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リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

世界資本主義論の大枠組

2016-07-30 14:22:32 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。東京地方梅雨があけ、いつもどおりの夏空が広がっております。青い空に日光に輝く白い雲。
 ところでインターネットエクスプローラーまだIE9の方います? ここのところIE9、調子悪くないですか? どうもジャバスクリプトの動く画面はしばらく考えないと拒否するもよう。 (わたしんとこだとie9のくせにie10の表示が出るんですが、ようするにie9。前言いましたが、ie10だとIMEがうまく動かないんで。)
 まあブラウザなんかいつでも変えてやるんだからいいんだけど(ただ慣れてるから動く間はie使うけど)。

 さて、世間ではとにかく毎週毎週ひどいニュースが。私の感想はふつうの人と同じなんでとくにブログの題材にはなりませんが。
 明日は都知事選とのこと。都議会のドンとかいうやつが落ちぶれるといいですね。これは普通の人の感想かしら。
 これは家人が言っていてなるほどと思ったんですが、82歳にもなって働かされるなんて天皇もひどいね、奴隷。
 もう体力がないからやめたいっていってるのに、馬車馬のように斃れるまで働けと。馬って倒れると死ぬんだよね。やめさせてやれよ、自民党。道具じゃねえぞ。あ、道具か。
 まったく、「私は人間だ、人間らしい人生を!」 つったら「象徴」じゃなくなるとね。しかし、「給料やるから働け」 なんて論理は60歳までだよ。
 ほんと、間。
 もちろん問題は「私は人間だ!」 と叫ぶのを、一族のため控える天皇ではなく、(そんな言葉はサラリーマンはいつでも呑み込んでいる。) 偉そうな顔してこれを操縦せんとする会社社長、この場合、アベ以下、自民党・公明党の幹部にあるんだけどね。
 左翼も、極左以外は、こういうときに天皇と連帯したらいいんだ。他に価値もない。
 まあ天皇なんちゅうのは存在からして人民を裏切ってるわけだけど、それはもちろん「人民」というカテゴリーを裏切る6千万サラリーマンと同様。左翼が横恋慕している他称「労働者」とおんなじさね。

 で、今日のテーマはまたオタク系なので、早々に役に立つ記事を。
 
 薬物中毒者には近づいてはいけない。
 あの殺人犯は大麻中毒だって? ヤクチュウは人間じゃないから関わっちゃだめ。大麻、ヘロイン、アル中。全部だめ。アナキスト的にはいいたくないけど、警察は取り締まれ。「同じ人間だから」、「かわいそうだから」。無用の感情。人間の成れの果ては人を殺す。ニコ中はだいじょぶだろうけど。
 他方、同じほど大事な話、いわゆる精神病患者は、療養中の人はまっとうな人間です。ここんとこは誤解なきよう。統合失調症のたぐいの病気ね。
 昔そういう人たちと将棋指したりしたけど、普通の人と違う点は、「違っててかわいそう」に向かう変さしかないし。
 やはり変わった人は病院に行かせたほうがいい。将棋2ちゃんねる、たくさんいるんだよね。
 
 以上終了。
 
 本題は、森田桐郎「世界経済論の構図」室井義雄編集。森田桐郎の遺稿を室井義雄というお弟子さんが編集したもの。
 図書館でマンガの代わりに山田鋭夫と一緒に借りて、山田は可笑しくもなんともないのですが、こちらは面白かった。世界経済論の序説ですけどね。
 世界経済論というのは、本来、世界で一つの資本主義、という意味で、大昔、岩田弘という人が有名にしましたが、それはただの先進資本主義諸国関係論。他方でアカデミズムから松井清という人が世界は一つの経済論を出してきたんですが、こちらは残念ながら夭折。って60歳だけど。森田氏はそのお弟子さんに当たると推測。こちらも61歳段階で序説だったはずですが、作りが悪いのでやっぱりムリでしたね。
 何が面白いかというと、松井清は純粋に商品経済学だけど、こちらは一応労働力にまで立ち入って世界は一つ論を組み立てようとしているところ。たったそれだけだけど、初めて目にしました。西洋の未訳論文を参考にしてましたけど。
 ただし残念ながら序説で終わるのは、例によって、せっかくマルクス・レーニンが話を特定化しているのに、勝手に散漫な「種々の」労働力現象をカテゴライズしてまとめようというところ。
 まとまんないって。本としてまとめたつもりのものができたとしても、そんな論は結局何も伝えていないって。どうしてわかんないのかねえ。
 
 だめだね。「経済学」の「学者」は。
 「経済学」だけでは何もわかりっこないのに、あとは自分の常識でなんとかなるだろうと思っているのね、おそらく。
 残念ながら常識で済めばマルクスはいらない。
 ついで、学者は教授や著者として論を売るために、なんとか現実に近づいて人の興味を満足しようとするのね、たぶん。
 現象に名前をつければ「学」になるなら、弁証法はいらない。
 まあ、こんなことは「世界経済論の構図」を開けば5分で分かる。
 とはいえ、350頁あるから、とりあえず目で流して、やはりそうであることを確認するのにさらに20分。
 遺稿編者の室井義雄という人がまともであることを確認するのに2分。
 しかし本人の志向が森田氏のそれとはずれていることは、一目、5秒で分かるので、室井さんという人のさらに弟子に託せばよかろうと思うのに2秒。
 計27分7秒、面白かった。
 
 「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」って、
 ともかく、ある世界内国家が自分の被支配者を他国の資本主義の底辺プロレタリアート部分として組み込まれることを受け入れるか否定するかは国家支配者の恣意なのだから、これは帝国主義論レベルと同じ、資本論で解けるものではない。
 嘘だと思ったら、その時点で価値論を繰り広げてみたらいい。森田氏もいっているように、これは不等価交換。不等価交換を原理に組み込んだら、まずなによりもマルクスエンゲルスの主意である、資本家の搾取が解けない。
 なので、本来のトータルな理論の大枠をお教えします。
 「そもそも、支配者の恣意を含めた認識を原理に組み入れて」、なんていうのは経済学者には酷なので、本当であってもいわない。まずできることをやってもらいましょう。
 経済学者が支配者の立場の組み込みを脇においてまず立論すべきなのは、帝国主義論のレベルの確認、すなわち、行き詰った資本主義が海外に労働力を転嫁する要素の析出と、その現実化の枠組み。ついで、トータルな形でこれを受け入れる、「周辺」論の「周辺」ではなく、各「国家」の枠組み。ついで、この転嫁要素のトータルな形での世界での膨満と破裂の論理的過程。これは資本主義の腐朽ではない。世界資本主義として他地域のどこにも転嫁ができない状態、すなわち待っているのは「破裂」であると。
 
 当たり前だと思わない?
 数々の論者の論をのりとはさみでくっつけんじゃなくて、現実を勝手にカテゴライズするんじゃなくて、素直にこの枠組みで、理論ではなく資料と論理で組み立てれば、現実はその組み立ての部分としておもむろに範疇化をすれば、それが資本論を原理とした歴史段階論になるのですよ。
 
 と、こんなものは実質1分半で分かる、というか、提出できる。
 学者なんかそれが仕事なんだから、すぐに作れて他の人ののりとはさみの対象になるんじゃないのかねえ。教養科目を講義する片手間におやりになったら?
 もっともわたしは片手(2本指)タイプなので、書き始めてから今で40分。決して考えているのではなく、もうわかっている結論に、キーボードの指よ、早く追いつけ、という感じだね。

 さて、どこまで結論に近づけようとするか。
 要するに、経済学としては、具体的な国家ではなく、趨勢を激しい傾向性として表わす、というところでしょう。そして、それは理論上当然のことではあるが、誰もしないことなので巨大な一歩となる。というわけです。
 この3行も、「分かる」のに15秒くらいだよなあ、、、
 おら、経済学をやればよかったかも。
 ま、社会学でも経済学でもおんなじだけどね。 訳のわからない人々に本を読ませるにはプレスチージュがないと。
 というわけで、がんばってください、森田氏の孫弟子さん。

 もちろん、実は、その後で、経済学的に規定され終わった世界資本主義がどう壊れていくかを国家=支配を要素として書き直す必要があります、が、それは隈理論を携えた後代の経済学者にまかせましょう。
 わたしは次回本が最終。
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うしろむき

2016-07-23 13:42:06 | 断片
 こんにちは。東京地方涼しくて仕事ができてうれしい。わたしの正しい行いへの御褒美でしょう。
 おかげさまでようやく鉄骨部分が組めました。あとは鉄筋を入れて工場で作成済みのパネルをあてはめて、まだ階の底が抜けているんでこれを作って、とかたくさんありますが、そんな小手先の仕事は涼しくさえあればよく、頭は使いません。
 もっとも暑ければパソコンモニターの前に座れないので、できません、ラックが窓の脇なもんで。私は生まれつき無理をしないのでこれからも無理はしません。天は二物を与えず。そうそう都合良くはいきません。
 なんのこっちゃ。

 先日のご報告で、3週間経ってやっとバッファローのHDDが直ってきました。ただし、新品で。なんの記憶も残さず。
 この間、謝りの言葉もなし。というよりも、FAXで「確かにドライブ不良だから、『新品がいる』に丸つけて戻してくれ。いやならそのまま返送する」と書いてきただけ。俺のせいじゃねえ、と思ってんだろうね、中国製のくせに。価格comの口コミによるとサポートの電話は群を抜いてつながらず。うちの会社の商品はぜんぶ安い周辺機器で、いちいち面倒見られねえ、という趣旨らしい。ほんと、対応考えろよ。
 というわけで本日の役に立つブログ。バックアップは3通りを確保しましょう。
 といっても、わたしのは仕事の文書データだけだから、無料メールサーバーにアップロードしちゃってますが、何メガ(以上)もあっちゃメモリードライブを使うしかないけどね。。
 
 さて、さっき買い物で外へ出ましたら、うちのような都会の田舎でも二人でそれぞれスマートフォンを見ながら歩く30代の夫婦が。
 なんか気が知れないけど、子どもの親はたいへんだねえ、これでガラケーじゃいやがるだろうし、バッテリーはいるわ、wifiルーターはどうなのかねえ、ネット説明は意味不明だが。それより近々に誰か死ぬね。子どもじゃないといいんだけど。
 ポケモンに飽きても今ごろは次のドジョウを狙って開発が進んでるんだろうね、夏は麦藁帽子に捕虫網もって田舎の公園でも飛び跳ねて欲しいものだ。
 
 などという昭和がどんどん終わっていって。昨日気づいたら「さだまさし全曲歌詞集」が閉鎖、「ふくちゃんの音楽室」が閉鎖、「青春音楽館」も今年閉鎖してんだよね。いまさら言っても仕方ないですが、それぞれに楽しいHPだったのですが。
 じゃあ代わりに、って昨日歌のリンク集を探しましたがみんなリンク切れ。アナキズムHPもほとんど生きてないしね。とにかくホームページの時代じゃないんだね。ブログの時代さえ終わりかけている。刹那なツイッター。まあ私と一緒に昭和も終わりだな。
 高校までやってもらえる収入さえあれば、昭和はいい時代だったと思うんですが、私のような倫理主義者には。
 
 で、台所仕事中、口をついたのが、歌詞、「拝啓大統領殿」
 
   大統領殿 おひまがあれば 読んでくれるだろう この手紙を
   僕は今 戦場へ行く 徴兵カードを もらったところ
    僕は逃げる 戦いたくない
    あわれな人を 殺したくない
   大統領殿 腹を立てないで 聞いてほしい 僕は逃げる

   世界中のすべての兄弟に 僕は言おう 言って歩こう
   人生を 大切にしなさい 僕らはみんな 兄弟だ
    血を流すなら あなたの血を  猫かぶりの 偉い方々
   僕は逃げる 武器は持っていない 憲兵たちよ 撃つがいい
   憲兵たちよ 撃つがいい

 複雑ですが、北山修が訳して高石友也が整序して、加藤和彦が流行らしたのかね。
 ベトナム戦争時だったからアメリカの歌だと思っていたらフランス人だと(インドシナ戦争とのこと)。
 
 ともかく人が前を向いていた時代と仲間たち
 がいた同じ時間に生きた青春。これも複雑だね。
 わずかのラグのせいで生きている、ということもあるわけで。
 
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武市健人は資本論でも正しい

2016-07-16 14:50:06 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。この両日、東京方面もすごい雨だったですね。ただそれにしちゃダム貯水量の数値が動かない。しかもなぜか都のデータと国のデータが違う。それぞれなんかこだわりがあるんでしょうか。
 
 さて、世間では参院選かな、なぜか「繊」の字が出ますが。予想よりアベは増えませんね。とはいえ改憲数突破。いよいよ日本軍の時代がきます。自公投票者はよく自分の責任を心に刻むように。
 なかに「われわれが選んだ選挙結果」とか戦前並みの認識を続けるじじいの評論者がまだいますが、責任は投票者に限られますからね。他人に責任をかぶせて平然とすんなよ。投票者ただ一人の責任です。全て社会は、その方向に向かわせた個人の責任です。
 もっとも私の予言的には3年も遅れている。予言は小泉の時代だからねえ。まさかこんなアホが首相になるとは思わんし。

 まだ都知事選がありますが、朝日新聞でさえ都の課題はオリンピックと少子化だ、などと言う時代。要するに都知事のやることなんかなんもありゃしません。官僚に反対しないであちこちにぺこぺこ頭を下げればいいだけ。誰だろうが関係ない。
 まあ都知事がアベに反対するか賛成するかは政治屋力学的に大きいのでしょうが、そんな力学で社会は動きません。
 朝日といえば、今日も土曜なので特集にでかでかと写真が。佐藤慈子氏とあります。これも感心。朝日写真部は芸術写真の層は厚そう。京都の町家の中が暗くてブレてる、風を装っているのですが、いまどきのカメラでそんなはずねえやな。しかもなぜかピントの合った戸外の人物の線はきっちり出ているという、まあおしゃれ。ソフトでやんですかね、よくやるね、って気はしますが。ブレ写真は今は芸術風写真にはありますが(昔は前衛写真)、報道写真でデカデカ載せるのはよい根性です。
  
 世間ではたいした事も起きませんが、個人的にはささいなことも起きて、なにしろ神経が繊細なので仕事に響いて困ります。高齢化すると脳RAM容量問題に加えて、ホルモン量の不均衡分泌の問題なども出るようです。週刊誌の見出しにある「キレる老人」てやつもね。せっかくこの半年の焦燥が変じて、この世の春を満喫しているのに。
 もっともおかげで喜びというよりもそれが小さな幸せとして感じられます。
 
 さて、本日はマニア話題なので、その前に役に立つブログ。天ぷら油の魚の臭いの消し方、の確認。世間の情報はほとんどコピーで信じられないので、こちらで確認くださいませ。
 みなさまの中には、におい消しには梅干、というのはご存知かもしれませんが、じゃあ梅干いくつ入れるんか、と見ると、「2、3個」「3個」「4、5個」と続きます。こうした情報は本物でしょうが、誰が臭い消しのために梅干を4つも5つも消費するんだ、という話で。まともな梅干がいくらすると思っているのか。1個30円以上だぜ。ここの読者はしませんね。「しょうがを入れる」というのも大同小異。しょうが、小1ケで100円だぜ。サラダ油1Lは200円。
 というわけで別の情報。長ネギの青い葉っぱを入れる。関西方面の方には不明かも。青ネギだとどうなんですかね。
 ともかくもネギの食いがたい堅くてシナシナの部分を切って投入。深さ1センチに対し、食えない部分を2本分、または、人によっては全部切り落とす青いところ全部を1本分投入。弱火でカリッと上がるまで揚げます。これにて終了。
 (保管容器の底の沈殿物は捨てたほうが良い)
 これで魚臭さは通常並に戻ります。代わりに当初はネギ臭いですが、1日経てばネギ臭さも通常並に戻ります。
 以上、関東以北に役に立つブログでした。
  
 で、本題が資本論弁証法。
 そんなこんなで自分の仕事をしつつ、暇つぶしに中野徹三なんか読んだりしながら暮らしてるわけですわ。それはどうもはたから見れば全部が暇つぶしのような。まあ中野(生活過程論)なんかは、せっかくマルクスやレーニンが特徴化した論題をまた拡散させているだけの無意味なもので、「まあおやんなさいよ」以上のものではない、上に、当該人物はおやりになる前に年老いてしまった。だから、そういうものなのです(=現実を写しただけでは、そのニセ絵がどんなにうまかろうと、序論で終わるしかない)。ま、こんなもんを読むのはたしかに暇つぶし。このポイントは、創造的でありたいならば持続的に脳内RAM容量をそこに割く必要がある、ということで、これが中高年になれば1.5以上割けないでしょう、と。かくて人は外観的に暇つぶし状態となるわけです。
 そうこうした中で問題は、やはり論文構成。
 中身は、こういっちゃなんですが、よほどのプロ以外はどうせ読んでもわからないことが経験上知れましたので、正確に言うと読みきれないのでわからない、ですが、いずれにしても、30時間くらいのざっと読書で分かりそうな気にさせる構成が命。
 ところがコトは現実ではなく観念分野なので、普通の弁証法理解ではたちゆきません。正も合も観念段階の事象では話にならない。
 というところで気づいたのが、そういえば現存の資本論もそうだ、と。
 純粋資本主義を想定だの、そんなものはおかしいだのといったって、要するに本人が国家さえ導き出してないんだからしょうがない。資本論は観念論議です。
 そんな中、武市の弁証法を読んでいたら、人間、問題意識で目の行くところが違うものです。
 いわく、資本論の弁証法は、本来的な自然を始元として、反から行う疎外された弁証法である。とのこと。
 まあ、ものすごく遠慮がちに1行だけ(!)書いておりますが、死ぬ前にこれだけは再版したかったようなので、自信はあったのでしょう。
 『ヘーゲル体系の体系と性格』、現在は「弁証法の問題」所収 (なお、今はこういう括弧はつけないよ)。
 ともかくもそうなんだよね。だからマルクスも「プラン」的には国家まで行けるつもりだったんだよね、完璧に道は閉じていたけど。
 まあ、理屈上、現行資本論では第3巻の最終章が国家の裏側になるわけだ。諸階級。しかして、そこまででよい。反から始まったのだからね。
 しかし、それを脳のない諸君には、さらには脳はあっても凝り固まった宇野にも、とうてい納得させがたいということは、今までの彼らの対応でわかる、と。
 かくて武市先生、1行。
 
 いずれにしてもマルクスが、「諸階級は国家の裏側だ、自分が叙述したのは単に国家の内部過程に過ぎない」 と1行でも書かなかったのが巨大な過ちだね。過ってたから歴史的にイデオロギー力が持てたともいえるが。
 というわけで、反から始まる次回上部過程論、正との繋がりに私は1ページかけます。
 
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くらい話

2016-07-09 14:35:24 | その他
 こんにちは。暑くなったり寒くなったり、なかなかめまぐるしい。暑いだけよりはうんといいですが。
 当方おかげさまで水を貰ったしおれきった草のよう、頭の中じゅうに自分の仕事を吸収して作業を満喫しております。
 外から見ればぼーっと気の抜けた退職じいさんでしょうが頭の中はぐるぐると一杯。
 時々本を広げるから「ああ少しは活動もするんだな」と思うのも間違いで、これはヒートした頭が焼け付くんでメモリーを解放しているという消極作業です。メモリーが焦げ付く、というわけで。
 能力の低下した脳をあやしていくのもなかなかむずかしい。
 
 そういえばここのところ、将棋の羽生という昔の7冠王が45歳になり、タイトル戦ボロ負け中。自分で自分を信じられなくなっているようでかわいそうです。
 頭の能力低下断層は、30歳、40歳の次に45歳、50歳と続くのですね。で、45歳の断層は頭の良かった人間が普通になる断層。人間、このときまでに蓄積を終わって、蓄積を核に雪だるまにする方式を取らないと人生そこまでです。
 羽生先生も、頭の良さで勝負するのはあきらめなくては。
 若い皆様もお気をつけください。
 ちなみに50歳を越えるとメモリー容量不足の進行で、十全の8時間労働はとうてい持たなくなります、ということを嫌でも自覚させられます。御社の部課長も、夕方の決済は「エイヤ」ですぜ。
 大学教員の方々も、授業して会議に出たらもうそれで一日終了。研究なんてそんなこともしてたっけ、状態。できるのは他人の説を升目に埋めて論文の体を作ることだけ。あとは睡眠によるメモリークリアをどう配置していくか、が以後の人生の分かれ目。
 ま、60歳過ぎればもう質に転化する余地もない量的能力低下なので、そういうのにも慣れっこになるわけですが。
 
 以上、役に立つブログでした。若人も早くそうした事情を知って精進しなきゃね。スポーツだのゲームだの映画だのデートだのと、およそ人間には遊んでる時間なんて1秒もありませんぜ。そんなものは年取ってからにしなされ。
 なんつってると、九州南部の人は本気にする。
 以上、いじわるじいさんでした。
 
 さてと、選挙ですね。
 わたしのような若者感覚の体現者には、やっぱり安倍ボロ勝ちに思えますが、いかが。
 イスラムテロや警官狙撃にはまだまだ間がある、というだけのことですが。
 国政というから難しいんで都知事選を想定すればわかる。東京都民、だれにいれるって面白いやつでしょう? 東京では大阪と違ってアホは「面白くない」という範疇者なんで候補者はいず、どうしようもなく困るという。
 他方、アベは面白いからね。まじめそうなやつらが困ったりぶうぶういったりなんて、想像するだに面白いじゃん。
 みんなバカじゃないから誰がなったって政治の結果は、共産党以外はみんなおなじだって知っている。資本家は儲かり小零細企業は相変わらず。派遣は派遣、契約社員は契約社員さ。
 じゃあ面白いほうがよいではないか。
 そんなこともわからないというのは、わからないフリかね。
 それにしちゃ民主党とか票がはいるじゃん、て、私は「学校で教わったから投票する」という階層の話はしておりません。「期待」の話をしているのです。
 選挙に期待しちゃいけませんか? 政治ってほんとは期待して参加するもんですよ、格好だけの参加でも。
 そして期待する人間が歴史を造る。ナチス政権とか。
 しかして今、本来の選挙民はアベにつく、といっております。
 テロや狙撃の前段階では。
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飲み会の意味

2016-07-02 17:19:41 | その他
 こんにちは。いやあ、暑。とにかく湿気っぽい。外勤の方はご苦労さまです。
 私儀、ようやく晴れて無職になりましたが、この気温では理論に沈潜するには機を逸してるような。
 
 さて、モノフェチ的に、2件。
 バッファロー外付けハードディスク中国製、PCF500U3、2ヶ月で壊れました。ざけんなメルコ。
 HDDはどんな新品だろうが壊れた瞬間にメモリーはゼロです。直すのにテストデータで上書きすんだと。
 正確に言うと、その前に別契約でメモリーを救うことが必要、というわけですが、知らねえ。2ヶ月で壊れるなんて思うかよ。
 速攻、I-Oデータで買い直しました。PCはいくら古くとも私にはメモリーは命です。

 その2。シチズン腕時計Forma、1985年、1万4千円、とうとう止まりました。30年経ったら休んでもしょうがないさ。
 でもイトーヨーカドーのパートのおばさんがいうことだからよくわからない。とりあえずは電池切れで止まったのに違いないのですが。
 でもまあ竜頭とか調子悪いんで4千円の代替品を買ってみましたが、そのうち本物の時計屋さんで直してもらおうか、と、電池を抜いておくことにしました。切れた電池は液漏れするので抜いとかないと危ないのです。
 さて、役に立つブログ、時計の電池の取替えはどうするか。
 フォルマのように薄っぺらい時計は、裏蓋をパチッと開けてパチッと閉じる方式です。(なお、分厚くて裏蓋に刻み穴が入っているのは回すようですので、別です)
 パチッと開けるには、裏蓋をよく見るとよくよく見なければわからない薄い透き間があいておりますので、そこにごく薄い刃のようなものを差し込むと開くのです。
 シチズンは裏蓋に「→12」のような記号がありまして、これが「12時の方向に透き間あり」という意味。
 実際ありますので、ここに刃を差し込みます。刃は専用のものをホームセンター等で売ってるので素人は専用のほうがいいかと。
 で、刃を2ミリまっすぐ前方へ押し込む、とパカっと開きます。まあ不思議。ただ、反対側の手の指にお気をつけください。
 さて、ここからが深刻。開いたものをどうやって閉めるか。
 方向をよく合わせて、貝殻を持つようにして透き間の上部をぎゅっと押すと、パチッといって閉まります。
   「ば~か、当たり前だろう」、ってそうじゃないんだから。
 15年前電池変えに行った店で「あれ、閉まんない、固いぞ、ブツブツ」っていわれたんだから。万力に挟んで押し込んでたからそうじゃなきゃ閉まんないかと思って、裏蓋の閉め具も買っちゃいましたよ、むなしい。時計の調子が悪くなったのはあの店員のせいかもしれない。
 ともかく、厚みの薄い日本製の時計をお持ちの方は、まずは自分の親指を信頼したほうがよいです。中国製の場合は知りません。
 
 というわけで本題。昔の知り合いがまた倒れてしまったとのことで、まあもう残された時間がないと仕事をあせるのはいつものこととして、なんとも複雑な気持ち。その人とは思い出という思い出もないのですが、私の疾風怒涛の時代の明確な一員で、不思議なことに家族のような気さえする。「疾風怒濤」って、要は「青春」だね。
 これは思うに、その時代のどこかで存在した楽しさが、その人の思い出にも反映しているのではないか、と。
 一昨日は仕事の最終日で、ありがたいことに若人やそうでもない人たちと飲み会をしていただいたのですが、よく考えると、過去あまたある懐かしい職場関係の飲み会って、その内容はまったく記憶がない。ただ、楽しかっただけ。でも仕事中ってそうは楽しいことなんかないから、もしかするとどこかに楽しさがあれば、内容なんかなくともすべて登場人物に転化されて楽しい過去になるのでは、と。
 登場人物に転化される、ってとこが大事ね。
 私など高齢化してるからもう何度も「思い出がある場所」という設定を訪ねたことがあるけど、そんな場所は実は存在しないのね。
 場所は、そこに居た登場人物とセットでなければ何の意味もない。空虚なだけ。
 逆に登場人物と居るったって、別に昔話をしたいわけではなくて、昔に戻れた気がするだけなんだけど、その気だけがうれしいんだね。
 これは、呆けきった人でも同じことが起きるのでは、と。
 呆けた人も、人と居て内容に関わらず満足があれば幸せなんじゃないかね。ご飯がおいしいとか、自分の意志が通ったとか、理由なんかなんでもいい。楽しさだけが人とセットとなって、その日がいい一日となるのでは。
 
 まあ、一昨日はそんな気がした若人との時間でした。
 
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