ファルコン・レイク/シャルロット・ル・ボン監督
少年は弟とともに、両親の知り合いのコテージに遊びに来ている。そこには母の友人の娘である少し年上の女性がいて、彼はすぐに夢中になってしまう。彼女は少年を半分弟のようにも扱うが、明らかに自分の性的な魅力を使って、この少年の気を惹いて遊んでいる。少年はひと夏の性の目覚めと共に、その少女性の残る女性に、ますますのめり込んでいくのだった。
終始性的な期待感を持たせながら、少年の日の出来事がつづられる。地元の青年と年上の女性などの絡みもあり、嫉妬もある。女性は気を持たせているが、真剣に思いを寄せる少年に、わずかばかりの恋心の期待感も無いではない。自分の女としての魅力を、年下の男を使って試している、ということかもしれない。年下なので、性的な誘惑にもコントロールが効くと踏んでいるのだろう。もちろん少年には、頭の中で年上の女性のことしか無くなってしまう。その誘惑に抗えず、自分を見失っていく訳だ。そうして悲劇が訪れることになる。
基本的にエロではあるのだが、大人になっていく段階で、通り過ぎていく感情を、情愛を使って表しているともいえる。少女から女性になるということと、自我との一致ということもあるのかもしれず、少年を使って自分を確かめているということかもしれない。相手が年上の男性だと、自分の方が翻弄されてしまいかねない。それはもう少しちゃんとした大人になってからすべきことで、大人になり切れていない自分自身の自信のようなものは、性的な興味旺盛の少年でなければならないのである。まさに格好の人が現れ、そうしてその夏はやって来たのだ。
舞台はカナダのケベック州のようで、フランス語圏の地域である。地元では複数の言語を扱うようで、フランス人の少年とはフランス語で、地元の青年とは地元の方言のようなもので話をする。少年には地元の言葉は、はっきりとは理解できない暗号のようなもののようだ。少年からすると年上の女性は、近くに居たり遠くにいったり、その距離感が行ったり来たりする。背伸びして酒を飲んで吐いたり、地元の青年たちとも一緒に居るが、ちゃんと打ち解けているわけではない。ある意味で蚊帳の外なのだが、年上の女性は、何故か自分を連れ立って行動する。自分はそれに、ついていかざるを得ないのである。
訳が分からない映画なのだが、おそらくそこがいいのだろう。女というのは、自分の魔力性を持て余しているということなのかもしれない。それで楽しいのかどうかまでは、わからないのだが……。