子供の頃は、方言の一種なのかな、と思っていた言葉にチャリンコがある。方言というだけでなく、まあ、隠語めいたものであると薄々気づきはしていたかもしれないが、大人になるにつれて、なんだか一般化していったような印象がある。昔の大人はあんまりチャリンコとは言ってなかったような気もする。いや、むしろこれは全国的にそのような広がりがあって、皆が安心して使うようになった言葉ではないかという疑いを持っている。
しかしながらチャリンコには、子供の掏摸の意味もあるそうだが、一般的には自転車のことだ。転じてお母さんが乗るような自転車は、ママチャリ。原動機付き自転車は、原チャリと言ったりする。もとは朝鮮語のチャヂョンコ(ゴ)(もちろん自転車のこと)から転じている言葉であるらしい。外来語由来はたくさんあるが、朝鮮語由来の言葉というのは案外少ないらしく、全国的に定着しているものとしては珍しい部類かもしれない。
もっとも朝鮮語由来の言葉というのは他にも探せばあんがいあるものだ。代表的なのは独身者などを指すチョンガーであろう。働き出してしばらくは言われることになるが、こづかいをくれるとか、おごってくれるとかいうときに、チョンガーだから気にすんな、という感じで使われる。まだまだ半人前というか、愛嬌を持って馬鹿にしている感じかもしれない。または、早く嫁もらえ、とか、もうちょっと頑張って責任ある仕事しろ、なんて時にも使われるかもしれない。
また、親友のことをチングともいう。昔からのチングだから、なんて肩を組んで酔っ払った時などに言う。親友という言葉は悪くは無いが、ちょっと照れくさい感じがあるかもしれない。竹馬の友なんて言い方をするほど古くも無い。若いが付き合いは長い。そういうときの照れ隠しと友情の確認に、チングはなんとなくしっくりくる。
中学生くらいの時には、怖い先輩からタンベ持ってないか、と言われたことがある。煙草のことだが、持っているからといってむやみに差し上げるわけにもいかない。しかし意味合いとしては、要するにタンベ代としてこづかいを出せという意味らしい。これもむやみに差し上げるわけにもいかないが、彼らはちょっと借りるだけだというニュアンスで、たかりやすく、なおかつ迫力のある言葉遣いとして使っていたのだろう。
ぜんぜん朝鮮由来に気づかなかったのにノッポがある。これは断然ノッポさんの影響かもしれない。ノッポな先生とか居て、学校の先生自体がそういう風に使っていた。これは響きが滑稽で親しみやすい感じである。不思議と横幅のある巨体はノッポとは言わなくて、ひょろりと高いような人がふさわしい印象がある。やはりそれはノッポさんの影響なんだろう。
ちょっと踏み込んで偏見めいたことを言うと、このような隠語めいた語源の陰には、被差別とか、在日の庶民生活のとけこみ具合があるような気もする。不良の仲間にそのような親和性があるのは、そういう地区であるとか、実際に在日の人が混ざっている集団などから漏れ伝わってきたような感じもあるからだ。特段当時は意識していなかったけれど、喧嘩の強い人には在日の人は多かった。また連携も強くて、下手に絡まれると長期化するので厄介だった。それで初めて在日を意識するわけだが、ああ、なるほど、それなら仕方ないな、と子供集団ながら納得したりしていた。
特に対立していた気分は無くて、むしろ結構融和的に混在していたということかもしれない。今はなんとなく、そのような形がむしろボケて分かりにくくなっている気もする。時々気配がすると、ぎょっとしたりするからだ。
そういう意味ではチャリンコのような言葉は、もっとも自然に融和した言葉かもしれない。ちょっと安っぽかったり、やはり小馬鹿にするようなニュアンスは無いではないが、もうほとんどの人は、その由来などを気になどしていないだろう。さらに今後も恐らく使われていく予感もある。もうあんまり乗らないだろうな、という自分の体力だけが、今となっては悲しい現実であるのだけれど…。