クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

<雨の樹>~水音の系譜・1~

2005年06月01日 | 作品を語る
前回語ったレイフスの爆裂音楽<バルドゥル( Baldr )>から最後のrをアルファベットでしりとりして、今回は武満徹の<Rain Tree(=雨の樹)>。それに続いて、クラシック音楽作品に聴かれる水音の系譜みたいなものについて、少し話を進めてみたい。火山の噴火で熱い思いをした後は、お水でちょっと冷やしましょうという趣向である。

もう一昨年の話になるが、フルートを中心にして書かれた武満徹による室内楽作品集のCD、≪そして、それが風であることを知った≫(※ナクソスの廉価盤)が随分と売れたらしい。実は私も、その売り上げに貢献した一人だった。このCDには水をモチーフにして書かれた武満作品が揃って収録されていたのだが、私の場合は皮肉な事に、そこでの主役であったフルートが出てこない1曲である<雨の樹>が一番、気に入っていた。これはマリンバを中心とした3人の打楽器奏者のために書かれていて、雫(しずく)がしたたるような音の連続など、雨の音を抽象的に連想させてくれる曲だった。約12分半ぐらいの小品だが、特に前半6分間ぐらいが非常に良かった。何と言うのか、その「静けさに耳を澄ます」という感じがとても素敵だったのだ。私だけでなく、この曲をそういう感覚で楽しんでいるファンは結構多いのではないかなと思う。

この武満アルバムの中ではもう一つ、<ブライス>という曲も印象に残るものであった。と言うのはこれ、終わり間際に本物の水音(?)みたいなのが聴こえてきて、ハッとさせられるからである。20世紀以降のクラシック作品は、ミュージック・コンクレートであったり、各種のテープ音楽であったり、現実世界の生活音みたいなものを直に取り入れているものなどいくらでもあるわけだから、別段驚くようなことではない。とは言いつつも、このように思いがけないタイミングで出てくるとやはり、ちょっとびっくりさせられてしまう。そうすると、私などはふと思い出すのである。水の音を思いっきり具体的に使った日本人作品があったよなあと。

坪能克裕(つぼのう かつひろ)の<水の詩篇>である。もうそのまんま、「水の音を集めました」って作品だった。ピチャン、ピチャン、と水道の蛇口から垂れてくる水の音や、ジャボッ、ガボッ、と洗濯機でゆすぐ時の力強い水音、ゴゴーッ、と流し台か何かの排水口に水が引いていく時の音、そういったものを録音して集めた一種のテープ作品。私がFMでこれを聴いたのはもう、随分昔のことになる。当時、カセット・テープにエア・チェックして、結構面白がって繰り返し聴いたものである。坪能の作品は他にも、紙をモチーフにしたもの等いろいろあったはずだが、ネット通販サイトを眺めてみる限りでは、CD発売はされていない様子である。ちょっと寂しいが、まあ、CDを出してもこういうのは売れないかも知れない。

そういう訳で今回、武満徹の作品を基本ネタにして記事を書いてはみたのだが、正直に打ち明けると、私は決して武満作品のファンではなく、むしろ苦手に感じている方である。氏の作品は基本的に、音楽理論や楽典がわかる人、その専門家筋の人たちこそが理解できる種類のものなんじゃないかという気がする。<カトレーン>や、<鳥は星形の庭に下りる>あたりを聴いて、数字の4や5がそれぞれの曲の根底を成している要素だなんて言われても、それがわかるアマチュア・ファンなど現実に何人いるのだろう。例を挙げ始めたらきりがないが、この人の歌曲や映画音楽にも、私はあまり魅力を感じない。私ら“理論のわからん素人”はやはり、聴いて楽しいとか、感動するとか、そういった部分が価値基準になっていると思うし、それでいいんじゃないかと思う。「音楽理論的には、素晴らしい完成度を持つ作品なんだぞ」とか言われても、聴いて感じるものがなかったらやっぱりしょうがないのである。

数多くある武満作品の中で、私が割と好んでいる方だと言えそうなのは、琵琶と尺八が活躍する<ノヴェンバー・ステップス>と<エクリプス>の2曲ぐらいかも知れない。と言っても、それらの曲がよく理解できるからではなく、単に二つの和楽器が良い味を出しているから、という程度の理由である。あともう一つ付け加えるなら、<地平線のドーリア>ぐらい。それだって、ドーリア旋法がどういうもので、どういう点でこの作品は優れているとか、そんな事は何も分かってはいないのである。ただ、「あのトォーン・・と来る不思議な響きが好き」という程度のものなのだ。

(次回予告)

さて、現在活躍している作曲家たちの中で、上述の坪能氏が行なっていたような試みをさらに進めて、具体的な水の音(及び、その他の具体的な自然物の音)を楽音として作品に積極的に取り入れているのが、現代中国の作曲家タン・ドゥンである。と言っても、この人の作品で私が聴いたことのあるものは、僅か3作に過ぎない。即ち、<ゴースト・オペラ>、<マルコ・ポーロ>、そして<TEA~茶経異聞>である。いつか機会があったら、<新・マタイ受難曲>あたりも聴いてみたいとは思うのだが、現段階では上記の3作のみ。

―ということで次回は、「水音の系譜・2」として、3つのタン・ドゥン作品にちょっと触れてみたいと思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする