カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

公開の是非の線引き

2014-08-22 | net & 社会

 「まんだらけ」が鉄人28号を万引きした犯人の画像を公開すると警告して話題になった。おもちゃといえども27万円相当というから相当な盗みである。その後犯人は捕まったが、28号は転売されていたという。お金もだけど、こういう場合は盗品の売買ということで、品物は戻るのがスジだろうけど、どうなんだろう。
 問題はしかし映像を公開するという脅しの是非と、公開するという罰のあり方などにも議論が及んだ。結局捕まったことと、警察の指導があったらしく公開は踏みとどまったということらしいけれど、捕まったら報道もされるわけで、公権力なら公開していいという、なんとなくの矛盾は感じさせられる。このようなさじ加減というのは、確かに倫理面での議論は出来そうだ。
 万引きの罪の重さ、という感覚の問題もあるという。万引きとはいえ、金額から言って宝石などを盗むような犯罪に等しいと思われるが、宝石だと窃盗と表記されるだろうことと、まんだらけという店とおもちゃという商品についてのこの差というのはどう線引きしたらいいのだろう。僕は完全に一緒だと思うが、これがスーパーのバナナだったらと思うと、やはりなんとなく万引きという感じもする。しかし考えてみると、スーパーのバナナだから罪が軽いなんていうのは、やはり金額の感覚なんだろう。ただ、万引きが蔓延すると相当な被害額になるらしいことも聞いており、やはりバナナであろうとも、厳罰化するべきだという意見ももっともだと思う。特に二度三度と繰り返すような場合は、金額の大小に関わらず、しっかりと刑事罰を与えるべきだろう。弁償したり賠償したから済むというのは、考えてみるとやはり少しおかしいとも思える。そこのあたりの温度差が議論になったわけだけれど、そういう感覚ということが、万引きを助長させることにもつながりそうに思える。万引きの罪の軽い感じに個人差があるのは、ある程度の経験値とも関係がありそうだし、教育とも関係があろう。恐らく文化的な土壌でもかなり違いがありそうだ。
 写真を公開することに関しても、やはり罪の重さとの関連があるのだろう。万引き程度で店がそのような判断をすることが、やりすぎだと感じる人がいるのだろう。店側としては当然のように僕には思えるが、やはり店も客商売であり、消費者の感覚が店への圧力になりうるとも考えられる。要するに店を非難する人には、店に対しての差別意識があるということになるだろう。職業に貴賎なし。消費者が偉い社会はろくなものではない。
 一方ではそうでありながら、たとえば芸能人の麻薬なんてものの報道もどうなのか。米国などの校則違反より軽いものが、日本では重大な犯罪として報道される。危険ドラックにせよ、日本の規制が生み出した犯罪に過ぎないが、まあ、法律は法律という規範を語るのならいいが、取り扱いの過激にやりすぎは間違いなかろう。また企業によっては、脱税だとかミスにも過大に報道する場合がある。愉快にいじめているわけで、まんだらけを誰が批判できるというのだろう。一般人の感想は仕方ないが、報道がバランスを判断するのは、既にダメなのではなかろうか。僕らの業界なんかは、以前は請求ミスということだったが、最近は不正請求という言い方に変わった。中には悪いのもいるらしいが、ほとんどは批判のための言い換えである。なんだかな、と思うが、これが世の中の流れのようだ。結局刑罰より罰したい気分の方が勝っているわけで、気分で言葉を使い分けている卑劣さに反省が無いだけのことだろう。
コメント
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