リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

1年後また、ありがとうございました

2015-03-31 20:12:09 | コーヒーブレイク
 本日は、1年前から1年経って、また退職日です、といってもアルバイト。
 普段のお客様に説明すると、まあ、嘱託退職日かな。

 職場の皆様には、去年と場所は違うのですが、本年も心温かく送り出していただき、ありがとうございました。
 おかげさまで、2番煎じのようですが、あたかも夢のようにうかれて過ぎた昨年の就業依頼受信前の1週間のように、もう一度、退職後の人生をゆっくり検討できる気がします。

 基本、こちらへは見えられないはずの方々ではありますが、いつの日かのために、こちらで御礼申し上げます。

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春の日雑感

2015-03-29 21:38:38 | 断片

 こんばんは、ようやくやってまいりました、本番の春。桜が7分咲きほどに。花粉もyahoo天気では、東京、神奈川は「非常に多い」の「非常に」が取れ。明けない夜はない。なんておおげさ。
 とはいえ春は眠くて。今日もトータル10時間近く寝たかも。まあ、このごろすぐ疲れるしね(昨日まで出勤)。
 
 さて、今日の1は、レイホウさんという、私がよくお世話になる中華料理ブログの人推薦のシュウマイレシピの問題。
 ポイントは2つで、1が、固まりバラ肉をミンチしてよく練る、で、2が、たまねぎは別途片栗粉をつけて、最後に肉に軽くまぜる、水が出てしまうので。とのこと。
 私はなにをするにも80点が目標なので、そうそうレシピどおりにはしません、で、その1は1年前にやったのですが、苦労の甲斐なし。私の舌ではわからず。で、2を、今日、100g120円の油だらけ豚ひき肉でやりました、が、私にはわからず。
 もちろんこういうのはバラバラではだめで全体があいまって、ということですから、本日のテーマにはしていませんが、めんどくさがりやにはあんまり奨められない、という話で。
 私的にはふつうに長ネギで適当に練ってパン粉とか入れてカサ増しして、で、あと判別不明だな。
 味付けは別ですよ。わたしは味付けにはちょっと自信あり。きほん、味付けの問題のような、、、
 
 今日の2。
 話はぜんぜん変わります、が、お客様は変わらないのが恐縮なところ、大昔、「解放への構想」という雑誌を、戦旗くずれ系の人から買って、見ていた時期がありましたが、これはなんでも、根井康之(根井雅弘氏ではありません)というちょっと社会学左翼には知られた人が作っていた、との情報がありました。本当とは限らないのですが、ネットで二人書いてる人がいたので本当かも。、、、へえええ、と思ってしまいました。そこそこ良い雑誌で製作者に感心してましたが、同じ題の雑誌が2つあるのでなければ、あれがその後の「根井」氏だったとは。中身を覚えている人は限りなく少ないと思われますが、ちょっとここにメモしておこうか、と。

 の、3。
 yahooのトップ画面では保育士不足とか。やれ看護師不足とか、やれ中小企業は困っているとか、世の中、どうしてふざけた言い回しが抜けないんですかねえ。
 もちろん答えは簡単で、新聞が資本家にこびているだけですね。現実には大量の保育士がいて、大量の看護婦資格者がいて、職安にも派遣会社にも人は山のよう。どこが不足だ、てやんでえ、みたいなもんです。
 ここへ来る方ならどなたもご存知なように、安給料でひどい待遇ならよっぽど困らなきゃあ誰もそんなところへいきゃあしませんぜ。もちろんそれでも困る人はいるわけですが。まあ、そういうふうに、労働者の給料だけがグローバルに平準化していくというわけで。
 
 の、4。 
 およそ、思想界というのは「支配者の思想」界で、思想なんて頭で勝手に作られるものも、それが社会を通さないと実体化しない、思想として認定されない、ということで、生理的規定に裏づけられて、その社会に支配的な賞賛と優越でできているのですが、
 思想といいましても3通りに分けたほうがわかりやすいのですね。隈は近代主義者ですので分析法を重んじております。
 でそれらが、
 1 思想の機能としての賞賛と優越
  指し示す方向ね。『日本はアジアの盟主になる(べき)』とか。
 2 思想の根拠としての賞賛と優越
  「盟主となる」と発言すること自体が、2015年3月現在のみんなにウケるわけね。
 ここまではここでもよくしゃべったことですが、
 で、本日の指摘は
 3 思想の事実認知としての賞賛と優越の発揮。
  これはいままで抜けてたかも。と、思っても論文では案外抜け目なく触れてたりするのが私ではありますが、ともかく、自己認識としては抜けてて。
なにを言いたいかって、
 『これを話題にすれば、オレも時代の賞賛の話題に乗っかって偉く見られる』なる感覚ね。なにしろわたし自身そういう俗界の感情って持ってないので盲点になりやすい。でも、「支配権力者の言に乗っかる」という整理はしたよね。
 本日は、マルキズムに乗っかった人々への感想。
 勤め先の近くの図書館は古本がたくさんあって、勤めをやめる前に(電車賃がかかるので)今のうちにたくさん読んじまおうと、借りたはいいけど、なんとか大学教授連の30年前のマルキズム本はクズ本ばかり。よくもまあ、こんな無意味な本を、というわけで再確認ですね。
 「支配権力ばかりでなく、対抗権力も思想としてその社会を表現できる」と。(70年に一世を風靡した「新」マルクス主義運動のアカデミズムでの余韻ですね。まあ、部外者の教授には「考える時間が欲しい」のでしょう))
 もちろん、隈の本にもぬかりなく書いてはあるはずではありますが、ちょっと呆れたこの2週間でした。


(注)隈をよく知らない方は、「なに? 賞賛と優越って?」ということになりますが、話が長くなるので、リンクを作りましたので、たとえばこちらの『歴史の中の行為』本で、「緒論 補説の1」へどうぞ。

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中高年雑感

2015-03-22 21:43:47 | 断片
 こんばんは。お元気ですか。私は一ヶ月前飲み屋の外階段最下部を踏みそこなった捻挫が治らず痛いです。暗い階段にはそのうち命を失いそう。皆さまもお気をつけください。
 それにしても6年前に同じところをもっとひどく捻挫したときは「ああ、おいちゃん、年食ったねえ」と自分で思ったものの、腫れ上がった足首は3日で直ったものですが。年上にはもっと上があるもので。

 さて、本日は雑感。雑感の時はつねに酔っ払ってますので。カテゴリー「断片」。
 体力の低下に加え、頭の流動性がなく、そうすると、勤務仕事中は常に仕事にしか頭が動かない。仕事以外に職場の人間はいるだろう、人間的になれ、って。その相手の人間だって勤務中ですから、常に勤務を背負ってますな。要は、相手の人間と接するにも勤務を介することになる。というわけで1日くらい経たないと元に?戻らない。
 ま、若いときゃそんなこたあないのですが、中高年というのはそういうものです。わたしなんざそれでも「若い方」なんですから。
 
 という役に立つ情報はおきまして。
 
 先日、勤め帰りに渋谷の東急ハンズにいきましたところ、まあいるわいるわ若人が。ハチ公前交差点から宇田川町まで、若い人だらけ。わたしのようなおじさんは皆無、って中高年はどうやって勤務先から帰宅しているのか。ともかく、まいったのは若人。彼も彼女もあいつのそいつも、みんな根拠のない夢を胸いっぱい抱えていて、と見えて、ああうらやましい。
 いいねえ、根拠のない夢々。
 わたしなんざ根拠のある希望しか持てなくなって。
 負け。
 だれもあほな中高年と闘う気なんてないけどね。ほんと、若さの特権。決して戻りたくはない若さではあるけれど、みんな、どの年齢でも「とりえ」っちゅうのがあるんだよね、その人それぞれの境遇に左右されず。ただ、生きている限りは。
 
 その2。
 憂さ晴らしの図書館本で、ライカの写真本とニコンの写真本を借りてきてみてました。私の趣味の1は、写真機械。
 で、本には最近のそれぞれのレンズの実写画が載っていて、遅まきながら気づいたのですが、つまんねえの、ピントぴったし。
 ゲップが出てしまいましたよ、どれもこれもおんなじ画で。(作例のような3流諸写真のため、ありありわかる)。
 ピントがシャープでコントラストが効いてカラーもくっきり。なんの欠点があるものか。
 と、私も合理主義者でぶよぶよの有名レンズに悩まされてきたわけですが、もういい。わかった、私が悪かった。
 この40年のレンズの進歩は、無駄。なんのためにあれもこれもどれもおんなじレンズを作る努力をしてきたのかねえ。もちろん、ぶよぶよでいやだな、と思ったんだろうレンズ設計者の気持ちはわかるけれど。
 で、その結果がおんなじ画。
 むなしい、、、
 いえ、これは以前から聞いていた話ではありますが、私自身ぶよぶよ嫌いだったんでそんなはずがあろうか、と。でも、おんなじもんをこれでもか、どうだまいったか、と見せつけられるとほんとにそう。
   おっしゃるとおり参りました。わたしは40年前に帰ります。
  
 ところで本日の注にならない資料、宇都宮大学教授、下田淳「ヨーロッパ文明の正体」なる本。こいつはびっくり、あきれかえり。よくもまあこんな根拠のない話を。
 あきれて半分読んでそれ以上読まず閉じましたが(どうせ借りた本だし。で返しちゃったんで題が0.1%不明確。万が一違う本でしたらごめん)、それはそれで、別に呆れ果てる話は書いた人の根性の問題なので、そんな根性もないそこらの教授連と比べればよいのですが、収まらないのが、これって、かの大手出版社筑摩書房の本だ、ということ。
 なんでこんなあきれ返る本が商業出版できて私の本が自費出版さえできないんだ? え? ピーヘロヘロの出版社さんよお?
 ったく。絶対許さない。
 なんていいながらすぐ忘れてしまいはしますが、ともかくそういう現実のさなかにいるので思い出す場面ではいつでも思い出す不愉快さ。
 一刻も早く、装いだけ変えてどっかで出そう。

 というわけで、大方は年齢上の雑感でした。

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守れなかったのだろう

2015-03-15 17:53:54 | その他
 こんにちは。ここのところまた働いてますが、毎日日曜の累積のせいか体力低下、今日は休みですが、ねむい。
 世間では北陸新幹線でおめでたのもよう。まあさびれた高岡とかが活性化すればご同慶ですが、とりあえず「ほくほく線」の需要低落が心配。十日町とか松代(まつだい)とか。
 北陸観光たって広すぎて、というかアイテムがなくて、1泊や2泊じゃどこにもいけないんだよね、たとえレンタカー使っても。まあ、乗り捨てレンタカーでどうか、というところ。
 
 さて、というわけで勤務仕事で一日が過ぎると、「注」になる本よりも気晴らしの資料が欲しくなるから不思議。なにしろアルバイトでつまんないしね。正規でない方でやりたいことの少ない方は、やはり正社員のほうがいいですよ、世界にメリハリがつきます。
 で、気晴らしの1、四方田犬彦の「ハイスクール1968」。懐かしい時代だこと。
 それにしても記憶力のいいやつだな、うらやましい能力。わたしなんざこうゆう資料を見ないと何も思い出さない、と思ったらそうとう創作のもよう。そもそも本人の感想だから、書かれた周りの人たちから不平不満が噴出したそうで。ネットで見たら、四方田に悪口をいわれた当時のセクト員が偉そうにブーたれてました。わたしなど、過去の栄光にすがって偉そうにしてる転向者よりも、大法螺吹きでもまじめな対応をして死んでいく人間のほうがましだと思うところ。
 まあわたしなど根も葉もまじめなので、他人の過去を世間に広める気にはならないですが、でも、なつかしいことを書いてもらうのは思い出しとして好ましいことです。
 
 その思い出しの一種で、小林昇の取り巻きが書いた「回想小林昇」。昔の経済学史学者で、「経済史学? なにそれ」ってお思いのことでしょうし、実際若い方はべつに知らなくてよい方ですが、私どもの年代では「重商主義」といえば、リスト=小林というセットで懐かしい。今じゃ、「リストは重商主義ではない」とかなんとかかんとか。部外者としてはどっちでもいいんですが。
 どっちでもいいというのは、ようするに「今」の話がためにする議論、ていう意味です。重商主義からナショナリズムを取り出し、リスト先生もいっているように、といいたいわけね。論者の否定したがる「重商主義」というのは昔からヌエのようなものだったのですが、古めかしい名前もかっこわるいしね。
 
 そんなことはどうでもよくて。
 今日のテーマは先週の続きとしての小林昇。いわば、守るべき人を守れなかった人の「苦しみ」がここにあるようです。
 守るひともなくうろうろするのと、守る人がいると偉そうにいうのと、そうした次元以前に、戦地へやられ、守れなかった、あるいは反責任さえあるという自分の地点を死ぬまで固守した、という。そうした感情をどう自分の中で位置させるか、それが思想者の根底であり、小林という人は、思想など持っていなくともそれ自身で思想者であるのは、前述のブーたれる元セクト員と比較すればわかります。
 一種、感心しました。わたし以外には誰も読み取れないでしょうけどね。
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守るべきものがいる

2015-03-08 15:43:31 | その他
 というわけで、本日の続きです。

 本日の『「注」になれない本』、いつのまにかそんなコーナーが、、、じゃないけど、は、K子良事氏、「日本の賃金を歴史から考える」。この手の類書はどうも最近出版がなく、よい本ですので若い人は入門書としてお読みください。
 で、わたし、ほめたよね? せっかくいい人の悪口はいいたかないからさ。じゃ、安心して。

 
 で、別の話、読書中なんかすげえ違和感でさ。
 この著者、いい人なんですけど、「むずかしい現実にお座なりの説教をくり返す」だけの社会政策の先輩方のようにはなりたくなくて、ただ研究をやりたかった人、とのこと。
 そうだよねえ、ほんと社会政策関係者って口先だけで多少しか科学性もない(多少はあるのさ。データさわってる、という意味でね)、とんでもねえさ。ぼくも修士んときそう思ったもん、うん、よくわかる、、、
 と思ったら違うのさ。
 ご本人、ご自身の価値観だらけ。
 ようするに価値観が違うようで。
 
 なに、価値観だらけだっていいのさ。たとえばまだ生きてる人だと熊沢誠ね。わたし的には科学上は価値をあまり認めないけど、それを越えてがんばってるなあ、っておもほゆ。
 しかし、この若い衆には違和感。
 なんでかなあ、と思うに、ようするに貧乏を知らないんだよね。36歳。
 昔シカゴ大学教授某が、フリードマンは大恐慌など知りはしない、といって怒ってたけれど、(この点、ウィキペディア情報は「ひいき」が作ってるから。仮に知っててああゆう論をつくったというのなら、友達のいない人間か、人でなしだ。)、要するに、満足なお坊ちゃん生活をしてきた人間は、だれも守るべき人間をもっていないんだよね。そりゃ、だれの役にも立たないことを必死になって表明するなど、ただのばか、す。

 
 50年代生まれの左翼の1員である僕なんかは、守るべき何千人もの具体的な人間の名前をあげることができる。
 うそをつけって、そこがちがうんだよね、おそらく。
 この人には、自分しかいない。
 そんななら賃金論なんかやめたほうがいい。なぜって、賃金は日本人の問題ではないから。今日も自分の意に反して死んでいく全低開発国人民の問題なのだから。彼らを踏み台にして日本の賃金があるのだから。
 というわけで、苗字を頭文字にしました。そんなのみんな一緒じゃないか、なんでおれなんだよお、と怒られますからね。
 
 あ、ほんと個人攻撃じゃなくて。いい人だよこのひと、ほんと。わたしや昔の社会政策研究者と価値観が違うというだけ。いまの若い衆の大半はそんなもんだよね。でももちろん、40年前にも僕のような人間が多かったわけではないんだけどね。
 「豊か」なのはいいことだけれど、くいっぱぐれないのがプラスに出る旬の職業選択は、美大くらいかねえ、、、
 と、おもうと、ここに来るのは稀有のひとたちなんだよね。

 (注)なお、名前は挙げられますが、それには医学の手を借りないとね。私が見知ってきた人間の名前の全部など思い出せませんぜ。中学校の同級生で卒業してラーメン屋さんに入った人の名も忘れてしまった。小、なんとかだっけ、、、すぐ辞めちゃったって。
 要は、だからって抽象的な人間の話じゃあないんだよね、ということを主張しています。
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はねないイカゲソ揚げ、クリア

2015-03-08 15:39:20 | その他

 こんにちは、寒さと花粉をともかく桜が咲くまでとひたすら耐えるきょうこのごろ。
 しかし本日はよい知らせ。
 イカゲソに限っては揚げ物が食べられます。

 
 半年前に、もうあきらめた、とここで書いたイカ揚げ。
 でも先日、ネギと掻き揚げで食べたいな、と、イカの足を寸刻みというよりは「分」刻みにして冷凍。その後ネギと合わせててんぷらにしたら、ハネない。
 おお、これはよい。
 半年前には、疑って試さなかったので書きませんでしたが「皮に切り目を入れる」という方法も自賛されているので、その影響もあるかも。

 
 ま、ともかくも、ゲソに限っては冷凍で揚げられるかもしれないと、1パック150円のイカゲソを冷凍。
 これを解凍して、しかし、やはり本体(リングフライ)は冷凍でも爆発したわけで、ダメ押しに熱湯に浸けてから、バッター液で(=衣を厚くして)、さあこれでもか、と揚げましたら、
 ハネない!
 おおお!

 
 すばらしい! 
 ピチパチとしたハネはあるのでお座敷ではできませんが、あの命の縮まる爆発は起こりませんでした。

 
 というわけで、まとめます。
 1 イカゲソは
 2 冷凍し
 3 解凍後、いったん熱湯に浸けてから
 4 バッター液で衣をつけて揚げれば
 はねません。

 
 よかったよかった。
 でもイカの本体フライは、やはり、もうしません。

 
 というわけでためになるブログ、本日は終了。いつものお客様へは項を変えます。
 
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かぜかも

2015-03-01 14:14:54 | 断片
 こんにちは。3月、花粉の季節。
 自分がいつも花粉で鼻がやられた次の段階でのどがやられるのは鼻水のせいでやられるのだ、そういう順番だから、と思ってましたが、今年、いやこれもシンプルに花粉にやられただけなのではないか、と疑念がわきました。
 と思ってネットをみると、確かにそんな人もたくさん。折からのどがやられたので、ただの風邪薬(抗ヒスタミン剤)を飲むと45分で効きました。何だ、失敗してた、と。
 つまり、初めは鼻水で薬を飲んでるからのどもやられない。鼻水が止まって風邪薬をやめると、抗ヒスタミン剤も消えたので、のどがやられる、という「順番」。

 これを「本日の役に立つ情報」にしようかとも思いましたが、「順番」の存在に疑念もあり、抗炎剤もある風邪薬ではなくアレルギー薬でのどの痛みが取れないといけないので、実証不足。 またの機会で。
 とはいえ、3月に熱は少しの咳をするあなた、抗ヒスタミン剤をおためしを。

 
 さて、3月は別れと思い出の季節。
 youtubeで聞いたアズナブールの"Hier Encore"。「帰り来ぬ青春」。
 2009年録音とのことですが、老齢の「帰り来ぬ青春」、すごい。さすが。文句なし。
 文句のないところで、youtubeに50代のアズナブールも載ってたんで、どれひよっこの「帰り来ぬ青春」でも聞いてみるか、と思って聞いたら、すごい。さすが。文句なし。
 結局、本当の詩人というのは、いつであれ自分のことを語れるんですね。聞いてるかさだまさし。

 さて、器用がとりえの昔前衛詩人の岡井隆、短歌界の俊太郎ですね(ただし谷川は過去も左翼ではない)。朝日新聞で「自分が転向したのは若いときにはわからないことがわかったからだ。すなわち、短歌というのは日本古来の伝統を背負ったもので、前衛などおこがましい(趣旨)」、とのこと。
 うそをつけ。口先歌に誰もかまってくれなくなったからだろうが。
 短歌の本質が伝統ものだから左翼をやめるというなら永田和宏や河野裕子はなんだというんだ。とんでもねえ口先男だ。
   口先で生き続けた男を見るのはかなしいもんだ。

 ついでさて、本日の「注」にならない書物のぐち。川崎市立図書館唯一の「西洋教育史」本。長田新監修、1959とか。 各国の「大系」はあったのだけれど重いので簡便に、と借りたら、しかしその実態は「西洋教育思想史」。教育制度の実体等なにもわかりやしない。そんなもの読みたくて借りたんじゃねえ。
 どうも政治学やら教育学などという科学以前の学問では、エライやつのことをおしゃべりすればそれでことがすむという伝統があるんじゃないか、と思うぐらい。そう思うと政治史丸山の所業もわかる。偉いやつのしゃべったことを語ることで自分もその偉い人間と同じに見てくれるとでも思うんじゃないですかね。
 と思うと、富永健一の「思想としての社会学」、これが全部我田引水。どこにも思想なんざありゃしねえ。要は自己顕示家なんですね。
 これに比べて(引越しで捨ててしまって惜しいことをしたのが)新明正道の「社会学史」。本の体積は富永の20分の一ほどですが、思想としての社会学がとてもよくわかる1冊。
 結局、福武とか尾高とか、本当のアカデミズムというものは、そう馬鹿にしたものではありません。
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