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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

ロストロポーヴィチのチャイコフスキー/交響曲全集(EMI)

2017年04月30日 | 演奏(家)を語る
2017年4月30日(日)。さわやかな晴天。ようやくといった感じで、春らしい陽気になってきた。

今月、特価CD「ロストロポーヴィチのチャイコフスキー/交響曲全集」(EMI)を買った。これは6枚組で税込み1369円という、超廉価ボックスである。いくら限定盤とは言え、ちょっと信じられないような安さだ。Warnerのロゴが付いた新しいリマスター盤で、演奏内容の点でも非常に楽しめたので、大変良い買い物となった。今回はその感想文を少し書いてみようかと思うのだが、その前に、チャイコフスキーの交響曲に関する当ブログ主の“好みの序列”みたいな物を先に記しておきたい。これは、「左から右へ行くごとに、好きな度合いが下がっていく」という意味のランキングである。

第6番>第4番>第5番>第1番>>>越えられない壁>>>第3番>第2番>マンフレッド

この序列、部分的な順位の入れ替わりはあるかもしれないが、結構多くの人に大筋で共感してもらえるランク付けではないかと思う。ポイントは要するに、「2番、3番、マンフレッドの3作は、他の4つに比べて明らかに魅力の点で劣る」ということだ。しかも、その両グループの間には越えがたい壁、大きな隔たりがあるということ。少なくとも当ブログ主の場合、ダメな方の3作については、誰の演奏を聴いても満たされることはなく、聴き通すのがいつもつらかった。(※付記。ボガティリョフ編曲による<第7番>はチャイコフスキーが書き上げた曲ではないので、ランキングの対象外。)今回ロストロポーヴィチの指揮による全7曲の演奏を聴き通した結果、上に書いた順位自体は変わらないものの、件(くだん)の“越えられない壁”が自分の中で消えてきたような気がしたのだった。

当ボックス・セットで聴かれる演奏のコンセプトを手短に言えば、「細けえ事は、いいんだよ。俺はロストロだあ」という感じになるだろうか。(※勝新太郎が黒澤明監督と喧嘩して『影武者』の主演を降りた時の、「俺は勝新だあ」というセリフをふと連想しなくもないが、あまり関係ないか。w )精妙な弦のディミヌエンドを使った細やかな表情付けとか、曲の造型を整えるための明晰なフレージングとか、そんな殊勝な(?)心がけを感じさせる要素はほとんど見当たらない。ロシア音楽としてのチャイコフスキー作品の本質をぐいっと鷲掴みにし、アンサンブルの粗さなどものかはで、各楽想それぞれに付けられるべき適切な表情をその都度しっかり体現していく。そんな感じのアプローチなのだ。そしてイギリスの名門オーケストラ(特に木管)から優れてロシア的な音色を引き出し、強い説得力を持った表現を次々と披露してくる。

その結果、当ブログ主がずっと苦手にしていた<第2番>と<第3番>にこれまで感じ取れなかった魅力を発見し、ほとんど退屈することなく最後まで付き合っていくことができたのだった。いたずらに冗長で求心力に欠け、散漫な印象が強い<マンフレッド交響曲>でさえ、「気の利いた楽想がところどころモザイクのように散りばめられた、捨て置くにはもったいない佳作」に感じられてきたのである。そしてあの“越えられない壁”がどうやら、当ブログ主の意識の中から消失した。これが、今回ロストロポーヴィチ盤を聴くことによって得られた最大の収穫であった。

人気作となる後期の3作品(第4番~第6番)については、際立って遅いテンポが取られた<第5番>と、非常に大きな音のダイナミック・レンジが持ち味となる第6番<悲愴>(特に、第1楽章)が面白かった。<第4番>と最初期の<第1番>もそれぞれに良い演奏だとは思われたが、ユニークな<第5番><第6番>や、今回サルヴェージされる結果となった<第2番><第3番>等に比べると、「まあ、普通の出来かな」という感想にとどまる。

併録された管弦楽曲の中では、幻想序曲<ロミオとジュリエット>(特に、後半部分)がロストロ節全開でかなり笑わせてもらえた。土俗的なまでに重厚で、芝居気たっぷりな豪演である。指揮者の個性を最重視するなら、これこそが当ボックス・セット随一の快演(というか、怪演?)かもしれない。一方、<フランチェスカ・ダ・リミニ>は重心の低い音がそれなりの迫力をもたらしてはいるものの、全体的な表現に関しては今ひとつ吹っ切れていないようなもどかしさを感じた。(※ついでの話ながら、<フランチェスカ・ダ・リミニ>はバーンスタインが若い頃から得意にしていて、聴き応えのある名演を複数の録音に遺してくれている。)

大序曲<1812年>は、ワシントン・ナショナル交響楽団との録音。速めのテンポを基本にしたすっきり型の演奏だが、受ける印象としては全く平凡。原因は率直に言って、オーケストラの非力さ。ナショナル響と言えばロストロポーヴィチとは長年の付き合いで、気心はお互い十分に知れているだろう。しかし悲しいかな、所詮はアメリカの二流オケ。自(おの)ずと、力の限界がある。交響曲で共演してきたロンドン・フィルあたりと録音していたら、この曲の仕上がりも随分変わっていたように思える。

協奏曲的な作品も2つ、収録されている。まず、<憂鬱なセレナード>。ヴァイオリン独奏はともかく、ロストロポーヴィチが指揮するロンドン響の伴奏はとても良い。いかにもチャイコフスキーらしい“鬱な雰囲気”が良く出ている。次いで、ロストロポーヴィチがチェロ独奏を務めた<ロココの主題による変奏曲>(エラート音源)。この曲についてはライヴの記録も含めて相当数の録音が存在するようで、どれがロストロ先生のベストを示した物かはわからないが、とりあえずここで言えることは1つ。当ボックスに収められた小沢&ボストン響との共演盤よりも、カラヤン&ベルリン・フィルと行なったグラモフォン録音の方が、いろいろな意味で聴き映えがするということである。チェロの響きの豊かさと滑らかさ、表現の闊達さ、伴奏オーケストラの巧さと音色の魅力など、どれをとってもカラヤン盤の方が上であるように思える。

―というところで、今回はこれにて。
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ビーチャムのディーリアス録音

2017年03月29日 | 演奏(家)を語る
2017年3月29日。お彼岸はとっくに開けたのに、今年はなかなか暖かくならない。一日も早く、春らしくなってほしいと願う。気分も晴れないし、暖房費もかさむから(苦笑)。

今月は、CDを一組だけ買った。トマス・ビーチャムのディーリアス録音を一つにまとめた、EMI音源の限定盤ボックスである。7枚組で、税込み1590円。古い時代の録音とは言え、随分安くなったものだと思う。当ブログ主は別にディーリアンではないけれども、評論家筋からかつて圧倒的な評価を得ていたビーチャム卿のディーリアスをまとめて聴けるということで、今回ちょっと買ってみたのだった。

感想を手短に言うと、やはりステレオ録音された後期の演奏が良いように思われた。モノラル期の音源には、正直言って、がっかり。音が古いだけでなく、演奏自体もあまり巧くない。今回のセットには歌劇<村のロミオとジュリエット>全曲が収録されているということで、「ビーチャムの指揮でこのオペラ全曲が聴けるのは、楽しみだなあ」と、実は内心楽しみにしていた。しかしこれ、残念ながら期待外れ。歌手たちは二流だし、管弦楽の響きからも、この作品ならではの陶酔が殆ど感じられなかった。それやこれやで、一通り7枚全部聴き通した後は、ステレオ録音された曲ばかりをリピートして聴くようになったのだった。今日のオーケストラ水準から見れば必ずしも完成度の高い演奏とは言い切れないのだが、作曲家と同じ時代を生きた名匠のタクトが生み出す雰囲気には、特別な味わいがある。お値段の安さも考え合わせると、当ボックス・セットは十分価値のある一組だと思える。

―今月は多忙のため、これにて。
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ニコライ・ゲッダの訃報

2017年02月27日 | 演奏(家)を語る
前回、指揮者のジョルジュ・プレートルを追悼する記事を書いたばかりなのに、今度はテノール歌手ニコライ・ゲッダの訃報に触れることとなった。91歳で亡くなったそうだ。20世紀後半に活躍した名音楽家たちが次々と、この世を去っていく。何とも寂しい限りである。

複数の外国語に通じ、幅広いレパートリーを誇ったゲッダはある意味、“万能選手型”とも言える歌手だった。その点ではプラシド・ドミンゴと共通するタイプの人だったわけだが、声の質と歌唱スタイル、そして主なレパートリーから、マドリード出身の大スターに比べて彼はずっと地味(あるいは、通好み)な存在だったように思える。実際の話、あのパヴァロッティが亡くなった時の賑やかな報道とは対照的に、ゲッダの訃報は何とも慎ましやかで、ひっそりとした物だった。

さて、遺された録音を通じてゲッダのことを今回少し語ってみようかと思い、彼のディスコグラフィーを先日ざっと調べてみた。結果、その数の多さに改めて驚かされることとなった。当ブログ主がこれまでに聴いて知っているセッション録音だけに限っても、20をゆうに超えるオペラ全曲盤が確認され、これはどう話をまとめたものかと、すっかり途方に暮れてしまった。なので、具体的な作品名を挙げながらの感想文は、「またそのうち、機会があったら」ということにしようかと思う。

今回はゲッダの名唱について、今とりあえず頭に思い浮かぶ例を挙げてみることにしたい。まず、主役を張っての熱演としては、マスネの歌劇<ウェルテル>全曲(ジョルジュ・プレートルの指揮によるEMI録音)と、ベルリオーズの歌劇<ベンヴェヌート・チェッリーニ>全曲(コリン・デイヴィスの指揮によるフィリップス録音)。他の共演者たちと揃って賑々しく盛り上がった名演として、フロトウの歌劇<マルタ>全曲(ロベルト・ヘーガーの指揮によるEMI録音)。脇役として参加しながら、時に主役二人を食ってしまうぐらいの存在感を示した名演として、マスネの歌劇<タイス>全曲(ロリン・マゼールの指揮によるEMI録音)。・・・取り急ぎ、こんなところだろうか。

―数多くの名演・名盤を遺してくれた有能テナーの、天国での幸福を祈って合掌。
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ジョルジュ・プレートルのオペラ名盤

2017年01月31日 | 演奏(家)を語る
先日(2017年1月4日)、指揮者のジョルジュ・プレートルが亡くなったらしい。享年92との由。昨年は大御所ピエール・ブレーズが1月に他界したが、今年もまた、フランスの名匠がお正月早々に世を去ってしまった。寂しいものである。―ということで、今回はプレートル氏の業績を偲び、遺されたオペラ録音の中からいくつかを選んで並べてみることにしたい。

◎特選盤 【これを聴くなら、プレートルでしょ】レベル

1.ビゼー/歌劇<美しきパース(ペルト)の娘>全曲(EMI)

作品自体がいささかマニアックだが、演奏の良さにおいて同曲随一と言ってよい名盤。ヘンリー(=アンリ)役を演じて絶好調のアルフレード・クラウスをはじめ、キャサリン(=カトリーヌ)役のジューン・アンダースン、ラルフ役のホセ・ファン・ダム等、歌手陣が総じて上々の出来映え。プレートルの指揮も良い。NHK『みんなの歌』で日本語の替え歌【注1】が昔流れたヘンリーの『セレナード』や、<アルルの女>第2組曲で聴かれる有名な『メヌエット』の元ネタ【注2】など、よそで聞いた覚えのある曲に思いがけず出会える。ついでながら、このオペラの短い組曲版を聴きたいなら、ジャン・マルティノン指揮フランス国立管のグラモフォン盤がチャーミングの極み(←宇野節w )。

【注1】 曲名は、<小さな木の実>。父親を失った少年を励ます歌として、ビゼー・オペラの内容とは全く無関係の日本語歌詞がつけられたもの。サビの部分の歌詞は、「坊や~、強く生きるんだ~♪」。当ブログ主もこれを子供の頃TVで見たことがあって、何となく覚えていた。その後、クラシック音楽を深く聴きこむようになってから、A・クラウスのオペラ・アリア集で初めて原曲に触れることとなった。

【注2】 第3幕。キャサリンに変装したジプシー・クイーンのマブを、そうとは知らずに好色な伯爵が口説く場面。その背景の音楽。

2.G・シャルパンティエ/歌劇<ルイーズ>全曲(ソニー)

作品自体に濃厚な“どべぐしょーっ”サウンドの要素が内蔵されているため、プレートルの音楽性が十全に発揮されている。これもちょっとマニアックなオペラだが、プレートルの豊富なキャリアを代表する名演の一つ。主役の二人(コトルバシュ&ドミンゴ)も優秀。ちなみに今日(2017年1月31日)現在、YouTubeでその第3幕のみを聴くことが出来る模様。

3.サンサーンス/歌劇<サムソンとデリラ>全曲(EMI)

<サムソンとデリラ>には良い演奏が他にもあるが、プレートル盤は今なおこのオペラを代表する名盤。セールス・ポイントはデリラを歌うリタ・ゴールの名唱と、指揮者プレートルの濃い音楽作り。有名な『バッカナール』など、まさに胸のすくような豪演。

○優秀盤 【他にも名盤があるけれど、プレートルのも非常に良いですよ】レベル

1.マスネ/歌劇<ウェルテル>全曲(EMI)

オペラ指揮者としてのプレートルに、おそらく最もよく似合っていたと思われる作品の一つ。EMIのセッション録音ではニコライ・ゲッダがウェルテルを、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスがシャルロットを、それぞれ演じている。両者ともに名唱。(※但し、当ブログ主の感覚としては、シャルロットの声はリリックなメゾ・ソプラノの方が好ましい。)この録音については、かつてジュール・バスタンを語った時に触れているので、今回は省略。

ライバル盤として並び称せられるミシェル・プラッソンのEMI録音でウェルテル役を演じているアルフレード・クラウスが、長きにわたって同役の第一人者という感じだった。となれば勢い、「プレートルの指揮、クラウスの主演によるライヴの記録」に興味を持つのがファンとしては当然の心理。で、今回の記事を書くに当たり、ネット上でそのあたりをちょっと調べてみた。CDで聴ける物と「ようつべ」で鑑賞できる物、どちらも取り混ぜての検索結果は、以下の通り。現在鑑賞可能な音源が、少なくとも4種類はある。―と言うことは、両者の実際の共演回数はおそらく相当な数になっていたものと考えられる。

●1976年のミラノ公演(A・クラウス&エレナ・オブラスツォワ)
●1978年のフィレンツェ公演(A・クラウス&ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ)
●1980年のミラノ公演(A・クラウス&ナディーヌ・ドゥニーズ)
●1984年のパリ公演(A・クラウス&ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ)

2.グノー/歌劇<ファウスト>全曲(EMI)

このオペラについては、ステレオ初期のクリュイタンス盤(EMI)が古くから代表的な名演と讃えられてきた。1970年代に入ってプレートルが録音した全曲盤は、そのクリュイタンス盤と“どっこい、どっこい”の勝負が出来る優れた内容を持っている。どこかエレガントな雰囲気を持つクリュイタンスに比べ、プレートルの指揮はもっとダイナミック。歌手陣の中ではマルガレーテを歌うミレッラ・フレーニが最高で、クリュイタンス盤のロス・アンヘレスを凌ぐ圧倒的な魅力と存在感を示している。メフィスト役のニコライ・ギャウロフも、声自体は全盛期を少し過ぎたものだが、なめらかな美声と歌い口がフランス・オペラの世界によく馴染んでいる。クリュイタンス盤のボリス・クリストフは強烈にアクの強いスラブ声で、またフランス語の発音にも癖があるため評価が分かれる。「メフィストなんて所詮、二流、三流のヘッポコ悪魔でしょ」とイメージされている方なら、クリストフの歌唱にも納得のいく点が感じられるかもしれない。プレートル盤の出演者の中で、当ブログ主の個人的な趣味にあまり合わないのが、ファウスト役のプラシド・ドミンゴ。歌唱自体は大変に優れたものなのだが、声がちょっと暑苦しい。この役は、クリュイタンス盤のニコライ・ゲッダの方がずっと好ましく感じられる。いずれにしても、数多く存在する歌劇<ファウスト>の名演・名盤の中でも、プレートル盤は最上位のグループに属する物と言ってよい。

3.ビゼー/歌劇<真珠採り>全曲(EMI)

当ブログ主の好みで言えば、クリュイタンスのモノラル盤(EMI)で聴かれるすっきりした音楽作りを上位に置きたいが、隈取りの濃いプレートルの演奏も悪くはない。録音も上々。ナディール役のアラン・ヴァンゾが声の盛りを過ぎているのが惜しまれるものの、レイラ役のイレアナ・コトルバシュは最高の出来映え。

★上に並べた物の他にも、新旧2種あるプーランクの<声>、マリア・カラスの主演によるビゼーの<カルメン>とプッチーニの<トスカ>、ゼッフィレッリの過剰なまでに丁寧な“説明的演出”が見られる2つのヴェリズモ・オペラ(レオンカヴァッロの<道化師>とマスカーニの<カヴァレリア・ルスティカーナ>)映像盤など、オペラ・ファンなら一度は接しておいて損のない音源が少なからずある。が、当ブログの記事としては、上記6作の列挙をもって区切りをつけることにしたい。

プレートル翁の天国での幸福を祈って、合掌・・・。

【2019年5月14日 追記】

●プレートルのEMI盤<ファウスト>全曲~兵士たちの合唱

グノーの<ファウスト>は主役3人の持ち歌やバレエ音楽、あるいはワルツ等、聴きどころの多い名作オペラだが、この合唱曲も秀逸。ここでは、いかにもプレートルらしいパワフルで華麗な演奏が聴かれる。



●プレートルのEMI盤<美しきパースの娘>全曲~ヘンリーのセレナード

上に書いていた日本語版替え歌<小さな木の実>の原曲。歌が始まるのは、〔2:14〕から。生前のアルフレード・クラウスが高崎保男氏のインタビューに答えて、「私自身が最も気に入っている、ベストの録音」と言っていたのが、このプレートル盤<美しきパースの娘>だった。



●プレートルのEMI盤<美しきパースの娘>全曲~ジプシー・クイーンのマブを、勘違いした伯爵が口説くシーン

思いっきり有名な<アルルの女>第2組曲の「メヌエット」は、これが元ネタ。初めて聴いたら誰もがきっと、あらあら、うふふ。

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ロストロポーヴィチの<シェロモ>~映像音源

2017年01月01日 | 演奏(家)を語る

新年おめでとうございます。昨日の投稿後、ロストロポーヴィチの例のボックス・セットはまだ普通に売っているのかなと思って、いくつかの通販サイトを見てみた。そこで、(今頃知ったのかよと言われそうな)大発見をした。ロストロポーヴィチとバーンスタインが共演した<シェロモ>には何と、ライヴの映像音源があって、それが普通にDVD発売されているのだった。うひゃひゃ。w

で、今日(2017年1月1日)現在、動画サイトYouTubeでそれが視聴できることもわかった。検索窓にbloch scまで入力すると、下に候補が並んで、bloch schelomo rostropovichまで出てくる。で、それをクリックすると、下記のURLにたどり着き、件(くだん)の映像が堪能できるというわけである。当ブログ主は先ほどそれを視聴し、元日の朝から物凄い感動を味わったのだった。

1970年代の音源ということで映像は鮮明、音質もすこぶる優秀。ライヴのステージということもあり、演奏家たちがセッション録音の時以上に燃え上がっている。ロストロポーヴィチがチェロを引く姿(及び表情)、そしてバーンスタインの激烈な指揮ぶり。約20分あまり、殆ど息も出来ないぐらいに圧倒される。前回書いた「引いては返す波のようなクライマックス」という文言についてちょっと補足しておくと、上記の映像で言えば、タイム・カウンター7分過ぎから8分過ぎにかけてが最初のクライマックス、次いで13分から15分あたりのところで再び壮大に盛り上がり、「ああ、これで大きな山を越えたな」と思わせつつ、その後20分ぐらいのところでもう一発、凄い山場が来る。この展開のことを言っていたのである。これで全曲が静かに終わった後、胸がすっとするような快感が残るというわけなのだ。

興味の向きは是非、御一聴のほど。

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