というわけで、お年寄り対象に2点。
1、いさぎよく、何の宗教色もない火葬式、というものに列席しました。
偉い。とりあえず、今のぼくには社交的観点からできませんが、10年たったらできるかも。
ともかくも、そういう実践によって友人等に現物を眼前させた私の同級生夫+女夫婦は偉い。
具体的には、葬式に、坊主もお焼香も献花もない世界、ということです。
2 樹木葬って、すぐ死んじまうひ弱な木を植えるんだそうな、同級生彼氏、樹木葬。
知ってる?
そこから先の話で。
30年経ったら、雑木林にするんだそうな。
ふ--ん、こざかしい。
そんなら主義的には、骨をそのまんまじべたに撒きゃいいじゃん。
樹木葬って、骨が木になるから樹木葬だろ。木が刈られちゃうのが前提じゃ、誇大広告じゃん。
納得いかん。
ま、弱い庶民には、それでいいんだろうけどね。
墓の呪縛から免れたい、しかし気の弱い庶民は、権力者的親類縁者に、「この木が私の夫の墓ですから何の文句があるんですか。あなたのお里の神木と一緒ですよ」と主張できる。
こうゆうのは心理学と社会学の境目ですね。(もちろん、学問対象が、というわけではありません、社会学的には一言で済む。そんな低レベルの話だ、ということで)
いずれにせよ、商業化した寺に感謝しましょう、それはたとえば、過去、いい自転車を作ってくれた工業資本家ブリジストンに感謝するのと同じだけ。決してそれ以上でも以下でもなく。
たく。恥ずかしくないのかね、曹洞宗。
「仏教、バカで、すいません」といういいわけはもちろんわかりますが。
なんていってるうちに、本当に書こうとしたこと=若い人宛てのテーマを忘れてしまいました。
(酩酊中)
こうゆうのって見る人には4ヶ月に1っぺんかな? で、書く方は月に6ペンス。わ、くだらん。毎週ある事態、ということで。
ともかく、いうのもくだらないから書かない通常の事態で。
、、、さて、言いたいのはどんな話題だったかなあ、、、、
1、いさぎよく、何の宗教色もない火葬式、というものに列席しました。
偉い。とりあえず、今のぼくには社交的観点からできませんが、10年たったらできるかも。
ともかくも、そういう実践によって友人等に現物を眼前させた私の同級生夫+女夫婦は偉い。
具体的には、葬式に、坊主もお焼香も献花もない世界、ということです。
2 樹木葬って、すぐ死んじまうひ弱な木を植えるんだそうな、同級生彼氏、樹木葬。
知ってる?
そこから先の話で。
30年経ったら、雑木林にするんだそうな。
ふ--ん、こざかしい。
そんなら主義的には、骨をそのまんまじべたに撒きゃいいじゃん。
樹木葬って、骨が木になるから樹木葬だろ。木が刈られちゃうのが前提じゃ、誇大広告じゃん。
納得いかん。
ま、弱い庶民には、それでいいんだろうけどね。
墓の呪縛から免れたい、しかし気の弱い庶民は、権力者的親類縁者に、「この木が私の夫の墓ですから何の文句があるんですか。あなたのお里の神木と一緒ですよ」と主張できる。
こうゆうのは心理学と社会学の境目ですね。(もちろん、学問対象が、というわけではありません、社会学的には一言で済む。そんな低レベルの話だ、ということで)
いずれにせよ、商業化した寺に感謝しましょう、それはたとえば、過去、いい自転車を作ってくれた工業資本家ブリジストンに感謝するのと同じだけ。決してそれ以上でも以下でもなく。
たく。恥ずかしくないのかね、曹洞宗。
「仏教、バカで、すいません」といういいわけはもちろんわかりますが。
なんていってるうちに、本当に書こうとしたこと=若い人宛てのテーマを忘れてしまいました。
(酩酊中)
こうゆうのって見る人には4ヶ月に1っぺんかな? で、書く方は月に6ペンス。わ、くだらん。毎週ある事態、ということで。
ともかく、いうのもくだらないから書かない通常の事態で。
、、、さて、言いたいのはどんな話題だったかなあ、、、、