こんにちは
世の中春で、木々の若葉が輝いていていいですねえ。
もっともついこの前、ケヤキが赤く輝いていたと思うのですが。この冬は(なにもせず)とてもよく寝た気がします。
さてと、ここのところちょっと林業に興味でちらほらと読書して気がついたんですが、林学なんて自然科学のフリして大したことないなあ、と思うのが、二酸化炭素問題。
いったい人間の産業諸活動をオミットしたところで地球上の気体としての酸素は増えているのか減っているのか、だれも知らないでしゃべっていそうな。
3人の林学系大学教授と1人の評論家の本を見ましたが、誰もいわない。せいぜい「樹々のおかげで『ちょっと』増えているだけ」くらいなところ。
ほんとかよ、ちょっとってどんだけだよ。
上記知識人たちは環境へ発言している部類の科学関係者のはずなのにそんな認識なのだから論議にならない。
一方で20億年でこれだけの酸素ができたって話もありますから1億年で空気の酸素の1%ができる、ということは1年で空気の0.00000001%増えるんでしょうか。それって1万年前で大型動物5千万匹だったところ人間50億人越えて生きているとして、100倍に増えた現在でもクリアされるんですかね。
納得できない。
どんな根拠があって、そしてそれを誰が知っているのか。
結局、「自然科学はおおざっぱな社会科学と違って科学だ」などといいながら、人間にできるのは小手先で見えるものの因果関係の解明だけ。自然科学のうちの基礎科学に限っては、そんな条件がそろっているだけ、ということのような気がします。
ま、他人事なので、これはコーヒーブレイク。
今日の話は、前回の、「人間いつの時代も変わらない」、の続き。
反体制とは、体制派の分派のことだ、というような話で。
なにをいっている、って今の世の中を見れば、政党といえば、自民党(=公明党)と民主党ばかりじゃございませんか。これについて「私が『全部体制派だ』ということ」に疑問がある人はここには来ませんよね。まあ、お客人ご自身で何を思うかは別として。
さてと、昔はたしかにそうじゃなかった。社会党などという社会主義政党が民主党の席に座っていたのはそんなに昔ではありません。
それでも、社会党はエセ左翼政党だった、などという気はありませんで。私がいいたいのは、単に、人々に反体制とみなされ、権力に対抗するものとして認めてもらうためには、まずは権力者と同様に権力をもたなければならないということです。
結論から言えば、個人の権力への対抗の願望は、その内実にかかわらず権力に対抗する外見をもつ政党へ吸い取られていくのです。それ以外に、対抗する権力がないから。民主党と自民党は同じ人間で構成されている。しかし、マスメディアによれば、民主党は野党であり、自民党を批判している、であれば民主党に肩入れするしかない。
今、私が無視をした共産党。これはイジメの対象にしかなりません。権力に対抗する権力をもっていないから。それでは初めの個人が持つ行為の意味をクリアできません。しかして、共産党に権力を感ずるのは同じ土俵の弱小セクトだけ。
逆にいえば、共産党やその他のセクトも権力に対抗する権力を持った瞬間に、個人の願望を吸い取っていく組織としての資格をもつわけです。
じゃあ、その対抗する権力とは何か、ってその国家の大きなシステムの中で、当然に動かせる権力、武装力ないし動員数です。あるいは武力による武装、あるいは情報による巨大な人的動員力、といってもデモの動員数ではありませんよ、すべての井戸端会議・酒飲み話への動員数です。それが権力でありそれは体制=現行社会システムに付属するものです。
1950、60年代と、人は変わっていない。
単にシステムの構えが変わっているわけです。
じゃあ、どうするって、隈栄二郎『パリの爆薬』でもごらんください
結局、左翼なんていっても、理論的には左翼の敵などいないのです。全部が味方だから体制も変革できる。
1917年ロシアでも左翼の敵などいなかった。単に政権の変更があっただけです。
敵は具体的な人間同士がつくるものです。そんなもので歴史を動かすことはできない。 だから、左翼の敵といえば、具体的にケンカする機動隊と、諸派同士、そして、カッコだけで何もしてくれない恨みがつのっていく、飢切った貧乏人だけです。
(子供も居なくなってあまり貧乏じゃなくなったところ、そろそろ貧乏人は失礼ですかね)
世の中春で、木々の若葉が輝いていていいですねえ。
もっともついこの前、ケヤキが赤く輝いていたと思うのですが。この冬は(なにもせず)とてもよく寝た気がします。
さてと、ここのところちょっと林業に興味でちらほらと読書して気がついたんですが、林学なんて自然科学のフリして大したことないなあ、と思うのが、二酸化炭素問題。
いったい人間の産業諸活動をオミットしたところで地球上の気体としての酸素は増えているのか減っているのか、だれも知らないでしゃべっていそうな。
3人の林学系大学教授と1人の評論家の本を見ましたが、誰もいわない。せいぜい「樹々のおかげで『ちょっと』増えているだけ」くらいなところ。
ほんとかよ、ちょっとってどんだけだよ。
上記知識人たちは環境へ発言している部類の科学関係者のはずなのにそんな認識なのだから論議にならない。
一方で20億年でこれだけの酸素ができたって話もありますから1億年で空気の酸素の1%ができる、ということは1年で空気の0.00000001%増えるんでしょうか。それって1万年前で大型動物5千万匹だったところ人間50億人越えて生きているとして、100倍に増えた現在でもクリアされるんですかね。
納得できない。
どんな根拠があって、そしてそれを誰が知っているのか。
結局、「自然科学はおおざっぱな社会科学と違って科学だ」などといいながら、人間にできるのは小手先で見えるものの因果関係の解明だけ。自然科学のうちの基礎科学に限っては、そんな条件がそろっているだけ、ということのような気がします。
ま、他人事なので、これはコーヒーブレイク。
今日の話は、前回の、「人間いつの時代も変わらない」、の続き。
反体制とは、体制派の分派のことだ、というような話で。
なにをいっている、って今の世の中を見れば、政党といえば、自民党(=公明党)と民主党ばかりじゃございませんか。これについて「私が『全部体制派だ』ということ」に疑問がある人はここには来ませんよね。まあ、お客人ご自身で何を思うかは別として。
さてと、昔はたしかにそうじゃなかった。社会党などという社会主義政党が民主党の席に座っていたのはそんなに昔ではありません。
それでも、社会党はエセ左翼政党だった、などという気はありませんで。私がいいたいのは、単に、人々に反体制とみなされ、権力に対抗するものとして認めてもらうためには、まずは権力者と同様に権力をもたなければならないということです。
結論から言えば、個人の権力への対抗の願望は、その内実にかかわらず権力に対抗する外見をもつ政党へ吸い取られていくのです。それ以外に、対抗する権力がないから。民主党と自民党は同じ人間で構成されている。しかし、マスメディアによれば、民主党は野党であり、自民党を批判している、であれば民主党に肩入れするしかない。
今、私が無視をした共産党。これはイジメの対象にしかなりません。権力に対抗する権力をもっていないから。それでは初めの個人が持つ行為の意味をクリアできません。しかして、共産党に権力を感ずるのは同じ土俵の弱小セクトだけ。
逆にいえば、共産党やその他のセクトも権力に対抗する権力を持った瞬間に、個人の願望を吸い取っていく組織としての資格をもつわけです。
じゃあ、その対抗する権力とは何か、ってその国家の大きなシステムの中で、当然に動かせる権力、武装力ないし動員数です。あるいは武力による武装、あるいは情報による巨大な人的動員力、といってもデモの動員数ではありませんよ、すべての井戸端会議・酒飲み話への動員数です。それが権力でありそれは体制=現行社会システムに付属するものです。
1950、60年代と、人は変わっていない。
単にシステムの構えが変わっているわけです。
じゃあ、どうするって、隈栄二郎『パリの爆薬』でもごらんください
結局、左翼なんていっても、理論的には左翼の敵などいないのです。全部が味方だから体制も変革できる。
1917年ロシアでも左翼の敵などいなかった。単に政権の変更があっただけです。
敵は具体的な人間同士がつくるものです。そんなもので歴史を動かすことはできない。 だから、左翼の敵といえば、具体的にケンカする機動隊と、諸派同士、そして、カッコだけで何もしてくれない恨みがつのっていく、飢切った貧乏人だけです。
(子供も居なくなってあまり貧乏じゃなくなったところ、そろそろ貧乏人は失礼ですかね)