クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ジョリヴェの<ピアノ協奏曲>

2005年06月14日 | 作品を語る
前回語ったアンドレ・プレヴィンの名前から、20世紀フランスの作曲家アンドレ・ジョリヴェが連想されたので、今回はそのジョリヴェの代表作と言ってよいであろう、<ピアノ協奏曲>を中心に少し語ってみたいと思う。

この曲には昔、ちょっとカッコいい標題が付いていた。<赤道コンチェルト>である。しかし今は、かつての植民地政策を想起させるからという理由でこの標題は外されて、単にアンドレ・ジョリヴェの<ピアノ協奏曲>とだけ言うようになっているようだ。これは、エドガー・ヴァレーズに師事したという野心的な作曲家のバーバリズム志向を如実に示した傑作で、初演時にはストラヴィンスキーの<春の祭典>以来の騒ぎを起こしたと伝えられている。ストラヴィンスキーの回想によると、<春の祭典>初演の時は、客席のパニック騒乱もものかはで、指揮者モントゥーはまるで「ワニのように図々しい背中を見せながら」平然と演奏を続けたそうだが、ジョリヴェ作品の初演では、客席からのブー!やピー!に耐えられなくなった指揮者ガストン・ブーレが客席の方に振り返って、「批判は、曲が終わってからにしておくんなまし!」みたいなことを叫んだそうだ。いいなあ、こういう話。その場に居合わせてみたかったぞ。

第1楽章: アフリカ
第2楽章: 極東
第3楽章: ポリネシア

各楽章についたこれらのタイトルが何とも魅力的だが、内容もかなり野蛮でよろしい。ただ、ジョリヴェ作品をまだお聴きになっていない方のために誤解の無いように申し上げておきたいが、彼の作品は所謂バーバリズム志向を打ち出した物が多いと言っても、レブエルタスやレイフスといった、「そこまで、キレちゃうかあ?」というような音楽はやっておらず、言わば、“洗練された野蛮”みたいな相貌を示すものである。だから、あまりハチャメチャなものを期待なさらないでいただきたいと思う。

とは言いつつも、この<ピアノ協奏曲>で聴かれる荒々しさには抗い難い魅力がある。「ピアノってのはなあ、本質的に打楽器なんじゃあ」とでも主張しているような、ごついコンチェルトである。当時のフランスの聴衆が激しいショックを受けたのも、無理はない。美しいメロディなど、薬にしたくもないのである。ひたすら、ごついのである。この作品を私が初めて聴いたのは、フィリップ・アントルモンのピアノ独奏に、作曲者ジョリヴェ自身が伴奏指揮を受け持ったソニー盤のLPであった。あの真っ赤なジャケット・デザインは今でも、鮮明に記憶に残っている。ただ、当時の感想を正直に言うと、アントルモンのピアノにはもう少し野蛮な味が欲しかったし、ジョリヴェが指揮するオーケストラにも、もう少しキリリとした締まりが欲しいと思ったのであった。(※今聴き直したら、また違った感じ方をするかも知れないが・・。)

少し前にEMIから、ジョリヴェの主だった作品を収めたCDセットが発売されたので、早速買って聴いてみた。これは、二枚組のアルバムである。一枚目には件(くだん)の<ピアノ協奏曲>のほか、<フルート協奏曲>、<トランペット協奏曲第2番>、他が収められ、二枚目には<フランス組曲>、<ラプソディ>、<12の楽器のためのデルフォイ組曲>などといったものが収録されている。いずれも1950年代になされたモノラル録音だが、音質は鮮明なので全く不満はない。

一枚目の方ではやはり、<ピアノ協奏曲>が最も聴き栄えがする。リュセット・デカヴのピアノ独奏に、先頃他界した現代音楽の名指揮者エルネスト・ブールが伴奏指揮を務めている。オケはシャンゼリゼ劇場管弦楽団。私個人的にはソニー盤よりも、モノラルというハンディはあるものの、こちらEMI盤の演奏の方が好きである。まずピアノ・ソロが凄い。第1楽章、ピアノ登場の部分からいきなり強靭な打鍵を聴かせてくれるし、その後も多彩な表現力を縦横に駆使して、この曲のバーバリズムを見事に音にしている。第3楽章後半の狂騒ぶりも素晴らしい。ブールの指揮がまた、非常に引き締まっていて緩まず、くっきりした輪郭とがっしりした造形感を曲に与えている。見事な仕上がりである。このCDを入手なさった方は、アンプのボリュームをやや大きめにしてお聴きいただけたらよろしいかと思う。

<トランペット協奏曲第2番>では、主役のトランペットがミュート・カップを多用して、ポワ~ンポワ~ンとひょうきんな音を出すのが特徴的だ。また、トランペット協奏曲の第1番と称されることもある<トランペットとピアノ、弦楽器のための小協奏曲>では、指揮者としてお馴染みのセルジュ・ボドが見事なピアニストぶりを披露している。(※ものの本によると、この作品は1948年にパリ音楽院のコンクール課題曲として発表されたものらしいのだが、これを見て応募者25人のうち10人が棄権してしまったとか。ジョリヴェせんせー、あんまり酷なことすんなよなあ。w )一方、<フルート協奏曲>や<弦楽のためのアンダンテ>では、暗く沈むような曲想がジョリヴェ音楽の別の側面を見せている。

二枚目に収められた作品群からも、面白い響きが随所で聴ける。例えば、<フランス組曲>の第1曲冒頭で聴かれるドシャクシャ音。なるほど、師匠がエドガー・ヴァレーズだったというのが思いっきりうなずける。あるいは、<デルフォイ組曲>の第5曲もそうだ。ただ、ヴァレーズ師匠と違うのは、ジョリヴェの音楽は野放図な大音響までには発展せず、言うなれば、どこかスマートに荒っぽいという点である。<ラプソディ>では原始主義的なリズムが多用されているが、楽器の分離はすっきりと風通しよく、洗練された色彩を感じさせるものに仕上がっている。これがジョリヴェ・サウンドの基本、という感じがする。<デルフォイ組曲>の第6曲「ディオニュソスの快楽」は、どこか古代の日本を思わせるような楽想で、「あれっ?」と思われる方も出て来ようかと思う。いずれの曲も、幾分マニア志向の強いものかも知れないが、楽しいアルバムである。殆どの作品をジョリヴェ自身が指揮しているが、出来栄えはまず立派なものと言ってよいだろう。

参考までに、このEMIの二枚組に入っていないジョリヴェの傑作に、4楽章からなる<打楽器協奏曲>(1958年)というのもある。これは大野和士&ザグレブ・フィルの演奏でCD化されており、こちらでも優れた演奏が聴かれる。タイトルの通り、各種の打楽器が活躍するゴキゲンな作品だ。ドラム連中が暴れてくれる第1楽章でまず、つかみはオ~ケ~!w ピアノとヴィブラフォンが活躍する第2楽章のムードはまさに、ジャズ。ドラム、トランペット、クラリネットといった顔ぶれが賑やかに鳴り交わす最後の第4楽章も、舞曲風と言うよりはジャズっぽい感じ。但し、全体を通じて聴かれるソノリティはやはり、洗練された粋なバーバリズムの音楽なのだ。所謂“爆裂系”というのとは、一線を画している。

CDに付属の解説書によると、ジョリヴェにとって好ましい音楽材料というのは、師であったヴァレーズの激烈な音響、ジャズ及びその淵源としてのアフリカ音楽、ストラヴィンスキーの原始主義、ベートーヴェンの力強い音楽、さらには素朴な生命力が感じられるという理由で、ルネサンス期の巨匠達の音楽、等等、雑多を極めているとのこと。そういう混沌世界にこそ生命がある、というのがジョリヴェ哲学らしいのである。

まあ、この何ともラタトゥイユ(=ratatouille ごった煮)な味わいこそが、ジョリヴェ音楽の真骨頂ということになるのだろう。
コメント (2)
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