弟げんかで殺しあうこともあるだろうけど、それは兄弟げんかであって、死んでも兄弟は兄弟だ。
 ところがすべて資本主義社会によって失われるのはその認識なのだ。自分が生きるために、家族のはずの他人も大事にできない自分を肯定することを、「魂を売る」という。家族でない他人はただの物体である。クビにしようが、倒れたら背中を踏みつけていこうが、すでに選択された人生が進行するだけ。死のうが生きようが通りすがりの風景が過ぎていくだけ。売っちまったし。
 しかし、まだ生きてる間は間に合う。そういう人はここには二度は来ないだろうけど、「おこりじぞう」のDVDの表紙でも眺めることをお薦めしたい。
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素人のギョウザの焼き方、の2

2017-10-23 08:49:05 | その他
 こんにちは。昨夜の下品さを避け、さっそくですがトップページ変更。
 無難なお料理番組。
 
 以前、「ギョウザを茹でてから焼いたら皮がひっついてしまって、結果パリパリであるべき底が剥がれて失敗した」という話をしたところで、その後は底をきっちり焼いてからおもむろに茹でる方法をしてたんですが、どうもあのお湯を入れたときのジャッツという飛び散りが精神的に悪い。後片付け的にも悪い。というわけで、底をきっちり焼いて、「ギョウザを外して」24個なら24個。全部底を焼いて別置きして、さてそこから茹でる。という方式にしてみました。これはネットにはないでしょ。微妙な違いですが。
 具体的に言うと、
 1 フライパンに油を落として、ギョウザをつまんで油をフライパンに広げながら並べる。このときギョウザの落ち着きを確保する(上から押し付ける)。
 2 並べてからおもむろに火を点ける。
 3 底が満足するまで焼けたら火を止め、ギョウザを使わない皿に移す。普通に置いても皿はそんなに油汚れはしない。
 4 これを繰り返す。
 5 残りのギョウザが焦げ終わったら、最終回は火を止め、全部の底を確認後(この時点でフライパンはある程度冷える)お湯を注ぐ。ジュワッ位になり、弾けたりしません。
 6 仕上げに油を入れて焼き直すのはご自由に。仕上げ油はしたほうがメリハリが出ます。
 7 はがした後は、フライパン上のこびりつきはある程度こそいでください。
 
 A 次2回目はギョウザを即並べる。
 B 並べ終わったらお湯をいれ火を点ける。油と混ざりますが問題ありません。
 C 以下同様。繰り返す。

 焼いてからジャッツとお湯を入れるよりも、この方が2回目以降のギョウザの底が綺麗にいきます。2回目以降って、フライパンが汚れて油が回りにくいのか、小麦粉のカスとギョウザの底がくっついたり、底が剥がれやすいでしょ? あ、だから、これまで2回目以降いちいちフライパンを洗ってた方は、それは不要です。下水が汚れるしね。
 もちろん、「初めから茹でるのでだいじょぶだよ」という方には無用の作り方です。特にテフロン加工が効いてる間のフライパンなら無用かな。これは鉄系フライパンで、誰がやっても失敗しないやり方、ということで認識ください。
 
   というわけで、このブログはお料理ブログではありませんので他のページには行きませんように。また何かのご縁でお会いするまで、さようなら。
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久しぶりに怒り

2017-10-22 21:03:34 | 断片
 人間には歴史というものがあります。人間、糞爺やおばあさんやとうちゃんやかあちゃんの生き方とともに子供である人間が大人になり、あるいは18歳を越えれば、周りの人間とともに大人を続ける、ということになるわけです。
 で、自民党勝利だそうです。
 
 団塊等のくそじじいやくそばばあ。お前らのせいだ。どの面下げて自民党に投票するのだ、いや、どの面下げて社長や会長や市長や大臣を自分でやっているのだ。許せん。「高校んとき運動とかしたけど、まあ法政とか連れられてったら恐そうなおにいちゃんたちいてね、なんか違う気がして受験勉強して東大いっちゃったのよ。社長にもなっちゃったけどね。でも高校いい高校だったな」 
 不愉快。
 
 「おめえは自民党勝つっていったろ、その通りじゃないか、何を騒いでいるのか」
 許せん。
 こうゆう許せない経験を続けてきたから、たった一人でも闘いを続けるのさ。たった一人だよ。みんなみんな裏切りやがって。
 許せん。
 原発反対? 嘘をつけ。嘘も20年つき続けたら取り返しがつかない大嘘だ。田舎に住んでる? 東京いいね? 農業は大変? 嘘をつけ。お前いくつだ? 25歳前なら許される。嘘はつくな。「大変ですけどいまのままでいいんですよ」。そうだ。本当のことを言え。私もくだらない同情をする必要がなくなる。お互い嘘は時間の無駄だ。
 
 私の仲間は非正規の方のみ。
 明日は台風で大変ですね。靴はビニールの長靴がいいですよ。1980円で買えます。一つ持っておいてくださいね。
 
 皆さまと一緒かと思うと気持ちが安らぐ。けど、これは、トップページ変更のパターンかな。

 
 p.s. 公平じゃないからインテリ分も追加しておこう。「どの面下げて学者になって右翼プロパガンダをしているのだ」。でもほんとはインテリごときは何したっていいよ。お前=学者が口先男だってことはハナからわかってるさ。お前は歴史上意味ない。
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実は神様は偉い

2017-10-21 13:54:41 | 断片
 こんにちは。ずっと雨で気づきませんでしたが、今週の1日、晴れた時に陽の光が部屋まで入るようになったことに気づきました。秋です。花粉も消えたし。
 明日は選挙ですが、台風で雨がひどいですね。みんな行い悪いし。私もだいたい選挙は行くのですが、私が行くときはたぶん小止みになるでしょう。行いいいし。
 
 本日は小刻みに。
 MSN産経ネットニュースがまともなことをいいました。「靴に穴、我慢してと言うしかない母」なる題。選挙では「少しだけ発言力も選挙権もない生活保護世帯の子どもたちと親たち、特にひとり親世帯の母親・父親たちを思い浮かべていただければ幸いである」、だってさ。生活保護って、まず精神的に弱者だから、その分を割り引かないで考えちゃいけないんだよね。フリー記者だけど載せるだけ産経もそうクズばかりではないようです。まあ産経は侠気のある後輩もいったし。けど、もう退職か。年だね。 
 
 「東京・吉祥寺駅の近くで80代の男性が運転する乗用車が横断歩道に突っ込み、7人がけがをしました。7人は全員が病院に運ばれています。」(TBS系(JNN))。何度も言うけど早く年寄りから免許取り上げなきゃ。田舎はいいわ、とりあえず東京。小池ちゃんとやれ。遅れればそれだけ若い人が死ぬ。

 スーパーカブ1億台だって。カッコ悪いけどまだ走ってるから名2輪なんだろうね。わたしゃ小学校の行き帰り、クリーニング屋さんとこにあったヤマハの125ccくらいのやつがかっこよくて好きだったです。YAMAHAって読めたんだよね。幾つだったかね。まぼろし探偵のバイクもよかったね。ネット見たら、テレビ見たこともない奴が「『黄色いマフラー なびかせて オートバイが 空とべば』なんて主題歌はウソだ、まぼろし探偵は自動車に乗ってる」とかバカいってるけど、ネット情報なんてみんなウソさ。主題歌のオープニングでは、かっこいいバイクに乗って黄色いマフラーなびかせてたんだよ。ほんと、しったかやろうばかり。
 
 「天皇退位19年3月末 即位・新元号4月1日で調整」だってさ。せっかくポピュリストが年末で調整してたのに、自信過剰だね。官僚や権力者はてめえのことしかわかんないんだよね。あとは天皇制がなくなるまで呪詛だぜ。「元号、勘定できんやないか」って。なぜか関西弁。できんやんか、か? なんでわざわざ欠陥を残すかねえ。バカばかり。

 中国共産党大会ニュースで見てたら、カマトンカチの旗が目に入り、おお市場主義中国は同志だったのか、と感動しました。ウソですが。でも知らんかった、労農人民主義なんだ、タテマエ。

 japan forbesによると、座って考えるのと立って考えるのは、「答えるのにかかった時間に120ミリ秒の差があった。一方、後者の場合、時間差は100ミリ秒だった。僅差ではあるが、私たちの脳が1日のうちにどれだけ多くの情報を処理しなければならないかを考えれば、このわずかな影響は何倍にも増すことになる」 だってさ。 「理由としてはまず、私たちにとっては立っている方が「負担が大きい」ことが挙げられる」 負担が適度に大きいと注意力が高くなるんだと。
 さいきん、椅子のない会社ってあんじゃん。つまり、この程度の注意力しか使わないで済む会社なんだね。ありえないさ。わたしん時でも複雑な事案は髪の毛を引き掴むときあったし、そのせいで髪も、もうわずかになってしまって。
 立って頭にいいのは、アイデアの浮かぶのを待つときだけ。今はわたしは本気で考えるときは座椅子で寝て。

 ふと、どうもいままで神様の悪口をいってきたけれど、神様というのも大変だということが知れました。人間は勝手過ぎて。勝手に作物の独り占めはするわ、勝手に人殺しはするわ。ダメといったってやるし。神様も困ってしまうではないか。神的には全部リセットしたいところだけれど、リセットしたって、も一度この歴史を繰り返すしかない。それはそれで暗い話です。しかもその人間の業が紡ぐ残酷や悲惨が全部見えてしまう。神様たるもの毎日毎日悲惨な人間たちを確認していかなきゃいけないわけですよ。それだけでまさに人間業ではない。驚異的に偉い、というもんです。
 というわけで隈の登場。私も悲惨さの歴史的軽減のため、理論提示で幾分かは神様の手助けができるというもので。
 でも手助けだけでいいや。毎日毎日殺されていく子供たちを見せつけられるなんて、わたしには生きていけない。さらにもう死んでたりしたら逃げるとこないやね。神様偉い。
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役に立たない

2017-10-14 17:30:21 | 断片
 こんにちは。東京地方、気温乱高下。いよいよほんとの秋、でよいかな。秋晴れの涼しさじゃないのが残念。
 
 さて、今週はなんか面白いことはないかと探すのですが、ない。
 世間は、まずは選挙でしょうが、わたしゃ興味なし。小池はやる気ないし。あいつ自分のことしか考えてないし。こんどまたアベが勝ったら、ただただ不愉快。若狭とかいう代理人もどうしてああ空気を読まないかねえ。誠実といえば聞こえがいいが、代表なんか絶対ムリ。自称野党もまた北朝鮮がミサイル飛ばしたら論争もへったくれもなくなるし、、アベは「日本を守る!」 ってさ。ま、やる気があるのはアベだけ、ともいえる。あ、昨日は街頭で共産党がんばってたけど。
 ネットのAFP通信ではロヒンギャやってますね。これもひどい。人殺し共は一体何の権利があるというのだ。かたやスーチーは一体何をやっているんだ。お前の存在意義なんかゼロ。やめちまえ。
 日本も民間企業がひどいねえ。昔はウサ晴らしが役人に向いてて官公庁がひどかったけど、ようやく大手民間もバレてきたんだろうねえ。弱い者いじめをするのが悪いんだろうが、たとえば神戸製鋼の下請けは、これでどんな程度に困るんだろうか、、、
 おもしろくあるべき趣味の将棋も、この2、3ヶ月で羽生3冠がただの1冠になってしまった。別にファンじゃないけど過去強かったやつの中高年状態を見せつけられるとショック。ほんとにびっくりするような手を指してたのに、、今は長く考えると必ず悪手。
 こうなってくると、他人の不幸を楽しむようにしないと世間がつまんないやね。みんな、既にそうしてる? わたしゃ今は勉強三昧でストレス過少なもので多少同情心が動きます。
 
 勉強的には、次々回作品用。マルクスは根本的に違う(間違っていると書くとウヨのようなので。「間違う」んじゃなくてそもそも根本的に違う)、とアリストテレスに狙いをつけて(そもそもこいつのせいだろう、と)、図書館の書棚にあった、工藤晃、へえこんなもの、と借りました。「マルクス『資本論』とアリストテレス、ヘーゲル」新日本出版社、2011。こんなに書誌情報いらない? この情報はさ、工藤はもう85歳のじいさんだけど、共産党名誉中央委員ならどんな無内容でも自分とこの出版社で出してくれる、と読むの。
 ひどいもんだ。こんなもん、1982年版、内田弘の「『経済学批判要綱』の研究」の数ページ分。そこの数ページの論究を1冊に引き伸ばしただけ(ヘーゲル入れたらもっとだけど)。活字のポイントも倍以上に引き伸ばしてあるが。
 内田弘といえば政治主義的には修正主義者。宮本直系がそんなことしていいのか? っていうかいまさらの話の随想だけ出版してもしょうがないんじゃないか? まあ年寄ると政治性が消えるんだろうが、遅すぎ(といっても、先達たる内田への言及ナシ)。お前の過去は既に膝掛けに編み込まれている。by「紅はこべ」(p.s.違った、二都物語)。膝掛けじゃないかも。
 と本気で不愉快だったけど、一瞬「ああ、普及本出版の一貫か」とも思い直し、でもそんなら(中央委員会作の、と思われる)哲学用の鰺坂真名義か何かにすりゃあいいわけで。ほんと爺さんが嬉々として書いてるだけ。(別の話、基礎理論全般を不破の名前で出版しないで欲しいものだ。面白そうな題でもダボラだと判断するしかなく一切見る気がしない。正しく言うと借りる気がしない)

 役に立たない。
 では皆様にはぜったい新なる知識を。
 前から「考えると血圧が上がるな」と思っておりましたが、今回計測したところによると、本気で中高年が考えを続けると血圧が”50”上がることがわかりました。なにしろ、脳内摩擦がすごいんだね。わたしは日常血圧は並(いわゆる正常)なので、そのぐらい耐えられるけれど。
 どのくらいの影響力かといいますと、当家の塩分消費量は7、8gという少なさでこれは表彰ものなのです、が、居酒屋で腹いっぱい料理を食べますと、”25”血圧数値が上がる、という影響が出ます。外食料理は目いっぱい塩(醤油)使ってますので。このため、医者は高血圧者には「塩分を減らせ」というわけですが、それは正しい。
 が、「いくら正しかろうが、頭を使ったら元も子もない」そのようにデータが教えてくれました。
 じゃあ、どうしろっちゅうんじゃい。
 役に立たない。
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労働者の時代が来た

2017-10-07 14:40:46 | 歴史への視角
 こんにちは。一昨日は半袖、昨日今日は上着。昼前現在ちょっと暖かくなってきました。ほんとに陽気が変で、いつも曇りの十五夜は今年は月が煌々として見えました。末世でしょう。ツクツクホウシも鳴いてるし。
 
 まずはican、ノーベル賞おめでとうございます。政治受賞はいつものこととはいえ、外圧に弱い日本人には、しばらくの間、いい武器です、が、善人ばかりで使う人がいないのが残念。商業新聞が、新聞が売れる間に使うだけ。

 小池(女)は消費税延期で、アベの公約、消費税2%で教育費ただはいいなあ、と思ったところ、世の中には高校就学支援金というものがあるんだね(民主党が作ったって)。
 なにそれ、って所得制限付きだけど公立高校授業料がただになるの。私立は補助金。って、私は神奈川県民なんだけど、ネット情報を見ようとしたけど私の検索能力をもっしてもその記述が見つからない。あるけど、読めない。ましてやアフィリエイト目当ての検索上位に並ぶベタコピペのネット情報なんてめちゃくちゃ。地方情報の検索は、自県の税金泥棒たちのHPは止めて(県民目線の県があったら失礼)、必ず「東京都ホームページ」にしましょう。と思って目を他にやったら、東京都は小池が既に私立高校もタダにした、って。知らんかった。え~~、、、うらやましいじゃん。だから地方自治なんかだめなんだよ。神奈川でさえねえぞ、そんなもん。大阪も口先だけ。ましてや並み居る貧乏県など。住んでるとこだけでこんな格差が許されるか。まあ、他の県の人はいつものことで慣れてんだろうけどね。私みたいに東京出身者は不愉快。そりゃ地方の人は東京に出てきたくもなるさ。

 ついで、「立憲民主党」はないよねえ。なんちゅう名前だ。それだけでいかに大衆から遊離してるかが知れてしまう。バカというか愚かというか。憲法擁護のつもりなんだろうか、それで憲法変わっても同じ名前のつもりかねえ。ほんと意味ない。まあ年寄りのヨイヨイ連合ならそんなもんかもね。認知症議員団。
 ともかくも右翼と別れたのは何よりも良いことです。もう夢を見ている時代は去った。時は今、労働者の時代です。労働者の味方をすることで票を貰う時代。票はちょっとしかこないって? それが何。政治家は票取り屋ではない。自分の理念を実現しようとする商売でしょう。その意気に票を渡すんだ、って。だいたいおかしくないか、日本には労働者のほうが多いのになんで国会は労働者の収奪ばかりしようとするんだ。もちろん政治屋がそろいもそろって大臣になりたがるからなのだが、そういうほんとのことを言うのはやめよう。反体制がネットウヨの時代とはおさらば、「あいつらは非国民」といわれて「そうだ文句あるか」と胸を張れない奴は、労働者の味方ではない、ということです。
 折も折。C派によると、UAゼンセン(繊維労働者と流通労働者なんかの組合)会長の松浦昭彦は安倍が打ち出した自衛隊の憲法9条明記への支持を表明したそうな。C派はテーマが分かりやすくてよいな。しかし、なんで労組が改憲をしゃべるのか。なんか日本労働者にいいことがあるのか。「成田反対」とかなら「労働者農民は連帯して」とか。「戦争反対」なら「人間として当然」とかあろうに。
 わかる? もう潮時。労組は右翼と手を切れ。組織が消える? 消える組織は消えろ。あってもしょうがない。ここで連合も分裂して、それで労組制度は大部分潰れても、若い衆に労組の大事さをわからしめなきゃ未来はない。そりゃあ復活は大変だけどね。でも政府の手先の組織などあったってマイナスなだけだ。中年以下に、少数でも本当の組合というものがどんなものかを見せてやらなければ、もう既に誰も知りゃあしないぞ。過労死を防ぐのも、不当配転を防ぐのも、みんな労組の仕事なんだぞ、って知らないしょ。見せつけりゃ会社も御用組合を作りたがるし。そこで断固ゼンセン野郎は排除する態度を貫けば。昔の仲間がみんな頭がイカレてしまって、私ももう30年以上そう言う発言を我慢してきました、がほんと潮時。みんな目を覚ませ。ヨイヨイ世代だけど。
 今日のニュースにも『モロゾフ、、相次ぐ大震災に打ち勝った「生産性改革活動」』(東洋経済)だなどと載っていたけれど、きれいごとに「マル生運動」が使われるなどという世の中を許していてはいけない。人をコキ使って過労死に追い込んで、何が大震災に打ち勝つ、だ。てめえら資本家の儲け話なだけだろうが。
 もちろん問題は「なに怒ってんの?」と思うしかない若人たちの存在。わたくしごときマイナーのブログの問題ではない。政権などどうでもいい。そうした労働者視点を広める運動は政党にしかできない。ってゆうか、それが政党の仕事だよ。大臣の肩書きが欲しいやつは自民党と維新だけでいい。政府交渉は面白かったか? 権力の地位の幻覚は終わり。ヨイヨイ同志は目を覚ませ。

 というわけで、珍しく語調も強く本日は終了。
 
 今日はちょっと思い出話。
 中西洋という社会政策学者がいまして、ってまず知らないでしょう。一応ずっと東大育ちの東大教授(社研)だった人なんですが。知らないと話が見えないので困るところ。
 実はこの人は優れた批評家で、日本で1、2を争うんではないか、と思うのですが。私が学生の頃(私の正規の専攻は労働社会学です)、社会政策学会誌に数ページの論文を出して、時はまだ大学闘争中、バリバリの闘争スタイルの論文で、なんともかっこいいんだよね、でも、ほんとかどうか分からんことを書いてある。いつかこれを批判する日が来るだろうと、その頃最新導入のゼロックスでコピーをしていつも身近にとっておいたのですが。
 ちょっと具体的に言うと論題が『社会政策論の解体のために。社会科学の確立のために』っていうのね。今聞いてもかっこいいしょ。そんなかっこいいのがエスタブリッシュな東大教授になるっていうのも、客観的にはいまいちだけどね。でもすぐ実証分野に移ったって聞いたから失望していたところ、それ以後が図書館にあって。読みました。題を書くのがめんどいね。〈自由(リベルテ)・平等(エガリテ)〉と《友愛(フラテルニテ)》。これ、題。先生御年61歳。残念。観念的だったのが観念論になってしまってた。褒めれば、「古典をよく読みこんで知性溢れる批判をし、『かたや』(それとは別に)中西理論をよく確立させた」という評もできるのだけれど、観念論ではしょうがない。友愛的な労組や企業を作ろう、だって、耳を疑う。どうせ社会学じゃないからそれはいいとして。
 上の評は変でしょ? 本人の論は古典なんかと関係ないんだけど、この人の知性が媒介的なんだよね。他人のどうでもいい論と語りながら自分の論を作る、というセオリーが人生を通しどうしようもなく無駄というよりマイナスに作用してしまった。中年以降、実証に励んだ、とのネット情報はあるけれど、学問スタイルが確立してからでは遅かったもよう。
 教訓。いかに頭が良くとも、本に沈潜してはいけない。せっかくの知性が無駄に消える。野心ある社会科学研究者は、無駄な時間と思っても実社会で苦労してみるのがよろしい。野心が東大名誉教授でよければ、薦めないけどね。それなら、英語をしっかりやって、苦労はアルバイトだけにして、学会で著名な師匠の言うことを「しっかり」聞くのがよろしい。
 「しっかり」ってそういう他人の行動への指令時に使うんだよね。自分で「しっかり」行動するんじゃねえ。安倍とその追随者のことです。

 そこでここまで読んだ人の本日のためになるブログ。皆さんも18歳以上だろうから、投票するときは、どの政党でもいいけど、演説で「しっかり」と言う言葉を使わない奴にしたがいい。従って自動的に、その1、節操があり、その2、権力者よりも自分の理念を大事にする人間ね。

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