とゆうわけで、次です。社会学的現実。
意識は自分はいくらでも変えられますが、残念ながら他人に対しては、意識にはなんの力もありません。意識は、おおもとの行為者によって外界に向けて表現され、かつ、表現を受けた行為者の将来に及んで、初めて力を持つものです。彼女きれいだな、と心の中で思っても残念ながらテレパシーは伝わらない。「君、きれいだね」という言葉を発して、その表現が聞いた女性にとって将来を変えることになるかどうか、そんな話ですね。
以下の例題は、もっと散文的・政治的ですが。
さあて、しかして、若人の意義、というのがありまして。
その中でも特に、クビにならない学生さん達ですが、学生たちが何をしていようが、彼らのたとえば、大学という世界に限るのであれば、それ自体、何の影響もない妄挙ですね。妄想行動。
しかし、それが社会的場面で暴力をふるうときに、この妄挙も意味を持つわけです。
社会的場面とは個人個人の鑑賞者が、それは自分の社会だ、と思う場面のことです。
サラリーマンだったら通勤の行き帰りの道とかね、自分が働いている会社、と同種の会社、とかですかね。
そして40年前、それは実際に意味を持った。御茶ノ水や新宿を火の海にして、、、は、知らない人には大げさですね。石ころの山にして、くらいにしておきましょう。
一般論としては、同様に、どんな馬鹿げた行為であっても、それが社会的場面だということにもなれば、それは意味を持つわけです。
で、このごろは年寄りの悪影響というのもありまして。
こいつら、クビになっても年金がありますから、若い奴を扇動して自分の思い通りの表現をするわけです。
何をいっているかというと、直接には右翼共のNHK訴訟です。
『25日に日本裁判史上初の8389人にも及ぶ「第一次NHK集団訴訟」の記者会見を行ない、26日の産経新聞の一面を飾った。
「NHKの大罪」「NHK解体」と黒いTシャツに白抜きされた黒シャツ隊が一列に並び、山手線主要駅で無言の抗議活動を行なった。』
許せねえなあ、神聖な黒シャツを。イタリアファシストの猿真似しやがって。
イタリアファシストっちゅうのは年寄りやヤクザの遊びじゃねえぜ。
とゆうのはただの感情で。イタリアアナキストとイタリアファシズムっちゅうのはまたいとこだからね。で、イタリアアナキストっちゅうのは、なんといっても穴キズムの一番の現実態ですし。
それはそれ。
なに、NHK問題なんてNHKにこそジャーナリズムのサガで、やましいところばかりなわけでね。右翼だからってバカなわけじゃない。世の中、狡賢いという言葉が昔からあります。ヤクザは誰が弱いかはすぐわかるもんです。
いいたいのはそうじゃなくて、そういう地道な活動が世の中を変える、ということで。
地道ったって、おとなしくデモしてりゃいいかって、そんなばかな、ですね。
地道というなら、左翼も負けずに、右翼賛同者各個人別に3万円ずつの賠償金訴訟に持ち込んだらいい。自分が賛同した責任だね。(今回はまずいけどね。そのうち、味をしめて流行らせる奴が出るんだって。)ポイントは、世の中、大阪もんばかりじゃない、責任をわきまえるのがあたりまえだあね。もっとも最近は日本全国吉本化が進んでるけどね。
だからさ、左翼内部で偉そうなイデオロギー闘争などといって、左翼内部の世界で何が起ころうが、左翼の奴らは痛いし死んだりもするだろうが、世の中は痛くもかいくもないのですよ。
黒田も本多も中原もそうはいわなかったのかい。
これには答が3通り。
1 知らなかった
どうせそんなバカだと思ったよ。
2 知っていたが、組織のためにならないので言わなかった
組織なんてそんなものだよ。踊らされて苦しむのは君だぜ。苦しまないアホも多いけどね。
3 何を言うか、隈のその立言が間違っている
ほう、そうかい。君が、自分の頭脳で考えてそう思うんだね。
ほんとにそうだね。
意識は自分はいくらでも変えられますが、残念ながら他人に対しては、意識にはなんの力もありません。意識は、おおもとの行為者によって外界に向けて表現され、かつ、表現を受けた行為者の将来に及んで、初めて力を持つものです。彼女きれいだな、と心の中で思っても残念ながらテレパシーは伝わらない。「君、きれいだね」という言葉を発して、その表現が聞いた女性にとって将来を変えることになるかどうか、そんな話ですね。
以下の例題は、もっと散文的・政治的ですが。
さあて、しかして、若人の意義、というのがありまして。
その中でも特に、クビにならない学生さん達ですが、学生たちが何をしていようが、彼らのたとえば、大学という世界に限るのであれば、それ自体、何の影響もない妄挙ですね。妄想行動。
しかし、それが社会的場面で暴力をふるうときに、この妄挙も意味を持つわけです。
社会的場面とは個人個人の鑑賞者が、それは自分の社会だ、と思う場面のことです。
サラリーマンだったら通勤の行き帰りの道とかね、自分が働いている会社、と同種の会社、とかですかね。
そして40年前、それは実際に意味を持った。御茶ノ水や新宿を火の海にして、、、は、知らない人には大げさですね。石ころの山にして、くらいにしておきましょう。
一般論としては、同様に、どんな馬鹿げた行為であっても、それが社会的場面だということにもなれば、それは意味を持つわけです。
で、このごろは年寄りの悪影響というのもありまして。
こいつら、クビになっても年金がありますから、若い奴を扇動して自分の思い通りの表現をするわけです。
何をいっているかというと、直接には右翼共のNHK訴訟です。
『25日に日本裁判史上初の8389人にも及ぶ「第一次NHK集団訴訟」の記者会見を行ない、26日の産経新聞の一面を飾った。
「NHKの大罪」「NHK解体」と黒いTシャツに白抜きされた黒シャツ隊が一列に並び、山手線主要駅で無言の抗議活動を行なった。』
許せねえなあ、神聖な黒シャツを。イタリアファシストの猿真似しやがって。
イタリアファシストっちゅうのは年寄りやヤクザの遊びじゃねえぜ。
とゆうのはただの感情で。イタリアアナキストとイタリアファシズムっちゅうのはまたいとこだからね。で、イタリアアナキストっちゅうのは、なんといっても穴キズムの一番の現実態ですし。
それはそれ。
なに、NHK問題なんてNHKにこそジャーナリズムのサガで、やましいところばかりなわけでね。右翼だからってバカなわけじゃない。世の中、狡賢いという言葉が昔からあります。ヤクザは誰が弱いかはすぐわかるもんです。
いいたいのはそうじゃなくて、そういう地道な活動が世の中を変える、ということで。
地道ったって、おとなしくデモしてりゃいいかって、そんなばかな、ですね。
地道というなら、左翼も負けずに、右翼賛同者各個人別に3万円ずつの賠償金訴訟に持ち込んだらいい。自分が賛同した責任だね。(今回はまずいけどね。そのうち、味をしめて流行らせる奴が出るんだって。)ポイントは、世の中、大阪もんばかりじゃない、責任をわきまえるのがあたりまえだあね。もっとも最近は日本全国吉本化が進んでるけどね。
だからさ、左翼内部で偉そうなイデオロギー闘争などといって、左翼内部の世界で何が起ころうが、左翼の奴らは痛いし死んだりもするだろうが、世の中は痛くもかいくもないのですよ。
黒田も本多も中原もそうはいわなかったのかい。
これには答が3通り。
1 知らなかった
どうせそんなバカだと思ったよ。
2 知っていたが、組織のためにならないので言わなかった
組織なんてそんなものだよ。踊らされて苦しむのは君だぜ。苦しまないアホも多いけどね。
3 何を言うか、隈のその立言が間違っている
ほう、そうかい。君が、自分の頭脳で考えてそう思うんだね。
ほんとにそうだね。