カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ゲゲゲのしげる

2015-12-02 | なんでもランキング

 水木しげるが亡くなった。ご高齢だったのである程度は覚悟はしていたが、やはりそう聞くと大変にさびしい思いがする。僕も子供の頃から知ってはいたが、ちゃんと水木さんを知ったのは大人になってからという感じだ。正確にいうと、その本当に大きな存在としてという意味だが、もちろん普通の感覚で漫画を読んでも、作品自体が素晴らしい作家であったことが第一である。息子がゲゲゲを熱心に読み(最初はテレビだったのだろうが)、ついでに映画も境港の町にも行ってみた。そうしてやはり作品が素晴らしいと言っていたのが印象的で、水木さんにふれた多くの人は、そういう水木さん自体のファンになっていくものだと改めて思い知らされた。
 マスコミは仕方がないと思うが、水木さんの本質にはどうしても迫ることが出来ないでいるようなもどかしさを感じる。水木さんを掘り下げると、ちょっとマスコミ的な文法には向かない、かなり危うい面も同時に知ってしまうことになるからである。それは俗物的でもあるのだが、しかし落語のバカバカしさにも通じる普遍性がある。素直にそういうものを語ることは、ある意味で本当に勇気のいる世の中になってしまっている。しかしそういう障壁でさえ軽々と、いや、ひょうひょうと飛び越えて悠然と馬鹿をやってしまっている人が他ならぬ水木さんという存在で、これを素直に分かるような人というのは、実はごく少数派なのではないかと思われる。
 人間というのは、特に現代人というのは本当に厄介な存在で、自分たちの偏見の枠の中に納まらない人間を目の前にすると、どうしても落ち着かなくなる。結局水木さんが体験した悲惨な戦争体験などを持ち出して、それは確かにたいへんなものであったことは間違いなかろうが、勝手に納得して自分の気持ちを収めようとしてしまう。水木さんの本質は、そういう安寧さえ破壊しかねない強烈な毒を持っているからこそ成り立っているにもかかわらず、怖くてそこまで掘り下げることが出来なくなってしまっているのだ。結局は作品を読めていないまま、水木さんを表面から語ろうと、もしくは早く分かろうとし過ぎてしまって失敗に終わっているのだ。そういうことが本当に残念で、だからこそ、改めて水木作品を多くの人に手に取ってもらいたいと願うものである。
 水木作品には、誤解を恐れず正直に言うと、多少の不完全さがどうしても混ざっている感じがする。駄作といってもいい作品も少なくないと思う。一本の長い作品も少なく、再編集され、部分部分を断片的に伝えるものが多いようだ。そういう訳で、実際にはそういうもので何を読んでもいいとは思うのだが、やはり代表的なものをコアに読んだらいいのではなかろうか。

のんのんばあとオレ(講談社)
カッパの三平(ちくま文庫、ほか)
悪魔くん(ちくま文庫、ほか)
ゲゲゲの鬼太郎(ちくま文庫、ほか。墓場の鬼太郎なども)
テレビくん(短編、水木しげる妖怪傑作選1・中公文庫、など)


 テレビのみでゲゲゲに親しんだ人にとっては、実は漫画のゲゲゲ・シリーズは少し水木しげるの上級者向けという気もする。もちろん構わず読んでいいのだけれど、このダークな感じがどうしてテレビだと軟弱になってしまうのか、僕のような人間にとっては、少し理解に苦しむところだ。テレビでもこの漫画を素直にアニメ化してくれたらどんなに良かったことだろう(深夜枠で、そういうシリーズは作られたようだが)。
 また水木しげるに感化されて、その生き方そのものに影響を受けている人間というのも面白い人が多い。そういう人が愛を持って語る水木しげるも面白い。代表的なのは呉智英、荒俣宏、京極夏彦だとか。俳優だけど佐野史郎などもいる。今彼らが語りだすかどうかは分かりえないが、過去の解説を含め、耳を傾けてもいいのではなかろうか。どちらかというと著作以外での自分語りが下手だった水木さんに代わって(話すこと自体は好きだったようだが、ついふざけるので内容が理解しづらい)、それらの代弁者の声の方が理解しやすいかもしれない。
 人気作家でありながら不遇時代も長かったのは、本当に実力がありながら、やはり理解されるのに時間がかかったというのがあるのではないか。また人気が出ても、基本的には鬼太郎のダークさがそぎ落とされたのちのエキスのようなものになっている感じもする。もっともそれでも素直な子供は、その不思議さに惹かれて水木を慕ったのではなかろうか。手塚治虫は、自分の息子に自分の作品こそを読んでもらいたがったが、息子は水木作品を好んで読むので嫉妬した、というエピソードがある。もっとも手塚作品は別に孤高の存在として偉大だが、水木作品には、なんだか麻薬めいた不思議な味わいがあるものなのである。そうして繰り返すが、屈折した毒のようなものも含まれている。
 水木さんは戦争の時代と戦後の貧困を生き抜いた苦労人だけれど、しかし生き残るべくして人生をまっとうした人でもあるのではないか。存在自体に価値のある人として、長く記憶に残る日本人となることは間違いなかろう。
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