こんばんは。なんて寒いこと。おや、今日はクリスマス当日ではないですか。違うって? 確かに違った。
いずれ、年中行事とかお祭り、宗教的記念日なんちゅうのはどれだけ遊び(=という行為)を人間の記憶に埋め込められるかという勝負ですからね、勝負じゃないけど。教会に行かなきゃシンプルに、メリークリスマス「イーブ」!というのが正しいやね
ともかくクリスチャンでもないし、こんな寒い日ということで、仕事のない山谷等の方とその支援者の方のこと(の寒さ)が思われます。でも、仕事がないからではない普通のホームレスの方も忘れないように。(=極左は労働者でないと無視する(ことが多い))
ここんとこ、って、この2週だけですがちょっとスランプで。
さて、今日のためになるブログは、って心を動かされないことには何も書かない私。さっき書いたお祭りの必須条件(=行為の基礎がなくなるとすべておじゃん)て、まだ誰も言ってないことでしょ? 生理的条件以外は人間にとっては遊びなのさ。そんな楽しい遊びに制約を加えるのが宗教。ま、スリルがあったほうが面白いともいえる。お化け屋敷みたいなもんだね。
ま、そんな話もくだらないんで、今日の心は神奈川県報の松沢某(知事)の発言かなあ。新聞等も、年末年始はとくにいいかげんだよね。何も感じない。
さてこの松沢という人はわたしんとこの県知事ですが、実態は知りませんで、県知事というといつも前の県知事、社会党構造改革派活動分子の長洲一二のつもりで受け取っています。どうせたいして違いやしない。
で、その新年号初心演説が、まあ、明るい話で、これそのまんまなら誰も苦労せんなって、その明るさに感動しました。そんなもんじゃないすか、どこの自治体長も。
私が感動するってことは他の庶民の方々もそう思うはずだって、それがいつも私が心がける庶民感受性の効用ですね。
ま、それはともかく。
なにが問題かというと、私のような庶民が、こういう明るい話を当たり前のように受け止めるというところが、で。ほら、この辺が効用ですね。いくら自称左翼でも、現実の歴史的な現がを認識できなければしょうがない。ところで私は、普通の教条左翼なら単なる権力者のプロパガンダと認識するところを、時代的な流れと受け止められる。だって自分がそう思うんだから。
かたや寒くて新年を凍死して迎えようという人がいる折に、かたや明るい新年を語っている。しかもいやしくも社会党ブレーン長洲一二ともあろうものが。ほんとはただの自民党はぐれ者松沢某だけれど。おんなじだって。若い人に教えておくけど、この「おんなじ」っていうのは理屈じゃないの。人格が伴った現実なのね。
なまじな地方権力者は、権力者といっても武力がないから、自分ができないことばかりなので明るいの。自分はできるだけのことをしてるのさ、って、まあ、100パーでも90パーでもないけど、そこそこしてるのさ。都合の悪いことは国に任せてるだけでね。
この自信ある明るさ。地方議員もおんなじだしね。なに、議員ばかりじゃない、庶民の方たちも絶対そうだと思うんだよね。私たちゃ関係ないぜ。地域活動してるし。ECO活動してるし。NPO、オッケー。ポイントは、人間、不満だけじゃ運動は作れない、ってことね。「私は一生懸命してる」と規定してしまえば、生きられる人間は明るい。で、今の日本はそんな境遇の人が多い(悪くない)世の中だ、と。
かくて地方は明るく、政府民主党は果てしなく暗い。
次週は来年? 25+7は32。32-1は1。(26だって)
暗いまんま来年を迎えそうですね。その暗さもせめてもの庶民の持つべき義理というものですね。
いずれ、年中行事とかお祭り、宗教的記念日なんちゅうのはどれだけ遊び(=という行為)を人間の記憶に埋め込められるかという勝負ですからね、勝負じゃないけど。教会に行かなきゃシンプルに、メリークリスマス「イーブ」!というのが正しいやね
ともかくクリスチャンでもないし、こんな寒い日ということで、仕事のない山谷等の方とその支援者の方のこと(の寒さ)が思われます。でも、仕事がないからではない普通のホームレスの方も忘れないように。(=極左は労働者でないと無視する(ことが多い))
ここんとこ、って、この2週だけですがちょっとスランプで。
さて、今日のためになるブログは、って心を動かされないことには何も書かない私。さっき書いたお祭りの必須条件(=行為の基礎がなくなるとすべておじゃん)て、まだ誰も言ってないことでしょ? 生理的条件以外は人間にとっては遊びなのさ。そんな楽しい遊びに制約を加えるのが宗教。ま、スリルがあったほうが面白いともいえる。お化け屋敷みたいなもんだね。
ま、そんな話もくだらないんで、今日の心は神奈川県報の松沢某(知事)の発言かなあ。新聞等も、年末年始はとくにいいかげんだよね。何も感じない。
さてこの松沢という人はわたしんとこの県知事ですが、実態は知りませんで、県知事というといつも前の県知事、社会党構造改革派活動分子の長洲一二のつもりで受け取っています。どうせたいして違いやしない。
で、その新年号初心演説が、まあ、明るい話で、これそのまんまなら誰も苦労せんなって、その明るさに感動しました。そんなもんじゃないすか、どこの自治体長も。
私が感動するってことは他の庶民の方々もそう思うはずだって、それがいつも私が心がける庶民感受性の効用ですね。
ま、それはともかく。
なにが問題かというと、私のような庶民が、こういう明るい話を当たり前のように受け止めるというところが、で。ほら、この辺が効用ですね。いくら自称左翼でも、現実の歴史的な現がを認識できなければしょうがない。ところで私は、普通の教条左翼なら単なる権力者のプロパガンダと認識するところを、時代的な流れと受け止められる。だって自分がそう思うんだから。
かたや寒くて新年を凍死して迎えようという人がいる折に、かたや明るい新年を語っている。しかもいやしくも社会党ブレーン長洲一二ともあろうものが。ほんとはただの自民党はぐれ者松沢某だけれど。おんなじだって。若い人に教えておくけど、この「おんなじ」っていうのは理屈じゃないの。人格が伴った現実なのね。
なまじな地方権力者は、権力者といっても武力がないから、自分ができないことばかりなので明るいの。自分はできるだけのことをしてるのさ、って、まあ、100パーでも90パーでもないけど、そこそこしてるのさ。都合の悪いことは国に任せてるだけでね。
この自信ある明るさ。地方議員もおんなじだしね。なに、議員ばかりじゃない、庶民の方たちも絶対そうだと思うんだよね。私たちゃ関係ないぜ。地域活動してるし。ECO活動してるし。NPO、オッケー。ポイントは、人間、不満だけじゃ運動は作れない、ってことね。「私は一生懸命してる」と規定してしまえば、生きられる人間は明るい。で、今の日本はそんな境遇の人が多い(悪くない)世の中だ、と。
かくて地方は明るく、政府民主党は果てしなく暗い。
次週は来年? 25+7は32。32-1は1。(26だって)
暗いまんま来年を迎えそうですね。その暗さもせめてもの庶民の持つべき義理というものですね。