どこまでやれば十分だということは言えない世界においての敗北のことを思うと、なかなか考えが現時点ではまとまってはいない訳だが、書いているとそのいくばくかの不十分さが見えてくるかもしれないということがあって書き進めることにする。
まずは何かを見誤っていたというか、伝えられなかった原因はあると思う。そもそも選挙ではわかり得ないことを伝える手段が選挙であるという逆説的なものをはらんでいることは承知していた。何か方法は無いものかというもどかしさは、関わりだしてからの当初からずっと持ち続けているあいまいさではあった。そういうものに対しては、やれるものはやっておこうという声に抗えないまま従っていたかもしれない。僕自身がその術を知らないし、そういう社会を理解できないでもいる。若くなくなっているということもあるし、僕の生きている世界との距離でもあるかもしれない。だからある程度の空中戦的なネットを使う戦術に長けている部分もあって、少なからぬ優位性のようなものがあるという過信はあったのかもしれない。同時にそれにも苦しめられたり、うんざりさせられたりすることもあったので、少しそれらからも距離を置いてしまっていたかもしれない。実際のところ他でもやられていることであって、本当に目新しい何かは、失われていたのかもしれない。
選挙という選択ということを考えると、無投票というのは選択権を奪うことでもあるのは分かる。しかし選挙という制度での門戸の狭さや煩わしさを思うと、やらないで決まることが現実としてあるのだから、それが自分らの置かれている立場だとしたら、願わくばそうであっても勝ちは勝ちである。もっとも勝ちに行こうということくらいは事前にはあるので、結果としての受け入れくらいはあるという程度だった。日が進み、4日前選挙だと言われると、何かおおきな陰謀のようなものがこのまちにはあるのではないかという気分になった。そのような信用できない大きな悪意が、我々を困惑させ欺かせてまで行われようとしている。結局いまだに分からないままなのだが、大きな組織がうごめいているわけでもないようにも見えるし(それは見え隠れはしたものの)、内容もよく分からないままだ。都市ではそんな話は聞かないでは無いが、まさかガーシーのような悪ふざけがまかり通ったわけではあるまい。絶対的な現状の不満の受け皿であるのは分かるし、そういう人の割合もそんなところだろう。青島幸男ではあるまいし、それがまかり通っていいのか。選挙戦の盛り上がりが欠け、投票率は7ポイントも下回った。それが最も大きな敗因であることは間違いなさそうだが、そういうものを形作ったのは、あまりにも訳の分からない電波系の無力感だろう。本人は本気で勝つつもりがあったのだろうか。そんなことすら疑わしい。
もう少し考えると、美人投票としての受け皿もある。一番若いという理由は、期待としては分からないではないものの、資質としてはまったく関係が無いものだ。そんなものなど何にも知らないままでもいいというのなら、政治家の仕事とは何なのだろうか。もっともそうでない人がいることと、組織自体が気に食わない人もいるだろうし、書かれている通り選挙カーがどうこうということもあるのかもしれない。それ以外にやりようがないからやっていることと(それは日本の選挙制度そのものの問題だ。選挙カーを使うことを前提に選挙を行うことを強いられているからだ)、投票を絡められてもどうしようもない。それは政治の中身で議論すべきことであるはずなのだ。
そのような筋違いな議論が争点であるかのようなことになると、まじめにやっている人が報われない世界になってしまう。正直に言って脱力感があるのでそう思ってしまうのかもしれないけれど、不真面目で無理解の人々が世界を構成していても、結局はろくなことにはならない。それが4年間か、と思うとリセットのやり方さえどうでもいい感じになるかもしれない。そういう取り返しのつかない将来の時間が目前に横たわっていて、陸地の見えない海原の中に投げ出され漂流を始めようとしている。手に持つオールをかいていいものかどうかさえ、今は分からなくなっている。