前回、ヤーノシュ・シュタルケルが弾いたコダーイの<無伴奏チェロ・ソナタ>をちょっと話題にしたが、何の偶然か、ついこの間の日曜日(12月6日)、そのシュタルケルの特集があった。NHKのFM番組『20世紀の名演奏』である。ということで今回は、それを聴きながらいろいろ思ったことを、気ままに書き綴ってみることにしたい。
最初に紹介されたのは、ボッケリーニの<チェロ協奏曲>だった。若き日のジュリーニが指揮するフィルハーモニア管弦楽団との共演で、1958年のステレオ録音。この曲については、私は昔ピエール・フルニエのLP(※ルドルフ・バウムガルトナーが伴奏指揮を務めたグラモフォン盤)を持っていた。当時の組み合わせはハイドンの<チェロ協奏曲>だったが、フランスの名手が奏でる美音に、学生時代の私はしばし聴き惚れたものである。今回初めて耳にしたシュタルケルの演奏は、正直なところ、あまり私の趣味には合わなかった。チェロの音が、苦いのだ。こういう音でボッケリーニを聴きたくないなあ、という感じである。
2曲目は極めつけ、コダーイの<無伴奏チェロ・ソナタ>。ちょうど前回話題にした1950年の録音で、作曲家ベラ・バルトークの息子であるピーター・バルトーク氏がプロデュースした有名な音源。番組では第3楽章のみの紹介だったが、やはりこの曲こそシュタルケルの看板みたいなものなんだよなと、改めて思った。
続いて、マックス・ブルッフの<コル・ニドライ>。ドラティ&ロンドン響との共演によるもので、1962年のステレオ録音。私はこの音源を昔、LPで持っていた。同じコンビによるドヴォルザークの<チェロ協奏曲>と組み合わされていたものだ。あれはフォンタナ・レコードという国内廉価レーベルで、ジャケットの表紙にだらだらと長い能書きが書かれていて、いかにもチープなにおいが漂う素敵な(笑)シリーズだった。(※1970年代後半~80年代前半のお話)。シュタルケルとドラティによるレコードはやがて中古売却することになったが、その中の<コル・ニドライ>を今回久しぶりに聴き直せることとなったわけである。う~ん、懐かしい。
ブルッフの<コル・ニドライ>は沈痛な思いを湛えた前半部と、愁眉を開くような救いの旋律が聞かれる後半部に分けられるが、シュタルケルの直截で苦味のあるチェロ演奏はやはり、前半部で非常に良い味を出しているように思った。逆に言えば、後半部がちょっと渋すぎて物足りない。この曲も後にピエール・フルニエの独奏によるLP(G)に私は乗り換えたのだが、今回その理由が自分の中ではっきりしたような気がする。フルニエの方が全体に美しく、特に後半部でシュタルケルにはない“明るい救い”が感じられたことが良かったのだと思う。(※勿論、他のチェリストによる演奏録音にも、これに劣らず良いものがきっとあるに違いない。)
参考までに、曲のタイトルについて片言隻句。「神の日」を意味するこの曲の題名は、『コル・ニドレ』と表記する方がヘブライ語の発音に近いようだ。昔何かのラジオ番組で、イスラエルのおじさんが、「ん~、こ~る・にどれ~♪」なんて口ずさんでいるのを耳にしたことがある。ブルッフの作品名として人口に膾炙した<コル・ニドライ>というのは多分、ドイツ語流の読み方になおしたものだと思う。
4曲目は、ブラームスの<チェロ・ソナタ 第2番>。ジュリアス・カッチェンのピアノ伴奏による1968年の録音だが、室内楽・器楽曲にとんと疎い私には、この演奏の出来を語る力は全くなし。ゆえに、パス。w 一つだけ身の程をわきまえずにコメントするなら、「ピアノがちょっと、うるさ過ぎるんじゃないかな」といったところ。
最後は、ドヴォルザークの<チェロ協奏曲>(※勿論、有名なロ短調の方)。シュタルケルはこの名作を得意として、合計3回録音しているらしい。LP時代には、ドラティ&ロンドン響との1962年盤がよく知られたものだった。上記<コル・ニドライ>と組み合わせた1枚で、私も持っていた。今回の放送で流れたのは、ワルター・ジュスキント指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演による、1956年の第1回録音である。56年と言っても、これが見事なステレオ録音で、音質的には全く不満なし。(※但しFM放送については、私はいつもミニ・コンポで聞いているので、同じ演奏のCDをフル・コンポで聴いたらどんな風に印象が変わるかまでは分からない。)番組司会者の諸石幸生氏によると、シュタルケル自身は、「ジュスキントと共演した最初の録音が、ベスト」と考えているとのこと。
聴いてみて、確かにそうかもなと思った。ドラティ盤がもう手元に無いので細かい比較は出来ないが、チェロ独奏は演奏家本人が自覚しているとおりのベストだろうし、ジュスキントの指揮ぶりがまた非常に良い。オーケストラがよく鳴る。スケール感もあるし、響きも魅力的だ。考えてみれば、この当時のフィルハーモニア管はまさに黄金期で、その巧さ、その豊かな音楽性など、特筆に価するものがあった。1990年代に入ってからレナード・スラットキンの指揮で入れた3回目の<ドヴォコン>がどんな演奏になっているのか、私は未聴のため分からないが、今回の放送を聴いた限りで言えば、「シュタルケルの<ドヴォコン>なら、ジュスキントとの1956年盤がおそらく一番」という結論になりそうである。
―という訳で(←何が?)、今回の締めくくりは、<ドヴォコン>関連の付け足し話。先月の末に、ちょっと面白いCDを聴くことができた。若い頃のロストロポーヴィチがモスクワ音楽院大ホールで行なった1963年10月5日のライヴ録音盤(Russisn Disc)である。ボリス・ハイキンの指揮によるロシア国立交響楽団との演奏だ。ロストロポーヴィチの<ドヴォコン>録音はこういったライヴも含めると相当数あるようで、どれがベストなのかは俄かに判じ難い。が、とりあえず今言える感想は、「ハイキンとのモスクワ・ライヴは、ロストロせんせーの3種のセッション録音(※カラヤン盤、ジュリーニ盤、小澤盤)よりは、間違いなく楽しめた」ということである。
当時のソヴィエトにしては生意気にも(笑)、立派なステレオ録音。音がかなり良い。そして勿論、演奏も。特徴を今風に言えば、“ノリノリ爆演系”。テンポが基本的に速めで、音楽が非常にスリリング。退屈している暇がないのである。若き名チェリスト渾身のソロもさることながら、ハイキンの指揮がまた思いがけず激しくて、随所で笑わせてもらえる。こういう演奏と比べてしまうと、さしものシュタルケルも影が薄くなってしまう。ドヴォルザークのロ短調<チェロ協奏曲>には数多くの名盤が存在するが、チェリストの凄さに関して言えば、やはりデュ・プレとロストロポーヴィチの二人が東西の横綱という感じになるのだろうか。何とも、月並みな結論ではあるが・・・。
最初に紹介されたのは、ボッケリーニの<チェロ協奏曲>だった。若き日のジュリーニが指揮するフィルハーモニア管弦楽団との共演で、1958年のステレオ録音。この曲については、私は昔ピエール・フルニエのLP(※ルドルフ・バウムガルトナーが伴奏指揮を務めたグラモフォン盤)を持っていた。当時の組み合わせはハイドンの<チェロ協奏曲>だったが、フランスの名手が奏でる美音に、学生時代の私はしばし聴き惚れたものである。今回初めて耳にしたシュタルケルの演奏は、正直なところ、あまり私の趣味には合わなかった。チェロの音が、苦いのだ。こういう音でボッケリーニを聴きたくないなあ、という感じである。
2曲目は極めつけ、コダーイの<無伴奏チェロ・ソナタ>。ちょうど前回話題にした1950年の録音で、作曲家ベラ・バルトークの息子であるピーター・バルトーク氏がプロデュースした有名な音源。番組では第3楽章のみの紹介だったが、やはりこの曲こそシュタルケルの看板みたいなものなんだよなと、改めて思った。
続いて、マックス・ブルッフの<コル・ニドライ>。ドラティ&ロンドン響との共演によるもので、1962年のステレオ録音。私はこの音源を昔、LPで持っていた。同じコンビによるドヴォルザークの<チェロ協奏曲>と組み合わされていたものだ。あれはフォンタナ・レコードという国内廉価レーベルで、ジャケットの表紙にだらだらと長い能書きが書かれていて、いかにもチープなにおいが漂う素敵な(笑)シリーズだった。(※1970年代後半~80年代前半のお話)。シュタルケルとドラティによるレコードはやがて中古売却することになったが、その中の<コル・ニドライ>を今回久しぶりに聴き直せることとなったわけである。う~ん、懐かしい。
ブルッフの<コル・ニドライ>は沈痛な思いを湛えた前半部と、愁眉を開くような救いの旋律が聞かれる後半部に分けられるが、シュタルケルの直截で苦味のあるチェロ演奏はやはり、前半部で非常に良い味を出しているように思った。逆に言えば、後半部がちょっと渋すぎて物足りない。この曲も後にピエール・フルニエの独奏によるLP(G)に私は乗り換えたのだが、今回その理由が自分の中ではっきりしたような気がする。フルニエの方が全体に美しく、特に後半部でシュタルケルにはない“明るい救い”が感じられたことが良かったのだと思う。(※勿論、他のチェリストによる演奏録音にも、これに劣らず良いものがきっとあるに違いない。)
参考までに、曲のタイトルについて片言隻句。「神の日」を意味するこの曲の題名は、『コル・ニドレ』と表記する方がヘブライ語の発音に近いようだ。昔何かのラジオ番組で、イスラエルのおじさんが、「ん~、こ~る・にどれ~♪」なんて口ずさんでいるのを耳にしたことがある。ブルッフの作品名として人口に膾炙した<コル・ニドライ>というのは多分、ドイツ語流の読み方になおしたものだと思う。
4曲目は、ブラームスの<チェロ・ソナタ 第2番>。ジュリアス・カッチェンのピアノ伴奏による1968年の録音だが、室内楽・器楽曲にとんと疎い私には、この演奏の出来を語る力は全くなし。ゆえに、パス。w 一つだけ身の程をわきまえずにコメントするなら、「ピアノがちょっと、うるさ過ぎるんじゃないかな」といったところ。
最後は、ドヴォルザークの<チェロ協奏曲>(※勿論、有名なロ短調の方)。シュタルケルはこの名作を得意として、合計3回録音しているらしい。LP時代には、ドラティ&ロンドン響との1962年盤がよく知られたものだった。上記<コル・ニドライ>と組み合わせた1枚で、私も持っていた。今回の放送で流れたのは、ワルター・ジュスキント指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演による、1956年の第1回録音である。56年と言っても、これが見事なステレオ録音で、音質的には全く不満なし。(※但しFM放送については、私はいつもミニ・コンポで聞いているので、同じ演奏のCDをフル・コンポで聴いたらどんな風に印象が変わるかまでは分からない。)番組司会者の諸石幸生氏によると、シュタルケル自身は、「ジュスキントと共演した最初の録音が、ベスト」と考えているとのこと。
聴いてみて、確かにそうかもなと思った。ドラティ盤がもう手元に無いので細かい比較は出来ないが、チェロ独奏は演奏家本人が自覚しているとおりのベストだろうし、ジュスキントの指揮ぶりがまた非常に良い。オーケストラがよく鳴る。スケール感もあるし、響きも魅力的だ。考えてみれば、この当時のフィルハーモニア管はまさに黄金期で、その巧さ、その豊かな音楽性など、特筆に価するものがあった。1990年代に入ってからレナード・スラットキンの指揮で入れた3回目の<ドヴォコン>がどんな演奏になっているのか、私は未聴のため分からないが、今回の放送を聴いた限りで言えば、「シュタルケルの<ドヴォコン>なら、ジュスキントとの1956年盤がおそらく一番」という結論になりそうである。
―という訳で(←何が?)、今回の締めくくりは、<ドヴォコン>関連の付け足し話。先月の末に、ちょっと面白いCDを聴くことができた。若い頃のロストロポーヴィチがモスクワ音楽院大ホールで行なった1963年10月5日のライヴ録音盤(Russisn Disc)である。ボリス・ハイキンの指揮によるロシア国立交響楽団との演奏だ。ロストロポーヴィチの<ドヴォコン>録音はこういったライヴも含めると相当数あるようで、どれがベストなのかは俄かに判じ難い。が、とりあえず今言える感想は、「ハイキンとのモスクワ・ライヴは、ロストロせんせーの3種のセッション録音(※カラヤン盤、ジュリーニ盤、小澤盤)よりは、間違いなく楽しめた」ということである。
当時のソヴィエトにしては生意気にも(笑)、立派なステレオ録音。音がかなり良い。そして勿論、演奏も。特徴を今風に言えば、“ノリノリ爆演系”。テンポが基本的に速めで、音楽が非常にスリリング。退屈している暇がないのである。若き名チェリスト渾身のソロもさることながら、ハイキンの指揮がまた思いがけず激しくて、随所で笑わせてもらえる。こういう演奏と比べてしまうと、さしものシュタルケルも影が薄くなってしまう。ドヴォルザークのロ短調<チェロ協奏曲>には数多くの名盤が存在するが、チェリストの凄さに関して言えば、やはりデュ・プレとロストロポーヴィチの二人が東西の横綱という感じになるのだろうか。何とも、月並みな結論ではあるが・・・。
体調回復、まことにおめでとうございます。
取り上げられているのは未聴のものばかりですが、ハイドンとボッケリーニが裏表になったLPだけは、むかしよく聴きました。
フルニエのハイドンとボッケリーニは、LP時代に愛聴してました。あれは良かったなあ。今のCDは曲の組み合わせが違っているようですね。
FM番組を聴いての感想文が続いて、次のエントリーはオーマンディ、フィラデルフィアです。どうぞ、お楽しみ下さい。