もういつの間にかだいぶ長い間ダイエットしていて、そうして中断したり再開したりも間にあって、上手くいったり残念だったりをやはり繰り返している。そうではあるけど、あんまり会わない人にはやはりそれなりに変化はわかってもらえるらしく、そう言って頂けると励みになる。悪意があるのか無いのか分からないけど、横でいやいやそんなこと無いでしょうと僕の変わりぐあいを否定してくれる人もたまにあって悲しい思いもするが、それは単に日頃会う人にはあんまり変化が認められない程度ということでもあるのであろう。
ダイエット話題になるとその方法ということにおのずとなるが、僕の場合減らせるときに食うのを減らすだけ(後は体重計に乗るだけだから)のことだから、事実を話してもなんだか残念がられるだけのことが多い。そうだよね、と相槌を打ってくれる人は良い人だと思うが、そういう人は本当に限られた人間に過ぎない。まあ、ダイエットというのはそういうものなのだろう。
さらに食べ物をどう減らすということについては盛り上がる場合があるが、しかし朝食や昼食を抜くということになると、とたんに反感をあらわにする人もいる。夜を抜くというのは比較的反感が少ないのが変なところだけれど、それでも時間を決めての三食しっかり信者という存在があることは確かで、健康面でそうおっしゃるのはごもっともらしい匂いはするけれど、そもそも太るのが不健康なのだという前提に立つと、多少生命が脅かされるくらいの過激さは容認されるべきなのではないかと思ったりする。まあ、思うがあんまり反論しても、信者の人は聞く耳を持たない。三食しっかり食べる方がちゃんと減る理論というのがあるらしくて、統計的にもそうであるらしいし、絶対的な事実としての体験というものもあるらしい。とにかくそうおっしゃる方の口調は厳しく、結局三食食べて痩せなさいの一点張りなのである。まあ、なかにはもっと回数を増やして食う代わりに一回の分量を減らす論というのも根強くあるが、まあ、これはめんどくさいので例外と致します。食う機会が増えるとトータルでは増える方が自然なので、むしろハードルを上げて無理をしているに過ぎないから、マゾ度が上がって苦しいだけだ。
でもまあいくらそういわれたところで、ダイエットして体重を減らそうと思うと、やはり食べない以外に実際には方法が無い。そんなことをしなくても減る人はそもそも食ってないか記憶喪失か病気を疑うべきであって、太るような人間が体重を減らすというのはこれまでどおり食べていては同じような結果にしかならないわけだから、食べたからにはそれ以上に食べないことを選択せざるを得ない。事実というのは重く厳しいのだ。
そんなわけで久しぶりに兄に会う機会があって、しかしその見事な痩せぶりに驚いたのだ。身長は僕とそんなに違わないが、体重差は7キロ以上あるようだ(一時期はもっと落ちていたが、ちょっと戻ってしまったらしい)。もちろん同じように太っていた時代を知っているので、その衝撃度は大きい。実際にトータルでは十数キロは落ちたのだろう。
で、どうしたのかと一応聞いてみると、夜中に空腹で目覚めるくらいはやったという結論だった。苦しくてヒャアー(だったっけ?)っと言うくらいじゃないと痩せたりはしないという。確かにそうだよな。僕には苦しさが足りないよな。だからさ、今があるのは。と思ったことでした。苦しくてもう太れない、というくらい自分のマゾを蘇らせることができるかどうか。短期と長期の折り合いをつけながら、もう少し頑張ってみます。