カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

あえてマイナスが必要   土の中の子供

2014-08-08 | 読書

土の中の子供/中村文則著(新潮文庫)

 感覚的にはよく分からない話なのだが、それは確かに自分自身がしあわせすぎた所為なのだろうか。そこのあたりはたぶんそこまで異常経験が無い所為だとは確かに言えそうだけれど、このような危うさは、思春期の一時期には少しばかりはあったような気もしないではない。微妙な問題ということは感じられるが、しかし既にかなり病的で、恐らくそして実際に病気の領域に達しており、共感するまでにそれなりに話が進んでいかない限り、難しいということになるかもしれない。もちろんそういう筆者の力量に任せていると、なんとなく到達しそうになるわけだが、次から次へと重大な事件に巻き込まれている感じがあって、いくらそういうことを欲している人間であっても、事件に巻き込まれすぎだろうという感覚が芽生えて、少し冷めてしまう自分が居た。ひとつの事件だけでも大事であって、ちょっとゴタゴタしたかな、とも思うわけだ。特にそれだけのことがあったら、やはり普通は命が事切れる。そうして次のステップを踏むまで、やはり時間がかかりすぎるということになりそうなのだ。さらに勝手に関わってくる複数の人間が、もっと自分を放してはくれないだろう。行政というのはそういうものだし、日本の社会とはそういうものという気がする。事件が起こるということは、そういうことになってしまうのではなかろうか。
 しかし、やはり心的描写が中心で、現実に起こったことは、かえってリアリティが無いということはあるかもしれない。現実というのはちょっと病んだ人には強すぎるということがあるのかもしれない。人間の考えの、空想のような世界の方が、遥かに重層的で複雑だ。そういうものを現実が壊しかねないということはある。主人公たちはそういうことに十分恐れを抱きすぎており、そうしてそういう自分から逃れられない。元はといえば、自分の意思とは関係なしに、強引に巻き込まれて病んでしまったわけだが、ある程度自分なりにもがいてみても、あちこちにトラップが仕掛けられていて、そうして安易に自分がそのトラップに引っかかってしまう。自分の周りの病的な人間からしか、自分の自発的な行動が生まれなくなっている。関係性を作れない人間同士だからこそ、もっと難しい人間関係が、なんとなく生まれている。救いといえばそのことの一点のみで、社会と戦うことが可能になるということなのかもしれない。普通の人間に必要そうな、始まりの人間関係を失った人間にとって、マイナス過ぎるスタートこそが、希望になっているということなんだろう。
 すさまじい物語だが、そうして悲しすぎる物語だが、あえて希望の物語に読み取ろうとする。そのようなせっかちなものではないのだろうけれど、そうしなければ読者としては耐えられない。そういう印象を残した人間心理物語だった。
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