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リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

年末に近い挨拶

2010-12-26 21:28:37 | 歴史への視角
 こんばんは。なんて寒いこと。おや、今日はクリスマス当日ではないですか。違うって? 確かに違った。
 いずれ、年中行事とかお祭り、宗教的記念日なんちゅうのはどれだけ遊び(=という行為)を人間の記憶に埋め込められるかという勝負ですからね、勝負じゃないけど。教会に行かなきゃシンプルに、メリークリスマス「イーブ」!というのが正しいやね 
 ともかくクリスチャンでもないし、こんな寒い日ということで、仕事のない山谷等の方とその支援者の方のこと(の寒さ)が思われます。でも、仕事がないからではない普通のホームレスの方も忘れないように。(=極左は労働者でないと無視する(ことが多い))

 ここんとこ、って、この2週だけですがちょっとスランプで。
 さて、今日のためになるブログは、って心を動かされないことには何も書かない私。さっき書いたお祭りの必須条件(=行為の基礎がなくなるとすべておじゃん)て、まだ誰も言ってないことでしょ? 生理的条件以外は人間にとっては遊びなのさ。そんな楽しい遊びに制約を加えるのが宗教。ま、スリルがあったほうが面白いともいえる。お化け屋敷みたいなもんだね。

 ま、そんな話もくだらないんで、今日の心は神奈川県報の松沢某(知事)の発言かなあ。新聞等も、年末年始はとくにいいかげんだよね。何も感じない。
 さてこの松沢という人はわたしんとこの県知事ですが、実態は知りませんで、県知事というといつも前の県知事、社会党構造改革派活動分子の長洲一二のつもりで受け取っています。どうせたいして違いやしない。
 で、その新年号初心演説が、まあ、明るい話で、これそのまんまなら誰も苦労せんなって、その明るさに感動しました。そんなもんじゃないすか、どこの自治体長も。
 私が感動するってことは他の庶民の方々もそう思うはずだって、それがいつも私が心がける庶民感受性の効用ですね。

 ま、それはともかく。
 なにが問題かというと、私のような庶民が、こういう明るい話を当たり前のように受け止めるというところが、で。ほら、この辺が効用ですね。いくら自称左翼でも、現実の歴史的な現がを認識できなければしょうがない。ところで私は、普通の教条左翼なら単なる権力者のプロパガンダと認識するところを、時代的な流れと受け止められる。だって自分がそう思うんだから。
 かたや寒くて新年を凍死して迎えようという人がいる折に、かたや明るい新年を語っている。しかもいやしくも社会党ブレーン長洲一二ともあろうものが。ほんとはただの自民党はぐれ者松沢某だけれど。おんなじだって。若い人に教えておくけど、この「おんなじ」っていうのは理屈じゃないの。人格が伴った現実なのね。
 
 なまじな地方権力者は、権力者といっても武力がないから、自分ができないことばかりなので明るいの。自分はできるだけのことをしてるのさ、って、まあ、100パーでも90パーでもないけど、そこそこしてるのさ。都合の悪いことは国に任せてるだけでね。
 この自信ある明るさ。地方議員もおんなじだしね。なに、議員ばかりじゃない、庶民の方たちも絶対そうだと思うんだよね。私たちゃ関係ないぜ。地域活動してるし。ECO活動してるし。NPO、オッケー。ポイントは、人間、不満だけじゃ運動は作れない、ってことね。「私は一生懸命してる」と規定してしまえば、生きられる人間は明るい。で、今の日本はそんな境遇の人が多い(悪くない)世の中だ、と。
 かくて地方は明るく、政府民主党は果てしなく暗い。
 
 次週は来年? 25+7は32。32-1は1。(26だって)
 暗いまんま来年を迎えそうですね。その暗さもせめてもの庶民の持つべき義理というものですね。
 
 
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牽強付会

2010-12-23 21:18:43 | 歴史への視角
 こんばんは(=なんてあいさつがコピー漏れでした) 
 ぜんぜん更新予定ではありませんでしたが、朝日新聞に新美南吉の悪口が出てたんで、これは黙っていられないと。
 松井彰彦さんという東大近代経済学教授の話で、新美南吉の名作(傑作ではありませんが)『手袋を買いに』は、商品経済の公正性を描いたものだ、などと。新美が聞いたら歯を立てた唇から血を流して悔しがるような。
 そんなやつのことを「さん」とは、というのも、いちおう、善良につこうとする彼の態度への礼儀というべきな。
 『手袋を買いに』はウィキペディアで引けるからみてやってくんなまし。
 
 新美はここで、キツネも通常の社会に入れてやる、戦前にはほとんどなかった人間的公正さを描いただけなののですが、それを松井は市場とはそういうものだ、とおっしゃる。
 資本主義はたしかにそういうもので、農奴的労働者が、死ぬのも自由勝手に飢え死にできる幸せな労働者となる様は、マルクス以後150年間、社会科学者なら誰もが指摘してきたことです。労働者は金さえあれば自由のはずです。
 しかし、新美の生きた戦前の日本はそうではなかった。『手袋を買いに』は、大正・昭和初期の日本自由主義の中で、かたやいくつもの差別を見つつ(それは身分的なそればかりではなく地主達の強金的差別でもあったはずだ)、かたやそれに闘いつつある(主義者ではなくて単に善良な)人々を眺めながら、作っていった作品であるはずです(=小作人-キツネを人と思わぬ庄屋や、キツネを助けるかのごとき奇麗ごとを言う自由主義者、そしてどちらにもいる悪人と善人、てなもんですね)。キツネに対す優位者(=手袋屋)の「一般的交渉基準(=人を「同じ」人として扱う基準)」は金取引ではなく、ただの贈与でもよかったし(=せきをする子ギツネに薬をただであげる薬屋でも同じです。ただ、時代的なリアリズムが出ないだけで)、おためごかしの貸与でもよかったのだ。もっとも、共同体外の「他人」に対しては、物々交換以外はいやだろうけどね。
 それがなに。資本主義は本来、金を持つキツネに対するがごとく公正だ、と。まったく今どきのガキは。そんなことも善良な童話にかこつけてしかいえないのか。宇沢弘文はそんな(馬鹿げた)ことはいわなかったぞ、って格が違いすぎるが。資本主義がそんなに公正なら、なんで世の中、不幸な人間が山のようにいるのだ。彼は現実に何も答えてはいないではないか。
 昔、私が苅谷剛彦に憤ったことは知ってる方は知ってることですが、いくら善良でも、社会の評判を得たいとなればいくらでも反人間的言辞を弄することができるのですよ。
 しかし、新美が被害に遭うとはびっくりしました。 
 
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応用理論の必要性

2010-12-19 17:57:19 | 「行為の集成」
 こんばんは。もういくつ寝るとお正月。お正月といえば凧揚げですね。
 違う? なにそれ、って?
   悲しい時代じゃ。

 で凧揚げです。

 伊藤利朗/小村宏次「凧の科学」、小学館、1979.
 とゆう本がありまして、眺めてはなはだ感心したところです。
 凧についての科学って、その頃は何も解明されていなくて、唯一、NASAがスペースシャトルのたぐいの滑空研究でカイトを研究した成果だけであったそうな。その成果がカイトダコ。30年前、誰がやっても空高く揚がるのでびっくりしたあれ。
 で、大の理科系大人が二人して日本の凧一般の研究をしましたよ、という本です。
 で、その成果は、走って揚げずにすむタコ。
 そんなものが何の成果だって? いえいえ。
 車イスの人でも凧揚げができるようになったのですよ。
 著者の一人の伊藤という方は電機会社の社員だそうですが、なんでも20年後の退職後、バイオカイトというのを商品化してもらったそうで、これは走らずとも高く揚がるため、日本の車イスの子どもたちや欧米の車イスの大人たちが凧揚げを楽しむことができるようになったとのことです。

 まあ本の大方の内容は理科系過ぎてよく分からないところですが、驚いた知識としてはタコを何百メートルも揚げるには太い糸だと無理なんだそうです。そりゃロープじゃ重たいだろうって、重さじゃなくて、太さの影響なんだそうで。
 普通の大きさの凧なら、凧糸では太すぎて、何百メートルも揚げるには60番の木綿糸以下でないと無理なんですって。風の空気抵抗で糸が垂れて制御できないそうで。

 さて、本題は、その未知の科学世界へ取り組んだ人の苦労話で。
 
 彼らにあったのは流体力学の基礎理論(空気の流れの中のタコなので流体力学)だけのようなもので、これは直接に具体的タコの世界には当てはまらない。そこでああだこうだ、と策を練り上げながら実験を重ね集成し、ようやく確からしい「凧の科学」を構成するわけです。
 
 とゆうふうに、基礎理論というものは大きな武器ではあるけれど、いまだ現実への適用には2歩も3歩もある。
 凧の作成に費やされる知識は、技術としての知識です。
 この知識を、研究者ではなく一般の人が引き出すに直近の理論が必要だ、ということです。

 たとえば、(詳細は覚えないことにしているのでその本の引用ではありませんが)凧の糸は凧1平方メートルについて直径0.3ミリだと500メートルまでの高さに上がる(と仮定します)。
 という知識は技術知識です。これについて、グライダー作成に応用することはできない。
 しかし、地上で平面が受ける風力は、これに地上とつなぐ弦が受ける風力に大きく影響される(ということを数字でいうこと)は応用理論であり、それはグライダー作成にも(必要なら)応用することができる。
 まあ、これは程度問題ですけどね。
 技術としての知識とは、要するに、その知識をもってある具体物を行為により変化させる、と観念したときの、その一瞬前までの応用理論のことではあります。
 しかし、この程度問題というのが、人間の実用生活においては巨大な位置を占める。基礎と応用の差についても同じで。
 
 私のそのうち出版される(自分的には校正は終わったという認識ですが)基礎理論では、いまだ実用にはちょっと遠い。こういうのは理論家本人は相当見通せるにしても、本を読んだだけでは分からない、んでしょうから。
 筆者の応用理論が待たれるところです。
     って、基礎理論もまだですが。
     
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トップ変更ではなくて、のつもり

2010-12-12 21:35:31 | 断片
 故近藤芳美さん(歌人)の奥さんが11月になくなられたそうです。
 近藤さん(夫)は、朝日新聞では歌壇の選者で、まっとうな言葉しか使わぬ安心できる人でしたが、このたびの話題はその青春歌で。

 近藤芳美「早春歌」(昭和十一年~二十年)

あらはなるうなじに流れ雪ふればささやき告ぐる妹の如しと
手を垂れてキスを待ち居し表情の幼きを恋ひ別れ来りぬ
裾ひろくクローバの上に坐り居る汝を白じらと残して昏るる
貼られ来るかそかなる青き切手さへ何にたとへて愛しと言はむ
血のつきし吾の軍衣をさきながら鋏はしばし音を立てつつ
吾は吾一人の行きつきし解釈にこの戦ひの中に死ぬべし

http://mblog.excite.co.jp/user/bunbu/entry/detail/?id=6810549より

 どうでしょうかねえ、こうゆうのも社会科学と一緒で(注)、究極的な評価には感覚の総合が必要ですが、私には、「サラダ記念日」とは違う背景が浮かびます。

それは俳句も一緒ですが
1 自分の感覚を引き出す情景の提示(読者は情景を読めば作者の心がわかる)
    一般俳句と「サラダ記念日」

2 自分の感情を提示するための情景の提示(読者は情景で作者の感動表明を増幅される)

3 自分の思想を提示するについて、この現実性を強調するための情景の提示

 詩というものはこの3種に分かれます。

 俳句や短歌では(短くて)3まではいかない。
 俳句では2もおぼつかず、該当者は自由律俳人(山頭火とか)しかいない。

 昔、吉本隆明が近藤さんを褒めてた覚えがありますが、それは、必ずしも思想歌の作者としてではなく、こうした恋愛歌の作者としてではないかと思います。

   恋愛歌を歌える人はありますか?
   その人だけは、革命歌も歌えるでしょう。
   
     恋愛シーンしか詠めない人は、革命歌は歌えない。


(注)隈をお読みにならない方に。
 社会科学は人間の科学ですから、論理の根拠は人間にしかありません。ところで、その根拠規定は、結果と異なり、大多数人間の承認が必要です。
 たとえば、戦争の根拠は平凡な家庭生活より殺し合いが好きなやつがいることだ、と、これは嘘ではないのは私には経験的に分かりますが、8割の人間はそんな選択はしないと思う。さてこれはほんとかといわれると私にはわかりません(=証明できない)、みたいなことです。
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誰が悪いんだ

2010-12-11 21:16:58 | 断片
こんばんは。皆様お元気ですか? 私は元気です。
  なんのこっちゃ。
  
  人間生きているうちに死ぬものでしょうからね。そう思いませんか?
  私は思いませんでした。
  
  考えてみると今死ぬとか一分後死ぬとかが生物の普通の状態。
  ま、元気だから思うんでしょうけどね。
  問題は、ちょっと遣り残したことが走馬燈しそうなところで。
  

 さて、本日は、はじめにカテゴリー「断片=酔言」と書いて、明日のトップページ変更はしません。忙しいので。
 で、良心の朝日。幹部は腐っても若い記者はそこまでではない。開戦記念日特集があちこちに。
 
 尾下大造さん、「恩給拒んだ軍曹」。あんな悪いことをした兵隊である私が、なんで戦争手当が貰えるか。ばかにするな、と、よい心意気。そんな人もわずかですがいるものです。(食う物などない貧農からの)食料強奪と捕虜殺害しかしなかったそうです。いや、もちろん、それも十分悪かったとおっしゃっている。私が言いたいのは、そこ(その程度の悪さ)が兵隊として生きていく上での良心の極限だったということで。
 
 さてかたや、直野章子さん(九州大学社会学準教授)。若い人代表の良心人(30代半ば)。
 「『国民受任論』捨て補償を」。新聞にエッセイの発表がありました。
 国家は、戦争の犠牲国民、関係外国人に全面的に補償を。という趣旨で。
 
 はあ。
 そんな悪人たちに。
 悪人を安全な観覧席から勇んで送り出した人間たちに。(とりあえず関係外国人を除く)
 
 朝日新聞に学徒出陣の記事もありましたなあ。
 九州帝国大学法学部からも出陣しましたぜ。彼らは「九州帝国大学準教授の直野章夫」さんが扇子を振って送り出したのですが、それに何か一言を。 
 冗談ゆうなよ。悪人ばら、極悪人の加害者張本人達に俺らの税金から金を出す必要などありはしない。
 これから徴兵制が始まっておいらの子供たちが戦争で死んだら、今のネットウヨどものせいだからな。彼らは絶対50年後死刑だぞ。
 
 ほんと訳のわかんないやつが社会学をやる時代になったものだ。
 
 で、彼女とて良心派、外見上は反国家論。”このことで国家のいうなりにならない人間が出てくればいい”、って出てくるわけねえだろ。人のせい(=国家のせい)にするだけだろう。違うか。他の理屈がどこに立つ。もともとお前(=国民)が悪いんだよ。
 その罪をせめて軽減させるのがシステム概念というものなのだが、システムのシの字も知らない社会学者。残念ながらシステムっていうのは、口先右翼と同様に、良心的でも口先女ってのを存在させてしまうんだぜ。
   
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「一般人」観念の台頭と日本社会学

2010-12-05 13:59:20 | その他
 こんにちは。東京地方、またうらうらとした季節が始まりました。ってサッシ窓の内側ですが。
 2,3月は曇って日差しも伸びないので寒いですけどね。

 わたしも(うだうだ頭の先ばかりの話をしつつも)一応社会学研究者を自称していますので、(社会調査の代わりに)地域情報を仕入れるようにしておりまして
 今日は、近世岩手県情報で
 加藤秀俊・米山俊直「北上の文化」社会思想社、1973.
 から。本書は、高名な(って名前が売れていたというだけですが)社会学者・文化人類学者が岩手県遠野をめぐって過去の「遠野物語」に対して今の遠野はどうかという視点から岩手県山間部を見直したもの。

1 一般庶民のリベラリズム

 こういう時代ですと、世間でリベラルといわれる人って、だいたい「一般庶民としての私やあなた」という視角を持つものです。普通の人の視点、てやつで。
 他の視角っていうと、自分や他人を捉えるのに、「労働者階級の一員」とか「日本国民の一員」とか「日本臣民、天皇の赤ん坊」とかって見る見方ですね。
 わたしもリベラルなので、自分の目が一般庶民の世界で見えるように調整しておりますが。
 
 でもそういう見方はいつも必ずあるわけではない。というか、70年闘争以前にはそういう社会の見方はなかった、といっていい。一般庶民なんてなかったから。60年代までは、あるのは金持のAや、なんとか普通に暮らしている庶民Bや、お金がなくて高校にいけないCですから。(70年以前に唯一あったのが、吉本隆明述べるところの「生活大衆」という視点。その後に、市民としての運動原理という形で、社会運動を通じて、社会参加意識の高い庶民=『市民』という言葉が市民権を得ます)
 そんな境遇差のある現実の下では、社会の見方は、権力的金持の妄想や対抗権力的貧乏の妄想があり、それにつられて中間庶民の同情が動いていく。 
 そういう時代の中で、未来にリベラルな思想が担い得る「一般庶民」という見方を打ち出していったのが、ブルジョワ社会学、要するに今ある「社会学」でした。
 ということを思い出させる本でした。

 著者2人中、加藤秀俊氏。1章を費やして、遠野の人民の現実生活の意義を強調しております。遠野は憧れるところではない、人が住む処だ。みたいな。(この著作の時分は、遠野はディスカバージャパンの象徴みたいなものでした)
 そんな結論は、おそらく今の若い人たちには当然のことなのでしょうが、戦後論壇における人民の左右からのステロタイプ化、つまり、左の「闘う百姓(この場合、、エタという文脈は考慮されない)」と右の「古き良き日本的民衆」という、夢のような理想的人民像に対して、人間を提出していったのは、まずは極少数の民俗学者だったかもしれませんが、圧倒的には、大学で一般教養科目を教えていた、そのころは左翼学生にプチブルとののしられた多数の社会学者であったはずであることは書いておいたほうがよいと思いました。
 
 ふんふん、それはよいことじゃないか。
 まあね。
 しかし、プチブル=サラリーマン市民社会学という規定自体は別に間違っておらず、実は「市民一般」では、この社会の本体を変える視点など出てこない。
 みんな必死に生きているわけで、この体制を変えれば誰かが困る。そんなもの、自称事業仕分けをみればすぐわかることです。どれも市民に必要な事業だからあるわけで、必要なく仕分けられるのは公務員のクビしかない。市民には関係ないからね。
 変えるならシステム全体を変えるしかない。
 
 2 一揆指導者の非農民一体性

 同書その2は米山さん。江戸終期の三閉伊一揆という有名な一揆の周辺を取り上げてます。
 1853年、3万の人民を動かした栗原村命助という運動指導者の方が、獄中死亡したときの話(Wikpediaでは指導者お咎めなし、ってなってますけどね。wikiはそんな程度)。獄中では『くやしくてしょうがない。一揆は為したがなんにもならない』という趣旨を総括したとのこと。
 実はこのときの一揆は外見上勝利したことになっているのですが、どうも彼的には藩政を変えたかったのだがどうしようもない、という趣旨のよう。
 一方、立ち上がった農民漁民の3万人にそんな意識があったとは思えず、人民的にはとりあえずの課税をチャラにさせたことで敗北とは思っていないと思うのですが。
 何をいいたいかって、人民でさえ「一般」ではない、ということです。栗原村命助という方は、藩の内部分裂の武士を味方にしていたようです。それで獄中死亡といっても、拷問死ではなかったような。
 で、こうした人民による分裂武士、他藩武士といった権力者の利用は、(一揆に限らず)封建社会人民の常道であることを明らかにしていったのは、イデオロギーに囚われた正統の日本史家ではなく農村社会学や民俗学系統の社会学者であったはずであることも記しておきたいと思います。(私は観念論者なので証明はしません)
 
 (付記)
 なお、ここの人民は、その6年前にも、1万2千人の人民で重税反対一揆を組織しています。この成果は一時は受け入れられたが翌年また重税が復活したとのこと。命助さんはこのときはただの幹部で、この時の指導者の小友村の弥五兵衛という方は文字通り獄死(拷問死の類)とのことです。この方もすごい人で、藩内を巡り、一揆を17年かけて組織したそうです。天保の大飢饉で村民や流れ者の死の悲惨な状況に我慢ならなかったんでしょうね。

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