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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

ピエール・ブレーズの訃報

2016年01月30日 | 演奏(家)を語る
2016年1月30日(土)。今月はまた忙しくて、音楽CD等をゆっくり聴く時間がほとんど取れなかった。今回の記事も、何とかその忙しさの合間を見ての作成である。

さて、クラシック分野に於ける今月のニュースと言えば、大御所ピエール・ブレーズがついに世を去ったというのがやはり、大きな出来事だったと思う。指揮者としてのブレーズ氏については、当ブログが立ち上げられた初期の頃、2005年の7月に語っていた。もう10年以上も前だ。先日、改めて当時の古い記事を読みなおしたのだが、まあ結構辛口な事を書いていたなあと、自分ながらちょっと冷や汗が出る。今ならもうちょっと優しめというか、言い回しをソフトな物に替えているところかもしれない。―とは言っても、当時書いていたことと現在の考え方の間に、それほど大きな差があるわけではない。「指揮者としてのブレーズの業績はCBSソニー時代の録音がやはりエヴァーグリーン的な価値を持つもので、年齢を重ねた後のグラモフォン録音にはあまり魅力が感じられない」。この基本線はやはり、今も変わらないのである。

そうは言いつつも、ブレーズ氏はつくづく存在感の大きな人だったなあと思う。最初はモーツァルトやベートーヴェン、あるいはショパンやチャイコフスキーなどでクラシック音楽を聴き始めた人の中から、やがて鑑賞が進んで、もっと難解と言われる作品にも食指を伸ばしてみようと考える人が出てきて、シェーンベルクだのウェーベルンだの、果てはヴァレーズだのベリオだのを聴いてみようと思い立った場合、それらの曲を誰の演奏で聴いたらいいのか。その問題にいつも簡潔明瞭な回答を与えてくれたのが他でもない、このブレーズ氏だった。つまり、「近代・現代の曲を聴くなら、ブレーズの録音を選んでおけばまず間違いない」という不動の安定感(あるいは安心感)をもって、氏は常に一流の演奏を提供してくれていたからだ。

そんなブレーズ氏の豊富なレパートリーの中から今回敢えてベスト1を選び出すとしたら、当ブログ主の場合、それはバルトークの作品集ということになるだろうか。<管弦楽のための協奏曲><弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽>といった有名作ならブレーズ盤に負けず劣らずの名演・名盤が他にもあるが、それら2曲よりも少しポピュラリティの下がる傑作群に於いては、今でもブレーズのCBSソニー録音が筆頭の名演であり続けている。

ブレーズの録音といえば、LP時代からクラシック音楽に親しんできた年配のクラシック・ファンにとっては、ストラヴィンスキーの作品、特にクリーヴランド管との<春の祭典>が忘れ難いものであるかもしれない。しかしこれ、どうだろう。このタイプの演奏スタイルなら、今はもっと完璧で、なお且つホットな迫力も兼ね備えた名演が出ているのではないか。たとえば、ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルのEXTON盤。このCDを聴いた時当ブログ主は、「ああ、これもう<春の祭典>の到達点だわ。オーケストラ演奏の、一つの究極。少なくとも技術的には、もうこれ以上の演奏はあり得ないだろ」と思った。

(ちょっと古い話になるが、ドラティ&デトロイト響の<春の祭典>が発売された時、宣伝文句に「<春の祭典>論争はこれで打ち止め!」なんて書いてあって、要するに「演奏・録音ともにこの曲の決定盤が出ましたよ」ってアピールだったわけだが、どう見ても、ドラティ盤ではとことんストレートに走り切ったドラティ節が披露されているだけのことで、ズヴェーデン盤で聴かれる完璧さとは勝負にならない。)

ともあれ、ブレーズ的なアプローチは当時(1960年代後半~1970年代)としては驚異的に斬新でシャープなものではあったのだが、時代の進歩とともに、より上を行く物が出てきた結果、往年の威光はさすがに薄れてしまったと言ってもいいような気がする。(※ついでの話だが、当ブログ主の好みという点では、完璧無類のズヴェーデン盤よりも若い頃のメータ&LAPOやバーンスタイン&NYP、あるいは怪人エドゥアルド・マータ&LSOといった、いささか癖のある個性的な名演の方にもっと魅かれる。)

―というところで、ちょっと取りとめのない話になってきたので、今回はこれにて・・・。
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FMで聴いたルネ・レイボヴィッツの演奏

2015年12月31日 | 演奏(家)を語る
去る12月20日(日)、おなじみのFM番組『名演奏ライブラリー』でルネ・レイボヴィッツの指揮による演奏をいくつか聴いた。実はこの指揮者、当ブログ主は名前ばかり知っていて、何とこれまで1度もその演奏を聴いたことがなかったのだった。―ということで、これは今年(2015年)1年間のうちで最も大きな収穫の1つと相成った。

まず、ドビュッシーの2作品。管弦楽版<小舟で>と、有名な<牧神の午後への前奏曲>。どちらもゆったりと落ち着いた構えの好演で、それぞれの曲の雰囲気が良く出ている。洋泉社ムック『名指揮者120人のコレを聴け!』の119ページで某評論家先生が、「この人、本当に指揮者なの?」みたいな、あまり芳(かんば)しい意味には取れない言葉を書いていたけれども、実際に聴いてみると、「そんな風に言うほど、悪くないだろ」という感想が持てた。この2作品だけを聴いた段階での第一印象は、「この人、マニュエル・ロザンタールみたいなタイプだったのかな」。しかし、実際はそんな単純なものではないことが次第にわかってくる。

3つ目に流れたリストの<メフィスト・ワルツ>も良かった。次々と現れる多彩な曲想に合わせ、適格なテンポ設定と表情付けを行なっていて、非常に説得力がある。続くラヴェルの<ラ・ヴァルス>も、なかなか。低弦部の強調がユニーク。全体に、各楽器の動きが良く見えてくる心地よい演奏である。クリュイタンスなどが聴かせた柔らかい音に比べて、全体にエッジの効いたサウンドになっているところが、この指揮者の個性の1つになるのだろうか。そして、ラストに向けてのパワフルな盛り上がり。これは限りなく“爆演”に近いモード。

5つ目の作品は、イベールの交響組曲<寄港地>。最初の「ローマ~パレルモ」の前奏部を聴いて、「おっ、これはゆったり系の名演になるのかな」と思いきや、主部に入ると突然スピード・アップ。あら、びっくり!前面に押し出される木管が、非常に巧い。これは好印象。締めくくりにまた冒頭部のテーマが戻ってくると、再びゆったりしたテンポ。トロピカルなムードを濃密に表現する。う~ん、なるほど、そういう設計か。続く「チュニス~ネフタ」も上記<ラ・ヴァルス>同様、低弦部がかなり強調されている。そして打楽器が刻むリズム、これまたすこぶる鮮明。ここで当ブログ主、「あれっ」と思った。「以前から薄々感じてはいたんだけれども、この曲のリズムって、伊福部先生が昔映画音楽に使っていたやつに結構似ているよな」と。具体的な映画の題名を言うと、『緯度0大作戦』(1969年・東宝)。これ、映画自体はしょうもない駄作。「主演したアメリカの有名俳優に払った高額なギャラにより、予算がひどく圧迫されたためではないか」という憶測が当時からなされていたようなのだが、作品のトホホさ加減はさておき、伊福部先生の手による主題曲では熱帯ムードが濃厚に漂う魅力的な名旋律を聴くことができる。そこで一貫して流れる“ドン、タタタタン、ドンタン、ドンタンタンタンドンタン、ドン、タタタタン・・・”というリズム。イベールの曲とよく似ている。今回レイボヴィッツの演奏を聴いて、その事を改めて感じた。そして、終曲「バレンシア」。これはおそらく、最も標準的な名演と言えそうな物。ここでもまた各楽器の呼び交わしがよくわかる。このあたりの譜読みは、作曲家でもあったレイボヴッツ氏の面目躍如というところだろうか。いつものように(?)バスドラムをしっかり強調しつつ、エンディングに向けてぐんぐんスピード・アップ、そしてパワー・アップ。実に聴き応えのある演奏に仕上がっている。

―で、この日の放送で最後に流れたのは、ベートーヴェンの<交響曲第9番>。やはりというか、当然ながらというか、これが一番の聴き物となった。まず、第1楽章。あのミュンシュ、ボストン響を想起させるようなスピード感に満ちた演奏が始まる。コーダ直前さえもすっきりした快速インテンポで流すため、そこに神秘感みたいなものが漂うことはないけれども、全体にスリリングな高揚感を持つ快演となっている。第2楽章では、ホルンに付けられた濃密な表情が面白い。ここでもテンポは相変わらずびゅんびゅんと速く、特に木管パートの人たちは大変だったろうなあと、ちょっと同情してしまう。ただ、<第9>全体の中では、第2楽章は最も快速テンポが似合う楽章とも言えそうなので、聴く方としては十分に楽しめる展開ではある。続く第3楽章も速いが、やはりレイボヴィッツらしいというか、ここでも各楽器の動きや連携がわかりやすく浮かび上がっていて、思いがけない発見に出会ったりする。前回語ったケンペの演奏みたいな退屈さは、ここにはない。

そして最後、第4楽章。冒頭部分(の特にチェロ)がとんでもないほど超スピードなのは、「ベートーヴェン自身が書き遺したメトロノームのテンポ設定を忠実に守った結果」と言えるもので、当レイボヴィッツ氏のほかに、あのドンパチキューピー指揮者(笑)ヘルマン・シェルヘンもやっている。当ブログ主はそのシェルヘン盤を随分前に聴いていたので、特に今回驚きはしなかった。むしろ、「同じ超スピードの出だしでも、あのシェルヘン盤よりはずっとまともな感じに聞こえるわ」と思った。声楽パートについて言えば、ソプラノ独唱がインゲ・ボルクというところに実は内心期待していた。が、果たせるかな、ここでのボルクは意外なほど実直に歌っている。「やっぱりね、ソプラノがボルク姐さんだったら、アルトは絶対ジーン・マデイラを呼ばなきゃ駄目でしょ。この2人で男2人の歌手なんか無視して、“エレクトラ対クリテムネストラ”の死闘を繰り広げてくれなきゃ。そしたら、思いっきり笑えるのに」と、しょうもない不満を抱きつつ、でも何だかんだ言って、結構な名演を楽しませてもらった。全曲の終了間際、4人の独唱者によるアンサンブルのところでは指揮者の腕前なのか、4人それぞれの声と歌唱が全くごちゃつくことなく分離良く聞こえて、非常に心地良かった。そして、コーダ。うちのミニコンポの音の癖なのか、いつになくピッコロ等の高音パートが強く聞こえ、合唱団の熱演ともども圧倒的な締めくくりを堪能させてもらった。こうなるともう<第9番>だけでなく、レイボヴィッツのベートーヴェンについては全9曲をいつか揃えて聴いてみたいと強く思った。

―今回は、これにて。読者諸氏に於かれましては、良きお年をお迎えくださいますよう。
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ケンペ、MPOのベートーヴェン/交響曲全集(EMI)

2015年11月29日 | 演奏(家)を語る
前回の11周年記念投稿の前、前々回の記事で、ケンプのピアノ独奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(G)についてちょっと触れていた。そのケンプという名前からの連想で、今回は、ケンペのベートーヴェン録音(EMI)を題材にしてみようかと思う。主に1970年代、日本にもファンの多かったドイツの名指揮者ルドルフ・ケンペ(1910~1976)である。彼がミュンヘン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集(※<戦争交響曲>という駄作を除いた第1番~第9番)はどういうわけか、LP時代からずっと当ブログ主には疎遠な物で、今年(2015年)になってようやく、その全9曲を揃えて聴き通すことができたのだった。以下、各曲の演奏に対する率直な感想文を書いてみることにしたい。

評価A・・・推奨に値する名演。5点満点で採点すれば、4~5点に相当するもの。
評価B・・・可もなく不可もなくという感じの、普通の演奏。5点満点なら、3点台。
評価C・・・物足りない演奏。5点満点なら、2点台。

<第1番>=C 全体に平凡な演奏。終楽章が多少ホットかな、という程度。

<第2番>=A 当ブログ主の感想としては、この<第2番>の演奏がベスト。まず、第1楽章。音楽に生き生きとした推進力があり、聴いていてわくわくさせられる。続く第2楽章を落ち着いたテンポでゆったり歌わせ、第3楽章をきびきびと進めた後、第4楽章(特に後半)に入ると演奏がさらに熱を帯びてきて、全曲を力強く締めくくる。これは非常に聴き応えがある。

<第3番>=B 良くも悪くも、中庸を得た演奏。これといって凄いところもないし、かといって大きな瑕疵(かし)もない。評価Cでもいいかと思いつつ、終楽章がそれなりに盛り上がっていくので、甘めの採点でB。ベートーヴェンの英雄交響曲には、これ以上の名演奏が他にいくらでもある。

<第4番>=B ゆったりした序奏で始まった後、全編落ち着いた感じで曲が進む。これも中庸を得た自然な演奏だが、特にこれといった感銘を受けることもない。C・クライバーのスリリングな快速名演になじんでいる人などにはおそらく、かったるくてしょうがない演奏に感じられることだろう。

<第5番>=A 落ち着いたテンポで、豊かな音が広がる心地よい名演。特に、両端楽章で聴かれる力感溢れる表現が印象的。第1楽章コーダ付近での、ティンパニの強調も面白い。普通レベルのBよりは少し上、という意味で評価A。あと、有名な第1楽章冒頭の「運命の動機」で、フェルマータが非常に長く伸ばされるところ、ここは往年の大家ブルーノ・ワルターをふと思い起こさせる。

<第6番>=B ケンペの指揮による全9曲の演奏の中で、この<田園>が一番真ん中に来そうな出来栄えかな、という感じ。なので、評価はど真ん中のB。各楽章それぞれの性格を自然に、且つ適確に表現している。第4楽章の「嵐」の場面も十分パワフルで、楽しめる。当ブログ主の感性からすれば、終楽章をもっとゆったりしたテンポでスケール豊かに歌わせてくれていたら、さらに良い仕上がりになったのではないかと思える。

<第7番>=A 堂々と構えた悠然たるテンポで始まる。その点では上記の<第4番>と相通ずるものがあるけれども、その後に続く演奏の充実ぶりはそれとは比較にならないほど、こちら<第7番>の方が凄い。<第2番>と並ぶ(あるいは、それ以上の)、パワーみなぎる名演が展開される。評価は<第5番>の時のような消極的なAではなく、「大変な熱演を、ありがとう」という気持ちで、文句なしのA。第2楽章をあまり深刻ぶらずにすっきり流すのも、何となくケンペらしい。

<第8番>=B 全体にすっきりした快速感のある、小気味よい演奏。表現自体も自然な感じで、これまた中庸の美。で、この<第8番>に限らず、どの曲も共通して終楽章に力が入っているように感じられるのは、ケンペのベートーヴェン演奏の一つの特徴と言えるだろうか。

<第9番>=C(※第4楽章の後半のみ、A) 第1楽章から第3楽章まで、聴いていてやたら不満感が募っていく。これには困った。すっきり、あるいはあっさりした趣で流れる第1楽章に、重厚さや神秘感みたいなものは殆ど感じられない。時折息を吸い込むかのように音が小さくなる箇所が出てくるが、これも意味不明。次の第2楽章では、ケンペ独特のすっきりした演奏スタイルが場を得て、それなりに好印象が得られる。が、続く第3楽章は、中身が薄く感じられるような物足りなさと退屈感に襲われ、何ともしんどい時間を過ごすことになる。最後の第4楽章の出だしも軽量級の演奏で、「あ~あ、この第9はダメだな」・・・と思ったところへ声楽パート、特に合唱団が加わってくると、いきなり世界が変わる。ひょっとして指揮者が交代したの?と嫌味な一言でも言ってやりたくなるぐらい、音楽が変わる。大変な熱演に変わる。「終わり良ければ、すべて良し」というシェイクスピア以来の古い言い回しを、まるで地で行くような演奏。というわけで、全体的な評価はCだが、声楽が加わるところから終曲に至るまでの部分のみ評価A。

―以上をまとめてみると、当ブログ主の独断と偏見によれば、ケンペ&ミュンヘン・フィルのベートーヴェンは<第2番>と<第7番>が他よりも抜きん出ており、<第5番>がそれに次ぐといった感じになる。「全集までは買えないが、どれか1、2曲ぐらいはケンペのベートーヴェンも聴いておきたい」という方は、今回の記事をちょっと参考にしていただけたらと思う。ただし、当記事はあくまで一人のマニアの個人的な意見を書いた物なので、これから聴く人誰もが同じ感想を持つとは限らない。そのあたりはあらかじめ、お含みおきいただきたいと思う。なお、このEMIの全集録音は全体に音圧が低めなようで、他のCDを聴くときよりもアンプのボリュームを大きめにする必要がある。その点も、御留意の程。

―今回は、これにて。(※「ケンペが録音に遺した最高の名演は何と言っても、スメタナの歌劇<売られた花嫁>全曲。これが、一番」というのが当ブログ主の持論だが、この名盤については過去にもう触れているので、次回のトピックにはしようがない。さて、どうしよう・・・。)

【2019年3月21日 追記】

この記事を投稿してから、約4年半。ケンペ&ミュンヘン・フィルのベートーヴェンも、YouTubeで聴けるようになってきているようだ。ここではとりあえず、<第7番>の終楽章を貼っておくことにしたい。聴いてみて「ああ、なるほどね」と思われるか、「他の番号の方に、もっと良いのがある」とお感じになられるか、そのあたりは、お聴きになった方それぞれのご判断に委ねたいと思う。CDと同様、こちらの動画も大きめの再生ボリュームがお勧め。


●ケンペ、MPOのベートーヴェン <交響曲第7番> ~第4楽章

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部屋の片づけをしながらFMで聴いたゲザ・アンダのピアノ

2015年09月29日 | 演奏(家)を語る
2015年9月29日(火)。前回の更新からもう、1ヵ月が経った。早い・・・。毎日が忙しいから、何だかあっという間である。

おととい27日の日曜日、おなじみのFM番組『名演奏ライブラリー』を聴いた。ハンガリー出身のピアニスト、ゲザ・アンダの特集。と言っても、端座して傾聴していたわけではなく、自室(特に、押し入れ内にしまい込んであった物)の片づけ作業をしながらの“聴き流し”モード。今回の感想文もそれゆえ、あまり大したことが書けない。w

1曲目のリスト<ピアノ・ソナタ>はまあ、可もなく不可もなくといった印象で、普通に聴き流し。取りかかり始めた片づけ作業の方にむしろ、その時は気持ちが集中していた。そう言えば、「リストのピアノ・ソナタなど、もし何か標題がついていたら、今よりずっと人気のある曲になっていたのではないだろうか」という趣旨の文章を昔、何だったかのクラシック系雑誌で見たことがある。その指摘、実際そうかもしれない。特に日本人の場合、いわゆる絶対音楽よりも、何か物語的なものを想起させてくれる標題音楽の方を好む傾向があるから。ちなみにこの曲、かつてあのホロヴィッツが得意としていて、当ブログ主は後年のRCA録音しか聴いていないのだが、えらく迫力のある演奏だったと記憶している。それともう1つ思い出されるのは、ホロヴィッツ的な豪演とはある意味対極にあるような、アルフレード・ブレンデルによる内省的な演奏。同じ曲でも、これだけの表現差が成り立つのだから、この曲もそれなりに奥行きのある作品なのだろうなと思う。

2曲目は同郷のF・フリッチャイと共演したバルトークの<ピアノ協奏曲第2番>。これはLP時代からよく知られた有名な演奏。バルトークのピアノ協奏曲は、CD時代になって全3作が1枚のディスクに収まるようになり、コレクションするのがうんと楽になった。当アンダ盤も昔持っていて、その後中古売却。今回久しぶりに聴いて、「う~ん、やっぱり良いなあ」と思った。この曲については、実はほんの何日か前、ポリーニ&アバド、シカゴ響の演奏を何十年ぶりかで聴いたばかりなのだが、それがあまりにも酷いものだったため、今回アンダ&フリッチャイの名演を聴けたのは良い口直し(or耳直し?)になったのだった。LP発売時、ポリーニ&アバドのバルトークは非常な高評価を得ていて、その頃まだまだ鑑賞歴が浅かった当ブログ主は、「そうだなあ、こういうのを完璧な演奏っていうんだろうなあ」などと、評論家諸氏の絶賛ぶりにすっかり洗脳(?)され、こんなプラスチックの破片をなめさせられるような天下の悪演を漠然と崇拝していたものだった。ところでこれ、当時『レコ芸』協奏曲部門の担当だった宇野センセーがレコード・アカデミー賞選考会議の時に首を縦に振らず、受賞が見送られた経緯がある。(その年のアカデミー賞・協奏曲部門は確か、スターン&ロストロポーヴィチのチャイコフスキー<ヴァイオリン協奏曲>が取ったんじゃなかったかな。)

(※バルトークのピアノ協奏曲については、同じ『名演奏ライブラリー』で今年3月15日に放送されたジェルジ・シャーンドルとアダム・フィッシャーの共演による素晴らしい演奏が今も強く心に残る。が、この至高の名演CDは現在、入手困難な模様。残念なことである。)

ドリーブの原曲によるワルツの独奏曲を挟んで、この日最後に紹介されたのは、上記バルトークと同じフリッチャイの伴奏指揮によるブラームスの<ピアノ協奏曲第2番>。オケはベルリン・フィルで、1960年の録音らしい。これは今回初めて聴いたが、なかなかの名演だと思った。で、正直なところを書くと、この曲の演奏について今一番印象に残っているのは、アンダのピアノよりもむしろ、伴奏を務めているオーケストラの響き。何を思ったかというと、「このベルリン・フィルの響きには何となく“カラヤン色”とでも言えるような、洗練味みたいなものが感じられるなあ。1960年という時期からして、さもありなむ・・」ということだ。

このあたりについての最も好適な比較資料は多分、ウィルヘルム・ケンプのピアノ独奏による新旧2種の「ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集」(いずれもグラモフォンのセッション録音)になるんじゃないかと思う。旧録音は1953年のモノラルで、指揮はパウル・ファン・ケンペン。新しい方は、フェルディナンド・ライトナーの指揮による1961年のステレオ録音。で、この両者を聴いて感じられる大きな違いの一つが、それぞれで演奏しているベルリン・フィルの響きなのである。勿論、指揮者であるケンペンとライトナーの個性の差もあるのだけれど、オーケストラ自体のサウンドがまた随分違うのだ。ケンペン盤のはズバリ、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィル。仄暗く重厚で、どこか蒼古とした色合いを持つ響き。一方のライトナー盤では、それがもっとモダンな感じの滑らかさを持った響きに変わってきており、カラヤン美学への歩み出しが始まった新しいベルリン・フィルの姿みたいなものが窺われるのである。

(※なお両者の演奏内容についてだが、当ブログ主の好みとしては、旧録音の方を上位に置きたい気持ちが強い。というのは、圧倒的なパワーを漲らせて、「おおっ、これならバックハウスとタメはれるぜ」と思わせるケンプの豪然たる独奏が聴けるのは旧盤の方だし、本家ドイツの指揮者も顔負けの重厚極まりないドイツ音楽をやったオランダ人指揮者ケンペンの棒にも、抗いがたい魅力があるからだ。)

―今回は、これにて。
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寒い8月の終りに聴く福島章恭のブルックナー

2015年08月30日 | 演奏(家)を語る
2015年8月30日(日)。今月前半までの猛暑に比べて、今の東京の天気は一体どうなっているのだろう。曇りや雨の日ばかりが延々と続いて、まるで梅雨時のようだ。この週末もやはり、曇りから雨。戸外でやる予定だった事は(必要な買い物以外)すべて中止せざるを得なくなり、何ともヒッキーな土日となった。

そんな状況で今日昼前の時間は、福島章恭氏の指揮によるブルックナーの<交響曲第8番>ライヴを「ようつべ」で視聴することにした。(平日は忙しくて、こういう長い曲にゆっくり付き合っている余裕がない。)で、この動画、どうやら福島氏御本人がアップしておられる物らしい。おそらく、「なるべくたくさんの人に見てもらいたい、聴いてもらいたい」という演奏家としての思いが反映されてのことと拝察する。

思いっきりゆっくりしたテンポ設定で、一音、一音に思いのたけを込め切った、実に重厚なブルックナーである。昔宇野功芳氏が指揮するオーケストラ演奏会に足しげく通っていた頃、今回の動画と同じブルックナーの<第8番>が一度採り上げられたことがあった。「宇野センセーならやはり、クナッパーツブッシュみたいな“ゆったり型”の演奏をするのかな」などと期待していたら、思いのほかさらりとしたスタイルだったので、当時は何となく肩すかしをくったような気分になったものである。あれから相応の年月を経て、宇野道場の師範代(?)みたいな福島氏が、「宇野師匠が仮にその気になっても、そこまではやらんでしょう」というレベルの、どっし~んと重たいブルックナーを披露することになったわけである。

この動画を拝見した上で当ブログ主に言えることは、「ブルックナーの第8についてやりたいことをほぼやり切って、福島氏はさだめし深い充足感を得たことだろうな」ということ。それ以上の(褒貶取り交ぜた)細かい演奏評は控えさせていただき、動画の視聴中にふと思いついたことを一点だけ、ここに書いておくことにしたい。それは、「今回みたいな演奏スタイルで是非、いつか伊福部作品の演奏を聴かせてください」という希望(あるいは、リクエスト)である。これだけのスローテンポで粘りに粘り、全編に亘って高いテンションを保ちながら、なお且つ盛り上げる箇所では一層音量をアップさせることができる福島氏の指揮をもってすれば、土俗のパワーに横溢する伊福部ワールド、あの独特の音楽世界を十全に表現しきれるのではないかと私は思ったのである。勿論、かつての芥川也寸志氏や石井眞木氏のように、伊福部音楽への熱い共感がなければ話にならないのだが、福島氏はどうだろうか。可能性としては、「共感はありますけど、限られた時間の中で、他にもっとやりたい曲がいっぱいありますから」という感じでやんわり拒否されてしまいそう。w

でも、<SF交響ファンタジー>全3曲とか、映画『大魔神』の音楽とか、できたらやってみてほしいなあ。特に、前者。<第1番>だけなら小松一彦指揮東京交響楽団の1989年4月8日ライヴ(交響じゅげ<釈迦>の初演時に行なわれた演奏)という極めつけの名演があるのだけれど、<第2番><第3番>にはまだそういう決定的なのが出ていないから・・・。

―ということで、今回はこれにて。
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