リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

時代おくれの(その2)

2021-03-27 14:10:10 | その他
 さて、今日の2題め。といっても続きでも大したことでもなくて。ふつうの方は来週ね。
 
 ここのところ今どきの社会学者が何を書いているのかの情報収集をしておりますが、では、今の若人は何を勉強してるんだろうと思って、ネットの社会学卒論題名集をのぞいてみました、ら、びっくり、見なきゃよかった、そこここの近場の出来事をテーマに、何でもありとしか思えない。
 ははあ、これが構築主義(とライフヒストリー)の流行る理由か、と思いましたよ、つまり心理学的分析(と出来事記録収集)がはやる理由ね、そんな手近かなテーマでは学生さんにほかに書けるものないじゃん。よく言って人間学卒論だね。これじゃあ全体社会システム論など読まれるはずもない。時代おくれがまざまざ。
 まあそれは学生さんの求めに応じていて、いかにも民主的ともいえます。
 と、思いましたが、いやいやちょっとまてよ、それでは評価として他の学問に公平ではない。
 経済学科の履修生は、なんとか世の中を経済で良くしようと思って学問をするでしょう、そんなことは無理ですが。政治学科の履修生はなんとか政治をよくしてわれわれの生活を改善すようと思うでしょう、もちろんできはしませんが。
 しかしところで構築主義的社会学履修生はどうしようというのか。隣の人間との関係が改善されれば「社会」は良くなるのか? そんなことを思うのは宗教家だけです。いや、日連系や真宗派は、「とんでもない、この現世を極楽にするのが如来だかお釈迦様だかの教えの実践だ」、とさえいうでしょう。
 これは評価としてあまりに不公平だ、と心の中で思ったわけだけど言っちゃったね。
 社会学科は人間学科ではありません。なぜ違うのか、教授連はよく考えるべきです。もちろん、社会学教授の給料はもらっていていいけどね。人間家庭の政治経済はお互いさまだから。でも人間学にはそんなお互いさまはないんじゃないかね。

 もっとよく言えば、それらは「社会科学的精神をもって社会を見る」こと(だけ)を教えたんだとも言えます。
 つまり、ほかの人間も自分と一緒で、単に社会環境の圧力によってそうした生き方をしている。さて、「その生き方を自分が否定したければ社会環境をどう変えたらいいだろうか」。この発想に達するのが社会科学的精神です。この精神の獲得は決して悪いことではない。平等主義の根源です。人間いつか獲得して欲しい。しかし、そんなことは2年かければ十分だと思うんだよね。なにも大学4年かけて身につけるものではない。そんなことでよければ、注意深い高卒の社会人は働きながら2年、長くとも4年で十分に把握するのではないか。そもそも大学へ行くのはそれからだよ。高卒4年働いてそのあとで無料の大学に行ったらいいじゃん、無料って昔のドイツってそうだったろ? 今知らないけど。
 働いて、他のみんなの人生の構えを知った後で、大学で2年、政治学と経済学と隈社会学だけを学んで、卒業したら人生効率的に勉強ができるというものだ。
 いや、私の社会学はそのままで消化は無理だけどね。他の誰かや誰かが教科書に焼き直ししてくれたらいい。自分でするのはあきらめたから。隈の著書2冊目から5冊目まではその苦労の(失敗の)結晶だからね。でもあきらめたさ。民衆はみんな権威がないと読まないのだ。そこらの他称学者諸氏ならぬ正直な人間にとっては、何でも現実に必死にやったから言える。今から思えば大変な人生の無駄だったけれど、まあそれも思い出話、お天道様は全部お見通しさ。おかげでこの年になっても生きて(生かされて)いるからね。
 
 ま、いずれ、若人の皆様におかれましては、社会学に限っては大学にはいかないでいいってはっきり言えて、私は嬉しい。だいじょぶ、ときどき駅前の本屋で新書を買って(借りて)読んでれば、十分。若人って、60歳以前の人。コロナさえなくんば、まだまだ未来がある人たちね。
 ただね。前もいったように、高卒の方もなんとか文章を800字は書けるようにね。ツイッターの280文字じゃダメ。他人の真似でいいの、まるっきり写しでいいの、手で(キーボードで)書ければ。丸写しは若いうちはすぐ自分のものになるから。そのパターンが身につけば、あとは同じ文章中の単語を差し替えれば、それで立派な文人なのさ。 
 
 でさ、私に戻って、次回論究は、それほど翻訳的学者諸氏の手間をかけずに生きている人間の行為を対象にしようというわけ。具体的人間の次元が劇場だから、ずっと学者の翻訳なしに読めると思うんだ。さらにそれなら、「そこここの近場の出来事」の分析にも直接使えるし。 
 毎回宣伝だね。
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時代おくれの

2021-03-27 11:26:02 | コーヒーブレイク
 こんにちは。東京地方、ずっと暖かく、桜もほぼ満開。明日以降ずっと天気が思わしくないので、花見は今日しないともう葉桜かと。強がりをいっても桜は青空の下がいいです。特に目が悪いと白(雲)に白(桜)じゃあ。一昨日は「あんなとこに空が大きく開いてたかなあ」とおもったら満開の桜でした。地べたは、背の高いタンポポはまだ、ハナニラがきれいです。

 さて、知ってる人は昔から知ってそうですが、改めて赤旗にこんな記事が。
「苫小牧市立中央図書館が苫小牧署の求めに応じ、利用者1人の図書貸し出し履歴や予約状況などを提供していました。
 札幌弁護士会は昨年、管内の図書館102館にアンケートをしました。その結果、10館が捜査機関から「捜査関係事項照会書」による特定の個人の情報照会を受けたと答えました。うち5館が捜査機関の照会に応じたことがわかりました。」(赤旗) 今日の朝日の読者の声にもありましたが、共産党の人でしょうか。
 
 ま、ともかくこのニュースへのコメントが変。
 「警察がそんなことをしていいのか」。
 ちょっとまってよ。いまどきそんな利用者の履歴が記録されてるシステムって何?
 東京・川崎じゃ昔っからありえないぞ。
 大昔は差し込みカード方式だからそもそも残らないし、40年前コンピューター化になっても、返却された瞬間から記録消去だし。
 皆様の地方はいかがですか? 利用履歴は消去。それがされてない地方は(ド)田舎と言われてもしょうがない。市長に抗議してね。
 
 さて、本日はyoutubeから。
 ずっと日中に書いてるから、酔っぱらって気持ちのいいyoutube感想と縁がないところ、ちょっと不愉快な件が。
 まずは「時代おくれの酒場」で引いたら高倉健が出てきて、おやおや、と思って、うん、ちょっとやりすぎ。で加藤登紀子のを探したら長谷川きよしとのデュエットがあって、うん、このくらいでないと、と思ったら右側に「山谷ブルース」も並んでて、吉幾三だと。うん、これはこれで、と思ったけど、やはり岡林信康の高い声が聞きたいと思って並んでるのを開けたら、じいさん、ロック調でやんの。何やってんだよ、岡林。遊んでんじゃないよ。素ギターをアルペジオしてたお前はどこへ行ったのだ。もっともオイルショック前の物価安の時代に45,000円のギター抱えてたけどね(と、本人が舞台上で言っていた)。
 ほんと人間の存在の意味が不明。
 人間、歌も詩も、30歳過ぎたらやめちまうのがいい。
 悪口ついでに岡林なんか、私の思春期のみぎり、コンサートで「キューバで売春婦公認だから立派な国だ」って叫んでたし。高石かもしれないけど、二人一緒さ。気を許しちゃあいけないと子ども心に思ったさ。(なお、キューバは革命で米帝に生産手段を全部引き上げられて売春婦の転職まで手当てできないんで、そのままにした、と内部事情の本には書いてある)。

 というわけで、その夜の結局の締め。メリー・ホプキン「悲しき天使」。

  Those were the days, my friend
  We thought they’d never end
  We’d sing and dance forever and a day
  We’d live the life we’d choose
  We’d fight and never lose
  For we were young and sure to have our way
  
    http://www.magictrain.biz/wp/blog/2011/10/09/ 様の訳では

    あれはそんな時代だったわね、そうでしょ(友よ)
    私たちは、彼らが(ママ)終わることがないだろうと思っていた
    私たちは歌い踊るだろう、永遠と一日(ずっと変らずに)
    私たちは私たちが選んだ人生を生きるだろう
    私たちは戦いそしてけして負けないだろう
    私たちは若かったし、私たちのやり方を確かに持っていた
    
そしてこれはこう続きます。

  Oh, my friend, we’re older but no wiser
  For in our hearts, the dreams are still the same
    ああ私の友よ、私たちは年とったけど、賢くならなかったね
    それは私たちの心のため、夢はずっと同じままなんだもの

 立派なお嬢さんさ。

 今日は後で、もう一題追加しようかと思っております。
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先行要件の妥当体系から全体体系へ(その2)

2021-03-21 20:25:49 | 社会学の基礎概念
 というわけで、昨日の続きを簡単に。
 隈の次回論究は、この下位体系を全面的に使います。
 下位体系ってどうやって区切るんだ? といわれれば、「その構成員がその行為においてその場を逃れては当該体系に貢献できない範囲」というわけです。「貢献」は50年前の機能主義用語ですが。懐かしいしね。
 じゃあ、上位体系だっておんなじじゃないか、って?
 そこそこ。そこが簡単ながら、死ぬ前に付け加えておきたいところ。まあ、直近では生きてますが。
 全体社会と下位体系は次元が違うのです。当たり前ですが当たり前以上に違う。下位体系は具体的な人間が彼の行為原則に沿って行為する場だ、ということです。この次は文章に点々が付きます。「だから実は抽象的に構成された理論ブロックなのです」。
 「しかし、他方、具体的人間が行為していない、それゆえ抽象でできているはずの上位体系は、それゆえに、具体的現実なのです」。
 そう、これをいっておきたくて。
 不思議な話で。
 みなさまこの趣旨をお考えいただいて私の先へ進んでくださいませ。ほんと隈には明日のことがわからない。
 つまり、人間は力の作用が見えない次元のことは何もわからない。その作用が見えて、それを操作する自分が見えて、ようやく世界の仕組みを知る。
 もう一歩先に進むと、納得できる合理的結論の集積について、人は、その組み合わせまで納得することができる。そうやって、人間は科学の成果を自己のものにしてきた、と。
 私の好きな山本義隆氏の「磁力と重力の発見」もそういう落ちがついているはずです。つまり、見えないものは人間は思考できないけれど、近代の進展とともに、数学という抽象的表象(おそらく彼は「表象」とは言わないと思うけれど、本当は「表象」)で、皆が納得するようになる、と。
 はずです、って、それが書いてあるはずの第3巻、わたし持ってないのね。図書館にはそう簡単に行けなくて。自転車だと事故って家人に迷惑かけるから、今はやめてるの。電車賃は高いし。
 
 ま、ということで、一区切りついたことと思われます。
 
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「機能的先行要件」論の存立根拠

2021-03-20 14:00:15 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方天気は悪いですが、いよいよ春が桜の形をしてやってきました、まだ勢いは弱いですが。幸い、今日明日では春の満喫は無理です。来週土曜はyahoo天気では晴れとのこと。まずまずかな。花粉もスギは終わってそう。

 さて、例によってニュースも普通誰もが思うことばかりで。渡辺直美氏や「記憶にないと言え(武田総務相)」とか、心にあることばかり公表されて。わざわざ私が言うには及ばず。
 で、1。経済欄のコラムに、地方の若い人が都会に来たら、男は帰っちゃうけど、女はそのまま東京にいるんだって。なるほど、そういうこともありそう。私はそのほうが良さそうに思う、故郷の姿は変わるし。他方、心の中のふるさとはもうしっかり根付いて変わらないから、私などほんとうにうらやましい。母なんかボケても故郷の夢を見てとても楽しそうだったよ。私のふるさとは忘れたいことだらけ。
 その2.讃岐うどんは瀬戸大橋の開通(1988)で、讃岐の加ト吉が有名になって有名になったんだって。
 覚えてるよ、その頃。ほんと爆発的登場。わたしゃ硬いのは好きじゃなかったけどね。香川行って田舎で食べたら、庶民的で好きになりました。150円だったよ。
 
 で、ここんとこ多い社会学の話題に行っちゃおう。
 今週のメモは、おとといだかの新聞。
 澁谷智子という社会学者が「ヤングケアラー(子供なのに大人のケアをせざるを得ない人たち)のことは見ようとしなければ見えない」と。なるほど、おっしゃるとおり。こういう見えないものはぜひ社会学者にあらわにしてほしい。なにも「科学」に従事する必要はないのだ。評論で十分。 
 といえば不愉快でしょうかね、なんでジャーナリストではいけないのか。彼らは日頃の行いが悪い? そんなことで軽侮されてもね。まあ、お互いさまというものでしょう。  
 その2、東畑開人氏 、これは社会心理学。孤独な人間の問題。「孤独は連鎖する」「孤独に介入しようとする人は孤独になる」。支援も連鎖しなければならない、と。
 これもなるほど、問題は科学などではないのだ。ただ、その「すべ」の提示は科学の役目である気がする。これは私の1年4か月後ね。
 ともかく、たとえ社会学徒に過ぎなくとも、「「6万円は多いから…」困っている人に無料弁当、街の飲食店が歩んだ「共助」の2カ月半」(弁護士ドットコム)なんて人に、近づきたいものです。

 まあこの辺は、「普通」の範囲。
 本日の題は、「なぜ主意主義的な行為理論によるシステム論では先行要件が語られなければならないか」。
 すんません、おはなし相手の潜在的対象者は、そうだね、100人ほど。なにそれ? って、まあまあ。
 さて、主意主義的人間が登場人物である社会理論においては、自分の目の前にあるのは「社会」と呼ばれるネットワークです。科学はこれを変えなければならない。ではどうやって変えたらいいんだ。変えるからにはその仕組みがわからなければならない、じゃあその仕組みとは何か。
 そう自問したとき、「社会」なるものが実体として屹立します。屹立したらさあ大変、人間ならその行為を変えようとすれば、「脅す」とか「お願いする」とか、方法だけはわかりますが、得体のしれないこの物体、どこのスイッチを押せば変わってくれるのでしょうか?
 私、行為理論者隈はご存じの通り、そんな視点があるもんか、と無視したわけですが、さてところで、改めて社会学者諸氏の視点に立ってみると、なるほど何にも見えはしない。
 というわけで、研究者の視点が行為者に凝り固まってしまうと、この眼前に、「社会体系」が屹立してしまうわけです。これは理論者の欠陥ではなく、いたし方のないところなのです。
 どうでしょうか? 趣旨がわかりました?
 潜在的対象者とは、自分で科学理論を作ろうという野望のある社会学徒。100人じゃ多いかな?
 
 さてそこで、では「その社会体系が何でできているか」という問いが出る。その構成要素を変えればシステムは変わるだろう、と。これが functional prerequisites です。
 (懐かしいなあ、安田三郎先生ですよ、って、(安田の数理社会学しか知らない)中年以前の社会学者はエッと思われるでしょうが、自分の頭しか使わない最後の意志的な基礎理論社会学者です。安田先生ほど公正を論稿に表現した理論家はいない。ま、本件、対象は100人だから。)
 このとき、社会システムの必要前提条件というものは、当該レベルのシステム概念に付属するものではありません。
 社会の存立には、「経済」や「政治」が必要なことは想像がつきます。では「経済」のうちのどれだけの要素が必要なのか。「政治」の中のどれだけの要素が必要なのか。これらは決してアプリオリに決定されていることではありません。理論者が付け加えるものなのです。
 そして何を追加するかは理論者の腕次第、ということになるのです。このレベルでは、つまり主意主義的行為論者の「全体社会的システム理論のレベルでは、その概念構成の恣意に属するものであり、なんら科学上の意味はないのです。   
 つまり、この視座では、あろうことか、社会学は学の帝王ではなくなってしまう。政治経済学にお伺いを立てねばならない。これは隈の社会学が政治経済学を人間社会につなげているのと、真逆な状況が生まれているわけです。
 
 さて、しかし、だからだめだ、と限るわけではない。次回の隈の論究はそうではありません。
 この困難というか理論上の矛盾が生ずるのは、行為理論から立ち上がろうとしているのに、「研究者Aの頭で社会のことを考えようとする」ためなのです。人のせいにしちゃあいけない。
 社会のネットワークはそこにはない。下位体系である登場人物の環境の中にしかない。
 たとえば、支配者という「下位」体系の構成員について、すなわち、社会体系の具体的人間の所作について、上位ステムの管理者は、つまり支配者とその代理人たちは、飲み屋でバカ話した帰りの電車内で、その主張の重大さに気づくのである。「これを許しては我が国は滅びる」。もちろん滅びるのは国ではなく彼らの体制なのだが、支配者と彼らの代理人は、そのくらいには目先が効くのです。 
 と言って、もちろんそれらはAGILではありません。彼らの目の前に屹立するものは、集約すれば 
 1 資本主義的利潤体系の問題であり
 2 政治体系をそのまま裏返すことはできないので、政治主催者の変更の問題であり、
 3 秩序の各構成的正当性の保持ないし創成の問題です。
 
 なんだAGLではないか、と言えばそうではありません。これらは断じて「平面」で描けるものでもなく、サイクルを描くものでもありません。2,3は利潤体系に付随して動く2次元のものです。
 そうか、それにIもないな。
 と、それも違う。
 パーソンズ等に周到に練られた末のIの存在は、決して支配者存立の問題ではありません。これは存続の必要条件ではなく、崩壊に係る必要条件、破れ目を糊塗するための手段なのです。 
 もっとも、すべてAGIL図式は資本主義擁護の学者たちが精魂込めた結果なのであり、決してバカにしたものではありません。が、彼らの思惑から外れた変革の視点からは、残念ながら、その平面性あるいは同格性は、社会科学においては、あるいは生きている人間においては、致命的な非現実性、あるいは非行為理論性を帯びるのです。
 
 さて、今述べたことはこの理論構成の通り、支配者が居る「下位体系」の話です。決して全体社会の理論ではありません。
 どうでしょう、100人の方たち、主意主義とシステム論のこのアポリアをすり抜けて全体社会の科学が作れますか? 
 
 
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ナショナリズムの前提条件

2021-03-13 11:42:05 | 歴史への視角
 こんにちは。東京地方、雨。ここんとこずいぶん降って、一時は近くの小池も干上がりそうでしたが、ずいぶん戻してきました。これだけ降れば草木も文句はないでしょう。
 もう雪は降らないってことでいいかな。今年は雪かき当番なので。早起きして雪かきするのが嫌。いつもは雪見で好きなのですが。
 
 ところで忘れてましたが、3週間くらい前にメールくれて、返事が来ないという方はいないですよね?
 windows10に無理やりインストールした”windows live mail” がなぜかエラー起こしてどうにも直らない。なんかwindows10を更新したんですかね、しかたないので急遽office付属の”outlook”に変更したのですが、多少時間がかかってて。
 outlook、ほんと使いにくい。メールソフトもどんどん悪くなる。
 ところでIME、「急遽」って何かね。「急拠」でもんだいないじゃん。
 
 で、なんでもコロナ・テレワーク用補助金って10万円以下のパソコンにしかつかないって?
 そりゃひどい。
 皆様におかれましては、ノートならcorei5以上、SSD付きでないと不満が残るでしょう。それにOFFICE付けたらどうなるか。OFFICEは後付けでも10万は無理だな。
 わたしはデスクトップ(液晶無し)なのでメモリー8GM、corei3(デスクトップ用のほうが早いそうな)ですが、SSDなしで不満。購入後半年もすればディスクが詰まってきて立ち上げも更新もいらいらする。office付きで9万弱ではありましたが。まあ前のよりましだけどね。うちのでテレワークなんかできんのかな。テレワークはしないけど、テレ飲み会ってどうかね、面白いのかな。
 
 さて、福島10年も過ぎました。ところで「福島」と一般化していいのかどうか、だれも失礼だからいわないけどどうなのかねえ、福島も広いし。
 で、富岡。ほかのブログにありましたが、googlemapが効くんだねえ、すごい。一通り眺められるの。市街地まで行けばなんとなく昔の面影は見られるからそれもすごい。まあ部外者が感想を言うと怒られそうなのでやめますが。
 わたくしごとですが、市内でここに引っ越したのもその時。なので10年間の感想というのもありそうですが、ない。勤労仕事をしないこの数年、ほとんどゼロ。やはり人間働いてないといけません。
 
 さて、本日のお題のとっかかりはマンガの代わりに借りた佐藤優「はじめての宗教論・左巻」。この「マンガの代わりに」という接頭語は定期的に注釈がいるかね、「マンガのように文学的な」という褒め言葉ではなく、ただの「気晴らしに」という意味です。
 まあこんな特殊な書物が「はじめての」じゃ若人は大変。 
 しかし意味不明ではなく、佐藤優らしい良品。ほんと同時に借りた岩波講座現代とか、存在意義ないし。同著投稿者本人たちも、「業績岩波1編」以上の意味など自分でわかんねえんじゃないか。もう岩波要らねえよ。もともと存在意義があったのは岩波全書の時代だけさ。
 は、置いて。
 佐藤氏、イデオローグらしく、ナショナリズムを「宗教」とかいって、異教的讒謗 を続けている(読み方は「ざんぼう」ですが、覚えなくていいですよ)。もちろん「リベルテール=無政府主義者」を標榜している隈もナショナリストなんか嫌いだろう、とかお思いでしょうが、あにはからんや、というのが本日の趣旨。
 おにいさん、そりゃ違いますよ。
 佐藤氏のように何でも引き付けて大きく理解することは大事ですが、社会科学概念は順序を踏まないと間違えます。
 (1)まず、主張としてのナショナリズムはどの国家内構成員にも生じます。国家間のいさかいがある限り、観念的には結論される主張なので、このいさかいの周辺者は必ず考えるわけです。これに対置される個人重視の主張も、国家権力に脅かされる人間が必ず生じますので、その当事者が主張するところです。これは、対置はされますが、成立次元の違う主張です。いずれにせよ両者とも、ただの意見です。
 (2)ついで、国家権力者がイデオロギーとして流布したい国家主義があります。
 この存在には、かならず、そのイデオロギーによって叩き伏せるべき対象勢力のイデオロギーがあるのです。つまり、国家の分裂が存在要件なのです。いいかえれば、生理的条件の確保をめぐる闘争が存在要件なのです。ここでこれへの対抗イデオロギーは、国家を挙げた変更イデオロギーと、個人主義イデオロギーとです。このとき前者は主張されないナショナリズムです。
 
 イデオロギーの外観を取り除いたナショナリズムの本体は、暴力の行使をめぐる隣の人間との共有志向です。それは国家暴力と隣組で組織されることもありますが、それはただの暴力の組織化の1形態です。
 この主張されないナショナリズムの主体は人民です。国家が分裂しているときには、人民は自己の暴力「力」を国家に集約されるのは拒否します。そこで何と呼ばれようが、民衆の暴力は民衆の「うち」において集約される。ミャンマーを見ればわかるでしょ。その口では国家を唱えようとも、彼らの暴力の共有先は、隣の人間です。民衆の暴力はそれ以外に存在もしようがない。なぜか? 国家から離れた瞬間に、民衆は自分が殺されてしまうからです。自分が殺されて満足な仕様の下でしか民衆の暴力は発揮しえない。 
 ここでは初めに民衆内部での暴力の行使がある。次いで、その共有態勢がある。それが国家にとらえられるのは決して偶然でもないし、さらに重要なことは、国家の陰謀でもない。国家さえ困ったことに、民衆が自分たちで暴力を集約してしまうのです。
 
 ということは隈三部作の結論でわかることなのですが、しかし結論として書かないと普通分からない。し、全体社会論の次元からその結論はでない。人間の実践選択の場面に読者を引き連れていくことで、ようやく読者に理解される問題とその解読なのです。
 というふうに次回論究の宣伝を脱稿1年4か月前から続けるのはいつもどおり。ま、分かりにくいのもいつも通りですが。
 
 なお、キリスト者にお教えしますが、結局、聖書を基準にする限り神の真実は明らかにはなりません。たかだか人間が自分の都合で書いた叙述(しかも特定すぎるやつらが書いたそれ)ですよ、そんなもんに神が表れるものですか。神は天にいる。しかし天は宇宙ではない。それさえわからないやつになにがわかろうか。
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『資本主義と支配システム』

2021-03-09 16:33:40 | 賃金・価値・権力
 お待たせしました、隈社会学の真髄を傾注した下部構造の理論、『資本主義と支配システム』、合同フォレスト㈱の皆様のご努力をいただき本日書店発売です。 

 皆様におかれましては、できうればちょっと手にとっていただければ幸せなのですが、さてどこまで書店に上がりますやら。まあ無いと思われますので、できましたら書店にてご注文、またはネット販売でAmazonなどの(いろいろの)ウェブ書店様で御購入いただくとうれしい限りです。
 といって内容不明のところ、例によりまして詳しい目次を上げさせていただきます。ちょっと長いですが、そのほうが本代が無駄にならずに済むかと。
 なお、隈のHPの「本の紹介」ページに、もう少し言葉で書いた概要ものせてありますので、そちらもご参照ください。

 以下、

**********
序論
 第1節 不可視の規定的構成の解析
    1 社会科学の本質としての不可視の解明
    2 見えないシステムを視る
 第2節 歴史と社会科学
    1 研究者としての主体性
    2 継時性の社会科学
    3 人間の行為の原則と歴史
 第3節 歴史性と行為主体
    1 歴史における主体性
    2 生存の中の主体性
    補項 思想に対する主体性 

第1部 支配システムと経済法則
第1章 支配システムとは何か
 第1節 見えないシステム
    1 支配の回路と生産手段
    2 階級
    3 身分制度と階級性、あるいは階級構造
    補項 2つの類似概念     
 第2節 支配システムとは何か
    1 支配における武力
    2 生産手段の強奪あるいは非強制的世界のシステム
    3 言説としてのイデオロギー
 第3節 社会における支配の成立あるいは国家
    1 国家
    2 国家の成立
    補項 支配の成立
    3 可視としての国家
第2章 経済学の諸範疇と資本論
 第1節 経済学批判の批判
    1 「経済学批判」と国家
    2 「経済学批判」と交換価値
    3 「経済学批判」と支配関係の消去
 第2節 生産共同体での物資の移動
    1 交換行為の実態
    2 贈与行為の実態
    3 贈与及び交換
 第3節 支配範疇下の物資の移動
    1 カネと価格の成立
    2 労働時間と生活費
    3 消費物取得の本来的事情
    4 労働対価の条件
 第4節 支配範疇下の労働
    1 貨幣又はカネ
    2 「労働力」概念の誤り
    3 現実の賃金の事情
    4 後進国賃金
    5 世界資本主義国における賃金
 補節 経済学批判と弁証法
    1 経済学批判における始元
    2 資本主義分析における始元
第3章 経済法則が変成する支配システム
 第1節 支配者による資本主義経済の取入れと育成提携
    1 経済生活の本質
    2 商品経済の席巻
    3 市場の創出
    4 労働の蓄積
    5 上層における優越と下層における競争
    6 土地所有権
 第2節 新たな強制機構、あるいは「労働(力)の商品化」
    1 労働者と「労働(力)の販売」
    2 労働力の商品化の行為論的翻訳
    3 国家と労働力
 第3節 資本主義の取込みによる支配システムの変成
    1 生産共同体からの自由
    2 武力の減衰
    3 行為共同性の進展
 第4節 生産関係の腐朽
    1 資本の過剰 
    2 支配者の資本家への巻き返し
    3 人民の事実認知上の平等化の崩壊
    4 労働(力)収奪の商業化とその限界
第4章 後進国資本主義
 第1節 「後進国」の形成
    1 植民地の形成
    2 国家の作成
    3 イデオロギー構制の作成
 第2節 後進国の経済体制
    1 原始的蓄積
    2 後進国支配権力者の恣意と経済
    3 市場経済体制
 第3節 後進国家の階級状況
    1 支配階級の武力機構
    2 被支配者の武力行使
    3 後進国における行為共同性の基調
第2部 支配システムの人為的規制 
第5章 政治革命による支配システムの再構築
 第1節 階級の表出
    1 階級性と階級構成員
    2 階級者が持つ事実認知
 第2節 変革主体、または自己権力の表出
    1 自己権力の弁証法
    2 被支配者が見る「そのときの自由」
 第3節 権力システムにおける変更
    1 変革主体の機能
    2 行為共同性に根ざした階層構造
 第4節 後進国
    1 後進国における階級現象の構制転成
    2 世界資本主義における階級状況の転成
第6章 支配システムの制限の方途
 第1節 既存の社会主義原理の問題点
    1 変革後の経済
    2 過渡期社会と労働時間制
    3 社会主義と民主主義、あるいはソヴィエト民主制
    4 社会主義とカネ
    5 社会主義と集団農業
 第2節 支配の無効化の方途
    1 商品化の体制の変更
    2 生産手段の取戻し
    3 狭義の過渡期の規定性
 第3節 残された後進国問題
    1 世界生産力の問題
    2 後進国人民の自由の問題
    3 先進国の変革後の後進国 
 終節 権力減衰への社会体制


 《「有史以後のすべてのこれまでの社会の歴史とは、国家による強奪の歴史である」。マルクスへの根底的な批判と共に今お届けする世界資本主義の過去と未来の真実。
 人類の歴史を彩り続ける不幸な、しかし栄光の諸闘争が、営々と形作ってきたこの人間の自由。世界資本主義とはその現象形態であり、この過程を貫く論理を明らかにしたとき、次なる自由の段階と、それらを全世界的に最終解決する未来とが明らかになる。》
 
 これは社会学というよりは経済学だと思われるような社会学。あるいは「社会思想」とも分類されそうな、しかし、社会科学です。
 アナーキストにはいったん国家が残る論理なのでご不満かも。でもどうせ前々著(「歴史としての支配」)でへそを曲げましたので、これはアナキズム系にはあげません。
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少しだけ

2021-03-06 10:51:52 | 断片
 こんにちは。今日はわずかな熱で倦怠的。最近は「微熱」と呼ぶハードルが上がってきたので、そんなじゃないのですが。花粉で鼻水が出ればのどがやられるし、夜寝てても口開けてるんで口のなかがひりひりするし。まあ、そんなこんな。
 
 三宅島で38人の合宿中で自動車事故だってさあ。
 そういえば、卒業旅行とか春休み合宿とか、若人は行けてますか? 基本、行けてないか。
 かわいそうだねえ。なんたって日常から離れたことは記憶にしっかり残るしねえ。みんないつか離れちゃうのに。
 ねえ、昔の若人の方々、面白かったよねえ、基本。いつか行けるといいねえ。問題は、そのうちやれる懐かし旅行とか友達旅行だと日常の旅行になっちゃうってことで。「一緒に所属してるだけの」そんな親しくない人と、一緒に非日常的な行動するとこがいいんだけどね。「行って食べて見て帰る」じゃあねえ。どうせ部活やるならせめて地べたや体育館の床にシート引いて持ち寄りの夕食会とかねえ、、、ま、ご家族に危険なので薦めはしませんが。
 しかし、緊急事態なんかいたずらに延ばしたって、病床が空くだけで何も変わりはしないのに、って誰でもいうことは本当だよ。こんなに民衆に明らかなことをほっとくというのも確信犯だね。川崎市民は優秀だけど。どうせまた増えるのは疑いないのだから、医療者ワクチン接種はいいけど、自宅療養者保護の段取りでも進めてほしいものだ。
 
 別な話、昨今は女性解放攻勢が強くてよいことですが、今日の朝日新聞には老年の(往年の)樋口恵子という女性解放支持論者がでていて。
 ”私のころは「わきまえ」なきゃ権力グループから排除されるので権力に食い込めなかった” だってさ。ほんと、言う時期を間違えてるよ、今はせっかく権力グループ内女性が反省して「わきまえるな」攻勢に出てるのに。ボケちまってやだね。自分の自慢か弁護かはほかでやってほしいよ。
 
 というわけで、今日は倦怠的なので、少しだけ。
 
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