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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

FMで聴いたハンス・ホッターの名唱~<冬の旅>

2016年08月07日 | 演奏(家)を語る
前回からの続きで、今回はハンス・ホッターが録音に遺した<冬の旅>についての感想文。

1.ジェラルド・ムーアのピアノ伴奏による1954年のモノラル盤(EMI)

前回触れたカイルベルトの指揮による<ワルキューレ>豪演ライヴの1年前、ウォルター・レッグのプロデュースによってスタジオ録音された<冬の旅>。ここでのホッターは、当時のバイロイトで見せたような雄大な姿は示さず、まるで別人のように抑制の効いた歌唱をもって、シューベルト晩年の名作に取り組んでいる。ただ、その試みが成功しているかといえば、ちょっと微妙な感じがする。抑えた表現によって結果的に、音楽が劇的な起伏を失い、何か平面的な演奏になってしまっているという印象の方が強いのである。録音がモノラルであることも、その問題点を助長しているようだ。第11曲「春の夢」などは、そういったアプローチが巧く当てはまった好ましい方の例になろうかとは思うが、全体としては、聴き手を感動に導くほどの歌唱にはどうやら至っていない。―とは言いつつも、終曲に向かってだんだんと良い雰囲気に仕上がってくるあたりは、さすがといえるだろうか。

参考までに、ホッターはこのムーア共演盤よりも10年以上前、1942~43年にミヒャエル・ラウハイゼンという人のピアノ伴奏で<冬の旅>を録音している。が、そのうちの何曲かを昔FM放送で聴いた時の印象から言えば、「さすがのホッター氏も、この頃はまだまだ青二才で、声も歌唱も未熟だったんだな」という感想しか持てず、これはよほど熱心なホッター・ファン(あるいはコレクター)以外にはほとんど無用の音源と言ってしまっていいような気がする。

(※ムーアとの1954年EMI録音といえば、この<冬の旅>のすぐあとに録音された<白鳥の歌>の方を、当ブログ主はLP時代から高く買っている。特に、後半部分のハイネ歌曲集。これらの曲こそまさにホッター向きと言えるもので、どれも暗くて、深くて、劇的な作品ばかり。とりわけ、第13曲「ドッペルゲンガー(分身・影法師)」はある意味シューベルト歌曲の最高峰とも言えそうな傑作だが、ホッターの凄絶な歌唱を聴くと、あのドイツ・リートの王者フィッシャー=ディースカウの名唱でさえ、“迫力に欠けるきれいごと”に感じられてしまうほどなのだ。)

2.エリック・ウェルバのピアノ伴奏による1961年のステレオ盤(グラモフォン)

1961年頃だと、ホッターは≪指環≫のヴォータンのような長丁場の出演を強いられる重い役から離れ、<パルシファル>のグルネマンツみたいな「重要な脇役」を受け持つようになっていた。声と内面性のバランスという点で、それが、<冬の旅>をスタジオで録音するのにちょうど良い状況を生み出していたのかもしれない。第1曲の歌いだしは上記1954年盤と似たような雰囲気で、ややゆっくり目のテンポと控えめな表情をもって開始される。が、曲が進むにつれて、いかにも本来のホッターらしい歌唱が聴かれるようになる。力強い声と、堂々たるスケール。そして時に崇高ささえ感じさせる、独特の気品。そこにウェルバ教授のしっかりした伴奏と録音状態の良さも加わり、ホッターの<冬の旅>としておそらくベスト1と言ってよい名盤に仕上がっている。

当日の番組の解説によると、ホッターは生涯のキャリアの中で合計127回<冬の旅>を歌っているらしいのだが、そのうちの39回が日本で行なわれたものになるとのことだった。大歌手がヨーロッパを中心に世界各地で公演を行なっていた事を考えると、127回のうちの39回が日本というのは、かなりの高率である。「日本の聴衆の前で歌っていると、外国人を前にしているような感じがしない。故国ドイツの聴衆を前にしているような気持ちになる」とホッター自身が語っていたそうだが、歌い手側も、聴き手側も、何かお互いに感じあう物(あるいは、魅かれあう物)があったのだろう。

そう言えば、ゲルハルト・ヒュッシュの<冬の旅>(1933年録音)を愛聴していた日本のクラシック・ファンも昔、それなりの数が存在していたという話も聞く。この歴史的なバリトン歌手の太古録音は当ブログ主もLPレコードの時代に聴いたことがあって、その時代がかった歌唱、武骨で古武士然とした独特のスタイルにちょっとしたショックを受けたものだった。ホッターも基本的にはそんなヒュッシュの衣鉢を継ぐかのような力強い歌唱を示した人だったが、先輩歌手のごつごつした歌い方よりはずっと柔らかく、歌詞を丹念に読みこんだ丁寧さがあって、一層洗練された仕上がりを示していた。そのあたりが、当時の日本の(特にシニア世代の)クラシック・ファンに親しまれた理由の一つだったのかもしれない。

その後、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウという奇跡の才能が出現し、ドイツ・リートの表現世界に革命的な変化(あるいは進化)をもたらす。この天才歌手の登場と活躍によって、「バリトン歌手なるものは(特にドイツ・リートに於いては)、すべからく知的であらねばならない」みたいなイメージさえできてしまったのである。そういう時代になってホッターも、“古い世代に属する歌手”の仲間入りをすることとなった。

3.ハンス・ドコウピルのピアノ伴奏による1969年4月2日の東京文化会館ライヴ・ステレオ盤(ソニー)

先日のFM番組で流れたのは、この音源からの第1曲~第5曲。基本的な歌唱スタイルは上記のグラモフォン盤とほぼ同じような感じだが、ここでは声の衰えがはっきりしている。その弱みを巧くコントロールしながら、名歌手が実直に、そして(声が出せる範囲で)力強く歌い上げたライヴの記録である。ホッター自身も、この日の公演はレコード録音されるということで、いつにも増して、各曲に細かく気を使って取り組んだという。

当時からこの録音を最大級に絶賛していたのは、故畑中良輔氏だった。「往年の大歌手ホッターも、もう60歳。さすがに今この人の歌を聴いたら、おそらくつらい思いをするだろう」という理由で、氏はホッターの東京公演に足を運ばなかったそうなのだが、後になって当日のライヴ録音を聴いて衝撃を受け、「自分勝手な思い込みや決めつけで、こんな素晴らしい物を聴き逃したことを激しく悔やんだ」と著書の中で書いておられた。(※ちなみにこの録音、LPが発売された年にレコード・アカデミー賞を受賞している。)

その一方、故黒田恭一氏による次のような指摘にも普遍的な説得力があることを、この機会に付け加えておかねばならない。実際の話、今回FM放送をきっかけにホッターの<冬の旅>をテーマにして語ってはいるが、当ブログ主が最も深い感銘を受けた<冬の旅>の歌唱は断然、若きF=ディースカウの1955年EMIモノラル盤(※当ブログの立ち上げ初期に、独立した記事として書いていた音源)であり、ホッターのそれではないのである。

{ 世評高いホッターの<冬の旅>を知らぬわけではないが、ホッターによって歌われると、<冬の旅>を旅する人が過度に年老いたように感じられて、どうしても馴染めない。<冬の旅>もまた「青春」の歌だと思うからである。 Cf.『新編 名曲名盤500』 音楽之友社(1988年)~282ページ }

当然のことながら、この東京ライヴでは上記のグラモフォン盤以上に、登場する旅人のイメージが高齢化している。なので、黒田氏の意見に共感する聴き手は、当盤ではさらに馴染みにくい要素を感じてしまうことになりそうだ。ここに出てくる旅人は、失恋の痛手から冬の荒野をさまよい歩く敗北者の青年ではない。肉体こそ衰え、歩くのに杖を必要としながらも、その姿からは未だに往年の威光が残照のように見え隠れしている、そんな老熟のさすらい人だ。そしておそらく、この旅人は隻眼(せきがん)である。

(※せっかくなので、ついでの話を1つ。今回取り上げた物以外で、ハンス・ホッターが歌った<冬の旅>全曲となると、もう随分昔になるが、1982年に確か「ホーエネムスのシューベルティアーデ」だったかに出演した時の記録というのもある。その時のホッターは何と、73歳。「よくぞその御歳で、<冬の旅>全曲ライヴをなさいましたねえ」と、当時FM放送を聴きながら思ったものだったが、上記3の東京公演よりもさらに、さらに年齢を重ねた上でのステージだったにもかかわらず、大きな破綻もなく、しっかりと全曲を歌い切ったのはさすがだった。何曲目のところだったか、曲の合間に一度大きな咳払いをしたのが、今でも妙に記憶に残っている。あのラジオ放送からもう、34年が経った。「どの曲をどんなふうに歌っていましたか」とか「過去の録音と比べて、解釈に変化の見られた曲はありましたか」とか、いろいろ突っ込んだ事を訊かれても、今はほとんど思いだせない。w それよりも、これを聴いたのがもう34年も前であるということに、当ブログ主は愕然とする。・・・自分も年を取ったなあと。)

―ということで、FMで聴いたホッターの歌唱を巡る2つのお話は、これにて終了。
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FMで聴いたハンス・ホッターの名唱~<ワルキューレ>

2016年07月31日 | 演奏(家)を語る
先週の日曜日(2016年7月24日)、おなじみのFM番組『名演奏ライブラリー』で、往年の名バス・バリトン歌手ハンス・ホッターの歌唱を聴いた。番組ではオペラ、楽劇からドイツ・リートまで、大歌手が遺した貴重な録音をいろいろと紹介していたが、何と言っても、1955年に奇跡のステレオ録音が行なわれたバイロイトでのライヴ<ワルキューレ>~第3幕第3場!これがブリュンヒルデ役のアストリッド・ヴァルナイともども、圧巻の一語だった。何という雄大な声、何という気迫とスケール。そして、その崇高な佇まい。小粒でちまちました今どきの歌手たちとは、すべてに於いて次元が違う。カイルベルトの指揮はいつもながらのストレートなもので、曲の進め方もすっきりした速めのものだったが、舞台上の歌手たちの歌に合わせ、柔軟にテンポの伸縮を行なってみせる練達の技も見せていた。この音源はCD発売当時ファンの間で大変な話題となったもので、今回の放送により、当ブログ主も初めてその一部分を拝聴できることとなったのだった。

ホッターが歌う<ワルキューレ>の終曲『ヴォータンの告別』といえば、ジョン・カルショーのプロデュースによるショルティのデッカ盤が昔から有名だが、残念ながら、そこではもう大歌手全盛期の声を聴くことはできない。さりとて、クレメンス・クラウスやハンス・クナッパーツブッシュ等の指揮によるバイロイトのライヴ音源となると、どれも音の貧しさが目立つモノラル録音ばかりで、ミニコンポのサイズならまだしも、フルコンポになるとオーディオ的な面で少なからずつらい思いをさせられることになる。で、結局、レオポルド・ルートヴィヒの指揮、若きビルギット・ニルソンとの共演によるEMIの初期ステレオ盤(1957年)が演奏・録音ともに極上の一品(ひとしな)、ホッター最高のヴォータンということになっていた。それが、このバイロイト公演ステレオ・ライヴ盤の登場ということになって、ファンにとっては大きな宝物が一つ追加されたわけである。当ブログ主もいずれ、この1955年ステレオ盤については、≪指環≫全4作のCDをひと通り揃えてみたいものだと改めて思った。

(※しかしまあ、つくづく思うのだが、現在確認されている範囲でのお話として、クナッパーツブッシュが指揮した1950年代のバイロイト・ライヴがことごとくモノラルで、カイルベルトの≪指環≫と<オランダ人>だけが奇跡的に良質なステレオ録音で遺されたというのは、何とも残念な話である。カイルベルトは決して悪い指揮者ではないが、クナ先生の指揮が生み出す巨大なスケール感や深いうねりなどと比べたら、作る音楽のレベルという点で明らかに遜色がある。1956年、57年、58年のどれか1つでも、クナ先生の≪指環≫全曲がステレオ録音されていたら、どんなに良かったろうと思えて仕方がない。)

この<ワルキューレ>に次いで、当日懐かしく聴きながら改めて印象に残ったのは、シューベルトの歌曲集<冬の旅>からの冒頭5曲。即ち、第1曲「おやすみ」から第5曲「菩提樹」までの部分。番組で使われた音源は、ホッター来日公演時の東京ライヴ(1969年・ソニー盤)だった。

―というところで、続きは次回。今回の続編という流れで、「FMで聴いたハンス・ホッターの名唱~<冬の旅>」という形で話を進めてみることにしたい。

【2019年5月6日 追記その2】

●ホッターとクナッパーツブッシュによる「ヴォータンの告別」(1956年バイロイト・ライヴ)

当ブログ主はこの音源を《指環》全曲のCDセットで持っているが、これをフルコンポのステレオで再生すると、音の貧しさがネックになって楽しめない。しかし、こうやってYouTube動画になった物をデスクトップPC+外付け小型スピーカーで聴くと、迫力満点。思いっきり感動する。そして改めて、「クナ先生の《指環》がどれか1回分でも、ステレオ録音されていたらなあ」と思う。

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冨田勲の訃報

2016年05月30日 | 演奏(家)を語る
先週の金曜日(2016年5月27日)、この5月5日に亡くなった冨田勲氏を追悼する番組がFMで流れた。平日昼間の放送だったので、例によってミニコンポで録音しておき、土日を利用して聴き通す形となった。作曲家の吉松隆氏が案内役を務め、冨田氏が生前行なっていた音楽活動の流れをほぼすべて網羅(あるいは俯瞰)するという、非常に充実した内容を持つ好番組だった。しかし何より、冨田氏自身が語る経験談(製作の裏話や、いろいろな有名人とのエピソード等)がたくさん聞けたのが、今回最大の収穫だった。

たとえば、NHK番組『新日本紀行』のテーマ曲に託された作曲者自身のイメージ。「静かに走る夜汽車のレールの音が、やがて、どこかの村祭りで耳にするようなリズムに聞こえてくる」。あるいは、アニメ『ジャングル大帝』の主題歌を巡る裏話。「歌い始めからいきなり、音が低音から高音へ1オクターブあまり跳躍するため、『こんな難しい歌いだしは、モーツァルトだってオペラで書いてない。これじゃ、ヒットしない』と、手塚さんがダメ出しをしてきた。でも、締め切りぎりぎりまで放っておいて、結局そのままでやらせてもらった」。それと、聴き覚えがあり過ぎて笑ってしまうほどお馴染みのNHK『きょうの料理』のテーマ曲。これはある日突然番組担当者がやって来て、大急ぎで書きあげさせられた“突貫工事”みたいな作品であったというお話。・・・いろいろ面白く聞かせていただいた。

『キャプテンウルトラ』の主題歌も、冨田氏の作だった(そうだったのか・・・知らなかった)。この作品、タイトルに「ウルトラ」とはついているけれども、円谷プロによる『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』等とは別の制作会社によるもので、いわゆる本家の(?)「ウルトラ・シリーズ」とは別物である。『キャプテンウルトラ』は昭和40年代前半、当ブログ主がまだ小学生だった頃の番組で、これは最終回まで見届けた記憶がない。確か途中から何となく飽きてきて、つまらなく感じてきたためだったと思う。懐かしく思い出すのは、当時の世相。それまでどこの家庭でも、TVといえば白黒画面なのが当たり前だった。それがちょうどこの『キャプテンウルトラ』放送の頃、カラーテレビなるものが登場し、お金持ちの家から順に(笑)普及し始めていたのだった。当時学校の休み時間などで、こんなやり取りが聞かれた。「キャプテンウルトラに出てくる悪者のバンデル星人って、子分はみんな緑色なんだけど、親分は茶色いんだよね。カラーテレビで見ると、よくわかるよ」。「へ~、うちは白黒だから、白っぽいバンデルと、ちょっと色の濃いバンデルがいるってぐらいしか、わかんないなあ」。当ブログ主は当然、後者のグループに属していた。w 

冨田氏がまさにパイオニアというか、trailblazerになったシンセサイザーを巡る体験談も面白かった。シンセサイザーは当時一般的には殆ど知られていなかったため、空港でそれが楽器であることを職員に理解してもらえず、数日間倉庫預かりとなってしまった上、やっと認められて機械を持ち出そうとしたら、その日まで保管していた分の倉庫料まで請求されたとか。何でもそうだが、新しいことを始める人はいろいろ大変な思いをするんだよなあと。また、シンセを使った作曲や編曲を始めてからも、それを音楽アルバムとして発売してくれるレコード会社がなく、一念発起してアメリカへ渡り、海外で先に評価をしてもらったというお話。作曲の才能だけでなく、こういう行動力というかヴァイタリティみたいなものは本当に凄いなと、氏には心からの敬意を感じる。

番組内では冨田氏と一緒に仕事をした人たちのインタビューもいくつか紹介され、故人の人となりが偲ばれるものとなった。バイクを乗り回すのが大好きだったこと(若い頃の小林亜星氏が後ろに乗せてもらったらしいのだが、相当怖い思いをしたとか)。作品の仕上がりに納得いかない箇所があると決して妥協せず、予算外の事でも自腹を切って人を頼み場所も確保して、その箇所だけやり直すほどの“完全主義者”であったこと。またそれでいて、話の端々に、「ま、どっちでもいいんだけどね」と急に力の抜けるような言葉を出したりもしたとか。

長い番組を聴き終えて当ブログ主が最も強く感じたのは、冨田氏の“永遠の青春性”みたいなものであった。次々と新しい企画、新しい音の世界を開拓し続け、何歳になっても決して現状にあぐらをかかない人だったことがよく伝わってきた。キャリア最後期の作となった<イーハトーヴ交響曲>ではなんと、ボーカロイドまで起用しているのである。斬新。感性が全く老けこんでいない。

番組の終わり間際に案内役の吉松氏が言った言葉、これが最後にちょっと胸に沁みた。

「冨田さん、本当にまだ亡くなったという感じがしなくて、本当につい最近に、『ちょっと、初音ミクと一緒に銀河の彼方まで行ってくるよ』と言って、ふと席を立たれただけのような気がしてなりません」。

【2019年4月27日 追記】

●手塚アニメ「ジャングル大帝」~『レオのうた』

上述の“手塚さんがダメ出しをしてきた、歌い出しの難しい主題歌”については、過去記事「冨田勲の世界」(2005年10月2日)に動画貼りをしたので、ここでは同番組のエンディング曲を。これは当時のレコードに収められていた物と、TVで放送された物では、歌詞が違っているようだ。当ブログ主にも馴染みがあるのは、こちら↓。TV放送版の方。懐。(※音量注意。再生側のボリュームを、やや控えめに。)



●TV番組「きょうの料理」のテーマ曲

こういう曲を、頼まれたときにすぐ思いついて書ける才能。敬服の一語。

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<詩人の恋>~ヘフリガーとヴンダーリッヒ

2016年03月30日 | 演奏(家)を語る
先週の日曜日(2016年3月20日)、おなじみのFM番組『名演奏ライブラリー』で、スイス出身の名テノール歌手エルンスト・ヘフリガーの歌唱を聴いた。今回は、その最初に流れたシューマンの歌曲集<詩人の恋>についての感想文。

いかにも、という感じだった。全体に亘ってかなり遅めのテンポを取る中で、歌詞の一つ一つをきっちりと発音し、曖昧な箇所を残さない。「ドイツ・リートは歌詞を大事にする」という、クラシック界でよく耳にする理念をとことんまで体現しているようだ。歌の姿も、実直にして端正。ある意味これは、リートの歌唱スタイルとして一つのお手本になっている物とも言えそうな感じ。

その結果、と言っていいのか、受ける印象としては、「ある種の感情移入を伴って、詩人の苦悩を追体験して聴かせる歌唱」というよりはむしろ、その苦悩、あるいは苦悩する詩人の姿を“外在化”して、客観的な目撃者として語るような叙事詩的アプローチになっているように感じられる。たとえば、第11曲。これは「昔ある若者が、一人の娘に恋をした。しかしその娘には、他に好きな男がいた。ところがその男が別の女と結婚してしまったので、やけになった娘は行きずりの男に声をかけ、その男と一緒になってしまった。一番みじめなのは、(まるで相手にされていない)最初の若者」という内容で始まる短い歌だが、ここでのヘフリガーの歌唱は、「この哀れな若者を見よ。これは古き話なれど、いつの世にも有り得べきことなり」といった格調高いスタイルで語り聴かせる<マタイ>のエヴァンゲリストみたいに、当ブログ主には聞こえるのである。

エリック・ウェルバのピアノ伴奏もまた、この「明晰なディクションと遅いテンポによる、叙事詩的な表現世界」を構築するヘフリガーの歌唱に大きく貢献しているようだ。くっきりした粒立ちの明瞭な音。感傷に溺れない理知的なピアニズム。それらをもって、歌手が志向する方向性をしっかりと支援している。ただ、これもまた聴く側の印象としての話なのだが、その些かザッハリッヒ(即物的)な表現には余情に乏しい憾みがあることも指摘せずにはいられない。特に、終曲。ウェルバの明晰なピアノ後奏はそっけないほど速いテンポで進み、所謂ロマンティシズムの余韻みたいなものを残さない。このあたりは好みが分かれるところだろう。

さて、<詩人の恋>に優れた歌唱を示したテノール歌手といえば、フリッツ・ヴンダーリッヒの名も忘れるわけにはいかない。旅行先の宿で階段から転落するという不慮の事故により、あたら若い命を散らしてしまったドイツの名歌手である。世代的にはまさに、このヘフリガーの後継者みたいな存在だった。この人の早過ぎる他界が(特にドイツの)クラシック音楽界にもたらした損失は計り知れないもので、おかげで後続世代の優等生ペーター・シュライアーが、宗教曲からオペラ、さらにはリートと、もう何から何まで引き受けて回らねばならない大忙しの人となってしまったわけである。

ヴンダーリッヒのリート歌唱は、先輩格のヘフリガーとはある意味対照的な性格を持つものだった。「すべての歌詞と音符を一点一画ゆるがせにせず、克明に刻んでいく」というのではなく、感情の発露をなめらかな天性の美声に委ね、それを自然体で歌い上げていくという独自のスタイルを持っていた。この人が録音に遺した<詩人の恋>については、当ブログが立ち上げられた割と初期(2005年6月23日)に少し触れていたが、この機会に改めて書いておくことにしたい。(※今回の記事を書くに当たって、久しぶりに昔の自分の文章を読みなおしてみた。随分力んで書いていたなあと、ちょっと冷や汗。)当ブログ主がこれまでに聴いたヴンダーリッヒの<詩人の恋>は、全部で4種。

まず、一番よく知られたグラモフォンのスタジオ録音。これは最も平凡。美しい声で丁寧に歌われてはいるのだが、「一応そつなく、まとめておきました」という程度の仕上がりで、さほど感動的な物にはなっていない。(但し録音は、4種の中でも断トツ優秀。)1965年8月のザルツブルク・ライヴはいかにも生のステージらしい豊かな感興を持つものだが、時折音程がふらついたりして、歌の完成度という点から見ると“傷あり物件”。これをもって彼のベストとするのは、ちょっと苦しい。図らずも名テノール最後のコンサートとなった1966年9月のエディンバラ・コンサートの録音は、歌唱の出来は大変に素晴らしいものの、録音状態に難あり。暗い靄(もや)がかかったような、こもった音。特に当ブログ主がかつて持っていたMYTOレーベルのCDでは、あちこちで謎の女性歌手の声がゴーストのように聞こえてきて何とも気持ち悪かった。当音源はグラモフォン等からも発売されているが、そちらでは変な声はカットされているのだろうか。

―ということで、(当ブログ主が知っている4種の中では、という条件付きの話だが)ヴンダーリッヒ最高の<詩人の恋>は断然、1966年3月24日にドイツのハノーファーで行なわれたコンサートのライヴということになる。特に印象的だった何曲かについての感想は以前の記事で書いたので今回は省略するが、ザルツブルクでの歌唱と違って音程のふらつきがなく、エディンバラ・ライヴのような録音上の不満もない。入魂の名唱が歌い手の息遣いまで聴き取れるような上質な音で、しっかりと記録されているのが有り難い。ただ残念なのは、かつてMYTOレーベルから「1 MCD 932.78」という型番で発売されていた当音源のCDは既に廃盤で、かなり前から入手困難な状況になってしまっているということ。前回語ったマータ&ロンドン響の<春の祭典>みたいなメジャー系の音源なら、そのうち最新リマスターによる再発売がタワレコさんの企画CD等で実現するかもしれないが、ヴンダーリッヒの埋もれたライヴのようなレア物系音源は復活が難しいかもしれない。あとは、当ブログ主がまだ知らずにいる他の音源が何かあって、そちらでもっと優れた内容の物が聴かれる可能性があるかどうか、というところ。

―今回は、これにて。
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<春の祭典>~メータ、マータ、バーンスタイン

2016年02月29日 | 演奏(家)を語る
ピエール・ブレーズの訃報を巡る前回の記事の中で、<春の祭典>の“お気に入り演奏”に軽く言及していた。今回は、そのあたりについての補足的な話をちょっと書いてみたいと思う。

ストラヴィンスキーの<春の祭典>といえば、古いモノラル時代から数多くの名演・名盤が生み出されてきた20世紀の大傑作だが、当ブログ主の独断と偏見によれば、この記事を書いている2016年2月現在で最も完成度が高い(そしておそらく、今後ともこれを凌ぐような物はちょっと出てきそうもない)と思われる名演は、ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルによるEXTON盤の演奏である。しかし人の趣味・好みというのは面白いもので、完璧無類と思われる名品よりも、どこか癖があったり、偏りがあったりする個性的な物の方にむしろ魅力を感じることがあったりする。当ブログ主にとって、<春の祭典>の演奏もその一例である。この名作バレエについて、非常に魅力的と思われる演奏を行なった指揮者の名前を具体的に挙げるなら、今回の記事タイトルに掲げた3人がその代表格ということになる。

まずは、ズービン・メータ。この人が指揮する春祭(はるさい)は、生演奏も含めて過去に4種類ほど聴いた。年代順に並べると、まずロサンゼルス・フィル(LAPO)とのデッカ盤、ニューヨーク・フィル(NYP)とのCBSソニー盤、続いてウィーン・フィルとのライヴOrfeo盤、そしてフィレンツェ5月音楽祭管との来日公演である。

結論から先に言うと、当ブログ主に今も大いなる喜びを与えてくれるベストの名演は、最初に行なわれたLAPOとのデッカ録音(1969年)で聴ける演奏である。今回の記事を書くにあたり、「栄光のロンドン・サウンド」シリーズで昔購入したCDを久しぶりに取り出して聴いてみたのだが、やっぱり、これは良い。何というか、活力漲る音楽の推進力がとにかく最高で、聴いていてわくわくしっ放し、気持ちの高揚が止まらないのである。その背景に窺われるのは、指揮者メータの強い自信。「俺はこの曲を、がっちりと把握している。任せろ」といった感じ。そうでなければ、終始一貫これだけの快速テンポで進みながら全く緩みも乱れも生じない名演奏など、そうそう実現できるものではないからだ。そしてオケのメンバーがそんな俊英に全幅の信頼を寄せ、めいめいがベストを尽くして全力でついて行く。聴き手に伝わるのは、そういう音楽家集団だけが生み出し得る独特の“幸福感”である。これはメータ、LAPOの黄金時代を象徴する名演と言ってよい。また、いつものことながら、デッカの録音も優秀。精悍にして剛毅なメータ・サウンドが鮮明に記録されている。(特に、あのゲンコツみたいなティンパニの音は強烈。)

この名盤に敢えて一つケチをつけるとすれば、音の厚みの点でちょっと物足りないところがある、というぐらいだろう。LAPOは必ずしも大編成のオーケストラではないので、ベルリン・フィルやシカゴ響等が持っているマスとしての威力、重量級のサウンドは求められないのだ。しかし、この演奏には、そのような不満を補って余りある魅力が備わっている。むしろ逆に編成が大きくないからこそ、個々の楽器の音像が明晰に浮かび上がるわけだし、若い才能が作り出すvividな音楽の姿がしっかり描き出されているとも言えるのである。

そんなメータだが、NYPとの1977年ソニー盤になると、構えがやたら大きくなった割に中身は希薄というか、あまり面白くない演奏を行なう結果となってしまっている。聴いていて、「おっ、濃くなってきたな」と思わせるのは結局、全曲の終わり部分「いけにえの踊り」だけ。まるでそれまで燃焼不足だった凡演の帳尻を合わせるかのように、最後の数分間だけ盛り上がるという感じなのだ。当ブログ主にとってこれは、「一度聴いたら、もう要らない」の典型的な例である。

ウィーン・フィルとの1985年ザルツブルク・ライヴは昔FM番組で耳にして、当時結構気に入った演奏だった。その頃持っていた玩具みたいなラジカセで放送をモノラル受信し、カセットテープに録音してずっと持っていた。退屈させられることが多い第2部の前半部分「序奏~乙女たちの神秘的な集い」が熱い名演になっているのがこの演奏の特長で、ブオォッ!と盛り上がるウィーン・フィルの分厚い弦がとりわけ印象的だった。これがCD発売された時には喜んで購入したのだが、この種のライヴを復刻するオルフェオ・レーベルのCDは(ごく僅かな例外を除いて)どれも音質が劣悪で、そのたびに失望させられるのがいつものパターン。メータ、ウィーン・フィルの春祭もまた、その不名誉なリストに加えられる一品(ひとしな)となった。こんなピンボケな音では、話にならない。涙、涙で(苦笑)、即売却。

最後は、フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団との来日公演。これはもう、何年前になるのか・・・。レスピーギの<ローマの松>と組み合わされた魅力的なプログラムで、「あのメータの春祭が、レスピーギと併せて、生で聴けるぞ~」と、うきうきした気分で演奏会に出かけたのだった。ステージに登場したのは青年期・LAPO時代とは別人の、がっちり太った貫禄オヤジのメータ。果せるかな、その余裕の指揮棒から特別な霊感が放射されることはなく、ごく無難な、普通の演奏が展開されることとなった。今でもはっきり心に残るのは壮年メータの指揮ぶりよりも、オーケストラ自体の響きの方である。生で聴いてつくづく実感したのだが、イタリアのオーケストラは本当に音が煌びやかだ。決して大げさな言い方でなく、音がキンキラ、キンキラ輝いている。こういう体験ができただけでも、このコンサートに行った甲斐があった。

さて2人目の指揮者は、メータとよく似た名前のマータ。飛行機事故によって不慮の死を遂げた、メキシコの怪人エドゥアルド・マータである。この人がロンドン交響楽団を指揮した1978年の<春の祭典>(RCA盤)も、当ブログ主お気に入りの名演だ。あのリッカルド・ムーティをちょっと思わせるシャープな棒捌きから生み出されるマータの音は、時にメタリックな光沢を放つ独自の鮮明さと、しなやかな硬質さに特徴がある。管楽器群には耳をつんざくような高音を要求し、打楽器群には容赦ない打ち込みによる尖鋭な立ち上がりを求める。イギリスの名門オーケストラがここで見事にそれに応え、世にも峻烈な春祭が現出することとなった。マータ盤についてオーディオ的に面白いのは、打楽器の位置。まさにど真ん中、それもオケの後方ではなく、かなり前の方にいる様子。「ひょっとして、指揮者の目の前にティンパニとかを置いているんじゃないか」と思わせるぐらいの積極的(?)なポジショニング。ステレオ装置に向かって座っていると、真正面から鋭い打楽器の音がドターン、ドターンと強烈に立ちあがってくる。<春の祭典>に関して、当ブログ主が特に重視しているのは第2部の「いけにえの賛美~祖先の呼び出し」での打楽器の迫力(※この部分でパーカッションを控えめに扱う演奏は、他の箇所がどんなに良くてもアウトw )なのだが、ここでのマータはメータを凌ぎ、雷鳴さながらの爆裂サウンドを聴かせてくれる。全曲に亘ってやや速めのテンポ設定で、各フレーズをしゃきっ、しゃきっと小気味よく切り上げながら、非常にエッジの効いた春祭を堪能させてくれる名演だ。

このエキサイティングな演奏から、(上記メータ盤の時と同様に)敢えて一つ難点を見出すとすれば、管楽器群の高音が非常に鋭いものであるため、聴く人によっては耳に痛みを感じて不快感を持ってしまう可能性がなきにしもあらず、というところであろう。

―で、残念なお話なのだが、このマニアックな名盤は現在入手困難になってしまっているようだ。当ブログ主は何年か前、タワーレコードさんの企画CDで、マータが指揮した春祭と、ロリス・チェクナボリアンが指揮した春祭を組み合わせた1枚物のCDを廉価で購入し、コレクションに加えたのだった。しかし、このCD、どうやらもう廃盤らしい。もし将来タワレコさんが再びこの音源をCD復活させてくれるなら、今度は組み合わせを変えてほしいと思う。1枚のCDの中に違う演奏家の録音を抱き合わせるような組み方は、正統派(?)のクラシック・ファンから嫌われるのである。(※グラモフォンがかつて行なった暴挙、チャイコフスキーの後期3大交響曲セットのことを覚えている方もおられるのではないだろうか。4番と5番がムラヴィンスキー、そして6番だけカラヤンって、いったいどういうつもりなんだって、企画担当者を小一時間問い詰めたくなるような酷いCDが発売されたことがあった。)マータがRCAに遺した個性的な名演は他にもあるのだから、それらの何かと組んだCDを新たに作ってほしい。

さて、最後は大御所レナード・バーンスタイン。この人も複数回、<春の祭典>を録音(&録画)している。年代の古い順に並べると、NYPとのCBSソニー盤(1958年)、ロンドン響との同じくCBSソニー盤(1972年)、そしてイスラエル・フィル(IPO)との1982年グラモフォン盤。あとDVDで発売されている映像音源として、ロンドン響との2種類のライヴ(シベリウスの5番と組んだ1966年の白黒・モノラル盤、それと作曲家への追悼コンサートを収録した1972年のカラー・モノラル盤)が現在確認できる。2つの映像盤は基本的に、「バーンスタインがこの曲をどんな風に振っていたかを、目で見て楽しめる」という価値が大きいもので、いずれもモノラル音声のためオーディオ的には扱いにくい対象となっている。なので、映像音源については今回スルーさせていただき、CD発売されている3種の音盤について書いておきたいと思う。これも結論から先に言うと、最も楽しめるのは最初のNYP盤であり、そこから新しい物になるほどつまらなくなっていく。

まず、NYP盤。昔何かの音楽雑誌で、「リ-ゼント・ヘアの若者が、ポンコツのアメ車をバリバリいわせながらドライブしているような演奏」といったような面白い表現を目にしたことがある。実際聴いてみると、「なるほど、そういう譬え方もできそうだ」と妙に納得したものだった。ここで聴かれるのは、いかにも若い頃のバーンスタインらしい、荒馬のようにエネルギッシュな演奏である。テンポ自体はゆっくり目の落ち着いたものなのだが、各楽器から引き出される音がとにかくホット。中でも打楽器の迫力は抜群で、それがこの演奏に千金の価値を与えている。この録音では(舞台で言うと)上手側に打楽器が配置されていて、そこに専用の録音マイクが置かれているといった形になっている。従ってステレオ装置では右スピーカーから出てくる音ということになるが、ここから飛び出してくる打楽器の音は重厚にして鮮烈、本当に聴いていて胸がすく思いがする。特に例の重要ポイント、第2部の「いけにえの賛美~祖先の呼び出し」の場面、ここはもう最高である。1958年というステレオ録音の最初期なのに、当時のCBSによくこれほど凄い音が取れたものだと、驚嘆の思いを禁じ得ない。デッカならまだわかるが、CBSが?という感じ。また、第1部の「春の踊り」で低弦が凄い唸りをあげるのも、バーンスタインが指揮する春祭の魅力的な特徴の一つ。ここを軽く鳴らしてしまう指揮者も割と多いのだが、当ブログ主はバーンスタイン流のブゥオ~ン!ブゥオ~ン!と唸るような低弦の響きを全力で支持する。

一方、この演奏には欠点も多い。率直なところ、オーケストラの技術としてはメータ、マータの2盤と比べても明らかに遜色があり、アンサンブルも粗い。特に終曲「いけにえの踊り」など、この曲のタクト捌きに定評のあったイーゴリ・マルケヴィッチや、先頃他界したブレーズ、あるいは“ミスター・パーフェクト春祭”のズヴェーデンあたりが聴いたら、「もうちょっとちゃんとやろうよ、プロなら」みたいな事を言って苦笑いしそうなレベルである。

続くロンドン響との1972年盤では、凄いほどのヘビー級サウンドを聴くことができる。当ブログ主も若い頃はこの重量感に満ちた響きが非常に好きで、LP時代には何度も繰り返して聴いたものだった。しかしこれ、今の感覚からするとアンサンブルがかなりアバウトというか、手綱の緩さみたいなものが感じられる。とりわけ終曲のぐちゃぐちゃぶりはもう目を覆うばかりで、とても聴いていられない。―というわけでこの演奏、CD時代になってからは、全く聴かなくなってしまった。

最後は、イスラエル・フィルとのグラモフォン盤。ある意味皮肉な現象とも言えるのだが、3種類あるバーンスタインの<春の祭典>セッション録音の中で、これが一番よく整った演奏でありながら、同時に一番面白くない演奏になっている。正直言って、この演奏に最後まで付き合うのは苦痛である。何の面白味もない、ひたすら鈍重な(あるいは、爺臭い)音楽がだらだらと続く。これは全くいただけない。

こうしてみて改めて思うのは、「<春の祭典>は巨匠と呼ばれるような大指揮者よりも、才気煥発な若い指揮者に向いた曲なのだな」ということである。春祭とよく一緒に組み合わせて録音される<ペトルーシュカ>とは、ある意味、正反対の性格を持つ作品なのだ。<ペトルーシュカ>は若い指揮者がエネルギッシュにバリバリ演奏しても、ただ賑やかな(あるいは、やかましい)だけの、無内容な駄演に終わることが多い。一方、晩年のアンセルメやモントゥー(&ボストン響)のような老熟の大家が遺した演奏にはそこはかとなく寂しげな空気が漂い、それが得も言われぬ感動を聴く者の心に呼び起こす。―となると、<春の祭典>と<ペトルーシュカ>の両方で同時に名演奏を成し遂げるのは結構難しいタスクである、ということになる。ドラティ&デトロイト響のデッカ録音を称揚できる点というのは、その2作品の両方で、それもほぼ同じ時期に、それぞれ大きな欠点のないハイレベルな名演を実現できたことにあると言えるのではないだろうか。

―というところで、打楽器の快感最優先という独自の観点から選んだ“my favorite 春祭”を語る今回の記事は、これにて終了。
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