カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本を読んでも眠い

2008-04-27 | 読書
 映画を観ながら寝てしまうといったが、本を読んでいても寝てしまうようになった。確かに以前から眠たくなることはあったようなのだが、最近は特に顕著という感じがする。眠くて眠くて仕方がなくなり、どうにも活字が追えない。ひどいときには眠かったことを忘れて既に寝てしまっていたりする。もちろん目覚めてからはじめて気づいたということであるが…。
 眠れない夜には少し硬めの本を読むというのは以前からある誘眠法であるが、その適当な本とは何かというとけっこう選択が難しい。哲学や数学などの難解な奴だといいのではないかと思うかもしれないが、こういう難解な奴には行間で考える時間が長くなるだけ話で時間がかかるというに過ぎない場合がある。面白くなくても考えすぎるとかえって眠れないものだ。考える前段階で歯が立たないということはあるにせよ、歯が立たないなりにちょっとの発見があっただけで興奮してしまって眠れなくなったりする。そういうわけで、難しい本が必ずしも最適とはいえない。
 興味のない分野の本を手に取るという手もある。興味のない分野はそもそも手に取らないのであるから現実的とはいえないが、寝るという目的のためならあえてチャレンジしてストックするという方法もないではないだろう。しかし予想に反して食わず嫌いだっただけということになってしまうかもしれない。啓蒙されるのはいいが、またその分野の本を買い足さなければならなくはなるだろう。
 基本的にはつまらない本に出会うと、なによりであるとは思う。本を読んで眠くなるのは、つまらなくて退屈することも大きいのではないか。本を読まない人で、すぐに眠くなるという人の話を聞いたことがあるが、本当の理由は本を読んでもつまらないためだそうであった。また、それなりにくだらないというのも退屈する。僕はお笑い番組で眠くなるので、うるさくてもくだらなければ効果があるということではないか。しかしあまりにくだらないと、かえって腹が立ってきて目がさえるかもしれない。つまらなさ加減がどの程度かという尺度が難しいところである。
 いや、眠れないための読書の方法ではなく、単に本を読んでいて眠くなるということであった。読みたい本であるにもかかわらず、眠たくなるというのはなんとなく悔しいものである。体が疲れているというか、体力が落ちているということがなにより大きいのだろうとは思うのだが、最近は立ったり歩いたりしながら本を読んだりしている。座っているより幾分効果があるような気がする。それでも駄目なら嫌いなコーヒーを啜る。それでも駄目なら顔を洗う。素直にあきらめて別のことをしてしまったほうがいい場合もある。いっそのこと寝てしまった方がいいこともあるけれど、それがいつも許されるとは限らないのがつらいところである。
 しかしながら、眠くてもそれなりに頑張って読んでいると、流れをつかんで目がさえたりしてくるということもある。結局根気がなくなっているだけの話であるようだ。時間がなくて5分だけ目を通そうとか、移動中であるとかすると読書は格段に進むことを考えると、ある程度の目的意識次第で効果が違うのかもしれない。なんとなく本を手に取るということになっているのかもしれない。体力が落ちてくると、漠然と何かをするという行為自体が、(読書に限らず)眠気を誘うということになってしまっているのだろうか。
 そういえば春眠暁を覚えずとも言うな。単に春になってしまったということなんであろうか。春が眠たいのは何故だろう。冬より疲れやすいのだろうか。よく分からないので、本でも読んで考えてみよう。
コメント
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