こんにちは。お元気ですか? 目がかゆいですね。かゆくないか。
ベランダにはオオカマキリが訪問する季節。チビの時代から時々来て遊んでいくので、いやな種族と思いながらもそこそこ可愛い。見てるとこっちを振り返ってなによとクビをかしげる風情がなんとなくよい、のですが、こいつがわざわざひとんちの窓の下まで来てカメムシかなんかの生きてるのをムシャムシャ食ってる。窓から見てると、あたし悪いことしてる?と首をかしげられて処置なし。
ここんとこ神に同情しておりましたが、目の前でそんなことをやられちゃしょうがない。私が神なら、この瞬間に歴史をリセットしますし。「大失敗だ」みたいなもので。
やはり生命世界と高貴な人間等の霊界は存在次元が違わざるを得ませんね。
さて、ささいなニュース。「NHKは25日、体調不良のため報道番組「ニュース7」(月~日曜、午後7時)を休んでいるキャスターの鈴木奈穂子アナ(36)について、来週も休む予定であることをホームページ(番組表)で公表した。」(日刊スポーツ)。人間て、みておかしいと思うときはやっぱおかしいんだよね。年寄りのいうことは聞くものだ。
「低所得世帯の高校生を対象とする都道府県の「奨学給付金」について、2017年度までの4年間に受給した12府県の延べ23万8108人のうち、1%の2451人が教育費を学校に納めていなかったことが、会計検査院の調べでわかった。」(読売)お見それしました。私の感覚では1割ですが、たった1%!。そうか生活保護世帯(≒母子家庭)がはいっているからね。お母さんはそう悪いことはしない。
お役立ち情報。多摩川沿いの方、本日は調布の花火です、寒いぞーー
花火を秋にやるなんか、気が知れない。遊園地花火に慣れてる世代はそれでいいのかね。
さて、本題は今日も世間話の続きで、実家から40年ぶりで持って帰った荷物。解いてみました。まずは高校時代のビラ。忘れてたことを思い出すこと多々。個人的なことはいいとして、トータルで見て、なんとも民主主義的な学校生活を思い出してびっくりしました。高校って、こんなにヒトと真面目なことをしゃべるとこだっけね。今の生徒諸君は絶対してないような仲間生活。へえええ、、、1年時の思い出す風景で、3年生と教室で話してるのがあるんだけど、なんでも3年8組のクラス討議で、高校生活をよく考えてもらうため1年生の「クラスに入ろう」というのがあったんだってさ。大人世界のいわゆるオルグだね。ビラ読んで思い出した。それと、民青グループと行ったと思っていた朝鮮高校友好訪問、これが生徒会活動なんだってさ。ビラによると、教師側から前日までの宣伝は一切禁止とかいわれて、こういう事態をほっといていいのか、とか書いてあったな。ところでこれらの種々雑多なビラはどこで入手したんだろう、と思えば、登校時の校門の外でもらったなあ、と。これが校門の中に入っちゃいけないんだね、校門内は教師の指導下なんだろうね。生徒指導の教師が入らないように見張ってるのさ。変だけどね、そんなこともあったねと。面白かったのは間違いない。
と、こんな思い出も、できるのは頭がクリアなときだけ。ふつうは理論活動に使う「一眠り後」を使ってしまいました。社長や教授のアタマも、突然の対応では8割施行ですぜ、お気をつけを。「うちのボスは頭が早い」って、ただの直感だから。その言の趣旨は「わかったまかせた」だけ。詳細は自分で考えないと後でひどい目に会うぜ。
ついで、大量の写真整理。半分にまで減らす。気がつくとこれはわずか青春数年間のさらに一時期の分の整理。疾風怒涛の「なぎ」の期間の写真。数年の間にいろいろなことが起こったんだね。
それに比べると、理論活動というのはほんと贅沢。あっという間に1年なんて経ってしまう。こんなことを若い時にやるなんて、よほどの変人と思われます。私のように学校の授業など限界ギリギリに手を抜かないとね。もっともそれでは教授の弟子にはなれないわけだ。自業自得。
あれ、今日は短いな、と思われた常連の方は、そうではありません。順番を入れ替えましたオタク用事項がございます。
「少子高齢化がさらに進む2030年に、人手不足が現在の5倍以上にあたる644万人に拡大するという調査結果が発表されました。」(テレビ朝日系)。ほんとブルジョワジーの毎度毎度のヨタで。しかし不愉快なんで、いつもは『「安い人手」が不足なだけ』というのですが、今日は新しい言葉を使って非難。「そりゃ資本の過剰だ」。
人手不足なんていって、これ以上働き場所いるの? 東京じゃあコンビニも余ってるしデパートも余ってるし。不動産屋だって、株屋だって余ってるし。中古マンションも空きビルもたくさんあるから別にマンションもテナントビルも建てることないし。絶対、東京には人いらないから。
なんちゅうと、困るのがまず資本家諸氏さ。カネ使いたくてしょうがないのに、カネの使い道がない。おわかり? 資本の過剰です。東京にカネなんかいらないのさ。
次に困るのが中高年労働者だ。元から「ない」働き場所が、さらにない。って、「元からない」? おかしいじゃん、人手不足だっていってたよ、、、ヨタはヨタ。ほんと不愉快。
ところで、でも資本があるのになんで起業ができない、って、マルクス経済学徒は自分でもおかしいと思うだろ? マルクス先生は教えてくれなかったからね。この答えは、作りゃあ売れるという、もう200年も前の世界の経済学の話を真に受けている、という事情。作ったって売れねえんだよ。レーニンはマルクスより利口だからそういう日が来るし、そして来た、って言ってるだろ。あるいは、レーニンと同じく、現代日本労働者は日々刻々「なんでこんなくだらねえことをして商品を飾りたてなきゃならねえんだよお」と思い知らされてるでしょ。現実とはそう。もちろん、中には「平凡な商品だけどおいらがこんなに飾ったから売れたんだぜ。すごいっしょ」と思う労働者がいるのも現実。理論というのはマルクスでさえ、実感とともにあるのだよ。なんだ、労働者管理で疎外が消えるだあ?? 実態も知らずに言葉の組み替えで自信満々なただのガキの50歳にも越えた自称マルキストは、早く引退しろよ。と、突然だがウサ晴らし。ま、誰がいったかまで言うと根拠もいわないといかんので人生のムダはしない。
話はもとに戻って、資本が過剰なときは、賃金など上がりゃあしないんだよ。仮に資本が現実化したとしても利潤など取れないからね。もちろんマルクス等とは逆に、資本の過剰時には賃金低下圧力が高まる。そもそも「可変資本」が使えるなら過剰にはなりはしない。労働者を、その労働力を、使えないから過剰なのだよ。ほんと、この1行、みんな聞いたことないだろ? ということ自体、世の中バカばかりだということの証明。マルクスだろうが宇野だろうが、需給法則なんかを原理論には使えやしないんだよ。需給法則は自由な人間の架空の法則でしかない。行動の自由な経済理論登場者などいないのだ。もっとも競争する資本家というのは主観的に自由かもしれない。こいつらだけは楽しんでやってるように思える。といって、もちろん競争以外の手段を取ろうとしてもとれやしませんが。
ベランダにはオオカマキリが訪問する季節。チビの時代から時々来て遊んでいくので、いやな種族と思いながらもそこそこ可愛い。見てるとこっちを振り返ってなによとクビをかしげる風情がなんとなくよい、のですが、こいつがわざわざひとんちの窓の下まで来てカメムシかなんかの生きてるのをムシャムシャ食ってる。窓から見てると、あたし悪いことしてる?と首をかしげられて処置なし。
ここんとこ神に同情しておりましたが、目の前でそんなことをやられちゃしょうがない。私が神なら、この瞬間に歴史をリセットしますし。「大失敗だ」みたいなもので。
やはり生命世界と高貴な人間等の霊界は存在次元が違わざるを得ませんね。
さて、ささいなニュース。「NHKは25日、体調不良のため報道番組「ニュース7」(月~日曜、午後7時)を休んでいるキャスターの鈴木奈穂子アナ(36)について、来週も休む予定であることをホームページ(番組表)で公表した。」(日刊スポーツ)。人間て、みておかしいと思うときはやっぱおかしいんだよね。年寄りのいうことは聞くものだ。
「低所得世帯の高校生を対象とする都道府県の「奨学給付金」について、2017年度までの4年間に受給した12府県の延べ23万8108人のうち、1%の2451人が教育費を学校に納めていなかったことが、会計検査院の調べでわかった。」(読売)お見それしました。私の感覚では1割ですが、たった1%!。そうか生活保護世帯(≒母子家庭)がはいっているからね。お母さんはそう悪いことはしない。
お役立ち情報。多摩川沿いの方、本日は調布の花火です、寒いぞーー
花火を秋にやるなんか、気が知れない。遊園地花火に慣れてる世代はそれでいいのかね。
さて、本題は今日も世間話の続きで、実家から40年ぶりで持って帰った荷物。解いてみました。まずは高校時代のビラ。忘れてたことを思い出すこと多々。個人的なことはいいとして、トータルで見て、なんとも民主主義的な学校生活を思い出してびっくりしました。高校って、こんなにヒトと真面目なことをしゃべるとこだっけね。今の生徒諸君は絶対してないような仲間生活。へえええ、、、1年時の思い出す風景で、3年生と教室で話してるのがあるんだけど、なんでも3年8組のクラス討議で、高校生活をよく考えてもらうため1年生の「クラスに入ろう」というのがあったんだってさ。大人世界のいわゆるオルグだね。ビラ読んで思い出した。それと、民青グループと行ったと思っていた朝鮮高校友好訪問、これが生徒会活動なんだってさ。ビラによると、教師側から前日までの宣伝は一切禁止とかいわれて、こういう事態をほっといていいのか、とか書いてあったな。ところでこれらの種々雑多なビラはどこで入手したんだろう、と思えば、登校時の校門の外でもらったなあ、と。これが校門の中に入っちゃいけないんだね、校門内は教師の指導下なんだろうね。生徒指導の教師が入らないように見張ってるのさ。変だけどね、そんなこともあったねと。面白かったのは間違いない。
と、こんな思い出も、できるのは頭がクリアなときだけ。ふつうは理論活動に使う「一眠り後」を使ってしまいました。社長や教授のアタマも、突然の対応では8割施行ですぜ、お気をつけを。「うちのボスは頭が早い」って、ただの直感だから。その言の趣旨は「わかったまかせた」だけ。詳細は自分で考えないと後でひどい目に会うぜ。
ついで、大量の写真整理。半分にまで減らす。気がつくとこれはわずか青春数年間のさらに一時期の分の整理。疾風怒涛の「なぎ」の期間の写真。数年の間にいろいろなことが起こったんだね。
それに比べると、理論活動というのはほんと贅沢。あっという間に1年なんて経ってしまう。こんなことを若い時にやるなんて、よほどの変人と思われます。私のように学校の授業など限界ギリギリに手を抜かないとね。もっともそれでは教授の弟子にはなれないわけだ。自業自得。
あれ、今日は短いな、と思われた常連の方は、そうではありません。順番を入れ替えましたオタク用事項がございます。
「少子高齢化がさらに進む2030年に、人手不足が現在の5倍以上にあたる644万人に拡大するという調査結果が発表されました。」(テレビ朝日系)。ほんとブルジョワジーの毎度毎度のヨタで。しかし不愉快なんで、いつもは『「安い人手」が不足なだけ』というのですが、今日は新しい言葉を使って非難。「そりゃ資本の過剰だ」。
人手不足なんていって、これ以上働き場所いるの? 東京じゃあコンビニも余ってるしデパートも余ってるし。不動産屋だって、株屋だって余ってるし。中古マンションも空きビルもたくさんあるから別にマンションもテナントビルも建てることないし。絶対、東京には人いらないから。
なんちゅうと、困るのがまず資本家諸氏さ。カネ使いたくてしょうがないのに、カネの使い道がない。おわかり? 資本の過剰です。東京にカネなんかいらないのさ。
次に困るのが中高年労働者だ。元から「ない」働き場所が、さらにない。って、「元からない」? おかしいじゃん、人手不足だっていってたよ、、、ヨタはヨタ。ほんと不愉快。
ところで、でも資本があるのになんで起業ができない、って、マルクス経済学徒は自分でもおかしいと思うだろ? マルクス先生は教えてくれなかったからね。この答えは、作りゃあ売れるという、もう200年も前の世界の経済学の話を真に受けている、という事情。作ったって売れねえんだよ。レーニンはマルクスより利口だからそういう日が来るし、そして来た、って言ってるだろ。あるいは、レーニンと同じく、現代日本労働者は日々刻々「なんでこんなくだらねえことをして商品を飾りたてなきゃならねえんだよお」と思い知らされてるでしょ。現実とはそう。もちろん、中には「平凡な商品だけどおいらがこんなに飾ったから売れたんだぜ。すごいっしょ」と思う労働者がいるのも現実。理論というのはマルクスでさえ、実感とともにあるのだよ。なんだ、労働者管理で疎外が消えるだあ?? 実態も知らずに言葉の組み替えで自信満々なただのガキの50歳にも越えた自称マルキストは、早く引退しろよ。と、突然だがウサ晴らし。ま、誰がいったかまで言うと根拠もいわないといかんので人生のムダはしない。
話はもとに戻って、資本が過剰なときは、賃金など上がりゃあしないんだよ。仮に資本が現実化したとしても利潤など取れないからね。もちろんマルクス等とは逆に、資本の過剰時には賃金低下圧力が高まる。そもそも「可変資本」が使えるなら過剰にはなりはしない。労働者を、その労働力を、使えないから過剰なのだよ。ほんと、この1行、みんな聞いたことないだろ? ということ自体、世の中バカばかりだということの証明。マルクスだろうが宇野だろうが、需給法則なんかを原理論には使えやしないんだよ。需給法則は自由な人間の架空の法則でしかない。行動の自由な経済理論登場者などいないのだ。もっとも競争する資本家というのは主観的に自由かもしれない。こいつらだけは楽しんでやってるように思える。といって、もちろん競争以外の手段を取ろうとしてもとれやしませんが。