リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

本日は将棋(中高年予備軍向き)

2017-08-30 20:09:30 | コーヒーブレイク
 こんばんは。ひさしぶりのコーヒーブレイク、きょうは寂しい中高年将棋。
 本日、羽生3冠が1タイトル失ってしまいました。ボロ負け。4敗1勝にて敗退。
 あーあ。

 本人、ある局面で全てに近い手を読むこととその中の価値を見極めることで7冠王になったのですが、あ、こりゃだめ。端から忘れている。あの恐ろしい中高年病の発症です。46歳メモリー不全。

 読むったってそれを覚えてなきゃしょうがないのですが、これが覚えられてない。途中で入り組んじまう。別に羽生のファンではありませんが、わけわかんない若いのにやられると悲しい。
 昔の大山名人という人は読みゃしないで69歳までベスト5に入っておりました。そのまま死んでしまいましたが。読まなくても将棋は勝てるのか、って、ゲームを自分の好きな形にもってく方向を知っていればいいのです。不利にならないようしながらその方向に進ませればいいわけです。それで好きな体勢なら広く読まなくていい、元は強いから部分的には最強、最善でなくともそのまま押し切ってこっちの勝ち。

 森下9段ていう人もいてこちらは3年前48歳でコンピュータ将棋と対決、圧倒的優勢のうちに、体力が尽きて引き分けにしました。そんなに強いの? って、メモリー使わなきゃ勝てる、って主張したから。具体的には検討用に傍で将棋盤を使っていい、というわけ。これなら覚えなくとも読む力さえ勝ればそちらの勝ち。いかにメモリーというものが大事か。というわけです。
 はあ、、、

 というわけでめずらしく中高年予備軍向きに役に立つブログ。というか、本日は面白くないので気晴らし。
 だいじょうぶ、年取っても頭は減りません。ただ、メモリーのなさをどうカバーするか。
 道具を使うことはしょうがありません。
 メモリーは外部へ置く。
 メモとペンはそこらじゅうに置いておく。
 論文は打ち出して見直す。
 まあ、紙代とインク代は中高年以上の税金です。
 
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アイデア入手法を簡単に

2017-08-26 16:38:29 | その他
 こんにちは。野原のヒメジョオンにシロチョウが群がる今日この頃、処暑も過ぎ、そろそろ夏も納めどき。まだくそ暑いですが。わたしは結局なんだかんだ親族的に落ち着かなくて、今年の夏はお客対応だけです。
 先週は更新後、近くの多摩川での花火が開始数十分前に突然の土砂降りで中止。当家的には事前の雨レーダーであきらめていたので被害はありませんでしたが、カネ出して席で待ってた人は突風に前が真っ白になる土砂降りで大変だったもよう。本日は神奈川県内で最後の花火が幾つかありますが、危ないながら逃れそう。洪水の大曲花火もなんとか復旧、開催のようで、まあよかったですね。なんでも花火屋への支払額は変わらないそうで安心しました。中止で花火が残ったらバラしたりして使えるものは再利用だそうです。
 
 さて、先週末からはそこそこ興味深いニュースがあったのですが、みんなただの感想モノだったので時が経つとわざわざ書くこともなく。最近のニュースは興味本位のものばかりなので、休みの日の面白い出来事で潤うのでしょう。ウィークデーになると何も残らない。
 ま、いいや、たとえば松山千春の飛行機マイク乗っ取り事件とか。別に揶揄じゃないけど。
 私など素直だから、おう、よかったじゃん、と思いますね。千春はこのブログではお初でしょうか。右翼だからね。でも私は心が広いし。若いときはまともだったんだよ。夜中の勉強時、聞いておりました、オールナイトニッポン。なんたって、佐田みたいにカツラなんかに頼らないとこがいい。男じゃないか。ハゲ隠しの坊主頭でヤクザ映画に出たときは、ギャッとなりましたが。

 とか、ケンブリッジ大が中国に魂を売ったとか。日本は新聞報道ないんだって? 呆れたもんだ。何億円か中国の売り上げがあるんで、天安門事件とかの文献は中国人民がネット接続できないようにしたんだってさ。バラされたらさすがに大騒ぎになって、2、3日前措置凍結とか。イギリスの差別主義者なんかそんなもんさ。まだアメリカ人のほうがマシだ。皆様もお間違えなきよう。アメリカ人のほうが非差別的です。差別関係ない? いや、人間一事が万事。てめえがボスであれば正義などどうでもいい種族、ということです。
 
 ところで最近想定をつけたんですが、中米6カ国、あんな狭いところに順に並んでおかしいと思いませんか? あれはスペイン植民地下の自治州制度みたいですね、本やネットには書いてない、ただの想定だけど。アメリカの州が植民地自治州だったのと実質同じような経緯のもよう。って、アメリカの州がどれだけ自治州だったか書いてある本さえ入手しておりませんが。少なくともアメリカは、独立前の長い間、イギリスの意を受けた小役人がボスになって州内に権力を振るっていたもようです。こういう知識を得られる本は、あっても40年以上前のものなんだよね。いまだに「本屋が危ない」とか言ってるけど、まともな本も売らない本屋はあっても無意味でしょ。まあ、グチを言いながら頑張ってる知り合いの本屋さんはいるので、あまりいわないけど。とても息子には継がせられないってさ、別の話だけど。
 なにしろ私の相手は世界206カ国。
 
 で、役に立つことはなんかないかと考えた結果、わこうどはあまり知らないかもしれないので、アイデア入手法にしようと。といっても自分の中のアイデアね。
 アイデア王を任ずる私もそろそろアイデアの泉が危ない兆しがあり、言う資格のあるうちに言っておこうかと。まあ年寄りは経験則で知るけどね。
 まずポピュラーなのが、「歩く」。先輩がよくやってました。煮詰まると下宿から出て野方の住宅街を歩く。いや、どこを歩いてもいいんだけど。(車の通らないところにしてください。最近のドライバーは信じられない)
 カントみたいのは、ありゃ年寄りの散歩だと思うけどね。煮詰まってからやったほうがいいです。学生は、ながら的に歩けるし。
 ついで、歩くったって歩きながら考えてちゃいけないんだよ。咲いてるこの花はなんだろうとか考えてもいけない。茫然と歩かないと。あるいは、無心になるタイミングが必要。アイデアは無心の瞬間に訪れる。石にけつまづいて、転ばずにすんでほっとした瞬間とかね。会社員だったら、電車からホームに降りて気分が変わる一瞬とか。通勤時はスマホなんか見ててはいけません。あくまでボーッと。しかしその前に煮詰まるまで考えて。
 ついで、風呂に入る。「ユーレカ!」だね。侮りがたいのが、風呂場に入る瞬間とかバスタブから出た瞬間。だいたい無心でしょ?
 ところでさっきから「一瞬」やら「瞬間」とか書いてあるけど、俺の課題はもっと複雑だ、系の疑問へ。
 だいじょうぶ。脳を走るのは瞬間。おお、と自覚するのが2、3秒。それで実質10枚分くらいの中身は走ります。人間の脳もコンピュータと同じく電気信号ですから。たかだか20Kバイトじゃありませんか。
 (なお、「酒飲んで脳を活性化させる」というのは効果弱です。引き続いた思考を続けて、その先にあるもので満足するならいいんですけどね。世の中、自分も他人も気づいていない画期的なことがたくさんあるものです。これは「活性化による展開」ではなく「煮詰まった末のブレイクスルー」でないと得られないでしょう。同じ意味で、「仲間とブレーンストーミングする」というのもあまり信じてません。楽しいでしょうけどね。) 

 ところで、いま土曜夕刊が来ました。本日は死んだジャンヌ・モローのことが載ってます。彼女の言葉、「いつだって少数派に理がある。」。そうだそうだ。ケンブリッジ大に聞かせたいぜ。
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社会主義原理論の構制

2017-08-19 15:49:00 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。お盆休みも終わってそろそろ稲刈り準備でしょうか。準備って、わたしはほとんど知りませんけど。今日は東京は久しぶりにちょっと太陽が見えましたが東北地方の米はだいじょうぶでしょうか。寒さの夏はおろおろ歩き、で、心配です。日本のお米食いたいし。
 
 さて、不愉快なニュースも多々ありましたが、すぐに日が経ってしまうのでわざわざ書く気になりません。どうせただの感想ですし。KKKはアメリカのエスタブリッシュメントが代わりに文句を言ってるし、キチガイイスラムは全庶民的に代わりに言ってるし。
 ただ、某派を覗いたら「エックスキースコア」とかいう知らん単語が出てきてて、朝日新聞に書いてないことはよくわからない。ネット使うと内容まで全部官憲にばれちゃうんだって? それはそれは。警察も大変ですね。解読に人がいくらいても足りない。アルバイトにはやらせられないし。どうせなら私のような素性のはっきりした人間にやらせたほうがいいのでは? 最賃でいいですぜ。
 
 さて、というわけで、普通の皆様にはここまでで。ここまで、ってなにもない、、、
 昨日チキンナゲット作ったんですが、失敗。挽肉に相当味付けて卵入り、衣なし。苦労のわりにうまくない。だいたい苦労のない唐揚げのほうが断然うまい。
 それとソースさあ、蜂蜜、マヨネーズ、ケチャップ。分量変えて試したけど、本体がソースに負けちまう。負けない味じゃあ身体に悪い。っていうかそんな強い味ならソースいらない。
 というわけでお作りになる方は味の付いた衣が必須と思料します。しかし、あのべたべた肉に衣つけたくねえ、、、
  
 本日は先週の続き。聽涛という男、けなすだけけなして中身書いてないからね。話は、日本はもうみんな豊かになったから、あとは福祉国家を追求すりゃあいいんだってさ。共産党はインター組織に入ってないから自分の食い物や衣類が他国の貧窮労働者の産物だと知っていても平気の平左。

 さて、話を変えるようですが、生産力とはなんでしょう? 私は社会科学徒なので暇つぶしの哲学上の定義など知りません。生産力とは食べ物を何人分作れるか、という力のことであり、食べ物を作る人が欲しがる消費物品を何人分作れるか、という力のことです。
 さて生産力といえば歴史の発展の動因ということになっています(みなさま、chiebukuroを見るときは、常に、眉に唾をつけてみるように)。ではなぜ生産力が発展の動因かというと、食物の供給にあずかれるヒマな人間だけが、支配し、水道を作り、医療や衛生をつかさどるからです。まあ、御自分の好きな消費物品を足してもよろしいですが。で、これらを圧倒的に生産できるのが、資本主義生産様式だ、ということになるからです。
 はん、ちょっとコトバが変だけどアタリマエ? いやいや、おそらくおわかりでない。
 
 で、(元?)共産党が誇る日本の福祉は、既に日本人民の作ったものではありません。日本人民の闘争の勝利の結果だとか書いてありますが、ウソです(テーマが別なので注1)。共産党以外のマルクス主義者なら誰でもいうように、その原資は帝国主義国の後進(植民)国への収奪の結果です。南北問題、中心と周辺、みな同じ事態への呼称の振り方の違いに過ぎません。
 そんなんでいいのかい?
 左翼ならいいわけがない。しかし、よくないといってもそうなっている。それは資本主義の鉄の法則、窮乏化を担うのが既に植民地的周辺だからです。そこから逃れるためには、先進国以上の利潤を上げ、先進国労働者をこき使うしかない。しかし、残念なことに、この椅子取りゲームには勝利できない。後進国は後進国内に無告の窮民を抱えており、この窮民の行き先がない。行き先は先進国に押さえられていて作れないのです。かくて狂気のイスラム国です。あるいは凶器のアルカイーダであり、タリバンです。彼らは別にイスラム教徒ではなく、先進国の暴虐に挑む狂人にすぎない。

 じゃあどうするんだ、って、基本、そんなに「福祉の」資本主義がよかったらそうしてりゃいいと思うんだよね、先進国労働者貴族たちは。あとで泣いたってそりゃあ知らねえ。後って次の平日のことだよ。2017年8月21日(月)。朝出勤したら「お前クビ」。いつまでものうのうと暮らしてられると思わないほうがいい。ま、私には関係ないわけだ。
 私の仲間は既に分断された下位のプロレタリアートであり、それに賛同する左翼のみ。
 で、そこでどうするんだって、さてそこで生産力定義です。先に述べた説明のどこにも、生産力は1国の全体範囲で上昇しなければならない、とは書いておりません。誰もが毎日ビームスメンのシャツとパンツ(注2)を着て毎日フルコースを食べられなければならないとは書いてありません。
 食べたいものは食べれば良いが、変わったものを食べなくとも不幸などではない、ということです。
 衛生的な日常とどこかに医療があれば、理不尽な死が身内にやってこなければ、あとはその国での人間の行為の自由があれば良い。
 
 じゃあ、人間の行為の自由はどうやって得られるんだ? 日本の資本の下で現地の「小さな」大企業に収奪される労働者に行為の自由はあるというのか?
 今私が言ったのは、後進国がブルジョワジーとプロレタリアートとに2大分化する必要はない、ということなのです。そう書かないと、「資本主義を経由しないと社会主義にはならない」 とか言い出す連中がいるからね。そんなものを経由しなくとも、商品文化にさらされた人間たちは別の社会システムを作れる。(ロシア革命の話じゃありません)
 どんな社会だ? って、人間が都会でカネのためだけに働いて思う、「帰りたい社会」であり、かつ、「帰ってやっぱりよかった」という社会です。
 抽象的?
 世界ってさあ、206カ国もあるの。具体的に言ったら「ここは適合しっこない」ってけちが飛ぶだけじゃん。そういうことをいってるんじゃないの。だいたい作るのは当該国の人民だし。
 
 じゃあ、そんな他人が作るシステムなんて語れないじゃないか、ってそうではない。
 資本主義という頚木(くびき)、世界資本主義という頚木をどうやって取るか、どうやったら取れるか、そのときの先進資本主義国のシステムは何か。それが『社会主義経済学批判』なのです。問題はグローバルだということです。このグローバルな影響には、先進資本主義国の資本主義からの脱却が必要なのです、共産党は聞いてるか? さらにいえば、社会主義原理論には、資本主義のこれから辿る過程までもが、世界社会主義の原始的蓄積として、必要なのです。資本論は現にある現実の分析だから、過去にあった事象等を分析する必要もない。原蓄のことです。しかし未来の社会体制の本質を語る原理論においては、そこまでの道程までが原理論の範囲となります。 
 
 ま、わたしなど今日死んでもぜんぜんおかしくないんで、ここにいらっしゃるユニックな方たちに引き継いでやってくれるならと、ちょっとお話をしておこうかと。
 もっとも問題があって、まだ私の代表作3冊目が印刷されていない(=印刷原稿として見直すのがつまらないからやってない)。


(注1)それは「運動の結果」であって「闘争の成果」ではない。それでは労働者や被支配者が勝利したみたいではないか。支配の構造とは「動的均衡」というものだ。文句が強ければ「わかったわかった」と所与の条件に入れるだけであって、その分他でバランスを取る。一部の資本家が困ろうが、支配者はぜんぜん困らない。又、他の資本家も困らない。では全体の資本家に関わる事項ならどうかといえば、全員が歩調を合わせるならどの資本家も困らないのだ。そんなものは基本である。実際、支配者も資本家も人間なのだから、一般人に良いことは自分にも良いことであり、利潤のために頑張っているようでも行為者としては痛し痒しなのだ。

(注2)わたしゃ知らない。今検索して見つけただけ。

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宇野恐慌論の限定性の無意味さ

2017-08-12 11:28:31 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。いよいよお盆休み。今年は長いですか? 先週は東北は大祭シーズンでしたね。雨もだいじょうぶだったようで、遠いのが残念。でもこれから天気はちょっとはかばかしくないもよう。留守番担当の人は、譲歩のずらし日分、ちょうどいい天気だといいですね。
 ちなみに、夏の温泉もよさそうですよ。私は足の小キズで、一昨日、久しぶりに全身湯船に浸かったところ、気持ち良くて驚いた。地域的には東京にも温泉はたくさんありますぜ。戸越銀座温泉とか、中延温泉とか、って、特殊地域的に有名な馬込温泉をお知らせしようとしたらもうやめたんだって。お近くに銭湯ありましたら思い出に入っておいてくださいな。
 わたしは状況つまんないので関係ないす。

 世間では、小三治が「アルツハイマー」だって一時ネットニュースで流れて驚きました。アルツハイマーで落語やれる! 信じられない。実際、事務所は否定だって。そらそうさ。他人に分かる時分に落語ができたら、そりゃ本当の年季。もっとも小三治なら、とも思うけど。
 それとは別にただの認知症人間。ありゃ絶対年寄りのふてくされだと思いますね。努力しなきゃ忘れる器質の存在(出現)は認めますけどね、でも、ありゃあウソ。つまんねえから疲れる「記憶作業」をサボってるだけ。(こういうのを昔風には「ネグってる」といいます)。それで努力しないから忘れるし、本人それでいいや、ケセラセラと思っている。「急に劇的に改善した」とかって、単に、なんか状況の変化で自分の行いを正しただけだと思いますね。誰でも直るのでは? と、これは最近の収約。

 もっと世間では、いよいよ戦争、というか、襲撃勃発か? 北も周りが一生懸命とめてるのに、というふうがありあり。アメリカも資本家出身高官は常識がありそうだけれど、海兵隊大将のジョン・ ケリーは危険そうなやつ。こひつの根性を1割でもアベにあげたらすぐ日本など引っくり返るだろう。こうゆうのは「反乱」か「革命」か。およそ国家支配者とは資本家ではなく武力操縦者なのだから、いくらでも国家を非合理的に操れるのだ。「大統領」でないからといって油断などできやしない。

 さて、こちらの記事は左翼用。
 
 姫岡玲治(青木昌彦)が回想録を出したと知れて、こういう連中が何を考えてるのかずっと以前から知りたかったので借りてみました。西部は読んだことあるが、あいつはもともと変なやつのようだし。で、読んでやっと分かった。ただの権力主義者・権威主義者なんだ。そこらの社長とおんなじ。わたしなど、左翼といえば人間中1割のエリートと思ってるから分からなかった。こうゆう権力主義者・権威主義者が左翼の範疇に入っていく、そんな時代が変革の時代なんだよね。今はかんけえねえひとびと。わたしにはあんなやつらは友達にいないのでうれしい
 ついでに、共産党の主張の確認のため、元の党政策委員長という触れ込みの聽涛弘、大月書店というのがあったので借りてきました。ら、失望。習い覚えた左翼用語で言葉を飾り立てても、要するに社民以下、民同以下。民主党の枝野とどこも変わらない。こんなとこにも転向者がいたのか、と暗澹です。もっとも、これが共産党かも。まあ飽食の世界で選挙票を受動的に取りたいと思うとこうなるんだろうねえ。
 ついでに、朝日新聞の土曜連載は、「思想家」渡辺京二だと。まったく飽食の時代。転向者はなぜおとなしく塾の講師をしていないのだ。と、前ならいぶかしく思うところ、分かった、こういうのも姫岡と同じなのだろう。これからは「姫岡と同じだ」とつぶやけば何も悩まずに済みます。

 さて、本題は、唯一敬意を払う日本人学者、宇野の失敗作、恐慌論。
 yahooニュースから。「外食企業によるM&A(合併・買収)が活発化している。(中略)そこには「人手不足」という根深い事情がある」だとさ。
 何度もいうように、人手なんか足りてるんだよ。いくらでも職のない人たちはいる。じゃあ何が足りない、って給料が足らないのだ。給料を時給900円から1500円に上げろ。すぐ人なんか集まってくる。ムリだ? ムリかどうか資本家じゃないから知らんが、給料は上がらない。
 そこで宇野の悪名高き恐慌論。「給料騰貴で恐慌が起きる」とか、死んどれ、って気がするやね。そういう話はやめれ、ムダだ。ということです。でもいわざるを得ない? そりゃ自分の理論の構成が間違っている。
 これは「原理論的恐慌論」というべきであって、こんなのを「恐慌論」と呼ぶから宇野自身の信用が薄れる。マルクスだって資本論でそういってる、って、19世紀前半のイギリスは、あるいはもっと経った後も、労働市場(いちば)制なの。労働者が市場に寄り集まって、「おいお前、週4シリングだ」って。今じゃないだろうけど、昔は高田馬場の戸山公園で朝労働者が集まってガタイのいいのからバスに乗って連れられてった、そういう制度。わたしゃ地域ベ平連の集会でしか行ったことないけど。ともかく、そういう競り市場ならそりゃ給料も上がりもするだろうさ。で、日本で好況のせいで上がるのか。そのせいで不況になるのか。どっちもウソだ。
 もっとも、そもそも読み方は違う。
 たとえば衣料品産業で好況になると、あぶれていた労働者が衣料品産業に集まる。これが給料の騰貴です。衣料品産業総体の給料費は高くなってんだからさ。
 で、衣料品産業の各会社は売れるからばんばん商品を作る。作りゃ競争で商品価格は下がる。ここで給料は下がらない。かくて、給料は相対的にさらに騰貴し、利潤率が低下する。いくら売れたって衣料品産業総体は儲かんないからね。
 このとき現象は相対的に給料は高騰している。利潤率も低下している、でも後から後から作るべく生産機械はフル活動、これでは衣料品会社はやっていけない。何かをきっかけに一部が倒産すれば、あとはドミノ倒しで恐慌が起こる。
 この事態をどう表現するか、というだけの問題です。
 まず第1に、こういうのは「商品が多すぎて売れない」というのが本当なのだが、そういってしまうと『どんどん買えばいいじゃないか。なぜ買わないのか』という別の問いが出てしまう。もちろん「いらないものなんか誰が買うか」というのが本当なのだが、『いやそれは金がないから買わないのだろう。いやそのはずだ。さて、好況期で賃金もあるんだから売れないのはそのせいではない。そもそも「売れない」という言い方からしておかしい。これは資本家が「これ以上安くは売らない」せいに違いない』とかいう展開になる。原理論主義者は消費者のそうした欲求・欲求充足は「経済学的原則」としてカッコに括って欲しいのだ。経済学至上主義だから。
 さらに第2に、原理論主義者は競争がお嫌い。資本は資本でやることは同じでないといけないのですよ、資本の間で競争なんかしない。そういう行動は辞書にない。「総資本」という言葉はあるけどね。マルクスもそういっている。「競争の現実の運動はわれわれの計画の範囲外にある、、、われわれは、、、理想的平均において、示しさえすればいい」んだそうだ。競争を書かないから窮乏化さえ起こらない。ま、これは別のテーマだが。
 ともかくばかばかしい話で、実際どうだっていい。現実の個人の賃金はそんなことでは上がらず、現実の恐慌はそんなことでは起こらない。「いや、現実は段階論的に扱う」、とか、勝手に教室で講義してろって。
 はじめからあるべき理論の構成が違うのだ。
 原理論とは価値の理論であり、それに尽きるべきなのだ。
 もちろん、それは資本論の間違いでもある。
 恐慌は恐慌の理論を作って解明しなければ無意味なのだ。経済学ではできないが。
 現実にあるとおり、恐慌は世界市場の問題である。「基礎理論的に世界市場を、すなわち、国家を、どこまで法則的に組み込むのか」には天才が要るのだが、マルクス主義者には残念ながらそんな天才は持ち合わせた者はどこにもいない、というところが最後の「問題」というわけだ。マルクス主義者が世界市場を取り上げると貿易問題になってしまう。あるいはよくて国際価値論だ。それでは何も分かりはしない。
 はじめからあるべき理論の構成が違うのだ。
    ここまでついてこれたら偉い。これた人には課題として渡そう。人生、だんだん文字書くのが面倒になってきました。読める人がいないんじゃあね。
    じゃあやんないのか、って、人がやらなきゃやるけどまだまだ他の問題が多いのでまとめてやるには早すぎるでしょう。

 (p.s. そういえば恐慌論を読んだのは、20年前に呆れながら、10年前に馬鹿にしながら、の2回しかないのを思い出しました。厚い本だからなんか言い訳が隠れてるかも。宇野って隠すからね。なんか言い訳がありましたら教えてください)

 (p.s.2 それも無責任ぽいので、借りてざっと読み返しました。上記に問題なし。まあ、宇野的には恐慌は必ず金融恐慌を呈するのに利子率の高騰に言及しないお前は何だ(社会で資金形態の資本の供給が逼迫して利子率が上がるという)、というかもしれない、がそういう問題ではない。需要供給のつじつまあわせはただの形式に過ぎない。初めと終わりがつながればそれで原理論的恐慌論の記述は終わる、が、それでめでたいのは「これで資本論ぽくなった」と喜ぶ学者だけにすぎない。いったいなんのための恐慌論だろうか。資本主義の矛盾がその歴史的時点でどう現象するか、を法則的に告げない科学など人民にはいらないのだ。それは恐慌が破綻せずに繰り返すから悪いというのではない。資本主義はどの状況でどのように人民にマイナスの現象を起こすか、という因果連関の現実的解明ができなければ科学などではなく、それをあたかも為したかのごとき誤解しか結果しない仕事など、どこにも評価の余地はない、といっている。価値論は確かに宇野の誇る不朽の成果だが、同じ伝で資本主義分析が終わると思ったら大間違いだ。)

 (p.s.3 しつこいですが、宇野の経済学ゼミナールによると、資本主義の矛盾は、どの蓄積様式段階でも相対的過剰人口の形成にある、と思っているようです。そこまでいわれてはどうしようもねえ。全面的にアウト。哲学者と文学者は喜ぶだろうが、歴史はそうは動かない。
 ぶっきらぼうすぎるか。資本主義はね、教えてやるけど世界が相手なんだよ。欲しい労働力はいくらでも世界にある。タイの労働力を「相対的過剰人口」と呼べ、とでもいうのか。
 相手がバカだといくらでも書くことが増えていく。
 そんなものを相対的過剰人口と呼んだ瞬間に、理論の実効性はゼロになるんだよ。
 こういう気遣いは際限がない。果てしないバカを知りすぎてるし。もうやめた。)
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玉ネギを炒めないことの影響

2017-08-12 11:25:58 | その他
 こんにちは。いつものお客様におかれましては次の記事へどうぞ。この項目はお料理知識。

 で、ハンバーグです。
 先日、疲れていたので手抜きをしようと、ハンバーグで玉ネギを炒めずに、かつ玉ネギが余っていたので豪勢に使ったところ、新しい発見がありましたのでご案内。

1 炒めないと焼いてるとき水が出る。この結果油がはねて大変。
  肉400gに玉ネギ1.5個見当で、もういや。(基本、蓋はしますが全過程してないしょ?)

2 炒めないと成形が玉ネギの部分で崩れやすい。あるいは、結果も肉が柔らかい感触。
  普通に細かいみじん切りでしたが。

3 当然、焼いた後のフライパンの汁も池のよう。

4 まあシャリシャリというのは想定内だし、炒めないと甘みがどうのというのは私にはわからない。

 というわけで、玉ネギを炒めない場合は、
1 400gに0.5個ほどに止める。

2 あるいは早々に焦げ目をつけただけの煮込みハンバーグにする。

3 あるいはフライパン上で多量のソースに絡めるパターンにする。

4 小さめに作って、グリルで焼く。汁が落ちてもったいないけど。

のをお奨めします。ちなみに私はもうやめます。キョフテやコフタでしゃきしゃきがいい方は、玉ネギを少なくしたほうが良いかと、

   なお、本ブログはお料理ブログではありませんので他のページはお奨めしません。
  
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全面世間ばなし

2017-08-05 17:23:21 | 断片
 こんにちは。いいことありますか? こちらは悪いことの程度が薄ければいい日状態。いいことないなあ、というか、だから、ないけど、さほど悪いわけじゃ、みたいな。
 幸いここんとこ涼しいのでさすがに序文は書きましたが、「おわりに」が乗らない。乗らないのかボケてるのか、その辺もよくわからない。
 ニュースによると、海水浴客って30年前の5分の1だって。若い人が海に行かないんだってさ。へえ、そうなの。知らんかった。夏に海に行かずになにをするんだろう。新聞には「ゲームやスマホで遊ぶ」とありましたが、そうなの? まあどこにでも冷房があるから遠くへ行く必要もないのかね。
 
 また、世間話。ネットにアイスクリームの売り上げ順位がでています。アイスモナカが1位とか。美味しいよね。私は平均的人間。でもバナナ棒アイスがないの。ネットで探すともう10年前までしか出てこない。既に生産停止? 探す人はいるんだけどねえ、売れないのか儲からないのか、地味でインパクトないから新しいのに埋もれちゃうのかねえ。
 
 ついで、カップラーメンの順位も出ております。これも私と同様。私は高いからあんまり買わないけどね。
 ここは東京圏なのでやはり緑のたぬきがトップ。どん兵衛の関東味は微妙に塩辛いんだよね、醤油辛いんじゃなくて。まあわたしゃ1番はカップヌードルだけど。
 
 2、3日前の朝日夕刊に鈴木美紀子という人の短歌が載ってまして、ほお、伝統の現代短歌だ、と感心したところ、なんでも加藤治郎という人のところには俊英が育つんだって。教え方がいいんだろうねえ、どんな秘密で教えてるんだろう。ちょっと知りたいものです。
 という上記の文は、よく見ると誰もあまり褒めてないようにも見えるか。でも短歌はこのお弟子さんたちのようなのでいいんじゃないかなあ、と思うところです。
  (鈴木美紀子)
    朽ちてゆく鏡のなかの唇にあなたの名前を咥えさせたり  
 
 (先生の歌もいちおう。ネットの一番上にあったのが)
    残業のざんのひびきが怖ろしい漏洩前のくぼんだまなこ
 
 
 さて、本日いちばんまともなトピックはこれ。
 今日の朝日新聞の人生相談は上野千鶴子。冗談と女性問題担当、色物に近い。こりゃ回答者の選び間違いだな。新聞担当者も冗談だと思ったんだろう。「産直の野菜にアリがついてくるが、このアリを自分の庭に放てばふるさとに帰れない、困った。どうしよう」という相談。上野の答えはまず「殺生したくないんですねえ」。違うだろ。生きてるから困っているんだ。「南無阿弥陀仏でもアーメンでも唱えればいい」とか、まるで分かってない。目の前のアリを何とか幸せにしたい、と思ってるのに、そういう感性回路のない人間にはなにもわかりゃあしない。他の回答者ならうまいこと切り抜けると思うんだが。
 哺乳類というのは目の前の生き物は助けるものなのだよ。しかもこちらの都合で陥る運命なのだからさらに一層そうだ。ということさえ分からない。彼女にはもともとそういう回路ないし。たとえ10分後には食べるために殺すことになろうと、それは全然別の話だ。その10分後のために宗教的祈りがあるのであって、目の前の困っている生物に対して必要なのは祈りでも法律でもない。「手助け」だ。そうでなければ人間に感性など要らない。毎日ひたすら飯を食って死ねばいい。そうじゃないだろう、哺乳類というのは。 
 朝日のこのコーナーは、基本、脱帽する人たちばかりなんだけどねえ、
 
 あとはおまけ。ここんとこのマンガの代わりは降旗節雄で、間違ってるとか以前に、しょうもない論議を続けていて、量は相当量を読んだんですが、なにもここに書くことがない。ほんとしょうもない(他の論者に何を主張されても宇野の論を繰り返すだけ。)。まあ降旗の批判の題材にされている論者の所論もしょうもないともいえますが。でも彼には論者のいいところは見えないんだよね。心の狭さは上野のようだ。
 で、他の本、佐藤洋一郎「稲の日本史」によると、今のような日本的水田が存在するには、鉄器が百姓のものになっていなければいけないんだそうな。古代の木の鍬なんてウソだと。それに人手。草取り作業一つとったって世の「水田跡」なる広大な地域は耕作できないんだと。平安以前は、年をおいて焼畑みたいに部分部分で休ませたり耕したり、しかも収穫も稲だけじゃなくてヒエでも何でも一緒に取れるものはまとめて収穫して、さらにまとめて調理してた、はずだ、そうです。ざっといえば。
 茫々の広い田んぼの隣で、おおらかに、しかし必死で生活するしかないイメージっていうのも、正しそうな。

(P.S.)
 役に立つブログ、本日は役に立たない、と恐縮しておりましたところ、今見たら「築地場外市場で店舗7棟が全焼した火災で、火元のラーメン店の壁は出火前から炭化し、燃えやすい状態になっていたことが新たにわかりました」との情報が。
 ひとごとではありませんよ、皆様。2口以上あるガスレンジだと、左と右で火力が違うのが普通。片方は2800キロカロリーなのに、もう片方は4000キロカロリー、とかね。(今ネットカタログ見たら、書いてねえんでやんの。馬鹿にしてるね。) さてそこで、火力の強いほうの側が壁だと、ここに熱がこもって、たとえ外見上ステンレスの火除けがあっても、その内側にある木、等が、炭化するのですよ。危ないのでシンプルになるべく使わないように、というところです。次に買い換えるときは右左、逆に。ね。

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