リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

次回作構成予定(その7 構成再修正)

2024-06-30 17:53:32 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。東京地方、うちの近くはずっと雨。なにしろ年金生活者なので、涼しくてうれしいだけ。勤労の方はお疲れさまです。でも、休日だから外働きの方は少ないかな。明日もなんとか我慢できそうな。

 さて、昨日は時間なしでパスしたので、先週(22日)の続き。題の次に、内容の外観修正。いつまでも残しとくと先に進みにくい。もっとも中身が変わらないという。でも変わらなくとも切った貼ったでやり直しはやり直しです。

0 序論

1 概念構成
(1)人民視点の経済学とは
(2)経済学における国家の位置
(3)経済学の諸概念と労働者視点

2 国家と資本主義経済
(1) 経済と支配
(2) 資本主義経済という歴史上の飛躍
(3) 国家にとっての資本主義経済

3 段階論、または人民の肉体力の相対的増大
(1)段階的表現の意義
(2)資本主義初期、または自由の最初の自覚
(3)資本主義の円熟、または国家武力の衰退   
(4)過渡期、または人民の原理上の勝利

4 現状分析
(1)「現在」という状況とは
(2)先進資本主義国家内の過渡期的課題
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お客さまで

2024-06-29 18:36:31 | 断片
 こんにちは、梅雨ですね。集中豪雨が始まって、もう梅雨終盤の気配。東京地方も来週は32度以上が続くって。ほんとになんなんだろうね。去年の今ごろは? って思って「気象人」を見たら37度とか恐ろしい数字が並んでたので閉じちゃった。
 で、1行。
 ほんとはその手前の話題が入り、いつもデータベースを見る「お天気ポータルサイト - WeatherEye」を見ようとしたら、”見つかりません”だと。
 ええええ、、つぶれちゃったのか。そういえば前回見た時なんか怪しかったけど。
 私のお天気知識はもう20年以上ここと一緒にあったのに、、、昔は性能の悪いパソコンでデータベース見ると重くてフリーズしたりして、、、、淋しい。
 
 元に戻って、夏だから、蚊。もう5年目のアースノーマット、6畳間で閉め切って2時間点けても蚊、生きてる。刺しはしないけど。4年過ぎはやっぱだめだね、買い換えました。中身だけだけど、それでも高くて苦痛。
 生き物はだいたい好ましいけど蚊とゴキブリは嫌い。敵だから。
 昔、職場で残業していてトイレに行ったとき、真夜中でトイレの明かりは消されてて、で電気をつけたら、トイレの壁をゴキブリが数匹這い回ってて。さすがに悲鳴は上げませんでしたがおぞましい記憶になっております。
 あ、海岸の岩を這いまわるフナムシも嫌い。嫌いだけど踏まないようにするくらいの気持ちはあります。

 というわけで皆様お元気? もう夕方6時だって。今日はお客さまだったので。今日もさらっと。
 
 ニュースです。
「トヨタ「週休3日」導入を検討」(共同通信)
「トヨタ自動車が「週休3日」を選べる制度の導入を検討していることが28日、分かった。オフィスや在宅で働く事務や技術系の一部社員が対象となる。働き方の柔軟性を損ねてきた1日2時間の「最低労働時間」を年内にも撤廃。結果的に休日を多く取得できるようになる。実働時間や給与水準は変わらない。」
 不愉快だねえ、、超独占企業は本来何でもできるんだよねえ。
 で、これは不愉快だから取り上げたのではなくて、リーダー企業のやることは業界全体に影響を及ぼすわけだ。その施策で、他の企業にどんな影響が出て、どこまでやっていいか、、もちろんその対応を含めて。他人の顔を見ながら考えた末に決定する。まあ勝手にどうぞ。
 ところでそんな影響を教えてくださるのが経営社会学様さ。おもしれえかい?? 
 ってとこがこの引用の趣旨。けっつ。けがらわしい。
 なにを怒ってるんだか? 怒ってません。不愉快になったの。
 
 ほんとトヨタがどうでも人民にはいいんだけどね。自分んとこの会社の景気が続けばいい。
 人民の親だって、ともかく、子どもが給料さえもらってたら安心するのです、って、他人の親じゃないけど、たぶん。
 最近は、ほら、体制の視点てやつがとりわけ嫌い。そう思うと鼻について学者はみんなが敵に見える。

 次。
「討論会「民主党内はパニック」 不安露呈のバイデン氏、交代論も浮上」(朝日新聞)
トランプとの討論会でバイデンの老いぼれが目立ったって。
 なにを今さら。わかりきってたことを。
 優柔不断の成り行き任せは日本人の専売かと思ってたら、どうしてどうして。なんだねアメリカ民主党。党のことなんだから党員一致して立候補止めさせりゃよかったじゃないか。
 情けないねえ。わたしゃ主観的には自分のことは見て見ぬふりをしたことはないよ。世の中、立ち尽くすやつらばっか。

 なんてケチばっかつけて、もう夕方だから終える、というのも後味が悪い。
 さっき見たお役立ち情報の受け売り。
 皆様はお昼はお弁当? お弁当の際には「ピタッとゴムメーカー」ダイソー製品。
 お弁当とかを留めるゴムバンドあるじゃん。その長さを自分で決めてバンド作れるんだって。「デザインカラーゴム」ダイソー(or手芸屋)と「ゴムメーカー」ってのが留め具のことで、組み合わせでピッタリ長さのバンドが作れます。ご参考まで。
 それではまた。
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P.S.添削による短詩作法

2024-06-23 10:02:39 | その他
 おはようございます。昨日のP.S. カテゴリー違いですのでご注意。
 昨日、AI短歌なるものをただのキャッチフレーズだとけなしたので、言いっぱなしも何だから直してやろう、と思いました。
 
 (再掲)AI短歌なるもの
 
   「同棲」なんて名前をつける前からあなたは私の中で住み着いていた

 まずこのコンピューターはどんな感情を歌いたいのか。
 なにも歌っていないからむりやり想像ですが、「あなた」の自分への影響の多さだろう。
 平易に言えば、
 1「別れるなんていや」
 か
 2「あなたは冷たく同棲なんていうけど、なんでそんなこというの?」
 か。
 
 ここで添削ですから、彼の舞台設定を使わなければなりません。
 
 1の場合は、ポイントは「同棲」解消です。したがって言葉で解消させて、それ自体に冷たさをにじませよう。
 
     もう1週間も居るやと呟くあなた 違うわ5年間よと心が言う 
 
  そもそも作意がくだらないから、添削も難しい。
 
 2の場合は、ポイントは「同棲」という言葉だから、この言葉に感情を与える。
 
     私の中に住んでいたあなたは友に「今日から同棲」と笑う
 
  この場合「笑う」に軽侮の念を込めようとした。
 
 そもそも短詩に使う「感情」はその感情を体現する環境体が使用されなければならないのです。短いんだからしょうがない。環境体って、感情を投影される自然物や、感情が沸き上がる環境状況です。
 それがない概念操作は、調子頼りの「キャッチフレーズ」にすぎません。
 短詩としての俳句なら、山頭火
  「うしろすがたのしぐれてゆくか」これが環境状況。

  「世界中の無数のあたしと世界中の無数のあなたはどこにもいない」
 これがキャッチフレーズです。谷川俊太郎(ネットで一番手近のもの)。おわかりでしょう、何の感情もない。

 いや、きのう年寄りと同窓会で「みんな何してんの」という話題で。まあこういう遊びもしなきゃね。

(p.s. 知らない方に。俊太郎も若い時はそこそこ感情をもってたんですよ。もちろん私はひどい違和感を受けてましたが。「二十億光年の云々」、十分詩です。ただ人間の対応感情は変わらなくとも、対応する状況はいくらでも変わる。それに惑わされるのもにんげんというもの。哀しかないですか?)

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次回作構成予定(その6 書名再発表)

2024-06-22 20:23:29 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。東京地方、いよいよ梅雨の始まりとか。外勤の方はお疲れ様です。内勤の方はびしょ濡れ通勤ウェアの処置にご留意を。今日はいい天気だったけど。

 軽いニュースで、さて、東京は
「首都決戦、最多56人届け出=小池都政の評価が争点―都知事選告示」(時事通信)
 この大量受験のどこぞの党派、意図はどうでもいいけど、いったい供託金300万×人数を誰が出すのかねえ、、全部ふんだくられるのに。世の中わかんない奴のことはぜんぜんわからない。
 
 次。
 朝日新聞で、木下龍也という「気鋭の歌人」がAI短歌を褒めていた。
 AI短歌の例
 
    「同棲」なんて名前をつける前からあなたは私の中で住み着いていた

 いかが?
 木下先生「震え上がった」そうです。わけわかんね。
 はあ? だから何? そんなもんが「短歌」か。
 詩の中の1行にもならない。ただの気の利いたキャッチフレーズ。
 哀しいもんだ、いまどきのひとにはもう自分の心を歌う詩など必要ないんだね。
  (p.s. 関連が翌日にあります)

 次。
「米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」を率いた科学者で「原爆の父」故ロバート・オッペンハイマー博士が米国で被爆者と面会した際、「涙を流して謝った」と立ち会った通訳が証言する映像が見つかった」
「涙ぼうだたる状態。『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』と謝るばかり」
(共同通信)
 別に他意はありません。ただ単に、オッペンハイマー、いい人だったと教えたくて。

 次。
「富士通、一律初任給廃止へ ジョブ型新卒、40万円超も」
「仕事の内容や役割に応じて処遇する「ジョブ型」雇用を本格導入すると発表した。高度な専門性を持つ学生らには入社時から相応の給料を支払い、優秀な人材を確保する狙いがある。初任給で現在20万円台後半の基本給が、40万円を超える可能性もあるとしている」(共同通信)
 富士通は新卒全体対象だってさ。NECチャンスだ! 旧来雇用対象で良き日本人の新卒がやってくるぞ。

 なんてね。今日は前の職場の内輪同窓ランチで昼酒のうえ帰り遅かったから、メモのようなもの。
 ようやく年寄り連中も、おおっぴらに会合ができるようになりました。なんていってると、コロナのバチが当たるけどね。
 以下、本題は予定稿で、貼るだけ。

 さて、 HPご訪問の方はごぞんじのように、先月以降、題と内容の方針が変わりました。
 図書検索しててどうも次回題(予定)が陳腐なことに気づいたってわけで。
 「反国家」はいいとして、「〇〇の政治経済学」の多さと言ったら、驚異的。これは流行りに乗っかるようでみっともない。
 さらに、感心しない勉強家の新刊に「福祉国家の基礎理論」なる題の本があって、この構成がamazonによるとわたくしの構成予定と同じになってたりして。読んでませんがその他の情報を重ねると、要するに勉強結果を集めたものにしか見えなくて。まあ学者本。
 で、とにかく、
  1 〇〇の政治経済学はやめました。
  2 序論の存在は仕方ないとしても、 
       (1)政治経済学
       (2)経済学批判
       (3)国家規定
       (4)運動
    の組立もやめました。
 
 新題。
 「反国家の経済社会学」 
      ー体制内視点の経済学論理を突破するために

 〇〇の経済社会学というのはめったになくて。
 ただこれじゃ「経済学批判」からは遠いな、とも思うのですが、結局経済学者が読んだってどうせ理解できっこないはなしだし。(「社会経済学」になると経済学者のテリトリーのもよう。当然といえば当然。) 
 で、副題に経済学批判を匂わそうとして。本日は副題の解説です。
 
【体制内視点】
 さて、体制とは何か。
 支配社会における行為の原理・原則にとって、体制とは、権力階梯です。権力階梯に行為の原理と原則が集約されているのです。
 つまり、権力の上位から連なる、武力、消費物資という生理性の確保条件、これに則って、賞賛・優越がセットされ、これに対応して「反」権力の標榜であることによる対抗権力の賞賛と優越がセットされる。行為共同性は、各権力の階梯と、階梯を進まんとする者の間のそれとでセットされる。
 この権力階梯がもたらす行為者の志向性について、彼の意図を問わず、存在前提的に設定される視点が、体制内視点です。この権力階梯内の自己を否定することなく志向した結果の視点です。
 
 ここで間違えやすいのが、権力階梯を否定していれば、それは体制外視点だ、という発想です。
 確かにそれは本質的否定であれば体制外視点と言えるでしょうが、現実はそうではない。権力階梯の否定の「言辞」は、すべての人間の一瞬先の未来に開かれてます。階梯トップの支配者も、支配調整に疲れた次の瞬間には、「ええい、こんな世界壊れてしまえ」と叫ぶかもしれないし、それは容易に想定される事態です。しかし、支配者彼の視点は、相変わらず、権力階梯の中にある。中にいて、「壊れればいい」と口だけで言っているのです。
 
 およそ、一連の言辞を表現する視点とは、その授受者にどんな行為論的意味=価値を再構成させるのか、によってレッテルづけられなければならない。
 つまり、体制外視点とは、授受者がその表現を再構成しても、その再構成において授受者の内部の権力階梯の認知が否定されるものでなければならない。

 例示します。
 第1に、その表出が、国家の価値に寄与するものは体制内視点です。国家とは権力階梯そのものだからです。「国民」の安全を述べる言辞です。
 第2に、その表出の内容が、権力階梯の存在に寄与するものは体制内視点です。会社の繁栄を志向する言辞です。「内容」と付加した理由は、この場合、関連する様相が数え切れず存在するからです。
 さてさらに、重要な付け足しがある。
 社会内の表現は、すべて権力階梯によって評価される。さらにこの評価が世俗の表現の趨勢につながります。教育機関、たとえば大学での位置や学術発表。マスコミュニケーション、たとえば出版の可否。テレビへの出演の可否。この「制度」を支えるものが、要素としての表出物です。
 従って、第3に、その表出の内実が、自己の社会における権力階梯の上昇とセットになっているもの。ここで「内実」は、「何と言おうが結局は」というニュアンスを含んでいます。

 従って、現存するすべての「経済学」は、体制内視点です。
 

【史的唯物論の視点】
 ついで史的唯物論です。
 どう構成しようがそれは基本的には論者の知的水準の低さを表すだけですが、しかし、原理的にはここでも視点というものがあります。
 マルクスいわく、「自然史的過程」。 
 ここでは自然史的過程概念にかかわる暇つぶしの論議に立ち入るつもりはまるでありません。そうではなくて、歴史を自然史過程と言い切って何も思わないマルキストの話をするのです。
 つまり筆者は自然史的過程などありえない、といいたいわけではない。エンゲルスが主張するように、自然史的過程と捉えることが虚偽なのではない。しかしそれはマルクスに引きずられた非人民的な視点だ、ということを述べているのです。これも「人民に反対する意見だ」という意味ではない。自然史と規定することで、人民の理解から遠く離れる、といっています。人民の理解は「じゃあほっておいていいんだな」です。往年のマルキストは、いやそうじゃないんだ、ってさんざん言い訳をして疲れたことでしょう。ほっといちゃだめです。行為主体は、人民です。なにが自然史か。

【本題の意味するところ】
 もちろんこの区別は理論それ自体が独立に示す内容のことをいっています。
 そして権力階梯視点の理論は、必ず、究極的に国家を前提としています。すなわち、誰が支配者となろうが、体制の保持を内在しているのです。
 
 ついで、「理論」なる価値物は、価値物としての存在が社会に影響を及ぼすことができます。権力階梯に由来する賞賛と優越は、体制内視点のものについてはその存在の保持を通して、その保持者の権を受信者に映らせることができます。
 だから体制保存的だ、というのではありません。
 たとえば、史的唯物論は、そこに反映されているとその時代の評者がいう「ダーウィン主義」を通してその時代、その社会で認定された権威=権力の衣をまとうことができます。
 それは視点が社会で認定されている、という条件の下の結果です。
 同様に、資本論も、それが社会で認定されているアカデミズム社会の権威を継いでいるがゆえに、権力者とその仲間が認める権威=権力の衣をまとうことができます。
 これは対抗権力としては有効です。

【体制外視点】
 では体制外視点とは何か。
 その視点をとることで権力階梯の維持につながらない視点です。
 国家の維持にも、企業の維持にもつながらず、従って、その表現を再生産しても権力階梯内の上昇につながらない視点です。
 さらにこの視点は、それにとどまらず、体制外という1点において、被支配者の解放への道を提示する資格を持っている。そのまま表現を再構成しても、どこにも権力階梯を保存する契機がないからです。
 ここからは既に先月来3回に分けて書きました「概念的把握」批判の内容に続いていきます。

 、、、だけどね、

 実は非権力的な=非体制的な場でしゃべったことは、内容はいくら良くとも、一発芸のようなもので、それっきりで終わりなのね。
 じゃあちゃんと本にでもすりゃあいいって?
 ところがだ、人は、こういえば他人はわかってくれる、こういえば他人は賛成してくれる、こういえば他人はこの表現物を購入してくれる、という3段階の階梯をクリアしつつ表現するわけ。
 これは形式社会学的な人間の定めなの。この定式を時代に当てはめなければ、「理論作業」なるものを疎外された人民大衆もいるはずの世界に広めることなどできはしない。すべてが支配階級の回路をたどり、あるいは、支配階級中で対抗階級に「落ちた」人間の回路をたどらざるを得ない。ま、もちろん、マルクスのことをいってますが。
 
 これが矛盾なのさ。どう世間の流行りに乗りながら、実質、体制外を貫いていくか。
 しかも風呂で考えると湧き上がる論理を風呂上りまで覚えているのは至難の業。
 当家の風呂場には、いくつもの最高級のアイディアが落ちています。


 
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簡単に

2024-06-15 17:28:13 | 断片
 こんにちは。すっかり夏ですね。東京地方、今日も30度。しかも空梅雨。梅雨入り宣言無しで夏が来たのはつい最近のような。
 水不足も心配ですが、なにはなくとも米だけは順調にできてほしいものです。
「お米の主要産地である新潟県が昨年の猛暑の影響で品質の低下や不作に見舞われたことで、今、お米の値段が高騰している」(FNNプライムオンライン)って、これもほんとなんだか。
 去年の秋はスーパーのお米安かったよね、米粒は白く濁ってたけど。米屋の一級米は高かったのかね。で、実際今はスーパーの米も高いんだけど(5キロで100円くらい)、一体誰のせいなんだか。

 ま、ともかく暑くなって手持ちの半袖シャツを見るとずいぶん擦り切れてるのがでてきてて。なにしろわたしは物持ちがよい。しかし高齢化で昔の選択は次第に似合わなくなってきたのもたしかで、バーゲン品でも買おうと隣町のイトーヨーカドーまで。
 たらさ、ないんだよね、Sサイズ。このまえはパジャマがなかったけど(あ、パジャマはM。高かっただけ)、半袖シャツもない、バーゲンもなにも、そもそもない。この国はもうおしまいだね、成人病の巣。繊細な人々はみんなオーダー客なのか。
 結局、発見にひどい苦労をして安くもないネット通販シャツを買いました。苦労したので今日は短い。

 さて、こんなものはニュースじゃないけど、
「【実食レポ】“迷惑動物”キョンを焼いて食べてみた! 猟師もうなる驚きの味とは」(デイリー新潮)
 八丈島ならぬ千葉のキョンは美味しいんだって。他人事なので、どんどん食っちゃえばいいのに、と思う。
 関連報道によると、ダチョウにトナカイ、イグアナ、それにワニがうまいって。
 実際ダチョウとワニは美味しい。姪っ子の結婚式で行ったオーストラリアで食べた(カンガルーは不味い)。トナカイも(ノルウェーの先住民族)サーミの地理本によると世界一美味いしオメガ3脂肪酸もたくさんあるってさ。キョンも似たようなもんでしょ。イグアナは知らない。

 これはニュースか、
「アメリカ・カリフォルニア州で4月、ファストフード店の従業員の最低賃金が、時給16ドルから時給20ドル(日本円で3100円余り)に引き上げられました。」(NHK)
 どうせNHKのいうことだからさ、「最低賃金の引き上げはファストフード店の経営者を追い詰めています。」と続くわけだ。恥知らずめ。ネット視聴料とるんじゃねえぞ。
 でさ、耳で聞いたから、3100円!すごいじゃん、、と思ったけど、確認したら、
 「コネチカット州のダリエンという町にある店では、ビッグマックにフライドポテトMサイズ、ソフトドリンクMサイズがついたセットメニューは、18ドル」(佐藤まきこ ワールド 2023年11月記事)だと。上がった時給だってビッグマックセット代で消えるじゃん。
 日本換算で、値上げした日本のビッグマックセットが750円、、時給20ドルは実質830円だよ、ひどいもんだ。まあアメリカのビッグマックの体積は大きいだろうけどね。それを加味して、今回時給が上がって、やっと東京と変わんねえ、というところでしょう。
 さて、どっちがいいものやら。もちろんどちらも悪い。

 あとのニュースはだらだら書く気もしない。
「東京都千代田区立・麹町中学校の“ヒップホップ禁止令”が波紋を呼んでいます」(朝日新聞デジタル)
 東京の超名門中でヒップホップ部活が禁止されたって。もう校長アホ以外に言葉もない。

「「挨拶しない自由があるんじゃないか」大炎上してしまった渦中の20代男性を直撃! ネットでの批判に「私は挨拶をします」(集英社オンライン)
 ともかく、どうでもいいことに、いいも悪いもなかろうが。この国はもうおしまいだね。
 
「フロッピー規制、近く全廃 河野氏「今月中には完了」」(共同通信)
 国の報告にフロッピー使うのはやめるって。なにを今さら、ガラパゴス。
 ところでお客様の中で「大事だったフロッピーがあるけどフロッピードライブがないので読み取れない」とお困りの方、いつでもタダでUSBスティックに移してあげますよ。メールにてご一報ください。メールアドレスは、隈のHPにあります。

 
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youtubeでの知識等

2024-06-08 17:06:49 | 断片
 こんにちは、お元気? 東京地方は青空。元気がない時は青空をじっと見てるのがいいと思う。脳が疲れてるからね、空の青さをきれいだなと思いながら3分くらいじっと見てるのがいいって。あれこれ考えるのももちろん、漠然と頭をめぐらしているのも良くないみたいだよ。
 お前は元気よさそうじゃん? そうでもないけどさ、青空だから。
 九州は雨? じゃ、代わりに紫陽花ね。

 昨日は懸案の眼鏡のレンズ交換に渋谷へ。安いレンズで処方箋通りで、ってすぐに終了。高い高屈折率のレンズは、度が弱いとガラスが薄くなって割れるってさ。しかし、測られもしないとちょっと不安。
 で、早く終わったので時間調整にウインドウショッピング、と思ってビル街を見上げたら途方にくれました。オジサン、どこへ行けばいいってさ。
 東横も東急本店もつぶれ、西武は30年前からパルコ化しておじ(い)さんの行くとこじゃなくなったし、ヒカリエなるものにいってみてもただの商店街。そうだ、ハチ公地下の渋チカは年寄りの友達、と思ったら、もう廃墟。
 本物のデパートは新宿京王しかなくなりました(新宿伊勢丹はこの前いったら高級すぎて呆れて帰ってきた)。
 ちいさくても玉川高島屋を大事にしなきゃ。

 (という一連の記事文章、変?
 終わりまで書いて気づいたら前半が吹っ飛んでた。最近、テキストソフトの調子が悪くなって。windowsが勝手に更新してくから古いソフトと合わなくなってく。
 ともかくもう気を入れて書くような時間じゃないから、すっとばして書き入れました。)

 (次の話題忘れたけど)
 門倉有希という人が亡くなったって。歌手、といっても演歌系なのでふつう知らないでしょう、私は知ってる。オジサンが一人でyoutube聞いてるとだんだん趣味が広く、というか年寄り臭くなって、この人の「ノラ」っていうの時々歌ってましたが。

   やめて…下手な嘘 抱いて…今はただ
   雨にぬれたノラ 帰りついたあんた…

     、、、残念。

 今日も特に話題がないので、最近発見の良い歌紹介。
 桜田淳子「窓」

  あなたとあの人の 幸せの裏庭で
  懸命に咲いていた 花があったの・・・・・(略)

  あたためた恋心 庭のすずめ達が
  聞きつけて悲しんで 風に知らせた
  風達も涙ぐみ あの窓たたいた
    窓 窓 窓 窓 窓 窓…

 これもカバー曲だけど、ほかの人より断然いい。こういう、かまととな歌は淳子ちゃん(ってわたしはファン)にとても合ったんだよね、時は昔。過去形。
 

 ついでにもひとつ、別な人のかまととな秀作。
 寺山修司 「さみしいときは青青青青青青青」、これは本の名前。寺山は優秀な短歌作家だけど、まあ、なんというか面白いというべきか。昨日の朝日の小欄が引いていた。

   わたしはただではいやなのです。
   わたしは海をお金で「買いたい」のです。
               (娼婦)
      わたしはこんなに買われてきたのに、
      どうして海ぐらい買うことができないのだろうか

        、、、いい人だったね。
 
 まれにいる一部の人あて。youtube見てたらアナーキー解放区の歌というのがあって
   自由地区・公式歌『Анарх?я(無政府)』
 ロシア革命の時のマフノ運動の解放地区、どこかと思えば、今のウクライナのロシア占領地域だったよ。今生きている人間の、やれそこはうちの領土だ、だの、祖国を返せだのというのはどうしようもなく底の薄い話なんだよね。

(P.S.その1)
 今日は内容薄いからね、気晴らしの悪口でPS.
「屋久島の植物、なぜ小型化? 東北大などが奇妙な法則を解明」(毎日新聞)
 研究チームは、島にヤクシカの天敵がおらず高密度で生育しているため、植物がシカに食べられにくいよう小型化を進めたと分析。」
 ほんとアホ。
 どの「植物」なるものがそんなことを思ったのか。俗人というのは自分でなんでもできると思ってやがるからね、できゃあしない、やろうともしないのに。正しく言え。「そんな植物だけが生き残り得た」だろうが。
 それ自体ほんとかどうか知らないが、推論の結末はそういわざるを得ない。

(P.S.その2)
 本日の新プロジェクトXなる番組の宣伝、本体は見ないからCMのキャッチコピー。心臓病の子供を救う器具を町工場と研究者が作ったという良い内容なんだけど、いわく
「町工場は自分たちの技術の威信を懸けてこの器具を作った」だと(趣旨)。
 クズが。
 このアナウンスをクズと思わない人は、もう一回自分の人生を考え直した方がいい。
 ざけんなよ、「なんとか子供を助けてやろうと、自分の人生を懸けて作った」んだろうが。
 それを何? そんなに自社の名誉が大切か、子どもの命より大切か。ああ、おまえはゼレンスキーと一緒だよ。
 そんなやつはこんなイヤミも誉め言葉にとるに違いない。ほんとクズ。
   (いやNHKプロデューサーがクズなだけか、そんなことは知らない。そうならNHKを名誉棄損で訴えてやれば?)





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人民的社会科学概念と弁証法(その3)

2024-06-01 15:00:12 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方、なんか梅雨っぽくなってきました。紫陽花も6分咲き。昨夜は耳元を蚊が通過。その後刺されなかったから子供なのか、オスなのか。ともかく蚊取り線香の季節、って電気製品ですが。火をつける線香は火事になるのでお気をつけください。
 天気予報には各社で表示のクセがありますが、あしたは雷雨があるとのこと、外に出る人は冷たい風が吹いたらご注意を。
 
 さて、早々にためになるブログ、元は受け売り。
 キャベツが2倍3倍になって、東京地方ではお好み焼き屋は別にしてトンカツ屋が困ってるそうで。
 だけど個人宅のはなし、キャベツってモヤシより高い? うちのほう、キャベツ300円、もやし35円。
 でさ、もやしを栄養のゆくまで(?)食べると1袋で2食くらいでしょ? キャベツってさ、8回以上食べられるんじゃない? 半分を4つに分けるってことだよ? 一人なら十分。いろいろの料理で使えるし。栄養素考えたらキャベツが安い。
 ただ問題の1は、キャベツの量には芯がまざってるってことだね。これは良く煮るか十分薄くか細く切ってくださいませ。栄養は劣らないそう。
 問題の2は、300円のキャベツはバリバリしてる、ってことで。柔らかい春キャベツはさすがに高くて買えないしね。生の千切りなんて口の中に刺さる。
 そこでネット情報の受け売り。葉っぱを手でよく握りつぶしてから使う。
 バリバリメシメシといって粉々にちぎれたりもするけど無視。
 それからおもむろに千切りにしたり煮たりすると格段に違います。是非おためしあれ。

 本日の自分的気づき。
 ナムルってさ、日を置くと食べられるようになるの、知ってた?
 韓国料理は全部嫌いなんだけど、嫌いなものは食べない、という習慣はなくて。で、たまにナムルも作るんだけどさ、ごま油、塩、ニンニク(+ゴマ。ものによって少し醤油)って店よりさらに一層、おいしくない。スープの素入れても変わんない。いちおう焼肉屋のナムルの味は知ってて、だけどぜんぜん似てもない。
 ずっとなぜだろうと思ってたんだけど、たまたま2日置いたのを食べたら、焼肉屋の味がしました。これってそういうもの? これなら食える。でもネットレシピで誰一人書いていない。まあ、いまだに真相は不明。

 さて、
「厚生年金の適用拡大へ 非正規の低年金問題に対応、企業規模条件撤廃」(朝日新聞デジタル)
 だそうです、来年夏から予定だって。とてもよかった。国は低年金保障で差額生活保護費払うのも保護事務費払うのもいやだからね。会社負担分が欲しいんでしょ。わたしも安心。
 厚生年金入ってる? ぼったくりの国民年金料も払わなくてすむし、入る年金額は倍くらい違うし、就職先は、会社が国民年金料は出すとかいっても騙されないでね。なんとか厚生年金のあるところをね。
 
 これはちょっと変わったニュース。
「もうとても人の住める状況じゃない」「町内の崩壊です」三沢基地・戦闘機などの騒音問題 隣接地区の住民の約8割が“移転”を希望」(ATV青森テレビ)
「テレビも電話も、訓練なんかあれば全くダメ(聞こえない)です。もうとても人の住める状況じゃない。したがって若い人が入ってこなくて高齢化、空き家・空地ばかり増える。町内の崩壊です。はやく(移転を)やってもらわなければ困る」
 ご不満は分かりました。しかし、ここはアメリカ軍と日本軍の共同使用。ふうん、、日本軍は高級航空ガソリン代が出なくて訓練なんかしないからお味噌。アメリカ出てけ、ってことだろうね。へええ、いまさら。進駐軍の時代から存在する基地だよ。意図不明。いまさらなに。もちろん住民は昔から困ってるだろうけど、政治は住民がするもんじゃないから、その意図が不明。
 
 では1週飛びましたが、本日のテーマ、続いてます。

 (その1)、(その2)とで、人民には概念的把握など必要がなく、人民は自前で社会科学を作ることができる、と述べました。さてそれでは、概念的把握につきものの「弁証法」についてはどうなのでしょうか。
 弁証法とは、そもそも、現象の裏表にある「概念」を両面から検討して、統一的な理解に至らしめるための方法です。
 というだけで、もう本日の趣旨は述べことになるでしょ。
 弁証法それ自体は、人民の精神生活とは無関係なのです。
 それはもちろん体制科学を理解するためには有益となることがあるはずですが、体制科学など、一度放棄してしまえば、概念の弁証法も不要なのです。
  
 例えば「国家」なるものをそれそのものとして扱えば「資本家」概念との切り分けが必要になる。しかしすでに体制科学として存在している諸国家論=国家学は、そんな切り分けを許しません。そこで「国家」を扱う場合は、資本家と概念上重なり表裏一体の部分を弁証法で扱い、そののちに具体的現実としてまとめ上げる必要があるのです。
 
 しかし、人民(複数)には人生の事実そのものがある。
 人民にとって国家は国家ではなく、政府支配者の意志です。資本家は経済学上の存在ではなく、自分の社長です。
 人生の事実について我々は、時系列と因果連関により、これを実践上の真理と成すのです。
 
 この場合、現実が要求するものは、「なぜか」という解釈ではありません。事実はどう動いてきたか、という事実そのものの経験値です。社会心理学に基づく解釈のような「本当の理由」といった、誰にも証明不可能な「真理」ではありません。「ただの」経験値です。経験値ですが、これを因果連関の形式にして、新たな「事実」として頭脳内に整理するのです。 
 
 これは経験論の主張でも観念論の内容でもありません。つまり、我々が言っているのは「真理」なるものを知ろうとする認識論ではないのです。
 われわれの関心は、われわれの生活世界がどう変化するのか、しうるのか、ということなのです。その「本当の理由」なるものがどうであろうが、それは神々や神の使者たる哲学者様が唱えていればいい。そんな人畜無害な話はどうでもいいのです。この世界、われわれが生き、かつ、心ならずも死ぬ、この世界がどう我々の思うとおりに変えてゆけるか、ということなのです。
 その理論は「真」でなくてよいのか? 
 いや、真でなければなりません。その因果連関の事実は、100%ではなく99%の経験値に妥当しなければなりません。それが人間の(自然科学を含めた)科学なのです。それが「本当」かどうかは哲学者が勝手にしゃべれ、といっているだけです。日々更新されてゆく経験値による実証、それが認識論ならぬ「科学の方法論」です。
 
 さいわいに「われわれ」は限りない複数です。どんな偉大な哲学者の御託宣が限りない複数に勝利できるかは知りませんが、われわれは99%妥当の立言というわれわれの「知」に不満はない、100%確実な人生なんてあるはずもないのですから。

p.s.
 全く関係ありませんが、その後、「博士ちゃん 」なる番組で、岡山の「時計博士」なる子どもが時計直しをやっていました。
 わたしはこういうこまっしゃくれたガキが偉そうなことをいう番組は嫌いですが、どうせ酒のツマと思ってみてましたら、どうしようもねえ柱時計を本当に直してしまいました。司会の「富澤さん」というの、富澤たけし? その成功に泣いてましたが、実に私の眼も涙でいっぱい。すげえ。ほんもの。
 不思議なもんだねえ、、わたしゃ依頼者への同情なんか爪の先もないので、純粋に彼の仕事に涙して、、ほんと、不思議。なんなんだろ。小幡昂輝くんです。塾なんかより、よっぽど人間が成長するし。こういう人はなんでもできる。問題は、こういう人を重用するシステムのない社会だね。なにがプロジェクトXだ。

 わたしの実家にも私と歳が同じ柱時計がありました。好きだったけど引っ越しの時、親に捨てられた。なんの文句もありません。嫌な過去の思い出が詰まってたから。

コメント
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