死ぬまでにしたい10のこと/イザベル・コイシェ監督
10代で結婚出産して既に二人の娘がいる23歳の主人公のアン。夫はやっと仕事が見つかり働き出す。自分も清掃の仕事をしているようだ。母親の庭か何かにトレーラー(あちらの国では住宅規制があって動かせる住居にすると税金を取られないという抜け道があるようで、低所得者はコンテナやプレハブでなくこのようなトレーラーハウスに住むという図式がある。要するにトレーラーハウスに住んでいるということで、底辺の貧困層であることを表している訳だ)ハウスを置いてそこに住んでいる。ある日具合が悪くなって受診すると(ひょっとするとまた妊娠?と本人は思っている)、大きな腫瘍ができていて手術も不可能、余命2ヶ月という宣告を受ける。
本人はその事実を誰にも話さない決心をし、余命で死ぬまでにしたいことのメモを作り、実行に移していくわけだ。ちなみにこのやりたいことのリストはごく日常的なものが多く、娘たちに毎日愛してるという、とか、酒や煙草を楽しむ、などがある。変わっているのは、娘たちの新しい母親候補を探す、だとか、娘たちが18歳になる毎年の誕生日のメッセージを録音するなどがある。その中でこの話の大きな軸になるのが、夫以外の人と付き合ってみる、というのがある。もちろん実行するわけだが、10代で出産結婚した若い女性として、恋愛経験を積みたいという欲求があるということなのかもしれない。もちろんしかし経済的な能力はともかく、若い夫は特に暴力的なところがあるわけでもなく、子供の世話だって最小限はやるような、いわゆるいい夫である。その中で浮気とはいえ、まさに夫以外の男と、真剣な恋愛に落ちていくのである。
死ぬ前に自分を見つめ直し、家族の愛を確かめ、その後のことをひそかに準備していく心情は理解できるものである。着実に録音を残し、愛する娘や夫のことも考えているようには見える。そうでありながら、コインランドリーで知り合った男を誘惑し、着実に恋に落ちていく様子も、ある意味で大変に真剣である。このギャップが観ている人間を少なからず混乱させているようにも見える。死ぬことが分かりながら、その短い時間ながら、なんとなく大変に罪深いようにも思える。そのあたりは倫理観の違いがあるのかもしれないが、女性としての共感のある話なのであろうか。
恐らく最後まで秘密は守られることになるんだろうが、このような不安が生きている人間には残るという印象だ。知らなければ無かったことかもしれないが、知っている人が約一名生きている。その人が心に秘めたまま死ぬだろうこともなんとなくは分かる。それは短いながらも本当の恋のようなものだったからだ。生きている間の自分が生きている証明のようなものが、死にゆく人にも必要なことだということなら、人間は確かに罪深い。それが許されるのは余命があるからのようだ。まだまだ僕らには余命がありそうだが、若さは失われていく。若いまま死ぬことというのは、だからそのような罪を残すということに意味がありそうである。それは既に罪を背負った人間には分かりにくい欲求なのかもしれない。