リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

思想に左右されない時代の民

2020-08-29 11:02:27 | その他
 こんにちは。お元気? まだ暑いよ。どうにかしてほしい。
 おかげでめまいや筋肉のけいれんや体のだるさや吐き気や頭痛が起きるんだよね。しかも麦茶も飲みたくなくて、水分補給はできてるのかなあ。
 って、熱中症じゃん。今、ネットの「熱中症の症状」からコピペしたんだから間違いない。
 もっともわたしの見立ては自立神経失調症。また残っている加味帰脾湯飲めばいいんだけど、酒がまずくなるんだよね。わたしの見立てでは、肝臓への負担が大きすぎる。
 ま、あと1日と思えば。

 パソコンは、艱難辛苦の末、ようやく前のwindows7の使い勝手に9割くらい戻りました。あと10年もしたら、とてもじゃないがやれないな。誰かに頼むしかない。
 あとの1割は我慢。なんでも思い通りにいくと思っていいのは、若い時だけです。
 お気に入りのWZエディターV4も使えはするのですが、アイコンが設定できず、win10でやると見苦しいデザインがデスクトップ中に広がる(テキストデータがたくさんある)ので、使用停止。この記事もメモ帳で書いております。ひたすら我慢。
 ん? なんか胃が痛い。これは熱中症にはないな。

 アベが辞めるってね。お疲れさまです。もう限界だね。
 7年前は華だったのにね。咲き損ねたのは本人のせい。
 まあ世代は似てたから右翼の中ではそう嫌いじゃないんだけどね。やっぱ命がけで生きてる人間は好きだよ。ほかにはいそうもないし、自民党も惜しい人を実質なくしたでしょう。一人くらいしゃきっとした奴はおらんのか。

 と、わたしは寛容。
 共産党以外はみんないっしょだからね。

 たとえば、「コロナ対策は命の問題であるこれはとても大事だ。しかし経済も命の問題である。これも大事だ」という言説と、「経済対策は命の問題であるこれはとても大事だ。しかしコロナも命の問題である。これも大事だ」という言説はどこが違うか。
 同様に、「平和は大事だ。しかし、国家の主権も大事だ」という言説と、「国家の主権は大事だ。しかし、平和も大事だ」という言説とどこが違うか?
 もちろんどこも違いはありません。われわれ世間人は主張者の強調の置き方を感じはするが、しかし、政治思想上の違いはないのです。しかして、現代日本の政治には、政治思想などないのです。ほんとは「経済対策」なるもののやり方が問題であり、「国家主権」なるものの「国家」の意味が問題なのだけれどね。いまじゃ「資本主義政策」と「日本一般」で、それ以上に踏み込む思想も消えてしまった。
 生活者は生活上の現実の行為への影響において思想を評価する、
 上記の2つの言辞は、論理上は、どちらも同じ現実行動しか結果しないのです。しかもなおかつ絶対に、この2つの言辞は、その強調の置き方にかかわらず、言った人間にとってさえ同じ趣旨です。これも人生経験の認識結果ですが。自民党員が言おうが立憲党員が言おうが、体面が悪いから響きを変えているだけ。政策決定を行えばその内容は同じ。
 その意味でお互い正直ではあります。私のような無政府共産主義者には理解できませんが、共産党以外の各野党には、思想の差などないのです(もちろん、雑派は無視です)。差がなきゃ、野党など要りはしない。したがって、自民1強。現実も正直です。7年前のアベのように、しゃきしゃきしてたほうが気持ちだけはいい。胃痛にもならずに済む。
 諸新聞諸論もそんなこと知っているから、ニュースを基準にすると最近の当ブログも貧困化してくる、というわけでしょう。

 というわけで、幸せな多数派日本人。いよいよ困った人間も共産党に票を入れるわけじゃなし。お幸せ。


 いや、やっぱ、メモ帳で書くのはよそう。フォーマットがないのを反映して、どうも文章が投げやりになる。
 おなかもちくちくするし。

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臨時的更新

2020-08-24 09:31:54 | その他
こんばんは。今日は涼しくって。といって私は1日パソコンと格闘ですが、それで1日が終わったら、あまりにも人生淋しい。

(変? 今、朝? 古いパソコンで書いたら,gooでフリーズ。面倒なので翌朝回し。せっかく書いたのでアップ。)

今日の朝日新聞鷲田清一という哲学者のコラムで久々のヒット。
詩人の紹介

  脳みそに風をとおし
  はらわたを樹(き)にひっかけて干し
  手は椅子の上に投げ出しておこう
  足は思う所へ行くがいい

       矢沢宰     


 おおおお、これは立原道造賞をあげよう。あるいは高村光太郎賞でもよい。現代詩人よ、見てるか?
 たって、ぜんぜん知らない人。21歳で死んだんだって。でも知ってる人は知ってて、よかったことです。
  
  これはいつもの谷内修三先生に聞いてみようと思ってネットを開ければ、、そりゃ書いてあるって。信頼の谷内氏。3年前。
  
  
(谷内修三の読書日記)
 矢沢宰「私はいつも思う」(初出『矢沢宰詩集--光る砂漠』16年11月)はどうか。

    私はいつも思う。
    石油のように
    清(す)んで美しい小便がしたい と。
    しかも火をつければ
    燃えるような力を持った
    小便がしたい と。

(記事抜粋)

「燃えるような力を持った

 ということばが動いている。「燃えるような」は「比喩」である。激しさうあふれる力。燃えないものが燃えだすような、矛盾を突き破る力。
 「石油」は「液体」。「液体」は「水」。「水」は「燃えない」。けれど「石油」は「燃える水」。矛盾が動いている。
 この「矛盾」を突き破って動く「ことばの肉体」が、矢沢の詩のなかを「真剣」に動いている。「嘘」なしで、動いている。
 かっこいいなあ、と思う。
 「燃えるような力を持った小便」か。
 うん、してみたい。
 そういう小便ができれば、元気がわいてくる。元気だからこそ、そういう小便ができるのだろうけれど、そういう小便ができれば元気になれるとも思う。ペニスをびゅんびゅんびゅんと振り回し、手当たり次第に小便で「放火」する。
 こりゃあ、楽しいぞ。」
 
 ホント、先生、信頼だよ。今回、谷内先生にも感動してしまった。
 
 と、書くだけでブログはいいけど、ちょっとお小言。
 真剣なパソコン作業の傍らで片手間で続けるフェミニズム加担の勉強で
 川端有子「ヴィクトリア朝の女性と暮らし」
 娼婦は自由を求めて娼婦になった、とか、ほんとどこのブルジョワの娘かと思われる発言。知ってるよ、そりゃその子もロンドンに出てくる時はそう思った、かも知れない心情は。しかしあんた、すぐ妊娠すんだよ、1年に2回も3回もだよ(3回はないか。よくは知らない)。そのたびに堕胎して、赤ん坊は死んで出てくるわ身体は壊れるわ。あんた女だろうが。どんな想像力を持ってそんなヨタを吐けるんだ。
 怒り。
 ま、女同士だから俺は知らんけどね。だから民主的な私もずうっとフェミニズムなんか触んなかったわけなのだよ。女の闘いは理不尽だからね。
 と。これは正真正銘のウサ晴らし。
 最近の歴史本は、どこひっくり返してもポストモダンな奴らの掛け声は、「昔はそんなひどくない」ばかり。マルクス主義に反発するのがアカデミズムの踏み絵になってるんだね。しかし安楽に暮らしてるやつらが言っていい言葉じゃないぞ。
 と、怒っても安楽以外知らない人々に通ずるわけがない。
 
 お口直し。
 さっき、隣の部屋でかちかち音がすると思ったら、アオカナブンが電球のシェードにぶつかって、それでもめげずにひたすら飛び回って。しょうがないから手を伸ばして、ほらこっちこいと言ったらちゃんときたので、手のひらでくるんで窓の外にポイしました。生物みな兄弟。みんな生きてるものの言うことは聞こえるのですよ。ゆめゆめばかにしないように。
 
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パソコン取替えにつき。

2020-08-22 15:40:28 | 断片
 こんにちは。天気予報が毎日涼しくなる日を1日1日ずらし続ける今日この頃、きっぱり暑さ負けです。あしたも続いたらもうアウトだね。アウトっても過ごしようもわからないけど。寝てても気持ち悪いし。
 お盆は里帰りしました? まあしなくてもしょうがないね。何時間もかけていったら泊まるとかしないといけないし。東北方面は今年は暑くないのかしらん、東海地方ばっかり出てくるけれど。高温の山形とか出ないね。東北地方は暑くっても夜涼しいからましだね。
 うちのほうは今週からもう新学期だってさ。まあ子どもは元気だから。知らないけど。私なんかもネクタイしめて外回ってたのはそんな昔じゃないんだけどね。
 
 さて、今週は、パソコンの入れ替え準備であたまがいっぱいなので、メモがありません。
 デスクトップの(ハコだけの)入れ替えはノートの入れ替えよりめんどくさいのです。いちいちコードをいくつもつなぎ変えたりもするし。
 とにかく現状古いから、メールもダメだし、テキストソフトもダメだし、オフィス2000をあやすのもそろそろ怖いし。
 しかもヒューレットパッカード(米国)不親切。わかりゃあしねえ。
 お知り合いがでデスクトップ変えるときは富士通(しか日本製がない)にしたほうがよいですよ。高いけどね。お奨め。
 ともかく、フリーズ(電源落とし)しないで済む、というのはパソコンの第1条件だと思う。昔のマッキントッシュのファンなんかフリーズにエクスタシーしてて、異常で近寄りたくなかったよ。 
 
 で、今日の記事。
 「「Go Toトラベル」の対象施設で、感染者による宿泊が10件あったという。」(FNN)
 ま、うちは誰も行かないし、来ないし。
 
「「レジ袋有料化」いくらのエコバッグなら元を取れるのか」(山野祐介氏)
 題だけ。
 うちのほうだとゴミ捨てに使うんでね。
 レジ袋、百均で買おうとしてもダイソーの棚はずっとカラッポだよ。candoは不満ながら出てきたけど、ダイソーのがいいですぜ。ネットはこれがまた高くて質が悪いんだ。まあ結論として、スーパーで袋代を払うのがよろし。

「東日本大震災の被災遊覧船復元断念 寄付集まらず民宿も 岩手・大槌町」(毎日)。
 遊覧船もあっちこっちあったからねえ、、
 
「長雨と猛暑 野菜価格高騰 平年の倍以上の葉物も」(テレビ山梨)
 平年て、いつかね。この4、5年、それ以前より高くなってたぞ。なんか便乗を疑っちゃうよ。
 は、いいとして、そろそろデラウエアが食べ納めですよ。ブドウは野生のような日本のちっこいブドウが一番美味しい。あるとしたら、どっかのひとんちの庭だけどね。
 
 と直対応して、さて、今は古いパソコンのテキストデータ。これをアップするのが大変。goo開けると落ちるんだよね。
 おお、ラッキー。開いた。
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オカルト(その11;霊界の導出式)

2020-08-15 10:52:13 | オカルト(途中から)
 こんにちは。だるいっすねえ。お盆、皆さんお休み? 旧盆と終戦記念日が同じ日なんて先日生まれて初めて気が付きました。うちは新盆なので。
 当方、口のアフタは治りましたが(チョコラBB、効きが悪くなった)、パソコンは最悪、1日に6回も7回も電源落しやってるといい加減嫌になります。買って6年しか経ってないのに。
 現状、複雑なwebページを開かなければ、1日1回の電源落しで済んでますが、買い替えだな。突然当方へメールが届かなくなるかもしれませんが、その場合はそういう事情です。
 といって、去年の自分のパソコン内ファイルを見ると、1年前も買い換えようとしていたようで、よくもったものだ。
 
 さてニュース。
 ご旅行なんて行きますか? 今日はこんなのが、
「新千歳発成田行きの飛行機を利用した際に前の席に座っていた20代の男性の感染が確認されたため濃厚接触者として検査をしたところ、感染が判明」(日テレ)
 わたしは飛行機は2、3分で空気が換わるので大丈夫と信じておりましたが、乗らなくてよかった、ってどこにも行かないけど。咳が届く前の席が危ないんじゃなくて、機内の空気が後ろに流れるのかね。
 お気をつけください、ったって気をつけようもないか。

 わたしもやむをえず熊本へ、という可能性もなくはないのですが、先日「日本経済の歴史(近世)」という本を読んでいたところ、祖父の村(町)が江戸時代の図表にあって。熊本の「砥用」というところ(当時の行政区域)。一人当たり総生産も税引き後可処分所得も、熊本全41行政区域内最低。熊本で最貧の村でございました。よく東京まで出てきたもんだ。
 
 ニュースといえば、ありきたりだけど一言しておかなければね。
 香港。中国はナチスと同じだね。こんなことが今の世で生ずる、ということについて、というよりアメリカしか反対しやしないということについて、主意主義者と前衛主義者はどう思うのだろうか? 日本もイギリスも反対してる? ほんと、主義者連中と同じ。口先だけ。
 
 明るい話題を。
 数日前、「3秒聴けば全曲わかる」というテレビやってて、しばらく見てしまったら、でてきた45年前の中島みゆき。感動的に綺麗だった。こんな闘う女神みたいな人だっけ。
 われわれの暗い青春を彩ってたんだね。真っ暗に良く似合う、ほんと時代の子だったんだ。
 (団二郎の話って今は否定されてるけど、ほんとかね。いかにも中島みゆきが好きそうなタイプじゃん? そう信じてたけどね。まあいいや) 
 だからさ、歌い手は歌い終わったら別の人生を歩むのがいいと思うのですが。まあそうもいかない。
 
 村山斉という物理学者が、朝日新聞で、宇宙は重力で収縮するはずなのに膨張してるのはおかしい、これはダークエネルギーというもののせいだ、と書いていました。
 へんなの。何一つ分からないものを持ってきちゃいけないやね。それはオカルトと一緒。 わたしゃ、重力が裏側から引っ張ってるんだと思うぞ。我々の宇宙は小さくってさ、すぐ突き当たるんでぐるっと回って、裏から引っ張れるのさ。3次元のメビウスだね。5次元くらいにしとくか。
 
 さて、本題。今日は旧盆なのでオカルト。
 
 何度もいうようですが、「時間」なんていうものはトータルの宇宙にはありません。あるのは物質に専属の現象です。物質の動きが光速度しかないから、しかたなしに物質世界に時間が生ずる。
 ここで、物質世界に生ずるということは、それ以前の原世界には時間がない。と、同じく、生命エネルギー世界にも時間がない。
 にもかかわらず、時間のない生命エネルギー世界が物質世界にちょっかいを出すとどうなるか。生命に時間が付随的に発生せざるを得ない。かくて、生物は時間を相手にせざるをえないわけです。毎日が原子として現象している物質エネルギーの新陳代謝、あれこれと姿を変える本性の経過は、その結果必然的に、生命に時間をもたらしつつ、かつ、自己の更新を必然化する。
 
 ところで、「死」に代表される、物質を離れた生命エネルギーは、もちろん物質ではありません。人間に認識されている世界は生命と物質のエネルギー世界しかありませんから、物質を離れれば、それは大本の生命エネルギーの世界に戻るしかない。
 ところが、実は生命エネルギーは物質と合着する瞬間に、自分の大事な世界の影を引きずる。もちろん、霊的世界です。生命は物質ではないのだから、生命-物質= の答えに、何かが位置するのはしょうがありません。天ぷらうどん-(うどん+エビ)は、天カスです。
 では何がカスになるでしょうか? 両者の差です。生きる思い。生命と物質の差、これこそが残る世界なのです。これを預言者が存在する人間世界では、霊的世界と呼びます。預言者とは誰だって? もちろんご期待通り、私、隈です。
 
 さて、これは端境でありますから当然にピンからキリまで。そこは、基本、生命が物質を離れるときに通っていく世界なのです。霊的世界は生命エネルギーと物質エネルギーの端境として、生命が物質世界に近いものもあります、その遠いところが「往生」、近いところが幽霊です。
 
 どおお? すごいしょ。これが近代合理性、形式論理の恐ろしさだというべきでしょう。
 
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いわゆる「社会的権力」の理論化の簡単な道筋

2020-08-08 11:11:26 | 「解放行動の原理」(旧「理論」)
 こんにちは。とうとう圧倒的に暑い夏が。一昨年の夏から全面的にクーラーのお世話になってるんで体がやわになって、冷房なしでいると吐き気がしてきます。
 しかも人生面白いことないし。キーボードが見えないし。毎行手直し。
 世間様ではお盆休みとあわせて、誰でも3連休以上ですか? どっか行きたいなあ。我慢ばかりでわずかでもいいことがないと、すぐぶちきれちゃうよ。動悸やめまいが増えてきたし。
 毎日パソコンは詰まるし、ベロはアフタで痛いし。無事な人間は感謝しないといけません。
 最近、声も出づらいので歌でも歌って口を動かそうかとギター掃除。そういや指先がやわになって弦を押さえられないんだったっけ、まあ少し固くするか、とギターを構えたら、おや、コードが動かない。指が位置をすっかり忘れてしまったようで。さらにベロが痛いし。やめました。
 
 ニュース。
 「感染36人の病院、マスク不足が原因か 繰り返し使用も」神戸市立中央病院(朝日新聞)
 半年過ぎてもまだそんなこといってるよ。アベは当然の病院への手当てもしないでなにがGOTOか、といいたいところ。いまさらどうにもならないけどね。
 にしても病院・施設関係者だけでも守らなくて、なんの正義か。「心」なしにどこの「日本が美しい」のだ。ま、いえばいうほど虚しいけどね。
 
 『イソジン吉村』評判ですが、そりゃ政治家だから知識が多いわけでもなく、イソジンが殺菌薬だという知識がなければ舞い上がるのもしょうがない。しかし、ふつう、周りにそれくらいの常識がある人間もいるもんだが。それを止めないのは大阪府官僚がアホとしかいいようがない。世の中、おべんちゃら取り巻きに利口がいたためしがない。という経験則からは、一回りしてアホで固めた本人のせいになるんだけどね。
 
 おお、久しぶりにコロナを話題にしてしまった。体調の悪い季節に。
 ついでに
「インターネット上で患者や家族への誹謗(ひぼう)中傷やデマ情報の書き込みが相次いでいることから、鳥取県は、悪質な書き込みや画像を保存する対策を始める。被害者が名誉毀損(きそん)などで訴訟を起こす際に、証拠品として保存したデータを提供する。」(朝日新聞)
行政権力のくせに、なんとなく下品だねえ。ま、下司相手じゃしょうがないか。

 さて、本日は、江原由美子「装置としての性支配」。論文集なので、とくに中の「「社会的権力」の理論化はいかにして可能なのか」。
 人のいい江原氏が人の悪い上野千鶴子氏と論争をして勝たれないという可哀そうな破目に。 ご当人は、唯物派(上野)に対して「文化派」ときめつけられて悔しがっておられますが、理論がないのではそれもしょうがない。95年の本なので、その後本人が作られたかどうかは知りませんが、「物象化」だの「主観性」だの『客観的実在」だの「文化・イデオロギー・規範」の並列化だの、哲学的「社会学」用語を並べている限り、できてはいないことでしょう。誰のせいって、まあ師匠のせいとでもしておきますか。師匠しらんけど。

 というわけで、不肖隈、すぐ加勢したげるというわけですが、しかし女性差別だけじゃあ重さが低いので、障害者差別を除く一般差別論に2年みております。で、それまでに私が死んじゃうとなんなので、方向だけ若い皆様にお伝えしておこうかと思います。

 さて、まずは、権力です。もちろん行為者の主体的行為の邪魔をする人間の努力が、一番ナマな権力ですから、まず、個人に対する権力のありかさえ見出せばいい。
 しかしそのありかが事情で変わり権力が出たり消えたりするから、ついで、その変更主体の事情を見出して、さらにその事情が変わる要因と様相を見出せばいい。見出したら、その変更要因を被抑圧者が触る(操作する)にはどうしたらいいかを見出せばいい。
 前提は、第1に、権力は家庭内や生産共同体内に発生しつつ、資本主義社会においては国家から生産関係を通して供給・合流される、ということです。第2に、被抑圧者に影響するナマの権力は、国家武力と生産関係の動きによって、発生もするが消滅もする。ということです。従って哲学的社会学派に権力は扱えません。上野がふんぞりかえる所以です。
 といって、「物質派」なるものが正しいわけではない。現実の問題は、被抑圧者個人に対する諸差別者の行動の集積のことなのであり、これをどうにかすべきだという意図がおおもとなのだがら、土台-上部構造論などを語ることには何の意味もない。 
 しかし、こんな事情の裁量は、唯物論者なら隈の行為論を使えば簡単です。
 ただし、その簡単さの邪魔をする既存のマルクス主義や哲学的「社会学」理論をどうやって排除するか、これが努力の2割を占め、ついでに差別も扱えないイデオロギー社会学(ふつうの社会学のことです)も批判しようと思ってるので、こっちが少し大変、努力の5割を占めそう。というわけで、だから2年もかかるのです。
 という一般論の確立の中で、じゃあ女性差別を例証にとって動かしてみる、女性差別をなくす操作を思考する、という、こちらは男にはいたって簡単。しかしてこれで約束宣言は完了。ちなみに隈は男です。
 なぜ女には難しいかというと、今は、人間は自分のことは視えない、という処世的な一般論でまとめておきましょう。正しく言うと、我がフリなどみていないというわけです。その結果、どこまで動かすと残りは差別ではなく性差か、判断がつかないということです。人間、自分が今言っていることしか考えられないし。まあ大方の論争などそんなつまんないものです。

 というわけで、私なら2年。いや、理論上誰にでもできるので、皆さんやってみてください。そしたらもう私は、どっか素敵な旅行して、コロナして死んじゃうかな。
 
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雑事もない

2020-08-01 12:13:16 | 断片
 こんにちは。8月ですね、梅雨だけど。生まれて初めて8月の梅雨。とはいえ、さすがに今日は青い空です、明け方はざあざあ降ってましたが。あ、東京地方梅雨明けだってさ、by ニュース。
 今日はなにかと心がふさがっていて頭が働いておりません、昨夜は12時過ぎまでおきてたら、もう倒れる寸前、て、ソファーでごろごろしてたんだけど。いつも9時就寝なもので。
 ブログ用の記事のメモはあるのですが、それをここに載っけるには心が必要で、ぜんぜん乗らない。

 役に立つこともないなあ。
 フェミニズム加勢で、昔の家族社会学の本を読んでておもいましたが、昔って家族社会学って役割理論の典型だったんだけど、それって、どの国でも家族が国の支配下にあったからだろうね、という気づき。家族の機能とか構造とかって、決まり文句だったし。
 で、いまはといえば論題は、家族問題や家族内問題や社会内問題の家族への影響。大文字の家族なんて片隅の論題みたいじゃない?
 どうでもいいけどさ、社会学は社会の子だね、私以外では。
 そもそも大文字の社会学理論自体20年前の本だと混迷のさなかだね。書いてる本人たちがみんなここが出発点とかいっている。むだだから最近のはよんでませんが。彼らが分からないのは、要するに、「何を結論にしたらいいかわからない」ということだと思うけどね。頭のいい方々だから、結論さえ分かってれば、なんでも大理論に仕立てちゃうと思ってますが。
 結論が分かってるって変? 変じゃないの。今時の社会学者は歴史学者と同じ、社会学は文章上「説明」がつけばいいんだ、と思ってるようだぞ。科学は決して「説明」のために存在するんじゃないんだけどね。
 あ、また先週に引き続き悪口になってしまう。今回は一般論だからそんな下品じゃないね。
 ともかくぼーっとしてます。字数のムダで。じゃね。
 
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