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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

歌劇<イーゴリ公>(4)

2006年12月10日 | 作品を語る
前回の続き。ボロディンの歌劇<イーゴリ公>・第4回。このオペラの中で最も有名な、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』が出て来る場面から。

〔 第2幕 〕 ~続き

ポロヴェッツの陣営。夜明け。猛将コンチャク汗(ハン)が、イーゴリ公のもとに現れる。彼はイーゴリへの敬意を表明しつつ、有名なアリアを歌う。「カヤールの合戦であなたは傷つき、そして捕虜となった」と一旦は始めるものの、すぐに、「いや、違う。あなたは私の親愛なる客人だ」と言い直し、豪快な調子の歌を続ける。さらに、イーゴリ公と手を組むことまで希望している彼は、「絶世の美女たちがおる。好きな女を選んでくれ」と、イーゴリの気持ちをなびかせようと努力する。そして、コンチャク汗の命令一下、あの有名な『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』が始まる。男女が入り混じっての激しい踊りと、「コンチャク汗を讃えよう」と歌う大合唱が圧倒的な熱狂を生み出し、その興奮が頂点に達するところで第2幕が終了。

(※M=パシャイエフ盤でコンチャク汗を歌っているのは、重鎮マルク・レイゼン。先述のA・ピロゴフと並ぶ大ボリス歌いだった人だ。ここでも深みと威厳のある豊かな声を活かして、スケールの大きなコンチャク汗を聴かせてくれる。いや、凄い貫禄である。ハイライトとなる『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』では、当時のボリショイ劇場合唱団の土俗的なパワーが聴き物。オーケストラも豪快。ただこの演奏、太鼓の音が何とも控えめで、引っ込んだ感じになってしまっているのが残念だ。あのドコドンドン、ドコドンドンをもっと派手にやってほしかった。)

(※全体に平凡な演奏を展開しているハイティンクだが、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』に入るや、ここぞとばかりに燃え上がる。M=パシャイエフとは対照的に、彼はあざといぐらいに太鼓を強調し、これでもか、これでもかと煽り立てる。コヴェント・ガーデンの合唱団、そして舞台上の踊り手たちも熱演を見せ、これはかなり楽しめる演奏に仕上がった。ここでコンチャク汗を歌っているのは、パータ・ブルチュラーゼ。カラヤン晩年の<ドン・ジョヴァンニ>で歌った騎士長、あるいはアバドの<ホヴァンシチナ>で歌ったドシフェイなどで、常人離れした豊かな声を披露してくれた人だ。が、ここでの存在感は、正直言って今一つの印象である。と言うより、上記のレイゼン、そして次に出て来るヴェデルニコフがちょっと凄すぎるのだ。)

(※エルムレル盤でコンチャク汗を歌っているのは、アレクサンドル・ヴェデルニコフ。スヴェトラーノフが指揮したショスタコーヴィチの<森の歌>でバス独唱を担当していた人と言えば、思い当たるファンの方も多いように思う。もう、とんでもなくアクの強い声を持ったバス歌手である。しかし、コンチャク汗というのはまさに、彼のような強烈な声でこそ生きてくる役でもあるのだ。これこそ、適材適所!ところで、このエルムレル盤、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』でも勿論力演が聴かれるのだが、曲の後半で右スピーカーから出て来る男声合唱が引っ込み気味になっているのが残念。もっと前面に、ガンガン出してほしかった。)

(※ついでの話だが、エルムレルの<イーゴリ公>について、ここで一つ付け足しておきたい話がある。当ブログで2年前にイワン・ペトロフを語った時にも触れたことなのだが、エルムレルは当1969年録音とは別に、記念碑的な<イーゴリ公>の全曲ライヴを指揮している。これはNHK-FMで1987年10月11日と18日に放送されたので、おそらくボロディンの没後100年記念だったのではないかと思われるのだが、当時のソ連が国を挙げて、「ボロディン・フェスティヴァル」みたいなものをやったことがあったのである。これは作曲家ボロディンの全作品を演奏しようという一大企画で、歌劇<イーゴリ公>はその中でも最大のハイライトだった。当時の名歌手たちを一同に揃え、このオペラのスペシャリスト的存在であったエルムレルがタクトを執った。詳しい配役や演奏の細かい部分は残念ながらもう忘れてしまったが、これも凄い上演だったと記憶する。勿論、『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』も、大変な豪演であった。もし、このライヴ音源がボリショイ劇場かどこかに保存されているなら、是非ともCD化してほしいものである。)

(※映画版ソフトでは『踊りと合唱』に他の場面が交錯して入ってくるので、一つの曲としての一貫性は失われている。この作品を映像付きで楽しむなら、一般的には、NHKでかつて放送されたこともあるゲルギエフのライヴが妥当な選択だろう。彼独特のはたきつけるような爆裂サウンドには、強烈な迫力がある。ただし、そちらの歌手陣は総じて小粒。)

〔 第3幕 〕

ポロヴェッツの陣営。遠くから、『ポロヴェッツ人の行進曲』が響いてくる。やがて、「我らがグザーク汗を讃えよ」という勇壮な合唱がそれに加わり、音楽が大きく盛り上がる。続いてコンチャク汗が、戦勝祝いの歌を豪快に歌い始める。

ひとしきり続いた大騒ぎの後、ポロヴェッツ人たちは皆グーグーと寝入ってしまう。これがチャンスとばかりイーゴリ公は、オヴルールの手引きに従って脱走計画を実行に移す。しかし、息子のウラジーミルは、必死にすがりつくコンチャコヴナの熱い想いにほだされて、すっかり挙措(きょそ)を失う。コンチャコヴナが銅鑼を激しく叩き、陣営の仲間たちを起こす。イーゴリ公は脱出するが、ウラジーミルは結局父と別れ、ポロヴェッツ人たちのもとに残る。

騒ぎを聞きつけたコンチャク汗が登場し、「さすがに、俺が見込んだ男だ。やってくれるじゃないか」とイーゴリ公を改めて讃える。ポロヴェッツ人たちが、「敵将イーゴリが逃げたのなら、ここに残った息子の方は殺しましょう。そして、他の捕虜たちも」とコンチャク汗に迫るが、娘の恋心に気付いていた彼は、「大きな鷹は巣に向かって飛び去ったが、小さな鷹は我が娘の婿として迎えよう」と宣言する。

(※楽曲解説書によるとボロディンは、この第3幕と最後の第4幕については、終幕の合唱を除いてスケッチしか残せなかったそうである。つまり、歌劇<イーゴリ公>の後半はほとんどグラズノフとR=コルサコフが作曲したということになる。確かに聴いていて思うのだが、このオペラの後半は音楽の充実度がはっきり低下する。

しかし、そうは言いつつも、第3幕には音楽素材として魅力的な物が多く内包されている。まず、『ポロヴェッツ人の行進』。ボロディンがスケッチを構想した時には、何と日本の大名行列がイメージされていたのだそうだが、これはゴキゲンな名曲である。さらに、そこから続くポロヴェッツ人たちの宴の場の音楽、そしてイーゴリ公脱走直前の緊張感溢れる三重唱、等等。これらをボロディン自身が作曲してくれていたら、どんなに良かったろう・・。)

(※一つ、薀蓄話。勇壮な合唱を伴う『行進曲』の中でしきりに讃えられている人物が、お馴染みのコンチャク汗ではなく、グザーク汗という別の男になっていることにちょっと注目したい。さらに付け足すなら、次の第4幕で、「私たちがこんな姿になったのは、グザーク汗にやられたからだ」と、打ちひしがれたプチヴリの人々が繰り返しながら歌う場面も要チェックである。さて、このグザーク汗とは何者か?

結論から言えば、「コンチャク汗とほぼ同等の、また場面によってはコンチャク汗以上の力を見せるポロヴェッツ軍のリーダー」である。オペラ・キャラクターとしては出てこないが、原典となる『イーゴリ公遠征譚』を見てみると、彼が非常な実力者であることが分かる。たとえば、戦略を巡ってコンチャク汗と意見が対立した時、正しいやり方を主張していたのはグザークの方だったと後で判明する例がある。この人物は極めて現実的、合理的な行動をとる猛将だったようだ。コンチャク汗をも凌ぐこの男の“正しさ”は、下記の例によっても明らかである。前回言及した森安氏の本の中で紹介されている話を、整理・編集して書き出してみたい。

{ イーゴリ公に逃げられた直後、「鷹が逃げたとあっては、ここに残った鷹の子は黄金の矢で射殺(いころ)そう」と、グザーク汗は主張する。それに対してコンチャク汗は、オペラのセリフの元ネタになっている次のような反論を返す。「鷹は巣に向かって飛び去ったが、鷹の子は美しい乙女でつなぎとめよう」。グザーク汗はさらにそれに対し、「それをやったら、我々は鷹の子も美しい乙女も失うことになり、鳥どもがまたポロヴェッツの野で我々を討ち始めることになる」と言い返す。

果たして現実に、歴史はグザーク汗の予言通りに進んだ。「結婚したウラジーミルは妻コンチャコヴナと子供を連れ、1187年にロシアに帰った。そこで彼は改めて教会の結婚式を挙げ、妻はスヴォボダ(=自由)という洗礼名を得た」と、年代記に記されているのである。 }

以上のような訳だが、オペラ・キャラクターとして見た場合は、やはりグザーク汗よりもコンチャク汗の方がよりふさわしくて魅力的な人物のように思える。

―次回は、歌劇<イーゴリ公>の最終回。ラストの第4幕。
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歌劇<イーゴリ公>(3)

2006年12月06日 | 作品を語る
今回は、ボロディンの歌劇<イーゴリ公>・第3回。第2幕の続きで、イーゴリ公がアリアを歌う場面から。

〔 第2幕 〕 ~続き

ウラジーミルとコンチャコヴナの二重唱が終わった後、テントの中からイーゴリ公が出て来て有名なアリアを歌う。それは悲痛なレチタティーヴォから始まるが、やがてよく戦ってくれたロシア軍に想いを馳せる勇壮な歌「楽しげな戦いの宴の歌、我が敵に対する勝利」となり、さらに、遠い祖国で自分を待っている妻への呼びかけ「ただ一人、我が愛する妻だけは分かってくれるだろう」と続く。そして再び、またはじめの悲痛な雰囲気に戻る。ちなみに、妻への想いを歌い出すこのアリアの中間部は、序曲の第2主題にもなっている非常に有名な旋律である。

(※M=パシャイエフ盤でイーゴリ公を歌っているのは、アンドレイ・イワノフ。実に剛毅な声の持ち主だ。これこそロシアのドラマティック・バリトン、という感じである。いかにもイーゴリ公らしいイーゴリ公と言えるだろう。この後に続く豪壮なコンチャク汗とのやり取り場面でも、声の威力と存在感において全く遜色がない。お見事。)

(※映画版で歌っているV・キニャーエフという歌手も、アンドレイ・イワノフの声を引き継いだような堂々たるドラマティック・バリトンである。この人のイーゴリ公も良い。他の出演歌手たちより、一頭地を抜く存在感がある。)

(※エルムレル盤でイーゴリ公を歌っているのは、旧ソ連時代の重鎮バス歌手イワン・ペトロフ。実は当ブログを立ち上げた最初期に、この人をトピックにしたことがあった。しかしそれはもう丸2年も前のことゆえ、今読み直してみるとちょっと恥ずかしくなるようなレベルのことを書いていた。と言うより、初期の記事を見ると情けない物が他にもあちこち・・。 orz 

それはともかく、ペトロフのイーゴリ公というのはやはり、いつ聴いても圧倒的である。オン・マイクな録音のとり方によって一層強調されることになるのだが、この人の歌唱に聴かれる雄大さには、他との比較を絶するものがある。スケールの大きさにある種の気高さまでが加わって、まるで“ロシアのヴォータン”とでも呼びたくなるような、偉大にして崇高なイーゴリ像が現出しているのだ。深みのある低音、ハイ・バリトンの音域にまで達する朗々たる高音、そしてゆるぎない歌の造型。これらの美質が十全に揃って、比類なき声のドラマを作り出しているのである。素晴らしい名唱だ。)

(※ハイティンクのライヴで歌っているセルゲイ・レイフェルクスについては逆に、幾分批判的なニュアンスを込めて注釈を入れねばならない。映像を鑑賞していると、彼が立派に演じているのは分かるし、それなりに善戦していることもじゅうじゅう認められる。しかし、声が違うのである。具体的にどう違うのか、ということについては、ロシア・オペラの演奏史に少し触れてみると分かりやすい説明が出来ると思う。

戦後の所謂ボリショイ黄金期に活躍したバリトン歌手の中に、2人のイワノフがいた。アンドレイ・イワノフと、アレクセイ・イワノフである。どちらもイニシャル表記するとA・イワノフになってしまうので非常に紛らわしいのだが、この両者の声とキャラクターは全く違うものだった。前者アンドレイは、上述の通り、堂々たる声を持った典型的なロシアのドラマティック・バリトン。いくぶんアクのある太くたくましい声で、素晴らしいイーゴリ公を歌った。私は未聴ながら、オネーギンも得意としていたらしい。もう一方のアレクセイは、同じバリトンでも、もっと甲高い響きを持ったハイ・バリトンの歌手。受け持つ役としては<スペードの女王>のトムスキーや、<ボリス・ゴドゥノフ>のシチェルカロフ(あるいは、録音があるかどうかは不明だが、ランゴーニ)などがよく似合った人である。

声の点で言うとレイフェルクスはその後者、つまりアレクセイ・イワノフの流れを継ぐ人なのである。だからトムスキーやランゴーニにはぴったりだが、<イーゴリ公>のタイトル役までやるのはちょっと似合わないよ、ということを私は言いたいのだ。この役を歌うには、彼の声はあまりにも軽くて“へらちょんぺ”なのである。尤も、この人だけを聴いていたら、イーゴリ公はこういう声で歌うものだと納得されてしまうかも知れないが・・。)

悩めるイーゴリ公のところにオヴルール(T)という一人のポロヴェッツ人がやって来て、イーゴリに逃亡を促す。イーゴリは、「こっそりと逃げ出すような真似は、この俺には出来ない」と、最初はオヴルールの申し出を拒否する。が、やがて、それも一つの道かもしれないと、考え直し始める。

(※イーゴリ公を助けに現れるオヴルールという男の素性については、森安達也氏の著作『イーゴリ遠征物語』という本の中でいくつかの手がかりを見出すことが出来る。筑摩書房から1987年に出版された同書は、このオペラの原典となっている『イーゴリ公遠征譚』について詳しい解説を行なった本である。以下、同書から得た知識をもとにして、私なりにこの謎めいた人物についての簡単な整理をしてみたい。

オヴルールという男は、ポロヴェッツ人達から見ればとんでもない裏切り者なわけだが、彼には彼なりの事情と都合があったようだ。まず、「キリスト教の洗礼を受けたポロヴェッツ人」というのが、オヴルールの基本的な人物設定である。ハイティンクのライヴ映像を観ていると、彼は金色に輝く大きな十字架を胸に下げていて、それをイーゴリ公、及び客席の聴衆にもよく見えるように強調して出して見せる。さらに、森安氏の『イーゴリ遠征物語』148ページには、18世紀ロシアの歴史家であるタチシチェフという人によるおおよそ次のような内容の解説文が載っている。

「オヴルールの母親はロシア人だった。ポロヴェッツ人たちから受けるいやがらせに苦しんでいた彼は、いつかロシアへ行きたいと考えていた。やがてイーゴリ公を助けてロシアへ入った彼は、公から貴族に取り立てられ、妻も世話してもらった」。

オペラ理解の一助にしていただけたら幸いである。)

―この続きは、次回。いよいよ、あの『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』が出て来る場面に入る。

【2019年3月27日 追記】

●アレクサンドル・バトゥーリンが歌うイーゴリ公のアリア(1941年)

この記事を投稿してから、間もなく12年4ヶ月。結構な年月が経った。今から何年ぐらい前になるか、メリク=パシャイエフの<イーゴリ公>には、当記事で扱っている1951年盤とは別に1941年の録音もあるらしいことを、YouTubeサーフィン中に知った。その一部をつまみ食い的に聴いた感じでは、総合的な意味で1951年盤にはとても及ばないという印象だった。しかし、そこでイーゴリ公を歌っていたアレクサンドル・バトゥーリンというバス歌手は、並々ならぬ実力の持ち主であったようにお見受けする。その根拠となる歌唱が、こちら↓。

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歌劇<イーゴリ公>(2)

2006年12月02日 | 作品を語る
前回の続きで、ボロディンの歌劇<イーゴリ公>・第2回。今回は、第1幕の後半から。

〔 第1幕 〕 ~続き

第2場・・・宮殿内のヤロスラヴナの部屋。一人、物思いに沈むヤロスラヴナ。夫と息子がともに出発して以来何の音沙汰もないので、彼女は強い不安を感じている。そこへ女たちがやって来て、ガリツキー公の一味がひどい事をしていると訴える。ガリツキー本人も続いて現れるが、「そんなにあの娘が返してほしいなら、いいさ、返してやる。また、別の娘をさらってくればいいことだからな」と、彼は侮蔑的な態度を見せる。

そんな兄に対して怒りを隠さないヤロスラヴナだったが、彼が部屋を去った後貴族会議の議員たちが揃って現れ、彼女に凶報を伝える。「イーゴリ公と御子息のウラジーミルは、ともに敵の捕虜となりました。そして敵軍は、もうこちらの城門にまで迫って来ています」。ポロヴェッツ軍の放った火によって背景が赤く照らし出される中、苦渋の思いを歌う人々の轟然たる合唱によって第1幕が終了。

(※ここで聴かれる『ヤロスラヴナのアリオーソ』も、大事な曲だ。「夫と息子が出発してから、もう長い月日が経ってしまった」と歌い始めるこの嘆きの歌は、主役ソプラノにとって大きな聴かせどころの一つである。M=パシャイエフ盤では、エフゲーニャ・スモレンスカヤが歌っている。この人は、非常に強い声を持ったソプラノ歌手である。歌の細やかな表情には欠けるものの、力感やスケール感の点では随一だ。何と言っても、あのピロゴフが歌うガリツキーと相対峙して負けず劣らずなのだから。 

ちなみにスモレンスカヤには、同じM=パシャイエフの指揮によるチャイコフスキーの歌劇<スペードの女王>全曲でリーザを歌った録音もある。これは1950年盤と57年盤の2種類があって、私が持っているのは前者50年盤の方。そこには、彼女が当時の代表的なリーザ歌いであったことを示す、堂々たる歌唱が記録されている。)

(※そのスモレンスカヤと、ある意味対照的なヤロスラヴナを聴かせてくれるのが、映画版で歌っているタマーラ・ミラシキナだ。この人は、<エフゲニ・オネーギン>のタチヤーナ役でとりわけ高い評価を得ていた歌手である。ここでの歌唱もそのリリックな声を活かしたもので、とても可憐なヤロスラヴナを生み出している。映像で演じている女優さんもまた、イメージ通りの風貌をしている。ガリツキーを叱責する場面などではちょっと迫力が足りないと感じられたりもするが、彼女の歌もまた、ヤロスラヴナの一面を美しく歌い出したものと言えそうである。それだけに残念なのが、最後の第4幕。そこでは彼女が歌う美しいラメント「私はカッコウ鳥になって飛んで行き」が、大幅にカットされてしまっているのだ。映画の時間制限という事情があってのことだろうが、これは何とも口惜しい。)

(※上記2人の、ちょうど間を通ってうまく行っている感じなのが、エルムレル盤で歌っているタチヤーナ・トゥガリノワである。今回扱っている4種に限って言えば、この人のヤロスラヴナが一番スタンダードな名唱と言えるような気がする。ミラシキナよりも線の太い力強さがあり、スモレンスカヤよりもずっとリリックな美しさがある。)

(※ハイティンクのコヴェント・ガーデン・ライヴでヤロスラヴナを歌っているのは、日本でもお馴染みのアンナ・トモワ=シントウだ。ブルガリア出身の彼女にとっては親しみやすい役柄であろうと思われるのだが、熱演の割には、残念ながら出来栄えは今一つの印象である。声のコントロール、歌のフォルム、ともに決まりが悪くて、何となく不安定。)

〔 第2幕 〕

ポロヴェッツ人たちの陣営。夕暮れ時。ポロヴェッツの娘たちが歌い、そして踊る。それに続いて、ポロヴェッツの将コンチャク汗(B)の娘コンチャコヴナ(Ms)が登場し、「暗い夜よ、とばりを広げよ」と有名なカヴァティーナを歌う。これは、イーゴリ公の息子ウラジーミルへの恋心を吐露する歌である。そこへウラジーミルが姿を現し、セレナードを歌う。やがて向き合った2人は、ひそかに愛を語り始める。お互いに敵軍同士でありながら、若い2人の間にはロマンスが芽生えていたのだ。

(※今回扱っている4種の全曲録音の中では、エルムレル盤がここでも一番の名演を聴かせてくれる。冒頭の娘たちの合唱、そしてそれをリードする一人のポロヴェッツ人娘、ともに他の3種を凌ぐベストの出来栄えだ。コンチャコヴナを歌うエレナ・オブラスツォワ、そしてウラジーミル役のウラジーミル・アトラントフも素晴らしい。特にアトラントフの歌唱は、この役のほぼ理想的なものとさえ思える。と同時に、「このお2人は西ヨーロッパで学んだり活躍したり出来るようになった、東西雪解け以後の世代なんだなあ」と、つくづく実感する。彼らの発声及び歌唱法には、ロシア的な力強さだけでなく、西欧的な洗練味みたいなものが備わっているのである。)

(※M=パシャイエフ盤に登場する恋人コンビは、上記エルムレル盤の2人とは全く対照的だ。コンチャコヴナはヴェラ・ボリセンコ、ウラジーミルはセルゲイ・レメシェフ。どちらも古い時代の名歌手たちで、いかにもロシア的な声と歌い方を持っていた。上記のオブラスツォワ&アトラントフのコンビと比べると、まるで別世界の人たちに見える。ボリセンコはいかにも当時の代表的なメゾ・ソプラノであったことを示す声を聞かせるが、歌について言えば、もっと巧いものを今は他で聴くことが出来る。

それよりも、ウラジーミル役にレメシェフが起用されているのがちょっと意外な感じだ。この歌手は先頃語った歌劇<モーツァルトとサリエリ>でも触れた通り、イワン・コズロフスキーと並ぶボリショイ黄金期の代表的なリリック・テナーだった。ただ声質はどちらかと言えばレッジェーロなので、このオペラの登場人物ならむしろ、後に出て来るオヴルールの方が似合いそうに思える。

イーゴリの息子ウラジーミルというのはリリックであっても、一般的にはもっとロブストな声が合う役だろう。実際エルムレル盤のアトラントフも、ハイティンクのライヴで歌っているアレクセイ・ステブリアンコも、ともにその線に乗ったものである。このM=パシャイエフ盤が録音された時代には、ウラジーミルの声はレッジェーロなテナーだったのだろうか。当時の代表的なドラマティック・テナーとしてはゲオルギー・ネレップの名が挙げられるのだが、彼の強靭な声はこの役とはイメージが違うものと考えられたのだろうか。私にはちょっと、そのあたりの事情はよく分からない。いずれにしても、レメシェフのウラジーミルはかなりユニークな印象を与えるものになっている。)

(※ハイティンクのライヴ映像では、コンチャコヴナを歌うメゾ・ソプラノ歌手エレナ・ザレンバの声がとても印象的。この人はオブラスツォワ以上に、ロシア的な香りを強く漂わせる声を持っている。このエグイ美声、私は結構好きである。おっとりした感じの立ち居振る舞いが、またいかにもお姫様っぽくて良い。物語上の設定は全然違うが、あの<アイーダ>に出て来るアムネリスのロシア版といった雰囲気がある。)

(※映画版のコンチャコヴナは、声はともかくとして、専門の女優さんが演じているその姿について言えば、完全に野人の娘。漫画に出て来る何とか公園前派出所のお巡りさんみたいに、両方の濃い眉毛がほとんどつながっちゃっている。で、その風貌がまた父親のコンチャク汗にそっくりなのだ。ポロヴェッツの人たちのことは私には分からないが、これが案外リアルなメイクなのだろうか・・。一方のウラジーミルは、映画では何だか昼行灯な若者に描かれている。物語のラスト近くで遠くをぼんやり見つめる時の表情など、今で言う“脱力系”の味。)

―この続きは、次回・・。
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歌劇<イーゴリ公>(1)

2006年11月27日 | 作品を語る
作曲家リムスキー=コルサコフは、仲間が完成し切れなかったオペラを補筆して仕上げた編曲者としても大きな業績を遺している。今回のシリーズではその中から、まずボロディンの歌劇<イーゴリ公>をじっくり採りあげてみたいと思う。これは作曲者自身が完成出来なかったものを、グラズノフとR=コルサコフの2人が協力して書き上げたという名作歌劇だ。以下、いつもの通り、その全曲の中身を順に見ていくことにしたい。ちなみに、今回参照している全曲演奏は、下記の4種である。

●A・メリク=パシャイエフ指揮ボリショイ劇場管、他 (1951年)

【出演 : An・イワノフ、A・ピロゴフ、E・スモレンスカヤ、M・レイゼン、他】

●M・エルムレル指揮ボリショイ劇場管、他 (1969年)

【出演 : I・ペトロフ、A・エイゼン、T・トゥガリノワ、A・ヴェデルニコフ、他】

●〔映画版〕G・プロヴァトロフ指揮キーロフ劇場管、他 (1969年)

【出演 : V・キニャーエフ、B・マルイシェフ、T・ミラシキナ、E・ネステレンコ、他】

●〔映像ソフト〕B・ハイティンク指揮C.G.王立歌劇場管、他(1990年)

【出演 : S・レイフェルクス、N・ギュゼレフ、A・トモワ=シントウ、他】

―歌劇<イーゴリ公>のあらすじと、演奏比較

〔 プロローグ 〕

序曲に続いて、舞台はプチヴリの町の広場。人々の壮大な賛美の合唱が響く中、ポロヴェッツ人との戦いに出かけようとするイーゴリ公(Bar)が登場。しかし、突然日食が始まってあたりが暗くなり、人々は不吉な予兆を感じる。イーゴリの妻ヤロスラヴナ(S)も不安になって夫を止めようとするが、彼は祖国の危機を案じて断固出陣の意思を変えない。国の留守をヤロスラヴナの兄であるガリツキー公(B)に任せ、イーゴリは息子のウラジーミル(T)や兵士たちを従えて出発する。

(※このプロローグ冒頭の力強い合唱は、ボロディン自身が完成させることの出来た貴重な楽曲の一つになるようだ。有名な序曲はボロディンの作曲によるものではなく、彼のピアノ演奏を聞いたグラズノフが驚異的な記憶力を駆使して、後年書き上げたものであるらしい。グラズノフ先生、ありがとー!)

(※上記4点の全曲録音の中で、最もロシア的な土俗のパワーを伝えてくれるのは、少し前にナクソスが復刻してくれたメリク=パシャイエフ盤である。これはモノラル録音であったり、元のLPに起因するゴーストがあったり、さらには第3幕がすっぽり省略されていたりと、必ずしも十全な音源とは言えない物だが、演奏内容には凄いものがある。音質も非常に鮮明で、往年の名歌手たちの分厚い歌声や、雷鳴か地響きみたいな大合唱の威力をよく伝えている。同じボリショイ劇場の録音でも、ステレオ期になってからのエルムレル盤では、力感だけでなく洗練された柔軟さも持つ美しいコーラスが、豊かな広がりの中で過不足なく響く。両者はそれぞれに、素晴らしい。尤も私の個人的な趣味としては、ゴツゴツして、なお且つ濃厚なM=パシャイエフ盤の方が今は断然好きだが。)

(※映画版のプロヴァトロフも力強い指揮ぶりを見せ、とても好感の持てる演奏を行なっている。キーロフのオペラ・ハウスも優秀だ。ただ、映画としての時間制限から、テンポは総じて急ぎ足。全体に駆け足でストーリーを紹介していく、といった感じになっている。序曲もかなりの短縮版で、またそれが終わるやいきなり、イーゴリ公が猛々しく歌いだす。という訳で、この映画版には省略や配置換えが少なからずあること、さらには原作を歪めるほどの改変までが見られるという問題点がある。とりあえず、初めての方は手を出されない方がよろしいかと思う。作品の姿を誤解してしまう危険性がある。)

〔 第1幕 〕

第1場・・・ガリツキー邸の庭。イーゴリ公に後を任されたガリツキーだったが、彼は毎日、酒池肉林の乱痴気騒ぎばかり繰り返している。イーゴリ公の遠征軍からこっそり抜け出したスクラ(B)とエロシュカ(T)のお調子者2人が、楽器を片手に陽気に歌う。やがてガリツキー本人も、その騒ぎに加わる。そこへ町の女たちがやって来て、ガリツキーの一味にさらわれた一人の娘を返してくれと嘆願する。しかし、彼は取り合わないどころか、彼女らをどやしつけて追い返してしまう。男たちは一同酒を飲みまくり、ますます大騒ぎ。

(※ここで聴かれる『ガリツキーのレチタティーヴォとアリア』も、ボロディン自身が書き上げることの出来た貴重な楽曲の一つである。「この俺がプチヴリの公になったら、もっと豪勢にやってやるぜ」と歌い始める、極めてパワフルなバスの名アリアだ。まずM=パシャイエフ盤だが、ここではアレクサンドル・ピロゴフが歌っている。これはもう、豪快そのもののガリツキーである。天下のボリス歌いとして名を馳せたこの大歌手は、声の度外れたパワーだけでなく、ガシッとした低音からバリトーナルな輝かしい高音までを信じられないぐらいに朗々と出してみせ、聴く者を圧倒してやまない。)

(※そのピロゴフを仮に「田夫野人のガリツキー」と例えるなら、ハイティンクのコヴェント・ガーデン公演で歌っているニコラ・ギュゼレフは、「悪徳貴族のガリツキー」といった感じになるだろうか。勿論悪者ではあるのだが、この人のガリツキーには貴族的な気品がやんわりと備わっている。往年の大歌手ミロスラブ・チャンガロヴィチと交代で舞台に立った経験を持つヴェテランのギュゼレフは、54~55歳ぐらいだったはず。当然ながら声は盛りを過ぎていて、このアリアでは幾分苦しいものが感じられなくもない。しかし、歌いぶりはさすがに堂々としているし、年齢を考えたら立派な歌唱と讃えるべきだろう。その後に続くヤロスラヴナとのやり取り場面は、さらに見事だ。憎々しい演技や表情、あるいはセリフ回しなどに格別な味がある。

ついでの話だが、アンドレ・クリュイタンスの指揮によるオッフェンバックの歌劇<ホフマン物語>に、若き日のギュゼレフが参加している。役名は、リンドルフ。1964年のEMI録音である。これは主役のニコライ・ゲッダ以下、名歌手達がずらりと揃った高名な全曲盤だが、そこでのギュゼレフも素晴らしく、何とも若々しい声で伸びやかな歌唱を披露している。)

(※エルムレル盤で歌っているアルトゥール・エイゼンも見事。この人のガリツキーも、素晴らしい聴き物である。声の立派さもさることながら、堂に入った性格的な悪党ぶりが実に良い。もう思いっきり濃い表情で歌ってくれるので、聴きながら思わず噴き出してしまうほどだ。元赤軍合唱団のメンバーでロシア民謡を得意にしていたという彼にとって、ガリツキーのような役柄はすっかり薬籠中の物だったに違いない。)

(※映画版では、B・マルイシェフというバス歌手が同役を歌っている。この人も悪くない。しかし、上述の通り、映画版は演奏のテンポがかなり速いので、これではちょっと歌いにくいんじゃないかなと同情してしまう。)

―ところで、非常に優秀なエルムレル盤について私が感じている引っかかりみたいなものについて、先に触れておきたい。それは、録音のとり方である。1969年のステレオ録音ということで、音質自体への不満はとりあえずないのだが、音のバランスにちょっと違和感を持ってしまうのだ。具体的に言うと、ソロ歌手たちの声が異常にオン・マイクで記録されているため、背景の管弦楽や合唱の音を圧倒して、何だか化けたようなでかい音になって聞こえてくるのである。これはピアノやヴァイオリンなどの協奏曲を録音する時のやり方に、あるいは近いのかも知れない。このアンバランスに大きいソロ歌手たちの声に、どうも私は人工的で不自然なものを感じてしまうのだ。ただ、彼らの歌唱自体はどれも優秀なものばかりなので、あまりオーディオ的な側面は気にせずに、歌そのものをしっかり楽しんだ方がお得であろうかとは思う。)

―この続き、第1幕第2場から先の展開については、次回・・。
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歌劇<モーツァルトとサリエリ>

2006年11月22日 | 作品を語る
R=コルサコフ・オペラが作曲したオペラを語るのは、今回が一応最終回。という訳で、ここでちょっと異色の作品を採りあげてみることにしたい。演奏時間約40分前後の短編歌劇<モーツァルトとサリエリ>Op48 (1897年)である。2人の登場人物による対話と小編成オーケストラによる伴奏、そして終わりの方で少しだけ出て来る合唱。全体にわたって質朴な響きが一貫する、極めて独特な雰囲気を持った心理劇だ。映画『アマデウス』のルーツとも言えそうなこの短い歌劇の原作は、アレクサンドル・プーシキンが1830年に書き上げたものであるとのこと。

―歌劇<モーツァルトとサリエリ>(全1幕)の概要

〔 第1場 〕

サリエリ(B)の独白。「この世に正義はないと人は言うが、天上にだって正義はない。私は幼い頃から音楽を愛し、長じてからは音楽一筋に打ち込み、それなりの地位も名声も得てきた。幸福だった。嫉妬などという感情は、私には無縁だった。しかし、今は違う。音楽への愛や大いなる労苦に対してではなく、あのたわけ者の頭上に天分が与えられるとは、天上に正義があると言えるのか。ああ、モーツァルト!モーツァルト」。

そこへ、モーツァルト(T)が登場。居酒屋で<ケルビーノのアリア>を弾いていたという、盲目の老ヴァイオリン弾きを一緒に連れてきている。モーツァルトに乞われて、老人はサリエリの前で<ツェルリーナのアリア>を一節弾く。下手くそな演奏。モーツァルトはケラケラ笑って楽しむが、サリエリは、「こんな物を聴いて、笑えるのか」と苦い顔。やがて2人だけになってから、モーツァルトは、「最近思い浮かんだ曲だよ」と言って、ピアノを弾き始める。サリエリはその音楽に深く感動しつつ、ため息混じりにつぶやく。「これだけの作品を持って来ながら、居酒屋の前であんなヴァイオリンに耳を傾けていたとは・・。君は全く、君自身にふさわしくない男だ」。

2人はそれから、一緒に食事をしに行こうという話になる。モーツァルトが、「家の用事を先に片付けてくるよ」と去った後、再びサリエリの独白。「私は実行しなければならない。彼の行く手を阻むために、私は選ばれたのだ。そうしないと、皆が破滅する。あのモーツァルトが長生きして、さらに高みに向かったとして、それが何になる。彼の後継者は、いないのだ。彼が去った後、芸術は衰勢に向かう。あの天上の妙なる歌で、彼は我々に天の目覚めを与えた。塵芥(ちりあくた)の我々に虚しい願望を掻き立てたまま、彼は飛び去ってしまうのだ。ああ、飛び去るがよい。それも、早ければ早いほどよい」。毒薬を取り出すサリエリ。

〔 第2場 〕

『小フーガ』の短い間奏曲の後、舞台は料理屋。「浮かない顔だが・・」とサリエリが水を向けると、モーツァルトは最近起こった出来事を語り始める。「黒い服の男が来て、<レクイエム>の作曲を依頼してきた。そしてそれ以来、いつもその男の影が僕につきまとうんだ。今だって、そうさ・・」。モーツァルトがそんな話をしている隙を見て、サリエリはグラスに毒を入れる。何も気付かずに、それを飲み干すモーツァルト。

やがて若き天才はピアノのところに行き、<レクイエム>の冒頭部分を弾き始める。感極まって涙をボロボロ流すサリエリ。「苦しくも快い涙だ。つらい務めを終えた時のように、病から癒えたように、重荷から解放されたように感じる。モーツァルト、続けてくれ。私の心を楽の音で満たしてくれ」。

「すべての人が、この音楽の和声の魅力を感じてくれたらなあ。いや、ダメだ。そうなったら、誰も世俗の苦労に関わろうとはしなくなる。世の中が成り立たない」とつぶやいた後、モーツァルトは具合が悪くなってきたと言って去って行く。残ったサリエリの、最後の独白。「さらば、モーツァルト。永い眠りに!・・・天才と犯罪は無縁か?いや、違う。あのミケランジェロはどうなんだ」。イエスの磔刑(たっけい)を描くために、モデルを本当に磔(はりつけ)にしたという伝説のあったルネサンスの巨匠にサリエリが言及するところで、劇は静かに幕を閉じる。

―歌劇<モーツァルトとサリエリ>のCD

<モーツァルトとサリエリ>は小規模で上演しやすい作品のためか、R=コルサコフのオペラの中では比較的演奏回数に恵まれている物らしい。現在いくつぐらいの録音が存在するのかは分からないが、とりあえず私が聴いて知っているのは、以下の3種である。

1.サムエル・サモスド指揮ボリショイ劇場管、他 (1947年)
サリエリ : アレクサンドル・ピロゴフ(B)
モーツァルト : セルゲイ・レメシェフ(T)

2.サムエル・サモスド指揮モスクワ国立放送管、他 (1951年)
サリエリ : マルク・レイゼン(B)
モーツァルト : イワン・コズロフスキー(T)

3.マレク・ヤノフスキ指揮ドレスデン国立管、他 (1980年) 
サリエリ : テオ・アダム(B‐Bar)
モーツァルト : ペーター・シュライアー(T)

上記の1と2は、いわゆるボリショイ黄金期の名歌手たちによる記録である。ピロゴフもレイゼンも、ともに偉大なボリス歌手として名を馳せた人たちだ。比べてみるなら、ピロゴフは劇的でパワフルな歌い方をし、レイゼンは重く深みのある声でじわりと貫禄をにじませるという感じだった。この録音にも、それぞれの個性がよく出ている。両者それぞれのスタイルで、迫力がある。

レメシェフとコズロフスキーの2人も、当時のボリショイ・オペラを代表するリリック・テナーだった。敢えて比較を試みるなら、レメシェフは<エフゲニ・オネーギン>のレンスキーを一番の得意役とし、コズロフスキーは<ボリス・ゴドゥノフ>のユロージヴィで絶対無二の評価を得ていた。ここでの両者の演唱も、ちょうどその違いを実感させるようなものになっている。しかし、いずれも西ヨーロッパ的な美感では捉えがたい世界を生み出しているという点では、共通している。

一方、日本のオペラ・ファンにもすっかりお馴染みのテオ・アダムとペーター・シュライアーが共演した3のヤノフスキ盤は、鳴っている音自体の美しさを言えば、上記の1と2をはるかに凌ぐ名演である。と言っても、話はそう単純ではない。

上記2種のサモスド盤では聴くことの出来ない美しい音、充実したオーケストラの響きを背景に、まずアダムがよく彫琢された見事なサリエリを歌い出す。いわゆるデモニッシュな迫力はないものの、端正で力強い名唱だ。しかし、シュライアーのモーツァルト像には、うーん、どうかな、という感じがする。思慮分別をわきまえた、知性派の好青年モーツァルト。例えば、<レクイエム>と黒い服の男について彼が語る場面など、まるで<マタイ>のエヴァンゲリストみたいな格調の高さ。「すごく巧くて立派なんだけど、この役ってそうなのかなあ」と思ってしまう。少なくとも、サリエリが言うところの、“あのたわけ者”には全然聞こえない。

それより問題なのは、これがドイツ語版で演奏されているということだろう。R=コルサコフが回想の中で、「ロシア語のセリフの抑揚に合った旋律線が何よりも先行して作られ、手の込んだ伴奏があとに加わった」と語っている通り、この作品のキモは、ロシア語に密着したメロディ線にある。ドイツ語に直してしまったら、その本質的な価値が消えてしまうわけである。演奏の美しさは抜群なのだが・・。

―最後に、このオペラの侮れない一面を伝える歴史的大歌手の言葉を一つ。初演こそパッとしなかったこのエソテリック(?)な作品は、フョードル・シャリアピンが二役を歌い、ラフマニノフがピアノ伴奏を受け持った上演によって大きな評判となった。シャリアピンいわく、「サリエリという役は、ボリスよりも演じるのが難しい」。どうもこのオペラ、よそ者にはちょっと想像のつかない奥深さがあるようだ。

―次回から、R=コルサコフがオペラの編曲者として残した業績を見ていきたいと思う。
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